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柳澤桂子先生の28年前の書から”感性”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

安らぎの生命科学


安らぎの生命科学

  • 作者: 柳澤 桂子
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1996/05/01
  • メディア: 文庫

I 貝は海の瞼です

養老先生の脳 から抜粋


養老孟司先生は解剖学者である。

学者ではあるが、死体を看板に掲げて名文をものしておられるので、知る人も多い。

その養老先生の書かれたエッセイの中に「目の作家・耳の作家」というものがある。

作家には、「目」の作家と「耳」の作家があるという。

そして、解剖学者らしく「『目』と言い、『耳』と言っても、どちらも誰でも持っているものである。だから、作品において、どちらかと言えば、どちらかが優位を占めるという程度の意味で『目の作家』とか『耳の作家』と表現しているのであって、ここではそれ以上の他意はない」と断っておられる。


先生によると、三島由紀夫は典型的な「目の作家」であり、宮沢賢治が「耳の作家」であるということになる。

これを読んで正直のところ、私は、びっくり仰天した。

というのは、私はいつも三島由紀夫の文章を目で読みながらも、音楽として「聴いて」いたからである。


とはいえ、私は自分にあまり自信が持てないので、あたりを見回した。

ありました。

私の尊敬する田辺聖子先生も、三島の文章を「音楽的に美しい文章(恐らく、空前絶後の天才的な文章家であろう)」といっておられる。

宮沢賢治の文章にははっきりとしたリズムがある。

三島由紀夫の文章には調べといもいうべきリズムと旋律があるように私には思えるのである。


なので、三島と宮澤ともに「耳の作家」だと


指摘されているのでしょうが


宮澤賢治はともかく、三島由紀夫は自分も


養老先生と同じく目の作家だと思う。


旋律が聞こえてくるのは、一流の旋律のメソッドを


なぞらえることを三島先生が知っていた


からではなかろうか。ツボみたいなものを抽出して


会得した風にみせれるのではなかろうか。


三島先生が亡くなった後、三島先生の父親が


「息子は詐欺師」的なことを仰っていて


その流れではなかろうかと。


父上は堅実な農林省のお役人だったかと。


ちなみに逆に母親は三島先生への理解あり


父親には「あなたには芸術が分かっていない」


と叱咤、反目されていたというのは有名で。


女性と男性では受け取り方が違う


ということの現れかと。


三島は小説の舞台になる土地を訪れ、細かくメモをしたり写生をしたという。

たしかに三島の描写は視覚的に細かいが、色彩に乏しいと思う。

ほんとうに彼が鋭い視覚的な感受性を持っていたのであろうか。

私にはむしろ、表現の技術として、視覚に訴えることの重要性を彼が認識していて、そのように努力していたのではないかと感じられる。


三島自身の筆になる『文章読本』の中の次の文章は、彼が描写に心を砕くと同時に、文章の音楽性とリズムを大切にしていたことをはっきり示している。


「私はまた行動描写を簡潔にする目的で、その前に長い準備的な心理描写や風景描写をすることがあります。

それぞれの目的に従って、文章の苦心はさまざまな形をとるのであります。

文章の中に一貫したリズムが流れることも、私にとってどうしても捨てられない要求であります。

そのリズムは決して7・5調ではありませんが、言葉の微妙な置き換えによって、リズムの流れを阻害していた小石のようなものが除かれます。

わざと小石をたくさん流れに放り込んで、文章をぎくしゃくさせて印象を強める手法もありますが、私はそれよりも小石をいろいろ置き換えて、流れのリズムを面白くすることに注意を払います。

西田幾太郎氏の文章の持っていたような、漢字とドイツ語との折衷された文章の音楽的響きは、如何にも私にはなつかしいものであります。

それは古い音楽のように、いつも私の心にふかれます。

リラダンの文学はワーグナーの音楽をほうふつさせるそうでありますが、私は文章の視覚的な美も大切だが、一種の重厚なリズム感に感動しやすい性質をもっています。

しかし、ワーグナー的文体などは、いくら私が試みても模して及ばぬものであることは明白であります。」


ここで、私が問題にしたいのは、三島由紀夫が「目の作家」であったか「耳の作家」であったかということではない

その判断は、読む人の感受性によって違ってくるのではないかということである。


三島由紀夫がいくら音楽的な文章を書いたといっても、読む人がそこから音楽性を読み取れなければ、それは意味をなさない。

もし、私が三島の文章に音楽を聴いたとしたら、それはたまたま私が三島の発する信号と波長の合う脳を持っていたということに過ぎない。

その文章がどのような文章であるかという判断は、読む人がどう感じるかということにかかっている。


この点については、養老先生はご著書『唯脳論』の中で、次のようなことを述べておられる。


「ヒトのさまざまな思想が、最終的に統一可能か。私は、いっこうに心配していない。

所詮脳は脳であって、一つのものである。

他人の脳まで統一しようと思うなら話は別だが、それは統一ではなく、自分の脳の他人への押し付けである。

自分の脳をいくら他人に押し付けようとしても、相手がバカならどうにもならない。」


ひょえーええ、手厳しいです若い頃の養老先生。


この流れで『バカの壁』に突入していくわけですな。


それにしても、柳澤先生、「目」か「耳」かは


どうでもいいとされる、このちゃぶ台返しは


なぜだろう。


その理由は、柳澤先生のリアクションに


ヒントがあるように読める。


私はどうにもならないバカの部類に属するのかもしれない

しかし、人間の脳の神経回路がどのように形成されるかということは、私たちが想像していた以上に、遺伝子によって決められていることがあきらかにされつつある。

胎動期から出生直後に遺伝子によって形成された神経回路が、環境からの刺激によって修正されていく。

遺伝的要因と環境因子によって、それぞれ人に個性的な脳が作られていくのである。


養老先生、柳澤先生それぞれの強みの領域で


分析・考察されていて興味深いです。


ちなみに、いうだけ野暮だが


柳澤先生はバカではない。


それは性別や受けた経験からくる感性の問題で。


氏か育ちか、にも大きく絡んでくる問題で


って、稀代の生命科学者に市井の大馬鹿者の


自分が諭してどうするよ、これはもはや


神をも恐れぬ大逆臣だろう!って


震える手をどうすることもできずに


天気がいいから散歩でもしようかと


思い始めてきた休日なのでございました。


30年近く前の書であるがゆえ”遺伝子”の


解明もかなり進んでいる現状への


柳澤先生のご意見は如何にと思ったりもするが


ご年齢やご病状もあろうと思いますので、


自分で調べていきたいと思います。


って誰に言ってるのよ。


余談だけど出版当時の1996年というと


柳澤先生58歳、養老先生57歳の書で


さらに余談、中村桂子先生は一番年上なのですな。


柳澤先生は自分の母親と同じ歳でございました。


参考文献

カミとヒトの解剖学』養老孟司(1992年)

言うたらなんやけど』田辺聖子(1980年)

文章読本』三島由紀夫(1973年)

唯脳論』養老孟司(1989年)


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松井孝典先生の書から”豊かな人生”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

138億年の人生論


138億年の人生論

  • 作者: 松井孝典
  • 出版社/メーカー: 飛鳥新社
  • 発売日: 2018/10/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

2「わかる」とはどういうことか

から抜粋


世の中にはたくさんの人生哲学書が出回っています。

タイトルに「人生論」の文字を掲げている本書もまた、新たにそこへ連なる1冊ということになりそうですが、私がこれまでに刊行されてきた多くの類書に対して不満に思うのは、そこにまったくと言っていいほど20、21世紀の視点が欠落しているところです。


自分の人生をどうするか考えるというと、多くの人がまず自分の身の回りを見渡すことから始めるでしょう。

もちろん、それも必要なことですが、私たちが「在(あ)る」と言った場合、すべてが身の丈のサイズの現象で決まっているのではないということは、常に頭に入れておくべきです。


例えばアインシュタインの特殊相対性理論を思い出してみるといいでしょう。

この理論が明らかにした、もっとも衝撃的な原理は、「この世界の時間と空間は運動や重力で伸び縮みする」ということでした。

この理論が完成しなければ、スマートフォンに内蔵されているGPS(全地球測位システム)機能が正しく作動することはなかったはずです。

GPSは人工衛星を使った測位システムであり、地上とは異なり重力下で運動しているそれらのシステムを用いる際には、一般相対性理論の効果も考慮に入れる必要があるからです。


それほど重要な特殊相対性理論にもかかわらず、しかし我々がその原理を肉眼で確認することは不可能です。

法則とか原理とか呼ばれるこうした概念が姿を現すとすれば、それは言葉や数式において以外にないのです。

肉眼ではなく科学の目によってのみ明らかになる世界を、私は「見えない世界」と読んでいます。

アインシュタインが明らかにしたこの「見えない世界」は、宇宙スケールのマクロな世界ともいえますが、それとほぼ時を同じくして、ミクロな「見えない世界」の領域にも人類は着実に足を踏み入れています。


人生論にかぎらず、この「わかる」かどうかは現代人にとって大きな問題です。

科学的に「わかる」といった場合、それは、科学のルールに基づいて外界を脳のなかに投影し、その結果構築されたモデル、すなわち「内部モデル」に基づいて解釈することを意味します。


とはいえ、科学と科学技術が圧倒的に発達してしまった昨今、「わかる」ことが問題となる世界は、より細分化され、専門化されすぎてしまいました。

よほどそのことに精通した専門家でないかぎり、本当の意味で「わかる」ことはもはや不可能なのかもしれません。

そんな状況のなかで概念を共有しようとするなら、むしろ「納得する・しない」ということを問題にする方がよいでしょう。


科学以外でなら、これは宗教に近い考え方と言えます。

宗教において科学のルールに相当するのは神です。

その神に基づいて外界を投影して作られた内部モデルの正否は通常問われません。

その宗教を信仰する者は、ただそれを信じ、それに従って解釈、判断をします。

すなわちそれが、「納得する」ということです。


25 結局のところ「人生」とは何か


から抜粋


138億年にわたる宇宙の歴史を俯瞰できるというと、「では、松井さんから見たら、人生は一瞬の花火のようなものですか?」と聞かれることがあります。

しかし、それは誤解です。

大きく俯瞰した視点を持っているからと言って、138億年の宇宙史に比べたら100年の人生などちっぽけなものだと言いたいわけではありません。


100年の人生も、そのときその瞬間に刻まれた情報の蓄積で考えると、すごい厚みを持つ可能性があります。

100年どころか、私自身は幸若舞(こうわかまい)の「敦盛(あつもり)」で有名なフレーズ、「人生50年」の心意気で生きてきたつもりです。

その頃に胃がんになり、人生これまでかと覚悟を決めたのですが、幸いにも生き延びました。


現在の我々は、138億年にわたる、宇宙の歴史を解読した知識を、頭のなかに内部モデルとして蓄積できる可能性をもっているのです。

それがどれだけすごいことか実感している私からすると、いまの若い学生たちを見て、本当にもったいないと思います。

生活が便利になって、暇ができても、その時間をゲームやSNSに費やしているだけでは、現代という時代に生きる特権を享受していないからです。

ホモ・サピエンスは初めて、この宇宙がどうしてこのような宇宙になったのか、なぜ我々が存在するのかについて、解き明かしつつあるのですから。


人生とは、頭のなかに内部モデルをつくりあげることです。

50年の人生であれ、100年であれ、内部モデルが豊かであれば、実質的にその何倍もの時空を生きることになるというのが、私の実感なのです。


松井先生は、この本に限らず、1冊1冊を


最後の著書と覚悟して書かれていたように感じる。


1日1日を大事にしているとも書かれていたけれど。


そしてご自分の論を普遍性のある言葉に変換して


伝えてくれているがゆえに、そこが分かりにくいと


いわれるのかもしれないなあと思ったけど


自分には違和感なかった。分かっているかは


また別の話だけど。


「分かる」ってことほど微妙なものはないのは


松井先生のご指摘のとおりかと。


松井先生は昨年3月に亡くなられている。


付録ーーこの宇宙の遠大さと魅力に触れるための10冊


から


①『138億年 宇宙の旅

②『すごい物理学講義

③『宇宙のランドスケープ

④『隠れていた宇宙

⑤『数学的な宇宙

⑥『宇宙を織りなすもの

⑦『無限の始まり

⑧『この宇宙の片隅に

⑨『物理学は世界をどこまで解明できるか

⑩『ワープする宇宙


比較的、最近の書を選ばれておられ


昔の書では”内部モデル”的に意味がないのかも


しれないとか思ったりもするのですが


それは言いたいだけでございまして


松井先生のオールタイムベストみたいな


おすすめ読書があれば興味あるのだけど


それは不要なんだよ、世の中に松井孝典は


2人いらないんですよ、地球から与えられた


自分というレンタル期間を有機的に


消化しなさいよ、という松井先生の


メッセージのような気もしないでもない


火曜日の夕方、子供のインフルエンザがだいぶ


良くなってきたとはいえ


食事がままならないようなので、しばらく家で


待機しておる今日この頃です。


こういう時パパは食糧デリバリーくらいしか


できなくて家庭の”内部モデル”も刷新を


求められている模様の寒い関東地方です。


 


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ローレンツ博士の書から”閃き”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

生命は学習なり―わが学問を語る


生命は学習なり―わが学問を語る

  • 出版社/メーカー: 思索社
  • 発売日: 1990/06/10
  • メディア: 単行本

第一部 わが学問を語る

コンラート・ローレンツとフランツ・クロイツァーのこの対談は、1980年春、ウィーン郊外アルテンベルクにあるこのノーベル賞受賞者の私邸で行われたものである。


から抜粋


クロイツァー▼

先生はどのようにして、行動研究の道に入られたのですか?

