2冊の”南方熊楠”本から利己的な解釈を疑う [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
この本、章立てになってないのでわかりにくいのだけど
最初の方、67ページから抜粋。
亡父は無学の人でありましたが、一代で家を興したばかりではありません。
寡言篤行(かげんとっこう=口数少なく誠実)の人で、地方の官庁から当時は世間でも珍しかった賞辞を一生に三度も受けたのです。
死に臨んだとき、高野山に人を遣って土砂加持*を行なわせたのですが、僧たちは生存の望みが絶えたと申します。
また緒方惟準氏**を大阪から迎えて診察させましたが、これまた絶望との見立てでありました。
編集部注
*土砂加持(どしゃかじ)とは、真言密教で行われる土砂による祈祷。土砂に向って光明真言を誦し、これを病人に授けて病を癒し、また遺体や墓の上にまいて亡者の罪を滅ぼすというもの。
**緒方惟準(おがたこれよし)は、1843年生、1909年没。適塾の緒方洪庵の次男で、緒方家を継いだ。
オランダ留学を経て、典楽寮医師、医学所取締を務めた。緒方病院院長。
そのときは天理教が流行りだしたときで、誰もが、
「天理教徒に踊らせて平癒した」
だの、
「誰それは天理王を拝したから健康だ」
などと言います。
出入りの者に天理教の信者がいて、
「試しに天理教師を招き、祈り踊らせてみてはどうですか」
と言いました。
亡父は苦笑して、
「生きる者は必ず死ぬというのが天理だ。どんなに命が惜しいからといって、人が死のうとするときに、その枕元に歌ったり踊ったりする者を招いて命が延びるなどという理屈があるものか。死というものだけは、誰も避けることは出来ぬ」
と言って、一同に今生の別れを告げて亡くなられたということです。
かつてアテネのペリクレス*は文武両道の偉人で、その一生涯をかけてアテネ文化の興隆に貢献し、ひいては西洋文明の基礎を築いたと申します。
しかしながら、この人が死ぬ間際に、つまらないお守りなどを身に付けたので、それを見た人が理由を尋ねたところ、
「自分は、こんな物が病気に効かないことは重々承知している。だが、人が言うような効能が万に一つもあるのならば、これを身に付けて命が助かりたい、と思って身に付けているのだ」
と言ったとか。
偉い人の割には、ずいぶん悟りが悪かったと見えます。
編集部注
*ペリクレス(Periklēs)は、紀元前五世紀頃のアテネの政治家。
ペルシア戦争後の古代アテネの民主化を完成させ、黄金時代を築いた。
しかし、アテネの勢力拡大はスパルタとの対立を招くこととなり、前四三一年にはペロポネソス戦争が勃発。
籠城中のアテネには疫病が流行し、ペリクレス自身もそれに罹って亡くなった。
死ねば死にきり、ということを
体現される発芽とでもいうか。
わざわざ引いているのは
亡くなったお父様の影響が濃いとの証かと。
生物学者にして合理主義っていう勝手な印象が強い。
かと思えば、幽霊の実存というのもおかしいが
霊魂が回路が高次になれば見えていたという。
南方曼荼羅を理解するには重要な
視座があると指摘する中沢先生の論考から。
ヘリオガバルス論理学 中沢新一
3 から抜粋
しかし、そのことを考えるためには、南方熊楠がかかえていた、もう一つのテーマについてすこしだけ触れておく必要がある。
それは霊魂の問題だ。
南方自身が書いているように、粘菌の生態を観察しつづけながら、彼は生死の現象と、霊魂の問題とについて、深く思考をめぐらせていたのである。
南方が幽霊をよく見る人だった、ということは、よく知られている。
海外に遊学しているあいだは、彼のまえに幽霊はめったにあらわれることはなかった。
そのために、彼は当時のイギリスで大流行していた降霊術の会や、いわゆるオカルティズムにたいしては、わりあいと批判的だった。
ところが、日本にもどり落ち着き場所を失って、那智の山中に籠り始めてからは、彼のまえに、たびたび幽霊があらわれるようになったのである。
彼はそれを、自分の「脳力」が高まった証拠だ、と考えていたが、じっさい彼は那智への隠棲時代をとおして、特殊な空間知覚の能力を獲得するようになっていたのだった。
それからは、夜はパラサイコロジー関係の書物をヨーロッパからとり寄せて、熱心に研究するようになったようだ。
