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②槌田敦先生の2冊から”エントロピー”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


脱原発の大義: 地域破壊の歴史に終止符を (農文協ブックレット 5)

脱原発の大義: 地域破壊の歴史に終止符を (農文協ブックレット 5)

  • 出版社/メーカー: 農山漁村文化協会
  • 発売日: 2012/05/01
  • メディア: 単行本

2. 多数の農民は失業者になる

【強者のための経済学になり果てた現代経済学】


から


現代社会において、貧富の格差はますます拡大している。


現代経済学者は、その原因を検討することなく、無責任にも「政府はもっと支出と雇用を」(クルーグマン、朝日新聞12年3月9日)などと主張する。

どこから、その資金を捻出するというのか。

富者から税金を取れば良いが、富者は政治を支配しており、損になることをする訳がない。

しかし、富者から見ても、格差社会はトラブルが多く、放置すれば暴動に発展する。


そこでわずかに応ずるだけである。

これでは、格差社会は解決できない。


結局のところ日本のように消費税を値上げして、弱者から税金を搾り取り、弱者を苦しみ追い込むことになる。

同じ人間に生まれて、強者である富者の繁栄と弱者である貧困者の悲劇。

現在経済学は富者の利益だけに関心を示す学問に成り果ててしまった。


【失業と貧困の最大の原因は自由貿易】から


貧困の原因は失業である。

そして、貧困者には需要がなく、失業者は供給できない。

格差社会では多数の人々には需要も供給もなく、商取引から排除されている。

その一方、少数の富者(強者)が商取引を華々しく繰り広げている。

アダム・スミスのいう「神の見えざる手」は壊れている。


日本では、自由貿易は、農業を破壊することが最大の問題であると考えられている。

そして、農業ばかりか、その他の産業も破壊するという。

しかし、自由貿易にはもっと基本的な失業と貧困の問題がある。


はっきり言えば、自由貿易は、農業者を大量に失業させ、これらの人たちを貧困に追い込むのである。


3. 今、必要なのは弱者のための経済学


【エントロピー増大にもかかわらず、人間社会が維持される条件とは】


から


物理学のエントロピー増大の法則により、人間社会の活動は資源を消費し、廃物を発生する。

この人間活動を続けると、環境にある資源は枯渇し、環境は廃物だらけになるはずである。

ところが、現実には資源は枯渇しないし、廃物はいつの間にか消えている。

つまり、地球は人間社会に豊かな環境を提供しているのである。

これが、人間経済が持続できる第一条件である。


その理由は、化石燃料のように資源が豊富で、現在の消費程度では糖分枯渇しないことに支えられている。

これに加えて、環境に排出された廃物がふたたび資源に戻っていることも幸運である。

これは、宇宙に余分のエントロピーが捨てられて、環境に物質循環が存在するからであるが、その物質循環に人間社会も載っているのである。


これに対して、原子力の廃物、放射能を資源として、これをウランに戻す能力は自然にはなく、ここには物質循環は成立しない。


つまり、ウランはそもそも使用可能な資源ではない。

それを無視して原子力を利用した結果が、原子力の困難の原因なのである。


人間社会維持の第二条件は、環境から資源を取り入れ、廃物を自然に返すことが保証されていることである。

その作業は需要と供給という経済活動で支えられた物質循環がしている。

これを強調する学問がエントロピー経済学である。


需要と供給による社会の物質循環を維持することにより、人間社会の持続性は維持される。

これに注目しない「持続可能性」の主張はすべて誤りである。


【商取引の法則、需要と供給】から


では、どのようにして、需要と供給により社会の物質循環が成立するのか。

それは、全面的に古典経済学の正しさを認めることである。

需要者は商品を受け取り貨幣を支払う。

供給者はその逆をおこなう。

その商取引が貨幣循環を成立させる。

これが物質循環を支えている。

そして自然から資源を得て、自然に廃物を返している。


ここで、需要曲線と供給曲線の考えが導入される。

需要曲線とは、その金額ならば買っても良いという商品を価格が下がる順番で並べた曲線であり、供給曲線とは、その金額ならば売ってもよいという商品を価格が上がる順番で並べた曲線である。


