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知性の巨人の対談から進化と社会を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

ダーウィンを超えて:今西錦司・吉本隆明共著(1995年)


対談自体は1978年。


なんとなくAmazonを見てたら


出てきたこの書籍。


早速入手して読んでみた。


当時、今西先生76歳、吉本先生54歳。


第一章 ダーウィン


生活条件と遺伝


から抜粋


■吉本

それと関連することだと思うんですけれども、『種の起源』を見ますと、生活条件が変異性に及ぼす影響には限度があって、それよりも種自体というのか、遺伝的要素の方が重大なんだと考えているように受け取れるんですけれども、それはそうでしょうか。


■今西

それは結局ダーウィンもはっきりしたことはよういわなんだ。

ダーウィン以前に、フランスで、19世紀のはじめにラマルクという人が進化論を発表しています。

そのラマルクの進化論というのは、用不用説というのと獲得性質の遺伝説という二つが柱になっておりまして、ラマルキズムから言いましたら、この二つは切り離せないものなんです。

生活条件といいますか環境の影響といいますか、それにたいする生物の側の適応が遺伝するならば、とういこれが獲得形質の遺伝になるわけでしょう。

ダーウィンも晩年には、ラマルキズムに非常に近い考えになっていくんです。

 

しかし、そのころドイツにワイズマンという人が現れて、この人が獲得形質の遺伝を否定したんです。

実験と理論の両面から否定しましたので、一般にはそれでラマルキズムというものは間違いである、というふうに認められて、今日まで来ております。

しかしセオリーはどうであろうと、進化の事実として、いちばん間違いのない証拠は化石である。

古生物学者が、ウマならウマの化石をずっと年代順に並べてみると、ひとつづきにつながっている。

少しづつ変わりつつつながっているんです。

これは獲得形質の遺伝ということがなかったらつながらへんですよ。

化石の示す事実からいえば、進化論としてのラマルキズムはまだ生きている、といえるのではなかろうか。

ところが化石を並べてといいますけれど、化石というものはそんな一年とか十年とかのオーダーで出てくるものやない。

万年単位くらいでぽつぽつ出てきたやつを並べると、続いているというんでしょう。

 

一方でワイズマンなんかの実験というのは、せいぜい五年か十年の実験でしょう。

だから、タイムスケールがまったく食い違っているのです。

実証主義も結構やけど、性急な実験によって悠久な進化という現象が、説明できたように考えたのは、ワイズマンの思い上がりでなかったろうか。

それにも関わらず、教科書にはラマルキズムは否定されたと書いてある。

 

そしておそらく突然変異と自然淘汰によって進化は進んできたという、いわゆる正統派進化論が時を得顔に記載されているにちがいないだろう。

しかし、これも一皮むいて考えてみると、非常に疑わしいものなんですね。


遺伝子が現代ほど明かされていない頃のため、


ダーウィンさんもなんとなくしか


つかんでいなかったのだろう、というのは


周知の事実。


化石がなくて立証に乏しいというのも


100分で名著でも説明していた。


それでも天才的な感覚はあったのだろうな


というのが養老先生の言説。


よく分からないところもあるけど、


いま発表しておかねば!


といった科学者としての矜持もあったのだろうなと


いうのはわたくしの勝手な推測。


 


独立発生=他元説


から抜粋


■吉本

『種の起源』を読んでみると、すべての生命が一ヶ所で発生して、そしてそれが全部空間的な分布と時間的な進化と、その両方で系統づけられると考えられています。

根本の考え方はそこから発していて、そこがいちばんの特徴のように思われますし、またいちばんの欠点のようにも思われるのです。

 

たとえば、地球上の一地域にだけ生命が発生する条件ができて、ほかの地域に類似の条件がなかったと考えることは科学的じゃないように思います。

確率統計論からいっても、どういう考え方を持ってきてもそうです。

たぶんそこが致命的なんじゃないか、またそこを疑わないかぎりは、ほかのことをいくら疑っても致し方ないんじゃないかと感ずるのですが。

 

■今西

いまおっしゃっているのはつまり事実の問題で、ダーウィンの進化論の問題ではないような気がする。

たとえば、32億年前の地球がどういう状態にあったかが、事実として明らかになれば、その中でどこがいちばん生物の発生に適当な場所であったかということも、おのずからわかってくるでしょう。

 

■吉本

つまり、この場合で言いますと、化石などからわかるのですか。

 

■今西

32億年前の化石はありませんけれども、たとえば現在の地球を例にとってみたら、高分子的な有機物が生物に変わるというような化学変化は、ある程度の高温度が要求されたのではないでしょうか。

そこで、地球上に極と赤道というものが32億年前でもあったとします。

すると、そのときの地球の赤道の海で、あるいはその波打ちぎわあたりで最初の生物が発生した、と考えられないこともない。

 

■吉本

それはいえると思いますね。

 

■今西

また、赤道といっても地球をぐるっと取り巻いているでしょう。

その赤道のすべてで、すべて同一の生物が発生したと考えるのも一つの考え方かも知れぬけれども、東の方と西の方では別々の種類が発生したと考えてたっていいんです。

一種類やったか数種類やったかというようなことは、いまのところまだお預けにしとかならんやろね。

 

■吉本

お預けにせんならぬということだったらわかるような気がするんです。

ダーウィンのこの考え方はとてつもない考え方のようにぼくには思えますね。

 

■今西

おっしゃることが、ちょっとよくわからんのですけれども。

ダーウィンの考え方は、当時有力だった伝播説に立っているというだけで、そうおかしいところはありませんよ。


一箇所から生命が発生って無理あるだろうという


吉本さんに対して、そこはそう目くじらたてんでも、他にポイントあるんやから、っていうのか今西先生。


でも、生物学的素人の自分も吉本先生のこだわりはなんとなくわかる気がする。


■吉本

第十三章の「生物の相互類縁。形態学。発生学。痕跡器官。」のところで、由来は胚の構造の共通性をいうので、成長した生体がどれだけ違っているかとは関係ないんだといっています。

それはそのとおりになりますね。

 

■今西

さっきも同じような問題が出されましたね。

由来というのは進化の道すじといっても良いし、系統といっても良いけれど、たとえば、人類とゴリラとは、千数百万年前に共通の祖先から分かれ、別々の道をたどって、一方は人類になり、他方はゴリラになった。

これが由来です。

 

いまでも系統と類縁関係をゴッチャにしてーー類縁関係からいえばゴリラやチンパンジーが人類にいちばん近いーーそのうちに現存のゴリラが人類に進化するような錯覚を起こしている人が、ないとも限らない。


40年前、小学校の時の担任が、


動物園の猿は進化しても人間にならないんだよ、


と言ってたのを思い出す。


ダーウィンや進化論を主とした対話では、


当然だけど今西先生の独断場で


吉本先生は完全に聞き役なのだけど、しばらく後


マルクスとエンゲルスに話が及ぶと


立場逆転のようで面白い。


というかこの対談全般的に面白くて興味深い。


 


第二章 今西進化論


実験室の還元主義について


から抜粋


■今西

たとえば起源なんていうことは、実験室ではわからへんですよ。

進化を実験室で明らかにできるかということですね。

実験室ではプロセスがわかるだけで、これはハウツーですよ。

我々が大学へはいった頃から、すでにそういう徴候が顕著でして、自然科学というものは、ホワイ(Why)を研究する学問じゃなくて、ハウ(How)を研究する学問だというてる人がありました。

