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阿部謹也先生の作家哲学と書評を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]

読書の軌跡―私の読書遍歴・全読書・読書の社会史


読書の軌跡―私の読書遍歴・全読書・読書の社会史

  • 作者: 阿部 謹也
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1993/09/01
  • メディア: 単行本

  


異文化体験の楽しみ から抜粋


大学、大学院時代を通じていくつかものを書く機会があったが、私自身は学界の情勢や流行の学説などとは関係なく、私自身の問題を追い求めていた。

それは、R・M・リルケの『若き詩人への手紙』の冒頭にあるリルケの言葉が私の胸に刺さっていたからである。

リルケは若い無名の詩人に、

「出版社に詩の原稿を送ったりしてはいけない。

あなたは外へ目を向けていらっしゃる。

だが何よりも今、あなたのなさってはいけないことがそれなのです。

誰もあなたに助言したり、手助けしたりすることはできません。誰も。

ただ一つの手段があるきりです。

自らの内におはいりなさい。

あなたが書かずにいられない根拠を深く掘ってください。

それがあなたの心のもっとも深いとところに根を張っているかどうかを調べてごらんなさい

もしもあなたが書く事を止められたら、死ななければならないかどうか、自分自身に告白してください。

何よりもまず、あなたの夜のもっとも静かな時刻に、自分自身に尋ねてごらんなさい。

私は書かねばならないのかと。

深い答えを求めて自己の内へ内へと掘り下げてごらんなさい。

そしてもしこの答えが肯定的であるならば、もしあなたが力強い単純な一語

私は書かなければならない

をもって、あの真剣な問いに答えることができるならば、そのときはあなたの生涯をこの必然にしたがって打ち立ててください」(高安国世訳)

と教えていた。

この言葉はそれ以降私が文章を書くときに常に目の前にあった


この様な私にとって1964年に小樽商科大学に拾われたことは幸運であった。

専任講師として一週間に一度講義をすればよかったのである。

私は明治以降の日本の西洋史研究の歴史を概観しながら、他方でハインペルの書物を読んでいた。

小樽商科大学には社会科学以外の書物も比較的揃っていたから、私は寒い書庫の中でそれらを物色して時を過ごした。

私の一生の中で小樽で過ごした12年間以上によく勉強したときはない

書庫で見つけた書物の中にヴァレリーの『海を瞶めて』があった。

私の研究室からは小樽港が見おろせた。

ほとんど船が浮かんでいない小樽港はいつも静かなたたずまいを見せていた。

ヴァレリーの文章の中に「海港のさまざまな営み」もあり、それはあたかも小樽港の光景を描いているように私には思われたのである。

菱山修三氏の訳も私の気に入っていた。

小樽商科大学には戦前からさまざまな教師がいたがその中でも手塚寿郎や大熊信行などの残した書物が私の関心を引いたのである。


しかし私は文学書にはたいした関心を持っていなかった。

書庫の中にグリムの大辞典が並んでいた。

私はハインペルのひそみに倣ってそれを最初から読んでやろうと考えたのである。

書庫から一冊ずつ借り出しては最初から読み始めた。

グリムの辞書はそのように読むことができるようになっているのである。

ところがこの辞書を製本したのはどこの製本所か知らないが、分冊になっているそれぞれの表紙がそのままでさらに製本されていたのである。

そのために開いてもすぐに閉じてしまう。

簡単なペーパーウエイトでは役に立たないのである。

私は大学に通う道すがら拾ってきた大きな石を両ページに載せてこの辞書を読んだ。

この石はある意味で私の小樽時代を象徴しているといって良いだろう。

(群像93年4月号)


リルケのくだりは、他の阿部先生の書籍でも引かれていた。


それにしても週一回の講義以外、書庫で本読み放題で


勉強されていたってのはその後の阿部先生をたらしめる


研究活動だったとはいえ、すごい世界でうらやましい。


教職員というか学者さんの世界は市井の人間には


及びつきませんものがあるなあ。


余談だけどペーパーウエイトですが


阿部先生は大きめの石ということですが


自分はスマホやマウスを使っております。


 


1990


私の五点 から抜粋


③懐奘編『正法眼蔵随聞記

江戸時代以前の書物で私が大学生のころに読んで大きな希望を抱かせてくれたのがこの書物である。

当時私は大学院進学を望みながら、家の事情であきらめるか、あえて進学するかの選択を迫られていた。

そのときこの書物は私に小さな光を与えてくれたのである。

老母を養っている男が仏門に入りたいと志したが、自分は仏道にはいれば母は飢えてしまう。

どうしたらよいかという問いに対して道元は難しい問題だから自分で考えなければならないといいながら、

切に思ふ心ふかければ、必ず方便も出来る様あるべし

と語っているのである。

また

人の利鈍と云ふは志の至らざる時のことなり

とも語っており、生まれつきの頭は変えようもないとしても志だけはつよくもとうという気にさせてくれたのである。

学道の人は先須(すべから)く貧なるべし

とも語られており、貧しかった私は希望を抱くことができた。

優れた古典とは若い者に希望を抱かせるものなのである。

(朝日新聞1月14日)


若いころって表現者に境遇が近いものに


心を寄せがちで自分もそうだったというのは


同じかもしれない。


阿部先生の場合、”書”とか”学問”の様だけど


自分の場合、”書”も今思えば結構あったけれど


圧倒的に”音楽”で、その音楽を創った人々たちの


フラストレーションというか、


恵まれない環境だったりした


アーティストへの思慕が強かったように思う。


 


日常生活の中の詩人


樋口伸子詩集『図書館日記』から抜粋


詩人という名称はおそらくあらゆる仕事や職業の中で最も現実離れしたイメージを今でも強くもっている。

そのために実際に生身の詩人に出会うと目をそむけたくなったり、何かいかがわしいものを感じてしまうのである。


樋口さんは普段は物静かで口数も少なく、どちらかといえば大人しくみえる。

しかし身体のすみずみに力がみちていて、それが時にはフラメンコになってきらめきだすこともあるらしい。相手によっては拳骨となってとびだすこともあると聞く。

勿論蹴飛ばすくらいではたりないこともあるらしい。

私はそのような樋口さんに接したことはないが、あるいはそのために逃げ出したくなったことがあった。

石風社レクチャーの後私が客であったにも関わらず、あるいはそのために逃げ出したくなったことがあった。

そばにいた樋口さんに逃げ出そうというと、即座に行きましょうという返事がかえってきた。


勿論すぐ後で再びみなと合流したのであるが、どう考えても非常識なことであった。

私の我がままに付き合ってくれたのは樋口さんのさまざまな配慮の結果であったかもしれないが、私にはその時樋口さんにも私と同じような非常識なところがあるのではないかと思った。


『図書館日記』に出て来る図書館は私には現実の図書館のように思われてならない。

現実の図書館はそんなものではないという人もいるだろう。

しかしよく考えてみれば現実の図書館も砂に埋もれてゆく運命にあることは明らかなのである。

世の中に言葉だけの詩人はいくらでもいる

樋口さんの普段の姿に接していると詩人であることを感じさせないがそれは私たちが詩人であることになんらかの印を見ようとするからである。

『図書館日記』を読めばわかるように日常生活の中で樋口さんは詩人なのであり、それだから詩人臭くないのである。


樋口さんの詩には樋口さんにしかわからない暗号がかなり込められている。

樋口さんが詩を自分のために書いている以上当然のことかもしれない。

しかしそのために詩の普遍性が損なわれているような気もするのである。

樋口さんはかつて

「文学は遠いところを見つめるものだ」

と書いたことがある。

樋口さんの詩は日常生活の中で樋口さんが見つめている遠いところを表現している限りで、私たちもその視線に自分の視線を合わせるとき、今の樋口さんに近付くことができるのである。

(石風11月号)


レクチャーって何なのかよくわかりませんため


逃げ出すってなんだろう。


反社会的な行動は阿部先生らしくないけど


面白いと思ってしまった。それから


作家を知るために、類書に手を伸ばすのは


言うに及ばずその作家のバックグラウンドを


知るとより深まるというのは


とてもよくわかる。


作品だけではすまない輩が多く、


自分もその一人だったりする。


すべてじゃなく、ゴシップは嫌いだけれど。


それにしても、作家の「今」と


「視線を合わせる」と「近付く」とは


なんとも素敵な表現だ。


樋口さんの書も気になる。


 


1992


「脱近代」の実践者・南方熊楠


中沢新一森のバロック


南方熊楠についてはこれまでに幾つかの研究が出されているが、本書はそのなかでも注目すべきものである。

著者は南方熊楠の生涯のなかで「最も深く体験されたもの」を注意深くとり出そうとしたと語っている。

それは南方熊楠のヨーロッパの学問とのかかわり方、森のなかでの生活、市民としての身の処し方、性についての態度などのさまざまな面に及んでいるが、その全体を著者は思想史として位置付けている。

本書が非正統的な思想史であろうとすることによって、まさに正統的な思想史となると主張しているのは、それが現代の思想が直面している最も重要な問題を正面から取りあげているからである。

それは観察者の相対化という視点である。

「熊楠は、生命プロセスに客観的な観察者なるもの(これは同時に、世俗的であり科学的でもある、ものごとにたいする何らかの『偏見』に拘束された知性でもある)の介入しない、未知の生命論を模索していた」

という。

環境から自分の内部と外部を区別した「主体」としての生物のイメージは欧米の学問のなかで生まれ、近代的個人の成立とあいまって全世界に広がっている。

学問は観察者によって営まれることになる。

観察者を相対化することによってどのような学問が現れるのだろうか。

南方熊楠はそれを自らすでに実践しているという。

制度の学に対してエロス的な学を著者は熊楠の生活のなかによみとろうとしているのである。

それは熊楠のマンダラ論と結びつくものである。


この南方熊楠が肉体的な性的欲望の充足を拒み、厳しく自己を律し、西欧中世の宮廷風恋愛と同じような節度を守っていたことにも、特に注目させられる

(読売新聞11月9日)


必然性もないのだけど、


最近学者さん系の書籍を


なぜか読むのが多いので


熊楠さん(1867〜1941)も気になった。


そういえば20年以上前、


作家の町田康さんが主演で


頓挫している映画は再稼働するのだろうか。


公開されたら是非観てみたいと思った次第。


余談だけど20年くらい前熱海に妻と行った際


木下杢太郎さん(1885〜1945)の


記念館で見た細胞の細密画に


驚いた記憶がそこはかとなく蘇ってきた。


そろそろ夜勤に備え買い物に行かないと。


 


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阿部謹也先生の対談から歴史を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

阿部先生にさらに想い馳せ続けている。


なぜかは知らねど。


中世に今まで興味もなかったのだけど。



歴史を読む―阿部謹也対談集

歴史を読む―阿部謹也対談集

  • 作者: 阿部 謹也
  • 出版社/メーカー: 人文書院
  • 発売日: 2023/05/29
  • メディア: 単行本

もう一つの「近代の超克」(1980年)

対談相手:栗田勇(作家・評論家)

栗田▼

結局、近代社会というものは、物の生産を価値の規範とした時代ですよ。

そこに世界があると考えたわけだけども、一口でいえば、物以外の人間の部分。

忘れられたもう半分の世界ということを、もういっぺん考えようじゃないかという動機が非常に強くなってきている。

考え方によると、たとえば中世で非常に大きな意味を持った死という問題は、近代になっても一歩もっすんでないんですよ。

ただ忘れることが非常にうまくなっただけで、霊安室で死のことを考えるのを打ち切っているのに過ぎない。

場合によったら、いわゆる迷信の方がより精密な、体験的な、あるいは感覚的に死に対する理解を持っていたかもしれない。

そういうものをもういっぺん回復するということは、先ほど阿部さんご指摘のとおり、人間を全体としてもういっぺん開拓したいということじゃないですかね。

阿部▼

中世の人々は、死者をしょっちゅう目の前に見ておりますね。

これは法医学の渡辺富雄氏が書かれていることですが、法医学者は、仁王様とか愛染明王などの異様な色とか形が説明できるというんです。

死後数時間たって、筋肉がみんな弛緩して、柔和な菩薩の顔になり、また何日かすると真っ赤になり、青くなっていく。

これは全部、死後の死体の変化を描いたものじゃないかと言っていましたが、中世人はそういうものを見ているわけです。

腐っていく状態というものを。

ですから、ビジュアルにも考えざるを得なかったけれども、今われわれは死者を見ることがないんですね。

それと、中世と時代は一方で飢えへの不安がかなり強い要因を占めていて、18世紀に至るまで、ヨーロッパでも飢えているわけです。

ですから、飢えの世界の中での、祈りみたいなものが目に見えない絆のようなものを自覚さえているし、自覚せざるを得ない状況に置かれている。

ところが、今中世の復活に関心を向けているのは、みんな僕は先進国だと思うんです。(笑)

先進国で、文化が進んでいる地域では、中世に対する関心が強い。

しかし、開発途上国で中世なんていうことを言っても、誰も関心を向けないし、実際に今飢えが進行しているところでは、感性的なものより、もっと具体的な物を、という言葉が出てくるだろうと思うんです。

そういう意味では、中世文化を考えるときに、基本的には、飢えていたということを押さえておかなければいけないんじゃないかと思うのです。

飢えがないが故に、物の生産(性)に

価値が置かれる。

飢えてたらそれどころじゃないってことで。

しかしこれから先の世の中わかりませんよ。

コロナ後の世界、飢えも到来するかもしれない。

だとして、中世から学ぶことは多そうな気もする。

中世の影(1982年)

対談相手:安野光雅(画家・絵本作家・イラストレーター)

時計の時刻・砂時計の時間 から抜粋

阿部▼

10年ほど前、何べんも経験があるんですが、夕方、子供に時間を聞かれるんです。

それも4歳くらいの子に「すみません、おじさん、今、何時ですか」といって。

何時何分まで聞かれる。

日本ではそんな経験まずないので、三べん目か四へん目に、どうして時間のことを気にするのかと聞いたら、お母さんに四時何分までに帰ってこいと言われているから、というんです。

そのころは時計を持っていないですからね。

ところが安野さんもたぶんそうでしょうが、ぼくらが子供の頃、夜、自分の家に帰る時間なんて決められたことはないわけです。

どこからか、「ごはんですよ」と聞こえてきたり、暗くなったから帰ろうということだったんです。

安野▼

あのころは、電気がついたら帰れというのが一つの目安だったのね。

阿部▼

そのころになると電気が来るわけですね。

安野▼

発電所から電気が来て町中にパッと電気がつく。

そうすると、こりゃいかん、帰らなきゃいかん。

これなんですよ。

今はそういうふうに言うのも恥ずかしいけれども、電気がついたら帰れということでしたね。

ヨーロッパではどうでしょうね。

鐘が鳴るとか、何かきっとあるんでしょうね。

阿部▼

そうですね、今の日本はみんな時計になっちゃった

安野▼

そして何時何分までわかる。

阿部▼

そういう意味では、ヨーロッパの12世紀から13世紀は機械時計、歯車の時計がつくられた時代ですが、ある人にいわせれば、これが近代社会を決めてしまったというんです。

それ以前は、砂時計とか水時計、日時計といったもので過ごしていたんですが、砂時計、水時計なんていうのは、どちらかといえば腹時計と似たようなもので、歯車時計とは全然違う性質のものです。

ところが機械時計は秒を刻んでいく。

われわれの生活とは何の関係もない秒の刻み方をするわけで、今、ぼくはその辺のこと、つまり時間の意識の問題をやりたいと思っているんです。

つまりわれわれはヨーロッパ人よりもたくさん時計を持っていますが、必ずしも時間に正確に集まりません。

会議といったって、偉い人が来ないと始まらないとか、私的な会合だと、20分ぐらい遅れないと貫禄を示せないとか、ピタっと始まりやしない。

ヨーロッパの人はそういうことがないんですって。

偉い人が来なくても、時間がくれば始める。

遅れるのが悪いというのが北ヨーロッパです。

とにかく時間はピシャっと決める。

だから日本人は二重の時間構造を持っているんです。

ユンガーは、こういうことを書いています。

「誇張かもしれないが、私の友人によると、東京には公共時間は中央郵便局と東京駅の二つしかないらしい。

そしてその二つが一致していた試しがない。

また、日本人は昼間は西洋風の時間で仕事をし、家に帰ってひと風呂あびた後は昔の時間に戻るんだ」

というんです。

そんな捉えられ方だったのか、日本人は。

西洋と東洋の混在はわかるのだけど

時間概念が二重というのにまで及ぶのか。

”北”ヨーロッパってのもディティールを

よくご存知の方ならでは。

北と南だと異なるのだろうな。

死者の健康のために(1984年)

対談相手:若桑みどり(西洋美術史・千葉大学教養部教授)

現世意識が彼岸意識を規定する から抜粋

阿部▼

ヨーロッパの歴史を見ますと、中世の末期というのは、そういう意味では、死の世界が正面にグッと出てきた時代ですね。

 

若桑▼

そうですか。

 

阿部▼

一見ね。

 

