5冊の養老先生の紹介する池田先生を纏める [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/03/01
- メディア: 単行本
池田さんが環境問題がいま心配だと、珍しいことをいう。
どこが珍しいかといって、そういういわば政治的な、時事的なことを、本気で心配しているらしかったからである。
池田さんも私も、要するに虫屋である。
虫が好きで、なにかというと、虫捕りに行ってしまう。
実は環境に「超」敏感である。
世の中が変なのか、私が変なのかと問えば、そりゃ変なのは私に決まっている。
世間は多数で、私はひとりだからである。
若いときからそう思ってきた。
だからいまでも、変なのは世間ではなく、私に違いないと思っている。
でも似たような変な人がいるもので、共著者の池田君がそうである。
ただし変だというのが似ているだけで、どこがどう変なのか、そこは別段似ているわけではないと思う。
ただし虫がなにより好きというのは、まったく同じ。
前著『本当の環境問題』で、変なふたりが世間を憂えてみたら、読者があんがい多かった。
それなら、そう変ではないのかもしれない。
それではというので、また世を憂えてしまったのが、この本である。
著者の池田清彦は、絶滅という主題を徹底して客観的に論じる。
絶滅という言葉が含む情動性に気づいているからであろう。
情動は科学ではない。
科学の背後に動機として隠れているものである。
絶滅するのはいったい何なのか。
はたして遺伝子か、種か、大きな分類群か。
恐竜なら、鳥になって生き延びてしまったではないか。
絶滅を語るとき、論者はまたして絶滅とは何を意味するか、明確に考えているだろうか。
それを池田は丁寧に、鋭く突く。
かつて池田自身、「科学とは変なるものを不変なるものでコードする」ことだと喝破した。
言葉は「不変なるもの」である。
時間とともに変化しないからである。
池田先生のいう”時間”をディープなレベルで
考察されていて、確か池田先生の著作で
”時間”をテーマに書かれている未読本が
あったなあと。嬉しいような悲しいような。
他にも山積している未読本が…。
から抜粋
私が最初に池田に出会ったのは、柴谷篤弘の主催した構造主義生物学のシンポジウムだったと思う。
このとき池田はたしか英語で発表したと思うが、なにをいっているのか、皆目わからなかった。
構造主義とはわからないもので、そのわからなさを主題にしたイギリスの小説があるくらいだから、わからなくていい。
でもその後、池田の著書を読んだり、さまざまな会合で話を聞いているうちに、やっと少しわかってきた。
なぜわからないかというと、基礎から論じるからである。
それが学問だというのは当然の話だが、いまはわからないと、学生が説明してくださいという時代である。
説明されればわかると思っている。
いくら説明したって、わからないことはわからない。
私は陣痛をいう痛みはわからないのである。
それなら池田の話はきわめてわかりにくいかというなら、私の話よりずっとわかりやすいのではないかと思う。
歯切れのいい、かなり辛辣なことをしばしばいう。
山梨にしては珍しいではないかといったら、俺は東京の下町だ、ビートたけしと同じ学校だといわれてしまった。
そう聞けばわかる。
山の手でないことはたしかである。
そもそも風体が違う。
最近しばしば池田と一緒に東南アジアに虫捕りに行く。
池田もそれなりのスタイルを作ってはいるが、暑いところだから、ふだんは短パンに草履を履いて、ビールを飲んでいる。
どうみても下町のオッサンである。
辛辣なことをいうので、ときどき人に嫌われるらしい。
変なしっぺ返しが来ることを、たまにボヤいていることがある。
それは相手の単なる誤解である。
なぜなら性格はたいへんやさしい。
他人に悪意を持つような性格ではない。
虫好きで、若い頃はとんでもない非常識家だったことは、半生の記録を読めばわかる。
『生物学者』(実業之日本社)という本である。
こういう無茶をしてきた男が、そろそろ中年を過ぎようという年齢で、ものごとがわかっていないはずがない。
自分の子どもたちが、なぜか生物学をやる。
そういって不審そうな顔をしている。
親父がこれだから、子どもはそんなものは嫌うと思っているらしい。
