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3冊とリアルから”文明と感染症”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

ペスト大流行: ヨーロッパ中世の崩壊 (岩波新書 黄版 225)


ペスト大流行: ヨーロッパ中世の崩壊 (岩波新書 黄版 225)

  • 作者: 村上 陽一郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1983/03/22
  • メディア: 新書

5 さまざまな病因論


黒死病以前の病因説


病因論の背景


から抜粋


すでに述べたように、黒死病期以前にも、世界はペストの世界的大流行を体験している。

ヨーロッパ世界も必ずしも例外ではなかった。

しかし、その病因についての議論が十分に積み重ねられていたわけではない。

そもそも、われわれは、伝染病やその流行という概念を、病原体に感染する、という現象と結びつけることに慣れている。

むしろ慣れすぎていて、時に大きな過誤を犯すことさえある。


しかしながら「病原体」という概念や、その「感染による発病」という考え方が確立されたのは、西欧医学の伝統の中でも極めて新しいことであって、たかだかここ200年程度の歴史しか持たない。

19-20世紀のドイツ最大の医家の一人ウィルヒョウでさえ、病原体による感染という概念をなかなか全面的に受け容れなかったほどである。


ヒポクラテスの病理学説 から抜粋


したがって、「流行病」はすなわち「伝染病」である、とうことさえ、黒死病の伝統を形造った主要な要素の一つであるヒポクラテス医学は、ギリシアの医聖ヒポクラテス(c.460-375 b.c)に端を発するが、彼の病理説に従えば、病気の原因はただ一つしかないのである。


ヒポクラテスは、人体の健康状態を左右するものとして、四種類の体液を考える

血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁である。

そして体内においてこれらの4種の体液がある平衡を保っている、とされるのである。

この平衡は「クライシス」(crasis)と呼ばれる。

この語はもともとは「混合」を意味するギリシア語に由来している。

この平衡状態が「よい」場合には「ユークラシス」(eucrasis)と呼ばれ(ギリシア語の”eu”は、「安楽死」euthanasy「優生学」eugenicsなどの語でも判るように「よい」、「優れた」を意味する)、平衡が崩れた失調状態は「ディスクラシス」(discrasis)と名付けなれる。


さて、したがって、こうした病理論から言えば病気とは、基本的に、四体液の平衡の失調(ディスクラシス)によって惹き起こされるものであり、それゆえ、治療もまた、四体液の「よき平衡」(ユークラシス)の回復を図るという一点に絞られる。

かつてヨーロッパでも「瀉(しゃ)血」(刺絡(しらく))が極めて重要な医療行為であったのも、そうした背景があったからである。


ただし、これだけでは十分ではない


ということで14世紀中世ヨーロッパでの


感染症(ペスト)から医療行為や社会の


紆余曲折、変遷の過程をつぶさに検証分析、


自分は今のコロナ禍での社会と比較しながら


拝読させていただき大変興味深かった。


余談だけれども”ウィルヒョウ”博士は


養老先生も他のことで指摘されていたなと。


話を、中世、ペストに戻しまして


最近の村上先生の言説は、先日読んだ


こちらにもございました。



ウイルスとは何か 〔コロナを機に新しい社会を切り拓く〕

ウイルスとは何か 〔コロナを機に新しい社会を切り拓く〕

  • 出版社/メーカー: 藤原書店
  • 発売日: 2020/10/27
  • メディア: 単行本

第一部 ウイルスと人間ーー問題提起


ウイルスとの闘いの人類史


村上陽一郎


感染症の過去


から抜粋


遥か歴史時代の初めから、人間は、流行病についての知識を積み重ねてきました。

例えば早くとも紀元前9世紀ころまで遡れる『旧約聖書』には、ヘブライ語で<Zaraath>とされる「病気」が頻繁に現れます。

この語は、かつての日本語訳では、「癩(らい)」と訳されて来ました。

今では「ツァラアアト」の全てがハンセン病ではないと考えられていますが、人里離れたところで辛うじて生を繋ぐ運命にあったようです。


日本の『書記』でも「白癩(はくらい)」という言葉があって、ハンセン病を意味するとされます。


また「えやみ」という言葉も現れますが、これが「流行病」をさすと思われます。


現在栃木県に、「山揚げ祭」という大きな行事があります。

通常は悪疫退散を祈る祭りとして発足した、と理解されていますが、一説によると、悪疫の病者を山に遺棄する行為を「山揚げ」と称したともいわれます。

こうした行為は全国に広がっていた、と考えられます。


要するに、何か悪いものが、人から人へ伝えられて、病気が蔓延するという経験的知識が古くから各地にあったことは確かで、それが、病者の隔離、遺棄に繋がっていたと考えられます。


しかし、ここで強調しておかなければならないのは、医療界での理論的な場面では、病因論という点で全く発展はなかったという点です。

当時最も人気のあった理論は、大まかにいって二つあります。


一つは瘴気(しょうき)説というべきものです。

「瘴気」とは、地中深くに伏在する悪い空気のことです。

深井戸に蝋燭の灯りを下ろしていくと、途中で消えてしまいますし、そこに落ちた生き物はやがて死んでしまいます。

地中深くに瘴気が澱んでいる証拠と考えられました。

この瘴気が地震、火山の爆発、大水による地層の変化などの理由で、大気中に解放されたとき、人々はばたばたと死んでくのだというのが瘴気説です。


もう一つの説は、占星術的な性格のものでした。

この時期のヨーロッパに流行していた哲学に新プラトン主義があります。

この哲学では、万物は四囲に向かって自己を流出(emanate)している、という原理を基礎としていました。

地上の人間も、天上の天体も、皆そうなのです。

天体の流出(emanatio)が地上の我々に届くと、我々の立場からすればそれは「流入」(influentia)ということになります。

天界における星々の位置は刻々変わりますが、それに伴って、地上への星々の流入角度も変化します。

その状態が、占星術的に「悪い」とき、人々はその「影響」を受けて、斃死(へいし=行き倒れて死ぬこと)するのです。

英語で「影響」を<influence>というのも、毎年流行するヴィルス病を「インフルエンザ」というのも、まさにここに由来します。


病因論として、人から人へ何か悪いものが伝わる、というときの「何か悪いもの」が明確に同定されるのは、実に19世紀半ばになってからのことです。


病気と認知されたのは19世紀半ばという


比較的新しいものだという。


今も解析途中なのだろうなと思ったりもする。


”山揚げ”のエピソードは”姥捨”のメンタリティが


少しでもある国民であれば、良い悪いではなく


わかる気もする行為なのだろうな。


肯定とか否定という二択論ではなく。


さらに別の視点でコロナ禍と


感染症を検証されていて自分的には


かなり興味深いお二人の対談がございます。



パンデミックの文明論 (文春新書)

パンデミックの文明論 (文春新書)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2020/08/20
  • メディア: Kindle版

第2章 パンデミックが変えた人類の歴史


キリスト教を受け入れる心理作用


から抜粋


中野▼

ヨーロッパ文明の転換点に大きな感染症があったこと、そしてそれがキリスト教の勢力が拡大していく契機となったこと、また同時にローマ帝国が国力をあっという間に失っていった原因となったことがよくわかりました。


ヤマザキ▼

ひとつお伺いしたいんですけど、ペストの時にキリスト教が受け入れられた理由として、危機に瀕した際の人間は善なるものを希求する、というような心理作用はあるんですか?


中野▼

危機に際しては、善なるものであるかどうかを吟味するより以前に、理性で判断するのを放棄するようになる、という傾向が強くなりますよね。

理性の代わりに勘だとか、情報の分かりやすさだとかに頼ってしまうようになる。


脳がカロリー消費を節約するとき


から抜粋


ヤマザキ▼

結局、危機的状況で求めるのは、ひとときの安心ってことなんですかね。

それこそメルケル首相の「レジに座っている方、ご苦労様」っていうカメラ目線の発言に大勢の人がコロッといっちゃうわけですから。


中野▼

人間って、2000年経ってもあまり変わらないんですね。


そういえば、科学哲学者の村上陽一郎さんが、確かこんな意味のことを書いていらっしゃいます。

40年近く前の岩波新書『ペスト大流行』なんですけれど、


「ありとあらゆる人生の悪行を重ねてきた人々も、そのペストの時に突然慈善を行うようになった。

これは自省の精神を取り戻して善行の愛好者に変身したからではなく、多くの場合、目の当たりにする災禍に恐れおののいて、なんとか破局から身を逃れようとしたからであった」


人々がキリスト教に惹かれたのも、そうすれば自分は救われるかもしれないという虫のいい期待があったのかもしれません。


人心乱れる時に災いあり、故に神仏に祈りを


というのは感覚的に判る気がする。


何も手の施しようのないものは


ヒトの考えうるところに救いはないような。


なんか宗教チックになってしまうのだろうな。


神へなのか、仏へなのか、わかりかねますが。


余談、かのハラリ博士の言葉を思い出す。


最大の敵はウイルスではない、心の悪魔だと。


なんかいろんなところに思いが至る


深い本たちだったが、風邪気味な今日は


そろそろ昼食を拵えて夜勤に備える


天気の良い5月末日でございます。


 


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2冊の”サピエンス異変”から”甘いニンジン”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