若桑▼

トランジ(フィリップ・アリエス・変容死体)の時期ですね。

阿部▼

僕は基本的には現世意識というものが彼岸意識を規定しているんだと思いますけれども、たとえば今のエリートたちも、政治家たちも自分が死ぬなんてことは夢にも考えてないわけです。

つまりエリートというのはいつもそういうことを考えちゃいけないんです。

実はみんな死を迎えるに違いないんだけど、そちらの方だけでとにかく押していこうとする。

それがある意味で社会全体の風潮になるような時期というのがあって、日本の場合、今そうなりつつあるんだけれども、それがある時期から他方の反対を生むわけで、それで『生と死』が売れるなんて」いう事態も起こってきているのでしょう。

これからまた変わるかもしれないんですが、また、正面に「死」が出てくる時期というのもまがまがしいというか、うさん臭いところがありますね。

「死」の隠蔽 から抜粋

若桑▼

成功者たち、エリートたちが、自分が死ぬなんて全然かんがえてないというお話があったんですけれど、いつから始まったのかわかりませんが、工業化がすごく進んできて、後期資本主義の時代に入ってからなんでしょうけれど、時代的には一番すごいのが第二次世界大戦以降かな、あることが完璧にうまくいくということと、人間が健康であるっていうことが同じ価値を持つのは。

アメリカの社会が典型で、大統領がジョギングしているなんていうのが、まさしく幸福と成功の絵姿ですね。

現代はそういう価値に全部切りかわっちゃたんですね。

そうすると病と死というのは本当に敗残なんですね。

そういうのが60年代、70年代と燃え盛ってきたし、日本も60年代からそうなっています。

ですから、昭和一桁で商社で張り切っているおじさんたちにとっては、死者は敗者なんです。

だから認めないし、無縁だと思っているわけです。

それを藤原新也という死体ばかり写している写真家が、「日曜美術館」でヒロエニスム・ボッシュを扱った時にコメントしているんですけれど、1960年代の安保闘争以降、日本も「死」を隠蔽し始めたというんです。

私はそれが果たしてそうなのかどうか、はっきりとはわかんないけれども、少なくとも「死」の隠蔽ということは、60年代から日本を完全に覆った

一つは核家族になって死者が出ない。

これはアリエスも言ってるけれども、幼児期における「死」との出会いというんは実に大事なんです。

まともなサイクルで人々が家族生活を営んでいるときには、子供が5、6歳の時に祖父母が死ぬ。

これがナチュラルなファミリーの系統樹の一番自然な形です。

時を経て、ここからざっと40年。

事態は変わっただろうか。

「死」の隠蔽は80年代ほどではなくなったし

「ターミナル(看取り)」も阿部さんの

随筆にある頃と比べれば、施設環境等も含め

身近にはなったように思う。

しかしそれは本質的な「死」や「病気」の理解が

進んだとはいえない気がする。

交流・交感 中世ヨーロッパ<ー>熊野(1984年)

対談相手:中上健次(作家)

異能者 から抜粋

阿部▼

賎民の成立なんて言うと話が固くなりますが、ヨーロッパの賎民の系譜をさかのぼってゆくと職業にゆきつくんですーーー人種やジプシーの問題もありますが。

その系譜をたどっていくと、13世紀までいわば共同体の中での異形者、異常な能力を持っていた人たちなんです。

例えば森に入ること自体が怖いことだった。

森にいって森番をやることが特別の能力を必要としていたわけです。

わたしは以前、そのあたりのことを十分にとらえていなかったので、共同体から排除されているがゆえに賎視されていたと考えていた。

しかしそれでは十分な説明になっていないのです。

もう一つ例をあげますと、今日の人間とは違って、中世の人々にとって水も畏怖の対象であって料理用の水と洪水の水とはそれぞれ異質なものだと考えていた。

当時は春の雪どけ水や夏の渇水というように川の水を調節できなかったので、川の水を調節して水車小屋で粉をひく粉ひきもやはり異能者だとみられた。

その中には私の問題もある。

死はわれわれが日常的に掌握出来る世界の外にあるわけで、墓掘り人は死者を外の世界(マクロコスモス)に送り出す力があるということで、やはり異能者とみられたわけです。

中上▼

異能者が中世ヨーロッパでは賤視されていくというのはすごく面白いと思う。

今の天皇を考えるとーーー天皇は賤視どころか貴種なわけですがーーー韓国では天皇と同じような神との媒介者になるものは決定的に賎民の中に入っていますよね。

その韓国社会を視る目で日本を見ると、日本社会は上と下がひっくり返っただけではないかという気がします。

日本の被差別部落になぜ異能者が集まるのか

あるいはなぜ異能者がいることによって常民から脇の方にやられ、あげくは部落を形成し賎民階級ができるのか

さらに場所(トポス)を形成しない以前に賎民がありえたのかという問題もあります。

賎民、とか、差別とかって

ほとんど意識してなかったのだけど

阿部さんの書を読むと考えさせられる。

今も根深くあるのだろうか、と今持って

当事者意識ゼロなんだけど。

ヨーロッパ、中世を知ることは

現代世界、日本を知ることになりそうだなあ

と思う物音ゼロの静かな早朝でした。

 


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③カール・セーガン博士の書から気づいた大切なのもの [’23年以前の”新旧の価値観”]

前回から続いて同じ書籍からでございます。


カール・セーガン 科学と悪霊を語る

カール・セーガン 科学と悪霊を語る

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2023/05/25
  • メディア: 単行本


第二十一章 自由への道 から抜粋


本章はアン・ドルーヤンとの共著である。


人類が地球上に登場してから九十九パーセントの期間は、読み書きのできる者はただの一人もいなかった。

なぜなら、文字がなかったからである。

この偉大な発明がなされたのは、ごく最近のことなのだ。

文字が発明されるまでは直接体験によって得られた知識を別にすれば、ほぼ全ての知識は口づてに伝えられていた

しかし、何十、何百もの世代を経るうちには、ちょうど「伝言ゲーム」のように、情報はしだいに歪められ、失われていったことだろう。


そんな状況をがらりと変えたのが書物である

書物が手ごろな値段で入手できるようになると、過去のことを詳しく調べたり、先人の知恵に学んだり、権力者だけでなくいろいろな人の考えを知ることができようになった

また、どこかの人か、いつの時代の人かを問わず、偉大な知性たちが苦労して自然から引き出してきた知識について、じっくり考えることもできるようになったーーーそれも、最高の教師たちをそばに置いて。

書物は、とうの昔に死んだ人々の声を伝えてくれる。

どこにでも持ち運びできるし、われわれの理解が遅くても辛抱づよく待っていてくれる。

むずかしいところは何度でも読み返させてくれるし、つまずいても決して責めたりしない。

書物は、われわれがこの世界を理解し、民主的な社会に参加するためのカギなのだ


アン・ドルーヤンも私も、爪に火を灯すような暮らしを知る家の出である。

しかしどちらの両親も熱心な読書家だった。

祖母の一人が読み方を学んだのは、零細農業を営んでいたその父親が、タマネギ一袋と引き替えに、巡回教師を読んでくれたおかげだった。

彼女が読み方を覚えたことは、その後100年にわたって恩恵をもたらした。


謝辞 から抜粋


本書のうち四つの章は、私の妻であり、長年の協力者でもあるアン・ドルーヤンとの共著である。

アン・ドルーヤンは、米国科学者連盟の幹事に任命されてもいる(この組織は、科学とハイテクが倫理的に使用されるよう監視するために、マンハッタン計画の科学者たちによって1945年に設立されたものである)。

アンは、10年におよ本書の執筆作業のあらゆる段階で、きわめて有益な導きと助言と批判とを与えてくれた。

彼女に教えられたことの数々は、とても言葉では言い尽くせない

アンのように、的確な助言を与えることができ、判断力にすぐれ、ユーモアのセンスをもち、そして勇気ある展望のもてる人物が、同時に最愛の人物でもあってくれて、私は本当に幸運だった


書物に関する博士の記述は僭越ながら超同意を。


 


最愛のパートナーが理解者で批判もしてくれるなぞ


それは最高に幸せなことだと僭越ながら思った。


良い夫婦というのは、そういうパターン、


多いなよな、とも。


 


科学と人類の未来のために(解説)池内了 より抜粋


現在は科学の時代でありながら、驚くほど似非科学が氾濫している。


その中味は、およそ科学とは縁遠い神秘主義に満ち満ちており、「信じるか、信じないか」が踏み絵になる。

科学とは、信じるか信じないかの世界ではなく、「万人に、どこでも、いつでも、成り立つ(証明できる)か、成り立たない(反証できる)か」が、その成立条件であるというのに。


このような似非科学の跳梁は、オウム騒動が起こった日本だけではなく、欧米のいわゆる先進国に共通している。

聖書の根本主義が背景にあるが、もう一つ現代に特有な現象という側面も顕著である。

科学の成果を満喫しながら、科学が地球を破壊してしまうのではないかという畏れのアンビバレントな感情。

科学の力で築かれた資本主義社会の不公平感・閉塞感

科学からの逃避と科学への復讐

それらがないまぜになって、「理科離れ」が進み、似非科学への傾倒となっているのだ。

それを助長するマスコミの動きもある。

眼を惹くまがいものを面白おかしく流し、真性の科学や科学的な考え方は、ほとんどの人の眼に触れないからだ。


しかしゆっくり考えてみよう。

ギリシャ時代から現在まで、人類は、科学の力によって、より多様な生を切り拓けるようになり、より豊かな人生を生きることができ、より多くの人々が飢えや病から解放されてきたではないか。

科学こそ、人間を人間らしくさせてきた原動力ではなかったのか。

逆に、似非科学や神秘主義が横行したとき、どれだけ悲惨な死が人々に強制されたことだろう。

そのことは、中世の魔女狩りやナチスのアーリア科学を思い起こせば、すぐにわかることだろう。

無責任な似非科学は、生命の論理と矛盾するものなのである。

科学の生と負の両側面を冷静に判断することこそが、現在の私たちに求められているのだ。


訳者あとがき


1997年8月 青木薫


から抜粋


1996年12月末、本書の翻訳がちょうど半ばにさしかかったころ、カール・セーガン博士の訃報に接した。

博士の健康状態が悪化していたことをうかつにも知らなかった私は、新聞記事を目にして非常に驚いたが、それと同時に「ああ、そうだったのか」と妙に納得がいった。

というのも、本書のなかには、これだけは言っておかなければというせっぱつまった心情や、懐かしい思い出を語るときのちょっとセンチメンタルなトーンがあって、その率直さに少々戸惑っていたからだ。

セーガン博士は、死が間近に迫っていることを悟っていたにちがいない。

本書はセーガン博士の遺書だったのである。


セーガン博士は、第一線の科学者のなかでも、科学の力強さ、すばらしさを生き生きと語ることのできる、本当に数少ない人物の一人であった。

しかも「核の冬」を警告した博士は、科学のもう一つの顔も知り抜いていた。


セーガン博士自身、宇宙人の可能性を探り続けてきた人もある。

本書の発売と同時に封切られる映画『コンタクト』は、博士のそうした一面を伝えてくれるはずだ。


一方、科学が好きだという人には、科学だけの狭い領域にとどまらず、広く世界を見渡してほしい。

私が科学書の翻訳をするなかで常々感じるのは、一流の科学者たちの多くが、良い意味での教養に裏打ちされた広い視野をもっているということだ。

そのことは専門馬鹿だった私が翻訳するうえでは苦労の種でもある。

私はもともと理論物理が専門だというのに、今回も理論物理の話などほとんど出てこなかった。

本書を訳すために、私は神学の森に迷い込み、”宇宙人の死体”で有名なロズウェル事件の藪に分け入り、エドワード・ギホンの『ローマ帝国衰亡史』をめくり、『易経』をひもといた。

バスケットボールの話を訳すために、なんと、日本のバスケットボール人口を飛躍的に増やしたというコミック『スラム・ダンク』全31巻を読破してしまった。

とにかく、すぐには調べのつかないことが山積みになって、気が遠くなりかけた。

本書の翻訳は、私にとって一つの試練であった。

しかし、なんと実り多く、なんと楽しい試練だったことだろう。


1997年といえば、インターネット黎明期


ということはセーガン博士は、


それ以降の世界を知らずに逝ってしまわれた


ということか。本当に残念。


今の世の中をどのようにご覧になっただろうか。


と同時に、この書の教えてくれたことは


大切なものは頭を柔らかく、


冷静に知性と感性を磨くことだと思った。


これはますます『コンタクト』を見直さなければと


強く思った次第の読書体験でした。


 


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②カール・セーガン氏の書から似非科学を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

 


前回から続いて同じ書籍からでございます。


カール・セーガン 科学と悪霊を語る

カール・セーガン 科学と悪霊を語る

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1997/9/1
  • メディア: 単行本

第六章 幻覚 から抜粋

アダムスキーという人物には、なにか人を納得させてしまうようなところがあったようである。

UFO調査の一応の責任者だったある空軍将校は、アダムスキーをこう評している。


その人物に会って話を聴くと、つい彼を信じたくなってしまうのだ。

おそらく、その容貌のせいだろう。

着古しているが清潔なオーバーオールを身につけ、髪にはわずかに白いものがまじり、かつて見たこともないほど曇りのない目をしていた。


アダムスキーの運は年とともに下降線をたどったけれども、彼はその後も何冊かの本を自費出版し、空飛ぶ円盤「信奉者」の集まりにはいつも顔を出していた。

今風の「宇宙人による誘拐」として最初のものは、ニューハンプシャー州に住むバーニー・ヒルと妻のペティのケースである。

妻はソーシャルワーカー、夫は郵便局員をしていた。

1961年、夜遅くに車でホワイト山脈を走っていたときのこと、ペティは空に輝く明るい光に気がついた。


バーニーは怖くなり、二人は幹線ハイウェイをはずれて狭い山道に入る。

そして家にたどり着いてみると、思ったより2時間ほど多く時間が経っていたという。


それから数年後のこと、バーニーはかかりつけの精神科医から、ボストン在住の催眠療法士ベンジャミン・サイモン博士を紹介される。


催眠状態に入った二人は、それぞれに「失われた」2時間の出来事を詳しく語り始める。


マーティン・S・コットマイヤーも指摘したように、ヒル夫妻の話には、1953年に公開された映画『火星からの侵略者』(邦題「惑星アドベンチャー」)と共通する点が多い。

また、バーニーが語った宇宙人の容姿(特に目が大きいこと)は、テレビシリーズ『アウターリミッツ』に出てきた宇宙人にそっくりである。

バーニーがそれについて語ったのは、この番組が放映されてからわずか12日後に行われた催眠療法中のことだった。


最近ふと思うのだけど、アダムスキーさんって


政府関係の人だったのではなかろうか。


愛国心からの言動だったのか?なんて。


真実は闇の中でございますが。


 


第十二章 ”トンデモ話”を見破る技術 から抜粋


フランシス・ベーコン『ノヴル・オルガヌム』1620年

人間の知性は乾いた光のようではなく、意志や情念から影響を受ける。

それが「人々の望みに応ずる諸学」を生み出すものなのである。

というのは、人は真であってほしいと願うものを、より強く信ずるからである。

それゆえに、彼は探究の待ちきれなさのゆえに、厄介なものを、希望を狭くするがゆえに、地味なものを、迷信のゆえに自然の奥深いものを退け、尊大と自負ゆえに、つまりつまらぬ仮りそめのことに係りあうように見えないために、経験の光を退け、大衆の意見のゆえに、意外に見えるものを退ける。

結局、数しれぬしかも時には気付かれない仕方で、情念が知性を色付けするのである。


第十三章 事実にこだわること から抜粋


科学の辺境にはさまざまなアイディアが潜んでいる。

なかには、近代科学が生まれる前の考え方が、そのまま持ち越されているようなものもある。

そうしたアイディアは魅力的で気をそそられるが、”トンデモ話検出キット”には一度もかけられたことがない(少なくとも、アイディアを出した人物によってかけられたことはないはずだ)。

たとえば、地球の表面は内側であって外側ではないとか、瞑想によって空中浮揚できるとか、バレエダンサーやバスケットボールの選手が空中高く跳び上がれるのは空中浮揚しているからだとか、物質でもエネルギーでもない(存在するという証拠もない)魂というものがあって、われわれは死後に牛や虫に生まれ変わるかのとはしれない、といった主張などがそれである。


似非科学や迷信が売り込む”トンデモ話”には、代表的なところで次のようなものがある(以下はあくまでも例であって、網羅的なリストではない)。

占星術、バミューダ・トライアングル、雪男、ネス湖の怪獣、幽霊、「凶眼」(その視線に触れると災難に見舞われるという)、「オーラ」(あらゆる人の頭のまわりを取り巻いているという多色の光のカサで、色は人それぞれだ)。

テレパシー、予知、テレキネシス、千里眼などの超感覚的知覚(ESP)。

十三は「不幸」な数字だという考え(このためアメリカでは、まともなオフィスビルやホテルでも、十二階の次は十四階になっていることが多いーーーわざわざ危険を冒すことはあるまいというわけだ)。