よい父親であろうということが、このことでもわかる。
意地の悪い人は、それは池田の奥さん、つまり母親のおかげではないかというかもしれない。
あるとき池田のお母さんが入院して、当時はまだ東大の医学部に勤めていた私の部屋に立ち寄っていったことがある。
そのときの心配ぶりを見て、私よりずっと暖かい人柄だと感じた。
自分の母親に対して、私はあれほど細やかに心配はしない。
いまもそう思っている。
だから学生にも好かれるはずである。
学生がこの大先生を友だち扱いしている。
言葉遣いがそもそも先生に対するものではない。
山梨大学にときどき行く男がそう報告していた。
池田先生のこの書での言説は、
自然界のものは傲慢な生き物が勝手に
どうこうできるものじゃないんだ的な
松井孝典先生の「レンタルの思想」の思想との
類似性を指摘されている養老先生。
『生物学者』は今ではタイトル変わり
自分の中では池田先生の書かれたものの中で
一番好きな書でございます。
全著作を読んでるわけではないけど。
ちなみに養老先生1937年生まれなので、
この時点で当時63歳、
「そろそろ中年を過ぎようという年齢」の
池田先生は1947年生まれの当時53歳。
四半世紀も前のお互いの関係は
今も継続されているようで
こちらは、養老先生84歳、池田先生75歳。
まえがき から抜粋
池田は故堺屋太一が言った「団塊の世代」に属する。
私は団塊嫌いと言われることもあるが、妻も典型的な団塊の世代で、その世代に友人も多い。
池田はじつに頭の良い人で、なにしろ天下の英才を集める東大医学部にいた私が言うのだから、間違いあるまい。
もちろん「良い悪い」を言うには物差が必要である。
池田の場合はものごとの本質を掴んで、ずばりと表現する。
そこがきわめて爽快である。
しかも理路整然、理屈で池田にケンカを売る人はほとんどいるまい。
前にも書いたことあるけれど、
まさにインテリヤクザとは池田先生のこと、
もしくは、お二人のことをいうのだろう。
あー、こわっ。だからこそ、面白くて、深い。
『臓器移植 我、せずされず』は、
すでに絶版で題名がご自分の意図するところと
異なることを指摘されていたのを新装版の
電子書籍(『脳死臓器移植は正しいか』)で拝読。
ちなみに新装版は残念ながら養老先生の解説が
割愛されておりますことをご報告させて
いただきたく、なので旧版からの抜粋だった事を
雨降りの関東地方、朝から頭痛に悩まされ
自然と身体はリンクしていることを痛感する
我が身からのご報告となります。
全然関係ないのだけれど、英語に関する
池田先生のご意見が10年以上前週刊朝日に
掲載されており、かなり面白かったので
リンクさせていただきます。
ゲノムの事典から”倫理”の入口に立つ [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2004/02/20
- メディア: 単行本
から抜粋
今から半世紀前の1953年、ワトソンとクリックが遺伝子の本体であるDNAの二重らせん構造モデルを発表しました。
遺伝現象が、分子のレベルで説明できたのです。
これ以後、バイオの世界はDNAを基幹に発展してきたと言っても良いでしょう。
1960年代には、生命現象を分子の言葉で語る分子生物学が誕生しました。
そして、1973年にコーエンとボイヤーにより遺伝子組み換え技術の基本となる特許が出願されました。
人類は遺伝子を操作する手段を手に入れたのです。
この技術により1979年には、ヒト・インシュリンが生産されました。
そして1982年、遺伝子組換え医薬品の市販が米国で認められました。
科学的事実の発見から、基本技術の確立まで四半世紀、事業化までは30年程かかったことになります。
1985年には、ヒトゲノムDNAの30億に及ぶ塩基配列(シーケンス)を解読するというヒトゲノムプロジェクトが提案されました。
当時は、巨大科学への研究資金投入について賛否の議論が巻き起こりました。
しかし2000年、想定していたよりも早く、概要解読結果が発表されています。
その背景には、国際共同プロジェクトチームのみでなく、クレイグ・ベンダーが1998年に設立したベンチャー企業セレラ・ジェノミクス社との競合があったことは今や広く知られています。
