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気になっていたシェイクスピアの周りから [’23年以前の”新旧の価値観”]

快読シェイクスピア 増補版 (ちくま文庫)


快読シェイクスピア 増補版 (ちくま文庫)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2011/01/08
  • メディア: 文庫

ボブ・ディランが2016年ノーベル賞受賞時


なかなか返事をしなくて動向が注視され


結局ギリギリになってコメントした中に


受賞委員をというか、世間に対してなのか


自分自身に対してなのかわからないが


そこはかとなくアイロニーっぽく


表現されていて印象に残っていた


シェイクスピアさん。


 


そういえばディランの2012年の


アルバムが「テンペスト」だった。


 


そういえば自分は、30年くらい前に


知人に誘われるまま、山崎努さんが主演した


「リチャード三世」の舞台を観たのだった。


当時はほとんど意味不明だった。


 


そして、最近ブログでシェイクスピアのことを


書かれておられる方のページを読み、興味が湧き


この書をライトに読んでみた。


 


表4の出版社さんのコメントから抜粋。


シェイクスピアの作品にまつわる数々の不思議や疑問について、臨床心理学第一人者と気鋭の翻訳家が謎解きすると、ぴったり息の合った二人ならではの結論が導き出される。

400年前に一人の人間が描いた37の演劇が、なぜ現代に生きる私たちをこんなにもひきつけるのか初心者にもマニアにも納得できます!


初心者は納得できないと思うのだけど


それは置いておいて。


 


間違いの喜劇


双子の運命やいかに から抜粋


『間違いの喜劇』は愉快な芝居だ。

シェイクスピアの喜劇のなかでも抱腹絶倒度の高さでは群を抜いている。

その源は、瓜ふたつの双子が主従二組も出てくること。

十二夜』の例もあるとおり、そっくりさん一組でも周りは大騒ぎなのだから、二組も出てくればどんな大混乱が巻き起こるかは容易に想像がつくだろう。

だが、開幕早々のトーンはむしろ暗く悲劇的だ。

背景となるエフェソスとシラクサという二都市の対立、そのあおりで死刑を宣告されるシラクサの商人イジーオン。

彼が語る身の上話ーーー船の難破で愛する妻エミリアや双子の息子たちとの別れ別れになったいきさつーーーも沈痛である。


『間違いの喜劇』は認識の劇でもある。


混乱と抱腹絶倒のあとだけに、感動の深さと至福感はひとしおだ。

(松岡和子)


松岡

河合さんのご研究でも、一卵性双生児というのを採り上げておられるようですが、クライアントにも、双子のかたっていらっしゃるんでしょうか。

 

河合

ええ、います。

 

松岡

名前は似ていますか。

 

河合

ええ、似ています。

それと、とても苦労をしていますね。

やはり、自分のアイデンティティをはっきりさせなければならない。

「違う」ということを、どこかで意識しなければならないわけですよね。

違うということを意識しなければならないと同時に、日本人の場合は、できるだけ一緒にしなければならないということが両方来ますから、非常に大変なんですね。

 

松岡

まさにダブルバインドになっちゃうんですね。

 

河合

死んでいく人を看取っていた有名なキューブラー=ロス(※)という人がいますが、キューブラー=ロスは三つ子です。

 

松岡

そうなんですか。

 

■河合

だから彼女は、「自分は違う」ということを、小さい時からすごく主張しようとしたということを言っています。

たしか、思春期の時に、三つ子のなかの一人の子が風邪を引いてデートに行けなくなり、キューブラー=ロスが替わりに行くんです。

そして、完全にだましおおせるわけです。

で、余計憂鬱になる。

 

松岡

そうですよね。

「私は何なの」という感じですものね。

 

河合

それを痛切に思ったと。

それで、自分はこういうことをするんだととか、人と違うことをしなければならないという意志が強くなったと、言っていましたね。


※エリザベス・キューブラー=ロス(1926-2004)スイス生まれの女性の精神科医。不治の病で死んでいく人の心のケアを早くから実践。

『死ぬ瞬間』など多くの著作が邦訳され多く読まれている。

「臨死体験」についての発言も多い。


増補


お気に召すまま


人の一生は輪のように から抜粋


松岡

「この世界のすべてが一つの舞台、人はみな男も女も役者にすぎない」。

これはこの作品の有名な台詞ですが、それに続くのが、人生を七幕の芝居にたとえる台詞です。

「第一幕は赤ん坊、第二幕は小学生、第三幕は恋する男…」と続き、最後の第七幕には、年老いて赤ん坊のような状態に戻ってしまうと言っている。

人生のライフステージを七段階に分けているんですが、これをどうご覧になりますか。

 

河合

私たちがよく知っているのは、孔子の「十有五にして学を志し、三十にして立つ、四十にして惑わず…」ですね。

いろんな分け方がありますが、七という数字は、「七不思議」というようにいろいろなところで使われることが多い数字なんです。

独自の学校教育で知られるシュタイナーも、0歳、7歳、14歳、21歳と、7の倍数で人生を考えています。

 

松岡

七段階というと直線的に見られがちですが、登場人物のジェイクイズによれば、七番目はまた一番目に戻ってきますね。

第二の赤ん坊だと言って。

 

■河合

ライフステージが円環になっているという考えは、東洋だけではなく、もともとヨーロッパにもあったんです。

しかし時代が下るにつれ、だんだんキリスト教文化が入ってきて、一直線に天国に向かっていくようになる。

ヒンズー教では四住期と言って、人生を四つに分けます。

学生期、家庭期、林住期、遊行機です。

40歳から60歳までは、林の中で自分を見つめる「林住期」と呼ばれているんですよ。

 


松岡

この芝居の登場人物たちのように、林の中に住むのですね。

でも本当のことを言うと、このジェイクイズの台詞は、女の側からするとどう読んでいいのか困ってしまいますが…。

 

河合

いや、実はね、洋の東西を問わずほとんどのライフステージは女性のことを考えていないんじゃないですか。

 

松岡

ええっ、そうなんですか?

 

■河合

たとえば、フロイトは「すばらしい女性と結婚して、金持ちになって、地位があることが人生の幸福である」って言ってるんです。

もっと老年のライフステージについて言い出したのがユング

一番有名なのは人生を八段階に分けたエリクソンの発達段階論ですが、やはり男のことしか考えていないんです。

 

松岡

それは、フロイトやエリクソンが男性だからですか?

 

河合

女性には、ちゃんと、生理的なライフステージがあるでしょう。

思春期でも、女の方は自分に確かに来たということがわかりますし、結婚や、出産、更年期も体で全部わかる。

だから、女性はライフステージをやかましくいう必要がないんです。

ところが、男はライフステージを意識して、それに合わせて「頑張って大人になる」のです。

だから、男はみんな大変なんですよ。

 

松岡

そう考えると、何だか気の毒ですね。


河合先生の底なしの知識は凄まじいです。


学者さんの名前がわらわら表出される。


そもそも自分は


シェイクスピアをあんまり知らないので


かなり理解は半減しているけれど


もっと知ったとしたら


この書の感じ方は変わるだろう。


かなり良きガイドとして機能するような。


 


最後に河合さんのお人柄が伝わってくる


エピソードで締めでございます。


 


増補版あとがきから抜粋


この対談にまつわる忘れられない情景がある。

シェイクスピア・シリーズは河合さんのご都合がつくかぎり見ていただいたが、その第一弾の『ロミオとジュリエット』は、大阪公演をご覧になった。

とても感動したとおっしゃったので、終演後、ロビーでの打ち上げでスピーチをお願いした。

河合さんは『快読シェイクスピア』の「あとがき」に当たる「エピローグ」でもこの舞台に触れ

「十四歳の内界における嵐がどんなに凄まじいものか、この嵐とけなげに戦ったり、打ちひしがれたりした少年、少女の姿ーーー私が面接室でお会いした人たちーーーの姿が何度も何度も眼前を去来した」

と書いておいでだけれど、スピーチの途中で涙ぐみ、言葉を詰まらせてしまわれた。

そんな河合さんの姿と柔らかな心に接して、蜷川さんを含むスタッフ・キャストの面々のほうがすっかり感激してしまったものだ。


とにかく河合さんとのシェイクスピア談義は「楽しい」の一言に尽きた。

尽きないのは話題(これはシェイクスピア劇の豊かさのおかげでもある)、そして笑い(連射されるお得意の駄洒落のおかげ)である。

「オモロイこと」の好きな河合さんは、何よりもシェイクスピアを面白がっていらっしゃった。

それに感染して私もウキウキした気持ちになる。


nice!(47) 

3冊から、つげ義春さんの凄さを考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

つげ義春 名作原画とフランス紀行 (とんぼの本)

つげ義春 名作原画とフランス紀行 (とんぼの本)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2022/06/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

表紙袖から抜粋

いま、世界がようやく、「つげ義春」を発見しつつある。

その象徴が、2020年のアングレーム国際漫画祭での顕彰(けんしょう)であり、

人前に出ることを嫌う作家に、初の海外渡航をうながしもした。

事前には、関係者でさえ半信半疑だった奇跡のフランス行きを、

旅立ちから帰国まで、完全密着リポートでお届けする。

フランス旅行記はあまり自分的には

興味が湧かず響かなかった。

の、つもりが読んでみたら面白かったけど

この書の一番の目玉なので引用は

控えさせていただきまして2つだけ。

つげさんフランスで食べたチーズを

「石鹸食べてるみたいで好きじゃない」と。

それから

下着も持たず現地スタッフが調達するという

凄すぎるエピソード類満載だった。

それよりも自分としては

作品と現実のギャップというか

どこまで創作なのか、ってのが気になった。

自伝的要素の強い”私小説”ならず

”私マンガ”と思って読んでる人多いと思うし

自分も全部とは思ってないけど、

多くの部分がそうだと思っていたので。

 

仏誌「ZOOM JAPON」インタビュー

「目立ちたくないんです」

【聞き手】ジャンニ・シモーネ【訳】浅川満寛

から抜粋

■ジャンニ

あなたのストーリーのアイディアはどこから来るんでしょうか?

たとえば旅行はインスピレーションの源でしたか?

 

■つげ

それはないですね。

ほとんど想像です。

旅ものの場合でも、実際に旅に行く前にスジは自分の頭の中でほとんど完成されているんです。

マンガの中で実際の場所を使うことはもちろんありますけど、お話自体は現実や僕自身の体験とは全然関係ないんです。

 

■浅川

勘違いして実際の経験を描いていると思っちゃう読者もいるみたいですよね。

つげさんが「無能の人」を描いたときに多摩川で石を売っていると思ったり(笑)。

 

■つげ

水木さんもそう思ったって(笑)。

当時はあまり会ってなかったから、たまたま会ったときに水木さんが

「多摩川の石を売ってるんだって?」って…(笑)。

つげ義春、帰国後に語る

【聞き手・構成】浅川満寛 から引用

■浅川

「義男の青春」「ある無名作家」で書かれてた錦糸町の下宿屋のトイレを改造した一畳の部屋、あそこに住んでたのは、つげさんではなくて別の人だったそうですね。

 

■つげ

そう。

僕はその隣の三畳間だったんですよ。下宿人も多いしトイレも年中故障しているわけ。

そのうちの一つを、下宿のオヤジさんが「ここ直すの面倒くさいから部屋にしちまえ」って改造した。

1畳半くらいですね。

 

■浅川

その部屋に家賃払わない人が押し込められていたんですか?

 

■つげ

いや、家賃払ってましたよ。

 

■浅川

そこも創作だったんですね!