サピエンス異変――新たな時代「人新世」の衝撃


サピエンス異変――新たな時代「人新世」の衝撃

  • 出版社/メーカー: 飛鳥新社
  • 発売日: 2018/12/20
  • メディア: 単行本

プロローグーーー私たちの身体に異変が起きている

から抜粋


私がはじめて腰痛を経験したのは、1990年代はじめにコンピュータを使い始めたころのこと。

新しい勤務先の私のオフィスには椅子があり、机は窓際にあって、そこからの眺めは素晴らしかった。

まだすべてが単純明快な時代で、マウスにはボールがあった。

不埒な輩がまだ電子メールを発明していなかったから、郵便受けは書類や学内郵便で溢れていた。


このライフスタイルが私の腰痛の原因である。

私の身体が現代生活を送るには軟弱すぎたわけではなく、人体はそもそもこのような生活を送るようにできていないのだ。

現在では、どのような姿勢であれそのまま動かないことが腰痛の原因の一つであることが知られている。

しかし、これは私の物語ではない。

私は、身体が現代生活によって変えられてしまった数十億人の一人に過ぎない。


この本を読んでいる方々の多くは、自然死ではなくミスマッチ病による死を迎えるはずだ。

だがそれは、正しい(あるいは誤った)DNAを持って生まれてきたからではない。

ミスマッチ病は、身体とその身体が置かれた昨今の環境との緊張関係によって生じると考えられている。


これらの病気はいずれも私たちになじみ深い。

たとえば、2型糖尿病派人類の誕生時から発生したものの、旧石器時代のヒト族(ホミニン)の環境と食事ではこの病気の遺伝子が発現することはほとんどなかった。

当時、この病気につながるような加工食品も甘い食品もほぼ存在しなかった。

時を200万年下ると、同じ遺伝子が有害な環境にさらされている。

今や、アボガド一個よりジャム入りドーナッツを一袋買うほうが安い。


「人新世」とは何か から抜粋


種としての自分たちの営みが環境に与えてきた甚大な影響にもとづいて命名された、人類史上で特異な時期を迎えようとしている。


一年前のこと。英文学部のゼミで19世紀の文豪チャールズ・ディケンズと都会の暮らしについて講義していた時、私はこんな比較的やさしい問いを学生たちに投げかけた。

「私たちは何という地質年代にいるのだろうか?」


地質年代は19世紀に定義されたものの、定義した当の専門家たちは地質年代がどれほど古くさかのぼるのかを把握していなかった。

数千年、たかだか数百万くらいだろうと考えていたのだ。

しかし、20世紀初頭に放射年代測定法が確立されると、地球の地質年代が45億年前までさかのぼることがわかった。


歴代の地質学者による努力のおかげで、私の質問には少なくとも一つの正しい答えがある。

だが、実はもう一つ別の答えもある。


一つ目の答えは、約1万1700年前に最終氷河期が終わったのちにはじまった「完新世(かんしんせい)」である。


完新世にまつわる不思議な現象の一つに、その期間がかなり短いことがある。

たとえば、その前の「更新生(こうしんせい)」(人類はこの時代に進化した)は何と250万年続いた。


最終氷河期は人体にとって過酷だった。

寒冷期と温暖期が少なくとも20回にわたって交互におとずれ、地球上の温度はいまより平均5度低かった。

大量の水が巨大な氷柱に固定されて大気中の水分が少なくなったため、地球は極度に乾燥していた。

仮にこれらの厳しい寒冷期がなかったら、現在の地球上に私たちと異なる人類種も現存していたかもしれない。

二つ目の答えは、「人新世(じんしんせい)」(アントロポセン)だ。


この用語は「人間」を意味するギリシャ語(anthropos)と、「近年」または「新しい」を意味するギリシャ語(kainos)に由来する。


数年前にこの造語を発案したのは、ノーベル賞を受賞した大気化学者のパウル・ヨーゼフ・クルッツェンだった(ただし1873年に、イタリアの地質学者アントニオ・ストッパーニが「人類の地質時代(anthropozoic era)」という類似の用語をすでに提案している)。


人新世という言葉はまだ一般にはあまり知られていないが、もうすぐそうなる。

この本の英語版が出版されて一年くらいのうちに、正式な地質年代名として認められる予定になっているからだ。


人類が狩猟採集から農耕への移行によって周辺環境との関係を大きく変えた結果、今度は人類の身体が変わり始めた。

新たな食性によって胃だけでなく顔まで変わった。

もともとあった歯の数(いまでも同じ)は必要な数を超えてしまった。

食事が柔らかくなった結果、あごが十分に発達して広がらず、不正咬合(こうごう)が生じた。

炭水化物中心の食事は虫歯の増加につながった。

私たちの遺伝子も何とかこうした変化についていこうとするが、一貫性に乏しく速度も遅い。

つまり、ここに進化の出番はないのだ。


健康や幸福、繁殖期の痛みや病気について、進化は気にもとめない。

一万年は、種全体の時間から見ればあまりに短い。


しかし、私たちはその短い時間であくせくと世界を変えてきた

岩石圏を変え、多種に介入し、海洋を汚染し、地層に穴を掘った。

人新世を生きる人類の身体はすでに変わり果てているが、それは進化のせいではなく、自分たちが作り出した環境に対する身体の反応によるものだ。

新たな科学的発見、新たなライフスタイル、労働パターンの変化、社会状況の変容、そのほか無数の変遷、改善、イノベーションによって、私たちが変えてきた環境もまた密かに私たちを変えてきたのだ。


訳者あとがき


2018年11月 鍛腹多惠子


から抜粋


人新世はあと一年ほどで国際地質科学連合に正式に認定される予定になっている。

この新たな地質年代「人新世」を生きる私たちの身体に今激変が起きている、というのが本書の著者の主張だ。


著者はさらに、ある気掛かりな可能性を指摘する。

人新世の影響で、作物がかつてより大量の糖を生産するようになり、ほかの栄養素が減っているかもしれないという。

いまあなたが食べているニンジンは、しばらく前のニンジンとは別物だというのだ。

原因は複合的と思われる。

おそらく、私たちが甘い作物を好み、作物の収量と外見を優先したことが主な原因だろう。

著者にいわせれば、人新世のニンジンは私たちそのものなのだ。


私たちはどんどん身体を使わなくなってきている。

昔ほど歩かないし、カロリー過多の食物を好んで食べ、座りっぱなしで、とかく快適を求める。

巻末近くで、著者はこう提案する。

これからも身体を手放したくないなら、身体の本来の機能を理解し、その能力を十分に活かすことを心がけよう、と。


AIの壁 人間の知性を問いなおす (PHP新書)

AIの壁 人間の知性を問いなおす (PHP新書)

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2020/09/29
  • メディア: Kindle版

第2章 経済はAI化でどう変わるか


対談相手;井上智洋


身体性が置いてきぼりにされている


から抜粋


養老▼

いま、自宅に『サピエンス異変』という、イギリス人が書いた本があるのだけれど、要するに、人間は自分が作った社会に身体が適応していないという話なんですよ。

だから、世界中の人が腰痛だと(笑)。

人間は本来歩いてないといけないのに、椅子に座る生活って変だよと言っている。

そうすると、うんと根本のところで考えてみれば、AI導入で社会がどう変わるかを議論する前に、人そのものをどう見るかが大事なんだよね。

結論から先に言っちゃいますけど、僕が一番危惧しているのは、「それなら人間を変えればいいでしょ」という意見も必ず出てくるんじゃないかっていうこと。

アメリカでは、現実にそういう動きが出てきていますね。


井上▼

「人間を変える」と言っても、どう変えるんでしょう?


養老▼

AIであろうがなかろうが、新しい社会システムに合う人間を作ればいいんだという考え方ですよ。

シリコンバレーなんかでよく、「ヒューマン・エンハンスメント」という言葉が使われていますよね。

エンハンスメントは「改良」です。

マイルドに言えば、人間の人工的な進化っていうことなんだけど、もっと刺激的に言えば、「人間を改良すること」。

それを、ヨーロッパでは非常に早くから法律で禁止しています。

人の遺伝子をいじることも含まれますから。

中国は、この手の研究に関して、一切禁止していない。

日本はアメリカに準じていて、委員会制度があって、委員会がうんと言えばいいという形です。

ヨーロッパは法律的に人の遺伝子をいじること自体を禁止している。

だから、世界の国々でも、人の改造をどう捉えるかについては、温度差がある。

そもそのAIは人が使っているものですから、問いの立て方は二つあるんです。


一つは、AI自体がどういう変化を遂げていくか。

もう一つは、それを使っている人間の方をどう考えていけばいいのか。

こういう扱いの難しい問題にどう対処していくかは、一筋縄ではいかなくなってきた。

国際的にも格差が大きくなってきちゃったからややこしいんですよね。


僕ね、あるテレビ番組を観ていて、世界の南北の格差って、ここまで開いているんだと感じたことがあったんですよ。

その番組では、一方でベネズエラの人たちが給料をいくらもらっているかが取り上げられていた。

せいぜい月給100ユーロとか200ユーロとか、そんなものです。

その一方で、スウェーデンの食事情も取り上げていて、スウェーデンでは和牛が流行っているらしいんだけど、和牛ステーキのレストランの価格が、日本円で一食5万6000円と言ってましたよ。


井上▼

うわっ、高い!


養老▼

南北の格差は、昔から無視できない問題ですけど、ここにきて顕著になってきた気がしますね。

中国が台頭してきたから、欧米とそれ以外の国々との違いが目立たなくなっているようにも見えるけれど、ITで力をつけてきたインドなんかだって、未だに深刻な貧困を抱えていますよね。


井上▼

格差を拡げる要因はいろいろあるんでしょうけれど、養老さんの言葉をお借りすると「脳化社会」の極みみたいなところにAIがあって、結局のところ、「脳化社会」を進めるほど、格差は深刻さを増していくと。

そういう捉え方でいいんでしょうか?