血を流す像、切断されたウサギの脚をもっていると幸運が訪れるという考え方、ダウジング、自閉症者のコミュニケーションが促進されるという主張、厚紙のピラミッドの内部にカミソリを入れておくと切れ味が鈍らないという考え、その他「ピラミッド学」のさまざまな教義。

死者からの電話(コレクトコールは一例もない)、ノストラダムスの予言。

訓練されたプラナリアの死体をすりつぶして、訓練されていないプラナリアに食べさせると、訓練内容を学習させられるという話。

手相占い、数秘術、うそ発見器、彗星占い、茶の葉占い、「奇怪な」子供が生まれるのは何かの予兆だという考え。(これに加えて、内臓、煙、炎や影や排泄物の形による占いや、お腹のゴロゴロいう音による占いが流行したこともあったし、いっときではあったが対数表による占いもあった。)


イエスの磔刑など過去の出来事の「写真」、流暢にしゃべるロシアの像。

感覚の鋭い人(ゆるく目隠しされると、指先で本を読むことができる)。

エドガー・ケイシー(1960年代に、失われた大陸アトランティスが浮上すると予言した)をはじめとする予言者たち(眠っている時に予言する人もいれば、起きているときに予言する人もいる)。

いかさま食餌療法師。

幽体離脱体験(たとえば臨死体験など)は現実の外的経験だとする考え。

いかさま信仰療法師、ウィージャー・ボード(※1)、ゼラニウムに感情のあることがうそ発見器でわかったという主張、かつて溶け込んでいた分子を水が記憶しているという説、顔の造作や頭のでっぱり具合から性格がわかるという説。


「百匹目の猿」など、何人かが信じたことは現実になるという主張。

人間が自然発火して炭になるという話、バイオリズムの3サイクル、永久機関、無尽蔵のエネルギー(こうした話はどれも、懐疑的な人が詳しく調べられないように、あれこれ理屈がついている)、ジーン・ディクソンらプロ超能力者のはずれまくる予言(ディクソンは、1953年にソ連がイランに侵攻すると予言し、1965年には人類初の月着陸でアメリカがソ連に負けると予言した)。

1917年に世界は終わりを迎えるという「エホバの証人」の予言。

ダイアネティックス(※2)、サイエントロジー(※3)、カルロス・カスタネダと「呪術」、ノアの箱船の残存物を発見したという主張、「アミティヴィルの恐怖の館」などお化け屋敷のたぐい、現代のコンゴ共和国の熱帯雨林を、小型のブロントザウルスが歩き回っているという主張、等など。(ゴードン・スタイン編集の『超常現象百科事典』には、こうした主張の多くが徹底的に論じられている。)


※1=心霊術で用いる文字・数字・記号を記した占い板。

※2=有害な心象を除くことによって身体症状を治療しようとする心理療法。

※3=米国人ロン・ハバードが1951年に始めた宗教運動で、至上の存在を否定して心理療法や自己修養を説く。


すごい羅列。網羅的ではないと仰るが。


どうもすみませんでした、というしかない。


この後、これらの全てではないけど詳らかにされる


調べっぷりがこれまた容赦ない。


それも読んでいて、ひたすら謝りたくなる。


そんなに調べなくてもいいですよ。すみません。


と思いつつ、さすがに一級の科学者。


しかし苦労はあるご様子が伺える。


 


第十四章 反科学 から抜粋


確立された科学の体系は、ひょっとすると間違いかもしれないぞーーーそう言われたら、あなたはどう思うだろうか?(あるいは科学はご都合主義だとか、的外れだとか、愛国的でない、敬虔的でない、権力者に奉仕しているなどと言われたら?)。

おそらくあなたは、こんなふうに思うのではないだろうか。

「そういうことなら、なにも苦労してまで科学なんかを学ぶことはない。なにしろこれだけ多くの人が、科学はやたらむずかしくて、あまりにも数学的で、直感に反する知識体系だと言っているのだから」


しかし、科学はどうしてこうも嫌われるのだろうか。

その理由の一つは、科学の変化が速すぎることだろう。

科学者たちの話していることがようやく理解できたと思ったら、それはもう正しくないと言われてしまうのだ。

まちがいとまではいかなくとも、新事実が山のようにたまっている。

そして、聞いたこともないこと、到底信じられないようなこと、物騒な含みをもつことが、最近発見されたと告げられるのだ。

こういうわけで、科学者は世間をからかっているとか、世界の転覆を図っているとか、危険分子だとか思われることにもなるのである。


科学者はときどき自分の犯したまちがいをリストにしてみるといい。

それは科学のプロセスから神秘の衣を剥ぎ取るとともに、若い科学者を啓発するという教育的な役割も果たしてくれるだろう。

ヨハネス・ケプラーアイザック・ニュートンチャールズ・ダーウィングレゴール・メンデルアルバート・アインシュタインも重大なまちがいを犯した。

だが科学という企ては、チームワークが功を奏する仕組みになっている。

つまり、非常に優れた者がまちがいを犯しても、名もなく能力でも劣る者がそれに気づいて修正することができるのである。


科学も万能ではない、自分も金星の認識が


覆ったということをこの後述べられていた。


さらに科学が変貌してしまう理由について。


 


第二十二章 意味の虜(とりこ)から抜粋


商業テレビ局と公共テレビ放送の番組作りを一言だけでいえば、「金がすべて」である。

こういったからと言って、私のことを世をすねた皮肉なやつとは思わないでほしい。

なにしろゴールデンアワーには、視聴率が1%変わっただけでも、宣伝効果にして何百万ドルものちがいが出るのだ。

とくに1980年以降、テレビはほぼ利益のみを追求するようになった


Xファイル』シリーズは、口先だけは超常現象を懐疑的に吟味すると言うけれども、その実、「宇宙人による誘拐」や「不思議な力」、面白そうなことは何でも政府が隠蔽していると言う説にしっかり肩入れしている。


こんな番組の代わりに、次のようなシリーズを作ってはどうだろうか。

毎回の大筋は、超常現象が起こったという訴えを調べてゆくと、結局はどれもこれも普通の説明がつくことが明らかになる、というものにする。

ドラマチックな緊張感は、どう見ても超常現象がとしか思えない出来事が、誤認やでっちあげから生まれるありさまを暴くところで出せるだろう。

調査員の一人はひどくがっかりするが、次回こそ、まぎれもない超常現象が懐疑的な吟味に耐えてくれるだろうと期待をつなぐのだ。

この方が真実にもずっと近いし、公共のためにも役立つのではないだろうか。


それだとスポンサーがOK出さないんだろうなあ。


視聴者が望んでないっていう判断なのか。


自粛警察のように、そもそも企画者が出さないのかもしれないが。


でも、ご指摘のようにそちらの方が真実に近いのだろうとは思う。


さらにこうも仰る。


テレビ番組や映画ではふと耳にする科学の話は、たいていはでたらめだ(そもそも話の筋が科学に無頓着なのだから、ちょっとしたセリフなどは推して知るべしである)。


すごいなー。一刀両断。


ここまで言われてしまうと映画『コンタクト』を


もう一度観たくなりますな。


原作提供なだけなので他の方の手が


多く入っているだろうけれども。


 


余談だけれど、投稿の締めには相応しくないのだけど


何となく自分的に刺さってしまった言葉で締めさせていただきます。


 


第二十三章 マックスウェルと科学オタク から抜粋


どうして知的好奇心などに助成しなくてはならないのか。

ロナルド・レーガン 1980年 大統領選演説


この後、レーガンさんは大統領になられたことは周知の事実。


そのレーガンさんは知的好奇心である映画産業で


元俳優だったというのも何かの皮肉なのか。


 


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①カール・セーガン氏の書から科学を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

 


映画「コンタクト」(1997)は公開ちょっと後に


見た記憶あり、面白く、いろいろ考えさせられた。


カール・セーガンさんの本は初めて拝読。


こちらも端的にいうなれば面白かった。



カール・セーガン 科学と悪霊を語る

カール・セーガン 科学と悪霊を語る

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1997/9/1
  • メディア: 単行本

第一章 いちばん貴重なもの から抜粋


 


現実の世界にくらべれば、科学などはごく素朴で他愛無いものでしかないーーーそれでもやはり、われわれが持てるものの中でいちばん貴重なのとはのなのだ。

アルバート・アインシュタイン

(1879−1955)


飛行機から降りると、ボール紙になぐり書きした「カール・セーガン」の文字が目に飛び込んできた。

主催者側はわざわざ出迎えの運転手をよこしてくれたようだ。

私がここにやってきたのは、ある会議に出席するためだった。

そこに集まってくるのは、商業テレビ局の科学番組をレベルアップしようという、前途多難な課題にとりくむ科学者やテレビ関係者たちである。


「私は、ウイリアム・F・バックリーといいます」


ワイパーの音がリズミカルに響き始める。


科学についていろいろ聞きたいことがあるんです。質問してもかまいませんか?」

ええ、もちろん。

しかし、話ししはじめてみると、バックリーさんが聞きたいのは科学の話なんかではないことがわかった。


空軍基地近くの基地に冷凍保存されている宇宙人のことや、”チャネリング”(死者の声を聞くという、とんでもない話)、クリスタル・パワー、ノストラダムスの予言、占星術、トリノの聖骸布(せいがいふ)といった話だった。

私はそのたびに、彼の期待を裏切らねばならなかった。


バックリーさんはある意味では、なかなか物知りだった。

たとえば、アトランティスやレムーリアといった「失われた大陸」にも詳しかった。


たしかに、海は今も多くの神秘を宿している

しかし海洋学でも地球物理学でも、アトランティスやレムーリアの存在を裏づける証拠などない。

科学的な立場から言えば、そんな大陸など存在しなかったのである。

だんだん気が重くなってきたが、私は彼にそう告げるしかなかった。


雨の中車を走らせながら、彼はみるみるむっつりと不機嫌になっていった。

私は、突拍子もない話と一緒に、彼の精神生活の大切な部分までも否定してしまったようだ。


ただ真の科学には、こういった話と同じくらいわくわくさせられて、もっと謎に満ち、はるかに知的手応えのあるテーマがいくらでもあるーーーしかも、真実にもずっと近い

はたして、バックリーさんは、星間空間を漂う冷たくて希薄なガスの中に、生命の構成要素である分子が存在することを知っているだろうか?

400年前の火山灰から、人類の祖先の足跡が発見されたことは?

インドがアジアに激突してヒマラヤ山脈ができたのだと聞いたことはあるだろうか?

皮下注射器のようなしくみのウイルスが、宿主となる生物の中に自分のDNAを注入し、細胞内の複写機能を破壊することは知っているだろうか?

あるいは電波を使って地球外知的生命の探査が行われていることは?

近年発見されたエブラという古代文明は、交易のためにエブラ産ビールの効能を宣伝していたことは?

いや、彼はそんな話を聞いたこともなかった。

量子力学の不確定性についてはまるで知らないし、DNAはあちこちで目にする三文字の羅列でしかなかったのだ。


世の「バックリーさん」たちは、言葉づかいもきちんとしているし、教養も好奇心もある。

宇宙の不思議に触れたいというごく自然な欲求も持っているし、科学のことだって知りたがっている。

それなのに、現代科学のことはほとんど知らない。

彼らのところに届く前にどこかで「科学」が抜け落ちてしまうからだ。

文化も教育も情報メディアも、こうした人々の役に立ってはいない。

社会がかろうじて与えるのは、上っ面な情報と混乱だけだ。

彼らは、真の科学と安っぽいまがいものとの見分け方を教えられたこともないし、科学の方法のことなどこれっぽっちも知らされていないのだ。


だまされやすい人たちを陥れるまがいものの説明は、そこらじゅうにころがっている。

一方、懐疑的な説はなかなか人の目に触れない。

それというのも、懐疑的なものは”売れない”からだ。

頭がよくて好奇心もある人たちは、もっぱら大衆文化からアトランティスなどの情報を仕入れているのだが、いいかげんなホラ話に出くわす機会は、誇張のないきちんとした説に出会う機会より、何百倍、何千倍も多いのである。


科学は不思議への思いをかきたてるが、それは似非(えせ)科学も同じことだ。

科学を大衆に伝えるのが下手だったり、伝える機会が少なかったりすると、すぐに似非科学がはびこり始める。

「きちんとした証拠がなければ知識とはいえない」

と考える人たちが増えれば、似非科学のはびこる余地は無くなるはずだ。

あいにく大衆文化では、

悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則がまかり通っている。

つまり、悪い科学は良い科学を駆逐してしまうのだ。


いつの時代にも、教育水準の低下は悩みの種であった。

約四千年前のシュメール人が残した史上最古のエッセーには、近ごろの若者はものを知らないという嘆きがみられる。

二千四百年前には、晩年の厭世(えんせい)的なプラトンが、『法律』第7巻のなかで科学的無知をこう定義した。


一も二も三も知らず、偶数と奇数の区別もできず、数を数えることもまったく知らず、夜と昼を分けて数えることもできず、月や太陽や星の運行についても無知な人のことです。……自由人は、少なくともエジプトですべての子供たちが読み書きといっしょに学んでいるくらいには、これら諸学科について学ぶべきでしょう。

あの国には、子供達のために工夫された算数ゲームがあって、楽しく遊びながら学ぶことができます。

……私自身晩年になり、我が国の嘆かわしい状況を聞いて、まったく驚いたしだいなのです。

このような状態は、人間ではなくて豚のような動物にこそふさわしいものだと私には思われました。

そして自分だけでなく、すべてのギリシャ人のために恥ずかしいことだと思ったのです。


もっとも、科学や数学についての無知が、古代アテネの衰亡をどれだけ早めたかはわからない。

しかし、一つはっきりしていることがある。

それは、現代において科学の初歩も知らないのは、過去のどの時代ともくらべものにならないぐらい危険だということだ。


オゾン層の破壊、大気汚染、有機放射性廃棄物、酸性雨、表土の侵食、熱帯雨林の破壊、指数関数的な人口増加など、地球的規模でさまざまな危険信号が出ている。


核分裂エネルギーや核融合エネルギー、スーパーコンピューター、情報”ハイウェイ”などが社会に及ぼす影響を考えてみるがいい。

そのほかにも考えるべき問題は多い。

妊娠中絶、ラドン汚染、戦略兵器の大幅な削減、麻薬の常習、当局による市民生活の盗聴、高解像度テレビ、飛行機や空港の安全性、胎児の組織移植、健康維持にかかる費用、食物添加物、躁病や鬱病や精神分裂症を緩和する薬、動物保護、超伝導、経口避妊薬、反社会的素因は遺伝するという説、宇宙ステーション、火星旅行、エイズやガンの特効薬の発見。

こうした問題の根本がわかっていなければ、国の政策を変えていけるはずもない。


ここまでで既にすごい。なんかすごい。


ドーキンスさんとは異なるすごさ、濃さ、深さ。


余談だけど、最初に出てきた「バックリーさん」って


実在の人物と思えない。


カールさんの想像上の人物ではなかろうか。


ヒポクラテスはエーゲ海南東部にあるコスという島の人で、医学の父と称えられている。

2500年が経った今もなお、「ヒポクラテスの誓い」のなかに、その名をとどめている人物である(彼の誓いの言葉を少し修正したものが、今でも医学生が卒業時に行う宣誓として、各地で使われている)。


ヒポクラテスが残した言葉には、たとえばこんなものがある。

「てんかんは神が与えた疾患だと思われているが、それはただ単に人々が、てんかんを理解していないからにすぎない。だが、わからないものを何でも神のせいにしていたら、神が与えるものには際限がなくなってしまうだろう。」