霊魂が存在する、ということを前提にしたとき、生命や空間の構造についての合理的な理解の仕方は、どのようにかわっていかなくてはならないか。
熊楠にとって、霊魂の問題は、さけてとおることのできない、大きなテーマとなっていたのである。
このことは、有名な『履歴書』をはじめとして、いろいろな書簡のなかで、語られている。
熊楠は幽霊とよばれている現象が、たんなる幻覚や異常心理からつくられるものではなく、純粋な空間現象のひとつである、と考えていたようである。(「高次元ミナカタ物質」『新潮』1990年8月号)
つまり、それは実在の一形態であり、それを私たちの知覚がとらえることができるかどうかは、まったくこちらがわの「脳力」のたかまりによることなのだ、というのだ。
南方熊楠がその生涯につよくひかれていたもののリストをつくってみたら、さぞかしおもしろいことだろう。
粘菌、隠花植物、神話的思考、野蛮な風習や土俗、霊魂と幽霊、宗教の比較、セクソロジー、猥談、男色、ふたなり(半陰陽)…どのひとつをとってみても、粘菌的ではないか。
現実の世界のなかに顕在化されると、あいまいで猥雑で非合理、しかし、それをつつみこみ、展開する内蔵秩序のもとにとらえれば、あざやかな生命の全体運動が描かれるようになる、そういうものばかりだ。
中沢先生の論考は素晴らしいです。が、
この論考の主旨とはズレますが
日本に戻って霊魂を感じたって所が
熊楠さんに対してなんとなく
信じきれないのだよなあ。
世界をまたぐと存在が普遍ではないという事で。
別の話だが漫画家で作家の
ヤマザキマリさんが日本の幽霊話を
イタリアで話したら一笑に付されてしまい
まったく相手にされなかった、てのとか
そうはいっても欧米って悪魔信仰のある
キリスト教の国だしなあ、とか。
それも吉本隆明先生が論考された『共同幻想』の
ようなもなんじゃないのか、とか。
熊楠さんの『履歴書』も全部読んでないから
わからないことが多い。(読んでから云え!)
霊には自分が興味ないから、
深くキャッチできないのか。
『履歴書』は、読んだ所まででいうと
全体の表現力はなんか凄いと感じるのと
古今東西の文献などの引用っぷりが
相当な読書量を物語っている。
蔵書量も凄いと荒俣宏先生が書いていた。
10カ国語以上話せたってAmazonの
著者プロフにあったけど、だとして
原書で読みまくっていたのかも。
普通の人、っていう”普通”の定義も
面倒くさいのでそこは端折るが、
”普通”の人が見えているものと
明らかに世界が異なるのだろうなと感じるし
巨大きすぎて自分のキャパでは到底
受け取れない感じがした。
人間以上のなにかとでもいうのか
生物、自然、地球、宇宙、とか連想されて
どこまでも拡張されていってしまってこのテーマは
避けたい、他に読みたい本があるから
ってのも正直あるけど、まあいいや
夜勤明け、頭ぼーっとしてるので
食事してお風呂洗わないと
先週サボったからやべえ
とドメスティックな悩みが尽きない
秋の早朝でした。
柳澤桂子先生の好きなもの [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
▼本
小林秀雄の作品
田辺聖子の作品
▼音楽
ヴェルディー「シモン・ボッカネグラ」「椿姫」「海賊」
▼好きな演奏家
▼好きな声楽家
▼好きな画家
▼好きな花
▼食べ物
なるべく手を加えていない生もの、魚のあら、和菓子、洋菓子
美しいものはなんでも好きです
感性が違うからか、自分とほとんど
被るところがなくて、同じと思ったのは
今のところ”小林秀雄”と”あじさい”だけだった。
音楽に関していうならロックというジャンルは
お好きではないのだろうか。
少し世代が上だったのだろうか60年代は。
自分が世代が下なのに60年代にハマって
しまったのがおかしいのだろうけど。
あらためて時間のあるときに
検証させてください。
どうかよろしくお願いいたします。
かしこ
2冊の書から”軍産学の科学と近代日本”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
のっけから余談で恐縮ですが、
”みすず書房”って装丁や書体が