養老▼

そうですね。

ある意味、世界は多様になった。

とすると、AIに関して各国がどう取り組んでいくかに温度差が出てくるのは、必然なんでしょうね。

一方で端がAI側の苛烈な開発に行き、もう一方の端が人間の改造に行く、みたいな形で。


井上▼

AIのみにフォーカスするのではなく、一歩引いたところから「脳化社会」がもたらしたある種の「多様さ」に目を向けると、格差問題が加速する社会の構図が、よりクリアに見えてきますね。


「AIショック」に人間の身体は耐えられるのか?から抜粋


養老▼

おそらく遺伝子型というのは、我々の身体をずっと作ってきた情報系ですけど、改変するのにものすごく時間がかかるんです。

一万年前から百万年という単位の年月がいる。

人間が登場したのは700万年前ですから。

ところが、それを補完するために、動物は何をしたかというと、神経系を作ったんですね。

神経系で学習すれば、非常に早く行動を変えることができる。

だから、遺伝子型が作ってきた身体というシステムと、神経系がやっていること、いわば脳が作ってきた社会ですね。

これがマッチングしなくなっちゃっているんだと、だから人間は身体の方から具合が悪くなったという点を議論した本なんですね。

作者は人類の進化史の観点から俯瞰して、実に丁寧に書いています


『サピエンス異変』は、章ごとのまとめがあり


そこでは、作者自身も身体性を取り戻すための


具体策が書かれていて非常に興味深い。


同じ著者の他の書もあれば読んでみたいと


思ったりもしたが検索しても出てこなかった。


それにしても身体性がなくなっている


このような時代に、だからこそなのかも


しれないが”AI”や”ChatGPT”が台頭している


というのも皮肉というか象徴的というか。


”人新世”は、日本では斎藤幸平先生で


知名度を上げたように思うけれども


さらに当時登録認定真っ最中だったという


どこに向けての登録なのか、よくわからないし


どちらが早いというのもあまり興味はないので


ございますが『サピエンス異変』に話戻しまして


改良された見た目の良い甘いニンジンは


今の人類そのものだ、というのはものすごく


身につまされ刺さるキーワードだと感じた


書籍なのでございました。


 


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2冊のO・サックス博士と1冊のアシモフ博士から”音楽と脳”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

音楽嗜好症(ミュージコフィリア) (ハヤカワ文庫NF)


音楽嗜好症(ミュージコフィリア) (ハヤカワ文庫NF)

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2015/09/30
  • メディア: Kindle版

 


序章から抜粋


種全体ーー何十億という人間ーーが、意味のない音のパターンを奏でたり聴いたりしているのは、見ていてなんとも奇妙なものだ。

みんなが長い間、「音楽」なるものに勤しみ、心を奪われている

少なくとも、アーサー・C・クラークの小説『幼年期の終り』の中で、知能の高い宇宙人「オーバーロード」は人間に関するこの事実に当惑した。

彼らは好奇心に駆られて地上に降り、コンサートに行って行儀よく耳を傾け、最後には作曲家の「すばらしい創意」をほめたたえる。

しかし、やはりその営み全体は理解できないと感じていた。

彼らは人間が音楽をつくったり聴いたりするとき、その内部で何が起きているのか思いもつかないのだ。

なぜなら、彼らの中では何も起こらないからである。

オーバーロードという種に音楽はない。


オーバーロードのように音色や旋律を認識する神経器官がない人間は滅多にいない。

それにしても、積極的に求めるかどうか、あるいは自分をとくに「音楽好き」と思うかどうかにかからわず、ほぼ全ての人間が音楽に大きな力を感じる。


この音楽に対する性向ーーこの「音楽愛(ミュージコフィリア)」ーーは、幼児にも見られ、あらゆる文化の中心にはっきり表れており、おそらくその起源は人類誕生まで遡るだろう。


それは私たちが生きる文化によって、生活の環境によって、あるいは個人が持つ特定の才能や弱点によって、育まれたり形成されたりするものかもしれないーーが、人間の本質のとても深いところにあるので、人はそれを持って生まれたと考えたくなる。

E・O・ウィルソンが、生きものに対して私たちが抱く「生命愛(バイオフィリア)」がそうだと考えたのと同じだ(音楽自体がまるで生きもののようにも感じられるので、ひょっとすると音楽愛は生命愛の一種かもしれない)。


鳥のさえずりには明らかな適応的用途(求愛、攻撃、縄張りの主張など)があるが、構造的には比較的固定されており、大体において鳥類の神経系に組み込まれている(ただし、即興で作曲したり、デュエットを歌ったりするように思われる鳴き声も、ごくわずかだが存在する)。

人間の音楽の起源はもっとわかりにくい。

これはダーウィンもどうやら困惑したようで、『人間の進化』にこう書いている。

「楽譜をつくる楽しみも素質も人間にとってはほとんど無用の能力なので…最も不可解な才能の部類に入れなくてはならない」。

そして現代では、スティーヴン・ピンカーが音楽を「聴覚のチーズケーキ」と呼び、こう問いかけている。

「ポロンポロンと音を立てることに時間とエネルギーがを注いで、どんなメリットがあり得るのだろうか。…生物学的な因果に関する限り、音楽は無用である。…音楽が人類から失われたとしても、その後の私たちのライフスタイルはほとんど変わらないだろう」。


ピンカー自身はとても音楽好きで、音楽がなければ自分の生活をひどく味気ないと感じるだろうが、音楽をはじめどんな芸術も、直接的な進化的適応ではないと考えている。


私がはじめて音楽について考えて書こうと気になったのは、1966年、後に『レナードの朝』に書いた重たいパーキンソン病患者に対して、音楽が深い影響を与えるのを見た時のことだ。


「音楽」は、私が神経学や生理学の新しい教科書を手にした時、索引で必ず真っ先に調べる項目の一つだ。


音楽の病歴が少ない理由の一つは、医師が患者に音楽知覚に関する障害について尋ねることがほとんどない事かもしれない。

(それに反して、例えば言語に関する問題はすぐに明るみに出るだろう)。

音楽が軽視されるもう一つの理由は、神経学者が好むのは説明であり、推定される機構の発見であり、記述であることだ。

そのため、1980年代より前には音楽の神経科学はないに等しかった。


しかしこの20年の間に、人が音楽を聴いたり、イメージしたり、創作したりしている時の、生きている脳を見ることができる新しい技術のおかげで、状況は一変した。

今では、音楽の知覚と心象、そしてそこに起こりがちな複雑でしばしば奇妙な障害の神経基盤について、膨大な数の研究がなされており、しかもその数は急速に増えつつある。


このような神経科学の新しい洞察はなんとも胸躍るものだが、単純な観察術が失われる危険、臨床記述がおざなりになり、人間的背景の多様性が無視される危険も、つねにつきまとう


明らかにどちらのアプローチも不可欠で、「旧式」観察と記述を最新技術と融合させる必要があり、私は本書に両方のアプローチを組み込もうとした。

しかし何よりも、私は患者と被験者の話に耳を傾け、彼らの経験を想像し、共感しようとしたーーそれこそが本書の核である。


サックス博士の真摯な態度が現れていると感じた。


いきなり余談、養老先生の言説で最近の医療は


データ=統計になっていると。(医療の功利化)


ちょっと表現は異なるが”アナログ”も”デジタル”も


サックス博士は、二つの合わせ技が良いと提唱。


世の流れもあるのだろうけれど、自分も僭越ながら


それが良いと思ったり。時は戻せないもの。


しかしながら、なんでも一辺倒に傾くのは


どこか恣意的なものを感じるってことを


書くことは池田清彦先生の著書を多く


読んでるからってことを言いたいだけでした。


それにしてもこの”序説”だけでも


気になる人の名前がバンバン出てくるな。


さらにこの大著、自分が気になった章は


第29章 音楽とアイデンティティ/認知症と音楽療法


が最も興味深かったが、端折ると意味をなさないため


ここには引けませんが、我が身を振り返り


ちと思い出したことが。


養老先生が書かれていた耳の機能だけは


最後まで残るってのを知っていたので


自分の母親が病室で亡くなる間際耳元で


「ありがとう!」と言ったのだった。


訳者あとがき


2010年7月 大田直子


原題Musicophiliaの-philiaは愛を意味するギリシア語に由来し、「〇〇びいき」や「〇〇マニア」など、何かに対する偏愛を意味する接尾辞として使われ、医学用語ではたとえば小児性愛のような病的な嗜好を表現することもある。

この-philiaとmusicを組み合わせたmusicophiliaは、たんに音楽が好きというよりも、日常生活に支障をきたすほど音楽にのめり込むことを意味すると考えられる。

このような音楽に対する人間の異常な身体的・精神的な反応について、脳神経学の専門家である著者が「神経作用との生理学的な相関があるはずだ」として、豊富な症例を考察しているのは本書である。


ふつう、音楽は人間の心や生活を豊かにするものと思われている。

ところが本書には、音楽に人生を乗っ取られた人、音楽を聞くと気を失う人、頭の中でつねに音楽が鳴り続けている人など、音楽に苦しめられている人が大勢登場する。


音楽を演奏しているときだけ、本来の自己を取り戻すことができる人、音楽の助けを借りてはじめて話や運動が正常に行える人、音楽がなければ人とのコミュニケーションが難しい人など、音楽が必需品とも言える人が大勢登場する。

しかも音楽はどんな文化においても発達し、中心的存在になっている。


ことほどさように、人間にとっての音楽とは不可思議で不思議なものである。

本書はどうやって音楽を認識し、処理するのか、その脳や神経の基盤を探る試みなのだが、

人間の脳には単一の音楽センターが存在せず、脳自体に散在するたくさんのネットワークが関与している」ため、まだまだ解明されていない要素が多々ある


本書の多彩な症例を読んでいると、やはり最終的に「音楽は神の恵みであり、恩寵である」と感じる部分が残るのではないかと思えてくる。


音楽と脳の関係、または病になってからの


音楽との関わりの発芽と因果関係など


不明点が多いのだろうとのご指摘。


”音楽センター”という特定の脳の部位で


音楽を司ってはいないのだろう、それは


芸術もしかりだろうなと。



知の逆転 (NHK出版新書)

知の逆転 (NHK出版新書)

  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2012/12/06
  • メディア: 新書

第3章 柔らかな脳ーーオリバー・サックス


音楽やアートの能力が、突然現れることもある


から抜粋


吉成▼『音楽嗜好症』に書かれているように、もし雷に打たれることで音楽に対する興味が一挙に湧き起こるものであるとすると、音楽の能力というものは、視力のように何年にもわたる大脳皮質への入力を必要とするような類のものとは異なるということでしょうか。


サックス▼

音楽は何もないところからは生まれません。

「青天の霹靂」という言い方はあっても、実際は何もないところからは何も出てこないのです。

ですから余計に、全くクラシック音楽に興味のなかった男が、雷に打たれて変わる話が刮目(かつもく)に値するわけです。

雷に打たれて心臓が30秒ほど停止し、ある種の視力喪失(Anopsia)が起こり、脳の変換が起こったのでしょう。

いろいろな意味で、彼はこの後違った人間になっています。

より宗教的、神秘的になり、深く音楽的になった


吉成▼

音楽の処理には脳のどの部分が関係しているのでしょう。


サックス▼

言語処理の機能は左の前頭葉と側頭葉に偏在しているわけですが、音楽は、リズム、ピッチ、感情、音程など、さまざまな要素が絡んでいるので、その処理には実はたくさんの脳の部位が関与しています。

音楽や視覚の能力は一般的に右脳で処理されているようですが(プロの音楽家は左脳で音楽処理をするというデータもある)、二、三歳になる頃に言語の発達すなわち左脳の発達によって、右脳の発達がやや抑止されるようになっているらしい。

従って、一旦抑止する側(左脳)に損傷が起こると、抑止されていた側(右脳)が解放されるという見方もできるかもしれません。


吉成▼

要するに音楽の能力は領域特定化している、すなわち他の領域と関連していないということですね。


サックス▼

はい、領域特定化しているようです。

文学や政治の世界では、こういう形での早熟ないし天才というのはないでしょう。

こういう分野は、経験や感情、回顧、自己確立などが重要になってきて時間がかかるからです。


領域特定化はしているが、どこが


影響しているかはネットワークが


解明されていないから難しい、


と読めるのでございますが、合ってるかな。


全体で一つみたいな、まさに中村桂子先生の


生きもの、生命誌にもつながるような。


違ってるかい?思い込みも甚だしかったり。


ちなみにこの書、齋藤孝先生が絶賛されてた。


吉成真由美さんって利根川博士夫人だったのだね。


どうりで高いインテリジェンスを兼ね備えていて


サックス博士以外にも、この書では


チョムスキー、ジャレド・ダイアモンドと


別の書ではドーキンス博士と


拮抗した知性で対峙しているわけだと得心。


いずれにしても脳のことって


わからないこと多いと。


アリストテレスまで遡るのだけど


脳は血液の温度上昇を


下げるだけの能力を司っていると


思われていたとこの書にはございました。


初版は1964年!



