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養老先生の共同監訳から”起源ORIGINS”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]


起源をたずねて (The Darwin College Lectures)

起源をたずねて (The Darwin College Lectures)

  • 出版社/メーカー: 産業図書
  • 発売日: 1993/10/01
  • メディア: 単行本


この書へのきっかけも前回同様


訳者である養老先生なのですが


監訳ということで直接翻訳されているのはなかった。


あとがきも、共同監訳である村上陽一郎先生のものなのか


養老先生のものなのか無記名のためわからないのだけど


読んだ感じ養老先生ではないかと睨んでおります。


村上先生のは読んだことがないのでわからないけれど


今後読んでみたいテーマをいただくことができた。


監訳者あとがき から


起源とはつまり「そもそもの始まり」であり、聖書や神話が天地創造がはじまるのは、よく知られたことである。

恋物語なら、そもそものなれそめから始まる。

人はだれでも、なにについてであれ、そもそもの始まりを知りたいらしいのである。


ときどき思うのだが、日本では、諸物の起源を論じるより、しばしば「きまり」が優先するように思われる。

この国では、ものごとは、だいたいそうするものだ、と決まっているのである。

どうしてそうなのか、と尋ねても、はかばかしい答えが返ってこない。

起源とは、結局は前提をとことんまで詰めたところであると思えるのだが、そういう詰め方は歓迎されない社会らしい。

学問までがそれでは、困るような気がする。

その意味では、この書物は、この国に紹介されるべき書物なのである。


本書はケンブリッジ大学のダーウィン・コリッジで行われた、起源に関する連続講演をまとめたものである。

宇宙、太陽系、複雑さ、人間、社会行動や言語などの起源を、それぞれの分野で著名な専門家たちが語る、自然科学から人文社会科学

にわたる、広範な主題を扱うので、学生や一般の人から専門家まで、読んでみてよい本だろう。


ダーウィン・コレッジは、進化学者チャールス・ダーウィンを記念した名称であり、ダーウィンの『種の起源』がこの連続講演の主題「起源」の背景になっている。

むしろ「起源」ということばが、ただちにダーウィンを連想させるのであろう。

こういうところが、英国の学問の歴史の重みかもしれない。


本書の内容については、多言を要しないはずである。

それぞれの項は、たいへん興味深く。要領を得ていると感じられる。

こういう形で、起源について総説してくれている書物はあんがい少ない。

その意味では、参考書としても便利に使える。

それぞれの部分には執筆者の個性がよく出ており、これも、なんでも統一を好む日本風とは、やや異なった雰囲気をかもし出している。


監訳は、村上陽一郎と養老孟司とで行なった。

それぞれの部分の訳者も、それぞれの分野の専門家であり、すでに述べたように、原文がそれぞれ個性があるので、無理な統一はとっていない。

訳文はできるだけ一般の理解に向くようにつとめたが、もちろん、やさしいだけ、という内容ではない。

その意味で、なかなか読みごたえのある書物である。


とこれにて満足なのだっただけど


なんとなく本文も気になるのは目次から引かせていただきまして


[1] 宇宙の起源

 マーティン・J・リース/和田純夫訳

[2] 太陽系の起源

 デイビッド・W・ヒューズ/松井孝典訳

[3] 複雑性の起源

 イリヤ・プリゴジン/北原和夫訳

[4] 人類の起源と進化

 デイヴィッド・ピルビーム/佐倉統訳

[5] 社会行動の起源

 ジョン・メイナード・スミス/岸由二訳

[6] 社会の起源

 アーネスト・ゲルナー/村上陽一郎訳

[7] 言語の諸起源

 ジョン・ライアンズ/正高信男訳


見たことのあるお名前が何名か。


こうしてお互いの仕事を見て交流を深めておられたのかと


マニアックな読み方をするのでした。


で、本文から二つほど引かせていただくと。


[2] 太陽系の起源


Origin of the solar system


デビッド・W・ヒューズ


松井孝典訳


地球およびその他の惑星の起源についての問題は、科学の基本的な問題の一つであるが、まだ解明されていない。

そこには主として二つの困難がある。

まず、我々は初期条件を知らない


そのためその最終段階、つまり私たちが見ている太陽系は、さまざまな方法で作ることができる


二番目の困難はさらに本質的である。

我々はたったひとつの惑星系、即ち我々が住んでいる太陽系しか詳細に研究できない。

したがってこの場合統計学は何の役にも立たない。

我々の太陽系とその進化は宇宙の中では一般的ではなく、統計的にみたら普通である状態から大きくずれているということもありうる


他の考え から抜粋


月の起源はいつの時代もかなりの関心事だった。

20世紀初頭の月の起源説はやはり、回転する流体から引きちぎられた物質の凝縮という考え方で、これは潮汐説と共通している。

図2・25に典型的なシナリオを示す。

ジーンズは回転している流体の分裂は普通質量比が大体10:1になることを発見したが、不幸にも地球と月の質量比は約81:1である。

地球と火星の質量比は9:1で金星と木星のそれは15:1である。

このことは偶然ではないかもしれない。


 


図2・25のキャプションから


原始惑星は収縮するにつれて速く回転する。流体的な物体は形を変え、くびれて二つの大きな破片に分裂する。

その質量比は10:1になる傾向がある。

より小さな破片は壊れたところに残されたかもしれない。

地球と火星はこうして作られたのかもしれない。(質量比9:1)。

月は(地球質量の1/81)小さな破片の一つだったかもしれない。

(splendour of the Heavens,eds. T.E.R. Phillips and W.H.Steavenson Hutchinson,1923,p.3. )


 


図2・25とおなじものと思われる画像


図2・25の中にあるテキスト


First sphere 最初は球体

Then an egg それから卵型

Afterwards pearshape その後に洋梨型

The stalk-end breaks 茎の先が壊れる

And from the moon そして月ができる

Shape today 現在の形


[5] 社会行動の起源


ジョン・メイナード・スミス


岸由二訳


序 から抜粋


本章の初めの部分は、動物界における社会行動の起源の問題を扱う。

理論的な難点は自明であろう。

ダーウィン流の自然淘汰は個体の生存と繁殖を促すような特性にとって有利に作用するはずである。

では、個体が他個体を助ける協力的な行動はいかに説明したら良いだろうか。

自らの繁殖を犠牲にして個体が他個体を助けるような場合は、とりわけ説明が困難となろう。

しかもそんな行動は、特に社会性昆虫に顕著なように、実際に存在するのである。


ここでは過去20年の間に、主として他の研究者たちの仕事によって明らかにされてきた様相を要約しておくことにしたい。


そのあとで私は、人間と動物における社会行動のメカニズムの相違を論じたい。

その際私は、社会契約ゲームという、特殊なゲームを論ずる形で議論を進めるつもりである。

いくつかの本質的な相違がそこに凝縮されていると考えるからだ。

すなわち、言語と特殊な自意識の存在である。

ただし、社会契約ゲームは確かに動物と人間の相違を解明にするものではあるが、人間社会のモデルとしては特に十分なものというわけではない

選択可能な行動をめぐって人々に相違がある事実を、そのモデルは捨象している、というのが主な理由である。

そこで私は、そのような相違の意義を議論して、本稿を締め括ることにしたい。

人間社会を理解するための革新的な問題点は、個人が集団を構成する際の様式にあるという考え方が、私の論議の結論となろう。


オリジナルはなにか、


どこがオリジナルの発生なのかを


追求しようとすると気が遠くなるくらい


遡るのだろう。


俺が作った、というものほど、


誰かの模倣だったりするわけで。


本文の一部、主たるテーマではないけど


気になった箇所を追加で引かせていただきます。


[7] 言語の諸起源 から

 

『種の起源』の出版は1859年に出版された。

『人間の由来』と『人と動物における感情の表出』は12年そこら遅れて、1871年と1872年にそれぞれ出版された。

言語の起源(あるいは諸起源)に関するダーウィン自身の見解については後ほど言及したいと思っている。

いずれわかるように、彼は実際には起源(origin)という単数形の単語を使い、その意味では、単起源説に当然賛意を表したのであるが、また別の意味で言語が多重の(もしくは少なくとも二重の)起源を持つという見解を明白に擁護していた。


日本人の感覚からすると苦手な、単・複数の概念。


そこに重い意味があるという


書名「The origin of species」。オリジンにない「s」。


強調と主張、反抗みたいなものが現れているのか。


それにしても、ものには何らか起源があるのだろうが


それを知りたいのが人であるというのが


この書のまえがきの言説。


でもそれはそんなに大事なのだろうか、


とちゃぶ台返しのようなことを


思ってしまう自分がいます。


それにわからないこともあって然るべきのものの


一つなんじゃないか、


調べるのはいいけど、論争している時間は


もったいなくないかなみたいな。


やりたくてやっているわけじゃないのかもしれない。


戦争のようなもので。


かの大瀧詠一さんが仰っていたのだけど


この曲はこれの影響なんて簡単に言えるものはない

オリジナルを発見なんて、それにも何かの影響があるのだ

発見なんて、そういう態度が不遜だよ

歴史は長いんだもの


みたいなことを仰っていたのが


わすれられないなと思った。


大瀧詠一的2009年版


といっても、この書籍をディスっているわけでは


ございませんのでどうか悪しからず。


曇りの休日の朝、ゆっくり休み書店にでも行きたい


蒸し暑い関東地方からお届けしました。


 


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養老先生の翻訳本から”ダーウィン愛”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]


ダーウィン進化論の現在 (Questions of science)

ダーウィン進化論の現在 (Questions of science)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1994/04/26
  • メディア: 単行本

きっかけは養老先生の翻訳だったからで。

ちなみに先生の読書について


理解度がもっとも深いのは


翻訳をすることっていう随筆を


どこかで読んだことがトリガーでした。


確かにただ読んだだけよりも


労多い方が記憶に残るのだろうなと。


肝心の著者であるエルンスト・マイアーさんは


私はまったくの初見でございます。


まえがき から抜粋


現代の進化学者であれば、たえずダーウィンの業績にもどって、それを繰り返し参照することになる。

それで当然であろう。

進化思想はすべて、その根拠をダーウィンにまでさかのぼるからである。

進化論の出発点が、ダーウィンのあいまいな記述だったり、生物学の知識が当時まだ不十分だったため、ダーウィンに答えられなかった疑問だったりする。

これは、現代でもよくあることである。

ダーウィンの原著にもどるのは、単に歴史を知るという理由だけからではない

ダーウィンは、いまの進化学者をふくめて、自分の賛成者、反対者のだれよりも、ものごとをはるかに明確にしていることが多かったのである。


ある科学上の問題を分析しようとすると、ほとんど必然的に歴史の研究になってしまう。

進化生物学における多くの未解決の問題も、その例外ではない。

そうした問題の歴史を理解するには、当時の具体的な知識状況だけではなく、「時代精神」をよく認識しなければならない。

観察や実験を研究者がどう解釈するかは、「時代精神」のような、思考の大枠に依存することが多いからである。

長年にわたって私が歴史研究の主な目標としたのは、歴史上の人物が行なった理論化を基礎づけた考え方、つまり広い意味でのイデオロギー、を探求することだった。


ダーウィンに対する私の興味は、大学生時代からだった。

その興味がさらに増したのは、1959年が『種の起源』出版100周年にあたったからである。


引き続く歳月の間、私はダーウィンの思想研究に没頭した。

その成果が1982年に出た『生物学思想の成長ーー多様性・進化・遺伝』である。


このいささか技術的・専門的な論文集をドイツ語訳するために検討しているうちに、こう思いついた。

ダーウィンとダーウィニズムだけをもっぱら扱う、一巻の本があれば、思想史におけるダーウィンの役割に漠然と興味を感じている、一般の人や学生の役に立つのではないか、と。


進化という事実や、系統発生の専門的な問題に、この本はほとんど触れていない

進化理論にとって、軟体動物の祖先は体節性だったか(まず間違いなくそうだったはずだが)、体腔動物は扇形動物と祖先が同じか、四足動物は肺魚に由来するかといった問題は重要ではない。

系統発生の具体的な問題については、すでに膨大な文献がある。

かわりに私は、進化の機構、およびダーウィン以来の進化論における主要な理論と概念の歴史的発展を、もっぱら扱うことにした。


私がこの本で、考え方の基礎に注意を向けたのは、現代の基礎科学のものの見方に見られる、いささか気になる傾向を是正しようとしたからである。


科学を単に発見の連続と見なす科学者が多すぎる

さらによくないのは、科学を技術革新の踏み石にすぎないと考えることである。


科学界の内外を見ても、このヴィクトリア朝の偉人ほど現代の世界観に影響を与えた人物はいない。

われわれが繰り返しダーウィンの原著にもどるのは、この勇敢で知性的な思想家が、ヒトの起源についてだれも発したことのない深い疑問を発し、献身的で創意に満ちた科学者として、その疑問に対して、ときには世界を揺るがすような、すぐれた解答を与えたからなのである。


第7章 ダーウィニズムとはなにか


反イデオロギーというダーウィニズム から抜粋


すでに見たように、自然選択のみならず、ダーウィンのパラダイムの他の多くの側面が、19世紀中葉に支配的だった多くのイデオロギーと完全に対立した。

自然神学における特殊創造と神の設計論という信念に加えて、ダーウィンの考えにまったく対立したイデオロギーには、実在論(類型学)物理主義(還元主義)目的論があった。

こうした教条の信奉者たちは、ダーウィンの仕事にきわめて強力な対立者を見てとったので、『種の起源』で言われあるいは意味されていることで、自分たちの立場を危うくするものならなんであれ、ダーウィニズムと呼んだ。

しかしこれら三つのイデオロギーは一つずつ敗れて行き、その消滅にともなって決定論、予測可能性、進歩、生物界の完全化可能性といった思想は弱まっていった


生物進化の目的論的な面を完全に否定した副産物として、進化は一時的な偶然性に支配される歴史過程だという解釈がもちろん避けられなくなった。

これは選択が機会主義的であること、また進化にはムダな面があることを目立たせる結果になった。

そうした進化の見方は、同じく偶然に左右されるとはいえ、自然法則によって統御され、かなり厳密な予測を許す、無機界での単純な遷移的変化とはまったく異なっている。

進化の見方にやや近いのは気候システム、海流(乱流に大きく影響される)、大陸プレートの相互作用(地震や噴火をおこす)などの複雑な物理的システムを扱う場合であり、そこでは相互作用する要素の数が多いこと、統計的過程が多く含まれることが、簡単には予測を受け付けないのである


