野沢収さんの書から”若さ”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
- 作者: 野沢 収
- 出版社/メーカー: 音楽之友社
- 発売日: 2001/12/01
- メディア: 単行本
1971年7月3日土曜日 から抜粋
ジム・モリソンは持てる才能の”魔”にからめ取られ、やがて自滅せざるを得なかったロックンロール詩人といえるかもしれない。
かつてオノ・ヨーコは、三島由紀夫を”自分の作り上げた幻想の中で死んでしまった”と言ったが、モリソンもまた自らの「文学」にーーーデンズモアにいわせれば、”ニーチェ”にーーー殺された一人だ。
一方で、酒で身を滅ぼした典型例として片付けられないわけでもない。
彼は彼の深層によどんでいる衝動をむき出しにするためにアルコールを用いた。
むろん彼の飲んだ酒のすべてがそうではないが。
自己を器用にコントロールし、時代に同調し、サイクルを合わせてゆくキャラクターとは対極的に立つモリソン。
しかしそれも自滅と解されるのは避け難い。
このどちらも皮相的ではあるが、全く誤った指摘とは言えない。
だが、「ムードを変えよう、喜びから悲しみに(L.A.ウーマン)」と歌っていた彼の死には、単なる自殺とも事故死とも異なる、それらを超えた”何か”が感じられてならない。
「死よ 汝の訪れしとき 生けるもの すべて 天の使いとなり 空かける 翼を得ん」
これは、彼のまさに戦慄すべき戦略である。
永遠こそ死と引き換えに彼が最後に得たものだ。
自分自身を対象化し、作品としてしまうために。
《L.A.ウーマン》の次の作品とは、もはや言葉も音楽も不要となった、「ジム・モリソンの死」という表現だったのではなかったか。
なぜなら、そこに彼自身の意志が介在したにせよ、あるいはしなかったにせよ、それまでに遺した言動や何よりも作品の数々が否応なく”死”にそのような意味をもたらしているからである。
四年余にわたって奏でられてきた永遠へのプレリュード。
ポップスターからの逃避を逆手にとり、皮肉にも表現にまで昇華させたといってもいい。
モリスンは姿を消すことにより、彼の生涯を貫いてきたコンセプトである「終り」を始めたのだ。
死により彼の美学はいったん完成され、そのことにより彼のコンセプトはさらに続く。
ドアーズでの数年間は、モリソンにとってどうしても死ななければ生きてこないのだ。
現在、不在でありながらも、ますますその存在感を強め、表現を続けているというべきか。
つまりあれほど「終り」にこだわっていたモリソンが、1971年7月3日以降、いよいよ永遠に「終り」始めたのである。
これには、恐ろしいことに終りが来ない。
永遠の不在を”表現”にしてしまったアーティスト。
彼はあらかじめ約束された彼岸への旅立ちに関する歌を持って現れた。
私を遠くない距離に見、徐々にそれに接近してゆく緩やかな自殺。
一般的な通念上での”自殺”とは異なった、自分自身の上に死を誘発しようとする試み。
例えば客観的にはドラッグによる偶発的な事故死と見えても、彼の主観にあってはいかなる驚きもない必然死。
いわば、未必の故意による自殺。
プログラムされていた死が、単にその「時」を捉えたに過ぎない。
モリソンの死にはそんな印象が強い。
従って、それが悲劇的な非業の死という印象を抱かせないのである。
もうひとつ、彼の死を悲劇的な色彩から遠ざけている要因がある。
それは、三人のメンバーとの関係が、最期まで崩れることなく保たれていた点だ。
これは、マンザレクに負うところが大きい。
モリソンは才能をもてあましながらも周囲の人間に恵まれず、不遇と失意のうちに短い生涯を終えたわけでは決してないのである。
彼本人の思惑はともかく、客観的事実として、彼の周囲には実に申し分のない才能と理解者が(理解という言葉が適当でなければ、協力者が)常に存在していたのだ。
このマグネティヴなパワーがもたらした幸福。
しかも彼らは、この”一瞬のうちに姿を消した巨大な流星”の話を今なお語り継いでいるではないか。
何もかもがモリソンの意図した通りに運んでいる。
よき理解者、レイ・マンザレクも鬼籍に
2013年に入ってしまわれた。享年73歳。
もう10年以上経過。
”ロック”とか”文学”とか”映画”などの分野って
解釈の仕方であらぬ方向に行くことも多々ある。
特にドアーズの場合、単に優れた音楽ってだけで
捉えるには余りあるものなのは確かなのだけど