生物学の歴史 (講談社学術文庫)

生物学の歴史 (講談社学術文庫)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/07/11
  • メディア: 文庫


ただし、アリストテレスさんの


名誉のために付記させていただければ、


生命は緩やかな変化をするという考え方を


一等最初にされたと書かれていて、


ま、自分がアリストテレスさんに


気遣うまでもなく、疑う余地のない偉人であることは


周知の事実、ところでアシモフ博士のこの書は


とてつもなく深く別に論考したいと感じたのでした。


脳のことに話戻して、研究進んでいるとは思いますが


まだまだ未知のことが多そうで


そこからただいま現在までの事考えるだけで


なんだか、頭が破裂しそうな体調不良かつ


気圧不安定な関東地方、そろそろ朝食


取りたいと思います。


 


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井上智洋先生の共著から”身体性”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

最近よく聞く”資本主義の限界”


”脱成長”、”マルクス”などが頭にあり


ベーシック・インカムMMT


導入することを提唱される


(これも是非あるシステムですが)


井上先生をフォーカスした


読み方をしてみた。


資本主義から脱却せよ~貨幣を人びとの手に取り戻す~ (光文社新書)

資本主義から脱却せよ~貨幣を人びとの手に取り戻す~ (光文社新書)

  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2021/03/16
  • メディア: Kindle版


第11章 脱労働社会における人間の価値について


バーチャル・リアリティの発達した社会は悪夢か?


から抜粋


脱労働社会になれば未来のために頑張る意味は相対的に薄れるので、人はより刹那的で動物的になっていく。


エンターテイメントも大脳新皮質に訴えかける思想性のあるものよりは、本能や情動をつかさどる大脳辺縁系に訴えかけるものが増えていき、動物的、刹那的なものが好まれていくかもしれない。


バーチャル・リアリティの世界に没入して楽しむだけの生活もあり得る。

働かなくてもいいわけだから、ずっとヘッドマウントディスプレイをつけてバーチャルの世界を生きる人も増えるかもしれない。


人々がバーチャルの世界に完全に没入することは、倫理的にいけないかどうかという以前に功利主義的にまずいかもしれない。

リアルで起きる災害のような有事に備える必要があるからだ。


しかし、それは未来の世界で初めて直面する問題というわけでもない。

比喩的に、私たちの日々の生活そのものがバーチャル空間のようだとも言える。

私たちは世界で起きているテロリズムや飢餓、今後起こるかもしれない災害や戦争といった恐ろしいリアルから目を背けて、安穏とした夢うつつのような消費社会をむさぼっていられる。

そこへ、3.11のような災害が発生するとそうしたバーチャル空間のような安穏とした生活が破壊される。


そういった功利主義的な問題が仮に解決されたとして、バーチャル空間にひきこもって快楽をむさぼる生活を送ることは望ましいのだろうか?

それはドラッグの問題に置き換えてもよいかもしれない。


私は、ミュージシャンや俳優がドラッグをやろうがやるまいが個人的な関心はない。

「ドラッグをやっているミュージシャンの音源を販売停止にせよ」

と本気で憤っている人の気持ちもよくわかならない。

健康を害するのであれば依存症には支援が必要だと思うが、副作用がない場合はどうか?


アメリカの哲学者ロバート・ノージックの思考実験にあるのだが、脳に電極を挿し、直接的に脳内環境をうまくコントロールして幸福感を味わえることが可能になったとしたら、社会はそれを抑止すべきだろうか。

副作用もなく、この「プレジャー・マシン」(快楽の機械)が幸福感を与えてくれるとして、人々はいろいろと面倒な現実社会への参加意欲を持ち続けることができるのか?


私は今のところ、このプレジャー・マシンで楽しむ「自由」を否定するロジックを持ち合わせていない。

ただし、それが全面化した社会を悪夢のように思っている。


私たちが普段感じる感覚は全て脳が作り出している。

この主張に関して今まで様々な反論がなされてきたが、脳科学の研究では今のところ「すべて脳が作り出している」という証拠しか結局出てこない。


何を言いたいかというと、人間関係で得られる幸福感こそが「真の」幸福などとは言えないかもしれないということだ。

最終的には脳内物質のコンディションが人間の快・不快を決定づけているのではないか?

それは例えば神経伝達物質セロトニンの量が多めに出ているとか、そういう情緒のない話である。


人間関係を良好にして幸せが得られたとしても、脳内物質が作用して幸福感を感じさせているという意味では結果的に同様のメカニズムである。

心や精神と言われるものは、結局(脳の)物質性に還元できてしまう。


だったら、薬物やバーチャル・リアリティによって、快楽や安らぎや充実感を得続けることも倫理的に否定できないのではないか?

LSDは1960年代には、「インスタント禅」と呼ばれていた。

坐禅を組んで得られる悟りの境地に副作用のない薬物で至ることが可能だとしたらそれは許されるのだろうか?


誤解してほしくないのだが、私はあらゆる人々が薬物やバーチャル・リアリティによって快楽に溺れているだけの社会をおぞましく思っている。

しかし、そのおぞましさがどこからやってくるのかまるでわからないのである。

そのような社会を否定することのできる説得的な哲学を私は知らない。


”悟り”について、人間関係(俗社会)から


切り離され、修行の結果会得した


2500年前のブッダを引き合いに出され


現代では以前よく見聞きした


「マインドフルネス」に一部転嫁され


企業の研修などにも応用されていると。


自分としては、バーチャルでの”悟り”は


違和感があって、身体性を伴わないそれは


”悟り”と呼べるのだろうか、みたいな。


それも全て脳が作り出している、


脳も身体じゃ、という水掛け論になりますが


脳や身体を人為的にコントロールするのって


どうなんだろう?と思うのは


昭和生まれで時代遅れだからなのか。


身体性からと、バーチャルからの”悟り”が


同じものという認識でよいのかが


自分にはわからない。


音楽を聴いてモチベーション上げるのと


どう違うのよ、と言われると反論できない。


できるとしたら電極を脳に入れるのと


音楽聴く、という入力の形式は


圧倒的に違うよ、くらいで。


さらに言うなれば、では


歯を矯正するのはどうなん?とか


ペースメーカーは?とかの疑問に


近似しているような気がしておりまして


いや、先生方や世間様まして自分に


喧嘩売っているわけではございませんよ


イノセントな疑問でございまして。


これは研究の余地がかなりあってもしや


人類のライフワークと呼んでもいい


領域の仕事なのかもしれない


全く主題とかけ離れた読み方をする


資本主義に毒されている自分らを


なんとかせんと熟考及び鍛錬しつつも


久しぶりの休日、読者三昧または


本狩り(古書店フィールドワーク)と思いきや


家族と休みが合う少ない機会なので


まず掃除、その後外出して食事でもと


目論んでいる呑気なお父さんなのでした。


 


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3冊のマクリントック関連から”透明な心”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

ノーベル賞学者 バーバラ・マクリントックの生涯 ―動く遺伝子の発見―


ノーベル賞学者 バーバラ・マクリントックの生涯 ―動く遺伝子の発見―

  • 出版社/メーカー: 養賢堂
  • 発売日: 2016/08/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

まえがき から抜粋


本書では遺伝学者バーバラ・マクリントックを紹介する。

彼女のトウモロコシを使った遺伝実験は、遺伝子工学や抗生物質に対する細菌の耐性の獲得など最先端の科学技術の研究に貢献しており、今日に至るまで高い評価を受けている。


マクリントックは自分が選んだ世界に決然として臨み、一生を捧げた。

難問はいつしかやりがいとなり、彼女を虜にしたのであった。

そして、次第にドラマチックな発見と達成の物語を作り上げていった。


しかしその裏には常に「科学は女の仕事ではない」という当時の社会環境があった。


訳者あとがき から抜粋


マサチューセッツ工科大学(以下、MIT)の生物学部の教授であったナンシー・ホプキンスが、生前のマクリントックとかわした”Women  is science(科学における女性)”に関する会話が載っている。

(投稿の日付は2006年1月23日、マクリントックの没後14年ほどのことである。)

ホプキンスによれば、彼女が大学院生、マクリントックが70代の時(おそらく1970年代初頭〜半ば)に、二人はコールド・スプリング・ハーバー研究所で出会ったのだが、彼女(マクリントック)が生きてきた時代が如何に女性研究者にとってつらい時代であったか、男性研究者ばかりの中で正当に自分の研究の場を確保すること、職を得ることがどれほど困難であったか、等などの思いを披瀝したのである。


一方、まだ元気溌剌、若いホプキンスは、生物学者としての自分の将来にバラ色の夢を描いており、そのような辛い経験は自分の人生に起きるはずもないと考えていたので、できることならそんな苦労話は聞きたくない気分になったようである。