「1畳の部屋に8年間閉じ込められた」って…錦糸町に住んでいた期間からすると計算が合わないからおかしいなと思ってたんですよ。

 

■つげ

まあ創作だから、いい加減。(笑)

 

■浅川

ちなみに一畳の部屋問題、Wiki -pediaでは事実ってことになっているようです。

(2022年現在は削除)誰が書いたのか知りませんが。

 

■つげ

錦糸町はでたらめな下宿屋だったからね。

住んでるのはほとんどが若い男だったんだけど、オヤジさんってのが筋骨隆々の(見た目が)怖いタイプなんですよ。

性格はそうじゃないんですけど。

オヤジさんはそういう人だったけど、奥さんが優しくて、下宿人もみんな頼りにしてましたね。

なにより、とびきりの美人。

 

■浅川

つげさんの作品には他にも、私小説的ではあるけれども創作を加えている部分が結構ありますよね。

 

■つげ

作品の中では、それなりの演出をしますから創作も混じってしまう。

 

■浅川

もっともらしく作り込むんですよねえ。プロの技。

 

■つげ

そうか、(読者は)本気にしたりして。

前にも書きましたが、読者って勝手な想像を

膨らませがちで作者と作品を混同しがちで

ございまして。

それは作者がそう仕掛けておられ、

高度なスキルで創作と気づかせないものが

あるからなのだなあと。

これらのご本人のコメントとは別に

当時の若い感性はどのように

この巨人の作品をご覧になったのだろうかと。

偶然借りていた別の書から。

 

私のイラストレーション史

私のイラストレーション史

  • 作者: 南 伸坊
  • 出版社/メーカー: 亜紀書房
  • 発売日: 2019/05/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

「ガロ」のバックナンバーを読んだ時のご感想からの

梱包センターでバイト先で配布前の同書を購入したご感想も。

つげ義春事件 から抜粋

 

びっくりした。びっっっっっっくりした。

ものすごくおもしろい。

この出会いは中2の時のあの『河童の三平』をさらに上回るかもしれない。

いま思うと、はじめての出会いが『李さん一家』だったことが、私にはとても幸いしたと思う。

『李さん一家』にポカンとさせられたすぐ後だったから難解な『』も『山椒魚』も、『紅い花』もすんなり入ってきた。

この「事件」のちょうど一年後、バイト先のベルトコンベアで、私は『ガロ臨時増刊号つげ義春特集』と運命的な出会いをする。

一も二もなく、その日の昼休みに、私はそれを購入した。

まだ全国の書店に出回る前だ。

しかもバイトだから2割引き。

むさぼるように帰りの電車でこれを読んだのだが、すでに知っている名作群と違って巻頭の二色書き下ろし『ねじ式』に、ものすごく違和感があった。

まず主人公の顔が”ヘン”だ。悪相である。

あれだけ安定した画力を持っていた、つげ義春の絵が、なんだか妙にヘタなのだ。

しかたなく、私は『ねじ式』を何度も何度も読み返した。

読み返すうち、この違和感は、少しずつ薄らいで、その奇妙さおもしろさをどんどん積極的に味わえるようになっていった。

何度も読んでいくうちに、つげ義春の画力が普通のうまいマンガ家の絵と大いに違うことに気づいたのだ。

実はこの時点で、つげ義春は当時のイラストレーションの最先端に立ってしまっていたと私は思う。

しかし、1968年の6月といえば、横尾忠則がブッチギリだった頃のはずだ。

つげ義春の決断は『ねじ式』の絵を『ねじ式』にしなければならないと思ったことだ。

『李さん一家』の絵のままでは『ねじ式』は『ねじ式』じゃない。

つげ義春はマンガに、マンガらしくない作劇術やストーリーを持ち込んだだけでなく、新しい絵を、イラストレーションを、現代美術までを持ち込んでしまった。

というより、知らぬまにジャンルの垣根を乗り越えていたのだった。

元祖へたうま から抜粋

『ねじ式』から、突然ガラリと変わってしまったんです。

1968年のことです。

当時『ねじ式』はマンガ好きの間で話題沸騰でした。

前代未聞のマンガで、難解で、それなのになんだかぐいぐい魅きつける魅力がある。

それは、つげさんが『ねじ式』用に新しい絵を発明したからでした。

1972年『夢の散歩』の絵も、すばらしく新しかった。

白昼夢のようなこのマンガのストーリーに、このタッチ以外は考えられないという絵柄だったと思います。

特に1978年〜1979年にかけての、「稚拙なタッチの絵」の、圧倒的な効果というのは、おそるべきものだったと思います。

この、ナイーブアートのような絵をマンガに持ち込む、という革命的手法は、つげ義春が元祖だった。

ということに、私は『ねじ式』を話題にしたとき、いまさらのように気がついたんでした。

実は「へたうま」イラストレーションの元祖は、つげ義春さんだったのではないか?!

つげさん自身は自分はマンガ家であって、イラストレーターでも画家でもないと言われるでしょうが、いつも時代が無意識的に求めている「絵」を発明するという一点において、最先端のイラストレーターであり、最先端の現代画家だったと私は言いたい。

つげさんご自身は、イラストとか美術業界はおろか

世間に興味がなさそうなので、こういう評価は

特になんとも思わないのだろうけど、

50年以上前の当時、すごいことだったというのは

なんとなくわかります。

そしていま、世界がそれを認めつつあるというのは

なんか自分は嬉しい気もするけれど

ご自身は大して嬉しくもないのだろうな。

そこがまた凄いところと思ったり。

 

余談だけど個人的には以下の2作品が

昔から好きでした。

「長八の宿」「ほんやら洞のべんさん」

共に1968年発表。

 

シュールなもの、リアルすぎるものは

嫌いではないけど、好みではない

というのは全くの蛇足。

 

最後に養老・池田・吉岡先生たちも

マンガは読んでおられたようで

世代的に「ガロ」のリアルタイム(少し上)で

感性もリンクされたのかなと。

(養老先生のつげさんへの言及は

なかったのだけど)

 

バカにならない読書術 (朝日新書 72)

バカにならない読書術 (朝日新書 72)

  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2007/10/12
  • メディア: 新書
第二部 バカにならないための本選び

鼎談 養老孟司 吉岡忍 池田清彦

京都でマンガ三昧

から抜粋

■池田

そういえば調布にいる、女房の妹が、つげ義春の子どもの担任だったらしく、家庭訪問をしたらつげ義春がいたって。

それで、多摩川の話がいっぱい出てきたんだ。

無能の人』シリーズの中にも、多摩川の石を集めてくるおっさんの話が出てきて、好きだったね。

つげ作品で印象に残っているのは、『海辺の情景』のラストシーン。

雨の中、男が女のために病をおして海を泳いでいるわけ。

そんで女はさ、傘さして一言、「あなたすてきよ」って。

 

■吉岡

男ってなんなんだろうな(笑)。

家庭訪問したらいたって、

自営業なのだから当たり前なんだけど

つげさんならば話は別で

すげーってなってしまうのがこれまた凄い。

よく考えると気の毒な点でもありますなあ。

 

余談だけど自分は「ガロ」は後追いでして

comic ばく」はリアルタイムで読んでいたのは

誰にも通じない自慢だったりするのでした。

 


nice!(53) 

②内田先生の構造主義についての読書考 [’23年以前の”新旧の価値観”]

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)


寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2012/09/20
  • メディア: Kindle版


第5章「四銃士」活躍す その三ーーレヴィ=ストロースと終わりなき贈与


1実存主義に下した死亡宣告 から抜粋


フーコー、バルトに続いてご登場願うのは、クロード・レヴィ=ストロースです。

レヴィ=ストロースはソシュール直系のプラハ学派のローマン・ヤコブソンとの出会いを通じて、その学術的方法を錬成した文化人類学者です。

ヤコブソンからヒントを得て、レヴィ=ストロースは親族構造を音韻論の理論モデルで解析するという大胆な方法を着想しました。このアイディアを膨らませた『親族の基本構造』(1949)や『悲しき熱帯』(1955)といった人類学のフィールドワークを通じてアカデミックなキャリアを積み上げたレヴィ=ストロースは、『野生の思考』(1962)でジャン=ポール・サルトルの『弁証法的理性批判』を痛烈に批判し、それによって戦後15年間、フランスの思想界に君臨していた実存主義に実質的な死亡宣告を下すことになりました。

言語学を理論モデルとして、「未開社会」のフィールドワークを資料とする文化人類学というまったく非情緒的な学術が、マルクス主義とハイデッガー存在論で「完全武装」したサルトルの実存主義を粉砕してしまったことに、同時代の人々は驚愕しました。

しかし、このときをさかいにして、フランス知識人は「意識」や「主体」について語るのを止め、「規則」と「構造」について語るようになります。

「構造主義の時代」が名実ともに始まったのです。


すでに見てきたように、構造主義は党派性やイデオロギー性とはあまり縁のない、どちらかといえば象牙の塔的な学術なので、ほかの思想的立場と確執するということはありそうもないのですが、フランスにおいては、知的威信をかけたはなばなしい闘争に登場しました。

構造主義の思想史的位置を知るために、ここで少しだけ時間を割いて実存主義との確執について解説をしておきたいと思います。


サルトルの実存主義は、ハイデガー、ヤスパース、キルケゴールらの「実存」の哲学にマルクス主義の歴史理論を接合したものです。


2 サルトル=カミュ論争の意味 から抜粋


1952年のサルトル=カミュ論争において、サルトルは歴史の名においてカミュを告発しました。

レジスタンスの伝説的闘志として戦後フランスの知的世界に君臨した1945年において、カミュの主張は歴史的に「正解」でした。

しかし歴史的条件が激変した7年後には別の答えが「正解」になります。


「君が君自身であり続けたいのなら、君は変化しなければならない。しかし君は変化することを恐れた。」

サルトルはこう言って、かつての盟友カミュに思想家としての死を宣告したのでした。


実存主義はこうして一度は排除した「神の視点」を、「歴史」と名を変えて、裏口から導き入れたような格好になりました。

レヴィ=ストロースが咎(とが)めたのは、この点です。


主体は与えられた状況の中での決断を通じて自己形成を果たすという前段について実存主義と構造主義は別にどこが違うわけでもありません。

しかし、状況の中で主体はつねに「政治的に正しい」選択を行うべきであり、その「政治的正しさ」はマルクス主義的な歴史認識が保証する、という後段に至って、構造主義は実存主義と袂(たもと)を分つことになったのです。


第六章「四銃士」活躍す その四ーーラカンと分析的対話


1 幼児は鏡で「私」を手にいれる から抜粋


フーコー、バルト、レヴィ=ストロースのあと、最後に私たちは「構造主義の四銃士」のうち最大の難関であるジャック・ラカンについて語らなければなりません。

構造主義そのものはここまでご紹介してきたように、決して難解な思想ではないのですが、(そのままフランス語の教科書に使いたいような明晰で端正なレヴィ=ストロースの文書を例外として)、構造主義者の書く文章は読みやすいとはいえません。

特にラカンは、正直言って、何を言っているのかまったく理解できない箇所を大量に含んでいます。


そのような思想家の仕事を簡潔にまとめるというのは至難の業です。

ですから、以下の解説はラカンのほんの入り口だけにしか触れていないということを、あらかじめご了解いただきたいと思います。


ラカンの専門領域は精神分析です。

ラカンは「フロイトに還れ」という有名なことばを残していますが、そのことばどおり、フロイトが切り開いた道をまっすぐに、恐ろしく深く切り下ろしたのがラカンの仕事と言ってよいと思います。


「実存」から「構造」になったって


ことなのかなあ。


だとしても、いまいちわからないのだよなあ。


池田先生の言ってる「構造主義」とは


ちょっと異なるような気もするのだけど。


「哲学」と「生物学」の違いなのか。


それよりもですね、


登場人物が多くて追求分析する時間が


ないですよう。


でもこのうちの誰かは読んでみたいなと。


そうすると芋づる式に他の人も、って


なるのかもしれない。


読んでない本が山積みなのに…。


あとがきから抜粋


私が読んでもすらすら分かるような、「ふつうのことば」で書かれたフランス現代思想の解説書はないものだろうか、『涙なしの記号論』とか『いきなり始める精神分析』とか『寝ながら学べる構造主義』というような題名の書物があったら、どれほどありがたいことだろう。

二十歳の私はそう切実に思いました。

それから幾星霜。

私も人並みに苦労を積み、「人としてだいじなこと」というのが何であるか、しだいに分かってきました

そういう年回りになってから読み返してみると、あら不思議、かつては邪悪なまでに難解と思われた構造主義者たちの「言いたいこと」がすらすらわかるではありませんか。

レヴィ=ストロースは要するに「みんな仲良くしようね」と言っており、バルトは「ことばづかいで人は決まる」と言っており、ラカンは「大人になれよ」と言っており、フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っているのでした。

べつに哲学史の知識がふえたためでも、フランス語読解力がついたためでもありません。

馬鈴を重ねているうちに、人と仲良くすることのたいせつさも、ことばのむずかしさも、大人になることの必要性も、バカはほんとに困るよね、ということも痛切に思い知らされ、おのずと先賢の教えがしみじみ身にしみるようになったというだけのことです。

年を取るのも捨てたものではありません


この文章はどこがってのはいえず


曰く言い難しだけど


内田先生らしいですなあ。


専門書ではないので、内田先生流の


解釈なのだろうけど、


これを超えることは自分はできないだろうなと。


超えるつもりも、必然性もないのだけど。


この書を読んで感じたことは


日常生活を必死に頑張ると見えてくるものもあるよ


それ以外そんなに大事なものってなかなかないよ


ということだった。


これはこの書の感想としては正しいのだろうか。


それは構造主義と関係しているのだろうか。


よくわからないけど、今日の夜勤をひとまず


踏ん張って凌ごうと思っておりまして


大盛りカレーを食して


思考停止になるところでございました。


 


nice!(39) 

①内田先生の構造主義についての読書考 [’23年以前の”新旧の価値観”]

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)


寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2012/09/20
  • メディア: Kindle版


まえがき から抜粋


構造主義という思想がどれほど難解とはいえ、それを構築した思想家たちだって

「人間はどういうふうにものを考え、感じ、行動するのか」

という問いに答えようとしていることに変わりはありません。

ただ、その問いへの踏み込み方が、常人より強く、深い、というだけのことです。

ですから、じっくり耳を傾ければ、「ああ、なるほどなるほど、そういうことって、たしかにあるよね」と得心(とくしん)がゆくはずなのです。

なにしろ、彼らがその卓越した知性を駆使して解明せんとしているのは、他ならぬ「私たち凡人」の日々の営みの本質的なあり方なのですから。


第1章 先人はこうして「地ならし」したーー構造主義前史


2 アメリカ人の眼、アフガン人の眼


から抜粋


同時多発テロ事件のあとアメリカによるアフガン空爆が始まりました。

そのとき、「アメリカの立場」から一方的にものを見ないで、

「爆撃され、家を焼かれ、傷つき、殺されているアフガンのふつうの人たち」

の気持ちになって、この戦争を考えたら、ずいぶん違った風景が見えてくるだろうという意見が多くのメディアで紹介されました。

同じことを新聞の社説でも投書でも知識人や政治家のインタビューでも多くの人が口にしました。

戦争や内乱や権力闘争について、コメントするときに、一方的にものを見てはいけない。

なぜなら、アフガンの戦争について、

「アメリカ人から見える景色」

と「アフガン人から見える景色」

はまったく別のものだからだ、ということは私たちにとって、いまや「常識」だからです。

しかし、この常識は実はたいへん「若い常識」なのです。


このような考え方をする人はもちろん19世紀にもいましたし、17世紀のヨーロッパにもいました。

遡れば、遠く古代ギリシャにもいました。

しかしそういうふうに考える人は驚くほど少数でした。

そのような考え方をする人、あるいはそのような考え方を受け容れられる国民の半数以上に達して、「常識」になったのは、ほんのこの20年のことです。


「ジョージ・ブッシュの反テロ戦略にも一理あるが、アフガンの市民たちの苦しみを思いやることも必要ではないか」というのは、街頭でいきなりTVにインタビューされた場合にとりあえず無難な「模範解答」です。

