柴谷篤弘先生の2冊から”差別論”の変遷を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
- 作者: 柴谷 篤弘
- 出版社/メーカー: 明石書店
- 発売日: 1989/10/01
- メディア: 単行本
から抜粋
天皇制をはじめ、いろいろな社会の制度、あるいは疑制度に対する反対運動が、目につくようになってきた。
私はいま外国にいて、この種の話を外国語で論ぜねばならない。
そのときには、天皇制反対のことを言うには、アンチ・モナーキストといった表現をとっている。
モナークはすなわち君主、王者である。
こういった国際的な表現をとると、ただちに、それではレパプリカン、共和主義なのか?ということになってくる。
日本の天皇制反対論には、反対・批判はあるが、それでは、どういう対策があるのか、という点について、はっきりと出されなかった。
昭和天皇がなくなって、はじめて、新しい憲法草案などを試みる人々もではじめたようだ。
私なりの結論を手短かにいうならば、ともすれば絶望的な無力感にとらわれがちな、世のなかで「おちこぼれ」を強制されてきた人々、単に被差別部落の人々だけに限らず、登校拒否、帰国子女といわれる人々をふくめ、その人たちが加わって、生活し、動いてゆくための受け皿を、どのようにしてつくりだしてゆくか、を考えてみたいのである。
私自身、一種のおちこぼれであることは、すくなくとも本人にとっては、ずっといつもはっきりしていた。
それで、いまでもどうかして科学者の権力構造の世界にまぎれこむと、人々が私にたいして好意的にいってくれる紹介の文句は、「分子生物学の草分け」というものである。
いわば私の昔のことで、今はもうなんでもない、つまりは権力コースからのおちこぼれであることを、はっきりいったものだ。
この状況はもう20年ちかく続いている。
ところが、1988年にそれまで勤めていた大学を定年退職して、ベルリンにやってくるまで、半年のあいだフリーでいた。
その時に、ジャーナリズムでの用語をみならって、「フリーランスの科学者」という表現をおもいついて、それを使うことにした。
ベルリンに来てみると、そんなことが、おもいがけず新鮮にひびくらしいことに、気づくようになった。
「いかにもラジカルな表現だ」、と若い科学者からおだてられさえした。
いってみれば、毎日いい調子で暮らしているような私ではあるが、それなりに、おちこぼれには徹するようにこころがけているわけで、それは、はたで見ていれば、すぐそれとわかるようである。
そういう立場で、ひとつ民間のおちこぼれグループ、NGO連合の理論を考えてみようということで、この本を書いたわけである。
1 差別への私の関心の由来
1 生物学をやりながらから抜粋
1989年なかばの日本で、反差別、とくにいわゆる「部落差別」の問題について、いわば専門外の私が意見を出そうとしている。
それには二つの理由がある。
第一に、現在日本が、経済大国として成功しているということがある。
その理由の一つは、国民の等質性なり、人々の間の「和」であるともいいなされる。
その時に、いわれのない差別(例えば「部落」差別)をなくし、「同和」の理想を達成するということはなんなのか、それを問題にしたい。
第二に、いわゆる「部落」差別と、そのほかのいろいろの差別とのあいだの、相互に織りなされる関係のからみ合いについて、色々と考えてみたい。
どうして、生物学をやっている私が、このような問題に自分を巻き込んでゆくのか。
その理由は、それなりに長い。
そういう生物学のこまかいことは、どちらでもいい。
要は、私はいつも自分を少数派として規定するように、自分自身を追い込んできた。
それが「好き」なのだ、といわれればしかたがない。
もう一つの動機は、私がオーストラリアにいて、いわゆる多元主義というものに、身近に触れたことと関係しているだろう。
それとともに1969年頃からずっとやってきた科学批判のいとなみを通じて、いわゆるリバータリアン・ソシアリズムという政治的な信条に、自然とはいりこみ、それにもとづいて、かってに自分では「ネオ・アナーキズム」と僭称している考え方を築こうとしてきたこととも関係があるようだ。
エピローグから抜粋
これは私が1985年にオーストラリアから日本に帰ってきて、はじめて自分で書いた本である。
それは1984年に出したものから、実に5年ぶりの仕事であった。
この本はまた、私にとってはじめて、ワープロにとり、あるいはじかにワープロに打ち込んで、仕上げたものである。
当然、文体その他にいろいろな影響が出たと思われる。
それに、3月に大学をやめて、10月にはベルリンの研究所にうつる予定であったので、実はあまり時間がなかった。
書名の『反差別論』は、私の前著『反科学論』とおなじく、”反差別 - 論”と”反 - 差別論”の二重の意味を含ませた。
後者はもちろん、「差別論」を新しい観点から再編成しようという意図をこめた表現である。