ビートルズもそうで難しく考えすぎではないかなあと
でも面白いから読めちゃう、というのは
もう老年に差し掛かったおじいさんの
繰り言で少し自分自身残念でもありますが
昨今はそう感じてしまう。
本に話を戻すと、日本の表現者からの視点
オノ・ヨーコ、三島由紀夫もあったり
ジム・モリソンが亡くなった後の
ドアーズにも主眼を置いていたりと
この著者ならでは一級資料であるということは
疑いようのない事実。
これ以上のドアーズ研究・分析本は国内では
なかなかでないでしょう。
1971年以降のドアーズの活動内容の
詳細に触れているのを読んだ記憶がほぼない。
自分は昨日も聞いたけれど「other voices」は
レコード持っているし、かなり良い出来と感じる。
だけど、ジムが抜けたのは埋め難いものが
あるのも事実で。
(ちなみにレイのソロ一作目もサブスクだけど
一昨日聴いたらかなり良くて驚いた)
バンドサウンドのマジックって
言葉では尽くせないものがある
っていってしまえば、それまでなんだけど。
余談でございますが、自分はこの書
若き日に改訂版の前のものを読みましたが
7−8時間くらいぶっ続けで読破したことを
思い出しました。
若かったからできた懐かしい書でした。
とはいえ、過去の書ってことじゃないすよ
今でも通用する本で読み応えございます。
ローレンツ博士の書から”優しい眼差し”を感じる [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
まえがき から抜粋
この本はいわゆる科学的な本ではない。
打ち明けていえば、ひとえにこの本は動物たちを観察しているときに私が味わう喜びから生まれたものである。
それはそれでまったく正しいことだと思うけれど、じつはこれはこの本に限ったことではない。
というのは、私の学問的な仕事もまた、その根本ではやはり同じ喜びから発しているからだ。
科学者が新しい、思いもかけぬ発見をなしうるのは、いかなる先入観からも解放された観察によってのみなのである。
最初に述べたように、この本は科学の本ではない。
私たちの科学的研究の一種の副産物である。
この一言からも、ありのままの客観的真実は、それが自然に関するものである限り、じつに美しいものでありうることがわかる。
そしてもう一つ、この本は私が書きはじめる前にすでにできあがっていたも同然であった。
つまり、そのプランはごく細部にいたるまで、はじめから写真によってきまっていたのである。
今では残念にもほとんど忘れられてしまっているドイツの詩人フリッツ・フォン・オスティニは、今世紀への変わり目に画家ハンス・ペラルによってつくられた子ども向けの楽しいメルヘンの絵本に、こんな文を書いた:この本の絵を描いたのは詩人で、物語を歌ったのは画家である。
この本の本文と写真の関係は、まさにこれと同じである。
あとがき から抜粋
この本に書いたのは、シュビレ・カラスが編集した写真集の解説であり、事実上これらの写真がどのようにして撮られたかという報告といってもよい。
本書にもられた内容は写真そのものによって語られている。
それでは、この物語はだれのために書かれたのか。
この物語を吸収し、それが伝える情報を理解してくれることを私たちが願い、また信じている相手は、いったいだれなのか。
今日、人間はあまりに文明化しすぎ、自然から疎外されている。
大部分の人々は日常生活の中で生命のない人工物以外のものに接する機会をめったにもたず、生物を理解したり彼らとかかわりを持ったりする能力を失ってしまっている。
私たちをとりまき、私たちの生活を可能にしてくれている自然界に対して、人類全体が蛮行を働いているのは、一つにはこのような能力の喪失のせいである。
人間と地球上のほかの生物とのあいだの失われた接触をとりもどそうとすることは、価値のある重要な仕事である。
要するに、このようなかけに成功するか失敗するかによって、人類が地球上のほかの生物とともに滅びるか否かが決まるのである。
一日中、けんめいに働いた人々、ふつうはストレスにさらされがちな彼らは、たとえ正しいものであろうと、危険を警告する本(レイチェル・カーソン、オルダス・ハックスリー、メドウ・グループその他の人々が書いたもの)を読みたがらない。
だれだって働いた後に贖罪的説教をききたくはないし、石油節減や省エネルギー、浪費の削減といったことは喜ばれない。
そのうえ困ったことに、人間はよいことをするのを重荷だと思い込む習性がある。