その交点が取引価格となる。

この金額で取引すると、需要者は予定価格よりも安い価格で買うことができて得をし、同時に供給者は予定よりも高い金額で売ることができて得をし、両者共に利益が得られる、

この利益(余剰という)は新しい需要となるので、経済成長の原因となる。

これが、いわゆるアダム・スミスの神の見えざる手である。


エントロピー経済学は、このアダム・スミスの神の見えざる手に加えて、この商取引が社会の中の物質循環を保証していることを重視する。

ところが、現代経済学は、その条件を壊す「自由貿易」を掲げている。

これは人間社会を壊す悪魔である。

貿易では、真の自由貿易、買うの買わないの「自由」を尊重する必要がある。


国内政策では、働けるものに補助金を出してはいけない。

失業者には貸付金、就職したら返金(所得税に加算)させる。

働けない子供、病人、老人には税収により生活資金を支援する。

このようにして「アダム・スミスの神の見えざる手」は成立し、失業と貧困のない健全な社会にすることができる。


【残された問題】から


貧困者は生きるために自然を破壊する。

貧困は砂漠化への道である。

このようにして、貧困国では子孫の生活する場所はどんどん消えていく。

ここには売る商品はなく、買う資金もない。

そこで必要なのはこの半砂漠で貿易や援助なしに自給する技術である。


また、近い将来に予測される寒冷化(『新石油文明論』2002年参照)で、北方の農地は使えなくなる。

この人達は集団で移住を求めるであろう。


古典的な戦争の心配もある。

その場合を想定して、温暖化に住む人たちがどのようにして北方の人たちを受け入れるか、検討を始める時がきた。

CO2で温暖化するという騒動で浮かれていた時代はすでに終わったようだ。


すごい。


槌田先生の中では2012年時点


12年前にすでに脱炭素社会キャンペーンは


終わっているのか。


現実的には、いいのか悪いのか、はたまた


浮かれているのか、落ち着いているのかも


不明だけれども、脱炭素キャンペーンは


終わっていないし、さらにご指摘通りで


本当に悲しいが古典的な戦争を


中東ではしていて昨夜のニュースから。


 イラン、イスラエルへミサイル発射 


 「報復攻撃」実施と発表


それは置いておいていいのか不明ですが


一旦置かせていただき


”エントロピー”についての理解に補強として


他の書籍から一部引かせていただきます。



環境保護運動はどこが間違っているのか (TURTLE BOOKS 7)

環境保護運動はどこが間違っているのか (TURTLE BOOKS 7)

  • 作者: 槌田 敦
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 1992/06/01
  • メディア: 単行本