人々はまるで判で押したようように同じことを言います。

「とりあえず無難」とみんなが思っている意見のことを「常識」というのです。

そしてこのような意見が「常識」になったのは、ほんとうにごく最近のことなのです。


構造主義というのは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。

私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。

だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。

むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に

「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。

そして自分の属する社会集団が無意識に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。


私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自立性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。


内田先生がよく仰るのは「無知の知」ってことで


どれほどのことを自分は知っているのか。


この書籍は、むしろ逆で知っていないということを


検分している、しかもホットな状態で、という。


そして、構造主義について説明されるのだけど


わかりやすい、けれど、


わかった、とはいえない。


うー、簡単なのか難しいのか。


第3章「四銃士」活躍す その1ーーフーコーと系譜学的思考


1 歴史は「いま・ここ・私」に向かってはいない


から抜粋


クリスマス時季に学生たちをわが家に集めたとき、私が編集したクリスマス・ソングのカセットをBGMにかけました。

定番のビング・クロスビー『ホワイト・クリスマス』、山下達郎『クリスマス・イブ』、ジョン・レノン『ハッピー・クリスマス』、ワム!『ラスト・クリスマス』などです。

これらの楽曲は二十歳くらいの学生さんにとっては「文部省唱歌」のようなもので、子どもの頃からこの季節になるといつも聞かされていた馴染みの深い音楽です。

ところが、私が驚いたのは学生たちがこれらの曲を全部「昔の曲」ということでひとくくりにしていたことです。

ビング・クロスビーと山下達郎とどちらが年上かさえ彼らには区別ができないのです。

区別ができないというより、区別する必要を感じていないのです。

「えー、だって、どっちも昔からある曲でしょ?」


つまり、リアルタイムで「それ」が生成する現場に立ち会っていないものは、全部「昔のもの」、「前からずっとあったもの」だと私も思い込んでいたのです。


ビング・クロスビーと山下達郎のどちらのデビューが先か分からない学生を笑った私にしても、ヒト世代上の人から

小唄勝太郎淡谷のり子とどっちがデビューが先?」

と聞かれたら、

「えー、そんなの区別する必要があるんですか?どっちも昔の人でしょ?」

と平気でひとくくりにしてしまうでしょう。


あらゆる文物はそれぞれ固有の「誕生日」があり、誕生に至る固有の「前史」の文脈に位置付けてはじめて、何であるかが分かるということを、私たちはつい忘れがちです。

そして、自分の見ているものは「もともとあったもの」であり、自分が住んでいる社会は、昔からずっと「いまみたい」だったのだろうと勝手に思い込んでいるのです。


フーコーの仕事はこの思い込みを粉砕することをめざしていました。

そのことは彼の代表的な著作の邦訳名『監獄の誕生』、『狂気の歴史』、『知の考古学』といった題名からも窺い知ることができるでしょう。


ある制度が「生成した瞬間の現場」、つまり歴史的な価値判断がまじり込んできて、それを汚す前の「なまの状態」のことを、のちにロラン・バルトは「零度」(degre zero)と術後化しました。

構造主義とは、ひとことでいえば、さまざまな人間的諸制度(言語・文学・神話、親族、無意識など)における「零度の探究」であると言うこともできるでしょう。


自分もよく考えるのだけど、昨今「昭和だよ、それ」みたいに


いうけれど、昭和っていったって60年以上あるんだよ


昭和初期と昭和後期じゃ全然違うんだよ、とか。


なので、ビング・クロスビーと山下達郎の生年が


分からない人もいるだろうし、小唄勝太郎って誰なの?


淡谷のり子は知ってますよってのもわかります。


その後、にわかに、難解になってきましたぞ。


ロラン・バルト氏の論考に待ったをかけたのが


フーコーであるとしてその偉大な功績を讃えておられる。


私たちは、歴史の流れを「いま・ここ・私」に向けて一直線に「進化」してきた過程としてとらえたがる傾向があります。

歴史は過去から現在目指してまっすぐに流れており、世界の中心は「ここ」であり、世界を生き、経験し、解釈し、その意味を決定する最終的な審級は他ならぬ「私」である、というふうに私たちは考えています。

「いま・ここ・私」を歴史の進化の最高到達点、必然的な帰着点とみなす考えをフーコーは「人間主義」(humanisme)と呼びます。

(これは「自我中心主義」の一種です。)


フーコーはこの人間主義的な進歩史観に意を唱えます。


「歴史の直線的推移」というのは幻想です。

というのは、現実は一部だけをとらえ、それ以外の可能性から組織的に目を逸らさない限り、歴史を貫く「線」というようなものは見えてこないからです。

選びとられたただ一つの「線」だけを残して、そこから外れる出来事や、それにまつろわない歴史的事実を視野から排除し、切り捨てる眼にだけ「歴史を貫く一筋の線」が見えるのです。


第4章「四銃士」活躍す その2ーーバルトと「零度の記号」


3 純粋なことばという不可能な夢 から抜粋


構造主義のさまざまな理説のうちで、日本人の精神に最も深く根付き、よく「こなれた」のは他ならぬバルトの知見である、と私は思っています。

そこには理由があります。

それはロラン・バルトが、日本文化を記号運用の「理想」と見なすという、とんでもない「偏見」の持ち主だったからです。

バルトにはある種の「こだわり」がありました。

それは「空」や「間」への偏愛です。

これらの概念はたしかに非ヨーロッパ的なものです。

というのは、「空」は充填(じゅうてん)されねばならぬ不在であり、「間」は架橋されねばならぬ欠如であるとヨーロッパ的精神は考えるからです。


しかし、宇宙をびっしり「意味」で充満させること、あらゆる事象に「根拠」や「理由」や「歴史」をあてがうこと、それはそれほどたいせつなことなのだろうか、むしろそれはヨーロッパ的精神の「症候」なのではないのか、バルトはそう疑ったのです。

空は「空として」機能しており、無意味には「意味を持たない」という責務があり、何かと何かのあいだには「超えられない距離」が保持されるべきだ…そういうふうな考え方は不可能なのだろうか、バルトはそう問いかけます。そして、その答えを日本文化の中に見つけた、と信じたのです。


バルトの文名を高めたのは『エクリチュールの零度』(1953)という書物ですが、その中でバルトが探求したのは、

「語法の封印を押された秩序へのいかなる隷従からも解放された白いエクリチュール」、

何も主張せず、何も否定しない、ただそこに屹立する純粋なことばという不可能な夢でした。


日本文化とフランスって親和性高い気がするのだけど


70年前から論考されてたってのは驚く、バルトさん。


それとも知らぬは己ばかりなりなのか。


しかし、まじ、むずい。


でもなんか引っかかるのですよなあ。


構造主義。


深く追求すればするほど見えなくなっていくような。


まったくの余談、一昨日、小津安二郎展を観てきた。


平日だったからほぼ人がいなかったのだけど


最初のコーナー、全国小津安二郎ネットワーク


副会長の築山秀夫さんの


コメントがしびれたのでした。


内田先生にも構造主義にも関係ないのだけど


観てない方は是非に。


・世界のOZU

「俺の映画がね、まあ、外国人にも、いつかきっと判るよ」

と小津安二郎は、カメラマンの厚田雄春(ゆうはる)に語っていたが、そのいつかはおそらく現在なのである。


nice!(27) 

池田先生の構造主義についての読書考 [’23年以前の”新旧の価値観”]

池田先生の対談集ってないのかと思って


探したらあったので読んでみた。


結論からいうと難しくて


ほぼわからないけれど興味深かった。


(ということがあり得るということを


身をもって知った)


 



生命という物語り―DNAを超えて 池田清彦対話集

生命という物語り―DNAを超えて 池田清彦対話集

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 1999年
  • メディア: 単行本
  •  

時間と生命


対談者:中村雄二郎(哲学)


恣意性と階層性


■中村

以前に池田さんの『構造主義生物学とは何か』を読んでいてよく分からないところがあった。

最近、その後の『構造主義と進化論』を拝見してだいぶ分かってきました。

まだ分からないところはあるけれど、どうしても専門が違うと同じ概念でも違った面が出てきてしまうんですね。

でも、いちばん大事なことは、構造主義という問題が日本で話題になって、それをそれぞれの領域の人が、ただ自分のところだけしかやっていなかった。

それをあなたが突破したことですよね。

たとえば、J・ピアジェの構造主義というのは昔からわりあい知られている。

ピアジェの構造主義とレヴィ=ストロースM・フーコーなどの構造主義はどう違うかというのは、多くの人は教科書的には分かっている。

けれども、それが現在の知の全体の中でどういう配慮になっているかというようなことは、ほとんどやられていない。

だから、そういう点で面白かった。


ただ、なぜこれまで生物学とかかわり合いがやられなかったのかと考えてみると、フランス構造主義の場合、フーコーはたしかに『言葉と物』でいろいろ生物学を扱っているけれど、それは生物学そのものというよりも、生物学を使ってディスコース(言述)の話をしている。

そういうことにも原因があったと思う。

だから、ピアジェなんかと絡ませるのはなかなか難しかった。

それから、構造主義的生物学というのは、もともと外国でやられたのは、むしろピアジェ的な構造主義との関係ですね。

そのほうが生物学とのかかわりとかの領域では分かりやすい。


■池田

そうですね。


■中村

ピアジェの場合には何といっても発達心理学だから子供の発達が中心でしょう。

そして子供というのも生物として生成している。


■池田

ええ。生成ですからね。


■中村

もともと生成主義だからピアジェの場合、生物学とのつながりは分かるけれど、池田さんは、さらにレヴィ=ストロース的、フーコー的な展開の上で構造主義を生物学の方法として使っているでしょう。

その意味での構造主義がむろんキーコンセプトでしょうが、もうひとつ、どうして構造主義生物学と言わなければならないのか、分かりにくかった。

もっとも、ほとんどの場合中心概念というのはかえって分かりにくいんですね。

本人がいくら説明したつもりでも分からないことがある。

それは私なんかもよくいわれることです。

しかし、言語学をモデルにして他の領域を考える場合、言語学の領域と他の領域をどういうふうに関係づけるかが問題です。


私は前からメタファーアナロジーホモロジーというのは違うといっていますが、大体の議論ではそれがごっちゃになっている。

そういう点でホモロジーというのはなかなか厄介なので、その辺の問題もあると思う。

私なんかが構造主義、あるいはソシュールを面白いと思ったのは、一つは、私はもともと考え方が多分に物理学的で、因果関係に対して強く信頼してきたけれども、同時に二項の結びつけ方としてそれ以外のものはないのだろうかと、かねがね考えてきたんです。

その点で言語論、特にソシュール派の能記と所記シニフィアン・シニフィエという形での二項の結びつけ方、あれは一つの新しいリアリティを切り開く突破口になったと思うんです。

コノテーションメタ言語の仕組みを示したことをはじめとして。

そうしたことが構造主義が、あれだけ人間科学全般にインパクトを与えたゆえんだと思う。

ところで、まさにその能記と所記の関係で大きく問題になるのが、あなたが特殊な意味を込めて<恣意性>ということですね。

だからそういう点ではいいところを狙われたなと思ったのですが、池田さんがおっしゃっる恣意性というのは、分かりにくいところがある。

それはソシュールのいっている恣意性そのものではないでしょう。ソシュール的な考え方を使っているのは、私が見るところによると、全体論でもなく、還元論でもないもの、そこに生物のリアリティがあるという着眼でしょう。

つまり、全体論がもたらす固定化も、還元論による固定かも排して、そこにもっとゆらぎをもった生命体をつかまえる装置として構造論を唱えたわけでしょう。

そこで恣意性ということが大きな意味を持ってきたのだと思う。


■池田

僕らが恣意性というのを考えたのは、中村さんが今おっしゃったように、還元論でも全体論でもない階層性みたいなことを考えたところから始まったのです。

今までのいわゆる物理化学還元主義みたいなやり方であると、どんどん還元にいってしまって最終法則があって、そこから一義的に演繹されるみたいな形ですべてが出てくるんです。

いちばん極端なのは「ラプラスの魔」みたいなものです。

これは松野考一郎さんがいいはじめたわけですけれども、本来的に粒子というのは有限速度の観測運動しかなしえませんから、どっちにしても系というのは内部的には完璧に境界条件が判明しているということはないわけです。

ところが普通の場合だと、ほとんど粒子だけの系を見ていれば光速で伝播しますから、無限の速度で伝播するとみなしても、大体どんぶり勘定は合うわけです。

だからあまり問題は起きない。

物理法則として最終的に担保されるもの、たとえばエネルギーた物質の保存則みたいなものには生物といえども従っているわけです。


ところが生物の場合には、保存性伝達過程が光速の十桁以上も遅いので境界条件の不確定性という問題が大きくクローズアップされてくるのです。

 