 

それでプロセスがわかり、ハウがわかったら、ホワイは分からなくても、今後は人工的にモデルをつくるとか、あるいは工業生産に直結さすことができるとか、いうことになりますね。

よいか悪いかは別として、いまの自然科学は、そういうことに手をかしていますね。

 

そして、そういうことがやっぱりさっきいった、いまの自然科学の還元主義と結びついているのや。

恐ろしいことには、分子生物学でいろいろなことがわかってくると、早速遺伝子の操作とかそういうことを考えたがる。

これは一種の遺伝子工学ですな。

 

それができたからといって、遺伝子はいつどうしてできたかとか、生物はどうして定向進化するのかというようなことは、なにもわかってこないかも知れない。

いまの自然科学はもっと根本から批判されてもええのないか。

 

■吉本

実験室条件というのは自然条件とはまた質が違うということですね。

 

■今西

私がアメリカでサルを材料にしている実験室を訪問したとき、手足をしばられて実験台に上げられおったサルが口をパクパクさせているのや。

なにかいいたくて、それで訴えてとるのやね。

それは、こんなに苦しめされているのは耐えられないから、どうか解放してくれというているように、私には受け取れた。

そしたら案内してくれている人にも、情況がわかったんでしょうか、

「君にみたいにフィールドの仕事ばかりしている人は、こういうところを見たくないでしょうね」

といってくれた。


科学の闇の部分を指摘される今西先生。


科学者とそれを利用する人間のモラルについては


利根川博士も指摘されていたと記憶しております。


柳澤桂子先生もモラルの低下を危惧され僭越ながら


このブログで何度も書かせていただき大変恐縮です。


 


第三章 マルクスとエンゲルス


動物と人間


から抜粋


■今西

エンゲルスの著書に、『家族・私有財産及び国家の起源』というのがあって、広く読まれていますね。

そこで、この本の中に述べられていることと、私の理論とはどこが一致しておってどこが違うのか。

できたら、吉本さんからかなり突っ込んだところを聞いていただくと、面白いと思う思うんですが。

 

■吉本

エンゲルスの基本的な考え方はどこにあるかといいますと、人間も生物だが、他の生物とどこが違うかといえば、人間は自己意識を持った生物だということだと思います。

だから、人間の社会というものの現在、過去、未来を考える場合、生物としての人間は、いわば自然の流れの中で、それなりに進化したりしなかったり、種として停滞したりするだろうということが一つです。

 

さらに自己意識をもった生物であるということから、人間だけが人間社会というのを作っている。

つまり、生物としての人間というものの流れの歴史の上に、人間の自己意識の所産が作り上げた人間社会というものを構成している。

そこのところが人間が他の生物と違うところだというのが基本点だと思います。

 

そしてもう一つは、人間社会というものをどういうところでつかまえれば、あたうかぎり科学的につかまえられるかと考えると、経済社会構成というものを基本に見れば、いちばんいいだろうというのがーーーこれはマルクスの考え方でもありますけれどもーーーエンゲルスの考え方だと思います。


さらにもう一つエンゲルスの考え方の特徴は、人間は自己意識の自己展開としての精神の世界というものを、過去から未来にわたって生み出しつつある。

そしてそれはいってみれば、書物とか印刷物とかに現れない限りは目に見えない、一つの文化を構成しており、それは人間がつくっている人間社会の構成の上層にあるものだ。

 

エンゲルスは「上部構造」という言葉を使っていますけれども、上層にある構造だといっています。

だから、人間社会の現状および過去、未来をはかる場合には、その三つを考えなくちゃいけない。

つまり生物としての人間の歴史というものと、人間だけが固有につくっている人間社会の構成、さらにその上に、人間が自己意識を持っているために生み出された精神の文化というもの、その三つを考察しなければならないというのが、エンゲルスの考え方のいちばん基本にある点だ、というふうにぼくは理解します。

 

それに対して今西さんのお考えというのは、たとえばいま私が申し上げたことのどこに該当するわけでしょうか。


■今西

いちばん問題は、マルクスもエンゲルスもダーウィンよりちょっと新しい人で、いずれにしても19世紀の考え方に立脚している、ということですね。

その後百年以上たって、そのあいだにずいぶん科学が進歩したんです。

 

それを一つも踏まえずに、いまだに、マルクス、エンゲルスというて、そのままのものを受け継がれているのは、ちょうどダーウィンが百年前に、ダーウィン的な自然淘汰論を出して、それがそのまま受け継がれているのと同じである。

そういう点では全く現在にマッチしない理論が生きているというので、そこが非常におかしいんですよ。

 

エンゲルスの考えの三つの点をおっしゃいましたけれども、その中でいちばんの問題は、自己意識を持っているのは人間だけである、ということです。

これは独断なんです。

動物は自己意識を持っていないということを前提にしているわけでしょう、人間だけが持っているといえば。


■吉本

それはぼくの言い方が悪いだけで、エンゲルスの理解によれば、自己意識を持っているという意味合いは、違う対応概念、つまり精神文化の問題で言いますと、概念の表現である文節化された言葉というものを持っている。

しかも言葉を持っているというだけじゃなくて、言葉の展開を軸にした文化をつくっているということです。

そういうところが違うと思います。


■今西

進化というのは一つの歴史であって、言葉を使うとか道具をつかうとかいうことが、突然に起こるんでなくて、進化の結果として起こってくるわけです。

だからそれらがどの時点で発生したかということを知るためには、サルの時代から現代人までのあいだを一度つないでみることが必要なんですね。

ところが、そういうことが、十九世紀では行われておらぬのです。

当時は人間と言ったら、すぐ十九世紀の人間をそのままもってきて、それをサルなり他の動物と比較している。

その間の移りゆきはとばしている。

 

■吉本

それもたとえばエンゲルスはエンゲルスなりに、「サルの人間化における労働の役割」という論文で一応やっております。

 

■今西

やってますけれど、それは頭の中で考えたことであって、裏づける事実というものはもっておらなかった。

そこがわれわれから言いますと、科学的でないということです。

これはエンゲルスやマルクスの責任でなくて、ヨーロッパの思想というものは、一応人間とほかの動物とを切るんです。

動物といいましても、チョウやトンボを例にとれば、ある程度は人間と切れていますね。

しかし、動物はチョウやトンボばかりではない。

 

たとえば、われわれに血のつながりからいうていちばん近いのは類人猿です。

ゴリラとかチンパンジーとかですね。

これらの動物の生態あるいは社会生活というようなものは、ここ二十年くらいの間にわかってきたんです。

その知識に照らしてみると、当時の人のいったことには、当たっているところもある代わりに、また全然当たっておらぬこともある。


近代的知性について


から抜粋


■今西

ここで近代的人間の特徴を考えてみます。

人間とは意識があるゆえに動物でなくて人間なのだ、といいだしたのも近代的人間ですが、その意識尊重をさらに拡大して、理性万能というところへ持ってくるんですね、カントをはじめ、西洋哲学はみなこの傾向がある。