第10章 進化生物学の新しいフロンティア


今日のダーウィニズム から抜粋


ダーウィン説の最大の勝利は、1859年以降80年にわたって少数意見だった自然選択説が、今日では進化に伴う変化の一般的な説明となったことである。

それがこの地位を得たのは、打ち勝ちがたい証拠と代案の不在の両者によるもので、不在とはつまりすべての

対立する説がくつがえされたからである。

ダーウィンは自然選択の原材料としていつでも利用可能な変異がほとんど無限にあるのが当然だと考えていた。

かれはこの変異の起源については考えがなく、それ以降に否定されてしまったいくつかの遺伝学説を支持した(ソフトな遺伝、パンゲネシス、混合遺伝)。

しかし遺伝学の進歩は、自然選択説を弱めるどころか、強化し続けた。

ダーウィンは自然選択の概念化に関してことのほか狡猾だった。

かれが(A・R・ウォーレスやほとんどの同時代人よりも)明確に理解していたのは、二種類の選択があることで、一つは生存と適応の維持改良をもたらす一般的な生存可能性で、これをかれは「自然選択」と呼び、もう一つは生殖上の成功をより大きくするもので、これを「性選択」と呼んだ。


今日の進化学者がダーウィニズムと異なる点は、ほとんど強調のしかたの問題に過ぎない。

ダーウィンは選択の確率的性格に十分に気づいていたが、現代の進化学者はこれをさらに強調する。

現代進化論は偶然の機会が進化で大きな役割を果たすことを知っている。

ダーウィンは「選択はなにごとをも成し得る」とは言わなかった。

われれわも、である。

逆に、選択には強力な拘束がかけられている。

そして選択は、さまざまな理由から、驚くほどしばしば絶滅を防ぐことができない。


130年の間、否定しようとして成功しなかったことが、ダーウィニズムを極度に強化した。

同所的種形成、遺伝子型の内部での領域凝集の存否、種の完全な停滞の相対頻度、種形成の速度、中立対立遺伝子置換の意義など、なんであれこうした進化生物学内での論争は、すべてダーウィニズムの枠内で起こっている。

基本的なダーウィン主義の原則は、かつてないほどしっかりと確立されたのである。


ダーウィンに与えた影響や人物は


この方達でこの部分がポイント、


その上で科学が成し得るものは、


誤解が多いので直しました、ほらね、


のような書籍だった。


ダーウィンを深く知るには


多くの書籍を読むよりも


かなりショートカットできる気がする。


要するに「ダーウィンオタク」の


愛溢れる書籍というような。


そして、翻訳をされた養老先生のあとがきも


しびれるものだった。


訳者あとがき から抜粋


本書はエルンスト・マイアーが、自身のダーウィン研究の成果を問うとともに、いわゆるダーウィニズムがいかなるものであるかを、ダーウィン自身を中心において、歴史的に論じたものである。

とはいえ、古い話だけではなく、現在までをきちんと視野に入れている。

マイアーはハーバードの動物学の元教授で、著名な進化学者である。

本書にも登場する、「生物学的種概念」の提唱者としても、すでに著名である。


本書の原題は、『ワン・ロング・アーギュメント』すなわち『ひとつながりの長い議論』である。

この言葉自体は、ダーウィン自身が『種の起源』のなかで、『種の起源』という自分の書物を表現した言葉を、そのまま引用したものである。

この「議論」は、共通起源説を指すもので、自然選択説を指すわけではない。

ここはしばしば誤解される点であることを、マイアーは本書で明確に指摘している。


お読みになればわかると思うが、マイアーは、正統的なダーウィン主義者をもって自ら任じている。

ほとんどダーウィン一辺倒の感があり、ダーウィンは正しかったを繰り返す。

中立説に対する態度も、はじめそれに反対し、本書では、塩基の置換は「進化」というより「変化」ではないか、と頑張るところなどは、なかなか面白い。

もし「正統的なダーウィニズム」を定義しようとするなら、本書をその一つのテキストにしてよいであろう。


ダーウィニズムが数多くの批判に耐えて生き残ってきたことを、マイアーは強調する。

ダーウィニズムを育てたのは、その意味では、あらゆる種類の反ダーウィニズムでもある。

こうした思想の強さは、いわば反思想の強さに依存している。

その意味で、日本型社会の思想の「甘さ」を痛感する人もあろう。


今西進化論」を挙げるまでもなく、我が国では反ダーウィニズムの雰囲気も強い。

しかし、岸由二氏がよく述べられるように、ダーウィニズム自体に対する理解も深くない。

そういう印象がある。

これにはもちろん文化的背景がある。

しかし、その表現では、漠然としていて、なにを言ったかわからない。


思うに、マイアーの議論は、むしろ徹底的な「客観的」観点をとるために、「考えている自分が落ちる」という難点がある。

本書で言えば、たとえば種概念の項が典型である。

マイアーは唯名論的な種について、ニューギニアの住民も、現代の分類学者も、同じように種を分ける、という例を挙げる。

ゆえにそれは文化的相違ではなく、種が恣意的な単位ではないことを意味するとする。

しかし、もし脳という観点を入れるなら、ホモ・サピエンスは同じように鳥を分類する。

そういう観点があっていい。

これは当然、ヒトの認識機構の共通性の問題なのである。

さらに、種の項に、パターソンの「種の特異的な配偶者識別システム」が含まれているはずである。

マイアーは、それには「客観性が欠ける」と言うであろう。

マイアーの議論が「硬く」感じられるのは、そこに認識機構、すなわち「考えている自分」が入っていないからである。

これは古典的科学の立場の特徴であろう。


私がダーウィニズム批判をするとすれば、それがまったくの客観主義である、という点にある。

客観主義は、「考えている自分」すなわち自己の脳を無視する傾向がある。

マイアーは目的論を基本的に受け入れないが、人間も生物のうちであり、したがって脳の機能も生物の機能である以上、そこから目的論が生じてくるについては、ある生物学的必然性、つまり客観性がなくてはならない。

それをただ誤解なり誤りなりとして、生物学から抜くことはできない。

脳から言えば、われわれの脳が運動系およびそれから発展した部分を含んでいる以上、目的論的思考は抜きがたいはずなのである。

古典的な自然科学が、それを抜いて機能しようとしてきたことは間違いない。

しかし、そのこと自体が、別の欠点を生んだことも、間違いないであろう。


ダーウィニズムという枠組みは強大であり、今後もともかく生存を続けるであろう。

すでに述べたように、われわれはそれを背負って生きていかなくてはならない。

進化学では、ダーウィニズムが「正しい」とか「正しくない」とか、その種の感情が強い。

これは、この考え方が、ヒトの脳の深部、つまり辺縁系にまで影響している、よい証拠であろう。

その意味で、ダーウィニズムは、やはりイデオロギーとして機能している。

ダーウィニズム自体を客観化する立場、それは私は、脳研究からしか出てこないと考えている。

その意味で、今西「進化論」は、ダーウィニズム批判としては、間違った方向へ進んだのである。

同じ土俵に上がるなら、科学では客観性が高いほうが勝つ


今西進化論が今聞かれなくなってしまったのは


そういう要素があるのかなあ、と。


と思えばこのような記事もございまして。


2021.07.07

今西進化論はダーウィンの何を否定したのか

種の自然淘汰と個の遺伝率

更科功


難しくて理解及ばずだけど、気になるので


メモしてみた。更科先生の書は昨年末に拝読


それにしてもダーウィンというのは本当に


興味深いのだけど、不思議とご本人の書は


あまり手を伸ばせる機会がなくて


その周りの方がはるかに面白いというのは


単に自分が捻くれているからなのだろうか


という疑問を持ちつつ、それの方が


核心に近づけることもあるのだと


はなはだ勝手な論を立ててみては


そろそろ眠くなってまいりました


早番勤務の火曜日でございました。


 


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ドーキンス・グールドさんの要点と共通点を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]

ドーキンス VS グールド (ちくま学芸文庫)


ドーキンス VS グールド (ちくま学芸文庫)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2004/10/07
  • メディア: 文庫

夜勤中に少し読んでしまった。

でもてんやわんやの日だったので


チラ見程度にとどめておいたのでした。


第1章 開かれた戦端 から抜粋


進化の本質をめぐっては、ドーキンスとグールドは激しく衝突した。

「ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス」誌に掲載された二篇の有名な書評において、グールドはドーキンスの知的同盟者であるダニエル・デネットの『ダーウィンの危険な思想』を痛烈に批判した。

1997年に「エヴォリューション」誌上で、グールドとドーキンスがたがいの新書を批評しあったときは、それほど激しい調子でこそないが、決して好意的ではないやり取りが交わされた。


ドーキンスとグールドは、進化生物学における異なった知的・国家的伝統をそれぞれ代表している。

ドーキンスの博士論文の指導教官は、動物行動学の創始者のひとりであるニコ・ティンバーゲンだった。

動物行動学は、個々の行動様式の適応的な意味を解き明かすことを目的としている。

こうした背景が、ドーキンスを適応の問題に敏感にさせ、適応的な行動が系統の中でいかに進化し、個体の中でいかに発達するかに関心を抱かせている。


一方、グールドは古生物学者である。

彼の恩師は、偉大ではあったが、短気なことでも有名なジョージ・ゲイロード・シンプソンだった。

ある動物の能力と環境の要請との一致は、もし存在したとしても、化石動物の場合には現生動物ほど明瞭ではない。

化石は、その動物やそれが暮らしていた環境について、少ししか情報をもたらしてくれないからだ。


そのことを考えると、この論争の情熱は、同じ問題に取り組む競争が、異なった歴史的・学問的視点によって誇張されたものでしかないように思われがちである。

そうした見方は見当違いだと考える。

その理由を説明することが本書の目的なのだ。

ドーキンスとグールドの衝突は、両者の考えが本質的かつ重要な部分で一致しているとはいえ、進化生物学における二つの非常に異なった視点の衝突に他ならないのである。


進化理論におけるグールドとドーキンスの違いは、科学自体の評価基準の違いによって拡大されている。

その著書『虹の解体』に示されているように、ドーキンスは啓蒙主義の忠実な息子である。

われわれは、自分自身と世界についての科学的描象を受け入れるべきだ。

なぜなら、それは真実(もしくはわれわれが取りうるもっとも真実に近いアプローチ)であり、美であり、完全なものでるからだ。

そこに付け加えるべきものはなにもない、というのだ。

対照的にグールドは、科学が完全なものだとは考えない。

彼の見方では、起こりうる科学的発見とは別に、人文科学、歴史、さらには宗教さえもが、価値の問題ーーーわれわれがいかに生きるべきかという問題ーーーに省察をもたらしてくれる。


科学が、世界に対する同じくらい有効な多数の見方のひとつにすぎないとまでは、グールドは考えていない。

しかし、科学的視点に社会がもたらす影響については何度も言及している。

科学の権威は、確かに世界についての客観的な証拠に裏付けられている。

しかしそれは、多くの場合、ゆっくりと、不完全に、その時代の支配的なイデオロギーに束縛されたかたちでなされているというのだ。

一言で言えば、ドーキンスは、科学こそ啓蒙と理性の唯一無二の旗手だと考えているが、グールドはそう考えていない、ということだ。


似ているところのあるやつは、なんか気に食わない


と言ったのは三島由紀夫さんが言った言葉で


よく三島vs太宰治のような構図も言われますが


それに近いものなのかも。


訳者あとがき から抜粋


ドーキンスが「利己的な遺伝子」や「ミーム」「延長された表現型」といった刺激的なキャッチフレーズ次々と作り出してみせれば、グールドは大リーグにおける四割打者の絶滅を、生物の進化パターンから説明する離れ業をやってのける。


しかしわれわれ読者は、『利己的な遺伝子』や『ワンダフル・ライフ』を夢中になって読みながらも、ともするとその華麗なレトリックに目を奪われてしまいがちだ。

遺伝子が「利己的」だとドーキンスがいい、進化が「偶発的」だとグールドがいうとき、その表現だけが一人歩きしてしまうのである。

ドーキンスの「利己的な遺伝子」というアイデアが、人間の行動をまことしやかに説明するトンデモ理論の根拠とされたり、グールドの断続平衡説が、まるで一夜のうちにまったく新しい生物が出現するという理論だと誤解されてしまうのも、そのあたりに原因があるのではなかろうか。


では実際には、グールドとドーキンスはどの点でどう対立し、どの点で意見が一致しているのか。

この二人の間の「論争」とは何だったのか。

この疑問にこれ以上ないほど明快に答えてくれるのが、本書『ドーキンスvsグールド』である。


著者キム・ステルレルニーは、デイヴィッド・ハルやマイケル・ルースなどと並んで、生物学の哲学における指導的な研究者のひとりだ。


二人の主張を極めて簡潔に要約し、対立点を明確に浮かび上がらせてみせる。

さらに、この論争が現在の生物学においてどういう意味を持っているのか、E・O・ウィルソンやジョン・メイナード・スミスといった著名な生物学者たちがどんな立場にあるのかを、ダニエル・デネットら哲学者の見解までも取り込んで、鳥瞰図として描き出してくれる。


ステレルニーは、自分の考え方はグールドよりドーキンスよりに近いと認めてはいるが、グールドの主張に対しても、評価すべき部分は公正に評価している。

ドーキンスとグールドの論争には、人間的・感情的・政治的な要素も存在するが、できるだけ理論的・科学的な対立点に的を絞り、客観的な姿勢を堅持したところに、本書の最大の長所があるような気がする。


グールドやドーキンスの愛読者はもちろんのこと、進化や生物学に関心を抱くあらゆる人にとって、本書は格好の道案内になってくれるだろう。

本書を読むことで、『利己的な遺伝子』や『ワンダフル・ライフ』がより面白く読めるようになることは保証していい。

なお、本書があえて触れなかった人間的・政治的な対立については、ジャーナリストのアンドリュー・ブラウンが『ダーウィン・ウォーズ』で比較的詳しく書いているので、本書と併せて読むことをお勧めする。


やっぱり、生物学の知識、知性がないと


書けないよなこの種の本は。


キムさんは、この頃はニュージーランドの


大学で哲学の先生もしているらしく


そういった領域に精通していないと


書けない深さだと窺わせるな。


解説 自然界の驚異に魅了される歓び


新妻昭夫


「学派」ではなく本人を比較する意義 から抜粋


本書の読者には、まずはステレルニーが丁寧に整理してくれたドーキンスとグールドの対立点、および両者の弱点や欠点を理解し、そのうえで二人のそれぞれの本に立ち返って再読することをお勧めする。

私の読後感を書かせてもらえば、ドーキンスへの偏見がかなり解消したらしく、以前は読みづらかった本がずっと読みやすくなった。


ドーキンスとグールドが誤解される理由 から抜粋


ドーキンスへの私の偏見には、多分二つの原因があった。

ひとつは『フラミンゴの微笑』の訳者としてグールドへの身びいきである。

来日した時に一度だけ会ったことがあるが、背の低いことを知って親近感を感じた(ドーキンスは写真でしか見たことがないが、理知的なハンサムであり、多分直接会ったりしたら劣等感で立ち直れなくなるだろう)。

