柳澤桂子先生の35年前の本から”放射能の怖さ”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
- 作者: 柳澤 桂子
- 出版社/メーカー: 地湧社
- 発売日: 1988/10/01
- メディア: 単行本
大きな組織に組み込まれると、個人の意志とは関係なく、不本意な動きをさせられてしまうことがあります。
原子力問題でいちばんの悪者はいったい誰なのでしょう。
原子力を発見した科学者でしょうか。
原子力発電を考案した人でしょうか。
それを使おうとした電力会社でしょうか。
それを許可した国でしょうか。
そのおそろしさに気づかなかった国民でしょうか。
そのように考えてきて、私はふと、私がいちばん悪かったのではないかと気がつき、りつ然としました。
私は放射能が人体にどのような影響をおよぼすかをよく知っていました。
放射能廃棄物の捨て場が問題になっていることも知っていました。
けれども、原子力発電のおそろしさについては私はあまりにも無知でした。
たしかに各国の政府は原子力発電が安全なものであると宣伝しました。
けれども私はこの歳まで生きて、政治というものがどういうものか知らなかったとはいえません。
スリーマイル島の事故のとき、それをどれだけ深刻に受け止めたでしょうか。
人間のすることにミスはつきものであることは、いやというほどわかっていたはずです。
そして、さらに、チェルノブイリの事故が起こってしまいました。
いまや原子力発電のおそろしさは歴然としています。
この事故が起こったことはたいへん不幸なことでしたが、それを不幸なできごとで終わらせないために、いま私は何をすべきかということを真剣に考えました。
盛り上がる国民の反原発運動に対して、国や電力会社は感情論であるという見解を振りかざしています。
たしかに、自分の目で確認できないことに関して、私たちは何を信じてよいかわからなくなることがあります。
ただひとつ、私は生命科学を研究してきたものとして、はっきりと言えることがあります。
それは「放射能は生き物にとって非常におそろしいものである」ということです。
生命の奇跡、原理をやさしく解かれ
ゲノムについてを解説されている柳澤先生の本を
何冊書かれておられるであろうか。
そしてそれが理解されていなくて、随筆本の方が
多く読まれているような現状に
自責の念にかられていると柳澤先生のムック本の
佐倉統先生の文にもあったけれども
柳澤先生は本当にストイックで誠実であることが
分かり、読んでいて悲しくなる事がある。
現実との乖離ゆえなのかそれが人間の業であるから
なのか、わからないけれども、美しくもあるが
悲しくなるのは、実はあまりよろしくないのだと
思うに至るという件はひとまず、置いておいて、
柳澤先生の言葉に耳を真摯に傾け、自分も何かに
対して諦めてはいけないと鼓舞する
毎日でございますことをご報告させて
いただきたいと存じます。
ひとりひとりの自覚から から抜粋
チェルノブイリの事故は、原子力発電のおそろしさばかりでなく、国家が、会社の幹部が、学者が、いかに頼りにならないかということを教えてくれました。
肩書は人間を弱くし、不自由にするもののようです。
また、人間はものごとの全体を見る能力が劣っているように見えます。
ものごとのひとつの側面にのみ目がいきがちです。
私は一つの思想を見出した。
ゴーウィンダよ。
おん身はそれをまたしても冗談あるいはばかげたことと思うだろうが、それこそ私の最上の思想なのだ。
それはあらゆる真理についてその反対も同様に真実だということだ!
つまり、ひとつの真理は常に、一面的である場合にだけ、表現され、ことばに包まれるのだ。
思想でもって考えられ、ことばでもって言われうることは、すべて一面的で半分だ。
すべては、全体を欠き、まとまりを欠き、統一を欠いている。
(H・ヘッセ『シッダールタ』)
ものごとのひとつの側面しか見ることができない、これが人間のほんとうの姿なのではないでしょうか。
それはしかたのないこととしても、やはり研究者は自分の研究だけに閉じこもらず、他の分野の研究にも目を向けて広い視野をもつように心がけるべきでしょう。
けれども、科学は急速に進歩していますから、すべての分野に精通することは不可能です。
そのことを一般の方々もよく認識して、確実なものとそうでないものをみわける目を養わなければなりません。
研究者の方々には、新しい代替エネルギーの開発に力をいれていただきたいと切望します。
安易に原子力に頼るかぎり、よい知恵は浮かばないでしょう。
また、正確な情報を素人にもわかるように提供してくださるようにお願いいたします。
一般の人々を適当にいいくるめるのではなく、すべてのひとが納得いくまで説明する労を厭わないでいただきたいと思います。
私たちは、どうすればエネルギーの消費を節約できるかということを真剣に語り合わなければなりません。
いろいろな生活スタイル、いろいろな価値観をもった人々がいろいろな状況で生活しているのですから、それぞれの生き方に合ったエネルギーの使い方を選択できるような方法を考える必要があると思います。
電気やガソリンのように、エネルギーとして私たちが使うものだけでなく、すべてのものはエネルギーの消費とつながりを持っています。
紙一枚にしても、原料の採取、輸送、紙の製造、包装、輸送、販売とたくさんのエネルギーの消費の結果作られたものです。
快楽にふけって、エネルギーやいろいろなものを消費し続けることは、地球とそれを取り巻く環境を汚染し、生物の生存するかぎり子孫に伝えられていく、DNAの傷、突然変異が蓄積していくのだということを肝に銘じようではありませんか。
原子力発電の問題も、こうなるまで気づかなかった私たちにも責任の一端はあるように思えます。
一部の人を責めるのではなく、これを人類の過ちとして、ともに解決に向けて努力することはできないのでしょうか。
さういうことはともかく忘れて
みんなと一緒に大きく生きよう。
見えもかけ値もない裸のこころで
らくらくと、のびのびと、
あの空を仰いでわれらは生きよう。
泣くも笑ふもみんなと一緒に。
最低にして最高の道をゆかう。
(高村光太郎『最低にして最高の道』)
目覚めようではありませんか!
地球と生命をまもるのはわれわれ庶民なのです!
子孫に美しい地球を残すために世界の人々と手を取り合って、ひとりひとりが自覚して行動する勇気をもとうではありませんか。
この後、「あとがき」がさらに
放射能の怖さを強く思わせる
体験からのエピソードが。
それとは別に過日Amazonプライムで
1990年代NHKで作られた「遺伝子」の
番組を視聴していたら、思いがけず
エンディングのタイトルロールに表示された
番組監修者に柳澤桂子先生のお名前があり
妙にうれしくなったことは言うに及ばずな
日曜日、トイレは掃除しましたのでこの後
お風呂掃除をしたいと考えております。