その点からいえば、資本主義社会であろうと、社会主義社会であろうと、みな同じ過ちを冒し、同じ行き過ぎにおちいっているのやないかと思うんです。

そしてこれを救うものは、政府でも文部省でもない

そうではなくて、一人一人の人間が、こういう社会では息苦しいとか、味気ないとかいう気持ちになってきますと、自然に変わっていくのじゃないですか。

さきごろ、中根千枝さんの本を読んだら、日本の社会は軟体動物やと書いてありました。

つまり、上からの指図とか、理性的な計画とかいうものによるものでなくて、自然に変わるということでしょう。

あるいは変わるべくして変わるということでしょう。

そういう軟体動物的な日本の良さが、そのうち次第に世界へ広がるのやないか


■吉本

今西さんの自然観というのは、19世紀人でいうと、ニーチェの考え方とともて似てるんじゃないかという気がするんです。

ニーチェは、生物的自然状態というのを含むのが最上の状態なんだと。

また思想というものも、屋外つまり自然の中を歩いていて、その歩いているリズムを実現してないような思想はだめなんだという考え方です。

だから、ヘーゲルというのはだめなんだと、ニーチェは口をきわめてヘーゲルを否定していますね。

ヘーゲルは逆に、自然状態に放置しておいたら、人間というのは強い奴はいくらでも強くなって、かならず不公正、不平等、あらゆることが起こる。

だから、それを理性と悟性で持ってカバーして、そして人間固有の社会を作っていくのが理想的なんだという考え方です。

 

また、エンゲルスというのはそうじゃなくて、生物状態がいいとはいわないんだけれども、原始状態がいいと入っておりますね。

「原始共産制」という言葉を使っているけど、国家以前の人類の状態、つまり新石器時代以前の人間の状態というものがいちばん理想的なんだ。

つまり生産手段を共有しておいて、それを分ける。

その分けるのも平等に分ける、こういうのが理想的なんだと考えています。

 

そして人間の歴史は一路堕落の道を走っていく。

とくにエンゲルス時代、19世紀の資本主義の無意識的な興隆は、もっとも堕落した状態だというのがエンゲルスの考え方です。

そこで、理想の社会としてエンゲルスが描いていたのは、原始共産制時代、つまり国家以前の国家、共同体以前の共同体です。


ニーチェはむしろ動物状態が理想だというふうに考えています。

ヘーゲルは、だんだん人間の観念が高度になってきて、国家を編み出し、法律を編み出し、宗教をつくり、そしてもっと高度な観念、絶対観念みたいなものを編み出していく中で、人間社会の理想を遂げていくという考え方を徹頭徹尾持っています。

 

しかしこれらの基本にあるものは、自然あるいは自然状態というもののどこに理想の原型を置くかで違ってくるような気がするんです。

ぼくは、いまの資本主義社会も社会主義社会も理想だとはちっとも思えないということでは全く同じなんです。

 

ただぼくは、理想の可能性も論理の可能性も、人間の知恵の可能性というのも、ちっとも絶対的ではないが、より良くなるだろう、あるいは、していくということはなんとなくあきらめがたいもののように思います。


■今西

ルソーも「自然に還れ」といいましたね。

キリスト教はよくわからんけれども、原罪とか最後の審判とかいうものが出てきますね。


吉本先生の言葉って平素でわかりやすいが


とてつもなく深い。何度も読みたくなるのです。


今西先生ご指摘の日本社会論なのか


中根千枝さんの書籍、読んでみたい。


吉本先生のニーチェの解釈


生物的自然状態というのを含むのが最上の状態」って


そんなことを言う人と思えなくて新鮮。


超人思想、永劫回帰ばかり目立つので。


余談だけれど、この書籍、最後に纏まっている


編集部作の注釈がわかりやすくて良いです。


『種の起源』について概要説明があっての


今西論の説明がわかりやすい、というのと


なぜこの二人の対談なのかも明確になった。


ダーウィンのこのセオリーにたいして、変異への着眼において個体主義に陥り、それに実証できない「自然選択」を結びつけたもので、それゆえダーウィンの進化論はドグマ(独断)に過ぎない

ーーーこれが今西氏のダーウィニズム批判の核をなすと言える。

今西進化論は、まず事実とセオリーは別にすべきだとしたうえで、種社会のレベルで進化をとらえるところに特徴がある。

ダーウィニズムはもとより、「進化」論をも超えて「社会」論へとすすむ性格をもつことは、本文でも十分うかがえる。


今西先生の理論って映像の方が


圧倒的にわかやすいのでご興味ある方は


こちらをどうぞ


って自分があるんだろう!って話ですな。


 


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2冊のゴッホの手紙から懐古する [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

硲(はざま)伊之助さん版と


二見史郎圀府寺(こうでら)司さん版の


二つの翻訳本を一部抜粋し比べてみた。


 


比較した手紙は


第500信(1888年6月5日ごろ、ゴッホ亡くなる3年前)


 


(A)ゴッホの手紙 中:硲伊之助訳(1961年)


(B)ファン・ゴッホの手紙【新装版】: 二見史郎・圀府寺司訳(2017年)


 


(A)


親愛なるテオ

親切な手紙と同封の50フラン札とを有難う。

どっちみちゴーガンに手紙を書くとしよう。

旅行が厄介で悩みの種だ。

約束して後で都合が悪くなったら、困ってしまう。

今日ゴーガンに手紙を書いて、それを君に送ろう。

ここの海を見てきたいま、南仏に滞在するであることの意義を切実に感じる。

もっと色を強烈に使わなければーーーアフリカは近いのだ。


(B)


親愛なるテオ

親切な手紙と同封の50フラン紙幣をありがとう。

やはりゴーガンには手紙を書かねばなるまい。

厄介なのはいまいましい旅行の件だ。

彼に旅行を勧めた場合、あとになってそれが彼の気に入らなかったら、悪くとられるかもしれない。

僕は今日彼に手紙を書こうと思っている。

その手紙は君に送るとしよう。

 

ここの海を見た今、僕は南仏にとどまることが、また、もっと色彩の誇張を要するとあらば、アフリカも遠くないのだと感ずることが全く重要だと痛感している。


(A)


ドルトレヒトの馬鹿者たちの図々しさをみたか。

自惚れてるじゃないか。

誰一人見たこともないドガやピサロの作品まで欲しいらしいじゃないか、他の人のは別にしても。

でも若い連中が熱狂するのはよい傾向だ、おそらく誰か年寄りが勧めたのだろう。


(B)


君はあのドルドレヒトのあの馬鹿どもの厚かましさを見たかね。

あの思い上がりを見たかね。

彼らは、ほかの人たちについてもそうだが、まだ会ったこともないドガやピサロと対等につき合って下さるというのだから、ただ、あの若い連中がいきり立っているのはいい兆候だ。

それは多分作品をほめた年長者たちがいたのだろう。


(A)


たとえ物価が高くても南仏に滞在したいわけは、次の通りである。

日本の絵が大好きで、その影響を受け、それはすべての印象派画家たちにも共通なのに、日本へ行こうとしないーーーつまり、日本に似ているときは南仏に。

決論として、新しい芸術の将来は南仏にあるようだ。

しかし、一人でいるのはまずい、2、3人で互いに助け合った方が安く生活できる。

君が当地にしばらく滞在できるとうれしい、君はそれをすぐ感じとり、ものの見方が変わって、もっと日本的な眼でものをみたり、色彩も違って感じるようになる。

長い期間滞在するとすれば、確かに自分の性格も変わってしまうだろう。

日本人は素描するのが速い、非常に速い、まるで稲妻のようだ、それは神経がこまかく、感覚が素直なためだ。


(B)