グールドがダーウィン没後100年に書いたエッセイ「小さな動物に託された大きなテーマ」は、米国のどこかの町のスーパーで買った雑誌にたまたま掲載されていたのだが、私には目から鱗が落ちる体験であり、その影響は私をして、ダウン・ハウスのダーウィンがミミズの実験を行った場所を掘り起こさせた(グールドのエッセイは渡辺政隆・三中信宏訳『ニワトリの歯』に所収されているほか、ダーウィン『ミミズと土』に巻末解説として付されている。

私の突飛な行動については、拙著『ダーウィンのミミズの研究』を参照されたい)。


私がドーキンスを好きになれなかったもうひとつの原因は、おそらくこれが主要な原因だと思うのだが、その文体にあった。

レトリックが過ぎ、わざと誤解されるように書いているのではとさえ考えていたこともある。

そう感じてしまった原因の少なくとも一部は、誤解や表層的な理解にもとづいてドーキンスを焼きなおした、売らんがためとしか思えない本が周囲に目立っていたことにもある。


グールドが誤解をまねくレトリックのいちばんの原因は、少なくともこのエッセイ(『ダ・ヴィンチの二枚貝』)に限れば、第二次世界大戦中のナチスの蛮行が念頭にこびりついてのことだろう、と私は理解したい(じっさいこのエッセイでもこの問題が論じられている)。

グールドは機会あるごとに「ユダヤ人の不可知論者」と自称している。

それを考慮すれば、本書でステルレニーが整理してくれたように、グールドがドーキンスに徹底して反論しているのが遺伝的決定論であり、グールドがもっとも熱心に主張しているのが歴史の偶発性であることがもっとよく理解できるのではないか。

ナチスの優生学は遺伝学と進化論という科学の産物だったのであり、ゲルマン民族による地上の支配と劣等民族であるユダヤ人の殲滅は歴史的な必然だと考えられていた。

科学も時代に制約されているというグールドの主張の核心は、この歴史上の事実と無縁と考える方が無理だろう。


ドーキンスとグールドの分岐点と、それ以上に大切な共通点 から抜粋


ドーキンスは『悪魔に仕える牧師』の一章をグールドに捧げ、その前書きの冒頭では

「私たちは出会ったときは心を許しあうが、だからといって、二人が親密だったと思わせるのは正直とはいえないだろう」

といいつつ、「共通の敵に対したとき」の二人の協調関係について、グールドの言葉を引用しているーーー

「ダーウィン主義的な進化を受け入れることを(明白に敵対していなくとも)ためらっている大衆を啓発し、進化論的な生命感の美しさと力を説明するための、この重要で困難な戦いにおいて、私は、リチャード・ドーキンスと共通の営みに向け手を携えて、協調しあっていると感じている」。


この章に収録された五篇の最後は、創造論者とくに「インテリジェント・デザイン理論家」と呼ばれる一派に対決する姿勢を表明する連名の公開書簡の草稿と、この書簡のためにやりとりされた電子メールである。

メールの交換は2001年暮れまで続けられ、数ヶ月の中断の後に届いたのはグールドの訃報であった)。


しかし、二人のあいだで共通していたのが敵=創造論だけだったと考えるのは早計である。

この前書きの末尾をドーキンスは次のように結ぶーーー

「多くの点で私たちは意見を異にしたが、自然界の驚異に魅了される歓び、そしてそのような脅威こそ、まさしく純粋に自然科学的な説明に値するという熱い確信を含めて、共通するところも多かった」。

そう、読者が二人の書いた本に魅了されるのは、まさにこの点に尽きるだろう。

自然界の驚異に目を見張る素朴な「センス・オブ・ワンダー」の愉悦はもちろん、ドーキンスの本では進化の神秘を自己複製子にまで徹底的に還元して説明するという、グールドの本では数億年単位の歴史に天体の楕円軌道にも似た壮大なパターンを見出すという、いずれもきわめて質の高い歓喜を味わうことができる。

これこそがドーキンスとグールドが多数の読者を惹きつけている理由であろう。


この邦訳によって日本での読者も増えるだろう。


また以前から二人の本を愛読していながら、両者のあいだの論争という雑音に惑わされていた人々は、本書で頭を整理し、二人の本をこれまで以上に楽しく再読することができるようになるだろう。


新妻さんの解説でわかったのだけど


ドーキンスとグールドの論だけ抽出しての


比較論はなかなか成立していなかった


画期的なことだと。


それだけ、二人の論説が社会現象を巻き起こし


一派、を形成してしまって誤解を


与えてしまったが故のある意味不幸な


ことだったのだなあと。


二人の出会いも不幸だったとも書かれてて


興味深いけれどもゴシップっぽくなりそうなので


一旦引っ込めました。


前にも投稿したけど、ウィルソン教授の教壇に


異なる言論の生徒がやってきて


コップ水掛け事件にも同じ教室にいたと。


教授派閥の違い、イデオロギーにも


翻弄されたかのよう。


欧米でもそんな派閥みたいのがあるんすなあ。


そういう時代でもあったのかもしれない。


本に話を戻しまして


全体的に難しい本で、それもそのはず


グールドさん一冊しか読んでない


それもあまり理解できてないからなので


仕方ないのだけど、わかりにくく高次レベルで


わかっている人はあまりいなそうだってのに


気がつき変な勇気が湧いてきた。


再読して楽しむこともあるだろうなあと


ただいま現在、貴重な日曜休みの早朝


風呂とトイレ掃除しないと。


その前に朝ごはん、お腹空きました。


 


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往復随筆②多田富雄・柳澤桂子先生が語る”文化”や”生”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]

露の身ながら 往復書簡 いのちへの対話 (集英社文庫)


露の身ながら 往復書簡 いのちへの対話 (集英社文庫)

  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2008/08/21
  • メディア: 文庫

 


表4の説明から

突然の脳梗塞で、声を失い右半身付随となった免疫学者・多田富雄と、原因不明の難病の末、安楽死を考えた遺伝学者・柳澤桂子

二人の生命科学者が闘病の中、科学の枠を超えて語り合う珠玉の書簡集。


人類はDNAとも違う何ものかに導かれて文化を創り出している から抜粋


多田富雄


いい音楽を聴くと、脳からアルファ波が出るという事実は、どんな意味があるのでしょうか。

それが脳にとって心地よい刺激によるのであろうことは分かりますが、眠くなっても出る。

音楽を聴いて感動したり、精神が高められたりするのと、どう関係するのでしょうか。

アルファー波で芸術の感動が計れるならば、電気的に脳を刺激してもアルファー波を発生させることができるはずですが、それでコンサートに行った経験と等価になるはずはありません。

利根川進さんは、いずれは芸術の感動の仕組みまで脳の研究で分かるだろうと、胸を張って言っていましたが…。


文化が脳の発達の結果生まれたのは確かです。

でも文化の多様性や質までが、DNAで決められているように分子生物学が主張するのはどうでしょうか。

『利己的な遺伝子』を書いたドーキンスは、遺伝子のほかに「ミーム(模伝子)」というものを想定しましたね。

彼も遺伝子DNAから自由になった、文化の独自性に注目したのです。

ミームが伝えられることによって、文化現象の伝承性を説明しようとしたのです。


「ミーム」はもともと模倣する因子という意味です。

あらゆる芸術表現の基本は「ミメーシス」であるといっています。

こちらも模倣、写生という意味です。

遺伝子からは独立して伝えられる性質。

それが文化です。

模倣したり写生したりする技法が文化の一部だったら、積み重ねや、蓄積があると考えられます。


文化には模倣のほかに、大切な属性があります

それは「創造する」という性質です。

DNAにも「複製」のほかに、多様性を創出していくという、いわば「創造性」がありますが、それで文化の発展を説明することができるでしょうか。

遺伝子の多様性はランダムですが文化は自由意志によって創り出される。

どうやら私たち人類は、DNAとも違うもうひとつの何ものかに導かれて、文化を創り出していると思われます。

それが何なのかは分からない。

ミームに相当する、人間になってから生まれた想像と模倣の能力です。

獲得形質の遺伝に似たやり方で文化を伝承しているのです。


この夏は柳澤さんにとってはことのほか耐え難い夏だったと思います。

シャイ・ドレーガー症候群が、地球温暖化を思わせる不快な気候によって、どんな症状をもたらすかはお察しするだけですが、弱気を起こさず乗り越えてください。


秋になればまたお仕事ができるのですから、急がずゆったりと、命の続く限り書くことをお続けください。

私も炎天下で、ギリシャ神話のシジフォスのように、汗を流してただ歩くだけの果てのない訓練をしています。

お返事は急ぎません。

早く体調の回復することを念じます。

もうすぐ秋ですから…。

2002年8月5日 湯島の寓居にて


「赤い」と「りんご」は、脳の中で「赤いりんご」になる から抜粋


柳澤桂子


脳は文化を生み出しました。

そして、文化はDNAからかぎりなく自由です。

けれども完全に自由ではないと私は思っています。


ドーキンスもミームについて述べているところで、

「『ミームはまったくもって遺伝子に依存しているが、遺伝子はミームとはまったく独立に存在しかつ変化しうる』というのはもちろんそのとおりである」

といって、このジョン・タイラー・ボナーの言葉を認めています。

文化はDNAから完全に自由にはなり得ないと私も思います。

それは人間が関与しているかぎり、ヒト・ゲノムの枠を超えることはできないと思うのですが、いかがでしょうか。


先生の御一族には詩人がたくさんいらっしゃるのですね。


詩といえば、イタリアのシルヴァーノ・アリエティという人が書いているのですが、聾唖者のつくった詩には詩のリズムがあるし、韻を踏んでいることさえあるということです。

私はこれを読んで、なぜかとても感動し、脳というものの奥深さを思いました。


ハーバード大学の進化学者レウォンティンが1995年に

「生物の環境というのは、その生物が解決しなければならない問題として発見するものではなく、その問題をつくることにその生物自身が関わっている。環境のないところに生物はなく、生物のないところに環境はないのである」

と書いていて、この言葉がとても印象深かったのです。


考えてみれば当たり前のことなのですが、ダーウィンは、はっきりと環境と生物を分けて考えていました

生物と環境、あるいは生物と生物の相互作用で環境がつくられるという考えではありませんでした。


今週の「ネイチャー」を見ていましたら、「生態−発生学」というのが出ていて、驚きました。

先生もご存知のように、発生学も進化学も、進化−発生学という視点から研究することによって、おたがいに進展しました。

今度は生態−発生学だというのです。

発生の情報というのは、生態系と遺伝子の相互作用の結果として生まれるのだというのです。

このような視点に立つことによって、種や亜種のレベルで進化を説明できるとのことです。

面白い例が出ています。

ハワイのイカでは、発光バクテリアである”ヴィブリオ・フィスケリ”がイカの胚の正常な器官の発生を誘導するのだそうです。

その結果、イカの体の下部が光るようになります。

イカの体の下部が光ると、天敵の生物が下から見たときに、イカの体が暗くて見えないので、襲われずに済むのだそうです。


細菌がイカの未成熟な個体に感染すると、その胚は四日間のあいだに細菌によって誘導された遺伝子の働きで細胞死と細胞浮腫を起こします。

これによって、イカの中に発光器官が作られます。

けれども、この細菌の感染を受けないイカの胚ではこのようなことは起こりません。

イカの胚は、細菌にとってよい住処なのですが、そのことを隠すために、イカの胚は他の細菌には感染しないようになっています。


ハワイ大学のマクフォル・ナガイは発光しない”ヴィブリオ・フィスケリ”の突然変異体を二種類作りました。

この突然変異した細菌は両方ともイカの中に発光器官を誘導することができませんでした。

発光器官をつくるというイカの正常な発生が細菌によって支配されているのです。


このような研究は、生物は先天的にどれくらい融通がきくものなのか、可塑性を支配する遺伝子は何なのかという問いに答えてくれます。

さらにこのような研究が進めば、かたや生態学と進化学の輪が、かたや遺伝学、細胞生物学、発生学の輪が閉じられるだろうと言われています。

哺乳類の発生にも可塑性というのがあり得るのでしょうか?

IgG (免疫グロブリン)の産生の場合は可塑性とは言わないのでしょうか?


私の狭心症は、はじめに思ったほど簡単にコントロールできるものでもなく、この手紙を書くのもずいぶん日数がかかってしまいました。

病院に行かなくてはならないのですが、何事も時間がかかります。

じっと待たなくてはなりません。


私は病むことは待つことだと思いましたが、待つというのは我慢をすることなのですね

つまり病むことは我慢すること、その連続です。

死ぬまで我慢することーーーといってしまうとちょっと寂しいですが、その中にまた、喜びも楽しみも見つけることができます

病むことに限らず、生きることが我慢することの連続だと私などは感じますが、先生のような華やかな生涯を送られた方はどのように感じるのでしょうか。


先日夕立があったので、今日は涼しく、この夏、初めてクーラー無しで過ごしております。

自然の風は何と心地よいのでしょう。

萩がたくさん花をつけています。

先生も奥様もどうぞご無理をなさいませんように、お過ごしくださいませ。

かしこ

2002年8月17日


深すぎて自分なんぞには


まったく何も見えないお二人の対話。


多田先生の文中にあるギリシャ神話の


シジフォスについての註から。


シジフォス=ギリシャ神話シシフス、シーシュポスとも。

コリント王であり、メロぺの夫。

人間の中で最も狡猾な者として知られる。

罰としてゼウスによってタルタロスへ落とされ、大きな石を山の上へ運ぶ労役を負うこととなる。


だそうですけど、いちいちメタファが


超重量級のインテリジェンスに支えられていて


実に様になっているよなあ。


お互いが拮抗している知性や知識を


持っていないとこうはいかないよなあ。


対話が成立しない。


ってそんなところに感心してどうするよ。


それはこの書籍の主たるテーマじゃないだろうと


思いつつも浅学な我が身を恥じることなく


夜勤明けにしびれた一冊なのでした。


最初に読んだのは2−3ヶ月前だけどね。


 


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往復随筆①日高先生と篠田節子さんが語る”心”と”美学” [’23年以前の”新旧の価値観”]

人間について―往復エッセー


人間について―往復エッセー

  • 出版社/メーカー: 産経新聞ニュースサービス
  • 発売日: 2004/06/01
  • メディア: 単行本

 


日高先生と作家の篠田節子さんの


往復エッセーをまとめたもの。


巻末にお二人のリアル対談が掲載され


ものすごく興味深いのだけど紙数の都合か


短いので、もっとガッツリ掲載されたら


良いのにと思った次第。


コンプリート版みたいのがどっかにあるのか?


 


日高敏隆


からだだって「心」に関係する


ぼくが何年も前から考えてきたのは、「人間っていったいどういう動物なんだろう?」ということだ。

けれど、ついうっかりそんなことを口にすると、偉い先生からすぐ言われる

そんなことよりも、われわれ人間は何をなすべきかを考えるべきじゃないですか?