境界条件が完全に決定されていれば、エネルギーの保存則というのは動因として働きますけれども、決定されない系ですとエネルギーの保存則というのはそれが最終的にエネルギーを保存するようにみんなが動くというような、一つの目的因みたいになるわけです。

 

ですから事後的に見た場合には、何か目的をもって動いているように系が見えるということが出てきて、そうするとこれは難しい問題ですけれども、その途中でさまざまなことが起こると、突然本来いろいろなことができる可能性のうちのある一部だけの可能性にしかいかないということがあるわけです。

 

その時に、出てきたさしあたってのルールというのは可能性の限定であって、それ自体は結局物理化学法則のほうから見れば恣意的というか必然的ではないわけです。

けれどもそれが決まると今度はそれが拘束性になりますから、その条件に拘束されて次に行くわけですよね。

ですからさしあたってその拘束されたものをルールと見るわけで、そのルールは記述する時には構造法則みたいな形で記述するんだけれども、それは厳密な意味で決定論的な系ではないということを言うために、その生成に関しては恣意的だということをいおうとしていたわけです。


■中村

ソシュールが恣意性といった場合には、それは能記と所記のある特別な関係が言語記号の文節化の中で起きていることです。

それ自身としては必然性、あるいは一義的ではないけれども、しかし出来上がるとそれ自身が一つのストラクチャーをもって働きかけてくる。

要するにそういう関係ですよね。


■池田

そうです。


ううう。


何を言っているのかほとんど分からない。


しかしものすごく気になる、なぜかはしらねど。


この後も感覚的にはものすごく興味深いのだけど


ほぼついていけない。


 


この感覚は、80年代、吉本隆明さんと


遠藤ミチロウさんが対談していたのが


当時まったく理解できなかったものが


時を経てわかるようになった時と似ていて


後で分かればいいや、わかんなくても、


まあ、いっか、と思いメモさせて


いただいた次第でございます。


 


池田先生の書は自分の感覚値で言ってしまうと


少しづつ分かってくるのでそこに期待したい。


(養老先生もそうだったし、それでいえば


特定の誰かってことでもなく


作家や音楽家全般そうだと思うし


もっとマクロな視点だと


人生全般がそうなのかもしれない)


あとがき(1999年10月)から


十年近く前の古い対話もあるが、読み返しても、今だったら別の言い回しをするだろう、という所はあっても、古くなったという感じはしない。

十年間、私が少しも進歩しなかったとの見方もできるだろうし、世間が十年たってもまだ追いついていないとの見方もできないわけではない。


この世界をデジタル情報によって読み解こうという世界観あるいは戦略は、生命を理解する上ではほとんど役に立たない、と私は思い続けてきた。

情報はとりあえず不変であるが、生命は無常である


私が「科学」に与えた定義によれば、科学とは変なるものを不変なるものによって解読しようとする営為である。

従って、変なる生命を不変なる情報(DNA)によって解読するのもまた科学には違いない。

しかし、この二つの間の乖離は余りにも大きすぎて、DNAを調べれば生命がわかるという戦略は、余りにも安易であると私には思われた。

たとえば、生命の最も簡単な具現である生物の形態とDNAの間には、イヌという言葉と現実のイヌの間の関係程度のものでしかないのだ。

それを理解している人は案外少ない。

コトバのイヌと現実のイヌを結びつけるのは、日本語というラングである。

それは日本に住む大半の人々が日本語を理解するという文脈の中ではじめて機能する。


ニュートン物理学では、変なる運動は不変の質量と対応し、この二つを結びつけるのは運動方程式である。

DNAと形態はとりあえず対応するが、この二つを結びつける形態形成方程式はまだ見つかっていない。

というよりも、そんなものは存在しないのではないか。

それが私の問題であった。

私の考えによれば、この二つを結びつけるのはラングであり、それを理解する細胞群である。

しからば、この場合のラングとはいかなるものであり、これを理解するとはどのようなことなのか。

それが私の問題であった。

『生命の物語り』は未だだれにも語られていない。


なんかすごい。


ほぼ分かってないけれど、


なにをおっしゃっているのか、今は。


特に日常生活に支障があるわけではないし


無理にわかる必然性もないのだけど。


昨日、これとは違う他の


池田先生の書籍も買ってきたから


改めて拝読させていただきます。


 


nice!(38) 

ドーキンス先生の最新刊から飛翔を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

 


なぜこの時期に「飛翔全史」なのか


咀嚼力が弱いからなのか


結論からいうとわかりませんでした。



ドーキンスが語る飛翔全史

ドーキンスが語る飛翔全史

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2023/01/24
  • メディア: 単行本


第1章 空を飛ぶ夢


から抜粋


鳥のように飛べるところを想像することはある?

私は想像するし、そうするのが大好きだ。

木々の上を楽々と滑空し、舞い上がっては急降下し、三次元を楽しみ、軽々と身をかわす。

コンピューターゲームとVRのヘッドセットがあれば、想像の翼を広げて、架空の魔法の空間を飛ぶことができる。

しかしそれは現実ではない。

レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ過去の偉人のなかには、鳥と一緒に飛びたいと熱望し、そのための機械を設計した人がいたのも不思議ではない。

あとでそうした昔の設計をいくつか見ていくつもりだ。

そうした設計は使いものにならなかったし、たいていは使えるはずもなかったが、それでも夢は消えなかった。

『ドーキンスが語る飛翔全史』というタイトルから予想がつくとおり、この本は飛ぶことーーー数百年のあいだに人間が、そして数億年ものあいだに動物たちが発見した、重力に逆らうためのありとあらゆる方法ーーーについてのという本だ。


とびきり空想的な空想で始めよう。

2011年AP通信社の世論調査によると、アメリカ人の77パーセントが天使の存在を信じているという。

イスラム教徒は信じるように教えられる。

ローマカトリック教徒は伝統的に、人はそれぞれ自分だけの守護天使に守り導かれていると信じている。

つまり私たちの周囲ではものすごいたくさんの見えない翼が、音もたてずに羽ばたきしているということだ。


アーサー・コナン・ドイル卿が生み出した架空の探偵の代表格シャーロック・ホームズは、科学捜査並みに合理的に推理する。

ドイルが生み出したもうひとりのキャラクターは威圧的なチャレンジャー教授、おそろしく理性的な科学者だ。

ドイルはたしかに両者を敬愛していたが、彼自身はその二人の主人公が軽蔑したのではと思えるくらい、子供じみたつくり話にだまされた。

というか、文字どおり子どものつくり話だった。

2人組のいたずらっ子がつくった羽のある「妖精」のトリック写真にしてやられたのだ。

エルシー・ライトといとこのフランシス・グリフィスが、本から妖精の絵を切り抜き、ボール紙に貼りつけて庭につり下げ、一緒にいる姿を互いに写真に撮り合った。

この「コティングリー妖精」のいたずらにだまされた大勢のなかで、ドイルは唯一の有名人だった。

彼は『妖精の到来』と題した本まで書いて、チョウのように花から花へとひらひら飛び回る、羽のある小さな人間の存在を確信していると主張した。


現代人にとって、その写真は明らかにフェイクに見える。

しかし公正を記すためにいうと、これはフォトショップが開発されるずっと前、

「カメラはうそをつけない」

と広く信じられていた時代のことだ。

私たちインターネット通の世代は、写真をいとも簡単に捏造できることを知っている。

「コティングリー」の2人は最終的に自分たちの悪ふざけを認めたが、そのときには70歳を超えていて、コナン・ドイルはとっくに亡くなっていた。


コティングリーの少女二人は、


時を経て老境に差し掛かり


昔のことを吐露したとされる。


ドイルさんのような有名な人が


信じたことで本当のことを


言えなくなった、と。


しかし、一方でこんな話もあり


最後の一枚だけは「本物」だったのだ、


みたいな。


うーん、どうみても他のものと


同じ質感にしか見えないのだけど。


こういう説を信じたりするからオカルトは


消えたりしないのかなあ。


第2章 飛ぶことは何のためになる?


から抜粋


この疑問に対する答え方はたくさんあるので、なぜわざわざ問うべきなのか、あなたは不思議に思うかもしれない。

私たちは空想世界の雲のなかを幸せに漂う夢から覚めて、現実の世界にもどる必要がある。

正確な答えを出さなくてはならない。

そして、生物にとって、それはダーウィン説での答えを意味する。

進化的変化によって、あらゆる生物がいまの状態になったのだ。

そして生物に関するかぎり、あらゆる「何のため?」という疑問への答えはつねに例外なく、同じだ。

ダーウィンのいう自然淘汰、つまり「適者生存」である。

それなら、ダーウィンにいわせると翼は何の「ため」なのか?

動物の生存のため?

もちろんそうであり、その答えが実際にどう展開するか、いろいろ具体的にこのあと見ていこうと思う。

餌を上から見つけることも一例だ。

しかし生存という目的は話の一部に過ぎない。

ダーウィンの世界では、生存は繁殖という目的のための手段に過ぎない。


オスの蛾は通常、翅(はね)を使ってそよ風に乗り、メスのほうへと進むが、それを導くのはメスのにおいだーーー1000兆分の1に薄められても使う。

このことはオス自身の生存には役立たないが、先ほど言ったように、生存は繁殖という目的の手段にすぎないのだ。


この話をさらに詳しく検討していくなかで生存の考えに立ち返ろう。

生存といっても、個体ではなく遺伝子の生存だ。

個体は死ぬが、遺伝子はコピーとして生き続ける。

繁殖によって実現する生存は、遺伝子の存在である。

遺伝子、とにかく「良い」遺伝子は、何世代も、何百年にもわたって、忠実なコピーの形で生き延びる。


同様に、翼は翼をつくる遺伝子の長期生存のためになる。


第3章 飛ぶことがそれほどすばらしいなら、


なぜ翼を失う動物がいるのか?


から抜粋


そしてなぜ海が煮えたぎっているのかーーー

そしてブタに翼があるのかどうか。

ーールイス・キャロル『鏡の国のアリス』1871年


海は煮えたぎっていない。

ただし、いつの日か(およそ50億年後には)そうなる。

そしてブタに翼がないのは確かだが、なぜないかと問うのは、じつは愚問ではない。

もっと一般的な疑問をちょっとふざけて投げかけているのだ。

「これこそがそれほどすばらしいなら、なぜすべての動物にこれこれがないのか?

なぜブタを含めてすべての動物に翼があるわけではないのか?。」

たいていの生物学者はいうだろう。

「なぜなら、自然淘汰が作用するのに利用できる、翼を進化させるのに必要な遺伝的変異がなかったからだ。

適切な変異が起こらなかった理由、というか、おそらく起こりえなかった理由は、ブタに胚(はい)発生が最終的に翼になる可能性のある小さな突起を生やすようになっていないことにある。」


私はその答えにすぐには飛びつかないという点で、生物学者のなかでは変わり者かもしれない。

私は次の3つの答えをつけ加えたい。

「なぜなら翼はブタにとって役に立たないから。

 なぜなら翼はブタ特有の生き方にとっては障害になるから。

 なぜならたとえ翼がブタにとって役立つとしても、その有用性を経済コストが上回るから」。

翼は望ましいものとはかぎらないという事実は、先祖に翼があったのに、それを放棄してしまった動物がはっきり示している。

それがこの章のテーマだ。

働きアリに翅はない。どこへでも歩いていく。

というか、「走る」という言葉のほうが合っているかもしれない。

アリの祖先は翅のあるハチだったので、現代のアリは進化の過程で翅を失ったのだ。


第4章 小さければ飛ぶのは簡単


から抜粋


コティングリー妖精が存在しなかったのは残念だ。

というのも、天使やプラークやペガサスとちがって、この想像上の小妖精は楽々飛ぶのにぴったりのサイズだった。

大きくなればなるほど、飛ぶのは難しくなる。

花粉やブヨくらい小さければ、飛ぶのにはほとんど努力はいらない。

そよ風に浮かぶだけでいい。

しかしウマのように大きいと、まったく不可能でなくても、大変な努力が必要になる。

なぜ大きさが問題なのか?その理由は面白い。

ここで少し数学が必要になる。


何かの大きさを倍にすると(たとえば縦を倍にして、横と高さもすべて同じ割合で大きくすると)、体積と重さも倍になると考える人がいるかもしれない。

しかし実際には、8倍になる(2 x 2 x 2)。

これは拡大できるどんな形にも、たとえば人間、鳥、コウモリ、飛行機、昆虫、ウマなどにも当てはまるが、四角いオモチャの積み木で考えるとわかりやすい。


冒頭で話した空を飛ぶ空想を受けて、天使の翼のある人、つまり大きな妖精と考えよう。

大天使ガブリエルは一般的に、普通の人間と同じ身長170センチくらいとして描かれている。

コティングリー妖精の約10倍だ。

そのためガブリエルの体重は、妖精の10倍ではなく1000倍ということになる。

翼が天使を持ち上げるためには、妖精よりどれだけ頑張らなくてはならないか、考えてほしい。

そして拡大された翼の面積は1000倍ではなく、100倍に過ぎない。


フィレンツェのウフィツィ美術館に訪れたことがある人なら、レオナルド・ダ・ヴィンチのうっとりするほど美しい『受胎告知』を見たことがあるだろう。

天使ガブリエルが描かれているが、その翼は驚くほど小さい。


小さいことは大変けっこうなことだ。しかし、もしあなたがなんらかの理由で大きい必要があり、それでも飛ばなくてはならないとしたら?