21世紀に入ってポストゲノムシークエンスの時代となり、遺伝子の機能解析やタンパク質の構造・機能解析に力が注がれています。
これらの研究の先には、遺伝的に規定された個人の体質に合ったオーダーメイド医療など医療の進歩・革新を始めとして人類への計り知れない恩恵が期待されています。
日本における産業としてみた場合、遺伝子組換え技術等いわゆるニューバイオ産業の市場は1兆数千億円程度であり、まだまだ、これからの産業であると言えます。
ただし、従来型のバイオテクノロジーや周辺分野の発展も含めて、バイオマス、機能性食品、バイオ研究ツール、バイオインフォマティクス等産業の幅は確実に広がっています。
バイオテクノロジー・ゲノム科学の進展は、一方で、生命倫理の面や環境・安全面でも大きな問題を投げかけている点を見逃すことはできません。
例えば、個人の遺伝情報の保護や遺伝子診断、クローン動物作製などES細胞を用いた再生医療の研究のあり方、遺伝子組換え作物(GMO)やバイオ施設の社会的受容性などの問題が議論されています。
これらの課題は、いまや一部の科学者や産業界の企業家のみに課せられているわけではありません。
人類の未来を創るためにも、私たちはバイオ(生命科学)についての知識と見識を持たなければならないと思います。
III バイオテクノロジーと生命倫理
生命倫理と国際的対応
(米本昌平)
から抜粋
21世紀の生命倫理の課題は、国際的な基準の確立である。
先進国間にも基準の不統一があるし、南北間にはこれまでには本格的にはとりあげられていない価値観の段差がある。
生命倫理の問題一般に対して、米国社会は、技術使用は原則自由とし自己責任とプライバシー原理によって本人の選択に委ねようとしているのに対して、欧州社会は普遍的価値感を確立させようとしている。
ユネスコ本部はパリにあることもあって、ヒトゲノム宣言は主にフランスの立法官僚の影響下で作成された。
冷戦時代に米国と英国が脱退したままであり、日本はユネスコの経費の4割近く出す最大拠出国なのだが、宣言の作成にはほとんど関与できていない。
ヒトゲノム宣言の重要な側面は南北間の協力がうたわれていることである。
生物多様性でもヒトゲノムの多様性でも、発展途上国は一方的に資源を供給する側で、これを元に北側が研究活動とその産物である特許を独占し、南側に売りつけることに不満が生まれている。
これはbiopiracy(生物資源収奪)と呼ばれる。
ヒトゲノム研究の国際調整組織、HUGO(ヒトゲノム機構)の倫理委員会は、ヒトゲノムの研究から未来世代を含めたあらゆる人たちが基本的な保健福祉を受けられるよう、商業開発に成功した企業が1〜3%を拠出することを提案している。
さらにヒトゲノム宣言は、ヒトクローンの禁止にも言及している。
欧州連合(EU)や世界保健機関(WHO)も、ヒトクローンの作製禁止を表明しており、この問題については強制力を持った国際禁止条約の作成に向けた提案もされている。
さらに、軍事利用の禁止や知的所有権など国際的に対応しなくてはならない課題は多い。
東日本大震災も、iPS細胞も、
EU統一からのイギリス離脱も、
コロナのパンデミックも、
ウクライナ侵攻も、
イスラエル・パレスチナ戦争も
経験していない世界だった頃の
バイオ・ゲノムの書で平易にかかれていて
市井の人間にも比較的読みやすいものだけど
科学と無縁な自分が読んでもなあ、とか
だからこそ読むんじゃ、とか思ったり。
それはそれとしてこの書で
倫理を担当されている米本昌平先生の使う
「南北」という表現がとても違和感あり、
具体的には何を指すのか気になった。
なんとなくわかるとはいえ。
それだけにとどまらず、米本先生の
お考え自体気になり何冊か米本先生名義の
書籍を購入してしまった次第でございますが
そもそも倫理という枠で括って良いのかすら
よくわかっておりませんで、過日読んだ書と
併せての新たなテーマに遭遇してしまった
感のある午前5時起床での仕事だった本日は
すでに眠くなってきたのでございます。
クーン博士の難解な”構造”の周りを読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
50周年記念版に寄せて
