2冊の柴谷先生の書から”エチケット”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
- 作者: 柴谷 篤弘
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1973/01/01
- メディア: ペーパーバック
1968年の大学闘争いらい、科学とは何か、研究とは何か、という問いかけは切実な課題となっている。
西欧でも学園は荒れ、科学と技術のもつ本質的な意味の再吟味が呼びかけられた。
これは一方において主としてアメリカにおける科学の進歩と表裏一体をなす、軍事研究の意味が、ベトナム反戦の運動の中において問いただされたことによるが、また他方、公害・環境破壊との関連のもとに、多くの科学者を問題の本質の再吟味へと駆り立てたことにも大きな動機があった。
さらにはここ10年余りの、分子生物学を先鋒とする生物科学の急速な進歩、その根源的な問いには、拍車がかけられた。
すでに10年以上も前に、著者は「生物学の革命」で問題を先取りし、大胆にして啓示に富む呼びかけを行っているが、1966年来、海外にあって、日本および世界における社会の激動に対して著者はさらに眼を研ぎ澄まし、広いパースペクティブに立って、一層広くかつ深くその考察を推し進めたのが本書である。
目次を拝見すると、柴谷先生のベースである
”科学”が一般で流布している
”科学”とは異なり、その差異や同一性が
なんとなくですみませんが、若干、わかる。
”社会”とか”差別”とかを指摘されているのは
こういうことなのか、がわかる書のようで。
その柴谷先生のこの書、1973年ごろでございますが
この時点では考えが及ばなかった点があったと
約20年後の対談で仰っておられる。
科学と反科学のジキルとハイド
より抜粋
槌田▼
科学論なんですけれども、『反科学論』、これは本にも「反科学論」と書かれていて、非常にややこしい名前です。
柴谷▼
それはね、この間大学で講義をしたばっかし(笑)。
全共闘がいろんな動きをした1968、9年の頃に、あれは1968年5月にフランスでも起こりましたし、中国の文化大革命もあったし、アメリカ合衆国はそれより数年前から動いておりましたから、世界的にあの時にあったわけで、その時に「カウンターカルチャー」、「対抗文化」というのがアメリカで流行ったわけね。
「反」がなんとなく流行っていて、「反演劇」なんてのが出ていたんです、「アンチシアター」って。
それで私は科学を今までとは違う面から見ようと思ってまず考えたのは、「反科学」という日本語、あるいは「アンチサイエンス」というものを考えたわけね。
これは概念としてのアンチサイエンスと、実体としてのアンチサイエンスと二通りあるだろうと。
アンチサイエンスの概念としては科学のすべてを否定するような、精神的あるいは社会的な動きである。
もう一つのアンチサイエンスというのは実体であるから、科学とは似て非なる、オルタナティヴなものであるだろうと。
知の体系としての反科学というものがあるだろうと漠然と思って、できればこの両方をやらねばならないというふうに思って、「反科学論」という題で『みすず』に連載した。
71年から連載して73年にいよいよ本にするという時に
何か一つ抜けているなと思った。
どうしても思いつかないけれど、夢かお告げか知らないけれど、もうひとつ意味があるという気がする。
だけれど「反科学論」という題にもうひとつ意味が出てこないんです。
あるはずなのに出てこないんです。
それで概念及び実体としてのアンチサイエンスというので「反科学論」というふうに書いて、実体としてのアンチサイエンスを求めましょうという論旨で通した。
科学の批判をしながらもうひとつの科学を見つけようというかたちで通して出したわけなんですが、それが73年で、それからしばらくすると「反発達論」とか「反建築論」とか、「反日本語論」とかいろいろ亜流が出だしたんで、これはおれのが一番先だなと思っていたら、多分蓮實重彦さんが若い時に書いた本だと思うんですが『反=日本語論』というのがあって、それは「反」の下にハイフンがついているわけね。
「反日本語」というのは当然変なんですから、あれは当然今までの日本語論に対する「反」だということで、それを見た途端に、「あっ、これが自分が思いながらどうしても探り当てられなかったあれだ」というのがわかったわけ。
それが実は『反科学論』を出してから数年後のことです。
もはや後の祭りなわけですね。
槌田▼
僕なんかも「お前は反科学だ」ってやられて説明に困り果てたことがあるわけです。
だから迷惑なことを言ってくささる人がいるのだなと。
柴谷▼
迷惑を?「反科学論」で。
槌田▼
「反科学論」で迷惑というんじゃなくて、「反科学」という言葉が定着してしまいました。
柴谷▼
それは私のせいだけではなくてね、アンチサイエンスというのは英語でずっと定着したんですね。
槌田▼
英語ではそうかもしれませんけど日本語で。
しかもそれは「反科学」という意味が「非科学」とは違うといっても、「非科学」の意味で「反科学」を使って定着させた。
柴谷▼
そうですね。
私は「非科学」のつもりで言ったことはないつもりですけれど、読まないで名前だけで判断する人がいますから、そのワナにかかったといえば、そうなんでしょうね。
これは本来は「反=科学論」の意味なんだということを言ったはずなんですが、数年遅れたんです。
槌田▼
僕に対して「非科学」という時には、「非科学」は必ずしも文字どおりの「非科学」ではなくて、科学者としてのエチケットがないという意味の「非科学」でくるわけですね。
それがなかなか耐えられなかった。
柴谷▼
たとえば科学の世界に、論文をもとにして科学者の業績を判断する傾向があります。
しかし人々のために論文を経ずに貢献する道もあるべきである、と書いた。
しかし、このように『反科学論』を書いていろいろやっているけど、この業績さえも科学者社会というか学者社会というか、アカデミーの中で自身の業績として立身出世のために使われるようになれば、それは世も末であるとどこかで書いたと思うんです。
それがどうしても出てこない。
ところが実際にオーストラリアで昇進したんです。
CSIRO(オーストラリア連邦科学産業研究機構)で、その時は「対社会関係の論文も全部考慮に入れるから全部書いてだせ」というので全部業績の中に入れたんです。
こういうのは非常にユニークで、私が初めてだったらしい。
オーストラリアでは、こういうことも科学者の業績に含まれて、昇進させるべきだという、
驚くべきことですけれどね。
ですから「エチケット」に反していてもいいんだと考えた。
もう一つは私は科学を職にしてオーストラリアで給料をもらって、今はエクスチェンジ・レートが低いけれどその時は高かったから、高給をはんでいて生活は全然不安定でなかった。
もちろん英語でも『反科学論』を書いたけれども、日本人の目につかないから、主に日本語で書きますね。
そうするとたとえば槌田さんがエチケットに反する、非科学的だとか、アタックされたようなことは、私にもありましたが、こたえないわけね。
科学者の中でも無意味な”因習”のような
ものがあるのか、とそれこそ”科学”的では
ないなあと、ちと残念な気もするが。
”科学者”の前に”日本の”、っていう
枕詞がつくのだろうな、この文脈だと。
柴谷先生は元からですが、槌田先生の
言説もなかなかに興味ふかく、共同体から
弾かれているアウトローっぽさが特に。
ところで”エチケット”という表現が
面白いなと思い、インターネット黎明期
”ネチケット”なんてのもあったな、なぞと
趣旨と全く異なるところに目がいく
相変わらずな自分の視座または理解の
ずれっぷりに著者さんたちへの非礼を
詫びるすべもない浅学非才な読書からの
読解力を夜勤に向かうバスの中で
行った次第でございましたことを
ここに謹んでご報告させていただく所存です。