数年後ホプキンスが学位をとり、博士研究員も終えて、いよいよMITに助教として職を得る運びになったとき、マクリントックがホプキンスに言った言葉は

Don’t go to university,Nancy.The discrimination is so terrible,you will never survive it ”(ナンシー、あなた、大学に就職しない方がいいわ。差別がとてもひどいから、あなたが生き残れるとは到底思えない)というものであった。


そしてその後、さらに年月を経て、ホプキンスは生物学者として人生を歩むうちに、大学院生当時にマクリントックの気持ちをよく理解しなかったことに対して申し訳なかったと思うようになった。

同時に、彼女をより理解できるようになったとも述べている。


若い頃は、お年を召した方の苦労譚や


人生訓は今を生きる自分の時代には


さほど関連してないよというのは


自分に置き換えてもそうだったし


昨今若者との会話の中でも、


意識的ではないにせよ言わないように


している気がする。


つまり、ホプキンス女史の言っていることは


身につまされるエピソードでして、


後年すまない気持ちになるところも同様で。


それは経験値なんかのなせる技で


若い時には見えないものなんだろうという


歳をとったことの現れなのでしょうな。


ところで敬愛する養老先生は、


マクリントックというと中村桂子先生を


思い出すと桂子先生本の解説で


おっしゃっていたな。


この評伝本にはそのバイブレーションが


かなり満ち溢れている。


女性科学者、研究、挑戦、熱量、


ファクトを積み上げるなど。


ここまで闘争的や厭世的ではないにせよ。


ホプキンス女史曰くマクリントックは


「世捨て人」だったとここに書いてあった。


(それが悪いってわけではないですよ


「だけど人を愛していた」みたいに書いてあるし)


さらに養老先生は茂木さんとの対談で


このように評しておられた。


Dream HEART vol.275 養老孟司さん


  - レポート - Dream Heart(ドリームハート)


  - 茂木健一郎


  - TOKYO FM 80.0MHz
  (2018年07月07日
)
から抜粋


養老:

バーバラ・マクリントックという女性の科学者の方がいるんですけど、あの人も、子供の時からものすごい集中力の持ち主なんですよ。

物事に集中すると考えるし、スポーツなんかでも集中力のある人が強いでしょ。

集中力を身につけるようにするということ。

もしかすると良い人生を送るための大事なことかもしれないですね。


周りが見えなくなる、てのはよく聞くし


自分もそのゾーンに入ることはたまにあるが


それそのものになる、っていう激しさや熱量を


キープできるってのはすごいなあと思う。


それはこの書を読むと時代背景もあろうかと思うが


単純にピュアな研究資質がそうさせたって


わけではなくてキャリアを阻むような


水面下での熾烈な闘いなどがあったようで、


人生一筋縄ではいかないモンだなあ、と


思わざるを得ないのでございます。



ウイルスは「動く遺伝子」

ウイルスは「動く遺伝子」

  • 作者: 中村 桂子
  • 出版社/メーカー: エクスナレッジ
  • 発売日: 2024/05/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

第3章 動く遺伝子はウィルスだけではない


トウモロコシで見つけた動く遺伝子「トランスポゾン」


から抜粋


6年間、トウモロコシの遺伝子を観察した結果、生殖細胞が生まれる減数分裂の際に、遺伝子が染色体の中を移動していると考えなければ、この現象を説明できないということに気付きます。

1951年、マクリントックはシンポジウムで、本来はACという遺伝子が一個あるトウモロコシの位置が動いたという考え方を発表しました。

遺伝子の位置が動く、つまりトランスポジション(Transposition)があるというのです。

その時、会場内は「石のような沈黙」が広がったと言われています。


当時は、遺伝子は単純に複製されていくと考えられていたので、染色体の中で遺伝子が位置を変えたと言っている彼女の論文は奇想天外なものでした。

誰も理解することができなかったのです。


その後、分子生物学の技術が発展し、遺伝子をDNAとして解析できるようになりました。

その結果、ショウジョウバエの実験などで、遺伝子が動くことが分かってきたのです。

このような遺伝子をトランスポゾン(Transposon)と呼びます。


1983年、トランスポゾンの発見により、バーバラ・マクリントックは81歳で、ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

受賞の報告を受けた彼女は、「あらまあ」と一言、いつものように、トウモロコシ畑へ出ていったというエピソードが、私は好きです。


一つの細胞の染色体の中で、位置を移す一塊の遺伝子、つまり動く遺伝子トランスポゾンは、トウモロコシだけ出なく、さまざまな生きものの細胞に存在する一般的なものと分かり、「遺伝子は動く」ということが、研究者の頭の中に入りました。

皆さんの頭の中でも、ダイナミックな遺伝子像ができあがりますようにと願っています。


”トランスポゾン”ということだと


過日投稿したO・サックス博士の書にも


「動く遺伝子」というマクリントック博士に


触れる箇所がありましたことを思い出した。


「動く」というか「移動」なのだね。


だから「動く」なのか。


それにしても欲やビジネスに目が眩まない


透徹した心をお持ちな方同士の


邂逅という気がしてならない


夜勤明け、休日の早朝でございました。


 


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2冊の”人間機械論”を読んで考察に至らない件 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

人間機械論 (岩波文庫 青 620-1)


人間機械論 (岩波文庫 青 620-1)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1932/11/20
  • メディア: 文庫

人間機械論 から抜粋

人間は機械である。

また、全世界には種々雑多な様相化の与えられたただ一つの物質が存在するのみである。

これは問いと仮定とを積み上げたあげく打ち建てた仮説ではない。

偏見の産物でもなければ、予(よ)一個の理性の産物でもない。

もしも予の感覚が、いわば炬火(たいまつ)を振りかざして、予の理性の足もとを照らしつつ、予に理性のあとをついて行くように勧めてくれなかったならば、こんなに不確かなものに思っている案内人なんかは軽蔑したに違いない。

すなわち経験が理性の味方をして予に口をきいてくれたのである。

かくて予はこの二つをいっしょに結びつけたのである。


だが読者はつぎの点をお目に止められたはずである。

予は最も厳密な最も直接に引き出される推論をあえて用いる際にも、無数の科学的な観察の後で始めて行ったのであり、かかる観察はいかなる学者も異論をさしはさみえないものである。

しかも予が自分の引き出す結論の審判者として認めるものはかかる観察をおいて他にないのであり、これはすなわちすべての偏見を持った人間、解剖学者でもなければ、またここで通用する唯一の学問たる人体にかんする学問に通じてもいない人間を忌避する事である。


こんなしっかりした頑丈な檞(かしわ)の樹に対し、神学や形而上学や煩瑣(はんさ)哲学諸派の脆弱きわまる葦(あし)がなにごとをしうるというのか?

子供だましの武器である。


さてこれが予の説である。

というよりは、もし甚だしく誤りを冒していないならば、これが真理なのである。

短く簡単である。

さあどうかわれと思わん人は議論を戦わしてください!


機械である証拠に十項目を挙げておられるが


読んでみてもどうにも腑に落ちないものだった


のだけれども、そういうものなのだろうか。


時代背景から考え「霊魂」というワードも


出てきたりして一瞬ウォレスを思い出したりも。



形を読む 生物の形態をめぐって (講談社学術文庫)

形を読む 生物の形態をめぐって (講談社学術文庫)

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2020/01/14
  • メディア: 文庫

第7章 機械としての構造

1 生物は機械か


から抜粋


いまでは、

「人間は機械である」

と考える人はあまりないであろう。

むしろ、

「機械が生物並みになるのではないか」

を恐れる時代かもしれない。

しかし、それも、コンピュータやロボットの普及で、いささか取り越し苦労になってしまったようである。

たいていの機械が、日常茶飯事になってしまった。

生物が機械だという考え方を、何らかの形で最初に表明したのは、私の知る限りでは、さまざまな機械の作製においても天才的だった、レオナルド・ダ・ヴィンチである。


「おお、この我々の(人体という)機械の観察者よ、君は他人の死によって知識をもたらすからといって、悲しんではならない。むしろ、我々の製作者(である神)が、かくも卓越した道具に知性を据えつけてくれた事を感謝するがいい」

彼は、自分のスケッチの端にこう書き込んでいる。


レオナルドは特別だったかもしれないが、その200年後に、フランスの医者ド・ラ・メトリは『人間機械論』(1747)を書き、

「人間はきわめて複雑な機械である」

「人体は自らをゼンマイを巻く機械である」

などと述べた。

かれはヒトの精神もまた、とうぜん物質的基盤の上に成立すると説いたから、唯物論者とされている。


かれは、ヒトは時計だとも言ったが、この時代には、自分で動く機械といったら、時計ぐらいしかなかったことを考慮すれば、この言明が、それほど子供じみたものではなかったかもしれない、とご理解いただけるであろう。

哲学史では、ド・ラ・メトリの時代の思想が、ニュートンの機械論的自然観の影響を受けたと書く。

ニュートンが火をつけたか、レオナルド以来もともとあった小火(ぼや)が、ニュートンという風を得て大火となったかは知らない。

しかし、この機械論的自然観は、現代に至るまで、生物学にもきわめて大きな影響を及ぼすことになる。


ところで、生物が機械だ、という考えには、いろいろな違いがありうる。

こうした言い方は、すでに何度か出てきたが、けっきょく、ことばの定義に過ぎない。


このばあい、私は、機械は人間の一部だと考える。

機械は元来、ヒトが作り出したものであり、その意味では道具である。

道具は人体の一部だという考えは、古くからあった。

ヒトが作り出した道具が、人間の属性を帯びることに、じつは何の不思議もない。

そうならなかったら、その方が不思議である。

その意味でいえば、機械はもともと生物の一部であり、それを生きものと錯覚しても、考えようによってはあたりまえである。


機械とヒトの異同を考える人たちは、機械やヒトの中身について考えるのであろう。

機械は、その素材をみれば、無生物である。

しかし、純粋に形を考えるなら、素材は別に直接の問題ではない。

それは相似の項でも述べたとおりである。

そして、機械がヒトの一部だということは、素材は何でもいいことを、逆に示している。

こうした考え方が、じつは形を考える、ということなのである。


一般的にヒトと機械を論じるときに、その違いを考える議論がほとんど不毛だったのは、機械はじつはヒトなのだが、ただその一部にすぎない、という観点を落としたからである。