病気を診断する際に、ヒポクラテスは科学的方法を取り入れた。

病状は慎重かつ仔細に観察するよう力説し、

何ごとも偶然のせいにするな。何ごとも見逃すな。互いに矛盾する観察結果を総合して考えよ。そして十分に時間をかけよ

と説いた。


まだ体温計もない時代に、ヒポクラテスはさまざまな病気の体温曲線を描き出している。

そして、医者たるものは、どんな病気を前にしても現在の症状だけからこれまでの経過をつかみ、今後の病状を予測しなければならないと説いた。

誠実であれと力説し、医者の知識の限界をいさぎよく認めた。

実際彼は、自分が治療にあたった患者の半数以上は死んでいると、率直に後代に書き伝えているのである。

もちろん彼にできる治療法は限られていたし、手に入る緩下剤や、吐剤や、麻酔薬ぐらいしかなかった。

それでも外科手術が行われたし、灸も試みられている。

こうして古代ローマ帝国が衰亡するまでに、医学は大いに進歩したのだった。


しかしこの後、ヨーロッパは


ヒポクラテスさんの進めてきた医学が衰退


人体解剖を禁止され、星占いや魔術などが


横行してしまうと指摘。


ここでまでの中では明示されてはいないが


この後に”主流”となるものが原因のご様子です。


似非科学のなかには、たしかに面白そうなものもある。

それに、似非科学なんかに引っかかるほど自分は馬鹿じゃない、と思っている人もいるだろう。

しかし身の回りをみれば、コロリとだまされたケースがいくらでもころがっているのだ。

超越瞑想法(TM)やオウム真理教は、教養ある人々をたくさん引きつけ、なかには物理学や工学の高い学位をもつ人たちさえいた。

つまりその教義は、無知な大衆向けではないのである。

そこには何か別のことが進行していたのだ。


もう一つ重要な点は、

「宗教とは何か、宗教はいかにして生まれるのか」

という問題に関心を寄せる人ならば、TMやオウム真理教を無視するわけにはいかないということだ。

地域的で問題意識の限られた似非科学と、世界宗教とのあいだには厚い壁があると思う人もいるかもしれない。

だが、その壁は、実はごく薄いものでしかないのである。


本書のなかでは、神学の行き過ぎを批判することもあるかと思う。

というのも、似非科学と、凝り固まった教条的な宗教とは、なかなか区別できない場合があるからだ。


似非科学は、誤りを含んだ科学とはまったく別のものである。

それどころか、科学には誤りがつきものなのだ。

その誤りを一つ残らず取り除き、乗り越えてゆくのが科学なのである。


科学における仮説は、必ず反証可能なようにできている

次々に打ち立てられる新たな仮説は、実験と観察によって検証されることになるのだ。

科学は、さらなる知識を得るために、手探りしつつよろめきながら進んでいく。

もちろん自分が打ち出した仮説が反証されれば嬉しいことはないけれども、反応が挙がることこそは、科学的精神の真骨頂なのである。


これと正反対なのが似非科学だ。

似非科学の仮説は、どんな実験をしても決して反証できないように仕立てられている。

つまり、原理的にさえ反証できないのだ。

似非科学をやっている連中はなかなか用心深いので、懐疑的に調べようとしても妨害されてしまう。

そして、似非科学の出した仮説を科学者が支持しなかったりすると、なんとかごまかす策謀がひねりだされるのだ。


おそらく科学と似非科学のいちばんはっきりしたちがいは、科学のほうが似非科学(あるいは「無謬(むびゅう)」の天啓)よりも、人間の不完全さや誤りやすさをずっとよく認識している点だろう。

もしも、人間の不完全さや誤りやすさを断固として認めなければ、誤りは(深刻で取り返しのつかない過ちも含めて)永遠に人間についてまわるにちがいない。

しかし、ほんの少しの勇気をもって自分を見つめ、情けない気持ちをこらえることができるなら、可能性は大きく開けるだろう。


科学者の「科学」に対しての責務というか


正しく理解促進を勧奨されるのは


日本の柳澤桂子先生とも同様で。


 


お二人とも切羽詰まった感じで警鐘される。


ご自身の、また人類の残り時間のために。


それが鋭く刺さり怖さも醸し出されていて


ボーッと生きている我が身が引き締まる思い。


 


しかし、何度もブログで書いてしまうけれど


科学類の書を読み続けると


「不思議」や「神秘」が


消えていってしまうのだなあ、と。


 


それが良いのか悪いのか、


またはそういうレベルじゃないのか


はたまた、それでもなお、なのか。


 


セーガンさんも柳澤先生も


またはドーキンスさんも


科学を正しく知った上で…


みたいな言説はなんか似ているなあ、


と思ってみたり。


 


余談だけれど、セーガン・ドーキンスさんとか


海外の方のこれ系の書籍って


厚さと価格がものすごいので


新書程度にまとめてくださらないだろうかと


純日本人の発想でございます。


 


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3冊から阿部謹也先生に想い馳せ続ける [’23年以前の”新旧の価値観”]

前回からの続きでございます。



阿部謹也自伝

阿部謹也自伝

  • 作者: 阿部 謹也
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/05/24
  • メディア: 単行本

第三章 

結婚 から抜粋


博士課程の最後の頃、私は東京聖徳学園の非常勤講師として教えていた。

すでに述べたように文書実務の授業の中で金子光晴を読むことに楽しみを見出していた。


この頃私は同じ高校の別の教師と付き合っていた。


結婚したいとすら思っていた。

彼女もその気があったようで、両親にあって欲しいと言う。

ある時、目黒で彼女のご両親と兄に会った。

兄は医科大学の助手で、私に

「1日の治療費に25万円もかかる病気があるんですが、あなたは妹がそのような病気になった時支払うことが出来ますか」

と聞くのである。

彼らは私の家の事情を興信所を使って調べていたらしい。

このような質問に今なら答えることが出来るが、あの頃の私には答えられなかった。

両親は私との結婚に反対していた。

理由は私が職もなく、貧しかったからである。


学生達と山に行くことになったのはこのような時であった。

一緒に山に行ってみると、清都さんは先の彼女とはまったく違って積極的で活気があった。

たとえば原宿で待ち合わせをしていた時のことである。

彼女は5分ほど遅れてきたが、私にぶつからんばかりに駆けてきて、「遅れてごめんなさい」と謝るのである。

彼女とはいろいろな面で話が合い、しばらくして結婚を考えるようになった。

私は当時は就職もしていなかったから、ご両親は賛成ではなかった。

しかしご両親が反対しても彼女は家を飛び出してくる決意であった。

こうして私は博士課程を終了する直前の三月に結婚した。

新婚旅行に那須に出かけ、帰ってから増田先生の家に挨拶に行ったところ、学術振興会の奨励研究生に採用されたことを知った。

月に2万5千円だった。

これと彼女の給与を合わせれば二人で充分暮らしてゆけた。


興信所を使って家族を調べられるって


そんなのは嫌だなあ、と思うけど


家族のことを思うとそういう行動になるんかなあ。


相手が働いてないっていうのは


確かに心配だけどねえ。


 


その後、気の合う人と結婚されたご様子で


そこでも当初は就職してなかったってのも


なかなかですがねえ。


 


自分も結婚して半年くらいで会社辞めて


就活してたりしたから人のことは言えませんが


それも先生と同じというのは僭越ですが


「若さ」なのだろうなあ。


 


その後、阿部先生は小樽の大学に就職を


されるのだけど…。


 


第四章


ドイツの生活 から抜粋


1969年10月1日に私は羽田空港からハンブルクに向かった。

アレクサンダー・フォン・フンボルト財団の奨学生に採用されたためである。

すでに学部学生のころから親交のあったボン大学のフーバッチュ教授からは早くドイツに来るようにとの連絡があり、私も行きたかったのだが、学部学生の身では出かけていっても自分の望むような研究はできないと思っていた。

大学院で研究の道筋を付けてからドイツに行きたいと考えていたのである。

博士課程の単位習得論文を提出し、一応の道筋がついたと思ったので、小樽商科大学に行ってから、教授に手紙を出し、そろそろ出かけたいという意向を伝えた。

するとすぐに教授からフンボルト財団に推薦書を書いたから、応募するようにとの連絡があり、ようやく渡欧が実現したのである。


ゲッティンゲンの人々 から抜粋


ボンには半年しかいなかったが、ゲッティンゲンでは家族を呼び寄せて一年半過ごした。


ゲッティンゲンの家の前に大学のギリシャ語の講師が住んでいた。

彼の娘と私の長男が同じ幼稚園に通っていたので親しくなり、行き来するようになった。

あるとき日本から持って行ったお土産を彼に渡した。

すると彼は「これはクリスマスに頂きたかった」といったのである。

私はドイツの贈与習慣が日本とは違うことに初めて気がついた

習慣の違いについてはこんなこともあった。

すでに述べたように私は毎日文書館(もんじょかん)に通っていた。

時には大学にも行ったが、そこでハンス・バッツェ教授と知り合った。

彼もしばしば文書館に来ていた。

あるとき大学で書物を借り出すのに彼にいろいろ助けてもらったことがあった。

それからしばらくして町で教授に会った時、日本流に

「先日はありがとうございました」といってしまった。

すると彼は怪訝な顔をして

「それで?」という。

私は困って先日お世話になったということをもう一回話した。

すると彼は

「もう一度して欲しいのか?」

というようなことを言ったのである。

このような体験から私はドイツでは

「先日はありがとうございました」

というように遡ってお礼を言う習慣がないことに気づいたのである。

ついでにいえばドイツだけでなく、欧米の言葉には

「今後ともよろしくお願いします」という日本語の常用句もないのである。

日本人なら誰もが使っているこの種の言葉がないことをどのように説明するのか。

私はこうした問題をやがて「世間」という日本独自な概念の分析を通じて説明することになるのだが、この問題については後に譲りたい。


第九章


高村光太郎 から抜粋


日本人の西洋史研究についていえば、ヨーロッパが私たちにとって自明の世界でない以上、まずその世界の全体を捉えようとしなければならないことになる。

その際に問題になることは、研究の主体である自己がどのような世界で生きているのかを無視してヨーロッパ世界の全体を捉えようとするような方法が間違っているということである。

光太郎が抱え込んだ矛盾は日本とヨーロッパの違いの問題であり、具体的にはヨーロッパの個人と日本の個人との違いの問題なのである。


日本の「世間」にはじめて気がついたのはドイツに留学していた最後の頃であったが、ドイツ人と付き合う中で、私は自分が日本にいるときとは全く違った社会にいることを日々感じていた。

日本にいるときにはいつも他の人々から見下されているような感じを受けていたのだが、ドイツでは全くそのようなことはなかった。

日本では何時でもどこでも誰かから評価され、試されているように感じていたのだが、ドイツではあるがままの私を受け容れてもらっているように感じることが出来た。


「世間」を対象化する


私が貧しく、日常生活にも事欠いていたために、日本で学問の場に身を置くことの劣等感を抱いていたのだろう。

ある教授は家が貧しいものが学問をするなどということはとんでもないことだと公言していた。

実際私は経済的な理由でゼミナールの年中行事に参加するのさえ難しいことが多かった。

こうした自分自身の事情からも、私の日本の「世間」が影を落としていることは明らかであった。

私は「世間」を研究しなければ日本の事情はわからないと確信するようになっていった。

そしてさらにヨーロッパでは何故個人が日本と違った発展を見たのかも明らかにしたいと思った。


贖罪規定書」を読み、告解のあり方の変化を学ぶことで、キリスト教の広がりが個人の成立に果たした役割を知ることとなった。

こうしてドイツにいる間に個人の成立についてはある程度の見通しをつけることができた。

しかし「世間」については日本に帰ってから手をつける以外にはなかった。


そのような中で差別の問題が解決の糸口をつけてくれた。

ハーメルンの笛吹き男』の研究の中ですでに私は差別の問題と関わることになっていた。

笛吹き男が何故差別されたのかを明らかにしなければならなかったからである。


やがて刑史が差別されていた状況もハンブルクの文書館で調べることが出来た。

こうした研究の成果が日本で出版されてゆく中で、日本における被差別部落の差別の問題と関わることが増えていった。


日本の差別にかかわりをもって以来「世間」の研究はひとつひとつ縄がほどけるように進んで行った。

「世間」の構造についても徐々に見通しがついてきた。


まず日本の古代の文献から「世間」とかかわるものを見てゆくと、文学作品と仏教の経典に「世間」の原型を見つけることができる。

その中でも『日本霊異記』には贈与・互酬の関係が明瞭に示されていて、興味深い。

それは仏教を庶民に普及させるための説話集であるが、同じような目的でヨーロッパで作られたキリスト教を普及させるための説話『奇跡を巡る対話』と比較してみると、その違いが明瞭に浮かび上がってくる。


『日本霊異記』の説話集には贈与・互酬の関係が明瞭に示されているが、『奇跡を巡る対話』にはその関係が全く見られない。

贈与・互酬の関係の核にあるのはキリスト教以前の世界にあった呪術である

ヨーロッパではすでに見たように贖罪規定書において呪術は全面的に否定されていたから、贈与・互酬の関係はキリスト教の浸透とともに消滅していったが、日本では今日に至るまで呪術を禁止するという動きは見られなかったから、贈与・互酬の関係は現在まで生き残っている

この場合の贈与・互酬の関係は人と人との間だけでなく、人とモノや動・植物との間でも結ばれており、人と天体との間でも存在している関係である。


たとえば、上野公園の不忍池の側にはさまざまな供養碑がある。

魚の供養や料理人の供養、時計の供養などが営まれているが、その種の供養も欧米には無い。

このように見てくると、日本人は周囲の動物や植物と意識的に共生の世界に生きていたように思えてくる。

このような事実を無視して、欧米の文化だけを取り入れてきたこれまでの私たちの生き方は正しかったのだろうかと反省を迫られるものがある。


このほかに共通の時間意識の問題がある。

「世間」の中においては人々は共通の時間意識を持っている

その点で欧米の人々とは違っている

私たちが初めての人に会った時に、

「今後もよろしくお願いします」

と挨拶することが多いが、このような挨拶は「世間」の中で暮らしている者同士が又何時かどこかで会うことがあるから、そのときのためのお礼の先払いなのだが、欧米人には一人一人が自分の時間を生きているから、「世間」のような共通の時間を生きているわけではない。

したがって欧米にはこのような挨拶はないのである。


この後最終章で「日本世間学会」の発足と


感謝が述べられる。


この書では、阿部先生の幼少期から学生時代


学問や語学に興味を持たれるようになった恩師や


学友との交流や海外生活からのブレイクされた著書


『ハーメルンの笛吹き男』の着想を得たエピソードや


学生紛争時の教育現場や、文科省との確執など


一般的にはこちらがメインと思われるのだけど


捻くれているからか、そこは一旦スルーで


阿部先生のベースとなった興味ある逸話や


「世間」をフォーカスさせていただきました。


 


前回、養老先生と書籍を出して欲しかったと


書きましたが、対談がございましたので


引かせていただきます。


 


見える日本、見えない日本―養老孟司対談集

見える日本、見えない日本―養老孟司対談集

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 清流出版
  • 発売日: 2003/11/1
  • メディア: 単行本

”世間”から飛び出して生きる

コンピュータは”世間”を壊せるか から抜粋


阿部▼

昨年出した本の反響で印象に残ったのは、あるコンピュータ技師からもらった手紙です。

コンピュータ関係の若い世代では”世間”は崩壊しているのではないかと。

そう感じさせたものはインターネットで起こっている論争です。

”世間”というのは顔や体が見えないから、争いはエスカレートする。

これはおもしろい。

ただ、私は世間を考えるときに基本的に変わらない部分に注目します

本当の変化は長い目で見なければ分かりません

 

養老▼

そう思いますね。

私は仕事柄、現物を見てきました。

インターネットは現物ではなく抽象の世界で、五感のすべてによる関係ではありません。

学会の論争みたいなもので、あれは世間と関係がない(笑)。

「世間」とは何か』で最も共感したのは日本人の考え方についてですね。

日本人はものごとを考えるときに、最初に自分なりの”世間”を漠然と想定する。

家族、近所の人、勤め先の人たちという、まさに顔の見える範囲の人たちの重層構造になっているのでしょう。

彼らの反応を予想してから自分の行動を決めるわけです。

外国に対しても同様なことが言え、米国人や韓国人の考えを推し量ってから対応する。

よく言えば己を無にしているわけですが、それは意識の部分で、無意識の部分では固く保守的です。

周囲が「お前はどうしたいのか?」と聞いても、返事がない。

だから”ずるい”と評価されてしまうわけです。

あるいは、米国が日本に対して「自立しろ」と言う。

けれども、主張がないから自立も何もない

その辺りがいま、日本全体の問題になっているのではないかと思います。

 

阿部▼

日常的な会話の中で、「〇〇が好きですか?」という質問にさえ率直に答える人は少ないですね。

「個人的には」という前置きがつく

その場で自分の好みを言って良いかを考え、枠の中でしか発言できないんです。

いったい、”個”とは何かという話になるわけです。

先日、赤面恐怖症の話が出たんですが、赤面恐怖症で問題になるのは、家族や全くの他人の間ではなく、その中間の人に対して起こるということなんです。

つまり”世間”ですね。

身近ではないが暮らしていくうえで関係のある人の間に入ったときに、赤面恐怖症が起こる。

これはヨーロッパなどにはないそうです。

世間に対して緊張するのは、期待されている役割を演じなければならないからです。


この後、明治以降の日本の変化などにも触れられて


短いのだけれど、興味は尽きない深さでございます。


さらに思い馳せ、ただいま現在の日本。


昨日閉幕した広島サミットG7ですか。


これには引いておきたい文章がございます。


別の書籍からで恐縮です。


読書力をつける (知のノウハウ)


読書力をつける (知のノウハウ)

  • 作者: 阿部 謹也
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版
  • 発売日: 1997/03/01
  • メディア: 単行本

 


第四章 生きる知恵を学ぶ

「世間」の中でいかに生きるか から抜粋


欧米の人々は、自分たちが暮らしている近代西欧社会の価値が普遍的であって、日本にも通じるはずだという傲慢な人間理解をもっている場合が多いのです。


日本の「世間」というものは、外国人には理解ができないのです。

そして、日本人もそれを対象化してはとらえていません実感として知っているだけです。


哲学の主題は「いかに生きるか」という問題に尽きると思います。

「いかに生きるか」というときに、人類の過去の知恵がどう役に立つかということです。

そのときに、日本の「世間」というものを全く無視して学者たちが現代日本の社会について書いたものが、はたして役に立つでしょうか。


日本人が「自分とは何か」と問うときに必要なのは、やはり、「世間」という自分たちが置かれている社会の特異な構造を把握して、その「世間」の特色をつかみ、そのなかで生きていく上でヨーロッパの古典が必要かどうかをまず問うことです。