行動研究に入ったのは、先生がカントのカテゴリーと取り組むようになるずっと以前のことだったはずですが。


ローレンツ▼

そうです。

ずっと以前です。

私は人生において何度も、少なくとも二つの決定的な点で、人間にはないような幸運を得たのです。


私はいろいろな動物を知っていました。

私はまだ非常に小さい時に、父に向かって、ミミズは昆虫であるのかないのかという質問をしたことがあります。

「昆虫とは節のある動物のことだよ」

と父が言ったので、私は

「ミミズは環の節がついているじゃないか。昆虫よりずっとちゃんと節がついているよ。」

と言ったのです。つまり、この体節ーーミミズの節のことですがーーは、昆虫やカニなどのあらゆる節足動物と同じ節であることを私は正しく見ていたことになります。

この私の質問に父は答えられませんでした。

わからなかったのです。

その後私はこの質問に対する答えを偶然、宇宙シリーズの中のヴィルヘルム・ベルシェの『世界創造の日々』の中に見つけました。

そこには、アルヒェオブテリスク、つまり始祖鳥の絵がありました。

この鳥はジュラ紀の石灰石にきれいに刻印されています。

羽と鳥の足と鳥の翼を持っており、あきらかに鳥なのですが、翼にはまだ爪のついた足指が3本残っており、くちばしには歯があり、おまけに椎骨(ついこつ)にいくらか羽毛のついたトカゲのような長い尻尾を持っていました。

そして、そのページには、これが、爬虫類から鳥への移行段階であると書いてあったのです。

これについては、父とのある散歩のことを思い出します。

その場所もはっきり覚えています。

まったく奇妙なことに、場所と真の体験がセットになっているのです。


その時、私は父と一緒にカイザー記念展望台への道を登っていました。

そして、父にこの鳥のことを話したのです。

父は奇妙にも好意的に私の話しを聞いてくれました。

私は猛烈におしゃべりをしました。

いつもなら「少しは黙っていなさい」と言うのが、その時にかぎって父は言わないのです。

それどころかたいへん嬉しそうに聞いてくれ、私は何から何まで話せました。

進化について、ダーウィンについてーーこうした話しを気持ちよく聞いてくれ、微笑んでいるのです。

突然、私はピンときました。


おやじはこれ全部知っているんだなと言うことがです。

そして今でも覚えていますが、父に対して深い恨みを抱きました。

彼はこんな重要なことを全部知っているのに、私に話してやる価値を認めていなかったことにです。


そこで私は古生物学者になろうと思いました。

自分に言い聞かせたのです。

進化こそすべてであり、これこそ世界の歴史であり、本当に重要なのは、これ一つであると。

今でも私はそう信じています。


覚えていますが、その時はまだ高等中学校に入っていませんでした。

10歳になっていなかったわけです。

私は古生物学の本を買い、勉強しました。

そして大学では動物学と古生物学をやろうと思っていました。

ところが、私の父はかなり権威主義的な人で、お前はどうしても医学をやるべきだと言い張ったのです。

その理由は、有能な医者が飢え死にした話は聞かないからだと言うのです。


しかし、本当にこの言葉のとおりでした。

私はもし医者になっていなかったら、ロシアで飢え死にしていたかもしれません。

だが、これに伴う本当の利益は、解剖学教室でフェルディナント・ホッホシュテッターと接触できたことです。

彼は、たんに比較解剖学者であっただけでなく、もっと意味のあることに比較発生学者でした。

当時私は18歳でしたが、その時にはもうたくさんの動物を知っていました。


父親がローレンツ博士を導いたことは分かるのが


話した事をすでに知っていたと直感し許容できず


恨んで古生物学者の道を進むってのは


自分的にはどうにも解せない。


子供の話はいくら権威主義の父親だって


子供が頑張って話してるなら聞くと思うし


話す価値もないのかという点だって、


面倒くさかったのではとも思えるだろう


と思うのだけど。


父との関係性が一般的な知識からの参照なので


これ以上は何もいえませんけれども。


しかしそれがなかったら、ローレンツ博士は


医学知識を持つことはなく、ここまでの


偉大な人物となりえただろうか、とも思ったり。


クロイツァー▼

先生は最初ポッパーを、彼が帰納を否定するゆえに批判したことがありますが、彼は、先生とまったく同じことを言っているのではないでしょうか?

つまり、人間の思考なるものが発生するに至るまで進化を信じて、進化の過程における大きな前進は、飛躍として起きていると彼は言うのです。

そしてそこから出てくる結論が、時によっては反証の対象になりえると言うわけです。


ローレンツ▼

概念的思考をするわれわれの頭脳の中では、概念や着想や理論や仮説は、ひとつひとつの個体と同じような行動をしているのであって、それゆえ相互にゲームをしており、そのゲームは、諸々の種が進化の過程で演じるゲームとそれほど異なるものではありません。

そして、よくあることですが、ある偉大な《閃き》が起きるのはほとんどの場合、とっくに慣れ親しんでいる二つの思想を結びつけてみて、両者が関連しあい、相互に説明しあうものであることに気づく時です。


クロイツァー▼

アーサー・ケストラーはそれを、《天竈の火花》もしくはビゾツィアツィオーンと呼んでいますね。


ローレンツ▼

そのとおり、天竈の火花です。

しかし、それを表すドイツ語がないので、私は《電撃(フルグラチオン)》と言ったまでです。


クロイツァー▼

でも、この言葉は、《天竈の火花》、つまり稲妻の衝撃を表すラテン語の概念でしょう。


ローレンツ▼

この表現は神秘主義者たちの言葉に由来しています。

この神秘主義者たちは確かに気のいい聡明な人々ではありましたが、我々の立場は彼らと異なります。

つまり、あるシステムの中で予期せざる火花が閃いても、我々は、それがゼウスの稲妻であると考えるのではなく、なんらかの短絡が起きたと思うわけです。

そして稲妻の比喩はこの場合非常によく当てはまるのです。


第二部 質問に答える


以下の質問は、第二ドイツ放送の作った質問リストによるものである。この質問は、シリーズ番組『世紀の証人』において、その日の招待客に《おきまりの質問》として行われることになっていたものであるが、ローレンツ氏の議論を補足するのにたいへん適切であると思われるため、以下に付録的に収録する次第である。


から抜粋


クロイツァー▼

年をとっていくことを先生はどのようにして耐えておられますか?

老年が始まったことに先生はなにによって気づかれましたか?

その点でなにに困っておられますか?

どのような防止策をとっておられますか?

老化のつらさを楽にしてくれるようななんらかの長所もありますか?


ローレンツ▼

老化というのは、子供にも予測できる進行性の病気です。

この病気を治して生き延びたものはいません。

私の感じではーーこれは誰でも自分のことについてしか言えませんがーー老化のもたらす実害は、知的精神面的な面よりも、肉体的な面にあります。

私は関節炎に悩んでいて、杖を突いて歩かねばならないことに困っていますし、また疲れやすいのにも弱っています。

前ほどつめて仕事ができなくなってしまいました。

逆に利点もあって、その一つは、重要なこととそれほど重要でないことを区別して、後者を比較的簡単に忘れることができる点です。

そのために、いわば忘却の大海の中で山頂がひとつ突き出している感じで、全体の展望がしやすくなっています。

前よりも全体を見通しやすくなったと思っています。

手短にいうと、こういったところが老化のもつ長所と短所でしょう。


クロイツァー▼

先生の生涯において《幸福》とは何でしたか?

どういう時に先生は幸福であると思いましたか?

あるいはどういう時にそう思いますか?

なにが個人的な幸福でしたか?


ローレンツ▼

それはいろいろあります。

個人的な幸福とは、友情と愛です。

自分のことを好いてくれ、遊びに来てくれる知人たちを持っているのは、信じ難いほどの安心感を与えるものです。

これは人間の内面的均衡を保つのに不可欠だと思います。

だからこそ、洗脳は全くその反対で、人を孤立させ、全てを奪ってしまうのです。


クロイツァー▼

つまり生物学的に説明するならば、チンパンジー1匹だけではチンパンジーとは言えず、人間1人だけでは人間とは言えないわけですね。


ローレンツ▼

人間1人は、全く人間だとは言えません。

また好奇心を持たず、仕事をしない者も人間とは言えません。

私にとって最高の幸福、子供のような純粋な幸福は、何か新しいものを見ることです。

まだ手にしたことのない荷をほどくのは、今でも大きな幸福です。

なんらかの表現がうまくできたとき、また本を書き終わったときです。

最高の幸福はおそらく《電撃(フルグラチオン)》のうちにあるのでしょう。

つまり、着想の閃きがあって、「ああ、なるほど」と言える時のことです。


クロイツァー▼

《天竈の火花》が閃く体験ですね。


ローレンツ▼

そう、天竈の火花の体験です。

おそらく人間に与えられた最高の幸福でしょう。


ローレンツにカントを教えたのは、


相棒のティンバーゲンの奥様だったという


エピソードもあった。


”解剖”で”医者”で”カント”ってくると


養老先生を連想するが他にも共通項が


多々ありそうだと読んでて思った。


カントは一冊読んだが難解で自分には


理解できずしかしところどころの


キーワードが何となく引っかかった程度でして。


自分よりも上の世代は、マスト哲学者として


”デカンショ”という合言葉のもと


デカルト、カント、ショーペンハウワー


の3人を指し今でも古典として読み継がれてるのは


言いたいだけでございました。


《天竈の火花》って検索したのだけれど、


読み方すらわからなかった。


「竈」が「かまど」ってのは分かるのだけど


閃き、インスピレーションのメタファっぽい


というくらいで、ひとまず置いといて


それが人生においては幸福で大事である、と。


それはそうと、更に人生で大切な日常生活として


昨日風呂掃除し忘れたので、今日はせなければ。


 


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柳澤桂子先生の35年前の本から”放射能の怖さ”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

放射能はなぜこわい―生命科学の視点から


放射能はなぜこわい―生命科学の視点から

  • 作者: 柳澤 桂子
  • 出版社/メーカー: 地湧社
  • 発売日: 1988/10/01
  • メディア: 単行本

はじめに から抜粋

大きな組織に組み込まれると、個人の意志とは関係なく、不本意な動きをさせられてしまうことがあります。

原子力問題でいちばんの悪者はいったい誰なのでしょう。


原子力を発見した科学者でしょうか。

原子力発電を考案した人でしょうか。

それを使おうとした電力会社でしょうか。

それを許可した国でしょうか。

そのおそろしさに気づかなかった国民でしょうか。


そのように考えてきて、私はふと、私がいちばん悪かったのではないかと気がつき、りつ然としました。

私は放射能が人体にどのような影響をおよぼすかをよく知っていました。

放射能廃棄物の捨て場が問題になっていることも知っていました。

けれども、原子力発電のおそろしさについては私はあまりにも無知でした。


たしかに各国の政府は原子力発電が安全なものであると宣伝しました。

けれども私はこの歳まで生きて、政治というものがどういうものか知らなかったとはいえません。


スリーマイル島の事故のとき、それをどれだけ深刻に受け止めたでしょうか。

人間のすることにミスはつきものであることは、いやというほどわかっていたはずです。


そして、さらに、チェルノブイリの事故が起こってしまいました。


いまや原子力発電のおそろしさは歴然としています。

この事故が起こったことはたいへん不幸なことでしたが、それを不幸なできごとで終わらせないために、いま私は何をすべきかということを真剣に考えました。


盛り上がる国民の反原発運動に対して、国や電力会社は感情論であるという見解を振りかざしています。

たしかに、自分の目で確認できないことに関して、私たちは何を信じてよいかわからなくなることがあります。


ただひとつ、私は生命科学を研究してきたものとして、はっきりと言えることがあります。

それは「放射能は生き物にとって非常におそろしいものである」ということです。


生命の奇跡、原理をやさしく解かれ


ゲノムについてを解説されている柳澤先生の本を


何冊書かれておられるであろうか。


そしてそれが理解されていなくて、随筆本の方が


多く読まれているような現状に


自責の念にかられていると柳澤先生のムック本の


佐倉統先生の文にもあったけれども


柳澤先生は本当にストイックで誠実であることが


分かり、読んでいて悲しくなる事がある。


現実との乖離ゆえなのかそれが人間の業であるから


なのか、わからないけれども、美しくもあるが


悲しくなるのは、実はあまりよろしくないのだと


思うに至るという件はひとまず、置いておいて、


柳澤先生の言葉に耳を真摯に傾け、自分も何かに


対して諦めてはいけないと鼓舞する


毎日でございますことをご報告させて


いただきたいと存じます。


ひとりひとりの自覚から から抜粋


チェルノブイリの事故は、原子力発電のおそろしさばかりでなく、国家が、会社の幹部が、学者が、いかに頼りにならないかということを教えてくれました。

肩書は人間を弱くし、不自由にするもののようです。


また、人間はものごとの全体を見る能力が劣っているように見えます。

ものごとのひとつの側面にのみ目がいきがちです。


私は一つの思想を見出した。

ゴーウィンダよ。

おん身はそれをまたしても冗談あるいはばかげたことと思うだろうが、それこそ私の最上の思想なのだ。

それはあらゆる真理についてその反対も同様に真実だということだ!