1989年7月 ベルリン出発・帰国を前にして
すごく読みずらかった。申し訳ございません。
この10年くらい後に出版された以下の書の方が
言葉が今と同じようなフィーリングもしたし
柴谷先生もパコソンと脳と手が
ひとつになったかのようなわかりやすさだった。
もしかして時流も味方したのかもしれない。
比較サベツ論 (明石ライブラリー) (明石ライブラリー 3)
- 作者: 柴谷 篤弘
- 出版社/メーカー: 明石書店
- 発売日: 1998/01/30
- メディア: 単行本
1 表現者の責任 から抜粋
1989年に明石書店から『反差別論』を出したあと、私はいくども、生物学者として「差別」の問題に興味を持ったのはなぜか、ということをたずねられた。
そのことを一応、そのあとで同じ出版社から出した『科学批判から差別批判へ』(1991)という本で説明した。
その本の中で、私が生物学者のなかの少数者として「構造主義生物学」を提唱した、という歴史的事実と、私の「反サベツ論者」としてのいとなみを、順列・並列にむすびあわせてみた。
しかしそのあと、1996年になって、私が構造主義にかかわりあうよりもずっと以前に、生物学の学生・新卒業生として、研究生活に向かってからのことを、「ある分子生物学者の回想録」というかたちで朝日新聞者から出版することができた。
題して『われわれにとって革命とは何か』。
ただしこの本では、書名の示す主題のせいぜい前半あるいは三分の一くらいまでしか書くことができなかった。
この段階で、私がここで新しいサベツ論の本を書き始めるにあたり、もう一度私がなぜサベツの問題に関心を持つようになったかを書くことから始めよう。
ただし『われわれにとって革命とは何か』のあとがきで、私は、回想録というのは要するに自己正当化でしかない、ということを自戒として書き込んだ。
だからここで、私の反サベツ理論への踏み込みをうながした世俗的な経過については書きとめることができても、無意識をふくむ内面の問題にまでふみこんで書くための心の準備は、これを書き始めている現在まだ完了していないようだ。
終わりの章から抜粋
サベツを受けるものは、少数者とは限らない。
権力関係における弱者が、多数であれ、少数であれ、サベツを受ける。
伝統的な人類諸文化の少なくとも大部分から近代人類文明までを貫通して、女性サベツを具現化させてきた権力の構造。
権力を持つものは、世界の人々を二種類に分けて、その区別の境界の内と外を区別するのに、自分の利益を標準にして線引きをしていた。
その線の内側にいるものが「まとも」で、外側にいるものは「まともでない」か、せいぜい二級品にとどまる、とされた。
このようにして、男性=人間の社会から女性がまず排除された。
その支配のもとで確立された強制的異性愛原理から、同性愛そのほかの性的指向における少数者や、性労働者が線の外に排除された。
このようにして確立された「性別二元論」による区分と、それに直角に交わる異性愛/同性愛区分の両方に対して、さらに横断的に、「クィア」あるいは「周辺問題」として、国家・社会や民族の生産性にはほとんど関わらない少数者・弱者がいる。
老人の性、子どもの性、S/M、性の同一性障碍などは、こうして線の外側に追いやられた。
これらは、財貨と性的身体の生産性を性支配原理によって管理する上での、避けられない「不純な付随物」として生ずる。
これらの不純物に身をもって関わることは、性労働や性産業に従事することとともに、「健全な」社会と文化のなかで倫理的に問題があり、人間の品性としても「下劣」「低位」なものとして、汚名を着せられることになった。
しかしこのようにして、社会への抵抗の原理が発見されることを、これまでの分析は少しづつ明らかにしてきた。
このようなたたかいにおける被サベツ集団は、障碍者集団をふくめて、「社会の生産・再生産の管理体系の中でのサベツの対象」として、ひとまとめにすることができる、と思われる。
現代におけるサベツの問題は、なによりもまず、すべてのサベツされている集団について、なぜ社会にサベツが起こるのかを明らかにする努力を、一層強めてゆかねばならぬ。
柴谷先生のこの指摘はかなり早いと感じた。
構造主義生物学を研究されていると
サベツの無意味さを痛感されていたのかな
と思ったりもさせていただきましたり。
それにしてもただいま現在も、政治の世界など、
喧々諤々やってますよな、古い価値観側からの
ポロッとしたものなど。時代遅れなのだろうな。
とはいえ、自分も新しい価値観です、
と言えるほど、現代人をやっているわけではなく
昭和人であるなあと実感することしきり、
そのあと勉強してみたりして、納得したり。
今を生きるわれわれにとって「サベツ」は
あまり馴染みないことと思いきや実は
昔と形を変えて生き延びているような気も
時折する夜勤前のバスでの読書でしたが
シビアな内容すぎてなかなか進まなかったことを
ご報告させていただきます。