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②カール・セーガン氏の書から似非科学を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

 


前回から続いて同じ書籍からでございます。


カール・セーガン 科学と悪霊を語る

カール・セーガン 科学と悪霊を語る

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1997/9/1
  • メディア: 単行本

第六章 幻覚 から抜粋

アダムスキーという人物には、なにか人を納得させてしまうようなところがあったようである。

UFO調査の一応の責任者だったある空軍将校は、アダムスキーをこう評している。


その人物に会って話を聴くと、つい彼を信じたくなってしまうのだ。

おそらく、その容貌のせいだろう。

着古しているが清潔なオーバーオールを身につけ、髪にはわずかに白いものがまじり、かつて見たこともないほど曇りのない目をしていた。


アダムスキーの運は年とともに下降線をたどったけれども、彼はその後も何冊かの本を自費出版し、空飛ぶ円盤「信奉者」の集まりにはいつも顔を出していた。

今風の「宇宙人による誘拐」として最初のものは、ニューハンプシャー州に住むバーニー・ヒルと妻のペティのケースである。

妻はソーシャルワーカー、夫は郵便局員をしていた。

1961年、夜遅くに車でホワイト山脈を走っていたときのこと、ペティは空に輝く明るい光に気がついた。


バーニーは怖くなり、二人は幹線ハイウェイをはずれて狭い山道に入る。

そして家にたどり着いてみると、思ったより2時間ほど多く時間が経っていたという。


それから数年後のこと、バーニーはかかりつけの精神科医から、ボストン在住の催眠療法士ベンジャミン・サイモン博士を紹介される。


催眠状態に入った二人は、それぞれに「失われた」2時間の出来事を詳しく語り始める。


マーティン・S・コットマイヤーも指摘したように、ヒル夫妻の話には、1953年に公開された映画『火星からの侵略者』(邦題「惑星アドベンチャー」)と共通する点が多い。

また、バーニーが語った宇宙人の容姿(特に目が大きいこと)は、テレビシリーズ『アウターリミッツ』に出てきた宇宙人にそっくりである。

バーニーがそれについて語ったのは、この番組が放映されてからわずか12日後に行われた催眠療法中のことだった。


最近ふと思うのだけど、アダムスキーさんって


政府関係の人だったのではなかろうか。


愛国心からの言動だったのか?なんて。


真実は闇の中でございますが。


 


第十二章 ”トンデモ話”を見破る技術 から抜粋


フランシス・ベーコン『ノヴル・オルガヌム』1620年

人間の知性は乾いた光のようではなく、意志や情念から影響を受ける。

それが「人々の望みに応ずる諸学」を生み出すものなのである。

というのは、人は真であってほしいと願うものを、より強く信ずるからである。

それゆえに、彼は探究の待ちきれなさのゆえに、厄介なものを、希望を狭くするがゆえに、地味なものを、迷信のゆえに自然の奥深いものを退け、尊大と自負ゆえに、つまりつまらぬ仮りそめのことに係りあうように見えないために、経験の光を退け、大衆の意見のゆえに、意外に見えるものを退ける。

結局、数しれぬしかも時には気付かれない仕方で、情念が知性を色付けするのである。


第十三章 事実にこだわること から抜粋


科学の辺境にはさまざまなアイディアが潜んでいる。

なかには、近代科学が生まれる前の考え方が、そのまま持ち越されているようなものもある。

そうしたアイディアは魅力的で気をそそられるが、”トンデモ話検出キット”には一度もかけられたことがない(少なくとも、アイディアを出した人物によってかけられたことはないはずだ)。

たとえば、地球の表面は内側であって外側ではないとか、瞑想によって空中浮揚できるとか、バレエダンサーやバスケットボールの選手が空中高く跳び上がれるのは空中浮揚しているからだとか、物質でもエネルギーでもない(存在するという証拠もない)魂というものがあって、われわれは死後に牛や虫に生まれ変わるかのとはしれない、といった主張などがそれである。