たとえ経済コストは高くても、大きいことにはもっともな理由がたくさんある。

小さい動物は弱いので食べられてしまう。

大きな獲物を捕まえるともにとはできない。

同じ種のライバル、おそらく交配のためのライバルを怖がらせるのは、相手より大きいほうが簡単だ。

理由はどうあれ、小さくはなれず、しかも飛ぶ必要があるなら、地面を離れる別の解決策を見つけなくてはならない。


ドーキンス先生、最終章は


STARUMに参加していて


チューリッヒのホテルで


書いているとのこと。


これに、イーロン・マスク氏も


参加していたようなので


最初のページに書いてある


「想像の翼を広げる野心家のイーロンに捧ぐ」


ってのはそういうことなのかもしれない。


 


いわゆる科学書っぽくないのは


いつものことなのだけれども


神を徹底的に否定されている論調とは


異なって、穏やかになっているような。


年齢的なことなのか、思想上の理由なのか


ちと謎ではあります。


 


それにしてもいつも内容が濃いのは驚愕しますし


常に動向が注視され、


常に次が期待されてしまうのは


辛いところだろうなあと思ったり。


 


余談だけれどこの書籍のイラスト担当


ジャナ・レンゾヴァーさんの


イラストについて


プロフィールのページに


制作過程を示す三段階があって


①は線画、


②はそれを黒で潰す、


③カラーで完成


になっているのだけど、


なぜ②で黒に潰すのか?


タブレットで描いたことがないので


わかりませんが


考えられるのは、デジタルの場合


一回塗りつぶしたほうが着色しやすいのかも


しれないなどと


まったく本文と関係のないことに


目が入ってしまう愚か者でございました。


 


nice!(25) 

澁澤龍彦先生の横溢する知性を感受 [’23年以前の”新旧の価値観”]

 澁澤龍彦全集〈19〉 ドラコニア綺譚集,ねむり姫,三島由紀夫おぼえがき,補遺1983年


澁澤龍彦全集〈19〉 ドラコニア綺譚集,ねむり姫,三島由紀夫おぼえがき,補遺1983年

  • 作者: 澁澤 龍彦
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 1994/12/01
  • メディア: 単行本


三島由紀夫おぼえがきの読後感想


20代の頃、読んだものを再読。


不思議なくらい覚えているもので懐かしい印象。


三島さんと澁澤さんの邂逅、


一期一会のエピソード群。


 


澁澤さんファンにとっては


有名な阿頼耶識を皿屋敷とか、


エレベーターに閉じ込められ事件で


「ああ、こわかった。澁澤さんが一緒だと思うとね」


三島さん言ったとか。


 


自然・自由を体現されておられる澁澤さんでさえ


三島さんの前では人格を演出していたところも


あったという記述。


 


それより、編まれているのは他にもあり


フランス文学作家ユスナール女史の


三島さんの論考のあとがきも含まれており


どこかで見た記憶があるのだけど


当時はほぼ意味が分からず飛ばしてたが


今回読んでみて何となくわかったというか


気になったので引用、抜粋。


ユスナール『三島あるいは空虚のヴィジョン


あとがきから抜粋


その衝撃的な死から十年経って、フランスでもようやく、ジャーナリズムなどで三島文学に対する本格的なアプローチが試みはじめたと聞くが、そういう一般的な情勢について私はなんの知るところもないし、なんの興味もない。

もともと日本文学の国際化だとか、国際社会における日本文学だとかいった問題には、なんの興味もない人間だからである。

私にとって関心があるのは、いつでも個々の作家、個々の作品である

ユルスナールは私の愛惜措くあたわざる作家であり、三島は私にとって、あだやおろそかに扱うことのできない作家であればこそ、私はこの二作家の結びついた本書に注目したのであり、あえてこれを翻訳しようという気にもなったのである。

要するにそれだけのことだ。


本書のなかに、おそらくユスナールの偽らざる実感だろうと思われる、次の記述がある。

人間には二つの種類があるようだ。すなわち、より良くより自由に生きるために、死をその頭の中から追っ払ってしまう人間と、逆に肉体の感覚や外部世界の偶然を通して、死が自分に送ってくれる合図の一つ一つに死を感じれば感じるほど、ますます自分が賢明に強く生きているということを自覚する人間である。」

ーー『ハドリアヌス帝の回想』を書いたユスナールもまた、三島と同じく、明らかに後者のタイプに属する人間であろう。

彼女の三島に対する深い共感の根は、ありていにいえば、古代のストア哲学者におけるような、その死との親近にあったといっても差し支えあるまい

これにくらべれば、両者が傾向を同じくしている同性愛などは、無視してよいというのではないが、少なくとも第二義的なものと考えてよいのではなかろうか。


英訳、仏訳でおおよその小説、評論などを読み込んだユスナールさんに対し


かなりの勉強家であると太鼓判を押しつつも以下のように指摘。


ただ、なにぶんにも日本の伝統や風俗習慣に明るくないヨーロッパの作家のこととて、私などの目から見ると、日本文化に対する無知から生じた事実の間違いもあり、いかにも読みの浅さを感じさせるところもないわけではない。

たとえば『仮面の告白』の糞尿汲取人は、彼女が考えているような頑丈な庭師のイメージとはまったく違うだろう。

また彼女は三島がタントラ思想(げんにヨーロッパで流行している)の影響を受けたと信じているようだが、そういう事実は万が一にもなかったはずである。

豊饒の海の物語を動かすダイナミズムともいうべき転生の観念については、彼女はよほど奇異なものを感じるらしく、しばしば困惑の情を表明することを隠さない

三島がなんの象徴としてでもなく、ただ単なる点景の自然物として作中に配置したにすぎない鼈(すっぽん)とか、土龍(もぐら)とか、犬とか、あるいは広島から送られてきた樽の中の牡蠣とかいったものにも、彼女は無理やりシンボルとしての意味を見つけ出そうと(つまり解読しようと)躍起になっている。

そんなものは見つかりっこないのである。


そのほかにも、私の気がついた範囲で、明かな疑問や間違いは本文中に割註で示しておいた。

もちろん、こういったからとて、随所に女史ならではの卓見が光っているのは、申すまでもなく、とにかく私たちには見過ごされがちな論点が、かえって外国人の目によって剔出(テキシュツ)されているような部分も少なからずある。


その一例として、彼女が指摘する「登頂」のライトモティーフをあげておこう。

春の雪』の結びで、本多は月修寺のある雪に覆われた小高い山に登るが、それ以降、スタンダールの小説におけるとひとしく、この同じ「登頂」のライトモティーフが幾度となく繰り返されて出てくるというのだ。

また、これはべつだん独創的な見解というわけではなく、三島文学の親近者にとっては周知のことかもしれないが、

「三島には、聡明さと力とを同時に具えた女に対する好みがある」

などといった指摘は、指摘している本人が男まさりの女性であるだけに、一段と真実味があるように思われる。

三島の母とほぼ同年のユスナールが、彼女に対してもっとも同情的なものも考えてみると面白いではないか。

どういうわけか、本書においては同性愛の観点は大幅に制限され、あからさまにはほとんど論じられていない。

その処女作以来の小説作品に、あれほど同性愛者を登場させることを好んだユスナールにしてみれば、これはむしろ奇異な思いをいだかせるほどのものだろう。

しかし私の思うのに、おそらく同性愛は彼女にとって自明の理に属する精神の傾向で、わざわざ論ずるには値しないものだったのではあるまいか。

そう思わせるようなニュアンスが、あくまでも端正な彼女の行文の間から読み取れるような気がするのである。


すでに同性愛というのは


第二義的なものだっだと


ご自分でご指摘されているのに、


この結びで再度繰り返されるのは


何か意味があるのだろうか。


 


あまり意味がないと思われるゆえに


それは特に取り上げる価値もないと思うのは


自明なのではなかろうかと書いてはおられるが。


このあとがきしか読んでなくて


ユスナールさんを読んでないので


行間を読み取るも何もないんだけど。


 


これこそ、


「無理やりシンボルとして意味を躍起」に


なって見つけようとするようなもので


「そんなものは見つかりっこない」のかも


しれないが。


 


自分にとっては澁澤さんは


レジェンドそのものの一人で


深読みしすぎなのかもしれない。


 


アイドルとかヒーローに対する


誇大妄想っていうのは


古今東西、共通かもしれないですなあと


思うサイゼリヤでお茶する


午後のひとときでございました。


 


それにしても、澁澤さんは頻繁に


読むわけではないけれど


時折読んでは、博学で本当に面白く


洒脱で粋で、テンダネスな


インテリジェンスというような。


憧憬を持って尊敬せざるを得ない


作家の一人。


 


若い頃、某書店で立ち読み、著者近影を


拝見し、読んでみたい!と


思ったのがきっかけで


いわばビジュアル優先だったのでした。


横尾忠則さんが新聞でビートルズを見て


聞いてみたい!と思ったと


どこかで読んだ記憶ありました。


若き日の感性が何かを感じたのだろうな。


 


nice!(37) 

④グールドさんの最後の書籍から神と科学を考察  [’23年以前の”新旧の価値観”]


神と科学は共存できるか?

神と科学は共存できるか?

  • 出版社/メーカー: 日経BP
  • 発売日: 2007/10/18
  • メディア: 単行本

本文だけでは到底難しくて理解しにくいが


訳者の方たちの解説が


なかなかに興味深いのでございまして、


グールドさん(とドーキンス・ウィルソン先生達)。


極東の片隅に住む自分のような一般人には


良きガイド以上の存在であることは間違いなく


とても助かります。


 


グールドはどこに着地しようとしたのか?


ーー現代進化生物学の三巨頭(グールド、ドーキンス、ウィルソン)の宗教観を比較する


新妻昭夫 から抜粋


本書を手に取った読者の誰もが、グールドならではの博識と知的な刺激を堪能することができるだろう。

しかし、グールドのかねてからのファンであれば、これまでの彼の本とはやや異質なところに気づくことになるかも知れない。

原題は『Rock of Ages』。

単数形の「The Rock of Ages(ちとせの岩)」とは、堅固(けんご)な拠り所としてのキリスト教信仰のことである。

その複数形の「Rock of Ages」がタイトルとして選ばれたのは、グールドの本書での主要な議論が、科学と宗教の両方を堅固な拠り所として認めようという点にあるからである。

科学も宗教(とりわけキリスト教)も、それぞれが独立した「教導権(マジステリウム)」であり、しかもこの二つの「マジステリウム」に重複するところはないという。


したがって科学者と宗教者が敵対したり論争したりするのは無駄なことであり、両者はたがいの「教導権」を尊重しあうべきというのは本書の主張である。


近代合理主義者グールド から抜粋


難病と戦いながらエッセイを連載し、本来の研究も教育も変わることなく継続するーーーグールドの強靭な精神力を信じ難いとさえ感じた。

しかし、精神力という言い方は失礼にあたるだろう。

彼が死を恐れなかったのは、持ち前の楽観主義と、それ以上に、近代科学や医学への強い信頼によるものだった。

フラミンゴの微笑』の訳者あとがきで紹介したが、『ローリングストーン』誌(1987年1月15日号)のインタビューで、癌との闘いが信念、特に宗教的なそれに影響をおよぼしたかとの問いに、グールドは次のように答えた。


……私が癌をわずらったことに特別な理由があると思わないし、そこに特別な目的があるとも思わない。

私たちにできることはただ、それが起こったことを認め、そして快方に向かうべく最善を尽くすことだけだ。

幸運にも、私の場合にはそれがうまくいった。

ただそれだけのこと……かりに事態が反対方向に進んで私が死ぬことになったとしてもーーーそうなる可能性は十分にあったーーー私はこの態度を変えることはなかっただろうと確信している……


教員でもあったグールドさん。


病気をおして、治療を続け、車椅子でも教壇から


講義を続けていたとの事。


生きることの意味、無意味さなどを


徹底的に追求されたのか。


余談だけど、ウィルソン先生の後輩で


同期ではドーキンス先生がいたという


学校だったらしい。すごすぎる学舎だよなあ。


 


ドーキンスの無神論宣言と一神教批判


から抜粋


グールドの論敵にして盟友を自他共に認めるリチャード・ドーキンスは、彼の最新刊『神は妄想である(the God Delusion)』(2006年)のなかで、本書を「彼のあまり感心しない本の一冊」に数えている。

他の「感心しない本」は、たとえば『ワンダフル・ライフ』など、レトリックのあまり進化論に誤解を招くとしてドーキンスが批判的に書評した本のことだろう。


グールドはしばしば、みずからを「ユダヤ人の不可知論者」と位置づけてきた。

しかしドーキンスはグールドを「不可知論者」ではなく、むしろ「無神論者」に近いと位置付ける。

そして、にもかかわらずの中途半端な妥協を批判する。

この解説の冒頭に紹介した箇所をドーキンスも引用し、「究極的な意味と道徳的な価値の問題」を前にして、科学者が宗教家に遠慮する必要などどこにあるのかと強い異議を提起する。