だが人間は、疲れているときに美しさを感じとることができる。
薬屋が苦い丸薬を砂糖でつつむように、美を介することによって、自然から疎外されている働きすぎの人々に、自然界の生物を守り保存する義務の観念を植え付けることができるのではないだろうか。
ハイイロガンは、多数の都市大衆にそうしたアピールを伝えるうってつけのメッセンジャーだと、私たちは考えている。
比較的なじみ深いさまざまな動物のうちで、その行動がハイイロガン以上に人の心をとらえる動物は一種しかいない。
それはイヌである。
動物たちは道徳的責任という観念をもっていない。
彼らがおこなうことはすべて、自然の習性の産物であり、自分の家族や社会を害するかもしれないという予測によって彼らの行動が左右されることはない。
しかし動物は、自然の習性によって、ほとんどすべての場合、あたかも彼らが信頼できる予測の感覚にもとづいて行動しているかのように、確実に正しい結末に到達しうるようになっている。
動物には道徳的責任感というものは必要がない。
自然状態では、自然の習性が彼らを正しいものへと導くからである。
じつは人間にも同じような自然の習性がたくさんある。
だが文明人は理性的、道徳的な考え方により、例えば自然の習性にしたがって子どもたちを扱うのを妨げられることが多い。
子どもたちが行儀よくふるまい、かわいいと思えるのに、彼らを抱きしめてキスしてやることができない。
かと思えば、彼らがいたずらをしても、思いきりひっぱたいてやることを自制してしまっている。
それはいうまでもなく、いわゆる反権威主義的教育なるものにもとづく、とんでもないナンセンスなのである。
理性的・道徳的な考え方が文明人を過(よぎ)らせているもう一つの分野は、私たちの働くペースである。
勤勉は明らかに美徳であり、同様に怠惰(たいだ)は悪徳である。
だが、義務感につき動かされて、自分の健康を損なわずにできる以上の仕事をするようになると、他の種類のゆきすぎと同じく、勤勉は悲しむべき悪徳になるのだ。
なので、ハイイロガンたちの生態を見て学ぶべき、
”くつろぎ方”や”休み方””ひなの休息の声と眠りの声”は
”なによりも美しい、なによりも効果的な子守唄”、
決定的な写真でクローズしている書でございました。
”あとがき”での”重要な仕事”について
時代遅れのお爺さんの戯言ととるか、否か、
自分なぞ圧倒的に後者と感じ入るのでございます。
オーバーガンスルバッハによせて
日高敏隆
から抜粋
1980年5月、ぼくはアルム渓谷を訪れた。
この本の舞台であるオーバーガンスルバッハのガンたちとその研究を見るためだった。
ウィーン郊外のアルテンベルクにある壮大な自宅から、ローレンツは真っ赤なベンツを猛烈なスピードで馳って、ぼくをまずグリュウナウへ連れていってくれた。
グリュウナウ・イム・アルムタール(アルム渓谷のグリュウナウ)は、鄙びた美しい町だった。
ローレンツが常宿にしている旅館には、カストナー夫妻と美しい娘リージーが、甲斐甲斐しく働いていた。
古びた木製のテーブルの上には、かわいらしい民族衣装ディルンドルを着たリージーが毎朝庭から摘んでくる愛くるしい野の花が、小さな花瓶にあふれるほど飾ってある。
何という美しいところだろうとぼくは思った。
アウインガーホーフの研究所には、クラウス・カラスの研究しているビーバーが飼われていた。
少し離れたところには、ミヒャイル・マルティースのイノシシの親子が何組もいて、その子どもたちは楽しそうに遊びまわっていた。
いかめしい感じのヒュットマイヤー氏にも会った。
彼の案内で、家に飼われているオオヤマネコにも会わせてもらった。
あらためてこの本をひもといてゆくと、すべてがこの本に描かれているとおりであった。
朝霧も夕焼けも雨も。
ほんとうに懐かしい思いである。
初版が’84年なので、日高先生が訪れてから
4年くらいしか経っていないのに
かなり懐かしがっておられる印象。
ローレンツ博士に対する郷愁なのか
グリュウナウへ想いがそうさせるのか。
はたまたご自分の人生への思慕もあるのか。
ちなみにローレンツ博士は、’89年に85歳で
亡くなっているので
この時点ではまだご存命だったはず。
日高先生は当時54歳。
という、この本の主テーマとは思えない事に
目がいってしまう自分はやはり
ひと味違う”アホの極み”なのかもしれないが
この書は自然への”優しい眼差し”が
ひしひし感じられる書でございました。
ローレンツ博士、緑のシャツが
えらくかっこいいです!