似非科学や迷信が売り込む”トンデモ話”には、代表的なところで次のようなものがある(以下はあくまでも例であって、網羅的なリストではない)。

占星術、バミューダ・トライアングル、雪男、ネス湖の怪獣、幽霊、「凶眼」(その視線に触れると災難に見舞われるという)、「オーラ」(あらゆる人の頭のまわりを取り巻いているという多色の光のカサで、色は人それぞれだ)。

テレパシー、予知、テレキネシス、千里眼などの超感覚的知覚(ESP)。

十三は「不幸」な数字だという考え(このためアメリカでは、まともなオフィスビルやホテルでも、十二階の次は十四階になっていることが多いーーーわざわざ危険を冒すことはあるまいというわけだ)。

血を流す像、切断されたウサギの脚をもっていると幸運が訪れるという考え方、ダウジング、自閉症者のコミュニケーションが促進されるという主張、厚紙のピラミッドの内部にカミソリを入れておくと切れ味が鈍らないという考え、その他「ピラミッド学」のさまざまな教義。

死者からの電話(コレクトコールは一例もない)、ノストラダムスの予言。

訓練されたプラナリアの死体をすりつぶして、訓練されていないプラナリアに食べさせると、訓練内容を学習させられるという話。

手相占い、数秘術、うそ発見器、彗星占い、茶の葉占い、「奇怪な」子供が生まれるのは何かの予兆だという考え。(これに加えて、内臓、煙、炎や影や排泄物の形による占いや、お腹のゴロゴロいう音による占いが流行したこともあったし、いっときではあったが対数表による占いもあった。)


イエスの磔刑など過去の出来事の「写真」、流暢にしゃべるロシアの像。

感覚の鋭い人(ゆるく目隠しされると、指先で本を読むことができる)。

エドガー・ケイシー(1960年代に、失われた大陸アトランティスが浮上すると予言した)をはじめとする予言者たち(眠っている時に予言する人もいれば、起きているときに予言する人もいる)。

いかさま食餌療法師。

幽体離脱体験(たとえば臨死体験など)は現実の外的経験だとする考え。

いかさま信仰療法師、ウィージャー・ボード(※1)、ゼラニウムに感情のあることがうそ発見器でわかったという主張、かつて溶け込んでいた分子を水が記憶しているという説、顔の造作や頭のでっぱり具合から性格がわかるという説。


「百匹目の猿」など、何人かが信じたことは現実になるという主張。

人間が自然発火して炭になるという話、バイオリズムの3サイクル、永久機関、無尽蔵のエネルギー(こうした話はどれも、懐疑的な人が詳しく調べられないように、あれこれ理屈がついている)、ジーン・ディクソンらプロ超能力者のはずれまくる予言(ディクソンは、1953年にソ連がイランに侵攻すると予言し、1965年には人類初の月着陸でアメリカがソ連に負けると予言した)。

1917年に世界は終わりを迎えるという「エホバの証人」の予言。

ダイアネティックス(※2)、サイエントロジー(※3)、カルロス・カスタネダと「呪術」、ノアの箱船の残存物を発見したという主張、「アミティヴィルの恐怖の館」などお化け屋敷のたぐい、現代のコンゴ共和国の熱帯雨林を、小型のブロントザウルスが歩き回っているという主張、等など。(ゴードン・スタイン編集の『超常現象百科事典』には、こうした主張の多くが徹底的に論じられている。)


※1=心霊術で用いる文字・数字・記号を記した占い板。

※2=有害な心象を除くことによって身体症状を治療しようとする心理療法。

※3=米国人ロン・ハバードが1951年に始めた宗教運動で、至上の存在を否定して心理療法や自己修養を説く。


すごい羅列。網羅的ではないと仰るが。


どうもすみませんでした、というしかない。


この後、これらの全てではないけど詳らかにされる


調べっぷりがこれまた容赦ない。


それも読んでいて、ひたすら謝りたくなる。


そんなに調べなくてもいいですよ。すみません。


と思いつつ、さすがに一級の科学者。


しかし苦労はあるご様子が伺える。


 


第十四章 反科学 から抜粋


確立された科学の体系は、ひょっとすると間違いかもしれないぞーーーそう言われたら、あなたはどう思うだろうか?(あるいは科学はご都合主義だとか、的外れだとか、愛国的でない、敬虔的でない、権力者に奉仕しているなどと言われたら?)。