つまり、ひとつの真理は常に、一面的である場合にだけ、表現され、ことばに包まれるのだ。

思想でもって考えられ、ことばでもって言われうることは、すべて一面的で半分だ。

すべては、全体を欠き、まとまりを欠き、統一を欠いている。

(H・ヘッセ『シッダールタ』)


ものごとのひとつの側面しか見ることができない、これが人間のほんとうの姿なのではないでしょうか。

それはしかたのないこととしても、やはり研究者は自分の研究だけに閉じこもらず、他の分野の研究にも目を向けて広い視野をもつように心がけるべきでしょう。


けれども、科学は急速に進歩していますから、すべての分野に精通することは不可能です。

そのことを一般の方々もよく認識して、確実なものとそうでないものをみわける目を養わなければなりません。

研究者の方々には、新しい代替エネルギーの開発に力をいれていただきたいと切望します。

安易に原子力に頼るかぎり、よい知恵は浮かばないでしょう。

また、正確な情報を素人にもわかるように提供してくださるようにお願いいたします。

一般の人々を適当にいいくるめるのではなく、すべてのひとが納得いくまで説明する労を厭わないでいただきたいと思います。


私たちは、どうすればエネルギーの消費を節約できるかということを真剣に語り合わなければなりません。

いろいろな生活スタイル、いろいろな価値観をもった人々がいろいろな状況で生活しているのですから、それぞれの生き方に合ったエネルギーの使い方を選択できるような方法を考える必要があると思います。


電気やガソリンのように、エネルギーとして私たちが使うものだけでなく、すべてのものはエネルギーの消費とつながりを持っています。

紙一枚にしても、原料の採取、輸送、紙の製造、包装、輸送、販売とたくさんのエネルギーの消費の結果作られたものです。


快楽にふけって、エネルギーやいろいろなものを消費し続けることは、地球とそれを取り巻く環境を汚染し、生物の生存するかぎり子孫に伝えられていく、DNAの傷、突然変異が蓄積していくのだということを肝に銘じようではありませんか。


原子力発電の問題も、こうなるまで気づかなかった私たちにも責任の一端はあるように思えます。

一部の人を責めるのではなく、これを人類の過ちとして、ともに解決に向けて努力することはできないのでしょうか。


さういうことはともかく忘れて

みんなと一緒に大きく生きよう。

見えもかけ値もない裸のこころで

らくらくと、のびのびと、

あの空を仰いでわれらは生きよう。

泣くも笑ふもみんなと一緒に。

最低にして最高の道をゆかう。

(高村光太郎『最低にして最高の道』)


目覚めようではありませんか!

地球と生命をまもるのはわれわれ庶民なのです!

子孫に美しい地球を残すために世界の人々と手を取り合って、ひとりひとりが自覚して行動する勇気をもとうではありませんか。


この後、「あとがき」がさらに


放射能の怖さを強く思わせる


体験からのエピソードが。


それとは別に過日Amazonプライムで


1990年代NHKで作られた「遺伝子」の


番組を視聴していたら、思いがけず


エンディングのタイトルロールに表示された


番組監修者に柳澤桂子先生のお名前があり


妙にうれしくなったことは言うに及ばずな


日曜日、トイレは掃除しましたのでこの後


お風呂掃除をしたいと考えております。


 


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中村桂子先生の10年前の本から”日常”を思う [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

ゲノムに書いてないこと


ゲノムに書いてないこと

  • 作者: 中村桂子
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2014/01/31
  • メディア: ムック

はしがき から抜粋

「生命誌」という新しい知を「研究館」という新しい場で創っていこうと考え、それを具体化してから20年が経ちました。

そこでは、多様な生きものたちの科学研究を通して、生きていることはどういうことだろうと考え、そこからいのちを大切にする社会をつくるにはどうしたらよいかを探る活動をしてきました。


生命誌研究館の大事な活動の一つであるホームページで月2回(1日と15日)、”ちょっと一言”というコラムを書いています。

特別なことはなくまさにその時の日常を思うままに書いているだけなのですが、今回、それをまとめてみませんかというお誘いを受け、思いきって整理してみました。


すると、研究館の日常には大勢の方が関わってくださっていることが見えてきました。

とくに意識していませんでしたが、これこそこの20年を象徴することだと思いました。


このコラムはただいま現在も継続されていて


頻繁に拝読させていただいております。


Webの方では数年前の昔のコラムは


削除されてる為、過去記事を読んでみたいなと


思っている矢先でございました。


3 仕分け人という思いもよらないものになって


そろそろこの辺りで から抜粋


JR西日本の福知山線が再開しました。

この事故は、たくさんの方が亡くなり、とくに若い方が多かったこともあって、思い出すだけで胸が痛みます。

そして、何か心の中にもやもやしたものが生まれてきます。

事故そのものの原因の究明と対応は重要ですが、それだけではすまないものを抱えているような気がしてならないからです。

正確さ、迅速さで世界に冠たる日本の鉄道。

誰もがそう思ってきました。

原則としてはそうだと思います。でも…。


どこの会社がダメとか、誰が悪いとかいう話ではなさそうです。

「社会が急ぎすぎている」。


ゴールがはっきりしている競争なら、一刻も早くとなりますが、多くの人が今の社会は先行き不透明だというのです。

どこへ向かうかもわからず、急いでどうなるのでしょう。

競争のための競争、内容が見えない改革というかけ声。


研究現場でも、若者たちがとても焦っています。

そこで「スロー」というかけ声をかける人が出てきましたが、スローならよいというものではありません。

どんな社会にするのかを考えることが必要です。


社会全体の速度を落とさない限り、事故は起こるのではないでしょうか。

皆が、自分の生きものとしての物指しを活用して、社会の活動の速度を落とす方向へ持っていかないと、生きものである人間は悲鳴を上げることになるでしょう。

もうかなり悲鳴が聞こえています。

子どもたちからも。

皆でただ忙しく過ごし、失敗した人を非難していてもよい社会にはならないと思うのです。

(2005.07.01)


右肩上がりで成長するんじゃー!と


言わされていたモーレツサラリーマンだった


暗い時代に読んでおきたかったと


一瞬思うも、もし読んだとしても


どうにもできずジレンマに陥ったかもしれない。


この文章は中村先生にまったくの同意を


示さざるを得ないただいま現在なのですが


もう会社員ではないので社会参画者として


一翼を担っていきたいと肝に銘ずる次第です。


福知山線の事故は当時のモーレツな同僚たちと


ランチ中だったことを思い出した。


担保は人間の信頼 から抜粋


すばらしい!!

今年のノーベル平和賞をグラミン銀行(グラミンは村の意味とのこと)とその設立者ムハマド・ユヌス総裁が受賞。

竹細工の製作と販売で生計を立てている女性が、一日二セントしか利益がない理由は材料費を高利で借りているからだと知ったところから始まるこの事業には「物語」があります。

必要なお金六ドルを無担保で貸したところ、利益は1日二ドル二十五セントになり、貸したお金はきちんと返却されました。

担保がないために、高利に苦しみ貧困から抜けられないだけで、意欲も能力もある人が大勢いることを知って創設したグラミン銀行。

借り手の90%は女性であり、98%の返却率とのことです。

お金ってこういう風に使われるものですよねと嬉しくなります。


女性は家に縛られていて動けないから、女性に貸せばとりはぐれがないのだという意見も眼にしました。

いろいろ論評はできるでしょう。

でも、この活動の底には、人間への信頼があります。


昨日も文科省から研究費の使用に関して、性悪説で対応しようと読み取れる書類が回ってきました。


こういうことって悪い方へまわり始めるとどんどんそちらへ進み、それを防ぐために、またお金と時間を使うことになるのです。


研究も「物語」が必要だというのが生命誌を始めた一つの理由ですが、物語には、全体を見る眼と人間を見つめる眼が必要です。


もちろん人間よいところばかりではありませんが、ダメも含めて信頼したいと思います。

(2006.11.01)


余談だけど”物語”って少し前に流行った


”ストーリー”ってのが巷に流布していたので


ございますがそれのことを予見していると思い


さすがに感性が優れていると感じた。


これまた自分はモーレツだった頃の話で。


水を差すようで残念だけど


グラミン銀行はつい最近、おかしな方向に


いっているとニュースが。


日本列島の豊かさを生かした暮らしーーなぜ一極集中なのでしょう から抜粋


原子力発電所を稼働するか止めるかと言う議論は、安全性への危惧とエネルギー供給との間の綱引きになっています。

共に大事なことなのですが、電力不足により生活の質が落ちるという脅しと身の回りの放射能はゼロであれという要求のぶつかり合いでは本質は見えません。

今の私たちの暮らし方が賢い選択なのだろうかと考える必要があります。

答えは人それぞれでしょうが、そん議論から何かが見えてくるはずです。

私は、東京一極集中と金融経済がどうも肌に合いません。

一極集中はそもそも先進国らしくありません。

北海道から沖縄までそれぞれの自然を生かした豊かな生活ができるのに、それを生かした国づくりをしなければもったいないと思うのです。


リニアモーターカーを日本で走らせるのがよいかどうかは別としても、東京ー大阪間につくることがあたりまえとされているのはなぜでしょう。

過密なところに暮らす人たちを更に忙しくし、より多くの人をそこに集めるのが望ましい未来の姿なのでしょうか。


これは極端な例ですが、身近に違うなと思うことがたくさんあります。

エネルギーにしても、自然再生エネルギーを活用しようとしたら分散型になりますし、生きものとしての暮らしやすさを考えたら答えは一極集中じゃないですよね。

(2012.07.01)


このほか、会った人や読んだ本のことなど


書かれていて興味深く、時にはシリアスに


また楽しく拝読。


岡本太郎記念館で講演会を敏子さんからの


オファーでうけ、講演直前に敏子さんが


亡くなってしまわれたというのは知らなかった。


更に意外だったのは、かの”吉本隆明”先生


にも触れていて積極的には読まなかったものの


”宮沢賢治”を通して氏のその関連書を読まれた


書評のようなものが印象的。


引用の仕方も自分の中に溶かし込まれた


紹介の仕方がかなりユニークだと感じた。


確かに吉本先生との相性はあまりよろしくない


ような”対幻想”とか”国家”とか”絶対性”とかって


中村先生を構成される要素にはなさそう


と思いつつも通底するところもあり


”言葉”とか”詩”とか”市井の生活”とか。


久々の早朝読書で休日でありつつも子供が風邪で


ダウンのため妻と交代で家のことをする


モーレツに寒い日曜の朝なのでした。


先週トイレ掃除サボったから今日はやらないと。


 


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北野監督の昔の対談から”知的探求”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


ザ・知的漫才 結局わかりませんでした (集英社文庫)

ザ・知的漫才 結局わかりませんでした (集英社文庫)

  • 作者: ビート たけし
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1999/07/16
  • メディア: 文庫