とても味わい深いし内容も興味深い。
社内外に目利きが全部じゃないだろうけど
多くいるような気がしていて、
骨太な出版社だと感じていてリスペクトしています。
”筑摩書房”や”講談社学術文庫””や岩波文庫”も
一目置かせていただいております。
序章 新しい科学者倫理の構築のために
から抜粋
これまで多くの科学倫理に関する本が書かれてきたが、本書はおそらく「科学者は軍事研究に手を染めるべきではない」と主張する最初の本になると思っている。
言い換えれば、これまでの科学倫理に関する書物は、科学研究における不正行為や研究費の不正使用がいかに倫理にもとるかについて述べることを主眼とし、そのために従うべき倫理的な科学研究とは何かを説くものばかりであった。
科学に多くの資金が投じられるようになるにつれ、必然的に不正な手段で利益を得ようとする科学者が多くなり、それを防止するために、科学者に対し科学倫理を説くことが求められたためである。
それはそれで必要なことだが、このような科学倫理の書だけでは、決定的に欠けているテーマがあった。
科学者及び技術者が軍事研究に手を染め、戦争で人間が効率的に殺戮するための手段の開発研究に深入りしている問題で、これこそ問われるべき科学者・技術者の倫理問題と言えるはずである。
アメリカの場合 から抜粋
アメリカの軍事予算は60兆円以上で国家予算の20%以上を占め、日本の軍事予算の10倍以上である。
軍事開発の研究費は全分野の研究予算の半分以上を占めていて、8兆円を超している。
いずれも世界一である。
これからもわかるように、アメリカはいわば軍事国家であり、科学者が軍事研究することを当たり前とするお国柄なのである。
アメリカは技術者の倫理(工学倫理)が強く叫ばれ、技術者の社会的地位を高めるという意図もあって、厳しい「技術士資格」が確立している。
ところが、技術士資格試験においては技術の軍事利用に関する倫理的考察や行動規範は考慮の外で、軍事開発は重要な技術の応用先の一つとか考えられていない。
実際、アイゼンハウワー大統領が離任演説で警告したように、アメリカにおいては「莫大な軍備と巨大な軍需産業との結びつき、つまり軍産複合体が大きな影響力を行使することで自由や民主主義が危険に曝される」ことが問題とされてきた。
そのような状況が続く中、最近は「軍産学複合体」と呼ばれるようになっている。
「軍と産」の結びつきに「学」を引き込むことが不可欠となってきたのである。
実際、ミサイルや核兵器の開発のみならず、AIを用いた無人戦闘機や殺人ロボットなどの開発、サイバーセキュリティと呼ばれるコンピューター管理、対テロ戦争を想定した生物・化学兵器対策、電磁パルス弾のような新兵器の検討など、進展する技術を応用した最先端の武器開発を行うために、「学」を動員することが当然視されるようになってきている。
日本の場合 から抜粋
日本においても科学(者)倫理に関わる本において、軍事研究に携わることは科学(者)倫理に反すると明確に書いているものはまだなく、おそらく当分現れないだろう。
その理由として日本には誇るべき特殊事情があった。
日本の大学を始めとする「学」セクターは、戦争前及び戦争中、国家や軍の意向ばかりを尊重して、世界の平和や人々の幸福のための学問という原点を失っていた。
敗戦後、そのような科学者集団であったことを反省して、日本学術会議は1950年に「戦争を目的とする研究には絶対従わない」という声明を決議した。
これは日本国憲法の平和主義の精神に則った決意表明で、軍事研究を当然とする世界においては稀有なことであった。
おそらく、1947年に軍を持たないことを決議して、今なお軍事予算ゼロを貫いているコスタリカを除いて、こんな国はなかっただろう。
もう一つの理由は、科学者の軍事研究の問題には、日本の安全保障について意見が分かれることが多く、これがせいかいだとなかなか一意的に示すことができないことがあった。
日本国憲法第9条で規定されている「戦争の放棄」と「戦力不保持」を堅持して、一切の武器を持たずに平和外交に徹すべきとする立場もあれば、自衛権まで放棄しているわけではないから自衛のための戦力保持と自衛戦争は可能とする立場もある。