それはたしかにそうかもしれない。

今、日本でも世界でも、日常生活でも、学校でも、いろんな問題がありすぎる。

そういう問題をどうしたら良いか、しっかりまじで考えなくてはならない。


でもそのためには、われわれ人間とはいったいどういう動物なのかを知らなくてはだめだ、とぼくには思えるのだ。

すこし大げさに言えば、20世紀には人間はこの問題を抜きにして、高尚な議論を展開してきた

いわく、人間らしく生きる、人権を守れ、男女平等、平和を愛せ、環境にやさしくなどなど。

でもそのようなことが実現したとは到底思えない


ぼくは動物学者だから、ぼくが「人間とはどういう動物か?」などと言うと、たいていはすぐさまこう言われる。

人間は動物学ではわかりませんよ。だって人間には心があるし文化がありますからね」

さあ、じつはそれが問題なのだ。


人間には心がある?

それはたしかにそのとおりだ。

だけどよくわからないことある。

篠田さんも言うとおり、そもそも心なんてどこにあるのだ?

昔は、心は心臓にあると思われていた。

石器時代の洞くつ壁画のサイに真っ赤な心臓が描かれているのを見て、みんな喜んだ。

人間は、石器時代から心は心臓にあると思っていたのだと。


でもやがて、これは洞くつを訪れた観光客のいたずら書きだということがわかったそうな。

今ではこころは脳にあると考えられていて、心の「科学的研究」もさかんにおこなわれている。


でも、からだだって心に関係する

生理の時や体調が悪い時、心は落ち込んだり、少々荒れたりする。

落ち込んだ心が体調を悪くし、それがまた心を落ち込ませることもある。

そうなると、心は脳にあるなどとかんたんには言えなくなる。


「かわいいね」と言いながらネコをなでていると、ネコはうれしそうにごろごろのどを鳴らしている。

そんなときネコの心はきっと幸せなのだろう。

人間だってあまり変わりはないのではないか。

と、ぼくは考えてしまうのだ。

(10月14日)


篠田節子


殺戮への抵抗感は生き物の戦略


このところ「NO WAR」のメッセージを国連に送ろうというメールが届く(続いてチェーンメールは、相手に迷惑をかけるだけなのでやめようという警告メールが別のところから発せられる)。

若者たち(とくに女の子たち)の間で、戦争反対の声が高まり、組織化されないまでも、何かの形で態度表明しようという動きが広がっている。

国益にも複雑極まる国際政治や利害対立にも言及することはない。

差し迫った他国民の生命の危機に対して、とにかく「殺すな」という単純明快で真摯な叫びをあげる。

そこには宗教理念もイデオロギーも介在しない(メディアの影響はあるかもしれない)。

自然を愛し、他の生き物を殺し、そして同胞を殺しつつ天下を取り、支配することを目指しながら、「殺すな」という倫理観は思慮を超えた生理感覚で私たちの体内に息づいている。

いや、倫理観以前のものだ。

生理感覚といった方がいいかもしれない。


「なぜ人を殺してはいけないのか」というのは、「なぜ他の生き物を殺してはいけないのか」という問いに広げられる

そしてそれは問いかけの形はとっているが、問いかけではない

哲学的、宗教的な投問でもなく、自身の中に抜きがたくある、他の生き物を殺すこと、傷つけることに対する本能的で生理的な畏れと嫌悪感、抵抗感に対する戸惑いと、苛立ちから発せられた叫びであるような気がする。


一方で他者を制圧支配しようとしながら、もう一方で人と人に近い生き物の殺戮に対して、安全装置のように人の心に取り付けられているこの抵抗感の正体は何なんだろう。


私にはヒューマニズムでもなければ、母となる女性の感覚でもなく、生き物としての戦略に基づくものではないかと思えるのだが、どうだろう。


殺戮への抵抗感を減じて実行に移すためには、訓練とそれを正当化する思想が必要だろう。

それがもっとも組織的に大規模に展開されるのが戦争だ。

安全装置を壊されて殺戮の実行者となった当人は最大のリスクを背負い、繁栄するのは抽象的概念に過ぎない国家や宗教か、遺伝子的には何の繋がりもない指導者やそれで利益を得る人々だけだ。

(3月31日)


日高敏隆


「美学」が人間を駆り立てる


動物たちも相当に悪いことをする。

昔から知られているのは共食いだが、最近はサルやライオンの子殺しの話が有名になってきた。

子殺しでなくて卵殺しをするのもいる。

同類の他人が産んだ卵をつぶして食べたりしてしまうのだ。


昔は田んぼや池にたくさんいたタガメという水生昆虫のメスは、もっとひどい。

オスが一生けんめい守っている卵の塊をばりばりこわしてしまう。

そして自分の子を失って困っているそのオスと交尾して自分の卵を産み、それをそのオスに守らせるのである。


けれど動物たちは、自分たちのこういう行為にへんなリクツをつけたりしない

これが正義だとか、天に代わって敵を討ってやるなどということは言わない

ただ自分の子孫を増やしたいから、そういう残酷なことをしているに過ぎない


ところが人間は、人が死ぬことがわかっている戦争に、何だかんだとリクツをつける

何とかリクツをつけて、これは「正しい戦争だ」「正義のための戦争だ」と主張する。

今度のイラク戦争でよくわかったとおりである。

「平和のための戦争」というのまであるから笑ってしまう


でもこれは笑ってなどいられる問題ではない

人間はなぜこんなことになってしまっているのだろう?

ぼくは昔からその理由を考えてきた。


今の結論は、それは人間だけがもっている「美学」のせいであるということだ。

いきなり美学だなんていってもよくわからないかもしれないが、要するに人間は自分のしていることに意味をつけたがるということである。


十代の終わりごろぼくは、病気の父をかかえた家族を養わねばならなかったので、毎日夜遅くまで働いていた。

そんなときふと考えてしまうことがあった。

いったいぼくは何をしているのだ、何のために生きているのだと。

苦労するのが嫌なのではない。

自分の生きている意味がほしかったのである。


生きがいということばを使う人もいる。

「自分の生きがいを見出したい」。

あるいは「やるに値するしごとをしたい」とか、「充実した日々を送りたい」とか、表現人によって異なるが、自分の日々の生活やしごとに何か美しい意味を見出したいと感じていることに変わりはない。


これがぼくの言う「美学」なのだ。

そして、どうやらこれが戦争にもからんでしまうらしいのである。

(5月5日)


日高敏隆


人間という動物の「人間らしさ」


篠田さんも想像しているとおり、人間が互いに顔や人柄を知り合いながら暮らしていけるのは、昔ながらの100人程度のことらしい。

かつてそれについて調べてみた人がいる。

確かイギリスの社会心理学研究者だったと思う。

その人はふつうの生活をしている人たちのもっている住所録に、何人くらいの人の名前が書き込まれているかを調べてみたのである。


その結果、その数はだいたい100人前後であることがわかった。

このくらいの数なら、その人がどういう人かわかっており、相手もこちらを知っている。

電話をかけたら「ああ、この間はどうも」とか「おう、君か。元気にしてる?」とかいう調子で、互いに相手が誰だかすぐわかる。

学校の先生とか食堂や商店の経営者とか市会議員のように、たくさんの人を相手にする職業の人はもちろんべつである。

それでもそういう人たちは、その人の住所録にある何百人の人をちゃんと覚えているわけではない。

とくに付き合いの深い100人ぐらいを認識しているだけだ。

つまり篠田さんの言うとおり、他人の顔と名前を記憶する能力は、文明の進んだ今日なお、大昔のアフリカ時代、石器時代とそれほど変わっていないのである。


ところがテレビの画面では、遠く離れた国の人々の顔や表情やことばがどんどん伝えられる。

そしてそういう人々の気持ちを感じ、その人たちを助けるために何かしなくてはいけないと教えられる。

そこでわれわれは、昔ながらの100人でなく、顔も名前も知らない何千何万人と言う人々と連帯せねばならないと思い込む。


それは確かに大切な気持ちであり、人間らしさに満ちた美しい心である。

けれどここで「人間らしさ」というときにけっして忘れてはならないのは、まさにその「人間」という動物はせいぜい100人程度しか記憶できないものだということだ。

その程度の能力しかないということも、「人間らしさ」の一面なのである。


人間らしらの一面をつい忘れて、人間らしさのもう一面、つまり遠く離れた人々のことまで思いやるという美しい心、を強調したくなることが、前にぼくが書いた「美学」である。

なぜだか知らないが、人間は美学なしには生きられないらしい

そこが人間の困ったところだ。

(6月23日)


読んでわかるとおりイラク戦争の頃の書籍で


ただいま現在、ウクライナ戦争で同様のことが


繰り返されている人類というのは何なのだろうな。


やるせ無い気持ちとなってしまうな。


あとがき 日高敏隆 から抜粋


そもそもの初めは、産経新聞大阪本社の谷口峯敏さんからのファックスであった。


往復書簡ではなく、十代の若い人たちを読者に想定して、それぞれ自分の視点からのエッセーで若い人たちに語りかけてほしいとのこと。

さて、とぼくは答えた。

「科学者と文化人の間で」とあるから、科学者は文化人ではないのだなとか、十代の若者が産経新聞をどれだけ読んでいるだろうかとか、いろいろ疑問はあったが、まあ何でもやってみようというぼくのいつもの悪いくせで、とにかく引き受けることにした。

相手は有名な作家の、篠田節子さん。

自然の中にストーリーを見つけ出していくぼくらとちがって、作家は自分でストーリーを作っていく。

これはおもしろそうだと素直に思った。

タイトルは「人間について」ときまった。

すごいタイトルだ。

それを「十代の君たちへ」とは大変なことだ。


とにかく谷口さんを含めて篠田さんと初めてお会いしたが、だいたいどんなことを書くかという打ち合わせは結局ないままに、篠田さんから書き始めてもらうことになった。

そうしたら、いきなり「小学生の頃から、こころという言葉が大嫌いだった」で始まる原稿が送られてた。

さあ、どういう展開になるのだろう?


「文化」なるものはいったい何なのだ?それを動物行動学的に考えてみようというのが、ぼくがずっと思っていたことなのである。

そもそも今世界中で問題にしているいわゆる地球環境問題にしても、その根源は人間の文化にあるのではないか?


だいたい人間にはある意味での美学なしには生きられないというところがあって、その点は大人でも若い人でも変わりがない。

その「美学」とは何なんだ?

ぼくはこのエッセーのやりとりの中で、そんなことを語ってみたい思った。

それがうまく表現できたかどうかはわからないが…。


篠田さん巻末の対談でおっしゃるには


放送大学で日高先生の「動物の行動と社会」を


ご覧になって勉強されたとあり、


自分も興味あるのだけどどこかの


アーカイブで閲覧できるのだろうかと


調べたが今のところない模様。


平易な表現でひらがなが多いのは


10代向けだからなのですな。


50代で読んでしまいすみません。


日高先生の書籍をたった数冊ですが


連続で拝読して誠に僭越ながら思うこと


この人は学者さんっぽくないなあと。


どちらかというと文学者として


周りから揶揄されてきたのではなかろうか、と。


それゆえ、孤立してたり、


逆にさほど忖度とは関わらず


屹立できたのではないかなどど


まったく的外れかもで、かつ自分なぞが


分析しても意味のないことなんだけれども。


さて、そろそろ夜勤前に腹拵えして


ひと休みしとかんとと思う


梅雨空の関東地方でございます。


 


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更に追加で”ミーム”を日高先生の書から読む [’23年以前の”新旧の価値観”]


老いと死は遺伝子のたくらみ プログラムとしての老い

老いと死は遺伝子のたくらみ プログラムとしての老い

  • 作者: 日高敏隆
  • 出版社/メーカー: 武田ランダムハウスジャパン
  • 発売日: 2012/08/23
  • メディア: 単行本

さらに昨日と同じ書籍にて恐縮です。

第14章 「ミーム」


名を残すためなら死も選ぶ? から抜粋


人間が死後に残せるものは二つある。

一つはこれまで述べてきたように遺伝子である。

そしてもう一つが「ミーム」と呼ばれる自己複製だ。

わかりやすい例を出そう。


世界中のケンタッキーフライドチキンの店頭には、創業者カーネル・サンダースそっくりにつくられた等身大の人形「カーネルおじさん」が立っている。

この人形ができた由来はいろいろあるそうだが、要するにカーネルおじさんは、支店と共に自分の分身が殖えていくことを期待していたと思われる。

人形はプラスチックだから、この中にはおじさんの遺伝子はまったく含まれていないが、彼の存在したことの証と言うべきもの、つまり彼のミームは人形とともにかくじつに殖えていっている。


人間には、遺伝子だけでなく、業績や作品や名声、つまりミームも残したいという強烈な願望がある

インテリたちは、勲章をもらったり、銅像を建ててもらって喜んでいる人を軽蔑する傾向にあるが、インテリも研究や作品などの形で自分のミームを残したいと思っているわけだから、つまるところ同じである。


ミームを残したいという願望は、場合によっては、増殖し生き延びたいという遺伝子集団の願望に反し、遺伝子は残さなくてもいいから、ミームだけは残したいという形をとることすらある。

極端な場合には、後世に名を残すためにあえて死を選ぶ

日本の戦時中の「英霊」や宗教における殉教、アラブのジハードもそうだ。

古来、中国人は現実肯定的だと思われているが、ここで死ねば名が残る。

おめおめ生き残ったら名が残らないという考え方は過去に随分あったようだ。


名を残したいという願望は、人間以外のほかの動物にはありえない。


人間って虚しいなあ。


幸いなのか不幸なのか存じ上げないが


自分は、「名声」も「財」もないから


そういう願望はないつもりなのだけど。


子どもには、普通に幸せになってもらいたいという


親としてのアレはあるけれど。


 


「ミーム」という逃げを打った(?)ドーキンス から抜粋


遺伝子は残らなくても名は残したいという人間の願望は、遺伝子の願望と拮抗(きっこう)するものである。

自分の損になるような願望を遺伝子が個体に持たせるわけはないから、それはおそらく遺伝子の目論見ではないだろう

そう考えて、ドーキンスは「ミーム」という概念を持ち込んだ

ミームをもつ点において、人間はほかの動物とはちがう

「個体は単に遺伝子のヴィーグル(乗り物)にすぎない」と言うと、「人間はほかの動物とちがう」と思いたがる人間の反発が必ずある。

こうした意見に対して、ドーキンスは「ミーム」という、いわば逃げを打ったのだろう。


子供や孫が元気でいるという遺伝子の満足感ではなく、自分は子どもも孫も残さなかったが、業績や名が残るからいいのだというミームの満足感をもって死んだ人間は結構多い。

とくに男はそうだ。

ミームは悪い方向に作用すれば紛争や戦争を引き起こすことになるが、何かすごいものを発明、発見して名を残そうと言う努力は、文化、文明を形成する大きな力になる。

現在のわれわれの文明や文化は、ミームがなければ存在しなかっただろう。


すべては後世の判断次第 から抜粋


ただ、どんなミームが後世に残るかは、そのときの社会状況、文化や美学が決める

モーツァルトの遺伝子は今やどこに行ってしまったかわからないが、彼の作品はいまだに愛され、演奏されつづけている。

現在のわれわれの文化や美学がその価値を認めているのである。

戦争中には、本人も含めて日本人のほとんどは、特攻隊員として出撃することは名誉なことで名が残ると考えた。

けれども今は誰もそうは思わない。


三島由紀夫の割腹自殺はその最後のものだと思うが、彼の名は、あの行為自体によってではなく、彼の作品と一体になることによって残っている。彼のような小説を書きたいと思っている若い人は、今もたくさんいるにちがいない。