多田富雄先生の書から”福祉国家”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
- 作者: 多田 富雄
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2007/11/19
- メディア: 単行本
総括、弱者の人権
から抜粋
この本は2006年度に行われた、政府による診療報酬改定に端を発した、リハビリテーション医療(リハビリ)打ち切り反対闘争の、私の論説を集録したものである。
リハビリを続けなければ、社会から脱落するもの、生命の危険さえあるものにたいして、医療を打ち切るという酷い制度改悪に私は怒った。
文章を書いて反論することが、一障害者の私にできる唯一の抵抗であった。
本にまとめておきさえすれば、この医療史上の一大汚点は、実名とともに後世に残る。
この本を出版する意味
から抜粋
リハビリは息の長い訓練治療にとってようやく目的が達成できる医療である。
健常者にはわからない苦痛に満ちた治療を、医師も患者も辛抱して続けている。
紙の上でお役人が、いつ治療を打ち切るかなど、判断できるはずはない。
それを2006年の制度改定では、病気や障害の多様性、患者の個別性などを無視して、一律に日数で制限しようとしたのだ。
これまでの保険医療制度改定では、患者の負担増を求める流れはあったものの、医療を「切り捨てる」事態が起こったのは始めてである。
国民皆保険以来始めての、医療保険からの患者切り捨てである。
今回設けられた制度により、長期のリハビリ医療を必要とする多くの患者は、保険診療の対象からははずされることになるのだ。
回復を断念せざるを得ない。
これは、世界が羨む国民皆保険を達成した日本の、医療制度の根幹を揺るがす問題である。
このまま医療制限が続けば、早晩公的医療保険は崩壊する。
公的皆保険を破壊し、アメリカのように、損害保険会社の営利的な保険に移行させようとしている危険な医療資本家が、政府の財政諮問会議のメンバーにも堂々と名を連ねている。
実現すれば、先進医療は一部の富裕層だけに独占される。
貧乏人は、生死がかかっていても、医療費不足によって放置されるようになりかねない。
これは国民皆保険という、戦後日本が達成した世界に誇る制度の危機でもある。
だからこの問題は、リハビリという一部の人だけが直接の関心を持つ医療問題ではない。
この国の医療と福祉の未来、ひいては弱者の生存権までかかった、重要な問題なのである。
9 リハビリ制限は、平和な社会の否定である
から抜粋
鶴見和子さんは、先のエッセイにこう述べている。
「戦争が起これば、老人は邪魔者である。
だからこれは、費用を倹約することが目的ではなくて、老人は早く死ね、というのが主目標なのではないだろうか。
老人を寝たきりにして、死期を早めようというのだ。
したがってこの大きな目標に向かっては、この政策は合理的だといえる。」
「老人は、知恵を出し合って、どうしたらリハビリが続けられるか、そしてそれぞれの個人がいっそう努力して、リハビリを積み重ねることを考えなければならない。
老いも若きも、天寿をまっとうできる社会が平和な社会である。
生き抜くことが平和につながる。」
と続けている。
だからこの問題は、リハビリ医療だけの問題ではない。
こんな人権を無視した制度が堂々まかり通る社会は、知らず知らずに戦争に突き進んでしまう社会になる。
老人も障害を持った患者も生き延びねばならない。
鶴見さんの言うように、それが平和を守ることにつながるのである。
その意味でも、この制度改定には断固として反対しなければならない。
それが鶴見さんの遺志でもある。
(『世界』2006年12月号)
回復期に受けれなかったことを
”一生の痛恨事”とされ、リハビリの重要性を
誰よりもご存知の多田先生の警鐘。
その後、この日本の福祉はどのように
なって今に至るのだろうか。
兵庫県医師会の先生の記事にたどり着く。
https://kobecco.hpg.co.jp/22842/
社会保障の歴史にも”経過”という意味で
興味があるのだけれども
福祉国家の事例に言及されているところが
自分としては強く惹かれた次第でございます。
余談だけど、多田先生もまさかご自分が
専門外のこういう告発書を書くことになるとは
想像だにしなかったであろうなあと。
予期せぬってことでいうと自分も
吉本隆明先生の書で多田先生のことを
知ったのだけど、この時はまさかこの後
深掘りすることになりこの書を読んだり
リハビリという今の自分の仕事と微妙に
リンクすることになるとは思わなかった。
リハビリは自分の親もお世話になったし、
かくいう自分や誰しもが
お世話になる可能性だってあるのだから
声高に言い続けていかないとならないのでは
なかろうかと思った夜勤前のコンビニ駐車場で
拝読させていただいた深い書でございました。
森岡正博先生の対談から”権力と人間”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