初版時は90年代半ば、バブル弾けて

北野監督バイク事故の数年後、

一流の学者先生たちとの対談本。

内容は時事ネタから監督の興味のあるものや


多岐に渡り、今でも読み応え充分で


最初は養老先生目あてだったものの


松井先生のものが一等響いた次第でございます。


第1章


松井孝典


Part1 愛は地球を滅ぼす。


たけし▼

なんか、人間の考え出すことなんてたいしたことねえな、というのは感じますね。

たとえば、映画やアニメの怪獣とか、ありますよね。

円谷プロなんかが作るやつ。

いや、べつに円谷プロがカッコ悪いっていうんじゃなくて。

たとえ、どんなアーティストが自由に、思い通りの形・色彩で生き物を創造したとしても、実際の動物より独創的であったためしがないじゃないですか。

ナポレオン・フィッシュとか、ああいうのを見ちゃうと、とても人間の脳では考え出せないなと思っちゃう。

単細胞からずうっと進化してきたスゴさっていうか、自然のスゴさですよね。

もしかすると、人間なんて足元にも及ばないような、圧倒的な創造力があって、ああいうものを作ったんじゃないかって、そういう気もしてくる…。


松井▼

そう。少なくとも人間の知性は、自然を超える知性ではない。

そもそも我々が持っている知識なんて、すべて自然から学んだものですよ。

今、たけしさんは生き物を例にとって進化論で語ったけれど、物理だって化学だって、科学はすべて自然を観察するところから始まるわけです。

自然現象と、その背後にある規則性を分析して、法則というものを導き出してゆく。

そしてその法則を基に、人間にとって役に立つ技術を発展させながら、また、今度はそれを用いてより深く自然を観察するということを人間は繰り返してきたわけです。

膨大な知識といっても、人間が蓄積してきたものは、自然を超えるものではない。

じゃあ、自然界には存在しない、人間の持つ創造性ってなんかのかと訊かれれば、僕は二つしかないと思っている。

宗教と芸術ですよ。


たけし▼

以前、どこかのデパートで『ネアンデルタール人とクロマニヨン人展』というようなのをやっていて、オイラも行って見てきたんですよ。

ところが、そこにディスプレイされていた絵が間抜けで、大笑い。

美術学校で古典から現代美術と言われるものまでひと通り絵の勉強をした人が描いたんだろうけど、5万年前の原始人にはかなわないんだ。

ああいうのは、いったいなんなんだろうって思いますね。


松井▼

そういうのがまさに、時代を超えた個人の能力じゃないですか。

やっぱり芸術と宗教というのが、いちばん人間の創造性を発揮できるところでしょう。

それに比べれば、僕のやっている自然科学というのは大したことない。

だって教材があるんですから。

自然を教材にして、一生懸命勉強しているだけのことです。


単なる謙遜には思えない、高い視座でのファクトって


崇高で近寄りがたいものがあるなあと感じた。


共振する二人の達人みたいな。


たけし▼

宇宙の終わりというのは、どういうものなんですか?あるんですか?


松井▼

宇宙というか、”生命の存在する宇宙”の最後というのは、すべて鉄元素一色になって終わるんですよ。

これは、星の中での元素合成を考えてみればいいんだけど、まず水素から燃え始めるでしょう。

水素が燃えてヘリウムができて、ヘリウムが燃えて炭素ができてと、順々に思い元素ができてゆく。

そうやっていって、いちばん最後に到達するのは鉄元素なんです。

鉄の原子核というのが、元素の中でもっとも安定している。

言い換えると、最もエネルギーの低い状態ですね。

燃えるものがなくなって最後に星が爆発する時に、その爆発のエネルギーで鉄より重い元素も作られることもあるんですけど、それは安定じゃないから放射壊変して壊れていってしまう。

とにかく鉄の元素がいちばん安定。

だから、宇宙に鉄がどんどん濃縮されていって、生命の材料となる物質がなくなって、終わりを迎えるんです。


たけし▼

つまり、宇宙全体が鉄の塊になるわけですか…?


松井▼

そう。

星も輝かないし、人間もいなくなるし、真っ暗になって終わり。


たけし▼

なんか暗くなってきちゃったなあ(笑)。

真っ暗になって終わるんだったら、どうでも良くなっちゃったりして。


松井▼

地球だって、あと50億年もしたら星自体がなくなっちゃうんですよ。

どんな巨大なピラミッドを建てようが何をしようが、ガスになって宇宙空間も散っちゃうんだから。


たけし▼

地球は、どうやって終わりになるんですか?


松井▼

地球が終わるより、その前に生命がいなくなるのは、もっと早いですよ。

というのは、海が蒸発しちゃいますからね。

でも、その前もまず大気中の炭素が少なくなるから、極端に例外的なものを除いて、普通は生命は存在しづらくなる。

まあ、当然、人間はダメですね。

今、二酸化炭素が悪役になっているけど、生命にとって炭素は非常に重要なんですよ。

炭素があるから、地球が今の地球でいられるわけだし。


たけし▼

その、炭素なくなるとか海が蒸発するっていうのは、どうにか防げないんですか?


編集者▼

そうですね。自分が生きている間には、そんなことは起こらないとわかっていても、なんだか憂鬱になってきちゃったし。


松井▼

防げなくはないだろうけど、その頃にはもう、あなただけでなく、人間という種がいなくなっていると思いますよ。

生物界には絶滅の周期性というのがありますから。

1億年も2億年も、高等生命の同じ種が生存するなんてありえないんです。

どんなに長くたって2千万年かそこらでしょう。

ましてや人間みたいに複雑なものになると、余計それが短くなる。

人類の原型が登場してもう、数百万年経っているわけだから、そろそろ絶滅してもおかしくないですよね。


編集者▼

そ、そんなあ…。


たけし▼

そんなって言ったって、しょうがねえだろう。

まあ、子孫や地球の最後を心配するより、自分の生き方でも考えるんだな。


松井▼

そう。

何度も言ってるじゃないですか。

しょせん人間なんて、考えることもたかが知れているし、ちっぽけな存在なんだ、と。

ただ、それで投げやりに生きるか、何かを極めてから死ぬか、その差ですよ。


たけし▼

おいらは、あがきますよ。

あがくのが楽しくて生きてるんだから。


松井先生、以前拝読したものも、


興味深い地球、宇宙の未来。


鉄の塊になるってのもなんですが


極めてから、っていうのが深い、というか


そうありたいと思う、単純に。


終末観に言及されているのは当時


世紀末という時代背景も若干あるのかなあと。


第二章


養老孟司


Part2  脳は神様の声を聞けるか!?


養老▼

そもそも、親が子供の脳を自分の思い通りにできるなんて考えるのが大きな間違いなんですよ。

それにたとえば、脳の中の記憶のメカニズムだとか、そういう基本的な部分もまだわかってないのに、「あなたのお子さんも天才になれる!」なんてやっているところは、どっかでひどい手抜きをしてるに違いない。

ただ、これにはいろいろなレベルで実験されているんだけど、たとえば子猫の頭を固定して縦縞しか見せないようにすると、脳の中の、横縞に反応する細胞がなくなってしまうんですよ。

あと、人間でも狼に育てられて言語とまったく接触しなかった少年なんかは、言語を司る部分ができてこない。

人間の脳の、言語という機能を生む部分などは、初めから言語を担当すると決まってるわけじゃなくて、ほかの機能と取り合いになるんですよ。

また人間みたいに脳が大きくなってしまうと逆に、他の動物が自然に一人でやっていることでも親が教えないとだめという面がありますしね。


たけし▼

脳がデカくなると、作っちゃいけないものまで作ったりとか、いらぬことも始めますよね。

嘘もつくし。

昔、単細胞のような単純な生き物だった頃は、嘘なんてなかったはずなのに。


養老▼

たけしさんが言った「いらぬこと」を僕は”余分”と言ってるんです。

脳に入ってくる情報と出ていくのがイコールだったらそれは生まれないんだけど、人間は必要のないことまで知ってしまうから、余分が出てきちゃう。

人間なんか、ほとんど余分の塊ですよ。

「ものを考える」なんて典型でしょう。

外から見たら何もしてないんだから、本当に無駄。

だから「下手な考え休むに似たり」というわけでね。


たけし▼

芸術もそうだけど、お笑いなんてのも、その余りの部分を刺激して喜んでるんだよね。


この頃の養老先生の世間でのパーセプションは


東大教授で脳科学者という面がかなり強く、


(まったく間違ってはないけれど)


話題もそれに終始していて


この頃から先生の態度というか物腰というか、は


基本は変わってないのだなあと感じた。


この後の快進撃、超ベストセラー連発作家となるも


これはご著書で何度もご自身で仰ってもいますが


自分が言っていることは何も変わってない、と。


『バカの壁』以前の存在感が伝わるという意味で


貴重でございました。ってマニアックすぎだよ。


余談だけれど、北野監督、この動画を見ると


宇宙とか科学が好きそうだなあ、と思わせる歌詞


だと常々感じていたことが確信となった


とても寒い1日でございました。


 


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ローレンツ/ポパー博士の対談から”世界”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

未来は開かれている―アルテンベルク対談・ホパー・シンポジウム(ウィーン)記録


未来は開かれている―アルテンベルク対談・ホパー・シンポジウム(ウィーン)記録

  • 出版社/メーカー: 思索社
  • 発売日: 1986/11/01
  • メディア: 単行本

第2日ーー三つの世界


人間は嘘をつけるが、動物は嘘をつけない


から抜粋


ポパー▼

私の問題点は、何よりも人間の言葉と動物の言葉との違いということです。

私にはこれが本当に中心問題であると思われます。

言語学者はみんな、あるいはみんなでなくても大部分、私の師、カール・ピューラーを本当には理解しなかったし、本当には徹底的に読まないできました。

彼らはピューラーの説がどんなに重要であるか気づかずにきてしまったのです。

もし私が今何らかの言葉で締めくくりをしなければならないなら、私はこういうふうに締めくくります。

ピューラーは言語学、音楽学、芸術学にとって決定的な意味のあることを言ったのだ、と。


ピューラーは、すべての動物がーー私をも含めてですーーとにかく表現をするということに注意を向けてくれました。

ブーブー鳴いている豚は、それで内部の状態を表現します。

動物はこのように自己表現をし、その表現はある程度まで言葉とみなすことができるのです。

これが、ピューラーによりますと、言葉の最低の水準であり、話がされる時にはいつでも一定の役割を演じるものなのですが、人間の水準にはまだ達していないものです。


その次に、第二の水準があります。

この第二の水準は、ピューラーが言語の解発機能(Auslosefunktion)と呼んでいるものです。

これは例えば、私が今こうして話をすればーーまあ私はそう望んでいるのですがーーそれが私の聴衆であるあなた方の中に何かを解発する、つまりそれがあなたがたに刺激を与えて、私の言っていることに反応させる、ということを意味しています。


これが解発機能ないしはコミュニケーション機能で、動物の場合にも大きな役割を演じています。

この場合、動物で最も重要なのが、警告の叫び声ないしは警告のサインです。

それから、異性の相手をひきつける誘いかけの呼び声も重要です。

これが第二の水準であり、あらゆる動物の場合に生じるものであって、生物の間でのコミュニケーションを意味します。

コンラート・ローレンツは、人間ではこの機能が動物の場合よりもずっと発達していると強調しますが、まさにその通りだろうと思います。


以上のようなことで我々には二つの比較的低い水準のものがありますが、それが表現機能とコミュニケーション機能なのです。

ほとんどすべての言語理論家はこの表現機能だけか、あるいは表現機能とコミュニケーション機能だけを理解し、人間の言葉について、それがあたかもただ表現とコミュニケーションだけであるかのように語っています。

しかし、人間の言葉の本来的で重要で革命的な点は、それが表現機能とコミュニケーション機能を決定的に超えて、抽出機能となっているところなのです。


人間の言葉は、例えば数千年も前に起きたものごとを描写することができます。

それは今日、ユーリウス・シーザーの殺害のことを語ることができますし、また逆に、おそらく一年後、ないしは数百年後、ないしはまた数千年後に起こるかもしれないものごとを描写することもできます。

例えば、氷河系の中にある星雲の爆発です。

人間の言葉はまた数学のように全く抽象的なものごとを描写することもできます。


一言でいえば、それは単に警告や誘いの呼び声に限られていて、その瞬間に役立つのではなく、その表現の仕方において話の瞬間に長くしばられていないのです。

そしてそれは何よりも理論をたてることができます。

そしてそれは理論を立ててしまうと、その理論批判することができるのです。


この決定的な人間的状況というものは、カール・ピューラーがそれを1918年に、短い論文の中で非常に明瞭に表現した(批判の機能だけは別です)にもかかわらず、一般に言語学者によって無視されてきました。

私はしかし、こうしたものごとを言葉で表現するという可能性、それが人間の文化の基礎であると思われるのです。

ごく手短にいえばこうも言えます。

人間はその言葉で、少なくともある仕方では嘘をつくことができるが、どう動物にはそれができない、と。


それをもっと精密に分析するとどうなるかーーそれについてはいろいろたくさんのことが言えます。

もちろん動物もある意味では嘘をつけますが、人間は本当のことばかりでなく、偽りのことも言うことができるのです。

そしてこの偽りの事というのは普通全く嘘ではなく、思い違いなのです。


ポパーによるあとがき(1984年12月)から抜粋


完全な社会秩序はありえない、ということがはっきり分かったとき、私はある青年運動のメンバーだった。

私は16歳を越えたところで、全然組織だてられたものではない一つの青少年グループに属していた。


しかしこのグループの中にさえ、そう重大なものではなかったが、やはり緊張があり、起こってはならないはずの仲違いがあった。

このグループでさえも不完全な社会だったのである。


暴力や脅迫で人々を取りまとめておくという試みが、今日まで繰り返して行われてきた。

地獄に落ちるぞと脅迫するのも、そうした試みの一つであった。

もっと現代的なものとしては色々なテロの方式がある。


政治権力についても一言ふれておきたい。

プラトンは問題をこのように定式化している。

誰が支配するべきであるか。

少数者がか多数者がか。

答えの方はこうである。

最善の人が支配すべきである!