たとえよそより高くつくとしても、南仏にとどまろうというのはーーーねえ、そうだろう、みんな日本の絵が好きで、その影響を受けているーーーこれは印象派画家ならみんな同じこと、それなのに日本へ、つまり日本の相当する南仏へ行こうとしないだろうか。

だから、なんといっても未来の芸術はやはり南仏にあると僕は思う。

ただ、二人もしくは三人で助け合って安く暮らせるのに、一人でここに住むのはまずいやり方だ。

君がここでしばらく過ごすといいのだが、そうすれば、このことがよくわかるだろう。

しばらくすると見え方が変わり、もっと日本的な目で見るようになり、色も違った感じがしてくる。

また、僕はここに長く滞在することによってまさしく自分の個性が引き出されてくるだろうという確信を持っている。

日本人は素早く、稲妻のように実に素早く素描する。

それはその神経がいっそう素朴だということだ。


お二人の「あとがき」的なところも引かせていただきます。


あとがき

硲伊之助

(1961年)

ゴッホの手紙…中と下…は、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホから弟のテオドルへ宛てた手紙を訳すことにした。

この非常に仲のいい兄弟が取り交わした手紙の数は厖大なもので、文庫に入れる関係上、適当に取捨する必要があった。それで本書は、兄が弟を訪ねて突如パリに現れた時から、アルルで画室を整備してゴーガンが来るのを待っている時期までを纏めてみた。

下巻の方は、引き続いてゴーガンとの共同生活とその破綻から、最後の日々までの書簡を訳す予定になっている。

 

なお、上巻が出版されてからこの中身がでるまでに、長い時日を費やしてしまい、読者諸君と岩波書店には大変ご迷惑をおかけしてしまった点については、衷心からお詫び申し上げます。


硲伊之助先生は忙しかったのだろうね、陶芸の方で。


芸術家視線での言葉なので読んでて馴染みやすい気がした。


続きまして二見先生。


編者あとがき

二見史郎(2001年) から抜粋

 

これまで「神格化」されてきたファン・ゴッホの伝記を修正する研究が近年発表されてきている。

父親がフィンセントを精神病院に入れようとした「ヘール事件」そのほか、これまで伏せられてきた文章は公刊されてこの選集にも入れられている。

テオについての出版物も兄弟の往復書簡への手がかりを与えている。


売れない画家の兄は弟に依存したが、弟は兄の仕事を共同で進めるという一体感を強めていくーーーあつれきと感謝、不満と感動を縒(よ)り合わせる絆の物語がこの書簡集である。

これほど自分の気持ちをさらけだす文章はめったにない。


社会のしきたりと型にはまらないフィンセントは親を困らせた。

彼が描く木の根は人間の根につながる。

彼の根元(ラディカル)志向は人間が自然に寄生して生き、やがて土と化してゆく現実をまっとうなこととして受け入れる。


セザンヌもゴーガンも自然と都市文明の落差を敏感に意識したことでファン・ゴッホと共通するだろうが、日々の仕事、自然から受ける感動、女性や貧しく、恵まれぬ人びとやすぐれた人物の仕事への関心などを長文で語る目録さながらのフィンセントの書簡集はドキュメントとして、また記録文学として抜群の価値を持っていると思う。

 

 

また彼が浮世絵に強い関心を抱いたことだけでなく、一莖の草から宇宙に及ぶ自然への没入が日本の芸術家に見られるとして、その賢者を理想と考える面でも日本の読者はフィンセントになお深い親近感を覚えるのではないだろうか。


二見先生(圀府寺先生)版は


比較的最近出たため言葉が近い感じがして


ゴッホ・テオ以外、ゴーガンの書簡・素描や他の方の手紙もあり


有名な精神病院収監事件は


アルル在住民の請願書が残っているのを


池田満寿夫先生が30年くらい前、解説されていたので


知っていたけど父親もプッシュしていたとは。


その時の番組で手紙を朗読していたのは山崎努さんで


なぜかエンディング曲がストーンズだった。


 


結論、翻訳文としては自分はどちらも甲乙つけがたいが


新しさと、網羅的な資料価値という意味で


二見さんのものを推す感じでございます。


ただ重いのだよね、分厚くて。


 


余談だけど、自分が高校生の将来を考えるころ


絵が好きだったので


という単純な理由で画家になりたいと思ったりした。


そんな頃だったか父親の仕事場を見る機会があり、


プロダクトデザイナーを雇い入れていたのだろう


そのデザイナーの机を見せてもらった。


当時父親はウォークマンの類似品を


企画・設計・卸業・販売をしていた。


プロダクトは自分には向いてないと感じたが


デザインという仕事があることを身近に知った。


 


その後、グラフィックの道を探ることになった。


デザインの専門学校に通うことになり、時を合わせ


高校の先生からデッサンを勉強しろと言われ


美術部の先生にマンツーでデッサンの指導を


放課後卒業までの1−2ヶ月間してもらった。


絵で食べていくのは難しいぞ、と言われた。


その先生は確か銅版画家だった。


デザイナーを目指しつつ


画家になりたいと思ったのか


そんな話をしていた。


 


なんていうことを読書してブログを書いてて


ふと思い出してしまった次第でございます。


 


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2冊のオードリー・タン氏の言葉からデジタルを考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

過日、NHKで落合陽一氏と対談されていた


台湾のオードリー・タンさん。


台湾をデジタルで引っ張る姿に


興味あり2冊読んでみた。


(1) 私たちはどう生きるか コロナ後の世界を語る2(2021年)


マルクス・ガブリエル、パオロ・ジョルダーノ、その他


第2章 分断を超えて


■オードリー・タン(台湾デジタル政務委員)


《 対立より対話で共通の価値観を見つけ


 憎悪の広がり回避を 》


日本との違いは から抜粋


 


 日本がマイナカードへの理解が


 遅れているのは個人情報保護の観点が


 クリアにならないからといわれるが


 日本よりも統制のとれている


 台湾ではどのようにしているのか、


 についての回答


個人情報をめぐる不安を払拭するには二つのことが重要です。

まず、誰がどんな時にカードにデータを書き込め、読み取れるのかを法制化することです。

例えば法律で許可されていない保険会社が読み取ることは違法です。

 