自分の手なり足なりを切り出して、はたしてこれが生物か、と議論してみても、おそらくムダだということは、たいていのヒトは理解するであろう。

だから、われわれは、機械を見るときも、人体を見る時と同じ観点から、観察する。

それを、そうでないと思うのは、相変わらず素材主義から抜けていないだけのことに過ぎない。


人間の身体の不気味さ、美しさというと


川端康成先生の「片腕」を思い出す。


文学にはそういうのが多くあると


ラジオの対談で養老先生おっしゃっていた。


だから、虫を気持ち悪いとかいうな


人間の身体だって十分きもいだろ


という文脈だった。


3 現代の機械論


から抜粋


ドーキンスに『生物=生存機械論』という書物がある。

これはいわゆる社会生物学を解説したものであるが、基本になっている考えは、遺伝子は生き延びるために、今までありとあらゆる手練手管(てれんてくだ)を使ってきた、というものである。

あらゆる環境をくぐり抜け、遺伝子は、じっさい、数十億年にわたって保存されてきたのだから、右のように表現したところで、それほど事実と食い違うとはいえない。

いまの世の中で、遺伝子にも意識があるのか、と疑問を発するナイーブな人が、そういうとも思えない。


この場合の「機械論」は、生物のある種の行動は、なんらかの前提、ここでは遺伝子の存続であるが、それをおくかぎり、まったく論理的に説明できてしまうというものである。

社会生物学は、その前提から、生物の利他行動というおかしな現象を、いとも数学的に、つまり没価値的に証明してしまった。

もっとも、このばあい、価値は、じつは遺伝子の保存ということに集約されている。

それが、自律的な機械という、古来の生物のイメージに、なんとなく反するところが面白い。


つまり機械論としての社会生物学の変わってる点は、個体の価値を「機械」的なものに置換したこと、つまり古くから暗黙の前提だった、「生きること」ではなく、「遺伝子の存続」のみに置き換えたところである。

従って、こうした「機械論」は、いわば目的論の変形であって、ここでいう物理化学的な機械論ではない。


初版は1986年なのだけどドーキンスの


『生物=生存機械論』とあるが、のちの


『利己的な遺伝子』でありまして


メトリ医師の言う「機械論」との関連性というか


類似性は養老先生曰く全く別のもので。さらに


人間=機械を最初に説いたのは、


かのダ・ヴィンチだったと。


気になることは養老先生が解いてくださった。


ちなみに、別の書になるのだけど



解剖学教室へようこそ (ちくま文庫 よ 6-6)

解剖学教室へようこそ (ちくま文庫 よ 6-6)

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2005/12/10
  • メディア: 文庫

解剖ということだと日本では杉田玄白の

「解体新書」に流れを汲むもののようで、


杉田作の書はスケッチが線画で描かれていて、


その元となった図象が西洋の人体のスケッチは


デッサンのように精緻で養老先生はこれは


写真と同じだろうと指摘されてたのが


なぜか興味深かった。


そういう目と表現スキルを中世のヨーロッパ人は


持っていたということが。


話戻しまして肝心の「機械論」の根拠が


未だよく分からずこれは医学の知識がないかぎり


分からないのではなかろうか、みたいな気が


今更ながらしてきた休日の午後、


妻に子供の風邪が感染ってしまい、


ハウスハズバンドなひと時でございました。


 


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昨年の5月の読書遍歴からの成果考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

一昨日の投稿と同様なのでございますが

今回も過去アーカイブのコメントになります為

まったくもって時間の無駄になること請け合い

お急ぎの方は他のことにお時間使われる事が

賢明であろう旨をお伝え申し上げます。

2023年5月に読んだ本からキャッチしたもの

立花隆先生を研究し始めた頃で、これがまた

読書を広げるきっかけになった事は間違いない。

立花先生の読書法もよく読んでたしな。

日高先生も対談内容に興味の膨張と横溢から。

この時は名前すら存じ上げませんでした。

荒俣先生との対談も興味深いけれど

これもダーウィンネタだったのか。

阿部謹也先生も興味横溢、前にも書いてるが

養老先生と対談本を一冊でいいから

出して欲しかったのでございます。

さらに昨年の5月頃といえば


一段階アップしたような理解度になった

あくまで自分の浅学なレベルってことだけど。

この頃から戦略的かつ包括的に効率的に

吸収するべく複数冊、類書を読み始めたのか。

かつ重要本で看過できないものは丁寧に読み

複数回にわたり考察し投稿しているようで。

さらに”科学”への興味も沸騰してきて

なんだか知らない方が呑気でよかったぞ〜

と思う気がし始めた頃だったような。

それでも本当は”科学”は素敵なんだよ、

っていうのに辿り着くのはまだ先、

というか只今現在途上なのか、

はたまた、たどり着けず、なのか

分かりかねるところもございますが

昨今は”遺伝子”とか”ゲノム編集”とかを

読書にて独自研究しているのは

そのせいなのかと過去と今を繋げて考察中の

夜勤前のひと時なのでございました。

”ゲノム”ってことでいうと私淑している

柳澤桂子先生の影響なんですけれどもね。

昨年5月ってことだとすると

政治的な話題としては時節的に

広島サミットG7のあった時でしたな。

日本の核に対する態度が

著しく国民の反感をかったという意味で

論戦交わったことを

思い出されたのでございます。


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2年前の5月は何を読んでいたのかの成果考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

最初にお伝えしておきまするは、

今回は過去のアーカイブと考察(感想)

だけのため、ご多忙の方は他を

ご覧になった方がきっとよろしいかと

存じます。ためになることはおそらく

一文字もございませんと思われます。

ちなみに以下の()内の数字は、

初版出版年になっております。

2022年5月に読んだ本と投稿した記事
文民統制の危機:立花隆(”文藝春秋”15年11月号)
死後の世界:立花隆(”文藝春秋”14年10月号)
安部公房全集29 (00年) 

複数の情報を繋げて考察するからこそ

深まる何か、という視点でいうと



自分で言うんじゃねえと思いつつも

面白いような気がした。

しかし永田先生のはまだしも

篠山先生のは村上龍先生の文章の方や

考察の方が分量多いよなあと思ったり。

さらにこの頃はまだ養老先生本の追求が

今以上に甘くこの本にそんなに付箋貼る?と

我がことながら訝しく眉間に皺寄せてみたり。

その本も良いが”形を読む”とか”唯脳論”に

たくさん貼りなさいよとツッコミたくなる

のだけど、この頃はまだまだ読み込みが

浅かったからなあと思いつつ

本との関わり方って変わるからこそ面白い。





阿部謹也先生もまだあまり知らなかったのか、

と思うとこの2年くらいの読書遍歴は、

その本や人をどこまで分かって読んだかは

心許ないのは言わずもがなですが

広がったのは確か、だがしかし、浅い

と言うのは一番本人が自覚しておりますが

読書を通しての”成果”であると思いつつ

子供が熱を出し医者に付き添った

待合室でも読書をしておった

雨降りの5月関東地方でございました。


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中村桂子先生の書から”業(カルマ)”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

小さき生きものたちの国で


小さき生きものたちの国で

  • 作者: 中村桂子
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2017/02/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

はじめに

から抜粋


科学とはどういうものだろうと考えた時、一つ興味深い見方に気づきました。

科学が生まれ、盛んになる前の社会は、宗教が人々の考え方をきめていました

とくにヨーロッパでは、神様がすべてを決めてくださっているとしていました。


けれども、デカルトやガリレイに始まる科学は、世界は数学で書かれているものであってそれを自分で解いていかなければならないと考えました

どのように書かれているかを私たちは知らないのですから、自分で考えなければなりません。


これは人間にとって大事なことですし、楽しいことです。

子どもはなんでも知りたがる

これが人間の本性なのだと思います。

大人になると、こんなこと聞いたら恥ずかしいなどと思って遠慮してしまいますが、本当は知りたいことだらけです。


このようにして始まった科学は、世界を数学で理解しようとしたのですから機械論になります。

デカルトが生きものを機械として見る見方を出し、そこからラ=メトリの「人間機械論」にまでつながりました。

機械はすべて知ることができるはずです。

自然を解明していく科学の知識をふやすことによって、人間は自然を支配できるはずです。

こうして科学を基礎に置く現代社会は「進歩」を信じ、進歩することでよいことであると考えるようになりました。

進歩の具体は、科学を活用した科学技術によってより便利な社会をつくることです。

まさに今私たちはそのような考え方が主流の社会にいます。


すべてが神様の意志の表れであって決められた中で行動するという世界観に比べて、知らないことを自分で知り、前の世代よりは次の世代の方が進歩をすると信じて生きる方が、明るい未来をイメージできます

すばらしいことです。

けれども、今これって本当かなという疑問が出ているのではないでしょうか。


世界全体を見ると基本的には先進国と開発途上国という格差がありますし、今やそれだけでなく先進国の中でも格差が出ています。

しかも、最先端科学技術は兵器の開発にも利用されますし、エネルギーの多消費による地球規模の環境問題も起きています。

どう見てもいのちが大切にされているとは言えず、生きものとしては暮らしにくい社会にどう見てもいのちが大切にされているとはいえず、生きものとしては暮らしにくい社会になっています。


なんとかしなければいけないと考える人が、環境問題を解決するための技術開発に努めたり、NGOやNPO法人を立ち上げて食事が充分とれない子どもたちのための食堂をひらくなど、いのちに向けての活動が行われています。

どれも大切な行動です。


ただ、「人間が生きもの」という視点を充分に活かそうと考えると、実は、現代社会を支えている世界観がそれに合わないのではないかと思えてきます。

それを考え直さなければ、いのちを大切にする社会をつくることはできないのではないか。

今考えていることはそれです。


思いきり個人的な柴谷論


から抜粋


柴谷篤弘先生と言えば反射的に思い出すのは、メモ差し出しのエピソードだ。

1945年8月15日は、もちろん太平洋戦争敗戦の日だが、日本の研究者にとっては英米の情報解禁の日だった。

そこで東大図書館(研究者の中ではアメリカンセンターと言われているが、柴谷先生のご著書にはこう書かれている)に届いた新しい論文を読みながら一人の物理化学者が「2600オングストローム」と呟いた。