増補・地球温暖化は悪いことか


◉自然のサイクルとは


汚染とは、物理学のことばでいうと、エントロピーです。

地球は、このエントロピーを宇宙に捨てることのできる星です。

これによって、地球上にはいろいろな活動が存在できるのです。

地球に存在する最も大切な活動は、大気の循環です。

つまり風が吹くことです。

この循環により、大気上空で放熱して、宇宙に熱エントロピーを捨てています。

水が蒸発して雨が降るという水の循環も大切な活動です。

この二つの循環活動があるので、地球表面は熱の汚染から免れ、快適な気候が保証されています。


しかし、これだけでは、もうひとつの物の汚染が溜まってしまいます

これは、生態系での養分の循環が解決しています。

土から養分を得て植物が育ちます

これを動物が食べ、植物と動物の死骸は微生物が分解して土に養分を戻すという養分の循環です。


この養分の循環で生態系は元に戻ったのですから物エントロピーは増えていないはずなのですが、その代わり発熱して熱エントロピーになっています。

植物から堆肥をつくるとき、発熱していることからこれを知ることができます。


生態系の循環は物汚染を処理して、熱汚染に変えているのです。

この熱汚染も大気と水の循環によって宇宙に捨てているので、地球上は物汚染も熱汚染も免れることができるのです。


ところで、この養分とは、リンや窒素などの肥料のことですが、水に溶けて下方へ流れ落ちてしまう性質があります。

それを解決しているのは鳥などの動物です。

海や平地で餌を得て、これを高地に運び上げ、そこで糞をして養分を供給しています。

これが地球規模の養分の大循環です。

これにより海洋だけでなく山地を含む陸地にも生態系が存在できるのです。


これらの四つの循環が自然のサイクルと呼ばれるものです。

これらの循環の中に人間の廃棄物を繰り返す限り、汚染問題が発生することはないのです。

しかし、この自然のサイクルの能力を超えて人間社会が廃棄物を発生させると、その汚染は宇宙に捨てることができず、地球上に留まることになります。

これが汚染問題なのです。


自然の循環が大切な営みであり、


自然が人間生活に欠かせないもの、


それ以上でも以下でもない。


それを崩すことは、暗い未来しか


見えてこない。


にもかかわらず、世界や近代文明で


ただいま現在行われていることは


一体何であろうかという疑問。


心配だらけだけれども、日常生活は


キープできるよう個々で頑張って


いかなければと気を引き締めさせて


いただき、仕事や読書を続けて参ります


所存でございます。明日も夜勤なので。


 


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①槌田敦先生の論考から”違和感”と”現実”を体感 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


脱原発の大義: 地域破壊の歴史に終止符を (農文協ブックレット 5)

脱原発の大義: 地域破壊の歴史に終止符を (農文協ブックレット 5)

  • 出版社/メーカー: 農山漁村文化協会
  • 発売日: 2012/05/01
  • メディア: 単行本

現代の暴力装置=原発と自由貿易に騙されないために

弱者の視点・エントロピー経済学で考える


元理化学研究所研究員 前名城大学経済学部教授


槌田敦


から抜粋


強者(富者)は、安い電力を口実にして原発を建設し、経済発展を口実にして自由貿易を押し付け、強者の利益をさらに拡大しようとしている。

そして現代経済学は、この強者の欲望を支える道具となっている。


この強者のための現代経済学をふたたび、アダム・スミスの経済学に戻し、福祉のための学問、つまり弱者のためのエントロピー経済学を構築する。

そのため、まず、原発と自由貿易という現在の暴力装置のウソを暴き出すことから始める。


1.これは「事故」を超えて「事件」である


【福島原発事故は、これまでの原発事故と本質的に異なる】


から抜粋


スリーマイル島原発事故(1979年)の原因は、「逃し弁開閉の誤信号」だった。

弁が開いているのに、閉じていると表示され、原子炉の冷却水が流出していることに運転員は気づかなかったのである。


チェルノブイリ原発事故(1968年)は、「制御棒の設計ミス」だった。

原子炉を緊急停止しようとして緊急制御防を入れたら、かえって核反応が進み、核爆発となってしまったのである。


今回の福島事故は、このような単純なミスで起こったのではない

事故の原因は東電による安全対策の手抜きだった。


【大災害となった福島原発事故】


から


この福島事故で、東京電力は大量の放射能を環境にばらまき、強制避難で45人(NHKによれば68人という)を死なせ、数人を自殺させ、福島県民の心身を傷害した。


それだけではなく、BEIRーVII報告(アメリカ科学アカデミー2005年6月29日)によれば、100人が生涯において平均して100ミリシーベルト被曝すると1人はがんになり、またその半分はがん死する。

したがって、生涯被曝が50ミリシーベルト増と予想される福島県民200万人の場合、今回の事故によって1万人はがんになり、その半分5000人はがん死させられることになる。


