5冊の養老先生の紹介する池田先生を纏める [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/03/01
- メディア: 単行本
池田さんが環境問題がいま心配だと、珍しいことをいう。
どこが珍しいかといって、そういういわば政治的な、時事的なことを、本気で心配しているらしかったからである。
池田さんも私も、要するに虫屋である。
虫が好きで、なにかというと、虫捕りに行ってしまう。
実は環境に「超」敏感である。
世の中が変なのか、私が変なのかと問えば、そりゃ変なのは私に決まっている。
世間は多数で、私はひとりだからである。
若いときからそう思ってきた。
だからいまでも、変なのは世間ではなく、私に違いないと思っている。
でも似たような変な人がいるもので、共著者の池田君がそうである。
ただし変だというのが似ているだけで、どこがどう変なのか、そこは別段似ているわけではないと思う。
ただし虫がなにより好きというのは、まったく同じ。
前著『本当の環境問題』で、変なふたりが世間を憂えてみたら、読者があんがい多かった。
それなら、そう変ではないのかもしれない。
それではというので、また世を憂えてしまったのが、この本である。
著者の池田清彦は、絶滅という主題を徹底して客観的に論じる。
絶滅という言葉が含む情動性に気づいているからであろう。
情動は科学ではない。
科学の背後に動機として隠れているものである。
絶滅するのはいったい何なのか。
はたして遺伝子か、種か、大きな分類群か。
恐竜なら、鳥になって生き延びてしまったではないか。
絶滅を語るとき、論者はまたして絶滅とは何を意味するか、明確に考えているだろうか。
それを池田は丁寧に、鋭く突く。
かつて池田自身、「科学とは変なるものを不変なるものでコードする」ことだと喝破した。
言葉は「不変なるもの」である。
時間とともに変化しないからである。
池田先生のいう”時間”をディープなレベルで
考察されていて、確か池田先生の著作で
”時間”をテーマに書かれている未読本が
あったなあと。嬉しいような悲しいような。
他にも山積している未読本が…。
から抜粋
私が最初に池田に出会ったのは、柴谷篤弘の主催した構造主義生物学のシンポジウムだったと思う。
このとき池田はたしか英語で発表したと思うが、なにをいっているのか、皆目わからなかった。
構造主義とはわからないもので、そのわからなさを主題にしたイギリスの小説があるくらいだから、わからなくていい。
でもその後、池田の著書を読んだり、さまざまな会合で話を聞いているうちに、やっと少しわかってきた。
なぜわからないかというと、基礎から論じるからである。
それが学問だというのは当然の話だが、いまはわからないと、学生が説明してくださいという時代である。
説明されればわかると思っている。
いくら説明したって、わからないことはわからない。
私は陣痛をいう痛みはわからないのである。
それなら池田の話はきわめてわかりにくいかというなら、私の話よりずっとわかりやすいのではないかと思う。
歯切れのいい、かなり辛辣なことをしばしばいう。
山梨にしては珍しいではないかといったら、俺は東京の下町だ、ビートたけしと同じ学校だといわれてしまった。
そう聞けばわかる。
山の手でないことはたしかである。
そもそも風体が違う。
最近しばしば池田と一緒に東南アジアに虫捕りに行く。
池田もそれなりのスタイルを作ってはいるが、暑いところだから、ふだんは短パンに草履を履いて、ビールを飲んでいる。
どうみても下町のオッサンである。
辛辣なことをいうので、ときどき人に嫌われるらしい。
変なしっぺ返しが来ることを、たまにボヤいていることがある。
それは相手の単なる誤解である。
なぜなら性格はたいへんやさしい。
他人に悪意を持つような性格ではない。
虫好きで、若い頃はとんでもない非常識家だったことは、半生の記録を読めばわかる。
『生物学者』(実業之日本社)という本である。
こういう無茶をしてきた男が、そろそろ中年を過ぎようという年齢で、ものごとがわかっていないはずがない。
自分の子どもたちが、なぜか生物学をやる。
そういって不審そうな顔をしている。
親父がこれだから、子どもはそんなものは嫌うと思っているらしい。
よい父親であろうということが、このことでもわかる。
意地の悪い人は、それは池田の奥さん、つまり母親のおかげではないかというかもしれない。
あるとき池田のお母さんが入院して、当時はまだ東大の医学部に勤めていた私の部屋に立ち寄っていったことがある。
そのときの心配ぶりを見て、私よりずっと暖かい人柄だと感じた。
自分の母親に対して、私はあれほど細やかに心配はしない。
いまもそう思っている。
だから学生にも好かれるはずである。
学生がこの大先生を友だち扱いしている。
言葉遣いがそもそも先生に対するものではない。
山梨大学にときどき行く男がそう報告していた。
池田先生のこの書での言説は、
自然界のものは傲慢な生き物が勝手に
どうこうできるものじゃないんだ的な
松井孝典先生の「レンタルの思想」の思想との
類似性を指摘されている養老先生。
『生物学者』は今ではタイトル変わり
自分の中では池田先生の書かれたものの中で
一番好きな書でございます。
全著作を読んでるわけではないけど。
ちなみに養老先生1937年生まれなので、
この時点で当時63歳、
「そろそろ中年を過ぎようという年齢」の
池田先生は1947年生まれの当時53歳。
四半世紀も前のお互いの関係は
今も継続されているようで
こちらは、養老先生84歳、池田先生75歳。
まえがき から抜粋
池田は故堺屋太一が言った「団塊の世代」に属する。
私は団塊嫌いと言われることもあるが、妻も典型的な団塊の世代で、その世代に友人も多い。
池田はじつに頭の良い人で、なにしろ天下の英才を集める東大医学部にいた私が言うのだから、間違いあるまい。
もちろん「良い悪い」を言うには物差が必要である。
池田の場合はものごとの本質を掴んで、ずばりと表現する。
そこがきわめて爽快である。
しかも理路整然、理屈で池田にケンカを売る人はほとんどいるまい。
前にも書いたことあるけれど、
怖いです、池田先生は。
まさにインテリヤクザそのもの、
もしくは、お二人のことをいうのだろう。
あー、こわっ。だからこそ、面白くて、深い。
『臓器移植 我、せずされず』は、
すでに絶版で題名がご自分の意図するところと
異なることを指摘されていたのを新装版の
電子書籍(『脳死臓器移植は正しいか』)で拝読。
ちなみに新装版は残念ながら養老先生の解説が
割愛されておりますことをご報告させて
いただきたく、なので旧版からの抜粋だった事を
雨降りの関東地方、朝から頭痛に悩まされ
自然と身体はリンクしていることを痛感する
我が身からのご報告となります。
全然関係ないのだけれど、英語に関する
池田先生のご意見が10年以上前週刊朝日に
掲載されており、かなり面白かったので
リンクさせていただきます。