イアン・ハッキング
から抜粋
古典的名著といえる本は、そうそうあるものではない。
本書はそんな名著のひとつだ。
読めばそれとわかるだろう。
この序説は飛ばして読み始めるといい。
今から半世紀前に、本書がいかにして生まれたのか、本書の影響はどのようなものだったか、本書に主張されていることを巡ってどんな論争の嵐が吹き荒れたのかを知りたくなったら、ここに戻ってくればいい。
今日における本書の位置付けについて、ベテランの意見が聞きたくなったら、戻ってきてほしい。
ここに述べることは本書の紹介であって、クーンと彼のライフワークを紹介するものではない。
クーンはつねづね本書のことを『構造』と呼んでいたし、会話の中ではただ「例の本(the book)」と言っていた。
私は彼の使い方に倣うことにする。
『本質的緊張』は、『構造』の刊行直前か、またはその後まもなく発表された哲学的な(ここでは哲学的を、歴史的に対する言葉として使っている)論文を集めたもので、たいへん参考になる。
そこに収められた論文はいずれも、『構造』への注釈、ないしその拡張とみなすことができるので、併読するにはもってこいだ。
ひとつ、あまり語られていないことがある。
あらゆる古典的名著がそうであるように、本書は情熱のなせるわざでもあり、ものごとを正しく理解したいというひたむきな願望の表れだということだ。
第1節序論冒頭の控えめな一文からさえ、そのことははっきりと見て取れる。
「歴史は、もしもそれを逸話や年代記以上のものが収められた宝庫とみなすなら、現在われわれの頭にこびりついている科学のイメージに、決定的な変化を引き起こすことができるだろう」。
トマス・クーンは、科学についてのーーーすなわち、良きにつけ悪きにつけ、人類がこの惑星を支配することを可能にした活動についてのーーわれわれの認識を変えようとした。
そして彼はそれに成功したのである。
訳者あとがき から抜粋
周知の通り、単行本としての『科学革命の構造』は1962年にシカゴ大学出版会から原書が刊行されたあと、1971年に中山茂訳の日本語版がみすず書房から刊行され、以来日本でも半世紀以上にわたって広く読まれてきた。
『科学革命の構造』の内容は第二版の刊行を持って定まり、第三版では本文の改定はなされなかった。
しかしクーンの没後、2012年に刊行された原著第六版は、刊行50周年を記念してイアン・ハッキングによる序説を巻頭に収録し、これからの読者に向けて装いを新たにするものとなった。
ハッキングの序説ではクーンのこの著作によって広められた「パラダイム」「通約不可能生」「通常科学」などをはじめとする重要語・概念について、今日的な視点からの解説がなされ、その意義が歴史的に位置付けられている。
ハッキングは自分の序説を飛ばして読みはじめるようアドバイスしているが、『科学革命の構造』がどういうものかをあまり知らずに読みはじめる人にはとりわけ、今回追加された序説は良い手引きになるだろう。
2022年11月 青木薫
青木先生ご指摘のように、読んだほうが良い
ハッキンスさんの序説は
CDでいえば、質の高いライナーノーツのようで
当時の世相や社会状況、この書の生まれる時代背景等
書かれていてクーン先生のことをイメージしやすい
って、ライナーノーツはねえだろう、例えとして
って思っております。
肝心の中身は難しすぎてわからないところが
多かったが、単語や人名等ひっかかるものがあり
機会があれば、ないかもだけど改めたい所存です。
ちとこれは高いハードルすぎるのかもしれない。
余談だけれど、日本版の本の装丁のデザインが
とても良いと思った次第でございます。
それにしても低気圧だからなのか頭が痛い
自然と身体の関係という構造を感じざるを
得ない平日の休日の午前中でございました。
柴谷篤弘先生の2冊から”差別論”の変遷を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
- 作者: 柴谷 篤弘
- 出版社/メーカー: 明石書店
- 発売日: 1989/10/01
- メディア: 単行本
から抜粋
天皇制をはじめ、いろいろな社会の制度、あるいは疑制度に対する反対運動が、目につくようになってきた。