ミームを残したいと思っても、残せるかどうかは他人任せで、本人にはわからない


人工物は半ば永遠だ。

ピラミッドは5000年たった今もたしかに建っている。

つくった人はそれが後世に残ることを信じていたかもしれないが、それを自分で実際に見ることはできない。


人間は考古学が好きだ。

エジプトをはじめ、何千年も前のものを、当時のことをまったく知らない後世の人間が見て感激する。

とくに最近はそういうものを評価する傾向が強いと思う。

しかし、たとえばイギリスのストーンヘンジは、当時の人々が何位かの目的で一所懸命つくったものにはちがいないが、今では何のためにつくられたのかわからない。

ドイツの学者が、あれは蜃気楼が出やすいところにつくってあり、蜃気楼が出るといろいろなものに見えるという説を唱えているが、せっかくミームを残しても、価値観が変わると、そこに込められたメッセージは解読されない。

ミームは本来それほど確固たるものではないのである。


「年貢の納め時」から抜粋


人間は動物とちがって言葉をもつが、言葉は文明を築く一方で、諸悪の根源にもなっているという考え方がある。

同様に、人間だけが持つミームも、文明をつくると同時に、人間の悩みの源泉にもなっているのではないだろうか。


ドーキンスがおもしろいたとえ話を引用している。

コウモリたちが集まって、このごろよくあらわれる人間は、超音波ではなく光を使って周囲の世界を見ているらしい。

そんなもので周りがわかるだろうか、と議論しているという話である。

われわれ人間とすれば、「百聞は一見にしかず」という格言があるように、超音波だけで周りがわかるのだろうか、やはり目で見なければと思う。


われわれがいずれ死ぬというプログラムは決まっている。

それを素直に受けとめて、名は残るか残らないかわからないが、自分の血を受け継ぐ子孫も産まれたし、自分もそこそこやってきて、ささやかながら楽しみも味わえたのだから、まあいいのではないかと思えば、誰でももう少し楽に死ねるのではないだろうか。

そういうことは昔からちゃんとわかっていて、日本語では「年貢の納め時」という言葉などでそれが表現されている。


年貢を納めるかどうかはどうでもよいが、とにかく人間は誰でも、赤ん坊から子ども、子供から少年少女、そして青年、大人と、育っていくプログラムのおかげで成人し、子どもをつくり、なんらかの仕事をしていきながら、しだいに老いていく。

そしていつかは死んで消滅する。

これは動かし難い遺伝的プログラムであり、このプログラムのおかげで人間というものが存在し、自分というものも存在している

われわれはこのことを十分に考えてみなければなるまい。


そしてもう一つ。

この遺伝的プログラムは「人間の男」というのと「人間の女」というのと二つしかなく、個人個人でちがうのは、それぞれのプログラムの具体化のしかたである。

プログラムは決まっており、その具体化のしかたはその人次第である、という認識こそが今、大切なものになってきたのではないだろうか?


遺伝的プログラムでおおよそ決まっているが


環境や時代の価値観によって左右するという


まさに運命みたいなものだ、ってことかなあ。


結論はわかりきったことのような気もする。


それと瑣末なことかもだけど


「男」「女」だけではなく


複雑になっている性の多様性は


どのように考えれば良いのかなあ、


プログラムとして。


ただいま現在はLGBTがさらに進行、てのは


山口真由さんの書で読んだけど


これらの変貌に対して「ミーム」はどのように


変節していくのだろうか。


LGBTといっても身体の性とするならば


「男」と「女」しかないので日高先生のこの論考は


ただいま現在もステイなのだろうか。


(この二者という考えが古いのだろうか)


そもそも「ミーム」というのを「遺伝子」と


同じ括りで科学的な検証・論考をしていて


よいのだろうか。


などの疑問の連鎖、というか興味は尽きない。


 


最後にミームとは関係がないのだけど


巻末にあった小随筆がこれまた謎。


「特別付録・死の「発見」」の


三つの小随筆の中の一つ「人間の基準」から


フランスのレジスタンス作家のヴェルコール


人獣裁判』の話。


ニューギニアの奥地で人間によく似た


類人猿がみつかりトロピーと名づけた。


従順でおとなしいためオーストラリアへ


連れて行き工場で働かせた。


人間ではないので、餌だけ与えての報酬に


安上がりの労働力で喜んだ人間たち。


しかしある新聞記者が、トロピーは本当は


人間なんじゃないかと疑う。


だとすると人権侵害ではないかと。


その記者はニューギニアに飛び、


トロピーを観察、埋葬儀礼をしていたのを見る。


記者はメスのトロピーを捕まえてシドニーに連れて帰り、


なぜか友人の医者に自分の精液を人工授精してもらう。


トロピーのメスが子どもを出産。


しかしこれまたなぜか、記者は赤ん坊を


毒液で殺してしまう。


警察沙汰になるが、人間ではないので


何をどうしていいかわからない。


いったん裁判所判断となり、有識者を集めて


「人間の基準に関する委員会」を設立、


人間としての基準を討議、そこの最終判断として


「多少とも宗教心を持つことを人間の基準とする」と制定。


トロピーは死者の弔いをしていた為、人間と認定。


では、新聞記者は有罪か?


結果的には無罪だった。


記者がメスのトロピーとの赤ん坊を殺した時、


まだ法律はなかった。


法律は遡行(そこう)しない。


 


戦後まもなくという古い話とはいえ、


にわかに信じがたい話で。


本当にそんなことがあったのかなあ?と。


調べたらSFではなかろうかとも。


本当なら戦後とはいえ写真の一枚もあるだろう。


それとなぜこの話を日高先生が書かれたのか。


これは「臨済宗建長寺派宗務本院発行誌」


平成8年、63号の随筆のようで


人間の生死、倫理とかを説かれたのかなあとかは


思うのだけど。


興味と謎は深まるばかり。


 


遺伝子の深い話だったのに最後に


オリバー君のようなトンデモ話のようなものの


感想みたくなって残念でございますが、


いずれにしてもなかなか興味深い日高先生の


書籍でございました。


先生の深いところは学者さんでありながら


「んなこたあ、誰にもわからないんだよ」


みたいに聞こえるところかねえ。


 


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追加で”老い”を日高敏隆先生の書から読む [’23年以前の”新旧の価値観”]

老いと死は遺伝子のたくらみ プログラムとしての老い


老いと死は遺伝子のたくらみ プログラムとしての老い

  • 作者: 日高敏隆
  • 出版社/メーカー: 武田ランダムハウスジャパン
  • 発売日: 2012/08/23
  • メディア: 単行本

 


前回投稿だけでは忍びない。

さらに引かせていただきますゆえ


ご容赦賜りたく存じます。


第4章 遺伝子のプログラムとは


適応度(フィットネス)の増大を求めて から抜粋


第3章に述べたとおり、動物たちは種族維持のために生きているのではなく、一匹一匹の個体が、それぞれ自分自身の血のつながった子孫、つまり自分の遺伝子をもった子孫を、できるだけたくさん後代に残すことを「目指して」生きている。

それぞれの個体にとって、問題は種族の存続ではなく、自分の遺伝子を残すことなのである。

自分の遺伝子ーーー実際には、自分の遺伝子を持った子孫ーーーをどれだけたくさん後代に残せるか、これをダーウィンの進化論と関連でその個体の「適応度」と呼ぶことは前に述べたが、これについてもう少し詳しく説明しておこう。


ダーウィンは有名な『種の起源』という本の中で、次のようなことを述べている。


よりよく適応した個体は、より多くの子孫を残すだろう。

そうすると、そのような特徴を持った個体が殖えていくので、種はしだいにその方向に変化していくであろう。

このようにして進化は起こる


これがダーウィンの進化論の骨子である。

この長ったらしい言い方をつづめて、

「適者生存」という表現が生まれ、広く人々に知られている

しかし、残念ながらこの表現は、ダーウィンの言ったことをちゃんと伝えているとはいえない

ダーウィンはいうなれば、「適者多産」と言ったのであって、「適者は生き残る」とは言わなかった

適者がいかに長生きしても子孫を残さなければ、進化など起こるはずはないからである。


それはともかく、ダーウィンの言うように「よりよく適応した個体はより多く子孫を残す」のであれば、逆に「より多く子孫を残しえた個体はそれだけよく適応していた」ことになる。

このような論法で、「自分の血をひいた子孫をどれだけたくさん後代に残しえたか」をもって、その個体の適応の度合を計ることができる。

それで、これをその個体の「適応度(フィットネス)」と呼ぶことになったのである。


この言葉を使うならば、動物たちはオスもメスも、それぞれの個体はそれぞれ自分の適応度をできるだけ増大させようとして生きていることになる。


個々の個体にとって、問題は自分の適応度増大であって、種の存続でも種の維持でもない

種の存続は個々の個体が自己の適応度増大に努力した結果であって、最初からの目的ではない。


それでは、遺伝子ということも適応度ということも知らない動物たちが、なぜ自分の適応度を高めよう、自分の遺伝子を残そうと努力するのであろうか?


「神が・・・」というのでなければ、それは遺伝子がそうさせるのだ、というほかない

前章で述べたとおり、リチャード・ドーキンスの利己的遺伝子論は、この考え方を基礎としている。

つまり、生き残って殖えていきたいと「願って」いるのは遺伝子であって、そのために遺伝子はいろいろなしかけをこらして、自分が殖えていけるようにしつらえているのだ、というのである。


なんだか、否定的な口調に思えるのは気のせいか。


読めば読むほどわからなくなってくる


「遺伝」と「環境」の関係、あるいはその相関。


第5章「育つ」「育てる」プログラム


遺伝決定論と環境決定論 から抜粋


前章で「遺伝プログラム」について少々長々と述べた。

いつになったら「老い」の話になるのかといぶかる読者も多かろう。

だが、もう少し待っていただきたい。

この一連の文章では、老いとか老年とかについて、医学の見地からではなく、いかにして老化を防ぐかという見地からでもなく、少しべつの観点から述べてみたいと思っているからである。


前章で述べたのは発育のプログラムについてであった。

文中、「遺伝子プログラム」という言葉を使ったが、これは少々不適切な言い方であって、ほんとうは「遺伝的プログラム」というべきである。

一個一個の遺伝子がプログラムを組んでいるわけではないし、また遺伝といってもここで言っている遺伝子とは、厳密に遺伝子DNAとか分子生物学でいう遺伝子を指しているわけでもないからである。


言ってみればそれは、外界環境や食物条件やあるいは学習によって一義的に決まるのではない、内在的なものをかなり概念的に言っているにすぎないのである。


しかし、生物にそのようなものを認めざるをえないことは、誰でも知っている。


そんなことは当たり前だと言われるかもしれない。

けれど20世紀には、このごく当たり前なことが、ともすれば忘れられていた。

いやもっときつくいえば、あえて忘れよう、無視しようとされていたのである。


同じ草を食べていながらウマがウマでありつづけ、ウシはウシの子を産んでその子がまたウシに育つということは、そこに動かし難く遺伝的なものが内在していることを意味している。

そのように動かし難く内在するものを、20世紀は嫌った

生物の体に内在する、遺伝的なものによって生物の存在が決定されることは、遺伝決定論として排斥された。

ナチズムに対する反発がそれに輪をかけたこともたしかである。


それに代わって歓迎されたのは環境決定論である。

生物は遺伝によってではなく環境によって決定されるといえば、それは進歩的、発展的、人道的な論として受けとられた。


女はもともと女なのではなく、社会によって女に作られるのだと主張したボーヴォワールの著書『第二の性』は、当時の女たちのバイブルとなった。


一方、このような思想は、子どもの教育にも波及した。

子どもの能力や性格は遺伝的に決まっているのではなく、生後、とくに生後1年間の環境と教育によって決まるとされ、親たちは乳児期からの教育に奔走することになった。

古臭くて固定的な「遺伝」を否定して、良くなるのも悪くなるのもすべて環境という発想は、老化に関しても流行となった。


老化を防ぐ食事、生活法、そして薬、といったものが次々と新聞、雑誌に紹介され、人々はこぞってそれを求めた。


「すべてはそれに従って進行する」から抜粋


いずれにせよ、われわれを含めたあらゆる生きものに、このようなプログラムがあるということが、しだいに認識されざるをえなくなってきている

それを遺伝的プログラムと呼ぼうと、そこに「プログラムされたもの」が存在していることは、否定できないように思われるのだ。


時代の流れとともに、われわれの認識は変わる

かつては「遺伝」は嫌われて、「環境」が好まれ、強調された

今日ではそれが一転して、何でも「遺伝子」になってしまった感がある

遺伝子操作で人類の明るい未来が開けるような言説すらある

けれど、これから述べていくとおり、「遺伝的プログラム」というものを、何でも「遺伝子」というこの風潮にのって受け取ってしまうのは、新たな誤解のもとになるだけである。


遺伝子について


”優生学”と命名され池田清彦先生も


別の視座で論じられていたことを思い出す。


ボーヴォワールは仕事の関係で


老い』を読んだことがあるが


世界の老いについて論考されていて


日本の姥捨て文化も言及されていたのに


かなりびっくりした記憶がある。


ここまで日高先生の書から


引かせていただきつつ、


読む順番間違えたなあ、と今更ながら。


先にこちらを読めばよかったと少し後悔。



遺伝的プログラム論 人間は遺伝か環境か?――遺伝的プログラム論 (文春新書)

遺伝的プログラム論 人間は遺伝か環境か?――遺伝的プログラム論 (文春新書)

  • 作者: 日高 敏隆
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2006/01/20
  • メディア: 新書

老いが遺伝として

プログラムされているのであれば

抗うのは滑稽で不自然なこと

なのかもしれない。

それゆえ人類は抵抗し勝利することを願うのか?