前者の立場を立つと、たとえ自衛のためであっても科学者の軍事研究に反対することになるが、後者の立場では自衛のための軍事研究は当然許され、むしろ激励すべきことになる。
とすると、科学者の軍事研究への参加については自分の立場を明確にしないと意見が述べられず、そこまで踏み込んで倫理を説く人間が現れなかったのである。
科学の二面生 から抜粋
本書で問題とするのは、いま各国で競われている科学技術の軍事利用である。
すべての科学技術の成果は、人々の生活を豊かにし環境条件を向上させるため(民生利用)にも、戦争で敵を殺傷し戦術・戦略を効率的にするため(軍事利用)にも使うことができる。
これをデュアルユース(軍民両用技術)という。
複数の電波源からの電波を受信することによって、潜水艦やミサイルや軍の部隊の現在位置を正確に定めるGPS(軍事利用)が、自動車に搭載されて目的地に向かう自らの位置を確認するためのカーナビ(民生利用)に使われるのが、一例である。
GPSは軍事利用が先で、その後に民生利用された。
インターネットがまさに”デュアルユース”だよなと。
”ドローン”や”AI”もそうか。
”センサー”や”ロボティクス”も含まってしまうのか。
あとがき から抜粋
本書は科学者になることを目指す若者に読んで欲しいのだが、読書習慣をあまり持たない若者である場合には、周辺の人々(肉親や友人や大学の教員や事務官・技官など)が本書を読んで、科学者と軍事研究の関わりについて知るとともに、若者と対話するための材料としてもらえれば幸いである。
近代日本を考察するときって
世界を見ないとならない。
特にアメリカ抜きには語れない。
まえがき から
「日本という国」。
この本の読者は、ほとんどがこの「日本の国」に住んでいる人(日本国籍ではない人も含めて)だと思う。
この国のこと、そのしくみや歴史を知り、いまの状態がどうやってできてきたかを理解する。
そういうことはめんどうくさいけれど、必要なことだ。
なんといっても、私たちはこの国に生きていて、この国が進む方向によって、自分の運命も左右されかねないのだから。
あとがき から抜粋
この本が最初に出版されたのは、2006年でした。
日本社会についていえば、「格差社会」という言葉が流行語大賞にあがったのが、ちょうど2006年でした。
それから世界金融危機がおこり、政権交代があり、震災と原発事故がおきました。
2006年には、スマートフォンも発売されておらず、YouTubeもできたばかりでした。
また日本の国際的位置も、変わりました。
たとえばドルで換算した中国のGDPは、2000年には日本の約4分の1でした。
それが2010年には日本を抜き、2017年には日本の3倍近くなりました。
しかし、日本の社会や国際的位置は大きく変わったけれど、変わっていないことがあります。
それはこの本であつかった、明治からの近代化のあり方と、アメリカとの関係です。
明治からの近代化のあり方は、今でも日本に影響を残しています。
西洋に追いつき、追いこせ、植民地にされないために、強く豊かにならなくてはいけない。
一言でいえば、これが日本の近代化の動機だったといってもよいでしょう。
この近代化のあり方は、植民地化を逃れ、周辺地域を勢力圏に収めたあと、戦争に負けることでいったん挫折しました。
しかしその後、復興と経済成長によって、1980年代には経済大国とよばれるに至りました。
しかし、経済大国になったあと、日本は目標を失ってしまったようでした。
強く豊かになったあと、どうするのかまでは考えていなかった。
そんなふうに、他国からは見られていたようです。
考えてみれば、軍事的な強さも、経済的な力も、それじたいは目標になりえません。
軍事力や経済力を使って何をするのかのほうが問題なのです。
それを考える余裕がなかったのが、明治以降の日本だったといえるかもしれません。
戦後の日本という国は、いろいろな意味で、アメリカとの関係の中で形づくられてきました。
象徴的なのが、日本国憲法と日米安保条約です。
この二つは、アメリカの存在と大きく関係しています。
そして、この二つが奇妙にからみあったかたちで、日本のあり方を決めています。
敗戦直後の状態から、高度成長やバブル経済などを経て、日本社会が変化していっても、この二つは変わりませんでした。
