災害・パンデミック・戦争の考察は難しい [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
現代を生きる自分たちにとって
逃げることのできない三つについての書を読み
ほんの少しだけ、考えてみた。
から抜粋
もうすぐ関東大震災から69年になる。
教科書や新書判の科学書を読むのはちょっとという方達にも、少しでも日本列島の活動の仕組みを知っていただけたら、そして、もっと日本列島のことを学んでみたいと思っていただけたら、と願っている。
6 東海から南海へ
繰り返す巨大地震
から抜粋
1年ほどメキシコで地震学の指導をして1991年の末に帰国した京大防災研究所の入倉幸次郎氏によると、メキシコでは大地震の起こるところはわかっていて、大地震から30年も経てば、また起こることがわかっているから、専門家の地震予知に対する考え方が、日本の専門家とはかなり違うという。
彼らは、とにかく社会を耐震化するのに専念することになる。
それに引き換え、日本の東海・南海地域の大地震についての計算結果を見ると、一つの大地震の後、次の大地震の発生確率は数十年後から少しづつ上昇し始めることになる。
繰り返し起こる現象を考える時、その現象の平均的な繰り返しの時間間隔と、人の一生の長さとの関係が、防災の心構えなどに重大に影響を及ぼす。
一生の間に二度あるいは三度、大地震を目の当たりに見るメキシコの人たちと違って、東海・南海地域の人々は、のちの世代に大地震の恐ろしさを一生懸命語り伝えることによって、次の災害を防がなければならないのである。
から抜粋
東北地方の太平洋沖で発生した巨大な地震の直後から、世界の人々が映像を通して東日本を注視してきました。
たくさんの映像で情報が共有されましたが、私たちは自分の目で、東日本の人々の暮らしを、そして地球の本当の姿を、見つめていかなければなりません。
そのためにはやはり、日本列島の大地の仕組みについての基礎知識が必要です。
21世紀を生きる人々にとって、資源、エネルギー、地球環境など、考えるべき課題は色々あります。
地球のことを知らずにこれらの問題を考えても無意味です。
また、今急速に進みつつある生命の科学を学ぶときにも、それが生まれた地球のことを知らずには理解できません。
本書では、地球科学の知識の蓄積をもとにした自然科学者の視点で、そしてできるだけ普通の言葉で、今回の巨大地震の仕組みを解説したいと思います。
5 日本の巨大地震
から抜粋
このように日本列島での巨大地震の例はたくさんありますが、それぞれに個性があり、地震の起こり方には多様性があります。
大規模地震の起こる場所が、時間と共に系統的に移動するという現象があります。
例えば東京大学地震研究所の教授であった茂木清夫さんは、1968年の論文で、世界の大規模な地震の起こり方を詳しく分析しました。
その結果、1933年の三陸沖大地震の前後における数年間の地震の移動や、1935年から30年間にわたる、例えばインドネシアから日本、カムチャッカ、アラスカへというような、世界的な大地震の移動を見つけました。
このような現象の原因は、まだはっきりとわかっていませんが、その仕組みを考えることも重要だと思います。
もう一つ、興味深い現象が知られています。
地震の発生する季節が偏っているという報告です。
大地震の季節性というのは重要な視点です。
そのうちに、季節変動が存在する仕組みの、明快な説明ができるようになると思います。
その仕組みの中に、きっと重要な情報が含まれているに違いないと思っています。
おわりに
から抜粋
テレビに出る情報で、「この地震による津波の心配はありません」という発表がいつも気になっています。
なぜ津波の恐れがないかという理由を付けてほしいと、気象庁の幹部にお願いしたことがあります。
小さい地震だからか、陸の地震だからなのか、深い地震だからなのか、どれかの理由を繰り返し聞くことによって、伝えるメディアも視聴者も、だんだん知識が身についていくと思います。
災害を軽減するためには、現象の仕組みを理解している市民が、一人でも多くなることが重要です。
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 作者: ユヴァル・ノア・ハラリ
- 発売日: 2020/10/07
- メディア: Kindle版
協力と情報共有
から抜粋
パンデミックはグローバル化の時代よりもはるか昔から起こっています。
中世には、飛行機もなければ大型のクルーズ船もありませんでした。
それにも関わらず、黒死病のような、格段に深刻なパンデミックが発生しました。
要するに、パンデミックに対する現実的な対策は、遮断ではなく、協力と情報共有です。
新型コロナウイルスに対する私たち最大の強みは、ウイルスにはできない形で協力できることです。