そのような必要は断じてなく、だから自分は「神という妄想」がどのようなものかを論証し、「神の存在」ではなく「神の不在」を論じるのだということらしい。


怖い、怖すぎるだろう、ドーキンス先生。


さらに、この後ドーキンス先生が『虹の解体』でも


容赦のない論理展開をされていたのだけど


悪魔に仕える牧師』(原著2003年)から、


宗教に対する考えが変わってきたことを指摘、


事実公言されているようで。


同時多発テロの後、意識が変化、その書も気になる。


さらに気になるのは、以前一冊だけ拝読した


ウィルソン先生との関係。


このお三方は、なんだか面白そうだなあ、


なんて時間が足りませんよ。


他に読みたい本が山積みなのに。


 


グールドをドーキンス、ウィルソンと比較する


から抜粋


宗教あるいはスピリチュアルな体験についてのドーキンスとウィルソンの姿勢を見てきた眼で、あらためてグールドと本書のことを考えなおしてみたい。

順番に考えてみよう。

ドーキンスがそれまでの不可知論的な態度を完全に捨て去り、無神論を宣言したのは、あの「2001年9月11日」をきっかけとしてであった。

その2年前に刊行された本書でのグールドの主張に、この事件が関与している事はありえない。

しかし、「9.11」は、ニューヨークっ子であるグールドにとっては特別な事件だった(彼の自宅は「グランド・ゼロからわずか1マイル」)。


しかも彼の連載エッセイの最終回「ぼくは上陸した(I Have Landed)」の主人公である母方の祖父「パパ・ジョー」がベルギーのアントワープから12日間の航海で大西洋を渡り、ニューヨークに上陸したのは、奇しくも正確に100年前の「1901年9月11日」だった。

その記念すべき日に母親とニューヨーク湾のエリス島(当時、入国管理局があった)を訪れる予定だった彼は、当日の朝のミラノからのアリタリア航空便で帰国の途にあったが、カナダ南部のハリファックス空港で足止めとなり、ニューヨークの自宅に帰りついたのは1週間後だった。

いわば「生き証人」となった知識人として、しかも個人的とはいえ「9.11」に特別な因縁を持つ存在として、グールドはその月のうちに新聞と雑誌に4本の文章を発表し、校了寸前だったエッセイ集の最終巻『僕は上陸した(I Have Landed)」(2002年)の巻末に、急遽、それらの文章を収録することになった。

この4本が強調しているのはどれも、多数の人々の長年をかけての善行の蓄積が、ごく少数の人間のただ一度の蛮行によって崩壊するという歴史の皮肉「大いなる非対称(the Great Asymmetry)」であり、悲劇の大きさに目を奪われて善意の人々が圧倒的な多数をしめているという大切な事実を忘れるなというメッセージである。

宗教そのものについては、イスラム教もキリスト教についても、また否定的にせよ肯定的にせよ、一言も触れられてはいない。


それではグールドに「非重複-教導権(マジステリウム)」を主張させることになった、なんらかのきっかけはあったのだろうか?

この特殊なかたちの不可知論を最初に主張したのは連載エッセイのひとつ「重ならない教導権」。

このエッセイによれば、きっかけはローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が進化論を認めることを明言した、1996年10月22日の声明であり、「教導権」という言葉もこの声明の公式英語訳の見出しに使われていた。


グールドが

「特定の宗教を信じてはいないし、いかなる意味でも信心深い人間ではない」

としつつ、

「宗教に対しては大きな敬意を抱いているし、宗教の問題には、ほかの問題ほぼすべて以上に常に魅了されてきた」

と述べていることだろう。

魅了の理由は

「西洋史の中で宗教組織が育んできた、すさまじいばかりの歴史的パラドックス」

にあるという。つまり

「口にするのも恐ろしいほどの残虐さを育むかと思うと、人の命が危険にさらされたときに、胸を詰まらせるような善行に走らせるその落差が魅力的なのだ」。

ここでいわれている宗教のなかに、米国で反進化論を唱えているプロテスタント原理主義は含まれているのだろうか。


カトリックの司祭たちとは楽しく会話できたが、米国南部の原理主義者たちとは裁判で争うしかなかった。

1981年に始まったアーカンソー州での進化論裁判では、グールドは証言台に立った科学者たちの一人として主要な役割をになった。

この法廷闘争は1987年の連邦最高裁判所での「創造論法」を無効とする判決で進化論側の勝訴に終わった。

しかし、原理主義者たちは考えを変えたわけではない。

頑なとしか表現しようのない運動が、今も新たな装いで続けられている。

聖書の字句通りの解釈にしがみつくプロテスタント原理主義に比べたなら、聖書を隠喩として読むことを伝統としてきたカトリックとは話がしやすかっただろうし、ましてヴァチカンで出会った司祭たちは教養人だっただろう。

本書ではグールドは自分が育った地区には「ユダヤ教徒とカトリック信者しか」住んでおらず、米国の主流派はプロテスタントだとは信じられなかったと述べている。

グールドは幼少期からカトリックにある種の親近感をおぼえていたと思われる。


しかしカトリック総本山の教皇庁は、以前から進化論をある程度まで認めつつも、1996年の声明でも動物界における人間の特別な地位だけは譲っていない。

この点こそドーキンスが宗教を警戒し批判する点の一つのようだ。

彼も1996年のローマ教皇の声明に触発されてエッセイ(『悪魔に仕える牧師』(1999年)第3章第3節収録)を発表しいる。

声明そのものの解釈や評価はグールドとほぼ同じと言っていいが、ただし、宗教と科学が別個の教導権を持つものの解釈や評価はグールドとほぼ同じといっていいが、ただしとりわけカトリックの「種差別主義」を根拠にグールドの主張は間違いだと主張してきた。

もし科学の教導権と宗教の教導権が重複せず、たがいに尊重しあうべきならば、進化という科学の教導権内の問題にローマ教皇がお墨付きをあたえるという越権行為を、なぜグールドは見過ごすことができるのか!?

それでもドーキンスは、先に見たように、グールドの姿勢を無神論に近いとみなしてきた。

あるいは自分と同じ陣営に引き込もうとしていたのかもしれない。


1996年ローマ法王の声明は、ほぼ覚えてないけれど


キリスト教会でも進化論に譲歩するような動きがあり


さらに2001年の「9・11」があったことは


グールド、ドーキンスさんらを読む上で見過ごせない。


 


声明や蛮行がお二人になんらか


影響はあったであろうけれど


バックグラウンドで解釈や立場が


異なってくるのは想像がつく。


そんなことは承知の上で


グールドさんとドーキンスさんが


論争したのにはそれなりな理由が


あったのかもしれない。


 


それとは別で自分自身


「不可知論」って初めて知った言葉で、


今まで概念すら知らなかった。


 


知らないことだらけでこの書籍は


いろいろと考えることが多かった。


 


余談だけど、今日のブログをまとめてる場所が


ミスタードーナッツなんですけど、BGMで


DONUT SONG(ドーナツ・ソング)


かかってて、作者の山下達郎さんのコメントの


代読によると曲を作ったのが1996年ってことで、


その年に進化論裁判があったという


偶然だけどリンクしているな


ってのは本物の余談でした。


 


nice!(51) 

③グールドさんの最後の書籍から神と科学を考察  [’23年以前の”新旧の価値観”]

神と科学は共存できるか?


神と科学は共存できるか?

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第4章 対立の心理学的な理由


1 自然は私たちの希望をはぐくむことができるか?


から抜粋


古い秩序を守ろうとする伝統主義者たちにとって、1859年は最高の年ではなかった。

ダーウィンの『種の起源』の刊行という出来事が、不可避的かつ永久にこの年の主要な刻印とシンボルになるにちがいなかったからである。

道徳的に中立の世界、というダーウィンのヴィジョンは人間の喜びのためのものではなく、人間そのものの存在も、慰安への選好もいっさい考慮せずに構築されたものだったのだが、しかし同じ年に起きた文学的な事件によって、例外的な後押しを受けることになったーーー11世紀のペルシアの数学者であり自由思想家であるオマール・ハイヤームの『ルバイヤート』の、エドワード・フィッツジェラルドによるかなり自由な英訳の初版刊行のことだ。

オマールの四行詩はどれも、固有の意味も望ましい形相もない世界への諦観を哲学的に表現した珠玉の名作である(「ルバイヤート(rubaiyat)」は「ルバイ(ruba’i)」の複数形で、第一、二、四行目に韻を踏む独特の形式の四行詩である)。

ヴィクトリア朝中期の不安について、よくダーウィンが引用されるが、むしろオマールから数行を引いた方が、より多くの洞察が得られるかもしれないーーーこの時代には、科学の進歩によって後押しされた技術の急激な革新や植民地の拡大を前にして、道徳の伝統的確信が侵食されていた。

こうした宇宙的な混乱について、次のような思想を考察してみよう。


 この宇宙へと、なぜかも知らないままに

 どこからともわからないままに、水のごとく気ままに流れ

 また、その流れより出でて、風のごとく荒地を吹きぬけ

 いずこへかを知らないまま、私は気ままに吹きわたっていく


あるいは、地上の粗野な地所(ラクダの隊商(キャラバン)のための粗末な宿!)と私たちの生活のあてどなさについて。


 思え、この壊れかけた隊商の宿を

 その門は、夜ごと日ごとに入れ替わり

 世々のスルタンは、いかに虚飾とともに

 運命のときを耐え忍び、そして去り行きしか


さらに、自然を人間の希望や夢に従わせることの不可能性について。


 ああ、愛する人よ。あなたと私が運命に語らって

 この世のもののあわれすべてを把握できるなら、

 私たちはそれをこなごなに砕いたりはせずに

 組み立てなおそう、心の願いのより近くに。


こんな世界で「現金はふところに、支払いはツケで」というオマールの不朽の一行を引用していけないわけはないだろう(この言葉はふつう、アダム・スミスJ・M・ケインズドナルド・トランプといった西洋の人物のものと誤解されているが)。


執筆された時点(2002年ごろ?)では、


トランプ氏のこの後の流れは夢にも思わなかっただろう


グールドさん。


挙げられる偉人達の名前として


経済学の父、経済学者からの、不動産王という


アイロニーで締めたものが、今ではそれに


元大統領というオチになっているという展開。


 


『種の起源』刊行当時、


カオスな時代背景を体現しているとして


オマールさんの詩を引用され


深すぎて今はよくわからないけど


気になったのでメモしてみた。


現代語に加工されておられ


受ける印象はそれぞれだろうが


混乱を招く事は本意じゃないよ


とでもいう感じで。


 


2 自然と冷水浴とダーウィンのNOMA擁護


から抜粋


ダーウィンは道徳については無関心か、すくなくとも熱心でないとされてきた。

生物学的な知識に関する革命的な認識から、人間の生きることの意味についての教訓を引き出すことについて、彼がしばしば否認する発言をしてきたからである。

かくも過激な自然の再解釈が、どうしてその時代の問題になんの手引きも提供しないはずがあろうかーーーなぜ私たちはここにいるのか、それはどのような意味を持つのか?

どうすれば生物学的な因果関係や生命の歴史の核心の深いところまで覗きこみ、そして生命の意味や事物の究極的な秩序について些細な一滴ーーー私の祖母がよく口にしていた言葉でいえば、豆粒ーーーを提供できるのか。


 ””この問題全体が、人間の知性には理解しがたいほど大きいのだと、私は心の底から感じています。

 一匹の犬が、ニュートンの心をあれこれ押し測ろうとしているようなものなのでしょう。””


ダーウィンはただの臆病者だったのか?

干からびた知識人だったのか?

狭量な男だったのか?

樹を見て森を見ない、あるいは楽譜の音符は分析するが交響曲のわからない、月並みな科学者の典型だったのか?


私はダーウィンを、これとは正反対の存在だと見ている。

彼は生涯をつうじて、道徳や意味という偉大な問題に基本的な関心を抱き続けていたし、そのような探究の卓越した重要性も認識していた。

しかし彼は、自分が選んだ職業の強みと限界の両方を知っていたし、科学の力はそれ自身のマジステリウムの肥沃な土壌でのみ進歩し、強化されうることを理解していた。

手短に言えば、ダーウィンの科学と道徳についての見解は、NOMA(非重複教導権(マジステリウム))の原理にしっかり根をおろしたものであった。


ダーウィンは進化を利用して無神論を奨励したわけでも、神という概念は自然の構造とは整合しえないと主張したわけでもなかった

そうではなく、科学のマジステリウム内で理解される自然の事実性は、神の存在や性格、生命の究極的な意味、道徳性の適切な基礎など、宗教という別のマジステリウム内の問題を解決できないし、特定することさえできない、と主張したのである。


かつて多くの西欧の思想家たちが、進化の不可能性を宣言するために神性という狭量で弁護不能な概念に頼ったことがあったにしても、ダーウィンは同じ尊大な誤りを(反対方向に)犯すことはなかっただろうし、進化の事実は神の不在を暗示していると主張することもなかっただろう。

さらにいえば、自然と人間の生の意味とのあいだの適切な関係に関するダーウィンの基本的な見解について、私たちはしばしば、しかも深刻に解釈を誤ってきた。

ダーウィンの立場はNOMAに根ざし、勇敢で、現実をよく見据え、そして究極的に人々を自由にするものである。

ところが、彼の見解は敗北主義的で、悲観的で、そして人々を奴隷にするものと、しばしば誤解されてきた。

私はダーウィンの見解を、自然の「冷水浴」理論と呼ぶことを提案する。


なんか面白い。


この後「冷水浴」理論について、


滔々と検証・分析されていくのだけど


長いので割愛しますけれど


ダーウィンを自論で深く分析される。


 


それがまたちょっと独特で


メタファーが多く、どこまで茶化してるのかが


すごく分かりにくく、でも自分にもその要素あり


ものすごく難しいけれど、興味深い。


マジステリウムもNOMAも接して二日しか


経ってないので正直分かってない所多いですが。


 


無神論を奨励していたわけじゃないダーウィンを


読み解こうとされているのだから


グールドさんご自身も無神論を奨励していない


ということなのか。


 


だとすると科学と神は共存できる、


ということなのか


実はざっと読んだだけじゃよくわからない。


 


でも西欧の方というかキリスト教徒が


多く占める国の方達にとって


9.11は巨大な転換点だったのだろう事は


なんとなくわかる。


 


しかしこれを、宗教的対立ではない、とする


チョムスキー氏の言論も気になるので


複合的に考察してみないとおおよその


見解には辿りつけなさそうで。


でもって解説が面白いのだけど長くなりすぎで


次回に譲ろう。


いずれにしても、課題図書が減りませんよ


こんなんじゃあ!