あらためてそこは考察するとして。

人は作るものではなく、育てるものだ


というのは有名な先生の言葉。


それが触りだけわかるような


今の段階だとここまでが自分の頭だと


精一杯なのでございました


夜勤明け、谷中生姜とノンアルが


美味しい季節になりました。


なんかいつも以上に中途半端な


終わり方だなこれ。


 


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老いと死は遺伝子のたくらみ プログラムとしての老い


老いと死は遺伝子のたくらみ プログラムとしての老い

  • 作者: 日高敏隆
  • 出版社/メーカー: 武田ランダムハウスジャパン
  • 発売日: 2012/08/23
  • メディア: 単行本


気になる箇所をチェックしてたら


とんでもない量になってしまいそう。


こういう書籍は文庫にならないのだろうか?


第1章人はなぜ老いるのか


「加齢」と「老い」は本来的にちがう から抜粋


「老い」とはいやな言葉である。

ぼくの知っている限り、どの文化の言葉をみても、「老い」とそれから派生する語には、侮蔑的な意味がある。

そのためであろう。

近ごろでは「老化」といわずに「エージング」、それを訳して「加齢」という。


しかし、「加齢」と「老い」とは本来的にちがうはずだ。

加齢というのはその字のとおり年齢を加えていくというだけのことで、必ずしも老いを意味するわけではない。

ワインなどの例でもわかるとおり、エージングは良い意味でさえある。

ヴィンテージは加齢だが、ワインではたいへん良い意味がある。

けれど、齢(よわい)を加えていけば老けてくるのは避けられない。

老(ふ)けていくうちには老(お)いてもくるだろう。

老いてくればいずれ死ぬ時も近いだろう。


だから人は、老いを嫌う。老いたくないと思う。


そこで誰でも、「人はなぜ老いるのか?」と問うことになる。

これはきわめて素直な問いであって、むずかしい哲学的なものでもなんでもない


問いは素直でも、答えはむずかしい。

いや、むずかしいというだけでなく、いく通りもの答えがあるのである。

それは、問いが老いに関することだからなのではない。

われわれが「なぜ?」と問う場合すべてに共通したことなのだ。


「原子爆弾はなぜできたか?」という問いになると、答えは少なくとも二つになる。

一つは、原子核分裂のしくみやその生ずる効果についての物理学的研究の成果、という答えである。

ナチス・ドイツがつくろうと思ってついにつくれなかった原子爆弾が、なぜ第二次大戦末期にアメリカでつくられたのかは、物理学の発展の歴史をみればわかる。

もう一つは、なぜアメリカがそれを遮二無二つくろうとしたかである。

ソ連への優位を保とうとする国家的願望云々(うんぬん)というのが答えになる。


ローレンツの「なぜ」 から抜粋


生物に関することになると、「なぜ」という問いは、さまざまな意味をもつ。

今から半世紀以上前、1930年代に動物行動学(エソロジー)を確立して、のちその業績に対してノーベル生理学医学賞を受けたオーストラリアのコンラート・ローレンツが、生物学における「なぜ」について次のような意味のことをいっている。

つまり、生きものに関しての「なぜ」には、少なくとも二つの意味がある

一つは、ドイツ語で言えばwarum(ヴァルム)、どういうしくみでそうなっているか、ということだ。

たとえば、「われわれはなぜ目が見えるのか?」という問いに、それは目はカメラのような構造をしていて網膜に像が結び、それが視神経によって脳にどう伝わり、というような答えだ。

これは、なぜ目はものを見ることができるのかということに近い。

もう一つは、ドイツ語でwozu(ヴォツー)、何のために、ということである。

われわれは目でものを見ているが、何のために見るのだ?

イヌは、目はあまり良くないが匂いにはものすごく敏感で、われわれが目で見ているよりもっと細かく匂いでものをわかっている。

なぜなのか?

というたぐいの問いである。


「人はなぜ老いるのか?」というときのなぜにもこの二つの場合があるが、そのどちらも少しちがっている。


まず第一のなぜについての答えは、かなり医学的なものになる。

老化のしくみ、ないし原因としては、さまざまなことがあげられよう。


いずれも何十年という年月の間に、体が痛み、故障し、がたがくるということである。

ふつうの機械だったら20年も使っていたらたいていはがたがくるだろう。


しかも人間の体はそこらの機械よりずっと精巧にできている

しかもきわめてきめ細かくできている。

心身症などというものは、機械にはない

しかし、心身症でかなり体調がおかしくなっていても、人間はずっと生き続けている。


「何のために?」には、答えようがない から抜粋


けれど大きくちがうのは、次のような点である。

われわれが「人はなぜ老いるのか?」という問いを発する時、それは「なぜ老いねばならないのか?」といううらめしさを含んだ問いである。

それは、われわれが「目はなぜ見えるのか?」と問うときとはまったくちがう

この場合、人は、目はなぜものを見ることができるのか、と問うている。

目で世界が見えることはすばらしいことである。


けれど、老いるのは、少しもすばらしいことではない。

むしろ悲しいことである。


だから、なぜ老いるのか?という問いに、なぜ老いることが可能なのか、というニュアンスはまったく含まれていない。

「なぜ老いてしまうのか」というのが本意である。


「なぜ」の二つ目、つまり「何のために?」ということになると、これはもう答えようがない

なぜ目があるのか?


けれど、こういう意味で「なぜ老いるのか?」と問われたら、何と答えればよいのだろう?

つまり、何のために老いるのか?と問われても、答えようはないのである。

しかし、「老い」ではなく、本来の意味でのエージング、つまり加齢について言えば、「何のために」という問いは成り立ちうる。


日高先生に答えようがないのなら、


自分なぞわかる訳はない。


そもそも「わかる」ような範疇に


あるものとも思えないので


正しい方向の「問い」を発想すら


できんです。


ちと思い出したのが


以前読んだ「LIFE SPAN」のようなことも


考えたことがなかったけれど


いわれてみれば多くの疑問符が出るこの問い。


いったんクールダウンして


自分なりに素直に感じることなのだけども


人類が生まれてからこのかた「そういうもの」で


できてきたからなんじゃないすかねえ。


しかし軽薄に答えるしかない


「そういうもの」とは一体何なのだろうか。


第3章 何のために生きるのか


ドーキンスの「利己的遺伝子」説 から抜粋


個体はいつまでも生きていたいと願っているかもしれないが、そういうわけにはいかない。

いつか必ず死ぬ。

しかし、その前に自分の子孫を残しておけば、その個体の遺伝子セットは生き残り、しかも殖えていく

もしかすると、生き残って殖えていきたいと「願って」いるのは遺伝子かもしれない。

遺伝子が生き残っていくためには、その遺伝子セットが宿っている個体が子孫をつくってくれる必要がある。

そこで遺伝子は、自分が宿っている個体を操って、できるだけたくさん子どもをつくり、育てあげて、さらに孫ができるようにさせるのだ。

これがリチャード・ドーキンスの唱える「利己的遺伝子」説である。


この考え方はドーキンスのオリジナルではない。

かつて、アウグスト・ヴァイスマンという生物学者が、生殖質連続説という説を唱えた。

生殖細胞(精子あるいは卵子)に含まれる「生殖質」は、合体後、個体の体をつくる。

個体の体は成長し、大人になれば、体の一部にある生殖細胞を放出して、それに含まれた生殖質が次の個体をつくる。

こうして次々につづいていく。

個体に宿る生殖質は、次々の次の世代にひきつがれ、個体の体(「体質(ソーマ)」)は死んでも、生殖質は生き続けている。

体質は死ぬが、生殖質は連続していくのだ。

これがヴァイスマンのいう生殖質連続説である。


このヴァイスマン説の「生殖質」を遺伝子と読みかえれば、ドーキンスの利己的遺伝子説になる

ドーキンスに言わせれば、個体は遺伝子のヴィーグル(乗り物)であって、体内で遺伝子を生かし、子孫という形で送り出すのが仕事である。

ドーキンスのべつの表現では、個体は遺伝子が生き残るためのサヴァイヴァル・マシーン(生存機械)だということになる。

生存とかサヴァイヴァルとか言っても、それは個体自身の、ではない。

その個体に宿っている遺伝子の生存、サヴァイヴァルについてのことである


個体が子孫をつくる前に早死にしてしまうと、その個体に宿った遺伝子も「死んで」しまう。

そこで、そのようなことにならないよう、遺伝子のセットはその個体がちゃんと生きていかれるように一所懸命「働く」。

ただしそれは、遺伝子が個体の幸せをおもんぱかってのことではない。

個体が死んでしまったら、遺伝子自身が損をするからにほかならない。

そして、その個体が子どもを作ってくれないと、遺伝子は殖えることができないから、遺伝子はその個体が子どもをつくるために努力させる。


個人は「遺伝子の乗り物」か から抜粋


人間も動物である以上、この筋立てに変わりはない。

財産のこととか社会的な背景、個人の気質などがからまるから、話は多少とも複雑になるが、若いときの駆りたてられるような愛と性の思いも、しょせん自分たちの生き残りを目指す遺伝子たちのなせる業といえる。

ある程度年をとってみると、そういう情熱は遠い昔のことのように思えるかもしれないが、その当時は夢中だった。

そして多くの人はその願いがかなって結婚し、子どもをつくって育てあげ、嫁にやり、嫁をとり、孫の顔を見て幸せを感じている。

遺伝子も喜んでいることであろう。

遺伝子にしてみれば、自分たちがちゃんと生き残って、しかも二代にわたって殖えることができたのだからである。


このような見方をすると、われわれの人生はそれこそ身もふたもないことになる。

すべては遺伝子がしくんだものであり、われわれはそれに操られてきたにすぎないのか?

自分の全存在をかけて、この人こそ、と信じた恋愛も、しょせんは遺伝子のしわざであったと思ったら、誰でも空しさを感じるであろう。

個人は遺伝のヴィークルであり、サヴァイヴァル・マシーンであるというドーキンスの説に立つと、個人の自我や尊厳はいったいどういうことになるのか、という重大な問題も生じてくる。

人間以外の動物たちについてはドーキンスの言う通りかもしれない。

けれど、われわれ人間についてはどうなのだ?

ここで、「動物」たちはそうだ、しかし人間は、と居直ることはたやすい。

だが、そのような居直りによって、われわれは何一つ得ることはないだろう。


人間がほかの動物とちがって遺伝などという固定的なものから、すべて自由であり、「世界に開かれた存在」であると信じていた、近代というか20世紀的な発想は、今、崩れつつあるような気がする。

そのような中で、ドーキンスの利己的遺伝子説に象徴されるエソロジー(動物行動学)の近年の動物観・自然観は、たいへん重要な意味を持っていると思う。


それによれば、動物たちは種族維持のために生きているのではなく、それぞれの個体が自分の適応度増大のために生きている。

言い換えれば、種のために個体が生きているのではなく、個体は自分自身のために生きているのである。

必然的に、それぞれの個体は利己的になるが、利己に徹した損得勘定のために、社会が無茶苦茶になってしまうことはない。

そして、その結果として種族は維持されるばかりでなく、進化もするものである。


種族維持のために社会システムや掟も、かつては存在すると信じられていたけれど、じつはそのようなものは存在していないらしい。

「自然の掟」などというものは、単なる偶然のできごとらしいのである。

そして人間においてすら遺伝子ないしは遺伝子的なものの重みというものが、これまで考えられていたよりはるかに大きいこともよくわかってきた。

それは遺伝子についての分子生物学の発展のおかげでもあった。老い、遺伝子、「選択」と「学習」など


日高先生の論考は興味が汲めども尽きません。


よく引き合いに出されるドーキンス氏についての


考察・研究が本当に気になる。


ドーキンスさん自身のも何冊か拝読したけど


大和感性でないからか自分の地頭が悪いからか


どうしても違和感が残ったりもするのだけど


先生の解釈だと腑に落ちるような


気がする訳でして。


この他、デズモンド・モリスの年齢観察など


興味深い内容の書籍で読むのがもったいない。


この本から10年以上経過、さらに遺伝子への


新しい発見もあるのだろうけど、


日高先生の解釈として書籍を読めないのが


本当に残念です。


そこはもう自分で調べて考えてくれ、


ってことなのだろうけれど


それは酷な話だよなあ、などと思う


梅雨の一日でした。


 


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日高敏隆先生の書から謙虚を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

遺伝的プログラム論 人間は遺伝か環境か?――遺伝的プログラム論 (文春新書)


遺伝的プログラム論 人間は遺伝か環境か?――遺伝的プログラム論 (文春新書)

  • 作者: 日高 敏隆
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2006/01/20
  • メディア: 新書


人間の人格は「遺伝」か「環境」かの


日高先生なりの論考でどちらも興味を超えて


深かくて考えさせられた。


 


はじめに から抜粋


われわれの人生を決めているのは、結局のところ何なのだろう?


白人はもともと遺伝的に優れていると主張する人もいたし、女は男より本来的に優れていることを述べた本もあった。

しかし白人にもいろいろな人がいるし、女だってさまざまだ。

よい家系と言われる一族にもどら息子が育つし、どうにもならないと思われていた家族からすばらしい人が出ることもある。

要するに遺伝か環境か、という単純な問題ではないのである。

では、どうなのだ?

そこで、遺伝という漠然としたものを、遺伝的プログラムとその具体化という視点から考え直してみることはできないかと思ったのである。


第二章 大人になるのは大変だ


遺伝か学習か から抜粋


学習は必要でないという結論になった行動は生得的(遺伝的)行動として行動生理学の研究対象的問題として、自然界におけるその機能が論じられた

このあたりのことについてはローレンツの『ソロモンの指輪』とニコ・ティンバーゲン(ティンベルヘン)の『動物のことば』、あるいは『ティンバーゲン 動物行動学』に詳しく述べられている。


学習が必要でない、ってのは現代人には


聞き捨てならない、いや2度読みしてしまうワードだ。


自然界における機能としてはそうかもしれず


機能というのは獲得するもので、ってのは


養老先生のだったか書いてあった気がするから。


それにしても、ティンバーゲンさんって、


先日読んだドーキンスさんの自伝の解説で知ったが


ドーキンスさんのお師匠さんだと。


世間は狭いというか、ジャンルを追求すると


人がつながっていくのが世の慣わしでございます。


 


第五章 人間と言語の不思議な関係


言語の学習 から抜粋


人間の子どもはごく小さいときから他人の言葉をまねながら学習していくように見える。

いろいろと言ってみて、妥当であったものを覚え、そうでないものは消していくという、いわゆる条件づけのようなプロセスで覚えていくというのが、昔からの一般的な考え方であった。

だから親は絶えず赤ん坊に話しかけ、このプロセスを促進せねばならないとも言われてきた。

けれど、アメリカの言語学者ノーム・チョムスキーが比較的近年になって発表した「生成文法理論」によれば、人間の言語の学習は、まさに人間に備わった遺伝的プログラムの具体化にほかならないというのである。


チョムスキーの考えを、非常に巧みな例え話に置き換えてくれたのが、アーサー・ケストラーだ。(邦訳『機械の中の幽霊』)


農家に3歳くらいの男の子がいて、窓から表をぼうっと見ていた。

そこへ郵便屋さんが手紙を配達に来た。

するとその男の子がかわいがっているイヌが、郵便屋さんを見て咬みついた。

郵便屋さんは怒って、いきなりそのイヌを蹴飛ばした。

びっくりした男の子は急いで台所へ飛んでいって、お母さんにそれを告げる。

”The postman kicked the dog!”