ムッソリーニかヒトラーが答えたとしても、これと同じことを言ったであろう。

問題は本質的には全然変わらないままだった。

マルクスもまったく同じ問いを出している。

「誰が支配すべきか。資本家がか労働者がか。」


しかし、「誰が支配すべきか」という問いは、問いとしての立て方が悪いのである。

私は別の問いをするように提案した。

つまり、こういう問い方に変えるのである。

悪い支配者でもあまりに大きな害悪をひき起こすことができないようにするには、どのように国家と政府を組織だてたら良いのであろうか。

この問いに対する答えが、血を流すことなしに我々の手で政府を解任できる民主主義なのである。


私は以上のすべての点を次のような言葉にまとめたい。

我々の西側民主主義国は、これまで歴史に存在したうちで、最も公正な社会秩序である。

そして、それは最も良い社会秩序である。

なぜかというと、それが最も改革を喜ぶ、最も自己批判的な社会形式だからなのである。


戦争と原子爆弾に関して言えば、原子爆弾も悪くないことを作り出しているのである。

人類の歴史においてはじめて、誰一人としてもう戦争を望まなくなったからである。

西側でもロシアでもそうなのだ。

(ロシアの指導者たちは、われわれが勇気を失い、戦争をしないで引き下がることを望んでいるのである。)

われわれが今にしてようやく全員をあげて戦争に反対しているということは、なんといっても重要な事実である。

しかし、戦争の阻止は非常に大切な問題であって、あとがきの中で議論することはできない。


民主主義の国家は、その国民より良いものではありえない。

したがってわれわれは、開かれた社会の大きな価値ーー自由、相互扶助、真理の探求、知的な責任、寛容などーーが、将来も価値として認められることを望んでいかなければならない。

そのためにわれわれは最善の努力をしなければならないのである。


訳者あとがき から抜粋


共に80歳を越えた両学者が、辿ってきた長い道のりを振り返りながら、そこで行われてきた複雑な考察に、反省的な首尾一貫性を与えようとつとめ、学問とその批判、進化と認識、社会と倫理を中心に、率直極まりない論旨を繰りひろげており、そこには二人の著作を通じた場合とはかなり異なった形で、思想と人柄がよく浮き彫りにされているといえよう。

進化の延長線上に私たちの認識をおく点ではポパーもローレンツも変わりはないが、それでも二人の対談にはいくつかの小さな対決が見られ、すり合わせの努力も行われている。


ローレンツの場合もポパーの場合も、思想の一貫性を打ち立てようとする意欲が、若い人々に語りかけようとする欲求と表裏一体をなしていることは注意しておかなければならない。

この点はアルテンベルクの対談、ウィーンのシンポジウム両者を通じて言えることであり、まさにそれゆえ本書の題名が「未来は開かれている」とされているのである。

この《未来》には生物学的未来と社会制度上の未来が同時に含まれているが、《開かれている》という表題は、もっぱら未知であり未定であることを意味しており、未来には望洋たる未来があるばかりではなく、その未来は私たち人類の考え方生き方によってまったく未来のないものになってしまうかもしれない、という強い警告ともなっているのである。


なかなか手強い、”世界”というか”歴史”というか。


ロシアはこの後、ソ連になり


またロシアに戻り、戦争をしている。


それ含め世界は今二つの戦争が起こっている。


”戦争”と呼んでいいのか、の議論もあろうが


一旦それは置いといて、ポパー先生の言葉には


初めて触れたのだけど、さすがに深いものがあり


しかし、戦争をしている今の


世の中をなんというだろうという


これまたいつものように詮無い戯言のような


しかし看過できないという世界情勢であったり。


すでに分子レベルになっておられるから


なにも言いようがないだろうけれども。


養老先生や中村桂子先生を読んでいるから


または「杜人」という映画を観たから


というわけでもないだろうが世界や文明を


考えてからの”自然”や”生きもの”とか


深く考えてしまった雨の日曜休日の


午後なのでありました。


 


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ローレンツ/ポパー博士の対話から”哲学”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


未来は開かれている―アルテンベルク対談・ホパー・シンポジウム(ウィーン)記録

未来は開かれている―アルテンベルク対談・ホパー・シンポジウム(ウィーン)記録

  • 出版社/メーカー: 思索社
  • 発売日: 1986/11/01
  • メディア: 単行本

本書について から抜粋


本書に収められているテキストは、1983年にセンセーションをまき起こした二つの出来事を、読者の眼前に再現するものである。


科学理論の専門家であり哲学者であるカール・R・ポパーと、医者、動物学者、動物行動学者であるコンラート・ローレンツとが、彼らの学問的な業績、彼らのあげた成果の解釈、彼らの哲学的な所信について議論をたたかわしたのである。

中心になったテーマは、われわれは未来について何を知っているか、われわれは預言者なのか、という事であった。

楽観的悲観論者であるローレンツと、現在の西側世界を《これまでの世界のうちで最も良い世界》と解釈するポパーとは、われわれの世界が生物学的にも精神的にも開かれたままである、つまり、まったく未知である、という点で意見の一致を見たのである。


われわれの世界は真理を実証できる世界ではなく、誤りを反駁(はんばく)できる世界である。

しかし世界は存在するし、真理も存在する。

ただ世界と真理についての確実さは存在し得ない。


●未来は開かれている

コンラート・ローレンツとカール・R・ポパーの炉辺対話


この対話は、ウィーン郊外のアルテンベルクにあるコンラート・ローレンツ家で、1983年2月21日に行われたものであり、フランツ・クロイツァーが司会者として参加した。


生態的地位(ニツチ)ーー見つけたものでなく、発明したもの


から抜粋


クロイツァー▼

ローレンツ先生、先生は先ほどご親切にも、1981年の私との対話の表題、《生命は学習なり》に触れてくださいました。

私はその前後に行われたポパー教授との対話から、どうもこの辺りに対立とまではいかないまでも、とにかく解明を要する意見の相違があるという印象を受けてきました。

ポパー教授が書かれたり話されたりしたものから私が受け取ったものは、どうも私にとっては《生命は教説なり》でした。

つまり、生きるということは、理論や仮説やドグマや教説を世界に移してみて、その妥当性を吟味してみることなのです。

この辺りに本当に対立があるのかどうか、それとも一方の定式化がもう一方の定式化と一致できるか、ないしはその中に解消させることができるのか、その点がこれからの対話ではっきりさせられれば、私にとっては非常にありがたいことなのですが。


ポパー▼

繰り返して言おう。

おそらくダーウィンのいう淘汰によってであろうが、はじめから生命はより良い世界を求めているのだ。

コンラート、君は生態学的地位について話をした。

これもまた私の好きな表現の一つなんだ。

ただある一点でだけ私は君を批判したい。

君は生態学的地位が《占められてしまって》いるというが、そういうと生態学的地位がはじめからあったかのように聞こえるね。

そうではないんだ。

生態学的な地位は生命によって発明されるんだ。


ローレンツ▼

まったくその通り。


ポパー▼

はじめからあったのはなんとでもなるものだ。

しかしそれが生態学的地位となるのは、はじめて生命によってなのだ。

生命は希望し、生命は働くーーあたかもより良い世界を見つける。

つまりより良い地位を見つける希望を持っているかのようにだ。

植物と動物は、新しい地位を見つけるための冒険をおかそうと構えている。

そしてこのイニシアチブを持っているものが、淘汰によってより高い水準に到達する。


ローレンツ▼

その通り。


ポパー▼

イニシアチブや好奇心やファンタジーのない生物は、もうすでに占められている生態学的地位を得ようとして闘わなければならない。

ところがイニシアチブを持っているものは、新しく発明された地位を使える。

おもしろいのは、すでに当初から生態学的な地位は生物によって作られるということだ。

しかし、その点で、ちょっと言っておかなければならない。

私の意見によると、世の中ではあまりに《疎外(エントフレムドウング)》についていろいろのを言いすぎる。

私なら、生命自身が阻害を絶えず求めている、というだろう。

生命は、冒険的な行動に走り、見知らない地位にも入り込むことによって、自分の自然な生態学的地位から絶えず自己疎外を行なっている。

裸の遺伝子が膜を発明したり、私たちがオーバーに身をくるんだりするのは、裸であることに対する疎外対象なんだ。

疎外についてなされているおしゃべりは、危険で笑うべきおしゃべりだとしか思えない。

そこで起きているのは、新しいみしらぬ状況をあえて試みようとし、それを探している生命の冒険なのだ。

これだけでより高く進化することの全部が説明できるといわけではないが、決定的な役割を演じているのがlこれなのだ。


クロイツァー▼

ローレンツ先生、先生はこう言われたことがありますね、ベン・アキバの「すべてのものは存在していた」という言葉ほど馬鹿げたものはない、と。


ローレンツ▼

そうだ。

私なら「何一つとしてすでに存在していたものはない」と言うね。


ポパー▼

そのとおりだよ。


ローレンツ▼

君のおかげで今えらいことを考えついてしまった。

つまり、適応の水準を超えて危険をおかして何かを試みるものは、それに成功すると一段高いものになる、という考えだ。

これは私にとっては本当に新しい考えだ。

この対話から持ち帰れるおみやげで非常に重要だと思われる。


だから君の意見に賛成で、もちろんどんな生物も自分の生態学的地位を作り出す、それもまた他のあらゆるものたちの間にだ。

それに君の言ったこと、喜んで危険をおかすものが、その後一段階上に到達するというのは、まったく私の感じと一致している。

つまり、生物は何か新しいことを発明し、危険を省みずに何かを敢行しないではいられない、それも高く抜きん出ようと望めば望むほど、それだけ余計に危険をおかさなければならない。


ポパー▼

それでさっき《確実》というのに抗議したのだ。


ローレンツ▼

まったく当然のことだった。


”生態学地位”ってのが聞き慣れないからか、


いまいち分かりにくいのですが


というか、この対談自体、高次すぎてほぼ


わかってないのだけどなんとなくわかる範囲だと、


リスクをおかすと見えてくるものがある


というような、岡本太郎先生の言説にも


似ているように聞こえる。


のだけれども、早朝起床で仕事しているから


実存とか哲学的な命題はかなり酷でして


瞼が重くて仕方がなくかつ寒くて空腹という


三重苦に苛まれているのですが


能登半島の人たちに比べれば、なんのその


という気にもなりかつ、阪神淡路大震災から29年か、


と時の流れの速さにも驚愕している


冬の1日なのでございました。


 


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ローレンツ博士考察から”日高敏隆マインド”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

大学は何をするところか


大学は何をするところか

  • 作者: 日高 敏隆
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 1993/04/01
  • メディア: 単行本


この本を取り上げ(出版社の指定かも)


しかしあまりこの書のことを語っておられず


相変わらずアウトローな養老先生でしたが


それが日高先生と通底している所なのかもと


勝手に思いつつも頭の片隅にあったのが


きっかけでこの書を読んでみた。


余談だけれどこの書、


なんと日高先生とローレンツ博士との対談が


入っているではないですか!


年末神保町まで『アニマ』買いに行っちゃったよ!