- 出版社/メーカー: 法蔵館
- 発売日: 1999/02/10
- メディア: 単行本
羊のクローンが成功して、それを人間に応用すべきかどうかを知識人たちが議論しはじめたその矢先に、韓国で人間のクローン実験がはやばやと行われてしまった。
人間の臓器を作り出して利用するためだったら問題はないということで正当化されそうないきおいだ。
現代文明は、われわれを、いったいどこへ向かわせようとしているのだろうか。
科学技術は、私たちひとりひとりの欲望である。
私たちひとりひとりの欲望と、管理社会のシステムと、現代科学が、複雑な相互依存の関係を作り上げているのだ。
学校のいじめと、生命の選択と、地球規模の環境問題は、根っこが同じだ。
いま起きている様々な問題を、大きな文明のうねりが巻き起こすひとつながりの出来事としてとらえてみること。
そして、現代文明が、われわれの生命をどこへ連れていこうとしているのかを、一気に見通すこと。
そのことを、徹底的に考えたい。
それがこの対話の動機だった。
NHK未来潮流という番組「生老病死の現在」の
収録の対談だったというが
相当の覚悟を持って挑まれたという
真剣勝負だったことが”あとがき”からも分かる。
あとがき(1998年冬 森岡正博)
から抜粋
しかし、これには莫大な集中力を必要とした。
1セッション撮ったあとは、ボロボロに疲れた。
それだけではなく、撮影スタッフもまたズタズタに疲れたことだろう。
シナリオはないし、いつ終わるかわからない。
収録テープの山がうずたかく重ねられていく。
集中力の限界へと全員が追いつめられる。
こんな番組を、もう作れないだろう。
未放映部分の対話記録を目ざとく発見し、出版への道を開いてくれた法藏館の中嶋廣さんには、いつもながら感謝している。
まえがきにあったのだけど、
テレビは限界があり一部しか
放映できなかったため
未放送部分を中心に対談として出版
とあるけれど未放送をどうやって
発見したのだろうか。
全くどうでもいいのかもしれないが。
柴谷篤弘
[洗脳としての科学文明]
先端を走る日本の息苦しさ
から抜粋
森岡▼
今の日本社会を覆っている何か、少なくともこの社会を覆っている独特の息苦しさみたいなものはあるわけです。
それが、一方においては教育のようなところにあらわれているし、もう一方においては生命のテクノロジーに象徴的にあらわれている。
柴谷▼
その問題は日本だけでなしに、いわゆる科学技術先進国はみな抱えている。
森岡▼
科学技術が医療の場面においてわれわれの生命にかぶさってきている独特の暗雲のようなもの、それは優生思想をサポートするようなものであったりすると思うけど、それとリンクするような形で、今、日本の教育現場でも同じような暗雲が垂れ込めているような気がするんです。
それは個別に切れている話ではなくて、何か共有している構造があると思うんです。
一つは、日本社会みたいなところでうまく人生を送っていくためには、やはり誰かが決めたプランとか、われわれ全体がなんとなく持っているある図式の中に入っていないと難しい、というような思い込みに我々が縛られていることです。
柴谷▼
その思い込みは、よその国とり日本の方が強いような感じがします。
狭い日本だから、どうしてもそうなるのかもしれない。
森岡▼
逆にいうと、これから地球も狭くなっていくわけだから、21世紀には地球が日本化していくのかもしれない。
今、日本で抱えている管理的な抑圧は、問題の先取りをしているのかもしれない。
その意味では不登校とか家庭内暴力の問題なんて、我々が先に悩み苦しんでいるのであって、日本は特殊だからローカルな問題だと捉えると具合が悪いんです。
「いじめ」はいま世界の各国で「発見」されはじめています。
柴谷▼
近代文明とか科学技術文明とか資本主義が、そういう方向へ追い込まれているようになっているという考え方ですね。
森岡▼
日本のような社会が逆説的にそこでは先端を走っていて、ある種の問題に早く直面させられている。
柴谷▼
そこはやはり近代国家や民族国家では、政府や政権が人間の生命を管理するという問題があります。
近代文明が内部的に抱え込んでいる問題、それが科学技術と資本主義の進歩によって、日本では面積が狭いためにいちばんきつく出ている。
国家は、科学技術と効率によって、生命や生殖を含めて、生きることから死ぬことまで全部管理しますというのが、ミシェル・フーコーの考え方で、10何年前に出ている話ですが、近代国家というのはそういう具合に管理をしているわけです。
森岡▼
そして、その管理が、あたかも自由社会における個々の自由な判断の集積であるというかたちをとらせているんです。
柴谷先生の書は対談も含め何冊か
拝読してきたけれど
この森岡先生の対談がいちばん
腑に落ちた気がした。
慣れてきたのかもしれないし、
森岡先生と自分が近い感性なのかも
しれないけれど。大変僭越ながら。
森岡先生や難解な柴谷先生や当時の世界が