冷戦が終わり、他のアジア諸国が経済的に成長して、世界が大きく様変わりしても、この二つは変わりませんでした。
私としては、この本の最後に書いたように、アジア諸国と新しい関係をつくり、そしてアメリカとも新しい関係をつくれば、日本経済にかげりが出て、中国が台頭すると、ますますアメリカとの関係をかつての形に保とうと望んでいる人も多いようにさえ見えます。
それはまた、「もういちど強く豊かになろう」という、かつての目標にこだわり続けていることとも重なっているようです。
つまり、明治からの近代化のあり方と、戦後からのアメリカとの関係は、今でも日本に大きく影響しているといえるでしょう。
「もういちど強く豊かになろう」というのは
小泉さんや亡くなられた安倍さんが
思いつくのだけど今でも継承されている気が。
「豊か」にはなってほしいが、
「強く」なる必要はないと思うし
さらに「豊か」というのは
”経済”とイコールではないと感じるのは
自分だけだろうか。
必要なものを必要なだけっていう
世の流れと逆行していると思わざるを得ない。
今すぐに変えるってのは難儀な事なのだろうが
まずは疑問を持つ人が増えてほしいなと
科学やアメリカ、日本を考えてたら
なんかシリアスになってしまい、
プライベートなことで複数の友人から
暗いメールが続き惨憺たる有様になりつつも
今夜は仕事なので準備をしっかりして
挑みたいと殊勝に考えている
秋の早朝読書でした。
平川さんの書から”有縁と無縁”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
- 作者: 平川克美
- 出版社/メーカー: ミシマ社
- 発売日: 2018/01/29
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
久しぶりに平川さんの書を拝読。
思えば、昨今の読書欲のチャクラが
全開なのは平川さんから始まったのだ
ということを思い出した。
まえがき から抜粋
一年前に、会社を一つ畳んだ。
そのために、会社が借り受けていた銀行やら政策金融公庫からの借金を一括返済せねばならず、家を売り、定期預金を解約し、借り入れ全額を返済し、結局、全財産を失った。
同じころ、肺がんの宣告を受け、入院、手術で、右肺の三分の一を失った。
もう失うものがあまり残っていない。
まあ、とにかく還暦をすぎて何年も経て、そんな状態に陥ったわけである。
そのことに対して、特段の後悔も、もちろん満足もない。
人間というものは、こうやって、すこしずつ持てるものを失っていって、最後には空身であっち側へ行くというのが理想なのかもしれないとも思う。
ひとの生涯というものは、意思だけではどうにもならない。
自分で意識して生活を変えたわけでもないのだが、金が無くなり、体力がなくなれば自然と生活も変化する。
で、どのように変化したのかといえば、1日の変化が少なくなるように、変化したのである。
これを、流動性の喪失というらしい。
1 生きるための負債ーーー人間関係の基本モデル
貨幣とは、非同期的交換のための道具である
から抜粋
現代のほとんどの等価交換は、貨幣と商品の交換という形式をとっています。
しかし、もし、交換物が使用価値という尺度によって計算されるのならば、この交換はどんなに大雑把に見ても等価交換とはいえないでしょう。
一方は何かの役に立つ商品であり、一方は何の役にも立たないただの紙切れなのですから。
では、いったい何が交換されたのでしょうか。
交換が成立するのは、貨幣というものは、それを受け取ったときに交換した商品と同じ価値のものを、いつでも、どこの市場でも買い戻すことができることが約束されているからです(あるいはそう信じられている)。
ですから、この交換(貨幣と商品の交換)で行われたことは、本来の交換(等価物の交換)の延期の契約だというべきなのです。
いつまで延期するかは、貨幣を受け取った側の裁量で決まります。
すこし別の譬(たと)えでお話しします。
インターネットの草創期に、わたしは、インターネット評論家のような仕事をしていたことがあるのです。