しかしこの書には二人の写真がなかったし


神保町にフィールドワーク行けたから


まあ、良いかと思ったのは全くの言いたいだけ、


以下は別の随筆でございます。


って前置き長すぎだよ!


II ローレンツとエソロジー


公認された比較行動学の先駆者たち


『自然』1973年12月号 


から抜粋 の前に


1973年10月11日熱海でのシンポジウム、


”感覚興奮と神経情報処理に関する総合研究”に


参加された日高先生は西ドイツの


行動研究生理学研究所の成果に注目していたが、


それはスタッフ間の協力的な連携の賜物ではなく


ヘゲモニー争いがあることを内情に詳しい他の


大学の先生から聞いて驚かれる。


シンポジウムの夜の出来事 から抜粋


そしてこのことからはじまって、行動研究のむずかしさ、ローレンツ論、シュナイダー論などに展開していった。


その後お開きになった後ホテルの部屋で、ローレンツ、ティンバーゲン、フリッシュがノーベル賞を受賞したと知らされる。


エソロジーとは何か から抜粋


こんないきさつを書くことは無意味に思われようが、ぼくはやはりこのことをどこかに書きとめておきたかった。


そもそも、これら3人の受賞理由であるエソロジー(比較行動学)の創立というときのエソロジーなる学問が、どんなものかについて意見はまるで一致していないのである。

日本での訳語には、比較行動学の他に、行動学、動物行動学、習性学、比較習性学、そしてエソロジーなど様々ある。

アメリカでの事情も、すくなくともしばらく前まで似たようなものであった。

ローレンツやティンバーゲンなどヨーロッパ人研究者がいうエソロジーとは何なのか、ということがさかんに議論された。

マーガレット・ミードは、”わたしがethologist”(民族学者)であるせいかもしれないが、ある論文で、ethologyという語を使ったら、全部ethnologyに直されてしまった”と語っている。


ローレンツの方法 から抜粋


とくにローレンツのとってきた方法は、およそ近代の実験科学の常識から外れている。

今までに彼の書いた論文はかなりの厚さになるが、その中には何らかの数値を示した表とかグラフのようなものは一つも含まれていない。

あらかじめデザインされた実験らしい実験もない。

すべてが”観察”だといってもいいすぎではないのである。


では、それらが単なる野外観察の克明な記録であるかというと、そうでもない。

彼は観察と記載ということの重要性をしばしば強調しているが、その理由は生物現象の極端な複雑さにあると述べている。

1匹のアメーバですら太陽系の何百倍も複雑なのだ、という認識である。

そこから多くのものを切り捨て単純な系として、それについて近代的なルーティンにのっとった実験を試みることは、切り捨てられたものが大きすぎて対象の理解には役に立たない、という考え方であろう。

これは、わかるところから解析して行こうという近代科学のやり方とは対立するものといえる(ティンバーゲンの方法はむしろ後者に近い)。


しかし、ローレンツは、そこで徹底した比較の方法を用いた。

こまかく観察されたことを比較することによって、複雑きわまりない事実をいわば重ねあわせて透視し、前にあげた動物行動の諸原則を洞察した。

そのプロセスには、きわめて緻密で鋭い哲学的考察が必要とされる。

彼の論文の多くがごてごてした哲学的論議ではじまっていることは不可欠なことであった。

さもなければ、それはほんとうにただの観察記録になってしまい、近代科学としてのエソロジーの確立に向かわなかっただろう。


とはいえ、ローレンツのこの方法が科学者一般の支持を受けていたわけではない。

今でも彼が書いているとおり、実験と測定にもとづかぬものは科学ではないといって、彼の仕事を評価しない科学者は多い。

日本でも、多くの生物学者はフリッシュを偉大な生理学者と認めていたし、ティンバーゲンも買うようになったけれども、ローレンツはあまり高く評価していなかったのではないだろうか。

彼が”お話みたいな論文ばかり書く”からという理由によって。


カロリンスカ研究所の発表した受賞理由は、つぎのようにいっているーーー

”受賞者はエソロジーとよばれる新しい学問のもっとも優れた創設者である。三氏の最初の発見は、昆虫、魚、鳥類についてなされたが、その基本原則は、人間を含めた哺乳類にも適用できることが証明された。”

つまり彼らは生理学者、医学者として受賞したのではなく、そのどれでもない新しい学問の創始者として受賞したのである。

これはおもしろいことである。


ノーベル賞というのは、賞の一つに過ぎないのに、どういうわけか不当に高い権威を認められている。

そして受賞者の決定には高度の政治的な配慮もなされていることは想像にかたくない。


しかし、カロリンスカ研究所が今の時点でこのような受賞者を決定したことには、おそらくもっと深い意味がありそうである。

それはやはり、現代文明の危機というものの認識なのではあるまいか

エソロジーは、動物の行動が遺伝的に決定されたものであることを、その基本的な立場としている。

その立場はすでに1930年代には確立していたにもかかわらず、広く認められるところとはならなかった。

それは条件反射学や、学問の問題、行動主義心理学などの支配のもとで、むしろ固定的で古くさい立場とされていたようである。

もちろん、”このすばらしい人間”の行動が動物のと同じ原則の上に成り立っているなどと考える、人間性の侮辱であるという感情も大きく作用した。

今日なお、エソロジーに対して、そのような反感を持っている人は多い。


けれど、現代文明におけるかずかずの危機的状況をまじめに考えてみるとき、エソロジーの立場とその発言が重要な意味を持ってくることは否定できない。

”エソロジーの創始者”という受賞理由のインプリケーションは、ここにあったのではないだろうか。


”科学でないもの”、を”科学”にする から抜粋


ここに至るまでのエソロジーの歴史は長かった。


日本ではその研究の意味するところに少し無関心すぎるのではないだろうか。

そのことが、科学の発展をかえってゆがめ、おくれさせるようにも思われるのである。


たとえば、ローレンツが多くのエネルギーを傾けた”攻撃性”の問題が、日本の動物学の中で、動物学の問題として真面目に取り上げられたことがあっただろうか?

それはせいぜい心理学の問題にとどまっており、そして心理学と動物学はまったく別の学問であった。

攻撃性の問題はむしろ”文化系”の人々が関心をもち、そのことがますますこの問題を正規の科学の扱うべき対象ではないようにしていった形跡もあるようにみえる。


つまり日本では明治以来、”これは科学だ”、”これは科学でない”という区別がまずおこなわれ、真面目な科学者は前者のみに専念しなくてはならないような傾向にある。

”科学でない”ものは、外国の偉い先生方が”科学”にしてくれたとき、初めて科学的研究の対象として公認される。


エソロジーは今やノーベル賞という権威によって、正当に科学と認められた。

ぼくはこのことがどのような形で進展してゆくか、多少の不安を伴った関心をもって眺めている。

3人の受賞を知った時、複雑な気持ちになったというのはそれである。


日本における従来の矮小化の線にそって、エソロジーのうちこれまでの”近代”科学のルーティンにすっぽり乗った部分のみが発展してゆけば、それはたちまちにして人間行動の支配につながってゆくであろう


生きものとしての人間、ヒト、という概念が


50年以上前と今では異なっているのだろう。


”ヒト原理主義”がマジョリティだった世の中で


ローレンツ博士たちは認められなかっただろう事と


そんな折、ノーベル賞となったことが事件として


受け取られた日高先生の、近代、日本への


警鐘がなぜか今の自分には響く。


阿部謹也先生との対談が自分にとって


さらに響き興味深いのがなぜなのか


わかる気がした随筆でした。


この後、科学は日高先生の憂慮していた方に


進んでいないだろうか。エソロジーは


感覚的になんとなくだけど


良い方向に行ってる気もするのだけど


科学自体は昨今の読書からだけど疑問な気もする。


この本に話戻して、本当は、この他のものを


引こうと思ってたのだけど


これを落としちゃあ、日高マインドを


見過ごすことになるぜという天の声に


従い引かせていただいた


めちゃくちゃ寒い関東地方の朝でした。


暖房しているのに部屋の温度10度です。


 


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②中村先生の生命科学の書から”偉人達の仕事”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

生命科学 (講談社学術文庫)


生命科学 (講談社学術文庫)

  • 作者: 中村 桂子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1996/06/01
  • メディア: 文庫


存じ上げている人の文章とか考えが出てくると


さらに興味が深く、強まるのでございまして


巻末にある参考文献だけでも良い意味で


溜め息が出る次第でございます。


二 社会的背景ーー生活する人間からの要求


2 沈黙の春 からの抜粋


沈黙の春』の中には、人間の健康を尊び、生命あるものを愛する気持ちが脈打っている。


1960年代後半になって、科学や技術が人間に与える負の影響を事前にチェックする、いわゆるアセスメントという考え方が定着したが、カーソンはその礎を築いたといえよう。

彼女の本の特徴は、農薬乱用に関する膨大な資料を背景にしながら、直接その資料に語らせるのではなく、事態に直面した人間の活動や反応を記述していく形で書かれていることである。

科学的事実を一般的に知らせる方法として、一方的に教えるという態度ではなく、なるべく多くの人と共通の立脚点を探す努力をしていることがことばのはしばしにうかがえる。

カーソンの仕事は生命尊重の科学的意味を明確にしたことと同時に、科学から社会への話しかけの歴史の中でも重要なものである。


DDTの大量使用によって自然界の平衡が破壊されていることに気づいたのは、カーソンがはじめてではない。

1940年代半ばのアメリカの雑誌には、無差別にDDTを散布したために野生動物が死んだり、自然林が破壊されたりしていることを警告した記事が発表されている。

”DDTの大量散布によって森の中の鳥や獣にも被害が出ている”という鳥類保護地区に住んでいる友人からの手紙をきっかけに、DDTの問題に関心を持ちはじめたカーソンは、1945年ごろからDDTに関する資料を精力的に蒐集し出した。


彼女は、集めた資料をもとに、DDTによる環境破壊の危険に関する記事を書こうと思い、「リーダーズ・ダイジェスト」をはじめ各種の雑誌に掲載を申し出たが、どの雑誌からも断られた。

そのような記事は、一般大衆にいわれのない恐怖を引き起こすからというのがその理由であった。

ところが1957年になって、ロングアイランドに一つの事件が起きた。


マイマイガを撲滅するために行ったDDT散布によって付近の花や低木が全滅し、鳥や魚、カニ、馬までが死んだ事件である。

ここでカーソンは、それまでに調べた事実を本にまとめ、大衆に実態を知らせる決心をした。


この時点で学者たちと話し合ったカーソンは、問題の根本は事実の理解のしかたの差ではなく、理解した後にどう行動するかのちがいであることに気づいた。


そして、”専門家は悪いという絶対的証拠をもたないかぎり動かないし、民衆は不愉快な事実に目を向けることを好まない。

そのような非積極性と無関心さの障壁をどうして突き破るかが問題である。

私の主たるよりどころは、すべての事実を整理し、それら自身に徹底的に語らせることにあると思っている”と述べ、『沈黙の春』を執筆した。


この本で彼女は、疑わしい場合には一度立ち止まって考えてみるという、これまでの科学技術とはちがう思考体系を打ち立てようと試みたのである。

そして、特に農薬が人間の健康をおびやかす可能性を強調した。

これこそ、アセスメントの原形である。


鳥がまったく鳴かなくなってしまった春を迎える不気味なプロローグではじまるこの本は、人間の健康の重要性、人間と環境の関わり合い、その底に流れる生命尊重の気持ちなど、生命科学の基盤となる考えをすべて含んでいる。


しかもそれを、自然と人間と農薬という具体例の中でみごとに伝えている。

ただここではっきりさせておかなければならないのは、カーソンは農薬の使用を否定しているのではない。

十分にアセスメントをし、バランスを考えて、使用することを要求したのである。


”私が『沈黙の春』の中でとりあつかった問題は、単独の事柄ではない。

それは、私たちが住んでいる世界が無神経に汚染されていくという全般的な問題の単なる一部分でしかない。

ごく最近まで、一般市民は「だれか」がこれらの問題を処理してくれるだろうと思っていた。

そして事態を理解しようともせず、自分と災害との間には、ついたてのような開閉機が立っているのだと信じ込んでいた。

しかし、今やこのような信念が音をたてて崩れていくことを経験した。”


カーソンがこう書いてから10数年の歳月を経た現在は、くずれたがれきの中からはい出して、事実を見つめ直さなければならない事態にある。


自然をよりよく理解すること、新しい価値体系の確立、生命の尊重を基盤にした技術の開発、科学者と社会の間の緊密なコミュニケーションなど、カーソンが開いた扉の向こう側には、やらなければならないことがたくさんある。