抱えている問題などがわかりやすく
対話されている。
[老いと死を見つめ直す視点]
多田富雄
遺伝子から見た老いと死 から抜粋
森岡▼
もう一つ、「死」と同時に「老い」についても考えてみたいと思うんです。
たとえば、今まで普通に「老い」というものをどう考えてきたかというと、健康な時には速く走れたり、考える能力があったり、色々なことができるけれども、からだにガタがきたりして、だんだん今までしてきたことができなくなることを、「老い」であるというふうに見てきたと思うんです。
そうだとすると、たとえば頑張っていろいろな健康法を行ったりすれば、若い状態がいつまでも続いていくんじゃないかと頭のどこかで考えたりする。
ところが最近の科学によると、実は「老い」とはそんなに簡単なものではなくて、人間が老いていくこと自体が、実は遺伝子のなかにプログラミングされているのではないか、ということが明らかになってきました。
そうだとすると、「老い」というのは単にからだにガタがくるのではなくて、むしろ細胞は積極的に老いているということになって、これは今までの見方と180度変わるようなショッキングなことだと思います。
多田▼
老いも死も、今までは生物学の研究の範囲外だと考えられてきたと思います。
「老い」つまり老化とは、単に時間的な経過に応じて、いろいろなからだの機能が衰えていく過程で、ゴムや金属が必然的に劣化してゆくのと同じで、生物学的に扱うことは不可能と考えたのです。
それに対して発生とか成長というのは、整然と起こってくる生理的現象ですから、遺伝子がどのように発現してどんな形質が現れるのかということが、非常に詳細に解析できたわけです。
それに比べると、「老い」という現象は、人によって現れる時間が非常に違うという不規則性があります。
それから人によって異なったタイプの老いが起こる。
つまり「老い」には多様性があって、自然科学が対象にしている、規則正しい普遍的な変化とは違っているということから、自然科学の中では取り残されてきたと思います。
森岡▼
なるほど。
つまり「発生」というのは、どんな人間でも同じように育って成長していくから、自然科学でも取り扱いやすかった。
けれども「老い」は人によってそれぞれバラバラの違う道筋を通っていくから、非常に捉えにくかったということですね。
多田▼
そうです。
同じように「死」という現象について、生物学が今まで解明したことは不思議なほどに少ないのです。
死も、生物学の研究の対象ではなかったのです。
しかし、最近になって老化も死も、遺伝子レベルで決定されている部分がわかってきたんです。
たとえば細部が死ぬためにアポトーシスという現象があるんですが、それは特定の死の遺伝子が働いて、細胞が自ら死んでいくわけです。
森岡▼
細胞の自殺ですね。
多田▼
そうです。
積極的に自分を殺していくというプロセスがあることがわかってきました。
そういう遺伝子がいくつも見つかってきて、非常に原始的な多細胞生物ができた頃から、すでに死の遺伝子というものが作り出され、それが進化しつづけてきたことがわかってきたんです。
森岡▼
つまり、人間とか他の動物なんかでも、細胞が死んでいくことがあらかじめ遺伝子レベルで予定されているということですか。
多田▼
プログラムされているわけです。
森岡▼
それはあるところまで細胞が育ってきたときに初めて、そのプログラムが働いて死んでいくというイメージなんでしょうか。
多田▼
いつ死ぬのかを決めているのが何かということは、まだよくわからないんです。
しかし、細胞の分裂回数には制限があることがわかっています。
アポートシスは、私たちのからだが発生してくるときにさかんに起こる現象です。
ものすごい興味深いです。
多田先生も何冊か読んできたのだけど
森岡先生の対談がいちばんといっていいくらい
なんかわかる。とっつきやすい。
老い、死、とも、人間の本質的なテーマだからか
深く、しかし結論など出そうにないものと
感じるのは自分だけなのか
寒い朝の読書でございました。
石坂公成先生の書から”結婚・幸福”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
普段そんなことを考えませんが
昨日、とある年配の知り合いの方と話し
プライベートなことなので詳細は
伏させていただきますが
伴侶との永遠の別れをお聞きするに及び
人生を自分なりに深く思うと同時に
この書に巡り合ってさらに考えた。
まえがき から抜粋
このところ、生命科学では遺伝子が大はやりである。
クローン特集などというものが確立されたので、マスコミはマイケル・ジョーダンやイチローをたくさんつくることができるようなことを言っている。
日本のマスコミによってつくられた風潮は、
”人の一生は遺伝子によって決まってしまう”
ということらしい。
ところが、幸いにして、人間の一生はもっと面白いものである。
我々自身の人生から明らかなことは、人間がどこへ行って、何をするか?