(今のわたしからは、想像もできないでしょうが、モザイクというインターネットブラウザが出現したころ、シリコンバレーのエンジニアたちと頻繁に交流することがありました。会議を開いたり、勉強会をしたり、インターネットの未来について論じ合う機会がありました。それで、講演も頼まれてやったのです。乏しい知識とその場限りのはったりでね)。
もう、場所も、相手の名前も忘れてしまったのですが、あるカンファレンスで、インターネットエンジニアがわたしに言った言葉だけは今でも、覚えています。
「ヒラカワ、インターネットがすごいのは、ブラウザじゃないんだ。メールなんだよ。これがどんなにすごいことかお前にわかるか」
そのときに彼が言った言葉がasyuchronous communicationというものでした。
翻訳すると、非同期コミュニケーションです。
わたしは何がすごいのかよくわかりませんでした。
かれの自慢気な態度もちょっと気に入らなくて、そんなに頻繁にお手紙をやりとりしてどうするんだよ、ヤギさんじゃあるまいし、という気持ちだったのです。
当初は、わたしも、まあ、電子メールも、これは電子的に置き換えただけじゃないかと考えていたのです。
ところが、かれは、これはそうした手紙とはまったく違うものだというのです。
インターネットがない時代には、同じ場所で対面して話をするか、郵便ポストの前で何日も待たなくてはならなかったけれど、電子メールでは、いつでも、どこでも、読みたいときに相手の手紙を読むことができるし、読みたくなければゴミ箱に捨てることもできる。
この電子メールの出現によって、非同期的なコミュニケーションが可能になったのだということなのです。
コミュニケーションの実行日を自由にずらすことができる。
もうお分かりかもしれませんが、貨幣というものの大きな特徴も、この非同期性にあるということが言いたいのです。
貨幣交換とは、非同期的交換であり、貨幣の出現によって、同じ場所に交換物を持参して、対面で相手の品物を吟味しながら交換するなんていう面倒がなくなったのです。
電子メールの出現によって、社会のコミュニケーションが爆発的に増加したのと同じように、貨幣の出現によって、社会のモノの交換は爆発的に増加することになりました。
非同期的交換を可能にしたことこそ、貨幣というものの大きな功績であり、ある場合には害悪でもあるのです。
もっともやっかいなのは、貨幣以前は、交換物は腐ったり、劣化したりしたので、賞味期限がありました。
それらの交換物は、消費した時点でなくなりますし、保存には限りがあります。
しかし、貨幣のもうひとつのNatureは、それが腐らず、劣化しないというところにあります。
それゆえ、ひとは、貨幣を安心して保存するということを覚えることになるのです。
すなわち、これが財の退蔵であり、資本蓄積のはじまりだったのです。
貨幣、競争社会、責任について、とか
政府、政治、モラルについて、とか
社長というかドンには2タイプいて、
①自分の金儲けのことしか考えてない派と
②まとめて面倒みよう派がいて、これを
”①合理的選択論者”と”②贈与交換論者”とされ
後者は失敗する典型だという様々な対比等々
興味深すぎて、矢継ぎ早に貼りすぎて
ポストイットがなくなってしまった。
Twitterや株式会社の公共性や、
「無縁」と「有縁」からの
ディザースター・キャピタリズム(災害便乗型資本主義)、
日本は世界一100年以上続く企業が存在するが
非上場で顧客第一の経営者の哲学があるところで
株主利益などに左右されず信頼蓄積型だから等
一回読んで済ますにはもったいなさすぎる。
エスキモーの文化が”交換”ではなく
”贈与”が常識という生活習慣や
世俗にまみれてないご友人の画家さんとの
世間意識のズレっぷりのエピソード類。
それを噛み砕く豊富な読書遍歴からの分析力。
元翻訳会社社長であられたから
グローバル感覚も注入されつつ
大学講師でもあり、内田樹先生テイストもあり
難解なことでも平易に読ませる筆(談話)力。
でも、すみません”楕円幻想論”のくだりが
自分にはまだよくわかりませんで…。
初版は2018年ということなので
コロナ禍をくぐっての平川さんの
社会論というか言説を読みたいと思うのだが
そこにはご興味がすでになさそうな
昨今の新刊状況のご様子のようで。
それはそれで、読んでみたいのだけど