二つ目は、誰が内容を読み取ったのかを記録することです。

後で問題が起きた時、刑事責任を追及するのにも役立ちます。

台湾ではネット上で、自分の健康保険カードに誰がデータを書き込み、読み取ったのかを調べられます。

医師の診断内容だけでなく、X線やCT撮影の写真も見られます。

このシステムは官民の信頼を増すのに役立っていると思います。


 デジタル化の理想とは、


 についての回答


誰でもブロードバンドに接続できるようにすること。

社会や産業の革新を促し、議論の場を設けること。

利害が異なる各界の人との議論を通じ、共通の価値観を見いだせる統治方法をみつけること。

これまで政策決定に関与してこなかった人々や、デジタル技術を使うのが苦手な年配者、地方在住者や若者を巻き込むことの四つです。

デジタル環境を確実にして利用権を保護したうえで、社会の革新を促す。

官民で統治の規則を作り、将来世代を含む様々な人々が意見を述べ、、行政から説明を聞くことができるシステムです。


日本の場合、どうしても既得権益が邪魔をするような構造で


タンさんの言うようにはいかないのだよなあと。


だからこそ、「対立」でなく「対話」をと提言される。


インフォデミックを回避するには


から抜粋


デジタル技術が人々を結びつけた時、意見の相違から憎悪が生じることがあります。

言語の自由が保障された社会で、この傾向は顕著でしょう。

新型コロナウィルスのパンデミック(世界的流行)になぞらえ、インフォでミックと呼びます。

ウィルスのように感染していき、意見の異なる相手を人としてみなさなくなる。


大きな革新が次の革新を妨げかねないことです。

私は情報の集権化と呼んでいます。

行政機関や多国籍企業などに権力が集中してしまい、革新を試みるためにはそれから承認を得なければならなくなる状態です。


 それは解決できるのか、


 の回答


全社会の取り組みが必要です。

一つ目の課題で言えば、すでに多くの人々が自ら情報を発信するメディア的存在ですが、彼らは職業記者のような情報源の確認や複数情報の照合をしていません。

未確認情報が散布されています。

手を洗ってマスクをするのと同じく、人々が自らを守ためにメディアリテラシー(情報を見極める力)を向上させる必要があります

また二つ目については、人々が今より物事の決定権を持てるような革新でないとダメです。

人々に特定の価値観を押し付けるようなものでなく、説明責任も伴う革新であることが重要です。


こういう事を日本の政治家が言う姿が想像できないのだよねえ、残念ながら。


続いて2冊目でございます。


(2) Au オードリー・タン 天才IT相7つの顔:アイリス・チュウ、鄭仲嵐共著


はじめに から抜粋


私は政府のためではなく、政府とともに働いているのです。

人々のためではなく、人々と共に働いているのです。

チャンネルのひとつに過ぎない私が、政府のあり方に過激なまでの透明性を持たせることで、みんなは政府がどのように運営されているのかを知り、参加したり、意見を述べたりする方法を知って、政府への請願もできるようになるのです。


Q&A 唐鳳召喚 オードリーに聞いてみよう!


About Episode 7 : 未来の世界を想像する


から抜粋


日本ではネットでの誹謗中傷が問題になっていて


両刀の剣ではないかと言われるが、


についての回答。


ネットに対する私の基本的な考えでは、参加者数を減らして選ばれたメンバーだけを受け入れるような形態にすれば、それは結局ラジオを聴いたり、テレビを見たりするのと変わらないことになるので、インターネット本来の機能は果たせず、意味もなくなると思います。

 

大事なことは、情報のダウンロードとアップロードのバランスなのです。

ネットコミュニティからのダウンロードに対し、アップロードが多ければ多いほど、自分がインターネット上の「市民」であると感じられます。

 

逆に、何かあればすぐに情報を受け取るだけで、自分にとって何が必要かを判断できなかったり、「何をしてもどうせ意味がない」と、社会に対する無力感に支配されてしまったりすれば、それはどちらも受け身の状態です。


簡単に言えば、クリエイティブであれ、ということです。

クリエイティブであれば、いつも自分のアイデアについて考えていなければならず、もう他人の意見を「ダウンロード」して時間を浪費する必要はなくなります

 

何であれ、過剰なことは良いことではありません

情報の受け取りすぎは良くないので、すべては適切な量があればいいんです。


なかなかシビれます。


今を生きる最先端の人の意見というか。


天才というよりも、時代の寵児っていう印象の方が強い。


 


オードリー・タンが選んだ、人生で最も影響を受けた本


<日本語版>

老子』金谷治著(不明年)

論理哲学論考』ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン著・丘沢静也訳(1921年)

哲学探究』ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン著・丘沢静也訳(1953年)

真理と方法I<新装版>哲学的解釈学の要綱』ハンス・ゲオルク・ガダマー著・轡田收・他訳(1960年)

世界史の構造』柄谷行人著(2010年)

詩経』目加田誠著(不明年)

ファウンデーションの彼方へ』アイザック・アシモフ著・岡部宏之訳(1983年)

はてしない物語』ミヒャエル・エンデ著・佐藤真理子訳(1982年)

新版シルマリルの物語』JRR・トルーキン著・田中明子訳(2003年)

フィネガンズ・ウェイク』ジェイムズ・ジョイス著・柳瀬尚紀訳

ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』エリック・A・ポズナー、E・グレン・ワイル著

遠藤真美訳・安田洋祐監訳

ジャーゴンファイル』Raphael Finkeil 著


バリバリのプログラマであり


俗にいう”Parl使い”の方であるため


思考法が”分岐”や”IF構文”というのもあるからか


忖度なく政治を行えているのかと


勝手に推測の上、感じた。


 


ちなみに落合陽一さんもプログラマなので


そこらで気が合うというのもあるのかも。


 


影響受けた本の中では


『ラディカル・マーケット』を読んでみたい!と思った。


 


ミヒャエル・エンデは『モモ』じゃないものを


選んだというのが気になった。


 


あとは『老子』以外知らなくて


これは良いテーマをいただきました。


どれも面白そうでございます。


 


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生態学の2冊から伊藤嘉昭先生を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

まったく自分の柄ではない領域だけど


昨今、進化系の書籍を読んでて


更に養老先生からの岸由二先生の書からの


伊藤先生を知り興味出てきて


勢いで関連書籍2冊を読んでみた。


動物たちの生き残り戦略:伊藤嘉昭・藤崎憲治・齊藤隆共著(1990年)


はじめに 


1990年 著者一同


から抜粋


日本やアメリカの「グルメブーム」やカロリーのとりすぎの一方で、アフリカ、アジア、ラテンアメリカではいまも何百万人もの子供達が飢えて死んでいく。

この厳しい食糧事情をさらに悪化させたのが、1988年アフリカに起こった、サバクトビバッタ(飛蝗)の大発生である。

読者もテレビでその壮絶な光景を見たことがあろう。

動物の発生はなぜ起こるか?

これは「個体群生態学」という生態学の一分野の大きな課題のひとつである。

しかしこれを明らかにするには、動物の数の動態に関する徹底的な基礎研究が必要である。


著者の一人伊藤は、二十年前桐谷圭治氏と共著でこのNHKブックスの一冊として

動物の数は何できまるか』を出した。

旧著は野外における動物の数の動態を扱った本としては日本ではじめてのものだったと思うが、幸い何回も増刷でき、これを読んで個体群生態学に入ったという人も出てきた。

しかしこの分野でもその後の進歩は著しく、何年も前から完全な書き直しが必要になっていた。

たとえば同書のアメリカシロヒトリの生命表は、よく高校の教科書にも引用されるが、今日では成虫の羽化で打ち切られた生命表は、多くの場合、個体群動態の説明に不十分なことが常識である。


第三章 トビバッタの大発生


ーー相変異とその類似現象


から抜粋


読者の多くは、アフリカの大地で天を黒くして飛翔するバッタの大群を、テレビで見た記憶があるに違いない。

1988年11月28日のNHKニュース・トゥデイのトップニュースは

「サハラでバッタ異常発生、西半球移動中」であった。

なんともスケールが大きく嘘のような話であるが、これは事実であった。

アフリカ、サハラの半砂漠地帯(サヘル地帯)で大発生したバッタは、その一部が大西洋を超えてカリブ海諸島にまで到達したのである。

このようなバッタの大発生は、古くは旧約聖書の「出エジプト記」にも描かれているし、パール・バックの有名な小説『大地』のなかでも「イナゴ」の大群が飛来して、またたく間に田畑を食い尽くしてしまう状況が描写されている。