ということは、遺伝子ではなく、運命(偶然)によって決められているということである。
前著『我々の歩いて来た道』に書いたように、私は二つの偶然が重なった結果、学生時代の夏休みに伝染病(現在の東大医科学研究所)へ行くことになり、さらに二つの偶然が重なって、中村敬三先生の教室へ行った。
もし、そのうちの一つの偶然でも欠けていたら、私は先生の教室へは行かなかっただろうし、したがって、大学を卒業してから免疫学をやることにはならなかったであろう。
照子が次の冬休みに中村先生の教室へ行って実習を受けたのは、彼女の親友の家が先生の家の隣にあったからである。
つまり、半年の間に起こった五つの偶然が重なった結果、私と照子は顔をあわせることになった。
照子の言葉をもってすれば、それは運命の神のなせる業(ワザ)である。
こうしてみると、我々の人生は偶然によって支配されていたことになる。
私は身なりにまったくかまわない男である。
ことに学生時代は、戦争の影響もあって、父のお古のカーキ色の服を着て、兵隊靴を履いていたから、どう見ても、女の子にアピールするような格好ではなかった。
そんな私に照子が熱を上げたのは何故だったのか?
不幸にして、私はそのわけを知らない。
我々夫婦は、何でも話し合えたはずなのに、50年の結婚生活の間に、私がその理由を照子に訊ねなかったのは一生の不覚であった。
しかし、照子自身も、その理由はわからなかったかもしれない。
人間の感情などというものは、遺伝子が全部わかっても、いかに脳神経科学が進歩しても、なかなかわからないであろうし、たとえメカニズムがわかったとしても、それは人間にとってあまり役に立たないものかもしれない。
I 我々の背負った宿命
から抜粋
照子が学生時代からもっていた悩みは、どうしたら学問と結婚を両立させることができるか?
ということだった。
女学校から女子医専(医学専門学校)を通してずっと首席だった照子にとっては、職業をもって、世の中に貢献することは、自分の背負った宿命であったし、人生の目的であった。
しかし、50年前の日本の社会では、それは極めて困難な課題だった。
そのうえ、男の兄弟のない照子は、婿養子をとって家を継ぐことを期待されていた。
しかし照子は、親も家も財産も捨てて、無一文の私の腕のなかに飛び込んで来てくれた。
したがって、照子に学問と結婚を両立させることは、私の人生の目的でもあった。
ものすごい強い結束のパートナーシップ。
お互いがイーブンでフラットな関係、
もちろん時代が違うから封建的な態度も
あったであろうけれども、良い関係を
キープできたのはお二人を繋いだ
”仕事(学問)”で、力を合わせての
”成果”だけがものをいう実力の世界だったから
かな、と。
そういうのは、夫婦が同じ仕事だとすると
本当に稀だなあと思いつつも、一転、
多くの夫婦が異なる仕事、または一方だけが
仕事を持つ中でも、”良い夫婦”の条件って
多かれ少なかれ、そういうものなのかも
しれないなと思ったり。
その流れもあり、自分としては
照子夫人の結婚についての考えを述べられた
手紙が興味深かった。
「…学者の家が、とかくすると冷たい家庭になりやすい家…そして陰にFrau(妻)の大きな犠牲が横たわること。
私はHeiraten(結婚)に対しては、決して一方の犠牲の上に立った一家の形成であってはならないと思います。
お互いに切磋琢磨し合い、おぎないあい、そしてあたためあってお互いが何等かの形で成長し、向上してゆく所に始めてHeiratenの意義があるのではないでしょうか?