生命科学の課題


1 個性ある研究 から抜粋


人間はすばらしい。人間は興味深い。

もし、今、私のまわりからだれもいなくなってしまったら、緑の森があり、鳥のさえずりが聞こえようと、どんなに青い空が広がっていようと、生きていく勇気は持てそうもない。

人間の中で自分を一つの自己として確立し、ほかの人たちをそれぞれの自己として尊重して生きてゆきたい。

このような人間への関心を出発点として生まれた生物科学が生命科学である。


生命科学はまずその基本として、生命一般を理解し、その理解の上に立って人間の生命を解明することを目標とする。

生命科学の研究が進めば、最終的には人間のからだは分子でできた機械であることが明らかになるかもしれない。

しかし、それが明らかになったとしても、それで人間の存在が無意味なものになることは決してない。


新しい科学の知識を求め、音楽を楽しみ、人を愛し、親切に感謝して生活を送っている人間であるかぎり。

それは、逆に言えば、人間を説明するには、生物科学の知識だけでは不十分だということである。


人間はカエルの子はカエルであることを説明する遺伝の機構を理解する一方、”薔薇の木に薔薇の花咲く、なにごとのふしぎなけれど”と歌う。

人間がこの2種の態様で自然を理解するのと同様、人間自身の理解のしかたにもこの二つがあるだろう。


私はここで、生命科学の中に情感や神を持ち込もうといっているのではない。

生命科学は、あくまでも自然の法則にのっとった分子と分子の関係で説明される反応の上に成立する科学である。

しかし、科学上の発見も人間の精神活動の結果なされたものであり、科学は人間おの産物である。


したがって科学者が、科学的認識の他の認識方法とはまったく無関係のものとしてとらえ、時には科学だけが唯一の知的認識の方法であると思い込んでしまうのは誤りだと思うのである。

そのような考え方で人間の研究を続けたら、生命科学は非常に危険なものになるだろう。

生命科学が人間理解のための体系をつくり出す母体となろうという尊大な考えではなく、科学以外の知の存在を認め、お互いの調和点を見いだすことである。


そこには、おのずから人間を中心とした接点がうまれるであろう。

一つのものへの総合ではなく、お互いに相手の存在を認め、相手の嫌いなことはなるべくしないように心がけながら進んでいく思いやりが、両者がバランスよく進歩する道だと思う。


2 研究対象の個性 から抜粋


次に、研究対象の個性をどのように考えるかにふれてみたい。

特に人間の場合には、個性が大きく浮かび上がってくる。

個人の性格の基本は、その人が親から受け継いだDNAによって決められていることはたしかである。

しかし現実に生活している個人を形づくるには、その人の経験が大きくものをいうだろう。

また個性はその人が生きた時代を反映しているだろうし、自然の環境にも左右される。


なかでも家族や友人との触れ合いは、個性を形成する過程に大きな影響を与えるだろう。

個性を表現することは、科学がもっとも苦手とするところである。

生理学や心理学も、一般論としての心を把握し、それをいくつかの類型的性質に分類すること以上にはできないだろう。

やはり、個性は科学の対象の外に置く以外なさそうである。

では、科学は個性を無視して良いかといえばそうではない。


生物を研究対象とする場合には、そこに個性があることを認め、科学はそれを統計的にあつかい、共通項を探し、または異質なものは異質なものとして分類するものなのだという、科学の限界を認識しておくことが重要なのである。

では、個性を探求し、表現するものは何かといえば、それが芸術といえよう。


1962年10月20日の朝日新聞に、小林秀雄の「天の橋立」という文章が載っている。


”もう大分以前の事だ。

丹後の宮津の宿で、朝食の折、習慣で、トーストと湯漬のサーディンを所望したところ、出してくれたサーディンが非常に美味しかった。

ひょっとすると、これは世界一のサーディンではあるまいか、どうもただの鰯(いわし)ではないと思えたので、宿の人に聞くと、天の橋立に抱かれた入江に居るキンタル鰯という鰯だといわれ、送ってもらったことがある。

先日、宮津に旅行してそれを思い出した。

この辺りの海に、キンタルイワシというのが居るだろうと言うと、どういうわけか、近頃は、取れなくなったので養殖をしていると言われた。”


”私は、前に来た時と同じように、舟に乗り、橋立に沿うて、阿蘇の海を一の宮に向かった。振り返ると、街には大規模なヘルス・センターが出来かかっているのが見えた。やがて、対岸までケーブルが吊られ、「股のぞき」に舟でいく労も要らなくなるという。

そんな説明を聞くともなく聞きながら、打ち続く橋立の松を、ぼんやり眺めていた。

それは、絶間なく往来するオートバイの爆音で慄えているように見えた。”


”わが国の、昔から名勝と言われているものは、どれを見ても、まことに細やかな出来である。

特に、天の橋立は、三景のうちでも、一番繊細な造化のようである。

なるほど、これはキンタル鰯を抱き育てて来た母親の腕のようなものだ、と思った。

とても大袈裟な観光施設などに堪えられる身体ではない。

気のせいか、橋立はなんとなく現位のない様子に見えた。”


”キンタル鰯の自然の発生や発育を拒むに到った条件が、どのようなものか、私は知らないが、子供の生存を脅かした条件が、母親に無関係な筈はあるまい。

僅かばかりの砂地の上に幾千本という老松を乗せて、これを育てて来たについては、どれほど複雑な、微妙に均衡した幸運な条件を必要としてきたか。

瑣細なことから、何時、がたがたッとくるか知れたものではない。

例えば、鰯を発育させない同じ条件が、この辺りの鳥の発育を拒んでいるかも知れない。

或る日、1匹の毛虫が松の枝に附いた時、もはやこれを発見する鳥は一羽もいないかも知れない。

いったん始まった自然の条件の激変は、昼も夜も、休まず、人目をかすめて作用し続けているであろう。

ケーブルが完成したとき、橋立は真っ赤になっているかも知れない。

観光事業家は、感傷家の寝言というであろうか。”


この年は、アメリカでカーソンが『沈黙の春』を発表した年であり、日本ではまだ、科学者の中にも生態系の破壊についての認識は一般的でなかった。

ここで小林秀雄がいっている”感傷家の寝言”に耳を傾けることの大事さをしみじみと感じる。

時代をさかのぼっても同じような、文学者の指摘は目につく。


(夏目漱石『吾輩は猫である』)

西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃大分流行るが、あれは大きなる欠点を持って居るよ。

第一積極的と云ったって際限がない話だ。

いつ迄積極的にやり通したって、満足という域とか完全と云う境にいけるものじゃない。

向こうに檜(ひのき)があるだろう。

あれが目障りになるから取り払う。

と其の向こうの下宿屋が又邪魔になる。

下宿屋を退去させると、其の次の家が癪にさわる。

どこまで行っても際限のない話しさ。

西洋人の遣り口はみんな是(これ)さ。

ナポレオンでも、アレキサンダーでも勝って満足したものは一人もないんだよ。


西洋の文明は積極的、進出的かも知れないがつまり不満足で一生を暮らす人が作った文明さ。

日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるものじゃない。

西洋と大いに違うところは、根本的に周囲の境遇は動かすべからずものと云う一大仮定の下に発達して居るのだ。


山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すと云う考えを起こす代わりに隣国へ行かんでも困らないと云う工夫をする。山を越さなくとも満足だと云う心持ちを養成するのだ。


もちろん、時代がちがうので、この内容の中には、現代の人が読めばおかしなところはたくさんある。

それに、何もすべて積極的が悪くて消極的がよいというのではない。

しかし、従来の科学技術は、山をくずす方法はどんどん進歩させたが、山を越さなくても困らない工夫はまったくしなかったので、このようなことばに少し耳を貸しても良いと思うのである。


そして、科学は、このような感情を無視する方向へ進まないように心しなければならないと思うのである。


そして、それと同時に、人間の生活が科学の力によって、ますます心地よいものになっていくこと、科学的知識の探究が人間にとって大きな喜びであり続けることを願っている。


学術文庫版あとがき


1996年5月 中村桂子 から抜粋


このままでは人間の未来は明るくないと多くの人が思っている今、20年前の江上先生の提案をもう一度見ていただくことは、たいへん大きな意味があると思います。

当時の私は、今にもまして未熟で、必ずしも先生の意図をきちんとまとめきれているとはいえないかも知れませんが、私なりに大いなる情熱をもやして仕事を始めようとしていたことは確かです。


はじめにお断りしたように、原本が出版されてからの20年間で生物に関する科学は急速に進歩しましたが、この本の中でそれらのすべてをカバーすることは無理です。

そこで、ところどころに註を入れ、簡単ではありますが、新しいことを可能なかぎり補うことにしました。

著者としては、この本が読むにたえるものになっていることを、できることなら、21世紀の学問や社会の方向を考えるのに役立つものになっていることを願います。


原本あとがき から抜粋


科学を人間の中でとらえ、社会の中で位置付けていくのは、あたりまえのことのことです。

これを書きながらいつも考えていたことは、日本の社会、日本の歴史をふまえた、現在あるがままの日本の社会と科学の関係をきちんと解析しなければ、価値観や人間観と科学の関係は出てこないということです。


これまで、科学に関しては、たいてい西欧の先例を取り入れていればこと足りていたために、日本独自の考えを出す必要がなかったようです。

生命科学は、よその国のライフサイエンスをそのまま持ち込むことのできない面を持っています。

科学が対象とする事柄は普遍的であっても、科学自体は決して普遍的なものではないことを認識して、日本の問題として取り組まなければならないところへきているのだと思います。


価値観の定まらない不安定な現状を、よその国の人が救ってくれるということはないということです。

この問題を考える仲間がふえることを願っています。


西欧のライフサイエンスとは異なることを強調され


アメリカの科学や今でいう新自由主義への疑問を


70年ごろから指摘されていた。


引用されている偉人達について


レイチェル・カーソンはあるだろうなと思うけれども


小林秀雄、夏目漱石というのは少し驚いた次第で


またその文章も慧眼であることは言わずもがなで。


中村先生の生命科学に話戻り、現在のお考えである


「生命誌」前夜ともいう書籍で中村先生の根幹


みたいなスピリッツに触れることのできる


眩しい本でございましたが、これは人によると


「あおっちょろい」とか、今の社会に馴染まないとか


言われただろうなあと思いつつ、自分もそういうところ


(青いところ)があるなあと思ったり。


しかし1970年ってもう50年以上前になるのか…。


さらに思うことは今もこの書が、科学というか文明に対し


有効であり続けることに、ためらいというか


嘆息まじりのやるせなさを感じるも、ではどうすれば、に


明確な答えはなく自分にできることを丁寧にやるしかない


のだろうあと、この本の説明を妻にしたら


「よくわからない、説明が下手」と言われてしまい、


もう少し考えがまとまってから次は話そう、とも


思った休日の午後なのでした。


 


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①中村先生の生命科学の書から”哲学”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

生命科学 (講談社学術文庫)


生命科学 (講談社学術文庫)

  • 作者: 中村 桂子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1996/06/01
  • メディア: 文庫

文庫化にあたって

から抜粋


1971年。

恩師である江上不二夫先生が「生命科学」という新分野を始められました。

生命科学と既存の生物科学とのちがいについては、先生自身の筆になる「序」に説明されていますが、大きくまとめると次の二つになります。


一つは、生命を総合的に考える学問をつくり、そこから人間を知ろうという姿勢、もう一つは、社会からの要求に応える学問にしようとする姿勢です。

そこには、これからは、知の世界でも、また日常生活でも、「生命」が重要な切り口になるという先生の見通しと、研究者としてそれに応えようとする意気込みとが込められていました。


まだ駆け出しの研究者であった私には、その時点で、これほどに深く、広い先生の考えを充分理解する力はありませんでした。

いまになって、四半世紀もまえに現在を見通していた先生の偉大さに感服しているのです。

そんな私に、学問の総合化、日常との接点の探究をどのように進めるか、それを具体的に考えなさいという指令が出されたのです。

さあ、大変。

とにかく大勢の方の知恵を拝借し、勉強し、考えました。


20世紀の生物科学は、すべての生物に普遍的な現象の解明に取り組みました。

すでに今世紀のはじめまでにわかっていた、生物の基本単位としての細胞、進化、遺伝という生物の普遍性を示唆する事柄をつきつめていくことが、生物学の大きなテーマでした。