バッタの仲間はきわめて古くから現在に至るまで、大発生を世界の各地でくり返し、そのたびに農作物に対して甚大な被害を与え続けていきたのである。


8  日本におけるトビバッタ類の大発生と研究


日本でのトノサマバッタの大発生


から抜粋


日本でも昭和のはじめまでは、トビバッタの大発生と群飛がたびたび起こっている。

徳川時代の文人、大田南畝(おおたなんぽ)・(蜀山人・しょくさんじん)の文章に出てくる「螽(音読み=シュウ、 訓読み=いなご、きりぎりす、はたおりむし)」とは、トノサマバッタのことで、これは1771年の大発生を指したものであった。

これ以前にも1717年、1730年、1770年などに発生した記録がある(長谷川仁氏の調査による)。

明治に入ってからは、1878(明治11)年、1887〜88(明治20〜21年)、1898〜99(明治31〜32)年に千葉県で大発生したほか、1880〜84(明治13〜17)年から1928〜30(昭和3〜5)年まで計4回にわたって、北海道で大規模な発生と群飛が観察されている。


しかし、このような大発生は、後述する南西諸島におけるケースを除くと日本では起こらなくなったし、将来ともその可能性は低い。

かつての日本のトノサマバッタの大発生は、大きな川の下流の、しばしば水をかぶる広大な草原が旱魃に見舞われた時に起こったものであるが、開拓と治水の進歩は、日本からこのような広大な河口草原を消滅させてしまったからである。


第六章 まとめと追記


ーー生態学と人生


種間競争はあるか


から抜粋


個体群の動態における餌と天敵の問題については、不十分ながら取り上げてきた。

しかし、動物は近縁の種にとり囲まれていることも多く、そこでは種間の競争が起こりうる。

これは生物の群集を考えるときに避けて通れない問題であるし、応用にも深い関連を持っている。

たとえば、外国から侵入した害虫の防除のために原産地から天敵だけを選りすぐって導入するのと、できるだけ多くの種を導入するのと、どちらが良いか?

種間競争が重要なら前者の方が良いだろうが、そうでなければ後者の方が良いかもしれない。

しかし、種間競争の証明は難しい。

たとえば、戦後、本州の大都市周辺では、ヨーロッパ原産のセイヨウタンポポが増え、在来のニホンタンポポ(実際は地方によって数種に分けられるが)と入れ替わってしまった。

しかし、この原因は二種の競争かもしれないし、単にセイヨウタンポポがニホンタンポポより、大気汚染や環境破壊に強いためなのかもしれない(後者であれば、セイヨウタンポポが侵入しなくても、ニホンタンポポは都市からいなくなってしまっただろう)。

今西錦司氏は、種間競争は全く存在せず、種間のすみわけはそれぞれの種の性質によって生じたものだ、とくり返し主張している(『ダーウィン論』中央新書、1977年など)。


なんであんな多くの樹種が?


から抜粋


熱帯雨林は、なんであんなに多くの種の木が生えているのだろう?

植物は、太陽光線と二酸化炭素と水と少数の無機栄養に、大部分依存している。

いくら光線と水が豊富だといっても、すこしの種の木がうんと個体数を増やしても良さそうなのに、なんで何百種もの木が一緒に生えるのか?

長いこと熱帯雨林は、生物の種と個体数が、ともに飽和してしまった系だと考えられてきたが、それならば内部には激しい種間競争があるだろう。

では、なぜ弱い種が滅んで強い種だけにならないのか?

以前の説明は、降雨林では捕食動物がたくさんいて、植物同士の種間競争が起きないぐらい低い密度に抑えられていること、種間競争によって、親樹の下に稚樹が育ちにくいことなどの結果、多種の木の共存が維持されているというものであった。


最近の議論は、これとだいぶ違ってきている。

熱帯降雨林内やサンゴ礁海域の常設研究所で、何年も続けて研究してきた人達によって、これらの生態系は、決して完成し、生物が飽和した系でなくて、倒木や台風などによる、部分的な破壊と再生がたえず起こっている動的な系であり、そこでは競争はあっても、弱い種の排除には至らないといわれてきている。

この説の証拠は決して十分とはいえないが、新しい角度でたくさんの研究が行われる契機になりそうである。

もちろんこれは、こうした生態系の大規模な破壊を許す理由にはならない。

この説では、この動的なあり方そのものが、これらの系を極度にデリケートなものとしているのである。


これらのことは、日本では全くといって良いほど研究されていない。

それが、この本を個体群の話にしぼった理由のひとつであるが、その個体群の研究さえ、むしろ日本では先細り気味で、生態学の大変革に対応して強く進められているとはとてもいえない。

まして、日本が大きな責任を負っている熱帯降雨林問題などの基礎となるべき研究分野は、大幅に立ち後れているのである。

これではいくら地球環境問題の重視を叫んでも、口先だけのことになりそうだ。

人間が生存を続けられる地球を保持するために不可欠な生態学の強化を、どのようにして達成するか。

このことを真剣に考えねばならぬときがきている。


このほか、興味深かったのは、


第二章 集団と個


ーー野ネズミの社会


2 現象の意味


から、野ネズミの「子殺し」が起こる説が4つあるという。


(1)個体群密度の調整

(2)食不足を補う

(3)親による操作

(4)乗っ取りオスの適応度が増すことによって進化した


とされるが、そのどれもが決め手に欠けてまだ不明だということだった。


2023年現在はもっと追及されているかもしれない。


 


書籍名の『動物たちの生き残り戦略』の


”動物”ってのは人類のことも”動物”の種として


指しておられるのだろうと感じた。


 


農薬なしで害虫とたたかう:伊藤嘉昭、垣花廣幸共著(1998年)


第一章 殺虫剤万能からの脱出


まえがきにかえて


から抜粋


この本で私たちは、戦争前に南方から沖縄県に侵入して定着し、大害虫となったウリミバエを

不妊中放飼法(ふにんちゅうほうしほう)」

という農薬を使わない方法で根絶した経験を紹介します。


じつはこの方法は、アメリカ農務省研究部のE・F・ニップリング博士の考案で、私たちの独創ではありません。

しかしこの方法が成功したのは1963年までで、そのあと世界各地で何十回も試されながら十数年成功例が一つもありませんでした。

私たちが成功するには、他の国で使わなかった新しい方法を自分たちでいくつも考えだして使わねばならなかったのです。

この過程をお話ししたいのが第一点。

ところでこの仕事は、東大や京大のような有名大学を出たのでない人たちが、夢中で独学でやり遂げました。

そのあいだの苦労や失敗を含めて「私記」のかたちとし、学歴偏重の日本で、こういう”頑張り方”のあることもお話ししたいというのが第二点です。


環境ホルモンの脅威


から抜粋


最近「環境ホルモン」という言葉が、新聞やテレビでも使われています。

ヨーロッパやアメリカで魚のオスの精巣が萎縮していたり、それを食べている鳥類に性行動の異常が見られたりしたことから、人間男性の精子の数が調べられ、デンマークで精液中のの精子すうが1940年には1ミリリットル当たり1億以上だったのが、1992年には平均6600万まで減ったことがわかりました。