中国のウイルスは、アメリカのウイルスに、どのように人間に感染するかや、どのように人間の免疫系を避けるかについて、情報を提供することはできません。
しかし、中国の医師は、アメリカの医師に助言することができます。
両者は、ウイルスに対してどのようなグローバルな闘いを展開するかについて、共通の計画を立案することができます。
これはウイルスに対する人間の最大の強みです。
もしこの強みを活かさなければ、現在の危機は格段に深刻なものになるでしょう。
前にも述べた通り、世界のどこの国で感染症が広まっても、全人類が危険に晒されてしまうことを、人々は認識するべきです。
私は科学に頼ることで恐れを克服しています。
つまるところ、もし私たちが科学を信頼すれば、この危機を容易に乗り越えることができるでしょう。
反対に、もしあらゆる種類の陰謀論に屈してしまえば、私たちの恐れが煽られるだけで、人々は不合理な行動に走るでしょう。
つまり、心を開き、科学的で合理的な目で状況を眺めれば、私たちはこの危機を脱する道を見つけられるのです。

憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言 (岩波ブックレット657)
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2005/08/03
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
すべての戦争は「守るため」に始まる
から抜粋
戦争も突き詰めれば、外交手段の一つです。
9条の主旨はつまり、武力による外交手段を放棄する、というものですね。
ということは、武力に頼らない外交手段を、あらゆる手を尽くして模索する、という宣言でもあるんです。
つい10年くらい前までは、直接の戦争体験者がたくさんいたので、自民党だろうが、共産党だろうが、戦争の現実を知っていた。
戦後ずっと自分たちが守ってきた、その枠組み。
その中に育ち、戦争を知らなくても、普通の考え方をしていたら、死ぬのがイヤなら、殺すのもイヤだと思うはず。
そのあたりは、人の命の尊さについての感覚が希薄になってきているんじゃないでしょうか。
安全性だとか、防犯だとかいうことには、過敏になってとやかくいうのに、そのおおもとの、命を大事にする、という憲法をないがしろにしている。
議員も含め、自分さえよければいい、という奇妙な考え方のように思えてならない…。
そういうことを放置しておいて、つまり自分の国もきちんと治められないのに、外に出て行きたい、国際貢献をしたい、というのも疑問ですね。
軍事力を備え、戦争で何が達成できるか、というと、目先の利害にすぎないのです。
あるいは、ちっぽけな民族的な誇りだったり。
アメリカの作ったものの押し付けだからとか、いろいろなことが言われますが、日本があの憲法を受け入れたのは、何より、大きな大きな犠牲を払った上に築いた、一つの結論を、簡単に崩していいのでしょうか。
深すぎる言葉に返す言葉がございませんし
これら三つについて壮大すぎて
思考がまとまりませんで失礼致しました。
ひとつだけ思うこととしては
もう国単位での施策では狭量なのではないかと
いう事でして。誰もが感じているかもだけれども。
先日焼肉屋さんの隣のテーブルのおばさんたちも
アメリカ大統領選について同じことを仰っていた。
というか、これらの難題に明快に答えられる人物は
そうそういないだろうと思う夜勤明け
天気は良かったが部屋の片付けをしたので
引き続き思考を深めてまいりたいと
いつものことながら誰に言っているのか
よくわからないかなり冷える休日なのでした。
経済効率・生産性についての考察の端緒 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
福岡博士と養老先生と対談は
非常に興味深かった。
主に”動的平衡”が主たる内容なのですが
養老先生がネットで叩かれているという
のが意外だったし、それを読んで
原理主義には注意、ってのを実は
指摘されていた養老先生の凄みを逆に
感じてしまった。
- 作者: 福岡 伸一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2014/10/28
- メディア: 文庫
IV 養老孟司さんと
一瞬の平衡状態
から抜粋
養老▼
効率ばかりを追求すると効率が悪い、つまり部分的合理性が全体的合理性と合わないということに多くの人が気づき始めていますね。
福岡▼
新幹線や携帯電話が人間を自由にしたかというと、難しいところですよね。
「効率化すると自分の時間が増えますよ」というような本がもてはやされますが、増えた時間をどうするんでしょう?