ざっくり、かつ、はしょりすぎてはおりますが


阿部さんが「世間」からこだわられた


ヨーロッパの古典というのは


こういう流れだったのか、と思ったり。


自分は「世間」の特色を掴むどころか、


ご指摘の通り実感しているだけだなあと思ったり。


グローバリズム、大丈夫かよ、とか。


大丈夫なわけないじゃん、とか。


 


忙しくて読書の時間がないと嘆きつつ


新たなテーマにぶち当たり、


何時間あっても足りねーなーと


思う今日この頃でございます。


 


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2冊から阿部謹也先生に想い馳せる [’23年以前の”新旧の価値観”]

当然のことながら、私はなんの関係も


ございませんが、昨今阿部先生の関連書を


数冊拝読させていただいております。


毎度の事ですがアンダーラインは私視点でございます。
阿部謹也自伝


阿部謹也自伝

  • 作者: 阿部 謹也
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/05/24
  • メディア: 単行本

第一章

鎌倉の暮らし から抜粋


 私の父は昭和18年1月8日に死んだ。

肝硬変であった。


その知らせが入ったとき私たちは鎌倉にいた。

皆で東京に向かう車中で私が鼻血を出した。

すると義姉が「お父さんはもう駄目だ」と言った。

肉親が死に掛けている時に鼻血などの出血をするものがいるとその肉親は助からないのだという。

その時は私のせいで父が死ぬのかと不思議で気味が悪い気がしたが、このことは後年に中世史研究の中で思い出すことになる。


神判の世界とケガレ」を書いているとき、参籠起請(さんろうきしょう)の問題に行き当たった。

鎌倉幕府法の中の文歴二年(1235年)の式目追加に起請文失条の編目として「鼻血を出すこと」があげられている。

誓いを立てて参籠している者の身に何かが起こったとき、その者の起請は偽りとされたのである。

その一つに鼻血があった。

状況はかなり異なっているが、近親に死者が出ることも同じ失(しつ)にあげられており、八百年の時を隔てて呪術的な観念が伝えられていることになる。

義姉は後に高野山で尼となったから、そのような感覚を普段も持っていたのかもしれないが、鎌倉という土地の性格も与っていたように思う。


川越への疎開と敗戦 から抜粋


ある日私の祖母は叔父達が集まっている中で突然

「この戦争は負けだね」

と言った。

叔父たちがあわてて

「そのようなことを言っては駄目だよ」

といさめたが、祖母は

「日本の飛行機がアメリカを空襲したという記事があったかね。それなのに日本は毎日空襲されているだけじゃないか。負けに決まっているよ」

と言って聞かなかった。

何かを聞かれて私が

「そのときは僕はもうおばあさんの孫ではないんだよ。天皇の子なんだから」

と答えたことがある。

すると祖母は

「そうかいそれじゃ、天皇さんに食わしておもらい」

と言って私を黙らせてしまった。

この祖母は戦争が終わったとき、これからは

「天皇さんに秋刀魚が焼けましたからどうぞ、と言って持って行けるようになるよ」

と言っていた。

しかし実際にその予言は当たらなかった。


秋刀魚の予言はあたらなかったとはいえ、


戦争は負けると言い放つこのときのおばあさんの


言いっぷりはさすが年長者だけあって鋭い。


周りは今でいう同調圧力、忖度が当たり前の中


一人だけ本当のことを察知されていた。


しかし大人から子供まで国に欺かれていた


記憶というのは決して消えることはなく、


この時期はわかりやすく”終戦”という形を


とっているから良い(のかは置いといて)として


昨今のわかりにくい欺かれかたは


何に怒りを持っていけば良いのか。


なんて暗くなるからいったんやめとこう。


敗戦の詔勅を聞いたのは所沢の駅前であった。

母と二人で鎌倉まで荷物をとりに出かけた帰りに西武線が停車し、皆電車から下ろされて駅前の店に集められた。

ラジオから天皇の声が聞こえたが雑音が多くて私にはよく解らなかった。

 

前にいた中年の男性に

「これからどうなるのでしょうか」

と尋ねた。

するとその男性はひと言

「ますます食えなくなるんですよ」

と答えた。

それを聞いて母は

あんなにぞーっとしたことはない

とあとで語っていた。

そうでなくでも戦時中は食うものにはなはだしく事欠いていたから、これからますます食えなくなると聞いて前途に絶望したのだと思う。

実際戦時中よりも敗戦後のほうがはるかに食糧難は厳しかったのである。


牛込にて から抜粋


そうこうしているうちにまた引っ越しをすることなった。


戦後の混乱まだ続いており、母親一人の力では生活が成り立たなかったからである。

母は私たちを預けて自分は働きに出る決心をした。

問題はどこに預けるかである。

母はさまざまな施設を見て歩いた。

その結果無料の施設は母の気に入らず、有料だが、設備その他が良さそうだということで、あるカトリックの施設にゆくことになった。


カトリックの修道院にて から抜粋


教会の敷地の中に掘っ立て小屋があり、そこに一人のおじいさんが住んでいた。

彼は靴の修理をしたり、ちょっとした大工仕事をしたりして生計を立てていたらしい。

住まいは二畳ほどの部屋だけで、きわめて貧しい生活をしていた。

彼はミサに行かなかったし、教会の行事にも参加しなかったから、修道女達から疎まれていた。

私はどういうわけか彼が好きでしばしば彼の小屋を訪ねた。

ゆけば必ず何かのお菓子をくれたからかもしれない。

しかし修道女達は私に彼のところに行ってはいけないと言っていた。

そのおじいさんが亡くなったのである。

その時神父は葬式の説教の中で

「この人は現在は煉獄にいるでしょう」

と語ったのである。

煉獄とは普通の人が死んだ時、全ての罪を償ってはいないから、その償いが済むまでしばらく滞在する場所としてヨーロッパ中世後半の教会によって考え出された場所のことである。

私は神父がおじいさんは煉獄にいると断言したことが気に入らなかった。

そんなことは人間にはわからないのではないかとおもったからである。


この後、蛇の話が出てきてシスターが


悪魔の使いだから殺すように


と言われ違和感を抱くエピソードも。


阿部先生のマインドはカトリック教会で


培われたのが大きいのですね。


 


余談だけど、煉獄って文字は今の子供は


みんな読めるはず。


鬼滅の刃』にその名のキャラがいるってのは


全くどうでもいいことでした。


 


帰京 から抜粋


話はやや先走るが、それから十年以上あとのことである。

私は大学院生として研究生活を送っていた。

もちろん生活が不安定であったから、アルバイトをしなければならず、思い立ってその頃高等学校の校長をしていたこの校長先生を訪ねて、非常勤講師の口の紹介をお願いした。

すると彼は意外なことを言ったのである。

当時私は一橋大学で歴史家の上原専禄先生のゼミナールに入っていた。

上原先生は当時日教組の講師団の一人であった。

校長先生は

「あなたを非常勤講師に紹介することはすぐにでもできますが、その前に上原先生のゼミナールをやめてください」

と言うのである。

それができなければ紹介できないという。

私は呆気にとられたが、すぐに事態を理解し、お礼を言ってその場を去り、以降二度とこの校長と会うことはなかった。

このとき私ははじめて日本的な行動様式に気づいたのである。

この校長は卒業式で西欧的な近代の図式に基づいて告辞を行なった。

西欧近代的な行動様式を中学生に教えたのである。

しかし現実の彼の行動はそのような図式に基づくものではなかった。

彼は日本的な行動様式にのっとって私に忠告したのである。

このときはじめて私は「世間」の存在を予感したのだと思う。


そのころ私の家は大泉学園にあった。

母はそこで中華料理の店を出していた。

私は受験勉強の合間に出前などを手伝っていた。

私が出前を持っていく家の一つに牧野さんという家があった。

いつも注文は焼きそばに決まっていた。

その家には白髪のおばあさんがいてこの人が焼きそばを好んでいるという話だった。

私はいつも縁側から出前を持って入り、直接そのおばあさんに渡していたのだが、ある時その人が有名な牧野富太郎博士だと聞いた。

私はおばあさんだとしか思っていなかったので驚いてしまった。

 

牧野博士とほとんど話をしなかったが、ある時私に学生なのかと聞き、今何を読んでいるのかと質問があった。

博士は何をやるにしても外国語はきちんとたくさん学ぶ必要があるということを何度も繰り返しおっしゃった。

別の機会には厚い紙の間に挟んだ植物の標本を見せていただいた。

残念ながら私は植物学にその頃は関心がなく、牧野博士と話をしながら、何かを学ぶという姿勢がなかった


中華料理の店で私が手伝っていたのはほとんど出前だった。

料理を入れた岡持を持って自転車で運ぶことには慣れたが、客との対応にはなかなか慣れなかった。

 

ある時アメリカ兵が二名店にやってきた。


私が呼ばれて二人の注文を訊いた。

たまねぎの料理が食べたいといっていることは解ったが、どのように調理するのかは解らなかった。

調理人が適当なものを作ったらしい、食べ終わると二人はガソリンが欲しいので案内してくれという。

近所の燃料店に連れていくと、タンクいっぱいのガソリンを入れさせて、今は金がないから後払いに来るという。

店の主人は文句も言わず、言う通りにしてやっていた。

占領軍には逆らえないと思っていたのだろう。

一週間ほどして忘れた頃、二人の米兵がやってきて、先日のガソリン店に行こうという。

一緒に行くとタンクに持ってきたガソリンを店に返したのである。

私も店の主人も米兵が約束を守ったことに感心していた。

ガソリンを返し終わると米兵は私を家まで連れ戻り、そこで帰っていった。

高校一年生の私を彼らはまるで大人として遇していたように思う。

日本人との違いをここでも感じていた


お母様のバイタリティすごいです。


中華料理店かあ。


戦後すぐの日本人はそういう方多かったのだろうな。


今でも本当に生活に困ったら


なんとかして生活の手段を考えるだろうけど


かくいう自分も然りで今があるけど


ここまで過酷じゃないですわな。


過酷を極めている方も多くいると


思いますが…。


 


日教組と先生達の関係っていまだに


なんとなくしか分かってないし


これからもわかる予定ないのだけど


これはひどいよなあ、と。


でも、そのおかげで阿部先生スピリットが


覚醒されたのかもしれないのだけど。


 


牧野富太郎博士といえば、今NHK朝ドラの方


若き日の阿部先生との邂逅があったのですね。


残念ながら早かったとしかいえないけれど。


その和洋の対比として米兵のエピソードを


引いたわけではございません。


単に興味あるものを拾ったらそうなっただけで


深い意図はございませんので。


コミュニケーションができた阿部青年に


対する成果だけで人を見るという姿勢は


今も日本は見習った方が良いという点で。


 


しかしこの本を読んでいると養老先生との


共通点が多く散見されるでございます。


養老先生もそのことを隈研吾さんと


廣瀬通孝さんの対談で指摘されていた。


廣瀬さんというのは東大教授で


生命知能システム研究者とのこと。



日本人はどう死ぬべきか? (新潮文庫)

日本人はどう死ぬべきか? (新潮文庫)

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2022/04/26
  • メディア: 文庫

第五章 日本人とキリスト教的死生観

質実剛健で軍隊式の教育 から抜粋


養老▼

僕は一橋大大学で学長を務められていた阿部謹也さんと、もう少しちゃんと話をしておきたかったと思っているんです。

 

隈▼

阿部先生は2006年に惜しくも亡くなられて。

 

養老▼

なんでかというと、一橋の学長を六年間もされていたから、お忙しかったんですよ。

最近、『近代化と世間』という阿部さんの本を朝日新聞出版が文庫にするというので、解説を書かされたんですね。

それで『阿部謹也自伝』を読み直してびっくりしたんですが、彼は鎌倉のご出身で、僕より二つ上なんです。

 

廣瀬▼

そうなんですか。

 

養老▼

僕は昭和17年に親父を亡くしているんですが、阿部さんも戦争中に父上を亡くされている。

母親に育てられたというところが、まず同じなんです。

 

廣瀬▼

しかも鎌倉という同じ場所で。

 

養老▼

あのころ、駅前に明治製菓の店があって、そこで最後に食えたメニューが焼きリンゴだったんですよ。

何しろ、ほかに何もない時代でしょう。

その焼きリンゴがうまかった、という話が自伝には書いてあって、僕と同じ思い出が残っているの。

 

隈▼

阿部先生の「日本には『世間』は存在しても『社会』は存在しない」という問題意識から、日本世間学会が生まれましたよね。

 

養老▼

僕も世間とはどういうものか、という問題を別の方から考えていた。

そのことも、まったく相通じるんですよ。

さらに、彼は中学生の時にドイツ系の修道院の寄宿舎に入っているんですよ。

そもそも司教さんになりたかった方なんですね。


お二人の深い対談を、マジ読んでみたかったよー。


二、三冊は出せたよ、この二人の知の巨人なら。


和洋の違いを中心として中世と近代の話から


ユニークで洒脱な雑談も含めて。


 


話を阿部先生の書にフォーカスし直して


興味深くて発見が多い。


小さい頃から金持ちでエリート道を


約束されていた人たちとは明らかに異なる。


貧しくて、でも勉強はされてて


身体壊して入院して退院して勉強続けて


その時期惹かれる人とつるんでたら


それが間接的な理由でなかなか就職できないとか。


書籍全体にうっすらと漂うソフトでマイルドな感じ


幼少の心の残っている人なのだなあと。


 


普通は大人になるとそういうのって


良い悪いでなく、無くなってしまって


大人になりきるのが主流と思うし


権威ある職域におられる人だったら


ふんぞりかえってナンボ的な所あるものだけど


少し変わった人なのだなあ、と。


 


同時に自分もそういう要素少し残っていて


残念ながら権威は全くないのだけど


性質的に似ているから気になるのか、と


いつものどうにもならない分析みたいのを


しながら拝読させていただいておりますが


休日のためそろそろトイレ掃除をしてきます。


雨の関東地方、梅雨も近いのかなてなことを


思っております。


 


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2冊から養老先生の読書→人生を参照・考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

バカの壁』以前の養老先生の書を


読み続けて、さらに先生が


教員時代から退官後数年の


狭間の書を読んでみた。



本が虫: 本の解剖学 2

本が虫: 本の解剖学 2

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 法蔵館
  • 発売日: 1994/12/10
  • メディア: 単行本


 


 


IV ふたたび本の読み方 から抜粋


本を読むのは楽しいが、生産的ではない。

学問上の恩師には、太陽の光で本を読むなと教えられた

ローソクやホタルの光で読め、というわけではない。

日中は体を動かして働けというのである。

これも拳拳服膺(けんけんふくよう)したことはないが、太陽の光で本を読むと、いまでもすこしうしろめたい。

もっとも、恩師にしてもこれをそのまた恩師に言われたらしい。


本の読み方にもいろいろある。私の場合には以下の通りである。

いちばん丁寧に読むのは、外国語の本を翻訳する場合。

外国語で書かれたものは頭に入りにくいから、丁寧に読むなら翻訳するのが結局早い。

さもないと、本人は読破したつもりでも、内容を正確に覚えていない。

わかるようにしか読んでいないらしい。

仕事関係のものは翻訳しても出版するとは限らない。

日本語にするまでにはずいぶん丁寧に読む。

中味をひとりでに覚える。

それをねらう。


粗密がひどいのが、書評のために読む場合

必要なところは丁寧に読まないと、誤読して恥をかく

面倒なところはとばさないと期限に間に合わない

こういう読み方は好きではない。

読まなくてはならないと思うと、面白い本もつまらなくなる

本は楽しみに読むのがいちばんいい。

寝ころんで好きな本を読む。

読み終わるまで仕事は一切お断り。

途中で電話がかかるとむやみに腹が立つ。


わかります。


しかし微妙なのはこのブログ。


読まないと投稿できない。


なので読むという義務が発生。


楽しみが若干減る。


しかし量はおかげで増える。


薄いけれど増える。


増える中から吟味して掘る。


結果オーライと言えなくもない。


話を読んだ書籍に戻しませう。


この書は、フォーマットが同じ装丁の



脳が読む: 本の解剖学 1

脳が読む: 本の解剖学 1

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 法蔵館
  • 発売日: 1994/12/10
  • メディア: 単行本

と双子のような存在、


あとがきが同日に書かれている。


この頃は養老先生、人生の過渡期というか


東大の教授を辞するタイミングで


論文や教育現場から、北里大学を経由して


ヤクザな世界、作家への道へ入るところ。


 


上の2冊は主に書評・読書がテーマだったが


同時期に書かれて、解剖学を主軸とした


哲学随筆ともいうべき書で、途中


「ドラゴンボール」の42巻まで引き合いに出される。


(第III章 型・身体と表現「修行ー道ー型」


2 現代の親鸞の最後あたり)


 