近くにいた生物学者がこれに敏感に反応し、「私も同じ物質に強い関心を寄せています。後で話しましょう」

というメモをそっと差し出したというのである。

呟いたのが渡辺格、メモを書いたのが柴谷篤弘。

もちろん二人が注目したのは核酸である。

2600オングストローム(現在は260nmと言う)は核酸特有の紫外線吸収波長である。

この出会いが戦後日本の生物学の夜明けだったと言ってもよいだろう。

その後渡辺・柴谷は名古屋大学の生化学教室の江上不二夫、発生生物学研究所の大沢昌三らと共に医学を含むさまざまな科学の中で新しい学問を求めていた人たちを誘って「核酸研究会」を創設した。

1949年である。敗戦の混乱を考えると素早い立ち上げだ。


個人的な思い出を書かせていただくと、縁あって私は、渡辺・江上・大沢の三先生には一つ屋根の下で教えをいただき、その謦咳に接する幸運に恵まれた。

柴谷先生はそれがなかったのだが、少し違った形で最後まで教えをいただいたという意味では私の基本を支えてくださった存在である。


1971年、江上先生は「生命科学」という新しい概念を出し、「三菱化成生命研究所」を創設している。

ここでは、分子・細胞・発生・脳・地球(環境)・社会までを含めた総合的な学問が提案された。

細分化した専門分野に中で分析を進めていけば生命がわかるという時代は終わったこと、生きものの中には人間も入るのであり環境・社会などを視野に入れた生命研究が不可欠なことを意識しての提案である。


研究者が専門に閉じこもらず、社会の一員として考え行動する必要性も説いている。

ご一緒した九州出張の車中で、「水俣病は海を物理的に見て水で水銀を薄めると考えた。そこに生きものがいて濃縮が起きるという発想に欠けていた。技術の基本に生物学の知識が不可欠だ」と話された時の熱っぽさを思い出す。


この視点は柴谷先生の『反科学論』の内容と重なっているが、それを「生命科学研究所」として具体化したことが重要である。

しかもそれを民間、とくに三菱という資本の下で進めた決断は、当時の時代を考えると驚くべきことだ。

具体的な研究を進めるには、総合を目指しながらもまず分析を積み上げることが必要であり、『反科学論』の持つ勇ましさには欠けることになるのは仕方がない。

もちろん柴谷先生はそこは理解し、この活動を高く評価していた。


その研究所の中で、環境・社会を意識しながら新しい生物学を考える役割を与えられ、文字通りの暗中模索となった私は、江上先生から欧米の研究の現状を見てくるように言われ、その一つとして英国サセックス大学を訪れた。

1972年である。


当時イデオロギーとしては左寄りの雑誌『New Scientist』で活躍する研究者がおり、いわゆるSTS(科学・技術・社会)の議論が活発に行われていた場である。

そこで小さな会議に出席したら、なんと柴谷先生がいらっしゃった。

オーストラリアを拠点に世界中のその種の活動に参加していらしたのである。

『反科学論』はこのような議論を踏まえて書かれたものなのである。

以来、精力的に書かれる論文を次々送ってくださることになった。

一方、私の書くものはお送りしないのにすべて読んで感想を送ってくださる。

日本にいる仲間でさえ気づかないような場に書いたものまで感想が来るので、オーストラリアにいらしてどうやって見つけるのですかと問うたほどだ。

その問いには笑って答えなれなかったが、あらゆる文献に眼を通しているとしか思えない。

お化けみたいな方だ。

当時送られたものを読みながら感じたことは、柴谷先生の根っこにはやはり図書館での出会いの時に見せた新しい知の情熱、その始まりとしての分子生物学へのこだわりがあるということだ。


その後もお二人は付かず離れずお互いの仕事を


刺激し合いながら各自の領域でお仕事をされ


ご活躍されていくことになられるわけですが


何がどうなったのか本当のところは定かではないが


お互いの”知”に対する考えに齟齬をきたすような


難しい局面を迎えることになった模様で…。


柴谷先生的には”ゲノム”に何か


物申したいことがあったのだろうか。


それにしても、柴谷先生が私に接して下さったような形でもっと積極的に生命科学研究の中にいる次の世代、次々世代に知的刺激を与えてくださったらよかったのにと思う。

ここでシャガルフを思い出す。

大きな知の人でありながら、その仕事に適切に評価されなかったことから気持ちを閉じてしまい、ある時から自身の中にある大きな知を仲間と分かち合うことを止めてしまったのである。

柴谷先生にもそのようなところが見られた。

あれこれ言うのは止めよう。

とても大きな知の人であると同時に本当に優しい方だった。


柴谷先生と中村先生の関係というのは興味深い。


中村先生のポジティブパワーに照らされると


保護色のようになるけれども、個人単体だと


なぜか鋭利でダークな光になってしまう


ようにも見えてしまうような恐ろしさを


柴谷先生は、元から備えていたのか、


途中でそうなったのか、年齢のせいなのか、


私のようなものには到底わかるはずも


ございませんですが。


ここはさらに研究テーマが増えてしまった感あり。


話を本に戻して、多田富雄先生への追悼文もあり


2000年初頭ごろに中村先生の周りで起きたことや


宮沢賢治、まどみちおさんへの研究発表もされていて


今につながっているわけなのですが


ご自分でもあとがきで書かれているけれども


書き下ろしではないため、この書を


まとまりに欠けていると、


寄せ集め感があるものだけれども


逆に自分はとてもとても深さを感じたし


中村先生の中でも重要な本なのではないかと思った。


一つ一つが短くて図らずも今風な気もするのだけど


こういう方が得てして本質を炙っていることって


往々にしてあったりするからなあ、と


しみじみ思った夜勤前の読書でございました。


 


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O・サックス博士の自伝から”偉人”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

道程―オリヴァー・サックス自伝― (早川書房)


道程―オリヴァー・サックス自伝― (早川書房)

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2015/12/24
  • メディア: Kindle版

遍歴

タングステン棒は私のマドレーヌ


から抜粋


私は19世紀の博物誌を読むのが好きだった。

どれも手記と科学書のブレンドだ。

とくに心をひかれたのは、ウォーレスの『マレー諸島』(新妻昭夫訳、ちくま学芸文庫)、ベイツの『アマゾン川の博物学者』(長澤純夫・大曾根静香訳、新思索社)、スプルースの『アマゾンとアンデスにおける一植物学者の手記』(長澤純夫・大曾根静香訳、築地書館)そして彼ら全員が(そしてダーウィンも)刺激を受けたアレクサンダー・フォン・フンボルトの『新大陸赤道地方紀行』(大野英二郎・荒木善太訳、岩波書店)。

ウォーレスとベイツとスプルースが全員、1849年の同じ月に、同じアマゾン川流域に互いに互いのたどった道を行き来し、追い抜きあい、しかも3人とも親友どうしだったと考えると楽しかった(彼らは生涯にわたって手紙のやり取りを続け、ウォーレスはスプルースの『一植物学者の手記』を彼の死後に出版することになった)。


彼らはみな独学し、自発的に活動し、組織に属していない、ある意味アマチュアであり、競争による動揺も混乱もないエデンの園のような平穏な世界に生きていたように思える。

しかしその世界が次第にプロフェッショナル化していくにつれ、殺伐とした競争(H・G・ウェルズの短編『蛾』(橋本・鈴木万里訳、『モロー博士の島』岩波文庫に所収など)に生々しく描かれているような競争)が目立つようになった。


ビジネスになると殺伐としてくる


ってのは今も昔も同じなのか哀しいけれど。


同時代の偉人たちに想いを馳せる


という構図は、とてもよくわかる。


シンパシーを抱く人たちというか


同好の士とでもいうのか、本人たちは


至って普通で、偉大になろうなんて


微塵にも思ってないというところも。


ひいては、オリヴァー博士たちも


その構図が当てはまります。


スティーヴン・ジェイ・グールドと議論する


から抜粋


博物学と科学史に対する深い愛情に通じ合うものがあったのは、スティーヴン・ジェイ・グールドだ。

私は彼の『個体発生と系統発生』(仁木帝都・渡辺政隆訳、工作舎)や毎月『ナチュラル・ヒストリー』誌に掲載されていた記事のほとんどを読んでいた。

とくに1989年の『ワンダフル・ライフ』(渡辺政隆訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)が気に入っている。

どんな動植物の種にも降りかかりうる純然たる運ーー幸運と悪運の両方ーーと、偶然が進化に果たす役割のとてつもない大きさを実感させる本だ。

彼が書いているように、もし進化を「やり直す」ことができるなら、そのたびにまったくちがう結果になることはまちがいない。

ホモ・サピエンスは特定の偶発性が組み合わさった結果であり、それで最終的に私たちが生まれたのだ。

彼はこれを「すばらしい偶然」(訳注:グールド『フルハウス』ハヤカワ・ノンフィクション文庫の渡辺政隆氏の訳を引用)と言っている。


私はグールドの進化観にとても興奮し、5億年以上前の「カンブリア爆発」で生まれた(カナディアン・ロッキーのパージェス頁岩に見事に保存されていた)驚くほど多種多様な生命のかたちを、さらにそのうちのどれだけ多くが競争や災難、あるいは単なる不運に屈したかを、彼は生き生きと描いていると評した。


スティーヴはハーバードで教えていたが、ニューヨークのダウンタウンに住んでいたので、私たちはご近所さんだったわけだ。

スティーヴにはじつにさまざまな面があって、いろんなことに情熱を燃やしていた。

散歩が大好きで、いまのニューヨーク市だけでなく、1世紀前にどんなふうだったかについても、建築に関する膨大な知識を蓄えていた(彼くらい建築に対する感性が豊かでなければ、進化論において適応を重視しすぎる立場を批判するためのたとえとしてスパンドレル(訳注:ゴシック建築などに見られる、丸屋根を支えるアーチとアーチにはさまれた三角形の部分)を持ち出すことはないだろう)。

そして大の音楽好きだ。

ボストンの聖歌隊で歌い、ギルバード・オサリバンを敬愛していた。

ギルバード・オサリバンの曲はすべて暗記していたと思う。

私たちがロングアイランドにいる友人を訪ねたとき、スティーヴは風呂に三時間入っていて、そのあいだずっとギルバード・オサリバンの曲を歌い、しかも同じ歌を繰り返さなかった。

彼は世界大戦期の歌もたくさん知っていた。

スティーヴと妻のロンダは衝動的に気前のいい行動をする友人で、誕生パーティーを開くのが大好きだった。

スティーヴは母親のレシピでバースデーケーキを焼き、いつも朗読用の詩を書く。

それがとてもうまくて、ある年、彼はルイス・キャロルばりの見事なナンセンス詩を作って、パーティで朗読した。


1997年 オリヴァーの誕生日にささぐ


この男、シダにほれ

世が世なら、バイクのCMスターかも

多様な多様性の王様だ

ヒップ!ハッピ・バースデー!