その中で、DNAという物質がクローズアップされてきたことは、専門外の方でもご存知だと思います。


人間も他の生物と同じということが明らかになったのですから、生きものとしての人間(生物学ではヒトという)の理解が、まず必要です。

それが、人間を対象にした他の学問、たとえば人類学、心理学、医学などとどうつながっていく可能性があるのかを探るのが次の作業です。


そのような総合的な理解ができれば、そこから、価値観、社会制度、科学技術など、社会をささえるさまざまな要素はいかにあるべきかという視点がうまれてくると思います。

そこまでいってはじめて、生命科学という学問の存在価値が見えてくるだろうと期待しています。


1975年の時点での研究状況をふまえて、以上のようなまとめをしましたが、以後20年間に研究は大きく進みました。


20年後のいま、私は、「生命科学」から「生命誌」への道を歩いています。

自分では大きな転換をしたつもりでしたが、今回、この本を読み返してみて、すでにこの時、「科学」から「誌」への移行は潜在していたと感じました。


生命科学研究所を創設して研究を始められた江上先生の構想を受け、私なりにまとめた図(本文44ページ)の標題が「生命の歴史性と階層性」となっています。

それは単に現存の生物のメカニズムを解明するばかりではなく、宇宙の中に存在する生命体がいかにして生まれ、変化していったのかを問おうという姿勢をしめしたものです。


それは、私はどこから来てどこへ行くのかという問いにつながります。

このような考え方は、江上先生から明確なことばで伝えられはしませんでしたが、いま「生命誌」という形で行なっている、科学を日常化するという試みは、先生のお考えの中にあったものを一歩進めることなのだと気づかされました。


現実の社会では、環境、人口、食糧などの問題が解決しないどころか、ますます昏迷の度を深めて来ています。

「生命科学」のこころざしたものは、ますます必要の度を加えてきています。

人間について考え、生きものである人間が、生き生きと暮らせる社会づくりをするために、生物科学だけではなく、多くの学問から、日常生活の中から、たくさんの建設的な提案がなされ、具体的活動が展開されていって欲しい。

「生命科学」を提唱され、主導された素晴らしい先達、江上不二夫先生の気持ちを生かしてくださる、ひとりでも多くのお仲間が誕生することを願っています。

1996年5月1日

中村桂子


原本序 江上不二夫


から抜粋


この本はまだ幼稚な生命科学を一つの体系にまとめた一試作でありますが、それとともに特に人文社会科学の学生をはじめ一般知識人に生命科学の現在の姿をしめし、生命科学に興味をいだいてもらうことを意図したものであります。

私どもは生命科学が健全に発展し、長く人類の文化と福祉に寄与することを願っております。

この本が現段階で生命科学の理解に資するとともに、生命科学の今後の発展への一つの礎石(そせき)となることを期待しています。


はじめに


から抜粋


”生命科学”ーーーあまり耳慣れないことばだなと思う人が多いかもしれないが、ライフサイエンスといえば一度や二度は聞いたことがあるかもしれない。(註 1975年当時、生命科学はまったく新しいことばだったのである)。

生命、特に人間の生命がとうといというものであることは、3歳のこどもにもわかっている。

しかし、近ごろ世の中では、生命を大事にするとはいったいどういうことなのだろうと改めて考えさせられることが、次々と起こっている。

環境の汚染、嬰児(えいじ)殺し、寂しい年寄り…。

これを、ああ、いやな世の中だなと思うだけで過ごしたり、世も末だとあきらめたりするのでは、あまりにも情けない。


その原因を考え、生命とは何か、特に人間の生命とはなんだろうということをつきつめてみよう。

そして、生命を大事にする世の中をつくるには、どうしたらよいかを総合的、科学的に考えようとして生まれたのが生命科学である。


中村先生にしても、江上先生にしても、


”哲学者然”とした信念に突き動かされている


と感じた次第なのですが、他の書で、中村先生


意外なことを仰っていた。



中村桂子 ナズナもアリも人間も (のこす言葉 KOKORO BOOKLET)

中村桂子 ナズナもアリも人間も (のこす言葉 KOKORO BOOKLET)

  • 作者: 桂子, 中村
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2018/11/12
  • メディア: 単行本

日常をていねいに

生活の”哲学”


から抜粋


哲学は苦手です。

ただ、『あしながおじさん』の主人公ジューディが、自分のことを「私は女哲学者」と言っていて、それと同じ意味での哲学者なら、そうかもしれない。


「最も価値のあるのは、大きな大きな快楽じゃないのです。小さな快楽からたくさんの愉快を引き出すことにあるのよ。(中略)目的地(ゴール)へ着いても着かなくても、結果に何の違いもありません。

あたしはよしんば大作家になれなくっても、人生の路傍(ろぼう)にすわって、小さな幸せをたくさん積み上げることに決めました。あなたは、あたしのような思想をいだいている女哲学者をお聞きになったことがおありになって?」遠藤寿子訳


競争をして急いで走っていれば最後はへとへとになって、目的地に着いたって着かなくたっておんなじこと、私は道端に咲いている草を眺めながらゆっくり歩くことにします、こういう哲学者はいますか?とジューディはおじさんに聞いているんです。

つまり毎日を大切にしていきたいということ。


芭蕉の句「よく見ればなずな花咲く垣根かな」


が好きだとおっしゃる中村先生。


ここらあたりの発言や著書から感じるのは、


前言撤回、朝令暮改なんだけど


”哲学者然”たる風貌や思想ではないことは明らか


しかしそれが逆に真の”哲学”なのかもと思ったり。


なかなか深い領域にタッチしつつも、夜勤前、後に


読んだり考えたりして朦朧としてきたのでここらで


夕食のピーマンを炒め始めようと思っている


ところでございます。かしこ。


 


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ブライデンさんの認知症の書から”強い動機”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


私の記憶が確かなうちに

私の記憶が確かなうちに

  • 出版社/メーカー: クリエイツかもがわ
  • 発売日: 2017/04/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

Eテレで先日、著者が来日して、


日本の認知症のコミュニティの


当事者・スタッフと会合をしている番組を


観たことで、興味が湧き図書館で手配。


番組の影響もあるのだろう


借りるのに時間がかかった。


読んでみての感想は、予想以上に


かなり興味深い、そして深い内容だった。


読む前、そして読み始めは、ブライデンさんは


良い育ち・環境で、エリートなのか、という少し


僻みみたいのがなくもなかったものの、読んでみて


実はそういうことではなくて認知症との向き合い方


以前に人生との闘いや家族の支えがあったことが


この書では感じることができる。


読めばほぼわかることだが、一つだけ、認知症と診断


されたのは彼女が離婚を決めてシングルで子育てを


するところから始まったのだった。


日本の読者へのメッセージ


から抜粋


子ども時代は、異なる文化圏を行き来しながら、バイリンガルとして楽しく過ごしました。

また、母がゲーム感覚で記憶力や知力を磨くような遊びを取り入れて、”未来への保険”をかけ、認知症による機能低下のリスクに備えておいてくれたことも書きました。

私たちも次の世代のために、母と同じようなことができるだろうかと自問しています。


本書では、失敗に終わった1回目の結婚生活についても敢えて記しました。

こうしたことがあったからこそ、今のサバイバーとしての自分がいるからだと思うからです。

認知症という病気を全力で乗り越え、周りの人たちの役に立ちたいと、さまざまな活動に力を注げるのも、それまでの経験があったからだと思います。


生きていく中で、悩みや苦しみは誰もが直面することですが、それらを乗り越え、豊かに生きるヒントになれば幸いです。

2017年3月23日

クリスティーン・ブライデン


3 未来への保険ーー知は力なり


から抜粋


若い人たちは、多分こういう話は聞き飽きていると思いますが、本当のことなのです。

1950年代から1960年代頃には、自分たちの遊ぶものは自分たちで作っていました。


母と私のレクリエーションにはいろいろなゲームをして遊ぶことでした。

どこにでもある2組のトランプを使って(記憶力を競い合う)「神経衰弱」をして遊んだり、市や町、国、海、川の名前をたくさん出し合う、言葉遊びをしたりしました。


その他にも”スクリブル”という落書き遊びもありました。

それは、母が、一枚の紙に思いつくままに落書きをし、私が想像力を逞しくして、それを一枚の絵にするという難題でした。

そこで、私は苦労してなぐり書きされたものを象にしたり、キリンにしたりしようとしました。

次に彼女が、それに筆を加えることによって、素晴らしい絵に変わっていくのを息を呑んで見つめ、すごい!と感銘を受けていたことを憶えています。

これらの遊びのおかげで、私の脳が想像力と創造力を持つようになるために大いに役立ったと私は信じています。


毎週金曜日には、私たちはレイナーズ・レイン図書館に通いました。

そのため、私は、金曜日が大好きで、なんと大切に思ったことでしょう!


母は大人のための書籍を私に薦めてくれました。

そして、私は、パール・バック、ネヴィル・シュート、ヘンリー・ライダー・ハガードの書いた本の数々をむさぼり読みました。

冒険物語が大好きでした。


私が最もよく記憶していることは、図書館に向かって歩いているときの気持ちですーーそれはワクワクする一種の興奮であり、新しい物語への渇望だったのでしょう。


11 それでも希望はある


から抜粋


脳は神経のネットワークを再生し再学習することができるという神経可塑性の理論は、2007年に、『脳は奇跡を起こす』The Brain that Changes Itself(講談社インターナショナル、2008年)という、一般向けの科学書を出版したカナダの精神科医ノーマン・ドイジによって、一般大衆に知られるようになりました。


ドイジは、非常に興味深い症例研究を行って、事故や脳卒中から脳障害を負った人たちが、脳の別の部分を働かせて、彼らが失ってしまったと思われたスキルを再学習して、機能を回復することができるということを明らかにしていまいました。

私はこの本を読んだとき、人間の脳は私たち一般人が思っているような、一度失われたら、2度と元に戻ることはない機械の部品のようなものではなく、成人期に達してからでも、確かに、可塑性や順応性を持っていることを初めて理解しました。


ただし、ドイジは認知症については言及していませんでした。

私は、彼の理論が私のような認知症の人たちにも当てはまるのかどうかを知りたいと切に思いました。


14 すばらしい一日 から抜粋


あの2004年の会議以来、私は数回日本を訪れ、認知症政策やその実行における変革を日本政府に要求していた、認知症をもつ人たちのグループと共に活動し、応援してきました。

2005年までには、日本政府は認知症にやさしい社会を創るという目標を宣言して、その要求に対応しました。

そして日本は現在、地域に生活する認知症を持つ人たちの支援を目的とするボランティア研修事業(認知症サポーター研修)を修了した人たちが何百万人もいます。

認知症をもつ人たちを示す用語である”痴呆老人”の代わりに、”認知障害をもつ人たち(認知症)”という用語を使うようになりました。


日本がこのようなことすべてを達成する上で、私が微力ながら起爆剤としての役割が果たしてきたことを、この上なく光栄に感じています。


巻末には【付録】というのがあり、


よりよく生きるためのアドバイス

脳の健康を最大限に保つための5つの簡単な心がけ


も掲載されている。


エピローグ から抜粋


言葉は非常に重要なものです。

認知症をもつ人たちに好ましくないレッテル付けをして、それによって、どんな形にせよ、彼らをおとしめることがないようにすることが、きわめて重要です。

私たちは人間であり、単なる患者ではありません。

私たちは、私たちのもっている病気によって定義されるべきではありません。

もし、私がガンになっても、まさかあなたは私のことを、私の人間性やアイデンティティを抜きに、ただのガンになった人とは呼ばないでしょう?


2000年から日本では認知症関連の正式な制度や


対策が具体的に始まったのは周知の事実。


1970年代から警鐘が鳴り初めてなんと30年!


というのは怒りに震えながらも一旦おいといて、


それ以降さまざまな取り組みもあり、自分も関連した


方達の書をいくつか読んだりしながらも、


また実際に勉強もしながら、また読んだり


自分がいくつか思うことは、”痴呆”を”認知症”にした


ネーミングの妙により、どれだけの人が救われ、また


救えると感じたことだろうという事でございまして。


救うという表現が適正かどうかは置いておいて。


さらにブライデンさんも同じ事を感じてると思うが、


重要なのは”今”と”これから”をどのようにするか、


なのだろうと。


2022年末現在ブライデンさんの症状は緩やかに


進行しているがユーモアも交え話しておられた。


などとシリアスな年初一発目の書は、夜勤に向かう


バスの中の読書、有意義な時間でありつつも


元旦の能登半島の地震で被害に遭われた方を


思いながら高齢の方やご家族に思いを


寄せながらでございました。


余談だけど、高齢者施設で停電も断水も


スタッフとして経験した事のある


我が身としては、マジで大変なのを


知っているので日本の政府及び


関係者さん、一刻も早く対応いただきたく。


少しでも早い復興を祈ります。


 


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