そもそもが、効率をよくするためにエネルギーを使っていて、時間が増えているかどうかも怪しい気がします。
エネルギーの反作用として、必ず弛緩時間が出てくるので、少し時間軸を長くとれば動的平衡なのでトントンになってしまいます。
あがったところだけを見て、私は効率がいいですと言っているだけのような。
養老▼
効率的に生きるなら、早くお墓に入ればいいのに(笑)。
やることやって早く死ぬのが一番効率がいいですよ。
福岡▼
死は最大の利他行為ですからね。
稲垣足穂が、おむすびを食べるのはまどろっこしいからトイレへ行ってポンと捨てればいいと冗談で言ったと言いますね(笑)。
養老▼
くだらない結論だけれど、意識はどうやって発生するかわからない。
しかし動的平衡について考えていたら、要するに脳全体の物理学的なプロセスの中で、ある動的平衡状態が成立した時の機能が秩序なんですね。
”動的平衡”に関する深い論考であるのですが
今の自分に刺さるところとしては
時間を効率的に、という世の風潮に
物申されている福岡博士の発言に共感した。
短い期間しか思い至らない現代への警告のようで
その昔アポロに乗っていたバズ・オズドリンさんも
来日した時、現代の哀しい性みたいなものとして
「Short term thinkg」って指摘してたのを思い出した。
今の米国、日本、世界がそうなっているような。
養老先生は農業をテーマに
”生産性”というキーワードで
内田樹先生との対談で指摘されていた。
他にもこのテーマは色々ありそうと思い
思わずメモさせていただきまして
そろそろ夜勤の準備をさせていただきたく
寒いが天気の良い関東地方でございました。
福岡博士の高揚感が伝わる書や動画たち [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
ピーター・バラカンさんのポッドキャストに
福岡博士の回があり本のプロモーションと
思われるものを拝聴し興味が湧き
旅行記であるこの書を本格的に読んでみた。
この旅行では動画も同時に撮られたようで
読んだ後に視聴してみた。
福岡博士の書は全て読んでいるわけではないが
この本がダントツにワクワクした。
旅行自体の文章ももちろん楽しいのだけれど
自然の中での都会化された人間の弱さ、とか
ガラパゴス・ダーウィンに対する横溢した想い
若かりし頃の科学への発火し始めた情熱
メディアとの軋轢ややり取り
作家への道筋をつけられた恩師の助言
から始まり、5泊6日の小型客船
マーベル号とスタッフたち、船上の食の事情や
トイレ事情などなど、博士の目も眩むほどの
生物科学の知識と下支えされている読書からの
高度な文章力を縦横無尽に楽しげに
発揮されているように勝手ながら
お見受けいたしました。
自分も読んでる間だけでもガラパゴスに
連れて行ってもらっているようなそんな
錯覚におちいる良書だったことは間違いないです。
そんな中でも特にダーウィンへの考察は
本当に深いと思わざるを得なかったのでした。
ISLA SANTIAGO
3月8日 サンティアゴ島
ガラパゴスの好奇心
から抜粋
どの生物も、手を伸ばせば届くほどの距離に近づいても逃げようとしない。
そのまま指先で捕まえられそうなほどなのだ。
ダーウィンもまずこのことに驚いた。
彼はこんなふうに描写している。
ある日のこと、私が横になっていると、マネシツグミが一羽やってきて、陸ガメの甲羅でこしらえた水瓶のヘリに止まった。
とてもおとなしく水を飲み始めるのだ。
鳥はそのまま陸ガメの甲羅のへりにとまったままでいた。
私はこの鳥の脚を捕まえようと、何度も手を出した。
あと少しのところでうまくいくところだった。
昔は、鳥たちがもっと人を恐れなかったことだろう。
(『ビーグル号航海記』)
様々考察した結果、ダーウィンは次のように結論した。
(『ビーグル号航海記』の記述を福岡博士が要約)
1.
鳥が人を恐れるのは本能である(なので、本能的に恐れない鳥もありうる)。
この本能は、人間に対する用心深さを学習によって身につけること、それが世代を超えて伝わることとは別のものである。
2.