するとお母さんはそれを聞いて、すぐその意味を悟り、「まあ、大変」と言って飛んでくる。


ここには不思議なことがいくつかある。

ぼくなりの理解で述べてみよう。


3歳の子にはじめて起きた現象を


誰からも教わらずとも、


単語を正しく並べて


母親に伝えることができたのは


何故か、と考察される。


つまりこの文章は、この子が生まれてはじめて作った文章なのだ。

にもかかわらず、彼は間違いなく、起こったことを話せた。

なぜそんなことが可能なのか?

この子が見たのは「イヌを蹴っている郵便屋さん」であった。

それがなぜ「郵便屋さんが」「イヌを蹴ったよ」という文章になったのか?


少々理屈っぽく言えば、郵便屋さんという単語は、郵便は配達する人を意味しているだけあって、どんな格好をしているか、どんな服装をしているか、今何をしているかなどということは何ひとつ想定していない。

「郵便屋さん」は、辞書の中にだけでてくる完全に抽象的な言葉なのである。

「蹴る」という単語もそうである。

これには誰が蹴るかということは含まれていない。


そのときに男の子が見たものは「イヌを蹴っている郵便屋さん」だった

これをこの子は、何をしているかということとは本来関係ない「郵便屋さん」という言葉と、誰がするかということは本来関係ない「蹴る」という言葉とに分けて、「郵便屋さんが蹴ったよ」と言ったのである。


イヌを蹴っている郵便屋さんというのは、ひとつの実体である。

その「ひとつの実体」を見た途端に男の子は、それを「郵便屋さんが」「蹴ったよ」という二つの言葉に分けてしまったということだ。


どうしてこういう具合に分けることができたのか。

それはわからない。

わからないというか、そのようにするのが人間の言語に関わる遺伝的プログラムなのだと、チョムスキーは言うのである。


さて少年は、「蹴っている郵便屋さん」というひとつの実体を、何をしているかとは関係のない「郵便屋さん」と言う「主語」と、「誰がするか」とは関係がない「蹴る」と言う「動詞」(「述語」)に分けてしまった。

そのためには、主語になるべき概念と動詞(述語)になるべき概念とが、どちらもちゃんと確立され、言語化されていなくてはならない。

主語と述語はいつもそれが一体となって、ひとつの現実を表している。

たとえば「私は学生です」と言ったとき、その人そのものが学生なのである。

学生であるということはその人が学生なのであって、学生であるということと、私というものが別々にあるわけではない。

しかし、文章で表すときには、「私は」「学生です」というふうに二つに分ける。

チョムスキーによるとこの組み立て方こそ人間の言語の特徴であって、人間の全ての言語において同じなのだという。


なんか、難しいゾーンに入ってまいりました。


いわんとするところはわかるが。


言葉の前に現実があり、それを具現化しようと


アウトプットすると人間の言語になり


組み立て説明しようとするということか。


後で読み返そう。


チョムスキーさんって言語学者さんだったというのは


初耳というのはまったくの主題ではございません。


 


対談


なぜ今「遺伝的プログラム」なのか?


日高敏隆 X 佐倉統(東京大学大学院情報学環助教授)


基本的なところは変わらない から抜粋


日高▼

ぼくは人間というものは、本質的には大昔からちっとも変わっていないと思っているのですよ。

ハーヴァード大学にミヒャエル・ヴィッツェルという神話学の先生がいるんです。

彼によると、世界の神話はアフリカで始まって、それが世界中に伝わっていったらしい。

そのときにいちばん大もとは世界の起源で、どの神話もそこから始まっていく。

土地によってそれが竜になったり、巨人になったりと形を変えて伝わっていくんだけれども、結局、もとはアフリカにあるという、そういう論文を書いているんですよ。


佐倉▼

神話の生成文法みたいなのがあるわけですか。

 

日高▼

そうです。

それはそれですごいんだけれど、伝わっていくという話は、途中の人に失礼じゃないかと思うんだ。

最初の人しかものを考えられなかったということでしょう。

後世の人だって世界の起源については考えていたはずだし、たまたまみんな同じような話になったと考えるほうが妥当じゃないかなあ。

今、日本の天文学者たちが、何百億だかかけてすごい望遠鏡をつくってくれと文部科学省に言っているんですよね。

ところが文科省は、「そんなお金ありません」と突っぱねる。

だけど学者たちはなんとしても14億光年昔の宇宙を見たいんだ。

「早くやってくれ、早くやってくれ」

と要望を出す。

文科省は、「先生、今年はダメだし、まだ二、三年待ってもらわないといけない」というと

「いや、そんなに待てない!」。

すると文科省の人が

「先生、だって14億光年昔の話でしょう。二、三年くらいいいじゃないですか」って(笑)。

それは冗談だけれども、要するに宇宙の起源を見たいということですよ、結局は。

そうすると、ヴィッツェルの話と同じじゃないかと思うんです。

天地の起源は何かということをいろいろ考えて、そこから神話ができていく

何万年の昔と今と、人の考え方は変わっていない

インターネットで人間の本性が変わるという話が出たときに、ぼくはそう答えたんです。

みんなが知りたいと思っていることは、あんまり変わりはないんでしょうね。

そういう意味では、「時代が変わったから、人間はこう変わる」という議論はちょっと待ったほうがいいと思うんです。

変わるのは、具体化の方法と、具体化する場合だけなんですよ。


佐倉▼

元のところにあるモチベーションは同じですよね。

私たちの起源はなんだろう?

世界の起源はなんだろう?ということを追求する。

京大の佐藤文隆先生が

科学者というと、どこかで書かれていました。昔、坊さんがやっていたことを、今、科学者がやっている

と、どこかで書かれていました。

科学の全部がそうではないとしても、確かにそういう面はありますよね。

進化論にしても、動物学にしても。

 

日高▼

みんなそうです。

ドーキンスも「われわれ人間はどこから来たか?」などと書いている。

結局のところ、それは昔から人が考えていることなんです。

それに対する答え方が少しずつ変わるというだけの話で、モチベーションはまったく同じだと思う。


佐倉▼

モチベーションはまったく同じだけれども、昔の神話だとか、宗教、あるいは哲学的ものと、今の科学のやっていることは、実際の成果やそこに至る方法論など、もちろん違いもたくさんありますよね。

同じ部分と、違う部分を両方うまく視野に入れていくということになるんでしょうね。


発想が同じだということを踏まえてなんですけれども、神話や宗教、哲学というのは、ある程度、人間の直感のようなものにしたがっていますよね。

でも、自然科学がそれらと一線を画しているところは、実証的な知見と数学の論理のようなものを積み重ねていくことで、人間の直感的なイメージの範囲を超えられることだと思うのです。

宇宙を考えるとき、人間はどうしても自分たちが世界の中心だと思います

地球が丸いという話になると、地球が宇宙の中心で、太陽が地球の周りを回っていると考える。

そのうちに、太陽が中心だという話になる。

ところが太陽系は、銀河系の端にある。


では銀河系が宇宙のすべてかというと、銀河系も宇宙全体から見たら、端にある。

進化もそうだと思うんですけれども、人間というのは特別な存在だという思い込みから出発して、そうではなくて、ずっと繋がっているきているのだということになる。

人間というのは常に、自分たちは特殊で世界の中心だと思っている

そういう直感的な思い込みというか、偏見というか、先入観に対抗して、科学的な知識というのは常に、人間を特別ではない位置に追いやってきています。

だから、モチベーションは同じでも、そこから出てくる帰結、たとえば

「神様が人間をつくった。人間は特別な存在だ」

というのと、

人間もあまたある神羅万象の中のひとつなんだ。もう少し自然の前に謙虚になりましょう

というのとでは、われわれにとっての意味が違う部分もかなりあると思うんです。


傲慢な状態だと調子は良いかもしれないが


他者のことが受け入れにくくなるのだろうな。


謙虚な姿勢だと受け取りやすくなる。


しかし、そこで問題があるのが


謙虚な人を利用しようとする輩がいて


それをかわすには、って問題でして。


今のところ答えとしては


利用されないように疑り深く見極める


としか言いようがない。


 


って日高先生から離れてしまったが


先生の書籍は本当に深くて面白い。


子供の頃に受けた疎外感が


自分も先生ほどではないにしてもあり


それが独特の共有感覚とでもいうのか


はなはだ僭越ながらも、感じる。


YouTubeでご本人の肉声もあったし


NHKにもあったのを


先月くらいに観たが


もっと先生の考え方を追求してみたいと


動物にはあまり興味はないので不思議だけど


そう思っております今日この頃でございます。


 


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”ミーム”とドーキンス氏の翻訳のご苦労を察する [’23年以前の”新旧の価値観”]

ささやかな知のロウソク―ドーキンス自伝2―:科学に捧げた半生


ささやかな知のロウソク―ドーキンス自伝2―:科学に捧げた半生

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2017/02/23
  • メディア: 単行本

ドーキンスさんの仰る「ミーム」について

着想を得た頃、また名称、読み方の指南などを


されておられる。


阿部謹也・日高敏隆先生との対談で


日高先生がすでに仰られていたが


英語がわかるとこういう推測もできるって


素敵だなあと思った。


 


編まれた本の糸を解きほぐす


ミーム から抜粋


1976年に『利己的な遺伝子』で普遍的ダーウィン主義という概念を紹介したとき、潜在的に強力な自己複製子ーーDNAの仮説上の代案ーーとして、私は他のどんな例を取り上げることができただろう?

コンピュータ・ウィルスであればその役を務められただろうが、それはどこかのさもしい小心者によって発明されただけのものであり、たとえ思い当たったとしても、そんなアイデアを喧伝などしたくないと思ったに違いない。

私は見知らぬ惑星上で奇妙な自己複製子が存在する可能性について触れ、こう続けた。


『利己的な遺伝子』(日高・岸・羽田・垂水訳)から


別種の自己複製子と、その必然的産物である別種の進化を見つけるためには、はるか遠方の世界へ出かける必要があるのだろうか。

私の考えるところでは、新種の自己複製子が最近まさにこの惑星上に登場しているのである。

私たちはそれと現に鼻をつき合わせているのだ。

それはまだ未発達な状態にあり、依然としてその原始スープの中に無器用に漂っている。

しかしすでにそれはかなりの速度で進化的変化を達成しており、遺伝子という古参の自己複製子ははるか後方に遅れてあえいでいるありさまである。


文化的な進化が、遺伝的な進化の何桁も大きな速度で進むのは事実である。

しかし、もし私がこのとき、

”ミームの自然淘汰に文化的な進化のすべての手柄を認めるべきだ”

というようなつもりだったとしたら、それは早まりすぎでフライングのそしりはまぬがれなかったことだろう。

それはそうとして、私はそこまで大胆な物言いをするつもりはなかった。

たとえば、言語の進化は明らかに、淘汰まがいのものというよりは浮動(ミーム浮動)に負うところが多い。

私はつづけて、それを表す言葉そのものの造語に向かった。


『利己的な遺伝子』(日高・岸・羽田・垂水訳)から


新登場のスープは、人間の文化というスープである。

新登場の自己複製子にも名前が必要だ。

文化伝達の単位、あるいは模倣の単位という概念を伝える名詞である。

模倣に相当するギリシャ語の語根を取れば<mimeme>ということになるが、私のほしいのは、<ジーン(遺伝子)>ということばと発音の似ている単音節の単語だ。

そこで、このギリシャ語の語根を<ミーム(meme)>と縮めてしまうことにする。

私の友人の古典学者諸氏には御寛容を乞う次第だ。

もし慰めがあるとすれば、ミームという単語は<記憶(memory)>、あるいはこれに相当するフランス語の<meme>という単語にかけることができるということだろう。

なお、この単語は、「クリーム」と同じ韻を踏ませて発音していただきたい。


遺伝子がお互いの適合性によって淘汰されるのとまったく同じように、ミームも原理的にはそうであってもいい。

ミーム学についての大量の文献では、「ミーム複合体(コンプレックス)」の略語として「ミームプレックス」という言葉が採用されてきた。

『利己的な遺伝子』のなかで、私は協調的な遺伝子複合合体という概念(このときは「進化的に安定な遺伝子セット」というフレーズを使った)をふたたび持ち出し、試みに以下のように、ミーム学との類似点を比較した。


『利己的な遺伝子』(日高・岸・羽田・垂水訳、一部改変)から


たとえば肉食動物の遺伝子プールでは、互いに適合した(suitable※)、歯、爪、消化管、そして感覚器官が進化し、一方草動物の遺伝子プールでは、これとは異なった諸特性が安定したセットを形成している。

ミーム・プールでもこれらに似たことが起こるだろうか。

たとえば、神のミームが他の特定のミームと結びついて、この結びつきが当のミームたちそれぞれの生存を促進するようなことがあるだろうか。

もしかすると、独特の建築、儀式、律法、音楽、芸術、そして文字として書かれた伝統をともなった教会組織などは、互助的なミームの相互適応的安定セットの一例かもしれない。


suitable※=これはたぶん、「安定な(stable)」の誤植で、今日の滑稽な「オートコレクト」ソフトに匹敵するような人間によってもたらされたもののはずだ。

もしそうなら、これはたまたま二つの単語のどちらでも意味が通る、幸運な誤植の例である。ひょっとしたら、有利なミーム突然変異のまれな実例かもしれない。


ドーキンス節炸裂!


注釈までドーキンス節の継承!


『利己的な遺伝子』は


やっぱり購入せんとならんのかなあ。


市の行政の電子書籍ではレンタルしたのだけど、


とても1−2週間では読めないすよ。


他にも読む本も沢山あるし、某資格の勉強も


そろそろ始めないとならないんだから!


と怒りの矛先をドーキンスに向けてみた。


それにしても表現がなんとも豊かで教養というか


経験値が横溢して見えるのは翻訳の力なのか?