私はいま外国にいて、この種の話を外国語で論ぜねばならない。
そのときには、天皇制反対のことを言うには、アンチ・モナーキストといった表現をとっている。
モナークはすなわち君主、王者である。
こういった国際的な表現をとると、ただちに、それではレパプリカン、共和主義なのか?ということになってくる。
日本の天皇制反対論には、反対・批判はあるが、それでは、どういう対策があるのか、という点について、はっきりと出されなかった。
昭和天皇がなくなって、はじめて、新しい憲法草案などを試みる人々もではじめたようだ。
私なりの結論を手短かにいうならば、ともすれば絶望的な無力感にとらわれがちな、世のなかで「おちこぼれ」を強制されてきた人々、単に被差別部落の人々だけに限らず、登校拒否、帰国子女といわれる人々をふくめ、その人たちが加わって、生活し、動いてゆくための受け皿を、どのようにしてつくりだしてゆくか、を考えてみたいのである。
私自身、一種のおちこぼれであることは、すくなくとも本人にとっては、ずっといつもはっきりしていた。
それで、いまでもどうかして科学者の権力構造の世界にまぎれこむと、人々が私にたいして好意的にいってくれる紹介の文句は、「分子生物学の草分け」というものである。
いわば私の昔のことで、今はもうなんでもない、つまりは権力コースからのおちこぼれであることを、はっきりいったものだ。
この状況はもう20年ちかく続いている。
ところが、1988年にそれまで勤めていた大学を定年退職して、ベルリンにやってくるまで、半年のあいだフリーでいた。
その時に、ジャーナリズムでの用語をみならって、「フリーランスの科学者」という表現をおもいついて、それを使うことにした。
ベルリンに来てみると、そんなことが、おもいがけず新鮮にひびくらしいことに、気づくようになった。
「いかにもラジカルな表現だ」、と若い科学者からおだてられさえした。
いってみれば、毎日いい調子で暮らしているような私ではあるが、それなりに、おちこぼれには徹するようにこころがけているわけで、それは、はたで見ていれば、すぐそれとわかるようである。
そういう立場で、ひとつ民間のおちこぼれグループ、NGO連合の理論を考えてみようということで、この本を書いたわけである。
1 差別への私の関心の由来
1 生物学をやりながらから抜粋
1989年なかばの日本で、反差別、とくにいわゆる「部落差別」の問題について、いわば専門外の私が意見を出そうとしている。
それには二つの理由がある。
第一に、現在日本が、経済大国として成功しているということがある。
その理由の一つは、国民の等質性なり、人々の間の「和」であるともいいなされる。
その時に、いわれのない差別(例えば「部落」差別)をなくし、「同和」の理想を達成するということはなんなのか、それを問題にしたい。
第二に、いわゆる「部落」差別と、そのほかのいろいろの差別とのあいだの、相互に織りなされる関係のからみ合いについて、色々と考えてみたい。
どうして、生物学をやっている私が、このような問題に自分を巻き込んでゆくのか。
その理由は、それなりに長い。
そういう生物学のこまかいことは、どちらでもいい。
要は、私はいつも自分を少数派として規定するように、自分自身を追い込んできた。
それが「好き」なのだ、といわれればしかたがない。
もう一つの動機は、私がオーストラリアにいて、いわゆる多元主義というものに、身近に触れたことと関係しているだろう。
それとともに1969年頃からずっとやってきた科学批判のいとなみを通じて、いわゆるリバータリアン・ソシアリズムという政治的な信条に、自然とはいりこみ、それにもとづいて、かってに自分では「ネオ・アナーキズム」と僭称している考え方を築こうとしてきたこととも関係があるようだ。
エピローグから抜粋
これは私が1985年にオーストラリアから日本に帰ってきて、はじめて自分で書いた本である。
それは1984年に出したものから、実に5年ぶりの仕事であった。
この本はまた、私にとってはじめて、ワープロにとり、あるいはじかにワープロに打ち込んで、仕上げたものである。
当然、文体その他にいろいろな影響が出たと思われる。
それに、3月に大学をやめて、10月にはベルリンの研究所にうつる予定であったので、実はあまり時間がなかった。