一般のフィールドでの活動を


学内同僚、生徒からも嫌味を言われてきたことも


辞する要因となったのだろうけれど


退官は結局はご自分で判断されたことで


より多くの一般性を獲得し、あえて軽くいうと


”フォロワー”を作ったことは日本社会にとって


思いっきり有意義だと自分は思う。


って自分なぞに思われても、事実


なんの得にもなりませんけど。


でも自分は先生から本当に多くのことを教わった


不祥ながら弟子のようなものでございまして。



臨床哲学

臨床哲学

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 哲学書房
  • 発売日: 1997/04/01
  • メディア: 単行本

 


あとがき から抜粋


この10年、個人的にはさまざまなことがあった

考える内容も変わってきたと思う。

解剖学を定年にしたので、第V章のような主題を直接扱うのは、この本がほとんど最後になるかもしれない。

興味が失せたわけではないが、状況がもはや許さない

数十年頑張ってきたものを扱わないのは寂しい気もするが、年齢もある

あとは解剖学の方法論を発展させるしかないのである。


この書を書かれていた10年の間に


先生は東大教授を退官される。


長くいた共同体や価値観から抜け出すってのは


苦しみを伴うですよ。


真面目な性格であればあるほど。


ここは自分もなんとなく会社員を


長くやってたのでわかるような。


年齢や価値観がその共同体に


合わなくなっていることを実感。


不安もあるけど次のステップへ、


どんな世界へなのかわからないけれど


今までの経験を発展させるしかない。


辞めてみると空が青く感じたってのは


なんとなくわかる気がするなあと。


最近は社会的な主題をよく扱う。

専門を離れてみると、いわば世間のフリーターになっていることに気づく。

だから世間と距離ができる分だけ、考えやすいらしい。

特定分野の前提を、あれこれ外から問いただしても、誰も気にしない。

こういうところは、気楽でいい

専門分野の中にいて、その分野の前提を問題にすると、嫌われる。

専門家は素人よりは遠くへ歩いていった人である

それにもとへ戻りにくくなっている。

それがむしろ専門家の定義であろう。


私はもともと専門家になれる性質ではない。

なれるとしたら、とうになっていたはずである。

それならなにをしてきたかというと、やはり臨床哲学であろう。

哲学はものを考えることだと思うが、私はそれを、そのときどきの状況に応じてやってきただけである。

だから体系もなかったし、なんの専門家にもなれなかった。

自分の考えの体系は、これからまとめてみようと思っている。

それは別に大げさなことではない

自分で矛盾がないと思われる体系を、自分で基礎だと思うことから、組み立てればいいからである。

私はそれを勝手に「人間学」と呼んでいる


どの国の人であろうが、年齢がどうだろうが、人は人である。

しかも世界は人が認識するものに決まっている。

それなら人というものは、万物の普遍的な尺度に使えるはずである。

しかも人ははなはだ具体的で、解剖学のように「物質的に」計画することすらできる

その意味では、人は理想的なモノサシであろう。

私の考えは結局はそこに収斂した。

だから「人間」学なのである


人という尺度は、脳と身体でできている。

脳は意識を与え、その意識がさまざまな表現を生み出す。

いまの人はその表現のなかに溺れて、しばしば自分の居場所すらわからなくなっている。

脳のなかを泳いでいるのである。

そのプールの大きさを測るのが脳の科学であろう。

脳科学自体が溺れてしまうと思う人もいるだろうが、こればかりはやってみないとわからない。


その点、身体という尺度は、間違いようがない。

そのかわりどうにもならない面を持っている。

身体は完全に意識化できないからである。

表現のためには身体が必要だが、その身体が完全な意識にはならないということが、人間のアポリアである。

身体のほうは、詰めるところまで、意識で詰めてみるしか仕方がない。

日本の伝統・文化という「表現」のなかでは、それが型の問題になっている。


右のような考えを導いてくる過程が、ここに載せた文章に表れているはずである。

もう自分の考えが正しいとか、正しくないということではなくなっている。

自分のなかで全体の整合性を作り上げるのに、おそらく一生かかるであろう。

それはそれで、自分としては大きな楽しみなのである。

1997年3月 養老孟司


「人間学」は「人生哲学」とニアリーイコールかと。


「経験値」とも同義かと。ちと雑だけど。


 


安定しているはずの東大教員生活から


その後別の大学を経由してから


不安定なアウトローな生活になっても


このポジティブさは先生をものすごく


象徴されている。


昔から先生は先生だった


退官されたのは95年、57歳の時。


57までいったら、そっちは選ばないでしょう普通


っていうのは、もちろんあっただろうけれど


こういうのって本人じゃないと、いや


本人にもよくわからない流れってのがあるように


自分の経験から思う。


先生の場合いきなりフリー一本てことでは


なかったようだけど


それでもなかなか勇気いるだろうなと。


ご家族は心配されたか、諦めてたかもしれないけど


何言っても聞かんわ、うちのパパは、みたいな。


思いっきり余談だけど、この書の”著者紹介”が


他の書と異なるのをそこはかとなく感じる。


自分も会社員時代、売り込みの資料を作ったり


転職時就活してたからなんとなく分かるのだけど


これからの先生の生活に向けての


ステートメントのようにも受け取れるのは気のせいか。


これ、ご自分で書いてるでしょ?


『臨床哲学』の著者紹介 から抜粋


1937年鎌倉に生まれる。

62年東京大学医学部を卒業の後東京大学医学部教授をつとめ95年に退官の後は北里大学教授。

そのまなざしは二つの情報系、遺伝子系(ゲノム)と神経系(脳)とが直交する領域に注がれ、構造(たとえば脳)と機能(たとえば心)との相即を解きほぐす。

その思考はあるいは唯脳論に、また身体論、型論に結実する。

数学と並んで脳自体の法則を記述する哲学にも関心は及ばざるを得ない。

『脳の中の過程』(哲学書房、86)、『唯脳論』(青土社、89)、から最近の『日本人の身体観の歴史』(法蔵館、96)、『身体の文学史』(新潮社、97)まで著書は数十を数える。


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2冊から養老先生の読書っぷりを垣間見る [’23年以前の”新旧の価値観”]

養老先生の昔の書、


つまり『バカの壁』以前は


自分だけかもしれないけれど


情報量が詰まっているような、


さらに僭越ながらも


ブレイク前の発信者の何かを感じさせる


気もするので最近よく拝読させて


いただいている次第です。


脳の中の過程―解剖の眼

脳の中の過程―解剖の眼

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 哲学書房
  • 発売日: 1986/10/01
  • メディア: ハードカバー

読書余論 から抜粋

考えてみれば、私は図書館は苦手である。

論文、総説の類を書くときに、止むを得ずに利用する。

行くのが億劫である。行けば、帰るのが面倒臭い。

本は年中読む。

通勤の電車が東京まで1時間かかるので、本が無いと電車に乗れない。

30年通っているから、いまさら景色を見てもはじまらない。

読むものがないと死にそうになる。

家でも読む。

便所も風呂場もない。

熱い風呂は苦手である。

本を読んでいると、湯あたりする。

半分、風呂の蓋をして、本と乾いたタオルを載せる。

手が濡れていると、本が濡れる。

蓋も拭いておかないと不可ない。

歩行中に読むのは、小さい時から慣れている。

本の上縁から、目の前の路面だけは見える。

遠くのものは目に入らないから、人が大勢歩いているところでは、やらぬほうがいい。

ただし、当方が本を読みながら歩いていても、相手はたいてい読んでいない。

だから向こうでよけてくれる。

ただし、あてにならない。

相手が急いでいると、よくぶつかることがある。


暗い所は禁物である。

街灯の下を選んで歩かないと、活字が見えない。

街灯はふつう定間隔を置いて並んでいるが、街灯と街頭の間は、明るさが一様でない。

本を読みながら歩いたら、すぐにわかる。

すこし街灯から離れると、暗くて字が読めなくなる。

最近、老眼が進んだから、暗いと眼鏡を外す必要がある。

眼鏡を外して、暗い所を歩いたのでは、たいへん危ない。


こまるのは、大きい本である。重い。疲れる。

それに、重い本は、うっかりすると風呂に落ちる。

場所を取るので、電車では隣の迷惑にもなる。

こういうものは、コピーをとって部分的に読む。

自分の所有本ならバラす。

分解して、文字通り読破する。

図書館の本は、こういう取り扱いに向かない。

公共のものを、読破しては不可ない。

本を人に借りるのも、好まない。

借りたら、貰ったことにする。

扱いが悪いから、読むと原型が崩れる。

崩れると、借りた本は別なものになる。

他人から借りて、別なものを返してはいけない。

だから、返さない。


和綴の本はなかなかよろしい。

東京大学の初代解剖学教授、田口和美の解剖の教科書は、まだ和綴である。

サイズも小さい。

そのかわり冊数が多い。

15冊分ある。

要るところだけ持って歩けばいい。

和綴の本を持つと、文化の柔らかみを感じる。軽いのもいい。

西洋の本は、それに反してむやみに堅い。

なぜハードカバーが高価なのか、あれがわからない。

多分、立派な机に本を置いて読むのであろう。

こちらは満員電車や風呂場である。

ペーパーバックなら読んであげてもいい。

こういうことが、貿易摩擦の遠因になるかもしれない。


面白いです!リズムが楽しい。


筆致が瑞々しいような若さかと。


当時は49歳!東大医学部教授時代。


漢字の使い方も今と異なる。


ここでは漢数字は半角数字に変えちゃったけど。


ご自分で書いてるね、これは。


手書きでなくパソコン、いや


ワープロかもだけど。


時代を感じます。


書物を読みながら、引用のために、必要な頁に紙をはさむ。

挟みすぎると、必要なところが、またどこかわからなくなる。

最近できた手持ちコピー器、コピージャックが、その点便利である。

図書館は、あれを備えて、閲覧者に貸し出すといい。

本に線を引く奴がいなくなると思う。


文献表のコピーもいい。

文献のデータは、写し間違えると、事面倒である。

文献表を全部写す必要はふつう無い。

その点コピージャックなら問題がない。

もっとも、もう少し待つともっと安くてよい機械ができるかもしれない。

コピーができた時は、便利なものができたと思ったが、どんどん慣れた。

いまでは、コピーするのが面倒臭い。

便利さへの馴化(じゅんか)は、きわめて早い。

それを思うと、図書館で閲覧者の便宜をはかったところで、イタチごっこという気がしないでもない。


生理学に、ウェーバー・フェヒナーの法則というのがあった。

あったような気がする。

刺激の量と反応の間には、対数関係がある。

便利という刺激を加えても、ありがたいと思う反応はどんどん鈍くなる。

百倍便利にして、やっと二倍ありがたいと思う。

それも、数年すれば、当然の扱いということになる。

動物が、もともと忘恩の徒(ぼうおんのと)だということは、生理学の法則から証明できる。


読んだものは、どこに行くのか。

長年不思議で仕様がない。

脳にインプットしているはずだと思うのに、アプトプットがほとんど無い。

なんだかごまかされたような気がする。

もっとも、若い時に同じ実験をしていないから、対照がない。

そう思って、自分を慰める。


覚えるのも不思議だが、忘れるのがもっと不思議である。

記憶という機能が説明できる説があれば、それは、忘れる方も十分説明可能でないといけない。

仕事の上でなにか思いついても、近頃は自分のアイディアかどうか、自信が持てない。

人に聞いたか、読んだかしたのだが、そのこと自体を忘れているのではなかろうか。

いったん疑い出すと、そうに違いないような気もする。

自分の意見を疑わずに持っている人を見ると、うらやましい。

私の意見は、自分の意見か、他人の意見か。

そこがどうもはっきりしない。

一応自分のものだと仮定するが、きちんと調べると、どこかで読んだものだとわかるかもしれない。

あまり本を読むと、馬鹿になるという話は、何度か読んだ。

しかし、読むというのは一種の中毒だから、どうにもならない。

もう完全に馬鹿になったと思う。

馬鹿になってしまえば、こっちのものである。

あとの始末は、利口な人に、考えてもらうことにしようと思う。


口述筆記で編集者の手の入っていると思われる


昨今のものとは明らかに違うリズムを感じる。


(これ、悪口ではないですよ念のため。


編集者さんの努力あればこそって思うし


実際書いておられるのもあるしで)


 


この書には養老先生マニアには有名かもだが


「馬鹿の壁」という言葉も出てくる。


(『形を読む』が先なのか)


初出から36年経過か。


 


さらに、養老先生のお弟子さんの書、


先生は時間さえあれば本を読んでいたという


貴重な愛弟子さんの証言。



養老孟司入門 ――脳・からだ・ヒトを解剖する (ちくま新書)

養老孟司入門 ――脳・からだ・ヒトを解剖する (ちくま新書)

  • 作者: 布施 英利
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2021/03/08
  • メディア: 新書

序章から抜粋

ある日、大学のトイレで用を出していた。

医学部本館にあるトイレの窓からは、銀杏並木が見える。

自分が景色を眺めてジャーッとやっていると、誰かが横に立つ。

見ると養老先生が。

挨拶しようとしたが、やめた。

片手に本を持って、用を足している

その集中した姿に、話しかけてはまずい、と思った。

殺気すら感じた

養老先生は、自分(つまり布施)がいることに気がつかなかったかのように、用が済むと、本を読みながらトイレを出て行った。


これには先生の別の随筆にもあったのだけど


人に話しかけてほしくないから読むのが


要因のひとつで


現代人はそれがスマホなのだろう


という考察がどこかに書かれてたなあと。


 


自分も真似したいです、いやその理由は


知識のアーカイブや


ノンバーバルなメッセージっていう


憧憬の人をなぞるということでなくて


未読本の消化のためにってことで、


なんて利己的なだけっていう事を


思った休日、早く食事して家の掃除をしないと。


 


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柳澤先生ご夫婦の書籍から人格形成を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

シンプルで美しい装丁に惹かれて購入、


寝る前に拝読し、


本当に豊穣な時間でございましたよ。



生命の秘密 (グーテンベルクの森)

生命の秘密 (グーテンベルクの森)

  • 作者: 柳澤 桂子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2003/09/27
  • メディア: 単行本

5 専業主婦

レイチェル・カーソン『沈黙の春』から抜粋


この時期に読んだ本のなかで特筆しなければならないのは、レイチェル・カーソンの『生と死の妙薬』(新潮社、1964年、のちに『沈黙の春』と改題)でる。

書き出しから詩的で、しかも私たちの運命を予言していて、すばらしかった。

内容はかなりむずかしく、化学の知識がないと読みにくいのではないかと思った。

水も漏らさない論理の進め方、説得力のある推理など、私が『キューリー夫人伝』の次に感動した本である。

DDTが突然変異を起こすという箇所は私は疑問を持ったが、大筋において、これはすごい本だと思った。


子供というのは、生まれたときは手がかかるが、人生全体を通してみると、それはほんの短い期間である。

やがて下の子が幼稚園の年長組となり、誰か留守番と家事をしてくれる人を頼めば、私も外へ出られるようになった。

それに私は、専業主婦としては落ちこぼれであった。

毎日くりかえす単調な仕事に耐えられなかったのである。

これは家事が単調というのではなく、私のやり方が単調だったということで、家事自体には、変化もあり、おもしろいこと、打ちこめることがたくさんある。

現にそれを楽しんで生きている人もたくさんいるのである。


6 研究者として から抜粋


ちょうど運良く、

「三菱化成で東京の研究所を建てるのでこないか」

と慶應大学時代の上司であった三宅端(ただし)先生が声をかけてくださった。

その研究所はは私の家から車で30分くらいのところにあり、何でも好きなことをしてよいという。

私はまだ迷っていたが、専業主婦は私には向かないことがわかってきていたので、思い切って採用試験を受けてみることにした。


採用試験で社長をノックアウト 


から抜粋


この選択はまちがっていないかと、試験が始まっても悩み続けた。

入社試験の社長面接がおかしかった。

名前を呼ばれてなかに入ると、10人ぐらいのお年寄りが並んで座っていた。

私はその前に座らされた。

社長が真ん中らしいので、私は社長のまん前であった。社長がます口を開いて、

お母ちゃんはねえ、家でまんま炊いているのが一番幸せなんだよ

と言った。

そのときになっても、自分の選択が正しいかどうか迷っていた私から、自分でも思わないことが口をついて出た。

母親が働く姿を子供に見せることはいけないことでしょうか

自分でも驚くほど落ち着いた静かな声だった。

その瞬間に社長は、机の上に手を伸ばして倒れ伏した

起きあがる気配はない。

両側の副社長が、社長の肩に手を置いて、

「社長、私たちはもう古いんでしょうか」

「私たちがまちがっているのでしょうか」

と聞いている。

社長はノックアウトされたままなので、人事課の人が私に外に出てもいいと合図をした。

それでも私は合格になった。

試験に合格してしまったので、いかざるを得なくなった。


すごいエピソードだなあ。


ここからまた研究者として勤務され成果を


上げながらも体調を崩し休職、退職となり


生きるとは何か、まで考えざるを得なくなる


柳澤先生の長い旅が始まる。


まだ男女雇用機会均等法が始まる前か?