部屋中に山積みになっている読んでいない
大量の本たちに顔向けできないため
そちらを優先したいと思っている
秋も深まる夜なのでした。
養老先生関連の2冊から”母親”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
解説から本文を考察できることもあり
よく最初に読んでしまいます。
場合によっては、それだけ読んで本文は
拾い読みで終えてしまったり。
名を馳せていた頃で。自分もその頃若かったから
かなり衝撃的な内容だったと記憶してます。
インザネームオブ解説 内田春菊 から抜粋
まずお名前が覚えやすいのが良い。
育ち盛りの若者に限らず、あの有名居酒屋チェーンののれんをくぐったことがある人は少なくないはずだ。
それからあの髪の毛の多さ。
今でもあんなに多いんだから思春期にはさぞかし髪型に困られたことと想像される。
あれだけ頭をつかってる人があんなに豊かだと、薄くなっているほうは立場がない。
さぞかしねたまれていることだろう。
そしてあの芸術とも言えるあの早口。
人と違う時間軸で生きているのかもしれないと思わせるほどだ。
養老さんの脳こそが他の解剖学者に狙われているに違いない。
あのローテンションの早口のまま真顔で冗談をおっしゃるので、初対面の人間はほとんど笑うきっかけを逃す(と思う)。
これから養老さんと対談する予定のある人は<笑>と書いたプラカードを持っていって、これは冗談だと気づいたら急いで出すといいかもしれない。
最近、マザコンもいいものだと思うようになった。
漫画の業界では言えば、あの時代に医師の資格を持ちながら漫画家を職業に選ぶことの出来た手塚治虫さんを一番支えたのはお母様ではなかったか。
養老さんのお母様は開業医でいらっしゃるそうだ。
2度目の結婚で生まれた養老さんは、他のご兄弟とは一人だけお父様が違うという。
それも、養老さんを残してお亡くなりになったと聞く。
養老さんはご自分が子供のころぜんそく持ちだったことを「まあ育て方が悪いんですね」とおっしゃっていたが、息子を一人残して夫に死なれたらただでさえ可愛い末っ子を冷静に育てるのはかなり難しい。
養老さんは一見ぶあいそだが、しばらくするとチャーミングなのがよくわかる。
お母様がどんなに養老さんを愛したかがオーラが出ているのだ。
私は手塚治虫さんとはついにお話しする機会がなかったが、それに近い空気を出しておられたのではないかという気がする。
養老さんと対談したことを誰かれかまわず自慢していたら、頼みもしないのに養老さんのお母様の著書を送ってくれた人がいた。
まだお母様の書かれた部分は読んでいないが、そこに寄せた養老さんの文章を読んで転げ回ってしまった。
これこそマザコンを克服した息子の書いた文章だ。
子どもを産むと人生には面白いことが増える。
子どもを愛情持って育てるとってことですよね。
だとすると同意だし、パパの立場でも
何かのレベルみたいなのが上がる気がするので
面白いことは確かでございます。
正確にはものの見方が”深く”なる、か。
正確性を追求しなくても全然いいんですが。
そしてまたもや勝手な推測だが養老さんは恋に弱いと思う。
回りから見ても絶対わからないだろうが、きっとしょっちゅう恋しているはずだ。
あのいつもの表情を変えないままで、たとえば大学で相手とすれ違うと高校生みたいにどきどきしているに違いない。
それから、ああなんでこんな気持ちになるんだ、これはいったい脳の中でどんなことが起こってこうなるのだと思いながら解剖したりしているのだ。
きっとそうだ。
でなければあんなに髪の毛が多いはずはない。
だから女性のみなさんは養老さんがどんなに冷静な顔で自分のかばんからプラスティネーションの贓物などを取り出しても、けして無理して「素晴らしいですね」などと言わず、きゃーっと叫んで養老さんに抱きつくのが礼儀だ。
みんながそうして養老さんを予定より長生きさせるべきだ。
私もそうする。
最後の件は言い得て妙な気がして
つまり、この頃の養老先生は
子どもみたいだということだろう。
今はご病気もされ、違うかもしれないが。
三島由紀夫さんも学生さんから、小説家なのに
ボディビルやヤクザ役で映画出演等を揶揄され
「なぜ嫌われるようなことを率先してやるんだ」