書名の『反差別論』は、私の前著『反科学論』とおなじく、”反差別 - 論”と”反 - 差別論”の二重の意味を含ませた。
後者はもちろん、「差別論」を新しい観点から再編成しようという意図をこめた表現である。
1989年7月 ベルリン出発・帰国を前にして
すごく読みずらかった。申し訳ございません。
この10年くらい後に出版された以下の書の方が
言葉が今と同じようなフィーリングもしたし
柴谷先生もパコソンと脳と手が
ひとつになったかのようなわかりやすさだった。
もしかして時流も味方したのかもしれない。
比較サベツ論 (明石ライブラリー) (明石ライブラリー 3)
- 作者: 柴谷 篤弘
- 出版社/メーカー: 明石書店
- 発売日: 1998/01/30
- メディア: 単行本
1 表現者の責任 から抜粋
1989年に明石書店から『反差別論』を出したあと、私はいくども、生物学者として「差別」の問題に興味を持ったのはなぜか、ということをたずねられた。
そのことを一応、そのあとで同じ出版社から出した『科学批判から差別批判へ』(1991)という本で説明した。
その本の中で、私が生物学者のなかの少数者として「構造主義生物学」を提唱した、という歴史的事実と、私の「反サベツ論者」としてのいとなみを、順列・並列にむすびあわせてみた。
しかしそのあと、1996年になって、私が構造主義にかかわりあうよりもずっと以前に、生物学の学生・新卒業生として、研究生活に向かってからのことを、「ある分子生物学者の回想録」というかたちで朝日新聞者から出版することができた。
題して『われわれにとって革命とは何か』。
ただしこの本では、書名の示す主題のせいぜい前半あるいは三分の一くらいまでしか書くことができなかった。
この段階で、私がここで新しいサベツ論の本を書き始めるにあたり、もう一度私がなぜサベツの問題に関心を持つようになったかを書くことから始めよう。
ただし『われわれにとって革命とは何か』のあとがきで、私は、回想録というのは要するに自己正当化でしかない、ということを自戒として書き込んだ。
だからここで、私の反サベツ理論への踏み込みをうながした世俗的な経過については書きとめることができても、無意識をふくむ内面の問題にまでふみこんで書くための心の準備は、これを書き始めている現在まだ完了していないようだ。
終わりの章から抜粋
サベツを受けるものは、少数者とは限らない。
権力関係における弱者が、多数であれ、少数であれ、サベツを受ける。
伝統的な人類諸文化の少なくとも大部分から近代人類文明までを貫通して、女性サベツを具現化させてきた権力の構造。
権力を持つものは、世界の人々を二種類に分けて、その区別の境界の内と外を区別するのに、自分の利益を標準にして線引きをしていた。
その線の内側にいるものが「まとも」で、外側にいるものは「まともでない」か、せいぜい二級品にとどまる、とされた。
このようにして、男性=人間の社会から女性がまず排除された。
その支配のもとで確立された強制的異性愛原理から、同性愛そのほかの性的指向における少数者や、性労働者が線の外に排除された。
このようにして確立された「性別二元論」による区分と、それに直角に交わる異性愛/同性愛区分の両方に対して、さらに横断的に、「クィア」あるいは「周辺問題」として、国家・社会や民族の生産性にはほとんど関わらない少数者・弱者がいる。
老人の性、子どもの性、S/M、性の同一性障碍などは、こうして線の外側に追いやられた。
これらは、財貨と性的身体の生産性を性支配原理によって管理する上での、避けられない「不純な付随物」として生ずる。
これらの不純物に身をもって関わることは、性労働や性産業に従事することとともに、「健全な」社会と文化のなかで倫理的に問題があり、人間の品性としても「下劣」「低位」なものとして、汚名を着せられることになった。
しかしこのようにして、社会への抵抗の原理が発見されることを、これまでの分析は少しづつ明らかにしてきた。
このようなたたかいにおける被サベツ集団は、障碍者集団をふくめて、「社会の生産・再生産の管理体系の中でのサベツの対象」として、ひとまとめにすることができる、と思われる。