と嘆いているのか喜んでいるのか、


よくわからない夜勤明けでした。


 


nice!(23) 

②グールドさんの最後の書籍から神と科学を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

神と科学は共存できるか?


神と科学は共存できるか?

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  • 発売日: 2007/10/18
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ダーウィンとハクスリーの結びつき、


強い動機がグールドさんの筆致で


鋭く考察される。


途中で合いの手を挟ませないくらい鋭い。


第一章 お定まりの問題


3 二人の父親の運命 から抜粋


私の専門分野である進化生物学における二人のヴィクトリア朝最大の英雄、チャールズ・ダーウィンとトマス・ヘンリー・ハクスリーは、両者とも平均以上の収入と医学の知識に恵まれていたが、愛する子どもたちをもっとも苦しい状況で失った。

二人はその後もずっと、宗教的な復活論者や原理主義者たちの宿敵の役回りを演じたーーーダーウィンはただ進化論を発展させるために、ハクスリーはより活動的な「聖職者批判」のために(ハクスリーは有名な警句のなかで、形状が司教の帽子に似ていることから名づけられた僧帽弁が心臓のどちら側にあるか、どうしても覚えることができないでいたが、「司教は右(ライト)ではあり得ない」(右(ライト)と正しい(ライト)をかけている)と覚えてからは、僧帽弁は心臓の左心房を接続していることをずっと忘れなかったと述べた)。


二人にとって自分の子供の死は、ある真剣な対話の時期と重なり、喪失を伝統的なキリスト教の慰めの源と対峙させることとなったーーーそして二人とも慣習的な慰めを、感動的で節度のある態度で拒否した。

二人とも旧弊な教義が述べている見え透いた偽善(少なくとも見せかけの希望)に気分を害したのでは、と考える人もいるかもしれない。

中身のない歴史書がしばしば描写するように、また科学と神学のあいだに闘争が内在するというモデルが予期するように、これらの悲痛で無意味な死がダーウィンとハクスリーを、宗教に対して正面から敵対するよう導いたのだろうか?

実際には、そんな単純な話ではないーーーー二人の男が見せたのは、彼らの知的資質の威厳と知性の鋭さだけだった。


ダーウィンは、ビーグル号で世界周航の航海に出発した時には生涯を「田舎教師」として過ごそうと計画していたが、やがて横道に逸れて別の職業につくことになったとされる。

しかし、進化の発見がダーウィンを背教と生物学者の生涯へ導いたという、よくいわれる憶測は正しくない。

真実はといえば、ダーウィンは天職としての神学には、個人的に一度も傾倒したことがなかった。

青年時代の彼の宗教観は決定的に生ぬるく、受身的で因習的なものにとどまっていたーーーただ単に、物事を幅広く考えたことがなかったのである。


ダーウィンの牧師になろうという計画は、何らかの積極的な信念や願望によるというよりは、ほかにあてがなかったことから生まれた。


それはともかく、富と職業上の名声と、田園地帯の邸宅で暮らす幸福な家族という平穏の中で中年に近づきつつあったダーウィンは、進化についての見解のゆえにイギリス国教会で教え込まれていた伝統的な教義のいくつかに疑問をもったり放棄したりしていたにもかかわらず、個人的な信仰の問題と深く格闘したことは一度もなかった。


しかしそんな時、1851年4月23日までの運命的な期間に、知性上の疑念と個人的な悲劇徒が組み合わさって、彼の世界を永遠に変えてしまった。

数年以上にわたる萬脚類(フジツボやエボシガイ)の分類についての集中的な研究を終え、不安定な健康もかなり回復したダーウィンは、読書の時間と考えを深めるための静穏の両方を手にしていた。

熟考の末に決心したことは、彼自身の宗教的な信条を注意深く系統だった方法で調べてみることだった。


そこでダーウィンは、一人の魅力的な思想家の本と正面から取り組んでみることにした。

その思想家は、当時は有名だったが、しかし今日ではほとんど忘れられている。

彼よりはるかに有名な兄が、別の道に進んで彼を覆い隠してしまったからである。

ニューマン兄弟のことだ。


ダーウィンは1850年から51年のあいだに、持ち前の集中力でニューマンの主要な著作を読み、伝統的な教条の空虚さについて(またしばしば冷酷であることについても)同じような結論に到達した。

しかし、ニューマンの個人的な献身についての考えにはなんの慰めも見出せず、したがって宗教的な信念のすべての側面に疑いを抱くにいたった。


ニューマンの著作を精読したことは、ダーウィンにとって最大の個人的悲劇が同時に起こらなかったなら、彼の人生観にさほど深い影響は与えなかったかもしれない。

ダーウィンは長女アニーを熱烈に愛していたが、それほどの気持ちにさせたのには、アニー自身のやさしい気質と、アニーがダーウィンの姉スーザンによく似ていたことが、複雑に絡みあっていた。

スーザンは早くに死んだダーウィンの母親の代役をつとめ、また二年前に他界したばかりの父親を最期まで親身に看病していた。

しかしアニーは、生まれたときから病弱な子どもであった。


アニーの無慈悲な死が、ニューマンの著書を読んだことと、宗教についての詳細な探究から生まれていたすべての疑念の触媒となった。


彼は公表された文書でも私的な文書でも直接的な言及を慎重に避けたので、私たちは彼の内面での決断を知ることはできない。

私の推論では、彼はハクスリーの知的に有効な唯一の立場としての不可知論についての格言を受け入れる一方で、私的には、アニーの無情な死に触発されて、神は存在しないのではという強い(そして、彼にはよくわかっていたように、まったく解答不能な)疑いを抱いていたのではと思われる。


ダーウィンは、進化は事実であるという真実を求めて熱心に闘ったが、生命の歴史の諸原因によって人生の意味の謎を解くことはできない。

死の医学的な原因についての知識は、将来の悲劇を予防することはできるが、体験したばかりの喪失の苦痛をやわらげることは決してできないし、苦悩の一般的な意味を教えてくれることもない。


後の章ではダーウィンがハーヴァード大学の植物学者エイサ・グレイにあてた注目すべき手紙をみることになる(グレイは進化と自然選択説を認めつつ、それらの法則を、私たちが認識しうるなんらかの目的のために神が定められたものと考えるよう、ダーウィンに強く勧めていた)。


私がこの文書を、科学と宗教との適切な関係についてはこれまでに書かれた中で、もっとも優れた論評だとみなしているからである。

しかしここでは、1860年5月ーーーアニーの死から9年後、『種の起源』刊行の6ヶ月後ーーーにおける、進化が事実であることが、なぜ究極的な意味という宗教的な問題にあたえることができないかについての、ダーウィンの意見を引用しておきたい。


””この問題の神学的な見方についてですが、これはつねに私の苦痛のたねです。

私は困惑しています。

無神論者のように書こうと思ったことは、一度もありません。

しかし、周囲のあらゆる側面にある神の計画(デザイン)と恩恵の証拠が、他の人々が見ているように、また自分がそう見なければと願っているようには、私には明白に見えていないことを認めます。

世界には謎が多すぎるように思います……その一方で、私はこのすばらしい世界、とりわけ人間の本性を見て、あらゆることが獣のような暴力の結果だと結論することには、どうしても納得できません。

私はすべてが計画(デザイン)された法則の結果であって、その細部には、善いことであれ悪いことであれ、偶然と呼ばれるのかもしれないことの働きに任されている、と見なしたい気持ちになっています。

そう考えたところで、自分としてはまったく満足してはいません。

この問題全体が、人間の知性には理解し難いほど大きいのだと、私は心の底から感じています。

一匹の犬が、ニュートンの心をあれこれ押し測ろうとしているようなものなのでしょう。””


トマス・ヘンリー・ハクスリーは、ダーウィンの聡明で雄弁な若い同僚である。

社会及び宗教の正統派のあらゆる潮流に対決し、進化論を公然と支持して「番犬(ブルドッグ)」と呼ばれたが、彼は最愛の長男、三歳になったばかりのノエルを、1860年9月15日に亡くしたーーーダーウィンがグレイに手紙を書いた4ヶ月後、ハクスリーが『種の起源』を読み、羨望や後悔の入り混じった畏敬の驚きの声ーーー「こんなことを思いつかなかったとは、なんてまぬけだったんだ!」ーーーをあげた一年後のことである。


ダーウィンの周りの人々にも、


各々強い動機(というのも辛すぎる…)


があって進化論を説いておられたと。


番犬と呼ばれたハクスリーさんも同様で。


 


自分が驚いたのは、ダーウィンさん、


『種の起源』刊行後の文書で


「無神論者のように書こうと思ったことは、一度もありません」と。


ただ、見て感じたこと、事実を論文としてアウトプットした


ということでこんなに世間が騒ぐのは本意ではない


とでも言いたげな。


それだけキリスト教原理主義がマジョリティな


世の中だったということなのだろうな。


それにしても何かを成し遂げた人の動機というものは


他の人にはわかりにくく、かつ成果以外のこととして


埋もれがちなのに対して、グールドさん


ここまで掘り下げるのはすごいと感じた。


周知の事実なのかもしれないが


これが文章の力なのかもしれない。


そしてこれを最初に持ってくる意味はかなり深い、


『神と科学は共存できるか?(ROCK OF AGES)』にとって。


これがベースになっているとでもいうのかな。


 


余談だけど、ダーウィンの読書好きというのは


有名な話だけど結婚に対して二の足踏んだ理由が


読書の時間が削られることを挙げておられた。


(それ以前に養老先生がダーウィンは


グラジュアリズムだったと指摘されてたけど)


 


自分も今でこそ読書の時間って大切だって思うけど


結婚の阻害要因にはならなかったけれどなあ。


仕事の質が下がるって意味で太宰治さんが


「家庭の幸せは諸悪の根源」


のような使い方してたけど、若い頃はなんとなく


そうかもと思ったりもしたけど


今思うとそれは浅いし若いですよ。


太宰さん30代だから、仕方ないと思うけど。


年代によってステージが変わるとてもいうか、


生活がもっとも大事、と思いますが、これは


歳をとらないと気づかない何かで


感性が鋭い人は気づきたくない事なのかもしれない。


ってことで相容れないので考えても仕方ないですな。


 


自分は読書できる喜びと生活できていることに


感謝をしたいが、それは神へなのだろうか、


何になのだろうかと思いながら読書していて


これまた考えても仕方ないことなのだけど、


あえて軽くいうとそんなフィーリングでいる


昨今なのでした。


 


nice!(26) 

①グールドさんの最後の書籍から神と科学を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

神と科学は共存できるか?


神と科学は共存できるか?

  • 出版社/メーカー: 日経BP
  • 発売日: 2007/10/18
  • メディア: 単行本


とてつもないくらい難しいが


なんかひっかる、部分というか全体が。


この書からグールドさんに入ってみた事が


そうさせるのか?