面接の社長の言葉も驚愕の野蛮さだけど


それを冷静に切り返す柳澤先生もすごい。


そして合格を出す会社も偉いというか


すごいというか。


当時のお偉いさんたちも


結果的に現実を真摯に受け止めたといえる


姿勢は知性が高い対応だなあと言わざるを得ない。


昨今でも、知性が低いお偉いさんたちって


多そうだものねえ、って


批判じゃないですよこれ、


経験からのファクトですので。


10 私の本の読み方 から抜粋


線を引き、付箋を貼るーーー精読型

私は、「たくさん本を読んでいますね」とよく言われる。

しかし、私はいつも読書量が足りないという劣等感をもっている。

今回、こうして私の読書について振り返ってみると、私は精読型であることがわかった。

読んだ本はどれも汚く、線を引いたり付箋を貼ったりしてあって、ひとさまに見せられないようなものになってしまう。

付箋はいろいろな色の「ポスト・イット」を使う。

線はシャープペンシルで引く。

 


凝り性で問題指向型


このところ必要に迫られて本を読むばかりで、楽しむために読む時間がないので残念に思う。

けれども、20代、30代のような旺盛な読書欲はない。

読むものの質も変わってきている。若い頃のように恋愛小説のページを繰るのももどかしいということはなくなった。

静かな本ーーーメイ・サートンのものなどが気に入っている。(『ミセス・スティーヴンズは人魚の歌を聞く』(1993年)『今かくあれども』(1995年)など)

また、私が本を読むときは、問題解決に向けて読んでいることが多いのにも気がついた。

したがって、一つの問題にたくさんの本がある。

一つの問題に関して、徹底的に読まないと気がすまない。

ときには、翻訳の本ではよくわからないので、原書を取り寄せたりする。

凝り性である。

だからたくさんは読めない。

問題指向型だからといって、その他の本を読まないかというと、そういうことはなく、小説も読む。

かつては、一人の作家のものを読み出したら、手に入るもの全てを読まないと気がすまなかった。

ここでも凝り性があらわれている。


途中で読むのをやめるとき から抜粋


けれども次第に時間が限られてきて、そんな贅沢はしていられなくなった。

あとどれだけ生きるか知らないが、この地球上にある優れた本をほとんど読まないで死んでしまうのが心から残念である。

かつては、できるだけ活字が小さくて、重い本を買うと得をした気分になって、隅から隅まで読んでいた。

しかし、この頃は、時間の方が貴重になって、読み始めてつまらない本だと思うと、高い本でも読むのをやめてしまう。

若い頃には考えられなかったことである。

一方、非常におもしろい本でも、その人のいわんとすることが分かったら、さっさとそこでやめてしまうことがある。

どなたが言われたか忘れたが、「刀の振り方さえ分かればよい」のである。

時間との競争である。

それでいて、年をとると、ぼーっとしている時間が必要になる。

神経が疲れるのであろうか。

最近、読書の速度が落ちたと思う。

集中力も減った。

一番早く読め、吸収もできたのは、20代、30代であった。

まだ若いみなさんは、その能力がいつまでも続くとは思わないで、時間をたいせつにしていただきたいと願う。

本の世界とは何と広く深いのであろう。

私は、今は外出できなくなってしまったが、かつては、本屋さんへ行くのが大好きだった。

本屋さんの入り口に立って、中から匂ってくるあの紙の匂いが何とも言えない。

おいしいごちそうを前にしたときのような至福の時間である。


柳澤先生の読書術を拝見すると


自分も納得してしまうこと多かった。


本屋さん好きってのも同じだなあと。


 


あとがき から抜粋


人間の人格は遺伝子と環境できまる

読書は環境の大きな要因である。

文章を読むごとに脳のなかに新しい神経回路ができるはずである。

その回路の密度は、その人の読書量や読み方によって変わってくるであろう。

もちろんできる回路も人によってちがう。

私は研究者であった頃、よく論文を読んだ。

そして、

「論文の読み方は個性的でなければならない」

というのが私の持論であった。

自分が何を研究し、どのような問題を解こうとしているかということによって、論文の読み方の視点が違うはずである。

私はマウスの発生遺伝学を研究していたが、読む論文は、マウスを材料にしたものにかぎらず、細菌からショウジョウバエや線虫まで、いろいろな材料をあつかった論文を読んだ。

また発生学や遺伝学ばかりでなく、生態学の論文などのタイトルだけでも読むようにしていた。

こうした材料がたくさんあると、アリエティのいう三次過程への超越が起こって、新しい発見につながるのである。

よい発見のためにはよい論文からの知識が多い方がよい。


一般の読書についても同じことがいえるのではなかろうか。

個性的な読書は個性的な精神を生む。

時代は個性的な人間を要求している。

そのような意味で、個性的な読書をしたいと願っている。

遺伝子を縦糸とすると、環境は横糸である。

そこに織りあげられる布は遺伝子の経糸と環境の横糸が混じり合って美しい色になるであろう。


出来上がった布の善し悪しより、布を織る過程が楽しいのだ。

「なぜだろう」と思う。

本を検索する。

自分の納得のいくまで本を漁る。

そして、

「これだ」

と思う答えにいきつけたときの喜びは実験における発見とおなじ喜びをもたらしてくれる。

三次過程への超越である。

このようにして精神は成長していく。


いつもながら深くて素敵でございます。


人格は遺伝子と環境、ということで


看過できない題名の書籍でもあり、


興味があったもので


ご主人の書籍も拝読。



利他的な遺伝子 ──ヒトにモラルはあるか (筑摩選書)

利他的な遺伝子 ──ヒトにモラルはあるか (筑摩選書)

  • 作者: 柳澤嘉一郎
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2019/02/01
  • メディア: Kindle版

第一章 人の性格を読む

性格は顔では読めない


以前、ニューヨークに住んでいたとき、ビザの延長や税金の申告などで、しばしば役所に出向くことがった。

これが実に気が重い。

役所のホールに入ると、そこには受付机が並べてあって。何人もの担当者が座っている。

そしてその前には、ビザの延長申請類をもった人たちが列を作っている。

私はまず、担当者の顔をひと渡り見渡して、私の下手な英語でも辛抱強く聞いてくれそうな人、親切そうな人を探す。

そして、この人ならとあたりをつけたら、多少その前の列が長くても、その後ろにつく。

ところが、その顔判断が当たらないのだ。


人の性格判断は、相手と時間をかけてゆっくり付き合い理解していけば、そう難しいことではない。

だが、初対面で、相手の性格を読まざるをえないときもある。

そんなとき、人はどうするのだろう。

多分、顔や態度で判断しても当たらない、と思いながら、多くの人はそうしているのに違いない。

私が今も不思議に思うのは、人の顔には、誰が見ても善人そうに見える顔と、悪人風の顔があることだ。

しかも、その評価の基準が世界的に共通していることである。

これは外国映画を見ているとよくわかる。


ただ、映画通の友人に言わせると

悪役に悪人なし」だそうである。


第八章 利他性はどこからくるか


ヒトは利他的である から抜粋


市場資本主義の中心といわれるウォール街では、

「他人のことは構わずに、ひたすら自分の利益だけを追求すれば経済は、自然にもっと望ましい状態となる」

と言い、そんな自分たちを正当化するために

ヒトが利己的なのは科学で証明されている

と主張する。

本当だろうか


科学のために弁明すれば、科学はヒトが利己的なことなど証明していない。

たしかに、生態行動学者たちは

「動物の行動はすべて利己的である」

といっている。

だがそれは、だからヒトの行動もまた利己的であるといっているわけではないし、そんなことを証明してもいない。

彼らが動物の行動はすべて利己的であるというのは、彼らの研究の中でも考え方であって、私たち世間の話ではない。


なぜかというと、まず、研究者たちのいうところの

「利己的」「利他的」

という言葉は、私たちが日常使う利己的な、利他的という言葉とは、その意味も内容も違うからである。

彼らのいう利己的、利他的は学術用語であって、利他的とは

「自分の生存や繁殖を他のものより高めること」

であり、利他的とは

「自分の生存や繁殖を犠牲にして、他のものの生存や繁殖を高めること」

である。そう定義されているのだ。

一方、私たちのいう利己的は、自分の利益だけを追求して、他人をかえりみないことであり、利他的とは他人のために、利益になることをしてやることだ。

研究者たちのいう利己的、利他的は、思いやりの有無などではなく、生存繁殖率の高さや低さを指しているのである。

さらに、動物の行動はすべて利己的であるという彼らの言葉は、彼らが研究対象とする社会性昆虫、アリやハチなどの利他行動を、進化論との関連から考えて、その説明のために得られた結論で、ヒトの社会を対象にした研究結果からではない。


社会性昆虫の世界から目をうつして、動物たちの行動を広く見ていると、親ネコが子ネコを救うような、同じ遺伝子を共有するもの同士だけでなく、共有しない仲間同士でも互いに助け合っている。

この現象を、研究者たちはどう説明するのだろうか。

彼らはそこで互恵的利他行動という概念を導入した(Robert Trivers,1971)。

それは、動物たちは利己行動だけでなく利他行動もするが、それは一方的な助けではなく、互恵的な助け合いである、というものだ。

お前を助けてやるから、お前も俺を助けてくれという、お互いにとって利益のある助け合いだから、進化の過程で淘汰されることはないだろう。

そんなわけで、研究者たちは、動物たちには利他行動は見られるが、それは見返りを求めていて、見返りのない利他行動はしないのだという

しかし、ほんとうにそうだろうか

私がみるかぎり、動物にも、見返りを求めない利他行動があると思われる。

同じ仲間同士ではない、種の異なるもの同士では、見返りは求められていないだろう。

たとえば、空堀に落ちた少女を助けたゴリラや、見知らぬ観光客を背に乗せて走ったゾウが、見返りを求めていたとは思えない。

そのゴリラやゾウは、毎日やってくる動物園の観客や観光客たちに、仲間のような親しみを覚えていた、ということはあるかもしれない。

観客や観光客を自分がもらえる餌と関係があると、感じていたかもしれない。

けれども、それだけのことで、見返りを求めていなかっただろう。

見返りを求めない利他行動はあるのである。


第九章 利他的な遺伝子


利己から利他へ から抜粋


子供たちの行動はすべて、遺伝と環境(教育)の掛け算的な結果から生じてくる

掛け算的というのは、その一方が欠ければ、結果は何も生じてこないということである。

子供が、どんなに優れた知能や深い思いやりをもって生まれてきても、教える環境が劣悪なら、良い結果は決して期待できない。

すべての知識と同じように、社会のルール、道徳や倫理もまた、年長者が教えてはじめて、年少者は知ることになる。

もし、この教育がしっかりとなされないなら、社会はまともに存続しないだろう。


では、それぞれの社会に特有な慣習、規範は除き、どこの社会にも共通して存在する道徳的規範のなかで、最も肝心なもの、最初に教えるべきものは何だろうか。

それは「公正さ」「思いやり(利他的)」である。

社会に共通する道徳的規範には、大切なものがたくさんあるが、「思いやり」もそれほど大事だろうか、という人もいることだろう。

だがこれは、古来、人が守るべき、もっとも重要な徳目とされてきたものだ。

孔子はそれを「仁」という言葉で表し、釈迦は「慈愛」という言葉で、キリストは「愛」という言葉で、それぞれ、その大切さを説いた。

「思いやり」は徳である。

人徳のある人、人格者とよばれる人はみな、「思いやり」のある人である。

私たち大人は、この二つの道徳規範を、これから社会を担っていく子供たちにまず一生懸命、教えるべきである。


大乗仏教では、困っている人や苦しんでいる人たちを助けることだけでなく、人を教え導くこともまた、大切な利己的な行為だと説く。

後進に道を教え、後進を導くこと(教育)自体が利他的な行為なのである。


書籍タイトルはあきらかに


ドーキンスを意識されている。


内容も挑戦的で、アメリカを知っていて


生物学者の著者ならでは。


自分はドーキンスも全部は読んでないけど


どちらかといえば好きだし、


他学者先生の書も好きで混乱してくる所も


なくもないけれど、そこはライトに考え


今は読書って素晴らしいなあ、とか


子供や若い人も読んでほしいなこれとか


自分も意識したいなあとか


思っているところでございまして


妻も仕事がない日だったので二人で


中華ランチを楽しみつつ、


昨今地震が多いので心配な


今日この頃だったりします。


 


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2冊の虹のエピソードから日高先生を想う [’23年以前の”新旧の価値観”]

動物の言い分 人間の言い分 (角川oneテーマ21)


動物の言い分 人間の言い分 (角川oneテーマ21)

  • 作者: 日高 敏隆
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2015/03/10
  • メディア: Kindle版

 


まえがき から抜粋


世の中にびっくりすることはいろいろあるが、もうずいぶん昔、あるオランダ人と虹の話をした時の驚きを、ぼくは今もよく憶えている。

「虹は七色だから…」とぼくが言ったら、その人は「え?虹は五色でしょ?」というのである。

ぼくはすぐに答えた。

「いや、七色ですよ。赤(せき)、橙(とう)、黄(こう)、緑(りょく)、青(せい)、藍(らん・あい)、菫(きん・すみれ)、これで七色でしょ」。

すると彼はいった。

「赤、オレンジ、黄、緑、青。これだけですよ」

「じゃあ、あいやすみれ色は?」

「それは青が濃いだけです」。

つまり、オランダでは虹は五色だというのである。

考えてみれば、光の色なんて連続したものだ。

どこで区分けするかはこちらの概念の問題である。

日本ではそこに七つの色を分けて見、オランダではあいもすみれ色も青に含めて五つに区分けしているだけのことなのだ。

それ以来ぼくは、ものの分け方とか区別とか、名前のつけ方とか、要するに人間があるものにどのような概念を与えるか、その根本にある論理はどういうものか、ということにますます興味を感じるようになった。


そのつもりで動物のことを見ているとじつにおもしろい。

たとえば人々はサケ(鮭)とマス(鱒)を区別する。

だがいろいろ調べてみると、そんなはっきりした区別はないのである。


ハリネズミはネズミではない。

ネズミとは全然ちがう食虫類という仲間である。

ネズミとは生き方の論理がまったくちがう動物である。

しかし人間は、ハリネズミはネズミの一種だと思っている。

ネズミのくせにミミズを食う、おかしなやつだと思っている。


こういう論理とか概念とかいう観点から動物を見たらどういうことになるか、それを試してみることにした。

やってみるとなかなかおもしろい。

それぞれの動物はそれぞれの論理で生きていて、その論理はしっかりしている。

それと対照的に、人間の論理はかなりあやしげなところもあることがよくわかった。

2001年春 日高敏隆


動物と人間


キリンの由来 から抜粋


進化論で有名なフランスのラマルクは、ダーウィンより早く「進化」という概念を抱いていたが、その進化のおこる理由をキリンの首を例にとって説明したので、キリンは進化論とは切っても切れないものとなった。

今さら詳しく説明するまでもないが、キリンは高い梢(こずえ)の先の木の葉を食べようとして、たえず首を高く伸ばしていたので、だんだん首が長くなっていき、それが子どもにも遺伝して、あのように長く進化したのであるという

ラマルクのこの論法は、どことなく一般の人々を納得させるところがあるので、いまだに人々の心にとりついている

これに対して、キリンには首の少し長いものも少し短いものもおり、長いもののほうがよりよく食物にありつき、より多く子孫を残していっただろうから、しだいに首の長いキリンが増えていったのだとするダーウィンの説は、今一つ分かりにくいものであった。


現在ではラマルクの説はいろいろな生物学的理由から完全に否定され、ダーウィンの説の方が妥当なものと考えられている。

それは、ある変化が、ある目的や意図によっておこるのか、それとも単に偶然の結果としておこるのかという、人間の相反する考えの闘いでもあった。


それが意図であったか偶然であったか知らないが、とにかくキリンは実在している。

そればかりか、キリンよりずっと背の低い、しかし体形はキリンとよく似たオカピという動物も実在している。


われわれ人間のさまざまな想像力をかきたててきたキリンの優美でふしぎな姿も、結局は偶然の産物であり、それがその住んでいる場所において、うまく生きていけるか、そして子孫を残していけるかという自然淘汰の中で生き残ってきたということに過ぎない

けれどだからといって、キリンに対してわれわれが感じるふしぎさが、いささかも減じることはないのがふしぎである。


人間の論理


人魚幻想 から抜粋


人魚はずいぶんあちこちにいたらしい。

古いところでは紀元前八世紀のものと思われる半人魚の神、オアンネスの像がバビロニアで出土している。

ただしこのオアンネスは、ふつうわれわれが思うような下半身が魚の若い女ではなく、上半身が男、下半身が魚の海の神だそうな。

植物学で有名な荒俣宏氏が書いた平凡社大百科事典の「人魚」の項目をみると、じつにさまざまな人魚がいて、それらが次々にまた別の姿を生み出していったことがわかる。


東洋の人魚の姿はヨーロッパのとは少し異なっていたようだ。

たとえば、中国の人魚は四肢の生えた魚であり、顔や上半身の一部が人間である。

そして西洋の人魚に見られるような女の美しい乳房はない。


このように世界にたくさんいるさまざまな人魚のもとは、あるときはアザラシだとか、あるときはサメだ、エイだと言われている。

近年はもう少し「科学的」になって、ジュゴンとかマナティーのようなカイギュウ(海牛)類ではないかとされている。


ぼくはずいぶん昔、「怪物グレンデルの由来」という文章を書いたことがある。

グレンデルというのは、ご存知のとおり、古代英語で書かれた古いイギリスの叙事詩『ベーオウルフ』に登場する怪物である。

この怪物はどうやらワニのような動物で、水辺に住み、沼地の崖の下を住み家としているようである。

そして勇士ベーオウルフがこの怪物を退治するのであるが、ぼくにしてみればその物語はどうでもよく、この怪物グレンデルがどんな動物から想像されたものなのか、ということが気になったのであった。


いろいろと考えたあげく、ぼくが到達した結論は、それはナイル川のワニではなかったか、というものであった。

ベーオウルフが書かれたのは紀元八世紀頃とされている。

当然この時代の人々は、ギリシア・ローマ時代からのナイルのワニの話を聞いていたはずだ。

それが修飾されて北にまで達し。北欧やイングランドの暗い沼地に住みつくことになった時、それがグレンデルという姿になったのではないだろうか?