現代におけるサベツの問題は、なによりもまず、すべてのサベツされている集団について、なぜ社会にサベツが起こるのかを明らかにする努力を、一層強めてゆかねばならぬ。
柴谷先生のこの指摘はかなり早いと感じた。
構造主義生物学を研究されていると
サベツの無意味さを痛感されていたのかな
と思ったりもさせていただきましたり。
それにしてもただいま現在も、政治の世界など、
喧々諤々やってますよな、古い価値観側からの
ポロッとしたものなど。時代遅れなのだろうな。
とはいえ、自分も新しい価値観です、
と言えるほど、現代人をやっているわけではなく
昭和人であるなあと実感することしきり、
そのあと勉強してみたりして、納得したり。
今を生きるわれわれにとって「サベツ」は
あまり馴染みないことと思いきや実は
昔と形を変えて生き延びているような気も
時折する夜勤前のバスでの読書でしたが
シビアな内容すぎてなかなか進まなかったことを
ご報告させていただきます。
2冊から中垣通先生の”新しい知”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
ネットとリアルのあいだ: 生きるための情報学 (ちくまプリマー新書 123)
- 作者: 西垣 通
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/12/01
- メディア: 新書
アトム化する個人
から抜粋
チャップリンが1930年代につくった映画「モダン・タイムス」は、産業革命によって傷つけられる人間の尊厳というヒューマンなテーマを扱った。
工場で朝から晩までネジを回している人間は、やがて歯車のような存在にされてしまう。
ではIT革命は何をもたらすのか?
それは「社会全体のメガマシン(巨大電子機械)化」である。
少なくとも現代はその方向に走っている。
メガマシンには次のような前提がある。
人間は企業とおなじく、利益の最大化をもとめて合理的行動を行う機械単位だ。
こうして、人間は一群の数値データに還元されてしまう。
つまり、ITの処理対象となっていくのである。
もちろんこれは、資本主義社会の特徴であって、豊かな消費生活をおくるためには仕方がないと割り切ることはできるだろう。
評価数値をあげようとして、組織や人間が努力すること自体は悪いことではない。
しかし問題は、ITの急激な発達によって、組織や人間を評価する数値データが際限なく
増え続けるだけでなく、その変動速度がおそろしく大きくなっていることである。
投機マネーや政治情勢によって市場はつねに揺れ、およそ安定にはほど遠い。
要するに、市場が数値で押し付けてくる「客観的リアル」そのものが、大してあてにならないのだ。
具体的にはたとえば、少々偏差値のたかい大学卒の肩書など、幾度か職場を変わればほとんど就職や昇進の役にたたないのである。
身体的・言語的な「私のリアル」が消失し、空っぽになった自分を感じる時ふと、ネットのなかのアバター(キャラクター)への変身願望が出てこないだろうか。
これを”壊す”ととるか”脱皮”ととるかで
対処法やその後の展開は変わるのだろう。
脱皮とするのは養老先生関わる”メタバース”とかか。
”壊す”はあまり想像つかない。
あとがき から
この本は、ネットの発達した情報社会のなかで、どうしようもなくウツ気分に沈みがちな人たちのために書き下ろした。
筆者自身、特にペシミストではないつもりだが、ウツ気分におそわれることがすくなくない。
現代はいうまでもなく、デジタルな情報がとびかう便利な情報社会である。
だがそこでは、「人間の機械部部品」「人間の情報処理単位化」が猛烈なスピードですすんでいるのではないか。
またそういう自分に倒錯的快楽をおぼえる人も増えてきた。
人間が取り替えのきく機械部品とみなされるとき、自由だの平等だのといったお題目を唱えても虚しいのである。
これは、一部の強者が多くの弱者を抑圧するという昔ながらの問題ではない。
万人を抑圧し、万人をロボットやサイボーグに変えていくという新たな問題なのだ。
20世紀の知のありかた自体の中に、そういう方向性があるのである。
具体的には、意識、合理性、客観的な論理を何より重視する知が、世界を支配してきた。
急速なIT(情報技術)の発展と、これによる社会の効率化はその象徴である。