アメリカでも調査がおこなわれ、女性で乳がんにかかる率が増加していることもわかりました。

日本でも多摩川の魚の生殖器に異常が見つかりました(オスのコイで精子がほとんどない個体が30%。雄雌同体の個体も発見された)。


さて、こうなると、どうしても殺虫剤の使用を減らさねばなりません。

しかしそれは、容易なことではないのです。


国や県の試験場のなかでの、農薬偏重への抵抗


から抜粋


日本農業の”農薬一辺倒”時代は、終戦直後アメリカ占領軍から、それまで日本人が知らなかった新しい塩素系殺虫剤DDTBHCを使うよういわれたときに始まりました。

これらの殺虫力はすごく、農家はびっくりしました。

ついでに有機リン殺虫剤(いまは禁止されたパラチオンや、いまも使われているスミチオンなど)も登場します。

そして「害虫防除といえば農薬散布」という時代が始まったのです。

1950年代、60年代に国や都道府県の「農事試験場」の害虫担当職員の大部分の仕事は、殺虫剤の散布試験でした。


食べ物から身体に入ってゆっくりと人体を害する慢性の毒があり、しかも土の中などに長く「残留」する塩素系殺虫剤が大問題だということがわかったのは、1962年にレーチェル・カーソンという人が書いた『沈黙の春』という本が出てからのことです。

この問題と取り組み、塩素系殺虫剤の早期禁止を訴えたのは、農業技術研究所の人たちや高知県立の試験場の人たちでした。

農業技術研究所の金沢純博士は、自分で釣ってきた東京湾の魚にはまわりの海水の何百倍もの濃さの農薬が入っていることを発表します。

魚が体内で農薬を濃縮するのです。

重要な発見です。

しかし氏は農林省から

「君は作物中の農薬を調べていればよいのに、魚などよけいなものを調べて発表するとはなにごとだ」と叱られました。


ともかく、こういうなかから、なんとかして農薬以外の害虫防除法を発展させ、農薬を全廃はできなくとも使用量や使用回数を減らそうという流れが出てきたのでした。

私たちがおこなった不妊虫放飼法の利用も、この流れのなかから出てきたのでした。


DDTについては、肯定論として


創られた恐怖』(1996年)という書籍で


自分は未読なのだけど


実情は分かりかねるところあり


人工のもの全てが悪いってわけでは


ないのかもしれないが


農薬についてはおおよそ害があるのだろう


という気が今はしております。


 


第10章 ウリミバエの配偶者選択と精子競争


配偶者選択とはなんだろう


から抜粋


生物の進化ーー私たち人間もその産物ですがーーを明らかにする研究に道をひらいたのは、イギリス人のチャールズ・ダーウィンだということは皆さんも知っているでしょう。


ダーウィンは『種の起原』がひろく受け入れられたのちに、自然には自分の考えと合わないように見える現象があることを心にとめ、なんとか説明しようと努力していました。

そのひとつに、なぜシカのオスは大きな角をもつのか、またなぜクジャクのオスはあんな美しい大きな尾をもつのか、ということがあります。


ダーウィンは1871年に出した『人間の由来と性選択』という本のなかで、これらは「配偶者を見つける」のに役立つ性質であり、これらの性質をもつオスがもたないオスよりよく子供を残せたのでこういう性質が広まったと考えました。

つまり、性を通じた選択(性選択)で有利なので、ふつうの自然選択では少し不利なのに進化できたと考えたのです。


この本の中で、ダーウィンは性選択を

(1)同性内性選択、(2)異性間性選択

の二つに分けました。


このうち(1)は、今世紀の初め頃には多くの生物学者に承認されました。

カブトムシのオスの角がそうです。

しかし、(2)が成り立つためには、メスが「どのオスの求愛も受け入れる」のではなくて、配偶相手を選ばねばなりませんが、「下等な動物なんかに配偶者の選択なんかできるものか」と考える学者が多かったためです。

世界で初めて配偶者選択を証明した研究といえるものは、スウェーデンのアンデルソンという人のアフリカのコクホウジャク(オスだけに長い尾がある鳥)の研究で、発表はごく最近、1982年のことでした。


第12章 農薬を減らすには:基礎と応用


不妊中放飼法


から抜粋


これまで書いたように、この方法は農薬を使わないこと、根絶に使えるほとんど唯一の方法であることが優れていますが、使える条件が極めて限られているであるととが問題です。

(1)大量増殖と不妊化が安価にまた生存と求愛への障害なしにできること、

(2)密度が低いのに害が大きい害虫であること(1ヘクタールに数十万匹いるのが当たり前のイネのウンカなどは、これを防除するのに必要な数の不妊中をつくることなど無理でしょう)なども必要ですが、

(3)対象地域が小さく隔離されていることも必要条件です。

この点では侵入直後の昆虫には適しています。

沖縄のミバエ大量増殖施設が、県のもので、日本中どこへの害虫侵入に際しても使える施設とならなかったのは残念なことでした。


伊藤嘉昭先生について


先月読んだ書と被るところあり壮絶な


キャリアからの横ヤリ入れられた人生の


自伝タイトルは


楽しき挑戦』じゃなくて、普通なら


恨みはらさでおくべきかエリートども』だろう


って書いたのだけど、今回読んだ本でも


あらためてよくわかったのだけど、


そんな恨み節で人生棒に振っている


暇がなかったってことかなと。


フェアネスだと感じた。


 


自伝に書かれておられたけど、


悪いキャリアたち(全員ってわけじゃないよ)から


島流しのように梯子外された様を振り返り


この方が(研究メインの仕事従事したのは)


結果的に自分に合っていたっていうのは


器の大きさを窺わせる言葉だった。


 


不妊虫放飼法について、その施設の巨大さを


俯瞰写真で見て驚いた。


一大事業であったのだろうし、これからも


力を入れるべき所なのだろうと。


 


それから今日のニュースのひとつ。


ガラパゴス諸島に不妊化した


蚊10万匹放出 エクアドル(3/11(土) 12:55配信)


伊藤さんを知らなかったら


スルーするところだった。


 


余談だけど映像でも残ってないかと


探ってみたらやっぱりありました


良い時代になりましたねえ。


カンペなど読まずにスラスラと


自説をご説明する姿が最高です。


虫はちょっと気持ち悪いのだけど。


クワガタやカブトムシは好きです。


 


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2冊から養老先生のお母様を少し知る [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

養老先生のお母様の自伝と


お母様の知人の女医さんと


養老先生の対談を読んだ。


 


バカの壁」で話題沸騰だった頃に


出版社から持ち込まれた企画なのかなあ


なんて思ったり。


それでもいいよな、と思わせる良書で


女性がひとり子育てしながら働くなんて


今も大変だけど、無条件に大変だった時期の


貴重なドキュメントで、かつ


愛溢れる随筆のような自伝だった。


 


① ひとりでは生きられない ある女医の95年:養老静江(2003年)