と聞かれて
「あえて嫌われることをやる、それがダンディズム」
と笑いながら答えている音声がございましたが
養老先生が臓物をとり出す心境はそれに
近いのではなかろうか。
内田春菊さんに話もどし、米原万里さんが
養老先生の印象を語ってらしたのを思い出した。
それと、笑い転げた初版のまえがきは
自分はほとんど覚えてないのだけど
昨日のフィールドワーク(古書店巡り)で
購入した文庫本には養老先生の解説が
ございました。
解説 養老孟司 から抜粋
この本が最初に出版されたとき、母は存命中だった。
単行本初版の「まえがき」に、「こういう文章は、母親が死んでから、書くものであろう」とのっけから書いてしまった。
20年前に母は死んだので、今後は解説を書けという。
余計なことを書かなきゃよかった。
親のことは知っているようで、知らない。
子を知ること、親に如(し)かずというが、親を知ること、子に如かずとは聞かない。
だから客観的な解説など、できるはずがない。
以前、九州の叔父の家を訪ねたことがある。
「お前のお父さんとお母さんの恋文がミカン箱いっぱい残っているが、持っていくか」と言われた。
冗談じゃない。そのまま逃げかえってきた。
亡くなって20年というと、ぼちぼち母親を客観化出来そうだが、そうはいかない。
なぜって、その人が亡くなると、考える機会も無くなるからである。
母の思い出は固定してしまって、断片的な光景がときどき出てくるけれども、意味がわからない。
まことに「去る者は日々に疎し」である。
要するに親は親であって、それはどうしようもない。
良いも悪いもないし、受け入れるしか仕方がない。
母親が私の人生に与えた影響は大きいが、だからといって、どうこういうこともない。
思えば、変な親だったかもしれない。
明治生まれの女医だから、教育には熱心だった。
でも私に何か教えたこともない。
自分で教える暇がなかったのかもしれない。
小学校から家庭教師をつけられた。
でも学校の勉強ではない。
家庭教師をしてくれたのは、義兄の旧制高校の同級生で、東洋史の専門家だったから、『十八史略』の白文を読まされただけである。
小学生にそんなものを読ませやがって。
漢文なら四書五経が普通だろうが。
えっと。養老先生って元東大教授でしたよね。
ならずものじゃないですよね?
母の人生は母のもので、私はそのほんの一部にすぎない。
私が50歳を超えて、医学部の教授をしていても、「お前がいちばん心配だ」といっていた。
どこか、母親bの価値観に合わない生き方をしていたからであろう。
こちらは小さい頃からそういう言われ方に慣れているから、なんとも思わなかった。
「また言っている」と思っただけである。
ただ母が死ぬ前年に私がオーストラリアで虫を採るというテレビの番組に出たのを見て、
「子どもの頃と同じ顔をしていたから安心した」といった。
親というのは、そういうものらしい。
たしかに現役の間は、私も多少は無理をして生きていたのである。
お前が幸せなら、それでいいんだよ。
子どもに向かって本音でそれをいう母親だった。
だから私が無理をしているのを見ると、イヤだったのであろう。
でもまあ、世間で生きていれば、多少の無理は仕方がない。
そういえば、つい最近、大学の同級生が死んだ。
最後の電話が「お前も無理をするなよ」だった。
父親の遺言も「十できるものなら、六か七にしておけ」だったと母親がいっていたのを思い出す。
やっぱり人生、無理はいけないんでしょうなあ。
母親とはそういうものなのだろうね。
子ども時代の面影が消えてたら心配でしょう。
それを消し去るのが大人になると勘違い
しがちですからね、子供というのは。
母との関係性っていつまでも
釈迦の掌という構造ですな。
自分も母を亡くして早13年だけど
同じような気がするなあ、と。
この書自体は過日投稿したが本当に良書です。
しかしこの解説、最後の一文は明らかに不要です。
あれ、これ池田清彦先生にも同じことを
お二人はかなり似ているんでしょうなあ。
余談でかつ僭越で、これは自分で
いうべきことではないかもしれないが、
かくいう自分も、”同類”なのだろうなと、
偏差値はまるで似ていないのが残念至極な
残暑厳しい秋の休日、図書館へ行こうと
目論んでいるところです。