その有用性自体を否定するつもりはない。
だが一方で、悲鳴をあげているのは「生命」そのものだ。
生物は、無意識、非合理的な直感、身体で突き動かす情動や感情と共に生きているのである。
それらがリアリティを支えている。
人間も生物である以上は、それらを根こそぎ奪われたらどうなるだろうか。
そのあたりを真剣に考えずに、経済発展のためだけにIT立国をとなえるなら、日本列島はますますウツ気分の暗雲におおわれていくだろう。
生物は、無意識、非合理的な直感、身体で
突き動かす情動や感情があるのだというのが
今は手薄になっているような、現代社会。
この指摘は鋭いと思うか、当たり前じゃんと
思うかで意見は分かれるだろうが
もちろん自分は前者でございます。
まえがき から抜粋
「知とは何か」という問いかけは、決して、暇つぶしのペダンティックな質問などではない。
むしろ、命がけの生の実践に関わる問いかけなのだ。
それを象徴するのが、2012年10月、イタリアで地震予知を失敗した学者たちにくだされた禁錮6年の実刑判決だった。
この判決に対しては、世界中の自身学者はじめ、多くの人々から抗議の声が沸き起こった。
科学者の発言責任が刑事罰で問われれば自由な議論ができなくなり、ひいては科学の発達が妨げられるというものである。
だが、犠牲者の遺族達はこの判決を歓迎したという。
科学的議論は自由であるべきだというのは近代の原則だとしても、専門家の発言が権威を持ち、人々の運命を左右する影響力を及ぼすとき、そこに責任は生じないのか。
そんな感想が出てきても不思議ではない。
これは海の向こうの話ではないのだ。
3.11東日本大震災、そして直後の原発事故に関連して、同様の思いをいだいた人は少なくないだろう。
つまり、「専門家の権威」に対する一般の人々の信頼がゆらいでいるのである。
かわりに注目されているのが、一般の人々の意見を集める「集合知」である。
とりわけ、ウェブ2.0が登場して誰でもネットで発言できるようになって以来、「ネット集合知」への期待が高まっている。
高学歴社会のいま、これは魅力的な仮説である。
ネット集合知は、21世紀IT(情報技術)のもっとも重要な応用分野となる可能性がある。
とはいえ、ただみんなの発言を機械的にあつめ、集計すればよいわけではないだろう。
ネット集合知が有効性を発揮するための条件とは何か。
客観的な知識命題と、主観的な利害や感情との調整はどうするのか。
そんな具体的問題を考えていくと、われわれは厭でも「人間にとって、知とは何か」という、いっそう根源的な問題に突き当たる。
あとがき から抜粋
大学で教えるようになって、もう30年近く経った。
近ごろとくに気になるのは、若者達がせっかちになり、手っ取り早く唯一の正解をほしがることだ。
けれども、世の中には、正解など存在しない問題が多い。
20世紀は、専門家から天下ってくる知識が、「客観知」としてほぼ絶対的な権威を持った時代だった。
それが全て誤りだったとは思わない。
今後も専門知は、それなりに尊重されていくべきだろう。
とはいえ、21世紀には、専門知のみならず一般の人々の多様な「主観知」が、互いの相対的な位置を保って交流しつつ、ネットを介して一種のゆるやかな社会的秩序を形成していくのではないだろうか。
それが21世紀情報社会の、望ましいあり方ではないのだろうか。
なぜなら、個々の血のにじむような体験からなる、繰り返せない主観的世界こそ、生命体である人間にとって最も大切なものだからだ。
コンピュータやサイバネティクスとつきあい始めて40年あまり、これが、情報学者として私のたどりついた結論である。
中村桂子・村上陽一郎先生との対談で
初めて存じ上げたのですが
自分もネット経験20年以上なので
リンクするところも多々あり興味深い内容。
中垣先生の、IT全般、AIに対する捉え方など。
表現も独特でユニーク。
「社会全体のメガマシン(巨大電子機械)化」や
「集合知」とは言い得て妙だなあと感じた。
それとは別に「専門家」についての
現代での認識は、池田清彦先生も論じてたことと
「クオリア」は、茂木健一郎先生の言説と
合わせて研究してみたいと思いつつ
そんな時間があるのかよ!と思ったりも
している雨模様の関東地方でございました。