【今後も安全費用の節約による原発事故継続の心配】


から抜粋


原発では事故があるたびに安全費用の追加が繰り返され、原発の単価はますます高くなっている。

その原因は、放射能という毒物が科学技術では消滅できないからである。

そこで、この放射能毒物の閉じ込めだけで対策することになる。


しかし、放射能はこの閉じ込めもすり抜けて、漏れ出してしまう

そこでまた別の閉じ込め作業の追加が必要となる。

これの繰り返しで、原発の費用は増えていく。

これが、原発の費用が火力の費用よりも高くなる理由である。


放射能は、もはや科学技術の手に負えないことを認めなければならない

原発で儲けようとして裏目に出て、損ばかり増えることになった。

経済学は、この原発の現状を認め、対策不可能な放射能を生み出す原発を廃止する側に立たなければならない。


ところが、それを許さない勢力が存在する。


原発でメシを食っている人たちである。


この人たちは直接電力会社に雇われている訳ではない。

下請けの下請けの…という形になっていて、多くの企業が原発にたかっている。

この連中が、原発停止では職を失うと騒いでいて、これだけの被害があったのに、一部の町長や町会議員に原発再開を言わせているのである


【事故原発の現状説明もウソだらけ】


から抜粋


ところで、この東電は、安全対策の手抜きをごまかすために、原子力・保安院とともに話題をすり替えてきた。

たとえば「炉心溶融」がそれで、マスコミはまんまとひっかかった。

炉心溶融(メルトダウン)とは、融点2800℃の酸化ウラン燃料が溶融することを言う。


スリーマイル島原発のように、完全な空焚きになればそのような事態になるが、福島事故では、原子炉の底には水があり、燃料を支えている構造材の鉄(融点1500℃程度)が溶けて、燃料と共に水中に崩れ落ちて冷えたと考えられる。

構造材の融解はウラン燃料そのものの溶融ではないから炉心溶融ではない。


それから、4つの原子炉建屋ですべて水素爆発したことになっている。

しかし、水素爆発は1号機だけで、2号機は爆発そのものがなかった。

3号機では1986年のチェルノブイリ型爆発である。

水素爆発では黒い煙にはならないし、プルトニウム241(半減期13年)が環境に飛び散ることもない。

4号機は蓋の開いた原子炉から水蒸気が激しく噴き上げ、それが8月になっても続いていたから、1999年のJCOの臨界事故と同様の核暴走があったと考えられる。

この原子炉には燃料が入っていないとされているが、ウソらしい。


【放射性廃棄物はどのようにするのか】


から抜粋


原発推進の経済学者たちは、放射性廃棄物の問題に口を閉ざしてきた。

それにもかかわらず、彼らは、今でも、原発で電気を得て、経済成長しようと叫んでいる。

私は、放射性廃棄物の問題について、子孫に対する4つの犯罪を整理した。


①処理・処分の困難な毒物を製造する行為、

②毒物を取り扱い困難にする行為、

③人間集団の遺伝情報を狂わせる行為、

④子孫に毒物管理を強制する行為

(『エネルギーと環境 原発安楽死のすすめ』1993年、183ページ)。

けれども、原発推進の経済学者たちを反省させるには、私の力は足りなかった。


槌田先生の指摘が正しいとすると


今まで大手既成メディアで


報道されていることとは


違和感があるなあ、という実感。


福島原発事故以前から、槌田先生は警鐘が


無視され続けている現状。


権力は自分たちでは手を下さずに


自粛警察と化している人々が動いている


いびつな構造。


なんかテーマが同じだからか


池田清彦先生に似てきてしまったな。


(どこがだよ!)


何を支持するのが良いのか、は


自分で調べてより正確な”知識”に裏付けされた


”考え”なのだろうと思った久々の日曜早朝読書


梅茶をすすりながらそろそろ朝食をとり


風呂とトイレ掃除しないと。


先週サボっておりますから。


 


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