1羽1羽が迫害されても、その恐怖心が蓄積され、遺伝的な性質となることはほとんどない。
つまり、野生動物において、後から獲得された知識が子孫に遺伝する例は滅多にない。
3.
結局、鳥が人を怖がるのも、先天的な遺伝的習性としか説明できない。
遺伝子の本体がDNAであることも、何らかの形質が遺伝的に伝達されるためにはDNAに変化が起こらなければならないこと(突然変異)も、まだわからなかった時のことである。
弱冠30歳のダーウィンがここまで正確に、遺伝的形質(本能的性質)と獲得形質(個体が学習によって得た形質で、その一代限りのものとなる形質)について、明晰に区別して考えていたことはとてつもない慧眼で、これがのちのち、彼の進化論的考察につながっていくことの萌芽とみることができる。
人間を恐れないガラパゴスの生物たちの不思議な行動様式は、もう少し多面的な考察が必要だと思う。
(またダーウィンはこのように付記している。)
一方、私たちが飼っている動物はわりと簡単に新しい知識が身につくし、その本能が遺伝することは身近に見慣れた現象だ。
(『ビーグル号航海記』)
私は今回のガラパゴスの旅で、この地の生物が、ただ本能にしたがって行動しているという以上のものがあることを強く印象づけられた。
ガラパゴスの生物たちは人間を恐れないだけではない。
人間に興味を持っているのだ。
好奇心さえ持っているといっても良い。
それはたまたまだからではない。
ガラパゴスという環境が、ガラパゴスの生物をして、そうさせているのではないか。
獲得形質、DNA、淘汰、突然変異など
昔よりは解明されつつあるけれど
福岡博士流にいうなら
”ロゴス”として理解できても
”ピュシス”はわからない
”人工”と”自然”の違い、とでもいうのか
それにダーウィンは本能的に気がついて
いたのかなあ、と勝手に思ってみたりもして。
それとガラパゴスとは全く関係ないんだけれど
博士の他の動画を拝見していて
ハラリ先生の『サピエンス全史』への言及が
自分にとっては白眉だったのでございますが
ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの見識や
進化にまつわる変異の説明がジャンプしすぎ
というのは生物学を追求している方ならではだし
歴史においてのコミュニティによる
「認知(ブランド)」「虚構(フィクション)」と
いう考え方は新しくないのではなかろうかと。
60ー70年代には吉本隆明先生が、
80年代には岸田秀先生がすでに述べていた
ってのはなんか読んでて既視感があることを
腹落ちさせていただいたが実は自分夜勤明け
朦朧としておる寒い関東地方からでございます。
あ、いやでも、ハラリ先生の書ものすごく
面白いんですけれどもね、3月の新刊も
楽しみにしてますし。
って最後福岡博士から離れておりますが
福岡博士からも目が離せませんです。
NHKの最後の講義も最高でした。
尾池先生と池上先生の書から大地震を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
どうしたってこの国に住んでいたら
気になってしまう”南海トラフ”。
兼ねてより読んでみたかった書でございました。
から抜粋
巨大地震が起こるのは間違いないとしても、その21世紀の南海地震が具体的にどのような姿をで起こるかは、それほどはっきりわかるわけではない。
この南海地震で強い揺れが各地に発生するのは間違いないし、大津波が発生することもまちがいないが、それぞれの町がどれだけ揺れ、どれだけの津波がくるかということを予測するには、いろいろのケースを想定して計算しておかなければならない。
一つや二つだけのモデルの計算結果をもとに被害を想定し、防災対策を進めていると、思わぬ方向に結果が外れてしまうこともあるだろう。
今確実にいえることは、次の南海地震は、これからの近い将来に確実に起こることがわかっている巨大地震であり、その発生までに何をすればいいかをよく考えてみなければならない地震だということなのである。
南海地震にまつわる謎 前兆現象の仕組み解明を
から抜粋
南海トラフの地震に関して不思議なことがある。
南海トラフの巨大地震が起こる月は、9月から3月にかけて冬に多いという季節性があるという事が前から知られていて、私も「日本地震列島」(朝日文庫)に詳しく紹介した事がある。
この性質に関して国立天文台教授の日置幸介さんの論文がある。
毎年8月から10月にかけて、太平洋沿岸の潮位が、平均して20センチほど高くなり、その重みがプレート境界を押し付けるので、地震の発生を抑制することになるという考えである。
潮位が元に戻りはじめると重みが減って地震が起こりやすくなるという。
安政時代の1854年の二つの巨大地震も、1944年と1946年の昭和の二つの巨大地震も11月に起こった。
このような季節性の仕組みが解明されると、南海トラフの巨大地震に対する震災軽減対策にも参考にすることができるだろう。
毎年秋からは緊張が続くが、半年をなんとか乗り切ると、ほっとして桜の季節を迎えるということになる。