また、それが私の結婚の理想です。
こういう云いつつも、現実に家庭がうるおいのないものになってきたら、私は学問を捨てて、家庭に入って了い、良い家庭を作るために専念する様になるでしょう。
でもそれは私にとっては本当の幸福を味わい得ない生活だろうと思います。
私は出来たら一生御勉強したい。
そして同時に、人間として明るいあたたかな生活が(物質的ではなく精神的に)したい。
それだけです。」
照子が言っていることは概念的だったが、これが自分の結婚についての彼女の理想だったのだろう。
あとがき から抜粋
私と照子は、デンバーでも同じ研究室で働いた。
ジョンス・ホプキンスに移ってからは、二人は別々の研究室を持っていたが、それらは同じ研究棟の同じフロアにあった。
照子は、
”貴方は忙しい時にお昼を食べ忘れてしまうから…”
と言って、昼食の時は、毎日私を食堂へ引っ張って行った。
また、照子は長い間自分で運転しなかったから、出勤する時も、帰る時も一緒だった。
私は夕食後、再び研究室へ戻ることがしばしばだったが、少なくとも3度の食事は照子と一緒だったし、買い物に行くのも一緒だった。
こうしてみると、一生を通じて我々くらい一緒の時間を過ごした夫婦は珍しいのではないかと思う。
そんなにいつも顔をつきあわせている夫婦が、毎年、2、3度カードを交換するということは意味のないことなのかもしれないが、それでも、照子がそれを要求したのは、彼女がロマンティックであるのと、”わかっていても証拠がほしい”という心理状態によるものだったのだろう。
照子もカードを書くことで幸福感を味わった様だし、時によっては、それを書くことで、自分の決意を自分に言い聞かせていたように思う。
また、何でもしゃべりあっている夫婦でも、面と向かって言い難いこともあるが、書くのなら真意を伝えることができる。
私はものぐさで、忘れっぽい人間だから、照子が”カードショップへ寄って、カードを書いましょう”と言わなければ忘れてしまうことが多かったのではないかと思う。
したがって、私にはそんなことを言う資格はないのだが、私は新婚のご夫婦や、これから結婚する人たちにはカードを交換することを勧めたい。
この後、日本の夫婦は男や女はかくあるべし、
という固定観念に縛られていると
いうことを指摘される。
そのような日本の習慣から言ったら、ワイフのラヴレターを公開することなどはもっての他であり、私のしていることは、(日本の)社会人としては、するべからずことだったのかもしれない。
照子も、”しょうがない人ね、はずかしいじゃないの!”と言うかもしれない。
それでも照子は私を許してくれるだろう。
彼女は自分の人生を誇りに思っていたはずである。
しかも我々は50年のうち、35年をアメリカの社会のなかで過ごした夫婦だし、その上我々夫婦は愚直である。
その意味で私の非常識は大目に見ていただきたいと思っている。
ものすごく読みやすい簡素な表現で
この書全体が記され、この著者は
本当に世界的な学者なのだろうか
という無駄な疑問。
ちょっと略歴を調べれば分かる事でございます。
それにしても奥様との馴れ初めからを綴った
あえて苦戦・苦闘と言わせてもらいますが
いろいろな辛いことも含めての
”愛”としかいいようのない石坂先生の人生は
楽しそうで本当に読んでいて愉快な気分に
なることが多かった。
これまた、本当に世界的な学者なの?
とまたまた無駄な思考。
しかも業績(lgE)を読んでもまるで理解できない
浅学非才っぷりは、我ながら
もはや如何ともできない。
それは一旦置いておいて石坂先生の書に戻るが
偉い人ほど偉ぶらないと言うやつで
石坂先生の場合、諸々無頓着だったゆえ
自分が見えてなかったのかもしれないし
世間の流れには興味がなさそうなことは明らか。
仕事(研究)と奥様(家庭)のこと以外は
頭になさそうだなと読んで思った次第。
そんな不器用で愚直な人間であればこそ
この書のような人生を歩んだことは
想像に難くない、とはわかったような言い方で
あんた何様なのよ、と自分に問うけれど
一つだけ言わせてほしいのは
パートナーによって大きく人生が変わるのは
本当にそうなのよ、と言うこと。
そしてそれを幸せと感じることが出来たら
それはもう幸せなんだよね、と言うことで
石坂先生の書からあらためて”結婚・幸福”を
考えた、夜勤明け休日の午前中でございました。
もちろん、結婚が全てではないし、独身でも
幸福な人は沢山おられるでしょうけれども
自分は、って話でございますことを
付記させていただきたいと思っております。