昔のフロイトを超えている


片足、片頭痛、色がない

火星で、目覚めて、帽子通

オリヴァー・サックス

いまも全力で生きている

泳ぎはイルカを超えている


スティーヴは私と出会う前、40歳かそこらのころに、死を覚悟するような経験をしていた。

非常にまれな悪性腫瘍ーー腹膜中皮腫ーーにかかったが、逆境に打ち勝つと決心し、とりわけ致死率の高いこの癌を克服した。


無駄にできる時間はない。

次に何が起きるかは誰にも分からないのだから。


20年後、60歳のとき、彼は前のものとは無関係と思われる癌にかかった。


しかし彼が病気に対して行った譲歩は、講義中に立つのではなく座ることだけである。

自分の最高傑作『進化理論の構造(The Structure of Evolutionary Theory)』を完成させるとの決意は固く、この本は『個体発生と系統発生』の出版25周年の2002年春に刊行された。


数ヶ月後、ハーバードでの最終講義を終えてすぐ、スティーヴは昏睡状態に陥り、息を引き取った。

まるで意志の力だけで自分を動かし続け、最後の学期の授業を終えて、最後の著作の出版を見届けたところで、ようやく手を引く気持ちになったかのようだ。

彼は自宅の書斎で大好きな本に囲まれて亡くなった。


サックス博士、グールド博士、そして


ギルバード・オサリバン。


なにか共通する気がするのは気のせいか。


カメラ好きってのも頷けるのだけど


どこかの街の小さな商店の写真に


グッとくるものがあるほどの腕前。


その他、バイク好きだった無頼漢な


1950年頃のアメリカの普通の若者の面もあり


多様性を帯びた性嗜好なども赤裸々に


綴られているけれど、その実どこまで


本当なのだろうかという”自伝”によくある


悪い意味での誇張やら記憶違いなども


含まれているよなあと感じた。


そういったことは抜きにこの書は


知性があれば相当楽しめるのだろうなあと


そこは置き去りになってしまう


我が身の哀しさを噛み締め


またの機会に随筆や小説も読んでみたいと


思わせるようなそれはもう深すぎる


作家であることは疑う余地を俟たない


5月真夏のような日差しで


汗をかいたため、Spotifyで


ギルバード・オサリバンを聴きながらの


入浴でございました。


 


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O・サックス博士の随筆から受けた”既視感” [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


意識の川をゆく: 脳神経科医が探る「心」の起源

意識の川をゆく: 脳神経科医が探る「心」の起源

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2018/08/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

ダーウィンと花の意味

から抜粋


すぐさまダーウィンの想像力は目覚めた。

一対一という比率は、雄雌別株の種に期待される比率だ。

花柱が長い花は、たとえ両性花でも、雌花になる過程にあり、花柱が短い花は雌花になる過程になるのではないだろうか?

自分はまさに中間段階の形態、つまり進化の途中を見ているのだろうか?


楽しい考えだったが、説得力はなかった。

なぜなら、花柱の短い花、つまり雌花とされる花は、花柱の長い「雌」の花と同じだけの種子をつけていたからだ。

この場合、(友人のT・H・ハクスリーが言ったように)

醜い事実によって美しい仮説が殺された」のである。


みんな大好きダーウィン、進化論。


サックス博士はそことはちと視点が異なり


植物への関心も忘れちゃならねえぜ


ダーウィンといえば、って言うのが


なかなか渋いなあと。


記憶は謝りやすい


から抜粋


1970年、ジョージ・ハリスンが大ヒット曲「マイ・スウィート・ロード」をリリースしたが、これが8年前にレコーディングされたロナルド・マック作の(シフォンズの「いかした彼」)にとてもよく似ていることが分かった。

問題が訴訟に発展したとき、法廷はハリスンを剽窃で有罪としたが、その判決には心理学的考察と共感が十分に示されている。

判事は次のように結論を下した。


「ハリスンは故意に「いかした彼」の曲を使ったのか?私は彼が故意にそうしたとは思わない。

しかしながら…これは法の下(もと)では著作権の侵害であり、たとえ無意識のうちに行ったとしても、同じ事である。」


ヘレン・ケラーも、たった12歳の時に剽窃で非難されている。

彼女はごく幼い時から耳と目が不自由で、6歳でアン・サリヴァンに出会う前は実際に言葉を知らなかったが、ひとたび指綴りと点字を学ぶと、たくさんの作品を書くようになった。

なかでも「霜の王様」という物語は、彼女が書いて友人に誕生日プレゼントとして贈ったものだ。

その物語が雑誌に載ることになったとき、読者はすぐにそれがマーガレット・キャンビーの児童向け短編物語「雪の妖精」によく似ていることに気づいた。

ケラーへの称賛は非難に転じる。

本人はキャンビー夫人の物語を読んだ記憶がなかったにも関わらず、剽窃と故意のうそで責められた(彼女はのちに、その物語を手のひらへの指綴りで「読んで」もらっていたことに気づいた)。

幼いケラーは冷酷で無礼な尋問を受け、そのことが生涯、彼女の心の傷跡を残した。


しかし彼女には擁護者もいて、そのひとりが剽窃された側のマーガレット・キャンビーだった。


マーガレット・キャンビーのこの逸話は


単に若年者への配慮だけとは思えない。


”創作”や”着想”のなんたるかをご存知だから


行った擁護であるのではないかと感じる。


ヒトの長い歴史をよくご存知だったからの


行動ではなかろうか。


自分は強くそう感じるのでございます。


暗点ーー科学における忘却と無視


から抜粋


私が論じている例から、何か教訓を引き出すことはできるのか?

私はできると信じる。

ここでまず時期尚早という観念を思い起こし、ハーシェル、ウィアー・ミッチェル、トゥレット、ヴェレによる19世紀の報告はなされるのが早すぎたために、同時代の構想に溶け込むことができなかったのだ、と考える人もいるかもしれない。


ガンサー・ステントは、1972年に科学的発見における「時期尚早」について考え、こう書いている。

「発見の内容が一連の単純な論理ステップによって、正統な知識や一般に認められている知識に結びつかないのであれば、その発見は時期尚早である」。

彼はこのことを、グレゴール・メンデルの古典的な例との関連で論じている。

メンデルの植物遺伝学に関する研究は、あまりに時代の先を行っていたのだ。

さらに、それほど知られていないのが非常に興味深い、オズワルド・エイヴリーが1944年にDNAを発見した例にも触れている。

この発見が見過ごされたのは、その重要性をきちんと評価できる人がまだいなかったからである。


ステントが分子生物学者ではなく遺伝学者だったら、彼は先駆的遺伝学者バーバラ・マクリントックの話を思い出していたかもしれない。


1940年代に、同時代の人々にはほとんど理解できない理論ーーいわゆる動く遺伝子ーーを展開した人物だ。

30年後、生物学がそのような概念を快く受け入れる空気になったとき、マクリントックの洞察は遅まきながら、遺伝学への根本的貢献として認められた。


マクリントックといえば養老先生が


中村桂子先生を評した時に引き合いに


出された人物だった。


確かトウモロコシの染色体を


研究してのノーベル賞ホルダーだが


そんなことは全く興味を示さなかったという


強者だったような。


それにしても、”動く遺伝子”ってなんだろうか。


解説 養老孟司


表現は難しく感じられるかもしれないし、またこれを日常的に体験する人は少ないであろう。

現代は情報化社会であり、情報はいったん固定化されると、まったく動かない。

だから我々自身が自分の記憶をそれに似たものと錯覚するのは当然かもしれない。

しかし何かを思い出すことは、新たに作り出すことでもある。

それを言葉の上ではなく、実感できるためには、おそらくその実体験が必要なのである。

フロイドは具体的な神経学者から精神医学者に変わった時、そうしたダイナミックな変化に気づいた可能性がある。

だからサックスはその時期のフロイドを論じるのである。


これを日常的な言葉で言えば、ヒトは変わる。

ただし、社会的存在としてのヒトは、むしろ変わってはならない。

昨日の私は、今日の私ではない。

そう主張して、昨日の借金を踏み倒すことはできない。

社会は「同じ私」を要求し、したがって進歩し、成熟していく私はしばしばストレスを受ける。

それが現代社会であろう。

自分自身を動的な過程として捉えること、それができることが真に「生きる」ことなのだが、昨日も今日も会社や官庁、組織に勤務していれば、なかなかそうは思えないのは当然のこととも言える。


サックスは私より4歳年上、ほぼ同年配と言っていい。

第二次世界大戦を子ども時代に経験した年代である。

彼が引用する書物、著作者には、私が親しんだものも多い。

いわば同じ世界の空気を吸って育った感じがする。

その世代は次第に消えて行く

だからサックスの訃報を聞いた時には、寂しい思いがした。

本人に会ったことはない

でも数多い著作を読めば、会う必要もない


またまた完膚なきまでに叩きのめされた


清々しい書評というか人物評をされる


養老先生の解説は泣けるし、痺れる。


昔よりも優しい筆致な気がする。


組織社会の哀しさを指摘されるのは


ご年齢がそうさせているような。


それにしても養老先生のオリヴァー博士に


対する考察は本当にすごい。


病気や脳の知識と実務経験、それに拮抗する


知性を具備されているからこその


共感を示されていると自分などは僅少ながら


理解します。してるのか?してないよね?


自分は初読のオリヴァー・サックス博士は


かなり興味深く、既視感があったのは


昨今の読書文脈から考えるとまじ、


ありがたいことなのかもしれないと


思いつつもGW中日、今日だけ休日という


いつも以上に貴重な一日なので


図書館行って近場古書店でフィールドワーク


あとは家族と過ごしたいと


目論んでいるのでございます。


そろそろ朝ごはんたべようかと。


 


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