ただし地震はいずれ起こることは間違いなく、遅くなるほど規模が大きくなることを忘れてはならない。
もう一つの課題は、歴史上まだ史料が発見されていない未知の南海地震があるかもしれないということである。
地震考古学という分野がこの問題に挑んでいる。
地震に対する”季節性”については
本日購入した池上彰先生の書にあった
戦争と復興に挟まれ軍の情報統制により
消されて忘れられてしまったという
四つの地震の発生月を調べてみた。
終戦前後に起きた4大地震
それでも日本人は立ち上がった
から抜粋
1943年(昭和18)鳥取地震 →9月
1944年(昭和19)昭和東南海地震 →12月
1945年(昭和20)三河地震 →1月
1946年(昭和21)昭和南海地震 →12月
尾池先生の”9月から3月にかけて冬”に、というのと
昨年の能登半島、30年前の阪神淡路共に1月だったし
’11年の東日本は3月だったのは偶然なのだろうか。
南海トラフのプレートとは異なるのか
までは調べてないが、
潮位がプレートを押さえ込むという共通性が
あるのかが気になった次第でございます。
池上先生の書も興味深いのだけれども
尾池先生の書に話を戻させていただきまして
養老先生が日本を変えるには「地震待ち」しかない
と頻繁に指摘されるのはこの書が元になっておられ
田原総一郎さんとの対談本や動画でも仰っていた。
ちなみに尾池先生が南海トラフの地震を危惧する
大きな要因として奥様と出会った場所であり、
親戚や知人も多いのが高知県だとされていて
何かを発する方たちの”動機”というか”きっかけ”は
その言を強くするということをしみじみ感じた。
阪神・淡路大震災以後
から抜粋
地震学者の島崎邦彦さんの指摘から抜書きします。
「地震災害の特徴は、低頻度で激甚災害。巨大災害は扱いにくい。経験が蓄積されにくい。無視されたり、忘れられたり、比較的軽い震災は頻度が高いので、こちらが経験となる。
1000人以上の死者を大災害というと、日本では12年に一回、過去200年で、陸の地震で20年に一回、海の地震で30年に一回。
昔に比べて今の方が安全とは限らない。
中央防災会議によれば、首都直下型で1万人を超える死者が、大阪直下の上町断層の地震で4万人の死者が想定されてる。」(ウェッジ、2009年)
ここに、地震災害の要点がほとんど尽くされています。
地震の起こり方が変わらなくても、また将来、日本の人口が減少するとしても、都市化は進み地震が起こった時の災害の規模は巨大化します。
そのことを念頭に置いて、将来の災害対策を考えていかなければならないのです。
この書は、災害の多い国土を嘆くではなしに
それを備え地形を敬ってきた歴史や文学を紹介され
分析され、また尾池先生の主宰されていた
ジオパークのお考えも盛り込まれていて
滋味深いものでございました。
話変わりまして私個人の活動としましては
いったんとある試験勉強もひと段落したので
これからまた本が読める!と思いつつも
戦争や震災やパンデミックなど気の抜けない
日々が続くと夜勤明け、しんみり疲れが
身体に染み込む寒い冬でございます。
3冊から信頼と安心を考察する [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
長谷川眞理子先生はかねてより
読んでおりましたがかなり前に購入していた
以下の対談本を昨年末読んでみた。

きずなと思いやりが日本をダメにする 最新進化学が解き明かす「心と社会」 (集英社インターナショナル)
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2017/02/24
- メディア: Kindle版
明らかに異なる二人の論説から興味が湧いて
山岸先生の他の書を手に入れて読んでみた。

日本の「安心」はなぜ、消えたのか 社会心理学から見た現代日本の問題点 (集英社インターナショナル)
- 作者: 山岸俊男
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2019/05/31
- メディア: Kindle版
武士道精神が日本のモラルを破壊する
人類のモラルには二種類がある
から抜粋
さて、おそらくこれからも人類社会は安心社会と信頼社会の二本立てで進んでいくのではないかと予測できるわけですが、こうした二種類の社会がそれぞれ独立した「モラル体系」を作り出していることを初めて指摘した人がカナダ人の学者ジェイン・ジェイコブズでした。
彼女は都市論や経済学など、さまざまな分野で優れた著作を何冊も遺して、つい先日亡くなったのですが、その彼女が書いた本に『市場の倫理 統治の倫理』という本があります。
ジェイコブズは古今東西の道徳律を調べていく中で、人類に二種類のモラルの体系があるということを発見しました。
それが「市場の倫理」であり、もう一つが「統治の倫理」です。
市場の倫理とは分かりやすく言うならば「商人道」、統治の倫理とはすなわち「武士道」だと理解しておけば、まず間違い無いでしょう。
今こそ商人道を!
