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O・サックス博士の自伝から”偉人”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

道程―オリヴァー・サックス自伝― (早川書房)


道程―オリヴァー・サックス自伝― (早川書房)

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2015/12/24
  • メディア: Kindle版

遍歴

タングステン棒は私のマドレーヌ


から抜粋


私は19世紀の博物誌を読むのが好きだった。

どれも手記と科学書のブレンドだ。

とくに心をひかれたのは、ウォーレスの『マレー諸島』(新妻昭夫訳、ちくま学芸文庫)、ベイツの『アマゾン川の博物学者』(長澤純夫・大曾根静香訳、新思索社)、スプルースの『アマゾンとアンデスにおける一植物学者の手記』(長澤純夫・大曾根静香訳、築地書館)そして彼ら全員が(そしてダーウィンも)刺激を受けたアレクサンダー・フォン・フンボルトの『新大陸赤道地方紀行』(大野英二郎・荒木善太訳、岩波書店)。

ウォーレスとベイツとスプルースが全員、1849年の同じ月に、同じアマゾン川流域に互いに互いのたどった道を行き来し、追い抜きあい、しかも3人とも親友どうしだったと考えると楽しかった(彼らは生涯にわたって手紙のやり取りを続け、ウォーレスはスプルースの『一植物学者の手記』を彼の死後に出版することになった)。


彼らはみな独学し、自発的に活動し、組織に属していない、ある意味アマチュアであり、競争による動揺も混乱もないエデンの園のような平穏な世界に生きていたように思える。

しかしその世界が次第にプロフェッショナル化していくにつれ、殺伐とした競争(H・G・ウェルズの短編『蛾』(橋本・鈴木万里訳、『モロー博士の島』岩波文庫に所収など)に生々しく描かれているような競争)が目立つようになった。


ビジネスになると殺伐としてくる


ってのは今も昔も同じなのか哀しいけれど。


同時代の偉人たちに想いを馳せる


という構図は、とてもよくわかる。


シンパシーを抱く人たちというか


同好の士とでもいうのか、本人たちは


至って普通で、偉大になろうなんて


微塵にも思ってないというところも。


ひいては、オリヴァー博士たちも


その構図が当てはまります。


スティーヴン・ジェイ・グールドと議論する


から抜粋


博物学と科学史に対する深い愛情に通じ合うものがあったのは、スティーヴン・ジェイ・グールドだ。

私は彼の『個体発生と系統発生』(仁木帝都・渡辺政隆訳、工作舎)や毎月『ナチュラル・ヒストリー』誌に掲載されていた記事のほとんどを読んでいた。

とくに1989年の『ワンダフル・ライフ』(渡辺政隆訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)が気に入っている。

どんな動植物の種にも降りかかりうる純然たる運ーー幸運と悪運の両方ーーと、偶然が進化に果たす役割のとてつもない大きさを実感させる本だ。

彼が書いているように、もし進化を「やり直す」ことができるなら、そのたびにまったくちがう結果になることはまちがいない。

ホモ・サピエンスは特定の偶発性が組み合わさった結果であり、それで最終的に私たちが生まれたのだ。

彼はこれを「すばらしい偶然」(訳注:グールド『フルハウス』ハヤカワ・ノンフィクション文庫の渡辺政隆氏の訳を引用)と言っている。


私はグールドの進化観にとても興奮し、5億年以上前の「カンブリア爆発」で生まれた(カナディアン・ロッキーのパージェス頁岩に見事に保存されていた)驚くほど多種多様な生命のかたちを、さらにそのうちのどれだけ多くが競争や災難、あるいは単なる不運に屈したかを、彼は生き生きと描いていると評した。


スティーヴはハーバードで教えていたが、ニューヨークのダウンタウンに住んでいたので、私たちはご近所さんだったわけだ。

スティーヴにはじつにさまざまな面があって、いろんなことに情熱を燃やしていた。

散歩が大好きで、いまのニューヨーク市だけでなく、1世紀前にどんなふうだったかについても、建築に関する膨大な知識を蓄えていた(彼くらい建築に対する感性が豊かでなければ、進化論において適応を重視しすぎる立場を批判するためのたとえとしてスパンドレル(訳注:ゴシック建築などに見られる、丸屋根を支えるアーチとアーチにはさまれた三角形の部分)を持ち出すことはないだろう)。

そして大の音楽好きだ。

ボストンの聖歌隊で歌い、ギルバード・オサリバンを敬愛していた。

ギルバード・オサリバンの曲はすべて暗記していたと思う。

私たちがロングアイランドにいる友人を訪ねたとき、スティーヴは風呂に三時間入っていて、そのあいだずっとギルバード・オサリバンの曲を歌い、しかも同じ歌を繰り返さなかった。

彼は世界大戦期の歌もたくさん知っていた。

スティーヴと妻のロンダは衝動的に気前のいい行動をする友人で、誕生パーティーを開くのが大好きだった。

スティーヴは母親のレシピでバースデーケーキを焼き、いつも朗読用の詩を書く。

それがとてもうまくて、ある年、彼はルイス・キャロルばりの見事なナンセンス詩を作って、パーティで朗読した。


1997年 オリヴァーの誕生日にささぐ


この男、シダにほれ

世が世なら、バイクのCMスターかも

多様な多様性の王様だ

ヒップ!ハッピ・バースデー!

昔のフロイトを超えている


片足、片頭痛、色がない

火星で、目覚めて、帽子通

オリヴァー・サックス

いまも全力で生きている

泳ぎはイルカを超えている


スティーヴは私と出会う前、40歳かそこらのころに、死を覚悟するような経験をしていた。

非常にまれな悪性腫瘍ーー腹膜中皮腫ーーにかかったが、逆境に打ち勝つと決心し、とりわけ致死率の高いこの癌を克服した。


無駄にできる時間はない。

次に何が起きるかは誰にも分からないのだから。


20年後、60歳のとき、彼は前のものとは無関係と思われる癌にかかった。


しかし彼が病気に対して行った譲歩は、講義中に立つのではなく座ることだけである。

自分の最高傑作『進化理論の構造(The Structure of Evolutionary Theory)』を完成させるとの決意は固く、この本は『個体発生と系統発生』の出版25周年の2002年春に刊行された。


数ヶ月後、ハーバードでの最終講義を終えてすぐ、スティーヴは昏睡状態に陥り、息を引き取った。

まるで意志の力だけで自分を動かし続け、最後の学期の授業を終えて、最後の著作の出版を見届けたところで、ようやく手を引く気持ちになったかのようだ。

彼は自宅の書斎で大好きな本に囲まれて亡くなった。


サックス博士、グールド博士、そして


ギルバード・オサリバン。


なにか共通する気がするのは気のせいか。


カメラ好きってのも頷けるのだけど


どこかの街の小さな商店の写真に


グッとくるものがあるほどの腕前。


その他、バイク好きだった無頼漢な


1950年頃のアメリカの普通の若者の面もあり


多様性を帯びた性嗜好なども赤裸々に


綴られているけれど、その実どこまで


本当なのだろうかという”自伝”によくある


悪い意味での誇張やら記憶違いなども


含まれているよなあと感じた。


そういったことは抜きにこの書は


知性があれば相当楽しめるのだろうなあと


そこは置き去りになってしまう


我が身の哀しさを噛み締め


またの機会に随筆や小説も読んでみたいと


思わせるようなそれはもう深すぎる


作家であることは疑う余地を俟たない


5月真夏のような日差しで


汗をかいたため、Sptifyで


ギルバード・オサリバンを聴きながらの


入浴でございました。


 


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