キリスト教概念で育っていないので


いまいちピンとこないのだけど


科学と宗教の対立は裁判も起こしていて


欧米諸国では身近で深刻な事なのだろう。


本文を挟んで、日本人の有識者3人が


熱い解説を入れているのは、


この書を埋もれさせてはならぬ


という気概が見て取れる。


なにはともあれ、自分の理解・咀嚼力では


一回ではとても収まりつかなそうです。


 


本書について 狩野秀之 から抜粋


本書はスティーヴン・ジェイ・グールド『Rock of Ages』(1999)の全訳である。

「断続平衡説」を提唱した古生物学者であり、また『ワンダフル・ライフ』をはじめとする優れた科学書の書き手でもあったグールドには、もうひとつの顔があった。

進化を否定する「創造主義運動」に抗して、戦い続けた闘士としての顔である。

本書でも言及されているように、グールドはアーカンソー州の「創造主義法(時間均等法)」に意義を申し立てた裁判で証人となり、違憲判決を勝ち取るのに貢献している。

また、25年以上にわたって書き続けた『ナチュラル・ヒストリー』誌の連載エッセイでも、スコープス裁判などをたびたび取り上げ、創造主義批判を続けていた。

そのグールドが、早すぎる死(2002年)の前に、「科学と宗教の関係」をメインテーマに据えて書き下ろした本書は、生涯を通じて創造主義と戦い続ける中で深められていった思索の集大成であり、グールドの思想を知る上で不可欠の一冊と言えるだろう。


第一章 お定まりの問題


1 前口上 から抜粋


私がこのささやかな本を書くのは、あるひとつの問題に対する幸いなほど単純、かつ、まったく平凡な解答を述べるためである。

どんな問題も、感情と歴史の重荷に苦しめられすぎると、明瞭な筋の通った小道が論争と混乱のもつれで藪におおわれてしまうことがある。

私が本書でとりあつかう問題とは、「科学」と「宗教」とのあいだにあるとされている対立である。

この論争は、人々の心と社会的な実践のうちにのみ存在するのであって、科学と宗教というたがいにまったく異なり同等に大切な主題の論理や適切な有効性のなかに存在するものではない。

本書で述べることは基本的な議論であって、私の独自の見解はなにひとつ加えていない(ただし、例を選ぶのには若干の工夫をしてみたい)。


なぜなら本書での議論は、科学界と宗教界の指導的な思索家によって、何十年も前から認められてきた確固たるコンセンサスに従っているからである。

私たち人間には、ものごとを総合したり統一して考える傾向がある。

しかし、それゆえ、しばしば見えなくなっている問題がある。

それは、私たちの複雑な人生における切実な問題の解答は、多くの場合、原理にもとづく敬意をともなう分離、という正反対の戦略のなかに見つかるということである。

善意の人々は、科学と宗教が平和的に共存し、私たちの現実の生活と倫理的な生活を、共に手をたずさえて豊かにしてくれることを願っている。


この尊重すべき前提から出発して、互いに協力して活動するのだから方法論と主題も共通しているはずだ、という誤った推論がしばしばなされているーーー何らかの壮大な知性の枠組みが、たとえば信仰というものの知りうる事実の部分を自然に組み込むことによって、あるいは宗教の論理を無神論を不可能にするほど無敵なものに作り上げることによって、科学と宗教は人流になるだろうと思い込んでしまう。

しかし、人間の身体を維持するには食べものと睡眠の両方が必要なように、どのような全体も適切に維持されるためには、それぞれ独立した部分の本質的に異なる働きに頼らねばならない。

現代的な多様性を謳歌する隣人たちの暮らす数多くのマンションで、それぞれが各自の一生を充実したものにしていかねばならないのである。

私には、科学と宗教が、どのような共通の説明や解析の枠組みにおいてであれ、どうすれば統一されたり統合されたりするのか理解できないが、しかし同時に、なぜこのふたつのいとなみが対立しなければならないのかも理解できない。


科学は自然界の事実の特徴を記録し、それらの事実を整合的に説明する理論を発展させようと努力している。

一方、宗教といえば、人間的な目的、意味、価値ーーー科学という事実の分野では、光を投げかけることはできるかも知れないが、決して解決することのできない問題ーーーという、同時に重要であり、しかしまったく別の領域で機能している。

同じように科学者も、自分たちの営為に特徴的な、なんらかの倫理的な原理にしたがって仕事をしているはずだが、この原理の有効性を、科学によって発見される事実から引き出すことは決してできない。


私の考えでは、敬意を持った非干渉ーーーふたつの、それぞれ人間の存在の中心的な側面を担う別個の主体のあいだの、密度の濃い対話を伴う非干渉ーーーという中心原理を、「 NOMA原理(Non-Overlapping Magisteria)」すなわち「非重複教導権(マジステリウム)の原理」という言葉で要約できるはずである。

カトリックの知人たちが、彼らの説教でよく使われるこの用語の盗用を不快に思わないことを願う。

マジステリウムはラテン語の「マギステル」つまり「教師」を語源とする言葉で、カトリックにおける教えの権限の範囲を示す。


マジステリウムは、一般的には古くさい言葉とされているが、本書で示した中心的な概念に見事に適した用語なので、私としては、この見慣れない言葉が多くの読者の語彙に加えられることを希望する。

このような寛大な努力を読者にお願いするにあたって、ひとつの条件を申し添えておきたいーーーこの言葉を、いくつかの似通って入るが、意味が非常に異なる言葉と混同しないでいただきたいのである。

たとえば、「マジェスティ」(威厳、陛下)や「マジェスティック」(威厳のある)といった言葉だ(カトリックの生活は威厳を特徴のひとつとするので、この種の混同がよくみられる)。


これらの言葉はラテン語の「マジェスタス」(威厳)、さらには「マグヌス」(偉大な)を語源とし、支配と絶対的な服従を暗に意味している。

それに対して、マジステリウムとは、何かひとつ教え方が、有意義な対話と解決の適切な道具となる領域のことである。

言い換えれば、私たちはマジステリウムのもとでは討論し対話を続けることができるが、マジェスティの前では沈黙の畏怖か強いられた服従に陥る。


以上の話を要約しつつ、もう少しだけ繰り返すと、科学のマジステリウムがカバーするのは経験的な領域である

ーーーたとえば、宇宙はどのようなものからできていて(事実)、なぜこのようになっているのか(理論)。

これに対して、宗教のマジステリウムは、究極的な意味と道徳的な価値の問題の上に広がっている。

これらふたつのマジステリウムは重なり合わないし、すべての問いを包摂してもいない(たとえば、芸術のマジステリウムと美の意味を考えてみよ)。

古い決まり文句を引用すれば、科学は岩の年齢(エイジ・オブ・ロックス)を知り、宗教は「ちとせの岩(ロック・オブ・エイジス)」を知るのである。

あるいは、科学は天がどのように運行しているかを研究し、宗教はどのようにして天に行くかを研究するといってもいい。


=ちとせの岩とは、永遠に変わらない真理をいう

「マタイの福音書」の一節(16・18)の「あなたはペテロ(岩)である。そして、私はこの岩の上に私の教会を立てよう」からきた言葉。讃美歌260番参照。

歌詞は「ちとせの岩よ、わが身を囲め」


「科学」「宗教」「哲学」は三位一体、


近づいていくというのが、なんとなく


合意の言説のような昨今の風潮と思いきや


実は自分のバイアス掛かった読書遍歴の流れ


なのかも知れないけど。


グールドさんは「科学」「宗教」は独立したものだと。


なので、これを読む限りにおいては


ドーキンスさんの「宗教」というか神否定論とは


異なるってことなのか。


正直難しくてよくわからん、若干とっつきにくい


文章は自分の浅学さゆえだというのは


良くわかるのでわかりたければ


何度も読みたまえと聞こえる。


 


ドーキンスさんの方が、今の時点では自分にとって


って事だけど読みやすいのは確かですな。


それにしても、讃美歌って何番まであるのだ、


260番参照って…。


マジステリウムを語彙に追加といってもなあ、


マジェスティック12ならすでにあるんだけども。


(そんなんだからドーキンス氏もグールド氏も


なかなか受け入れらねーんだよ!)


 


まったくの余談ですが


本日は人生初の鍼灸院で鍼体験をしてまいりました。


今日は休みのため今の所変化はあまり感じられないが


仕事をしてどうなのか、が気になりつつ


難しい書籍に挑んでしまったのは時期尚早だったかも


でもまあいいやと思っている次第でございます。


nice!(25) 

本とソノシートからブルース・リーの哲学を吟味 [’23年以前の”新旧の価値観”]

 



友よ、 水になれ——父ブルース・リーの哲学

友よ、 水になれ——父ブルース・リーの哲学

  • 出版社/メーカー: 亜紀書房
  • 発売日: 2021/07/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


昨年、図書館で予約をして


約1年経過して届いた書籍。


娘シャノン・リーさんの著作。


はじめに から抜粋


私が父の哲学を実践することで理解し、学んだことがあるとすれば、それは、充実した人生を送るためにブルース・リーになる必要はない、ということです。

偉大な父の娘なのだから、親の十分の一でも立派な人間にならなくてはいけないーーーーそうやって自分にかけた呪詛(じゅそ)に打ちのめされ、何度身のすくむ思いをし、恐怖に縮こまってきたことか。

おかげで、人生で何度も立ち止まるはめになりました。

でもある時気づいたのです。

そこでいちど深呼吸して、思い出せばいいことに。

父は私がブルース・リーになることを望んでいないのだと。

ああ、よかった。

この本を読んだ皆さんは、きっと理解されることでしょう。

ブルース・リーが望むのは、皆さんが最高の自分になることなのだと。

その自分はブルース・リーとはまったくちがったものに見えるはずです。

なぜなら、あなたはあなただから。

どういうことか。

そう、ブルース・リーにも苦手なことはたくさんありました。

彼は電球を取り換えることができず、卵を料理することすらできなかった。

イケアの家具を組み立てている父を見てみたいものです。

(うまくいかず苛立ちのあまり六角レンチを投げつけて、それが壁に突き立っているようすが目に浮かびます。)


本書では、父の”水になれ”という哲学がどういうもので、父の人生と遺産に長年浸ってきた私がどのようにそれを理解しているかをお伝えできるよう、最善を尽くします。

父のこの名言をご存知ない方のために説明しておくと、これは武術の修行中に父が初めて気づいた境地を表したものです。

本書を通してこの言葉はずっと、人生を精いっぱい生きることの暗喩(メタファー)として使われます。

でも私にとっていちばん大切に感じられることは、「水のようになる」という考え方には、人生における流動性や自然な性質のありように抗わず、みずからもそれを体現しようとする意識が込められている点です。


李小龍がブルース・リーになるまでの流れに沿って


娘のシャノンさんの解釈・言葉を補うように


ブルース・リー本人の言葉が挿入される。


武道家であると同時に読書家でも


知られるだけあって底知れない深さ。


ブルース・リーの哲学だけ読みたいという人や


武道専門の方には物足りないと思う方も


おられるかもしれない。


自分はブルース・リーの哲学が


アップデートされたように感じられ


それをナビゲートできるシャノンさんは


適任だったのではないかと思った。


第三章 永遠の学びの徒


自助努力 から抜粋


好奇心を失わず、自分をじっくり見極める姿勢を整えたら、私たちは勇気を持って恐れと正面から向き合い、自分の理解を自分の経験に組み込む準備を整えなければいけません。

新しい発見につながる独自の探究をたえず行っている状態が、自分の可能性を発見し、結果として自分の流れを見つける手段になるのです。

この学び、この発見、このプロセスは無限で、それゆえ私たちの可能性も無限であることを興奮と驚きを持って受け止めましょう。


""たしかに、私には毎日のように新しい事実や発見があるかもしれない。

 しかし、それを以てなにかを達成したとはいえない。

 私はいまも学んでいるところで、学びは無限なのだから。""


第八章 息づく空


それがおのずと打つ から抜粋


映画『燃えよドラゴン』が初めて上映された時は、父が脚本を書いて撮影した場面がカットされていましたが、公開25周年に当たり、ワーナー・ブラザースがその場面をすべて復活させました。

そこで父は師匠の僧侶と歩いていて、師匠が父に問いかけます。


僧侶:きみの才能は単なる身体的レベルを超えたようだ。

いまやきみの技能は精神的洞察の域に達している。

いくつか質問がある。

きみが極めたい最高の技は何か?

 

リー:技を持たないこと。

 

僧侶:よろしい。相手と対峙したとき何を考える?

 

リー:相手はいません。

 

僧侶:それはなぜか?

 

リー:”私”という言葉が存在しないからです。

 

僧侶:なるほど。続けて。

 

リー:優れた武術家は緊張せず、準備を整えている。

考えず、夢も見ていない。

何が起こってもいい準備ができている。

相手が伸びれば自分は縮む。

相手が縮めば自分は伸びる。

チャンスができたときは、私が打つのではない。

それがおのずと打ち込むのです。


第十章 友よ


ブルース・リーを偲ぶ から抜粋


私は最近、父の生涯にぴったりの言葉に出合いました。

”真の習熟は奉仕”

というものです。

私はこんなふうに解釈しています。

円熟したスキルが発するエネルギーはそれ自体が奉仕活動なのだと。

なぜなら、その熱は人々の気持ちを高め、人生で成しうることに私たちを挑戦させてくれるからです。

あなたが自分の光を輝かせるとき、すべての人の光がさらに明るさを増す、そういうことです。


本文にも、解説にもあったけれど


ブルース・リーを哲学者として捉え


その視点に重きを置いた書籍はあまりなかった。


日常の文脈にリーの哲学を落とし込まれた


決定版といってもいいだろうと思う。


 


余談だけど、自分は小学生とき


映画雑誌「ロードショー」を


毎月購入してもらっていた。


1979年ロードショー8月号付録


7周忌追悼記念企画として


ブルース・リーの肉声を


まとめたLPレコードの発売の


プロモーションだったのだろう、


ハイライト版のソノシートをよく聴いており


昔から哲学者だと思っておりました。


今だにそのソノシート、持っております。


上記に引いた『燃えよドラゴン』の当時未公開


シーンとほぼ被る内容だったというのが


今になってわかるわけですが


貴重だったのだなあという感慨もあり


以下に引かせて締めとさせていただきます。


いつ頃の収録なのかは不明でございます。


MY WAY OF KUNG-FU


By BRUCE LEE


「私の武道哲学」から


優れた武道家というのは、気を張り詰めることもなく、

あれこれと考えることもなく、どんな場合でも相手の出方に応じることができるのです。


武道家は自分自身に対して責任を持たなければならない。

自分のやったことがどういう結果になろうと逃げてはならない。


敵が押してくれば引く、引けば押す、チャンスがあれば攻撃を仕掛ける。

しかし、”私”が攻撃するのではない。

あくまで、自然に(体が自分の頭から離れて)勝手に動くのです。


技術など持たないことです。

敵なんかいないのですから。

なぜなら”私”なんて言葉自体、存在しないのです。


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