から抜粋
統治の倫理(武士道)と市場の倫理(商人道)の違いについて語ろうと思えば、いくらでも語ることができるのですが、その最大の違いはどこにあるかといえば、統治の倫理が「権力者のモラル」であるのに対して、市場の倫理がものを作ったり売ったりする「大衆のモラル」の体系である点だと私は考えています。
武士道に代表される統治の倫理とは、結局のところ、社会体制を維持するために権力者が守るべき道徳律に他なりません。
これに対して市場の倫理とは、権力に頼ることなく、お互いに繁栄していくためにはどう行動していくのがいいのかと考えたときに生まれたモラルの体系であると言えるでしょう。
共存共栄のためには、お互いが嘘をつかず、信頼し合い、利益を分かち合う姿勢こそが必要であると説くのが商人道であり、市場の倫理であると言えます。
大事なのは正直者であることが損にならない社会制度を作っていくことであって、そうした社会制度をきちんと整備することができれば、あとは「正直に行動し、他人を信頼する事が結局は自分のためになるのだよ」と言う世の中の現実を教えさえすれば、商人道は自ずから普及していくのでは無いでしょうか。
から抜粋
書き終わった本書を眺めながら、ふと北風と太陽の話を思い出した。
そして、7年前に『社会的ジレンマのしくみ』を執筆して以来、筆者がずっと考えてきたのは、社会心理学を北風の学問から太陽の学問へと転換させることだったんだ、と言うことに気がついた。
筆者が「裏のメッセージ」と呼んでいる「進化ゲーム・アプローチ」は、太陽のアプローチである。
太陽は旅人に何も強制しない。
旅人が自分から進んで服を脱ぐための「誘因」を提供しているだけである。
多分、誘因という言葉は、心理学者には耳障りな言葉だろう。
人間の心をあまりにも単純化しているように思われる経済学的な人間観を思い起こさせる言葉だからである。
しかし、誘因は必ずしも、これまで経済学者が前提としてきた合理的人間像と不分離の関係にあるわけではない。
それどころか、進化心理学的な視点に立てば、誘因こそが、人間の非合理性を理解できる鍵である。
人間の心を理解するためには、心そのものの内側から出発するのではなく、心おおかれた環境から出発する必要があるという視点は、心理学の新しい潮流を形成しつつある。
筆者が本書で試みたアプローチは、人間の心のあり方の基盤を、心を持った人間が作り出す誘因構造である社会的環境(あるいは文化)に求めるアプローチであり、広い意味で、この心理学の新しい潮流の一部をなるものと考える事ができる。
信頼と安心は一般的によく見聞きするが
山岸先生の言説はそれへの厳しい提言となり
山岸先生独特の言い回しとしての
商人道と武士道、はもとより
ジェイコブズ博士の市場の倫理と統治の倫理から
くるもので非常に興味深かった。
国家とか政治と相入れないような。
これは平川克美先生の言っている
商いのスピリットとどのように関係するのか
それとも無関係なのか、など
夜勤明けではない休日にでももう少しクリアな
頭になったら考察してみたいと思った
今のところ最も信頼している家族という
コミュニティで近くの焼肉屋さんにて
食事してきた新年会の意味も込めた
夜なのでございました。