これは間違った推理ではないと、ぼくは今でも思っている。

けれど、今、人魚の由来を見てくるにつれて、ぼくはかなり揺らいでいる。

それは、ものがあってそれがことばを生みだすのではなく、概念があってそれがことばとしてものに与えられているのだ、というあのソシュールの言語学を思いおこさざるを得なくなったからである。

人魚は、はじめから男たちの幻想のなかにあったにちがいない。

人魚=海牛説などというものは、その幻想の源を海牛類に押し付けただけに過ぎないのではないだろうか?


日高先生は立花隆さんの対談でも感じたけれど


おもしろいです。


冒頭の虹の話がなぜか印象深くて


偶然借りてたそれ系の書籍にも


日高先生のことが書かれていた。



図説 虹の文化史

図説 虹の文化史

  • 作者: 杉山 久仁彦
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2013/12/25
  • メディア: 単行本

 

 

 

◆虹の科学の芽生え から抜粋

まず、「虹」に関する研究はどうなっているのか、詳しい研究者はいるのかなどから調べてみた。

すると意外にも、「虹」の研究に一生を捧げた研究者は一人も見当たらなかった。

つまり、これから登場する歴代の虹の研究者は、私の知る限り数学者、聖職者、天文学者、哲学者、物理学者、医者、画家、などが余技として「虹」を研究しているのであり、それゆえ虹に関する情報はあらゆる分野に分散している。

ギリシア・ローマ時代には色彩や視覚に関する文献が少ない割に、虹に関してはなぜか比較的多くの著作で取り上げられている。

原子論者のルクレティウスやエピクロスの文献では詩的な描写でしかないが、アリストテレスにおいては『気象学』の中で「鏡」の概念、「光線の反射と屈折」、「虹の曲線」、「視覚のピラミッド」などの科学的な説明が展開されている。

ローマではセネカ、ポセイドニオス、大プリニウス、アフロデシアスのアレクサンドロス、クレオメデスなど虹に関心を持つ学者の層が厚い。

◆虹の色数は何色か から抜粋

大学時代に大変お世話になった生物学者の日高敏隆先生が2009年の11月に永眠された。

実は、この本の原稿を仕上げたら巻頭言をお願いしようと考えていた。

その理由は日高先生は日本で初めて虹の色数に関するエッセーを書いたということになっているからだ。

この話は板倉聖宣(きよのぶ)先生の『虹は七色か六色か』で知った。

もちろん『犬のことば』は先生に送っていただいて読んではいたのだが、日本で初めて虹の色数に触れたエッセーだとは気づかなかった。

日高先生は「色」と「ことば」は文化に深く根ざしていることを示し、色数が多いことを特定の言語の表現力に帰属させるのは愚かなことであると言っておられるのだが、虹の色数に関しては何色であるべきかは書かれていない。

それは多分ご自分が決める必要はないと考えたのだろう。

上京して間もない私は日高先生の動物行動学の講義の中で、生物には世界がどう見えているかという話に触発された。

生物によって様々な視覚の世界が存在するという刺激的な講義は、本書を書くトリガーであったのかもしれない。


国による虹の色数の違い 
 
日本
オーストラリア
フランス
アメリカ  
イギリス  
ドイツ    
ロシア    
ベルギー    

 


「すみれ」というのは「紫」と同義語なのですね。


なのであやしげな香りがするのかってのは


どうでもいい感想でした。


この書はこの後、ニュートンはもちろん


レオナルド・ダ・ヴィンチなど、


虹にまつわる論考をされた方達の逸話で


熱く厚く、埋め尽くされる


凄まじい内容(デザインも)


なかなか興味深く特にレオナルドと


ドーキンスを結びつけて


考察されているのが興味深かったのです。


話は日高先生に戻り、ちょっと反骨精神っぽいような


世間のタームとは異なる感じがするのは


気のせいだろうか。


若干気になる休日の午後でございました。


 


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養老先生の対談からアナログとデジタルを考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

話し言葉から「唯脳論」を考察したく


早い話が簡素でわかりやすい気がした


からなのだけど、だからと言って


分かったとは、これまた曰く言い難し。


もともとの地頭が明察・明瞭では


ないのでって諦めてどうすると


鼓舞しながら読む。


脳という劇場 唯脳論・対話篇

脳という劇場 唯脳論・対話篇

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2005/10/01
  • メディア: 単行本

あとがき から抜粋


 


これまで、島田雅彦氏と一冊、柴谷篤弘氏と一冊、長い対談の本を作ったことがある。

しかし、多くの人との対談を集めた「対談集」は、これがはじめてである。

収録した対談は、私には、かなり長時間にわたる、という印象がある。

それは、その間に、自分の考え方がどんどん変化したからであろう。

まずはじめ、私は解剖学の専門家として出発した。

それから、解剖学とはなにかを考えるようになった。

それが『形を読む』としてまとまった。

解剖学とはなにかという問いは、ヒトの作業は、結局は脳に帰結するはずだという『唯脳論』となる。

それは、今度は、身体論となって、解剖学の対象に戻った。

いまでは、だから、身体論を考えている。

ここに集められた対談は、私にとっては、その間の考え方の変化を示している。

いまでは、そうした考え方も、やや異なってきた点があるが、こうして話がのこっていると、自分がなにを考えていたか、それがよくわかる。


脳と身体を扱うことは、しかし、結局はヒトそのものを扱うことである。

そう思えば、人間のすることは、ほとんど射程に入ってしまう。

ヒトの研究が、結局はいちばん面白いらしい。

医学畑から出発すれば、どうしてもそうなってしまうのであろう。

副題の意味はそういうことである。


井上靖に『射程』という小説がある。

主人公は神戸の不良で、最後は自己の「射程」を超えて破滅する。

私はこの小説が好きで、これを読んでいて、電車でいくつかの駅を乗り越したことがある。

この対談集も、私の射程を示している。

この先どうなるか、それはわからない。


科学の成立


進化の起源


対談相手:大島清(生殖生理学。京都大学名誉教授)


「種」がア・プリオリに存在するか


から抜粋


大島▼

恐竜で思い出したんですが、恐竜の時代にはべらぼうに巨大化しましたね。

あれはやっぱり遺伝子の変化というか、巨大化の道というのは、成長ホルモンか何かをコントロールするような何かが遺伝子に起ったんでしょうか。

 

養老▼

それがよく分からないのは、魚とか両生類では成長がとまるということがあるのかという話があります。

コイは寿命がなくなるまで一応大きくなる。

(略)

動物の中で、やっぱりある程度成長の限界というか、これが成体であるということが言えるのは、どうも鳥と哺乳類じゃないか。

 

大島▼

それ以上は大きくならないと。

 

養老▼

はい。成長ということと生殖ということで何で一致させなければいけないのでしょう。

成長のある段階になったら生殖可能であると。

昆虫なんか種類によったら幼虫の段階で生殖可能ですけれどね。

哺乳類の場合にはかなり義理堅く、ある成長段階にきた時に、特に人間の場合、そこで生殖可能であると。

(略)

ここで成長はやめだよということを決めた方が得だったんだろうと思うんです。

それがどうして得だったかというのは知りませんけれども、おそらく複雑なシステムになると、やっぱりあるところで切ったほうがいい。

こういう問題はここで切っておいて、それ以降はほかのことに専心するという。

(略)

たとえばわれわれの目ですと、でき上がったらそれで固定しています。

神経細胞もふえませんが、魚の場合特に両生類のカエルの場合ですと、網膜の周辺領域は成長の過程でつけ加わってくる。

目が大きくなりますから網膜自身も大きくなるし、神経細胞も外側につけ加える。

ところが、人間がそうやって絶えず成長していって、神経細胞がつけ加わっていったら、情報処理がどうなるかというと、非常に複雑になるんじゃないか。

 

大島▼

胎生期に細胞の数とかを調べてみますと、相当ふえておりますね。

それから生まれる直前、あるいは生まれてからしばらくして正常に戻る。

つまり、量を増やして質を調整するというようなところが、目だったら、特に胎児期、それから生まれてからほんのしばらくそういうのが続きますので、そういうことはもっとマクロに見て、動物の種でいろいろと按配されるんでしょうね。

 

養老▼

魚とか両生類というのは、それをやらないで、最後まで大きくしていった。

だけど、それをやると、たとえば中枢のコントロールは非常に難しくなっていく。

絶えず新しい細胞が参入してきてしまいますから、どっかで切っちゃて、その中で洗練するということを、われわれの頭は知っているわけですね。

だから、あとは間引く一方ですね。

 

編集者▼

遺伝子の数なんかは、両生類あたりが一番多いらしいですね。

 

大島▼

アフリカツメガエルなどヒトのDNA量の八倍も持っている。

 

養老▼

特にシーラカンスみたいな、ああいう無気味な魚。情報というのは、どうもコツは間引きにあるみたいですね。

 

大島▼

それを人口調節のためにサルもやっていれば、人間もやっている。

 

編集者▼

遺伝子レヴェルでもやっているということですか。

 

大島▼

遺伝子レヴェルでもやっている。マクロでもミクロでもやっているというのはすごいね。


編集者▼

ダーウィンの『種の起源』を読むと、最後の方で種自体が確定しないんじゃないかということを、ダーウィン自身が書いていて、無限に中間段階があるので種というのを本当に決められるかどうかということを懐疑的に書いているところがあります。

サルと人間の場合でも種の問題とか、中間段階があるかないかということでいろんな議論があると思うんです。

たとえば生殖可能であるか、可能でないかとか、そういうことで種を徹底的に定義していくという方法もあるでしょうし、だけども、変化していくと考える場合に、必ず中間段階を考える。

その場合、中間段階がないか、あるかということが、進化の問題を考える時には大きな問題になってくると思うのですが…。

 

養老▼

私はア・プリオリに種というものはあると思います。

それは論理じゃないんです。

私は昆虫を好きで集めていまして、小さいときから種というのはア・プリオリに存在するというふうにまず思っていましたね。

私が考えて『種の起源』の一番インチキなところは、<種の起源>という題をつけたことだと。

彼は変種、亜変種とか、中間段階を無限に認めていくんです。

 

大島▼

彼は、だから連続させるために…。

 

養老▼

そうです。連続させなければ、あのセオリーが成り立たない。

ですから、それを最近の古生物学者は漸進(ぜんしん)説と呼んでいるわけですね。

漸進説はおかしいと。

ダーウィンの説はそこが間違っているんだという言い方をするわけです。

私はいま答えは持っていないんですけれども、おそらく関係があるんじゃないかと思うのは、これは物理学に似ていて、ニュートニアンで考えれば、連続的に考えられます。

しかし、量子力学になると不連続に考えるしかない。

そして、生物学の量子とは何かというと、種なんです。

生物というのは、仏様の教えじゃないけど、アリから人間までずっと連続なものであれば、どこに線を引くという理由もない。

ところが、人間というのはなぜか知らないけれども、二通りの考え方をする。

一つは連続もう一つは不連続です。

つまりアナログとディジタルと言ってもいいんです。


「ディジタル」という響きが懐かしい。


90年代はみんなそう表記してたよ、そういえば。


それはどうでもいいとして、


ダーウィンの時代にはもちろん


デジタルはなかったのだけど


極論するとダーウィンはデジタル的観念を


持っていたってことなのかな。


だからダーウィンに味方して言うとすれば、私は種の重みというのを考えるわけです。

ホモ・サピエンス、ヒトという種とカブトムシの種、それから大腸菌の種の重みが同じかということを考えますと、これはどう考えたって同じだとは考えられない

実際に個体の重量をはかったって、ケタが違いますから。

それを同じ種というカテゴリーで区切るのは、これは確かにおかしいというのは、誰でも賛成してくださるんじゃないかという気はするんですね。

人間というシステムは非常に複雑なシステムで、それに比べると大腸菌ははなはだ簡単なシステムで、それは重量に出ていますというわけで、ケタが違うでしょう。

ところが、分類学はそれを種として同じ重みの不連続の単位にしてしまうわけですね。

それはたぶんおかしい。

原核生物の種と哺乳類の種とが同じ種であるというのもおかしい。

しかし、哺乳類なら哺乳類というある限られたグループをとってみますと、その中に分離した単位があることはまた誰でも認めると思う。

それではヒトとサルの中間段階があるかというと、これは時間というファクターを入れていくと、あると考えざるを得ないんですね。

どこかで祖先が共通にならざるを得ないんで、最初に分かれた時には、それは交雑可能であったんじゃないですか。

 

大島▼

古生物学者は化石にしか頼れないでしょう。

そうすると、やっぱり断続的なんですよね


<時>の観念と進化論


から抜粋


養老▼

ゲーテが進化論者であったかないかという問題ですが、ダーウィンはある種の<時>の観念を持っていたけれども、ゲーテは持っていないから進化論を立てることができなかったという。

私が見ていますと、ゲーテは<時>の観念をどういうふうに取るかということについて迷っていたから、ダーウィンのような進化論を立てることが出来なかった。

つまり、<時>に何種類あるかということですけれども、ダーウィンの時代には既に<時>というものは、現在、進歩史観と簡単に言われますけれども、そういうふうな過去から未来に向かって一方向に時が流れるという、そういう<時>が19世紀に成立していたんじゃないかという気がするんですね。

その<時>を前提にしますと、進化論というものは一応成立する。

それ以前は、そういうふうな<時>の観念がもう少し曖昧であって、逆に言えば<時>に関して自由が許されていたわけです。

ですから、聖書の中には宇宙の創世から最後の審判までの<時>が全部一冊の本に入っている

そういうふうな<時>の扱い。

それから、瞬間という<時>があるんです。

これは非常におかしな<時>であって、『ファウスト』の主題はその正念場ですよ。

瞬間に向かってこう呼びかけた方がよかろう。とどまれ、おまえはいかにも美しい

これはゲーテの『ファウスト』の中の科白なんです。

しかし、ゲーテという人は同時に原型という観念を一方で追求する。

原型というのは、これは永遠の姿なんですね。

つまり、生物には基本的な姿があって、それは永遠に変わらない

現代風に言えば、これは構造です。

ところが、同時にゲーテという人はメタモルフォーゼということをいうわけです。

メタモルフォーゼというのは永遠に変転するわけですね。

その変転する姿の一瞬をとどめるものが美ですね。

同じ人がウルティブス(原型)ということを求める

だから、ゲーテの頭の中では<時>というものは無限に揺れ動いて止まらない

瞬間と永遠の間ですね。

ところが、ダーウィンはおそらくそこについては何も疑いを持たなかったんじゃないか。

<時>というのは過去から未来に向かって物理的に、無条件に、ただ流れていくものである、と。

そういうふうな<時>の観念がはっきりした時、進化論が成立するんだろうと思います。

 

大島▼

<時>に対する観念が、ゲーテと違うということは言えるね。


ゲーテもダーウィンも日本では馴染み深いけれど


ゲーテは海外、特にドイツでは


日本ほどではないというのは


養老先生の対談で聴いたことがある。


古い哲学者というような認識なのかなあ。


自分は興味あるのだけど、なかなか読む機会がない。


連続と不連続、瞬間と永遠の間、を考えて


この二人を捉えると共通の何かがあるのだろうか。


深すぎて見えません。でも面白い。


 


余談だけど、養老先生の書って


これは初出1991年らしく


今のようなメジャーになられる前の


もののようで。


平成で最も売れた書籍『バカの壁』を


中心として


2003年以前、2003年以降とすると


「以降」の方が圧倒的に読みやすく


簡素なものが多いのだけど


なんか物足りないように思ってしまったり。


 


「以前」はかなり難しいと感じる。


でも、「以前」の方がなんとなく


面白いと感じてしまうこの頃でして


昔の書籍を買い漁っております。


よく分かってもいないのだけど、


なんか面白いのだよねえ。


 


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