おそらくあなたは、こんなふうに思うのではないだろうか。

「そういうことなら、なにも苦労してまで科学なんかを学ぶことはない。なにしろこれだけ多くの人が、科学はやたらむずかしくて、あまりにも数学的で、直感に反する知識体系だと言っているのだから」


しかし、科学はどうしてこうも嫌われるのだろうか。

その理由の一つは、科学の変化が速すぎることだろう。

科学者たちの話していることがようやく理解できたと思ったら、それはもう正しくないと言われてしまうのだ。

まちがいとまではいかなくとも、新事実が山のようにたまっている。

そして、聞いたこともないこと、到底信じられないようなこと、物騒な含みをもつことが、最近発見されたと告げられるのだ。

こういうわけで、科学者は世間をからかっているとか、世界の転覆を図っているとか、危険分子だとか思われることにもなるのである。


科学者はときどき自分の犯したまちがいをリストにしてみるといい。

それは科学のプロセスから神秘の衣を剥ぎ取るとともに、若い科学者を啓発するという教育的な役割も果たしてくれるだろう。

ヨハネス・ケプラーアイザック・ニュートンチャールズ・ダーウィングレゴール・メンデルアルバート・アインシュタインも重大なまちがいを犯した。

だが科学という企ては、チームワークが功を奏する仕組みになっている。

つまり、非常に優れた者がまちがいを犯しても、名もなく能力でも劣る者がそれに気づいて修正することができるのである。


科学も万能ではない、自分も金星の認識が


覆ったということをこの後述べられていた。


さらに科学が変貌してしまう理由について。


 


第二十二章 意味の虜(とりこ)から抜粋


商業テレビ局と公共テレビ放送の番組作りを一言だけでいえば、「金がすべて」である。

こういったからと言って、私のことを世をすねた皮肉なやつとは思わないでほしい。

なにしろゴールデンアワーには、視聴率が1%変わっただけでも、宣伝効果にして何百万ドルものちがいが出るのだ。

とくに1980年以降、テレビはほぼ利益のみを追求するようになった


Xファイル』シリーズは、口先だけは超常現象を懐疑的に吟味すると言うけれども、その実、「宇宙人による誘拐」や「不思議な力」、面白そうなことは何でも政府が隠蔽していると言う説にしっかり肩入れしている。


こんな番組の代わりに、次のようなシリーズを作ってはどうだろうか。

毎回の大筋は、超常現象が起こったという訴えを調べてゆくと、結局はどれもこれも普通の説明がつくことが明らかになる、というものにする。

ドラマチックな緊張感は、どう見ても超常現象がとしか思えない出来事が、誤認やでっちあげから生まれるありさまを暴くところで出せるだろう。

調査員の一人はひどくがっかりするが、次回こそ、まぎれもない超常現象が懐疑的な吟味に耐えてくれるだろうと期待をつなぐのだ。

この方が真実にもずっと近いし、公共のためにも役立つのではないだろうか。


それだとスポンサーがOK出さないんだろうなあ。


視聴者が望んでないっていう判断なのか。


自粛警察のように、そもそも企画者が出さないのかもしれないが。


でも、ご指摘のようにそちらの方が真実に近いのだろうとは思う。


さらにこうも仰る。


テレビ番組や映画ではふと耳にする科学の話は、たいていはでたらめだ(そもそも話の筋が科学に無頓着なのだから、ちょっとしたセリフなどは推して知るべしである)。


すごいなー。一刀両断。


ここまで言われてしまうと映画『コンタクト』を


もう一度観たくなりますな。


原作提供なだけなので他の方の手が


多く入っているだろうけれども。


 


余談だけれど、投稿の締めには相応しくないのだけど


何となく自分的に刺さってしまった言葉で締めさせていただきます。


 


第二十三章 マックスウェルと科学オタク から抜粋


どうして知的好奇心などに助成しなくてはならないのか。

ロナルド・レーガン 1980年 大統領選演説


この後、レーガンさんは大統領になられたことは周知の事実。


そのレーガンさんは知的好奇心である映画産業で


元俳優だったというのも何かの皮肉なのか。


 


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