第3章


ひとりでは生きられない


■愛する人へ


から抜粋


「僕は良い人間だから早く逝く。君はわがままな人間だから、なかなか死ぬことができないよ。

それを『業』というんだ。立派な仕事も持っているし、君なら大丈夫だと信じているーーー」

三十三歳の若さで病に倒れた主人の言葉がいまも蘇ります。

私のもとを永遠に去ったのは昭和17年11月のことですから、あれからかれこれ50年の歳月が流れたことになります。

「君はわがままな人間だから、なかなか死ぬことができないよ」

という『予言』はまさに的中しました。

私は94歳になりましたが、まさに『業』なのでしょう。

少女の頃は心に決めたように自由に生きて、今もまだ求めがあれば聴診器を手にし、こうして原稿用紙に向かっているのですから。


私はいまでも、毎朝、目が覚めると心の中で「パパ、おはよう」と元気よく挨拶します。

90を過ぎたおばあちゃんがってお笑いになるかもしれませんが、本当に、もう50年来の習慣なんです。

もっとも、主人は33歳のままですから、こんなおばあちゃんになってしまった私の朝のあいさつをどう思っていることやら、おい、もう恥ずかしいからやめてくれよ、あちらの世界で苦笑いをしているかもしれません。


若い時分に、「恋愛至上主義」という考え方が新しい風のごとく巻き起こった時代がありました。

女医を志して学問に励んでいた私には、そのときはまだ別世界の話でしたので、へぇ、そういう考えもあるのかといった程度のことでしたが、弁護士だった前夫との結婚、二人のこの出産と準備、私より10歳若い年下の「パパ」との出会いといくつものハードルを超えての結婚、三人目の出産、そして、最愛の人の死ーーーと、女性としての数々の喜びや悲しみを経験するうちに、「恋愛至上主義というのは、もしかしたら真実なのかもしれないな」と思えてきたのです。


「私という存在があるからこそ、山も河もあるんだ。好きなように生きることこそ、生きるということなんだ」


あらためて申し上げるまでもないかと思いますが、私の人生は、永遠に33歳の夫とともにあります。

戦後の私の物語もまた夫とともにあるのですから、なによりもまず、私にとって掛けがえのない夫について知っていただこうと原稿用紙に向かった次第です。


私にとっては忘れられない夫の思い出を記させていただきます。

ある日、秋の風にまかせて洗いざらしの髪を病室の窓際で乾かしていました。

ベッドで手招きする夫に誘われ、彼の片手に頬を寄せました。

夫は「君の髪、麦の香りがする」と洩らしました。

そして「かわいそうに」と。

夫が息を引き取ったのは、それからほどなくのことです。


誰か、これ、映画にしてください。


よろしくお願いします。


 


話せばわかる―養老孟司対談集 身体がものをいう(2003年)


対談者(1997年7月収録)

大森安恵

東日本循環器病院・糖尿病センター所長

1932年高知県生まれ。

著書に『女医のこころ』『女性のための糖尿病教室』等。


“人間らしい生活”という価値観


■女性は実在、男性は現象


から抜粋


■養老

先生は母を知っているので少々やりにくいです。

 

■大森

実は知り合いの編集者の方が先生と同じ鎌倉にお住まいで、鎌倉に見事な山桜があると聞いたので遊びに出かけたのです。

あいにくの雨で山桜を見ることはできませんでしたが、お母様の昔話に花が咲きました。

先生は小さい頃、母に

「孟司、孟司、頭はでかし」

と言われた、秀才の誉れ高いお子さんだったそうですね(笑)。

 

■養老

そんなことはないんですよ。

小学校に入るころ、母に

「この子は知恵遅れじゃないか」

と知能検査に連れて行かれた(笑)。

「口を効かないからだ」と。

それは当たり前でね、何か言おうとすると母がしゃべっちゃう。


■養老

東京医科歯科大学解剖学の和気健二郎教授のお母様がやはり東京女子医大の出身なんですが、彼も三、四歳の頃まで全然口を利かなかったらしい。

女医さんの息子は言葉が遅れる(笑)。

 

■大森

私の先輩には素晴らしい先生がたくさんいらっしゃいます。

吉岡弥生先生もご苦労されたと思いますが、周りを支えた人たちがすごかったんですね。

その一人が養老先生のお母様。

とてもとんでいた方のようですね。

 

■養老

当時、寄宿舎は”姥捨山”と呼ばれていたとか。

その歳になったらお嫁に行けないと(笑)。

 

■大森

その歳といっても、二十歳前後ですからね。


お母様のこととはダイレクトに関係しないかもだが


興味深かったので以下も抜粋


■大森

医者という職業は女性に合っていると思うんです。

細かい仕事ですし、男の人よりいたわりの気持ちはあると思います。

こんなことを言ってはいけないかしら(笑)。

 

■養老

女性の方が体のことについては具体的できちんとしています。

男は抽象的ですね。

免疫の多田富雄先生と中村桂子先生と三人で話したんですが、いみじくも多田さんが結論的にポツンと言いました。

「女は実在で、男は現象だ」と。

現象がウロウロしているわけです。

患者さんが頼りないと感じるのもわかります。


■医療の世界のフェミニズム


から抜粋


■養老

私の母なんか偉いとよく言われるけど、要するに変わった人ですよね。

実際、母はいろいろな意味で迷惑な人でしたし、そそっかしい人で、よく往診先から電話が来て「先生がゲタを片方間違えて帰った」と(笑)。

 

■大森

でもあの時代にきちんとした結婚観やご自分の意思をもっていたのは立派です。


■豊かな心で機嫌よく暮らす


から抜粋


■養老

最近はお医者さんも忙しすぎますよね。

余裕がない。

あれでは患者さんのためになりません。

女医さんも忙しいでしょう。

 

■大森

女性は出産・育児の期間もあります。

子供ができると現役を退いてしまう方が多いのが残念です。

でも、子育てをしながら一般医学界に遅れをとらないでやっていくというのは大変なことです。

 

■養老

男でも、フルに仕事をするのはよくないんじゃないか。その特徴が出ているのは受験戦争です。

全員がギリギリまでやろうとする。

でも結果は、全員が半分しかやらなかった場合と変わらないと思う。

できる人はできる、できない人はできない。

万事がそうです。

人口過剰の特徴ですよね。

ある意味で。

やらないと人に取られちゃうから。

でも、そんなケチな社会に暮らしていて人間幸せかということをそろそろ考えないと。

東南アジアの田舎などでは若いものが一日中、日なたぼっこをしている。

そういう人生もあることを日本人は頭に入れておくべきです。

悪いことだと考えてしまうんですね。

そして、動かないときをどう過ごすかは価値観の問題です。

 

■大森

お母様も開業医として忙しかったと思いますが、病気だけじゃなくて人間を治すという医療を実践されましたよね。

とても豊かな生活をした方だと思います。

 

■養老

ほとんど年寄りの話し相手でしたけれど、あれが重要なんでしょうね。

年寄りの話なんかだれも聞いてくれないから、みんなグチをこぼしに来ていた。

 

■大森

きちんと聞いてあげるのが素晴らしいです。


人口増加で問題になっていた頃、


高齢化社会に警鐘が始まった頃かな。


今では人口減少が新聞に出ており、


幸か不幸か、後期高齢者という


ネーミングも定着し


超高齢化社会だという。


 


自伝と知人の女医さんと


先生の対談を読んで


誠に僭越ながら思うこと


養老先生のお母様は、古風で人情味があり


そして本物の知性を備えた方、


事情あり再婚され愛する人と別れ


その最大の理解者の父親と


きちんと別れの挨拶を


できなかった4歳の養老先生は


なるべくして大成されたお方のようで


これも自然選択によるものなのかと


昨今ダーウィンを考察中のため


思ったり。


 


自伝は暖かい書籍で、いつまでもその風雅が


残るような良書だったと


夜の勤務先で思い出したことを


ご報告させていただきます。


 


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