と思い、訳者様の労に興味が移ってしまったです。


 


訳者あとがき 垂水雄二(2017年)から抜粋


このドーキンス自伝の第二巻は、精神の形成史を語った第1巻とはちがって、さまざまな活動を通じて出会った人々との交友録が中心になっている。

登場する絢爛豪華な顔ぶれとの交流を読みながら、同世代の人間として、その住む世界のあまりの違いように圧倒される。


世界のトップクラスの有名人がつぎつぎとドーキンスの人生と交錯するさまは、あまりにも眩しく、クラクラしてしまう。

途方もない自慢話を聞かされているようで、ウンザリする人がいるかもしれないが、少なくともドーキンスの愛読者にとっては、面白く読めるはずだ。

随所に、著名人にまつわる、ちょっとどころではない、いい話が出てきて、腹を抱えたり、苦笑いしたり、あるいは涙腺を刺激されることになるのは請け合える。

とくに、終わりの方の章(「編み上げた本の糸をほぐす」)で、自らの著作と活動を通じて、「利己的な遺伝子」、「延長された表現型」、「ミーム」などのキー概念がどのようにして生まれ、発展していったか、種明かしをしているのは読み応えがある。

ドーキンス風の表現をすれば、彼の脳内のミーム進化史と呼べるもので、彼の思考の過程を知るすぐれた手がかりを与えてくれる。


この本には、編集者とのかかわりについて書かれた章(「出版社を得るものは恵みを得る」)があるので、それにならって、翻訳者としての私とドーキンスのかかわりについて簡単に述べておきたい。

研究者としての自分の能力に見切りをつけて、私は出版界に身を投じたのだが、最初に携わった仕事は小さな出版社での編集であった。

そこでは、主として生物学関係の翻訳出版を手がけたが、なかでも動物行動学関係の書籍が多かった。

ちょうど、コンラート・ローレンツニコ・ティンバーゲンカール・フォン・フリッシュの三人がノーベル賞を受賞したこともあって、動物行動学が脚光を浴びていた時代だった。

言うまでもないことだが、ドーキンスはこの動物行動学の後継者で、ティンバーゲンの弟子として、研究生活を始めている


いやいや、知りませんでしたよ。


不勉強で申し訳ございません。


この書籍を読めば書いてあるのだろうけど。


読んでても忘れてしまうほどの分厚さでして。


前作にあったけれど動物行動学はやってたけれど


ナチュラリストじゃなかったってことなのかなあ。


なんとなく不思議な気がするが


読み落としだろか。


私は、ローレンツやティンバーゲンの著作の翻訳出版をいくつか手がけたのだが、そうした本の翻訳者として、当時東京農工大学の教授(のちに京大教授、滋賀県立大学学長などを歴任)だった日高敏隆さん(あえて先生とは呼ばない)にお世話になった。

ご存知のように日高さんは、ローレンツやデズモンド・モリスに始まり、ドーキンスに至るまで、つねに世界の動物学の最先端情報を日本に紹介してきた、すぐれた啓蒙家であった

私は日高さんの直接の弟子ではなく、あくまで編集者とし著者の関係だったが、どういうわけか、気が合い、なにかと目をかけていただいた。

私が最初の出版社を辞めたときには、次の出版社を紹介するという労をとってくださった。


その頃、編集者仲間から、翻訳を引き受けてくれないかという話がちょくちょくあり、編集稼業のかたわら、一年に一冊ほど翻訳の仕事を引き受けていた。

しかしそれはあくまで、副業としてだった。

ところが、1990年代に、本書にも触れられているように、ドーキンスの『利己的な遺伝子』の増補版が出て、新たな二章が追加された。

この本の最初の版の売れ行きが良かったので、版元としては、大急ぎで増補版を出したいという意向があり、日高さんがその追加の二章の翻訳者として私を推薦してくれたのだ。

質はともかくスピードには自信があったので、引き受け、無事に出版に至った。

この本は、原著出版30周年記念にさらなる増補改定を加えて刊行され、現在も、この分野のベストセラーの地位を保っている。


この本の翻訳者の一人に付け加えていただいたおかげで、翻訳者としての知名度が一気に上がり、ありがたいことに、その後のドーキンスの著作の翻訳の多くが私のところにまわってくるようになった。


ドーキンスの文章は、非常に端正なものだと思うが、表現に工夫を凝らしているので、翻訳者には手強いところがある。

月並みな表現を潔しとしないため、ふつうの辞典には載っていないような単語や成句を使うことがよくある。

それよりも厄介なのは、古典文学、詩歌、聖書からの引用が頻繁になされ、ときには、なんの注記もなしに地の文に紛れ込んでいる時がある。

翻訳者は教養を問われることになり、その典拠を探すのに追われるのだ。

インターネットが普及する以前には、最後に公共図書館に籠って、そういう典拠探しに時間をかけたものだが、活字だけでの検索には限界がある。


幸い、現在では、信じられないような検索能力をもつGoogleがあり、詩の一節でも容易に探し出すことができる。

手間さえかければ、出典を見つけるのはむずかしくないというのは、翻訳者にとってはまことにありがたい。

また、出典がわかっても詩の翻訳はむずかしく、理科系の人間としてはたいへんな難事業である。

本書でも、最後を締めくくるドーキンス自身の2行連句は、見事な脚韻を踏んでいるのだが、訳者の力量では、それをふさわしい日本語に置き換えるのは不可能だった。

読者の寛恕(かんじょ)をたまわりたい。


なかなか大変な仕事ですが、


本当に読みやすくしていただき


ありがとうございます。


読んでて気持ちが良いですよ。


詩の部分も素敵と思いますけれど。


って誰に言っているのか不明なのだが


良い仕事をする人の周りには


良い人が、という連鎖のようで


この”訳者あとがき”も引かせていただきました。


そろそろ食事しないと、んで夜勤行ってまいります。


読書にいくら時間があっても足りねーなー。


 


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御三方の最終講義を堪能してみる [’23年以前の”新旧の価値観”]

増補普及版 日本の最終講義


増補普及版 日本の最終講義

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2022/02/16
  • メディア: 単行本


大学の、というか学問を


究めようようとする先生方が教えている場で


”最終講義”というのがあり、その重要性や


面白さを発見したのはこの1年くらい。


ここに何の意味があるのか


大学を出ていない自分にとってっていうのは


深く考えず、気になった最終講義から。


▼お一人目


 土居健郎


 1980年(昭和55年)東京大学


 人間理解の方法


 ーー「わかる」と「わからない」から抜粋


まず「わかる」とはどういうことかということをわかる必要があるでしょう

「わかる」というのは一体全体どういう心の働きなのか。

皆さん、わかると気持ちいいですね。

わからないと気持ちが悪い。

それから「土居の話は聞かなくてもわかる」と言えば、「もうわかっている」、こういうことですね。

しょっちゅう聞いているからわかっている。

あるいは、「土井の話はさっぱりわからない」ということもできる。

結局、「わかる」ということは「馴染みがある」または「馴染める」ということなんだろうと私は思います。


いま言葉の点から入っているわけですが、ちなみに「わかる」という日本語の言葉ですが、これはご存知のように「わける」「わかれる」「わけつ」などとともに、すべて同根の言葉ですね。

「わけがわからない」という場合の「わけ」もこの「分(ワ)く」の連用形が名詞化したものです。


そこで「わかる」というのは、「分ける」「区別する」「別れる」もそうですが、区別のニュアンスを持っているにもとになります。

「わからない」という場合は、曖昧模糊として区別がつかないわけです。

そういう曖昧模糊としてわからないところから「わかる」ものが出てくるわけですね。

「ああこれだ」「これなら知っている」、「わかる」というのはそういう意味内容を持つ言葉のように思えます。


この「わかる」は大和言葉だが、


「わかる」を「了解」とするなら


ドイツ語の「フェルシュテーエン(verstehen)」との


類似点を考察されてからの…


同じことが英語でも言えます。

「わかる」に相当する英語はアンダスタンド(understand)ですね。

これは読んで字のごとく「下に立つ」ということです。

やはり近いところにいるということです。

ですから「フェルシュテーエン」といい「アンダスタンド」といい「わかる」といい、言葉のニュアンス、言葉が伝える意味は非常に近い。

「馴染んでいる」、こういう意味であると結論して間違いではないだろうと思います。


英語にはもう一つ面白い用法があります。

ブリング・ホーム(bring home)といういい方があります。

日本語に直訳すると「家に持ってくる」という意味です。

しかしこれを「わからせる」意味で使います。

たとえば

Today,I am trying to bring home to you the basic methodology of clinical psychiarry.

と言ったとすれば、それは

「きょう皆さんに臨床精神医学の基本的方法論をわからせようと試みています」ということです。

だから「わからせる」ということはブリング・ホーム、「家に持ってくる」「近づける」、「馴染ませる」という意味ですね。


日本人はよく集団的志向だといわれますが、もちろん集団が悪いわけではない。

大体集団がないと人間は生きていけないし、われわれが診る患者さんは大体集団生活に失敗している人たちです。

それならば集団さえうまくいけばいいかというと、そうではない

集団生活の危険は集団思考に陥ることです。

集団の中だけが正しくて、外はみんな悪くなってしまう

これはわれわれが常に心しなければならないことです。


この点について、もう時間がないから言いませんけれども、日本の集団は同心円的な集団になるか、寄り合い世帯になるか、どっちかですね。

いろいろ集団があっても、同心円的に重なるか、あるいは寄り合っているだけで、集団同士がクロスしない

東京大学のようなところはうっかりすると寄り合い世帯になる。

集団がひしめき合うだけのことです。

集団がクロスするような機構ができないと社会全体のバランスがとれないのです。

たしかに精神衛生のために集団は絶対必要だけれども、しかし、集団の最大の悪は戦争ですからね。

戦争までいかない集団憎悪は私たちの周囲にいくらでもあります。

ですからどこかで集団を超越できるのでなければならない。

少なくとも患者を診るためにもそのことが必要でしょう。

孤独を経験し、それに堪えることをしない人間は精神科の医者として、あるいは精神衛生をやる者として不適格ではないか、私はこう思うくらいです。


最後にもう一つ言います。

これは、われわれの仕事というのは必ずプロフェッショナルだということです。

医者は人を裸にできる。

医者は人に針を刺したり、人の肌にメスを振るうこともできる。

医者は人に対して、ふつうは聞いちゃいけないことも聞くことができる

医者でない精神衛生の専門家になった場合も同じです。

なぜかーーー、それはプロフェッショナルだからです。

プロフェッションとして相手の利益のためにやることが社会によって承認されているからです。

だから皆さん、そのうちに医者になるでしょうけれども、必ず自分のやることがプロフェッションであるということを肝に銘じてほしい。


最後に、私の好きなシェイクスピアの台詞を紹介して終わりにします。

『お気に召すまま』に出てくるものです。

All the world’s a stage. And all the men and women merely players; They have their exits and their entrances, 

その意味は、

全世界は舞台だ。すべての男と女は俳優に過ぎない。彼らは出てくる時と、下がるときがある

ということです。

私は今日の最終講義で東京大学という舞台から下がります。

長いことありがとうございました。


深くて、洒脱で、素晴らしい。


自分はそう感じた。


わかるというのは奥が深い行為というか感情というか。


続いて阿部先生です。


▼お二人目


 阿部謹也


 2006年(平成18)5月


 東京藝術大学


 自画像の社会史 から抜粋


1 西欧の自画像の歴史

今回は自画像の社会史についてお話をします。

私は美術史家ではありませんから、個々の絵画について美術史の脈絡の中でお話をすることは出来ませんし、そのような関心もないのですが、芸術の一つの分野としてお話ししたいと思います。

芸術とは人間の営みのひとつであって、経済や、法律、科学技術などと同じく人の営みに他ならないのですが、人間の営みは農業においても科学技術においても結果を生み出します

芸術の場合も結果として作品が残るわけですが、私の関心はどのような人間同士の営みの中で作品が生まれるのかという点です。


人間の営みは人間同士の間だけでなく、人間と動物や植物などとの間でも行われます

その場合人間の営みそのものは文化として位置づけられるのですが、作品は人間の営みの中からしたたり落ちてきたものに過ぎないのです。

人間の生活の中からしたたり落ちてきたものとして作品に依りながら、人間のもとの生活つまり文化のあり方を再現しようとするのが、私のいう芸術の社会史なのです。

人間が自分の顔に関心を持ち始めたのはいつからか。

それを絵画という領域の中で実現したのはなぜかといった問題が今日の主題になります。

自画像が生まれる背後にどのような自己理解があったのかを問題にしたいのであります。


この後、東西の自画像を分析・考察・


研究されご自分の論を展開。


西洋はキリスト教の影響が絶大だった模様で。


そのキリスト像の変化と個人との関わりが


自画像にも関連していると。


翻って日本では。


明治以前はほとんど日本になかったのかなぜか、など。


これまで見てきた画家は洋の東西を問わず、みな死を意識して生きてきた人々です。

ここで忘れてはならないのは長野にある「無言館」に残っている若き画家達の作品です。

彼らも明日がない暮らしの中で必死で絵を描き続けてきました。

まぢかに迫った死を前にし、必死で自己を表現しようとしていました。


人間の一生を考えてみればどんなに長くても百年以下です。

長いとは言えません

その中で作品を残すのですから、誰でも生きるということを考えざるを得ないのです。

自画像はすべてその画家が生きた社会の中で描かれています。

自分に与えられた社会の中で、自分がおかれた位置の中で、必死に生きる中から自画像が生まれてきたことをいくつかの例でお話ししました。


宗教と死が自画像を生み出す背景で日本はそれが遅れて発展しているという。


そもそも日本に「個人」というものを見つめる習慣がなかったというのは


別の書籍でも指摘されていた。続いて八雲先生です。


▼三人目


 小泉八雲


 1903年(明治36)


 東京帝国大学


 日本文学の未来のために から抜粋


学期も終わりに近づいたので、日本文学に関連して、これまでわれわれが一緒にしてきた研究がどのような価値を持つものなのかについて、話してみるのもよかろうと思う。

というのも、しばしば述べてきたように、ーー「文学」という言葉を芸術的な意味で用いるのであればーーみなさんが外国文学を研究する唯一の意義というものは自国の言語で文学をするために、自己の能力に影響を及ぼすようなものでなければならない。


学術論文を除けば、フランス人が英語の書物を書いたり、ドイツ人がフランス語の書物を書いたりしないのと同様に、文学をやる日本の学究も、自分の言語以外で文学作品を創作しようとして時間を浪費してはならない

しかも、日本語はあらゆる点でヨーロッパ言語とはまったく異なる構造をしているので、新しい表現形式という点に関して、フランス語やドイツ語の学習によって、多くのものを学び取ることはほとんど不可能である。


それゆえ、みなさんにとってこれら外国語の習得の重要な恩典は、その思想や想像力や感情を学ぶことでなければならないといってもよい。

西洋の思想、想像力および感情から、将来の日本文学を豊かにし、活気づけるのに役立つと思われる、実に多くのことが学べるであろう。

あらゆる西洋の言語が、新しい生命と活力を得てい流のはーーーしかも絶えず得ているのはーーーそのような外国語の学習によるものなのだ。

英文学は、西洋のみならず、世界の文明国のほとんどありとあらゆる文学に何がしかのものを負っている。

同様のことが、フランス文学やドイツ文学にもいえようーーーこれらと比べれば、より少ない程度ではあるが、現代イタリア文学についても、おそらく当てはまるであろう。


大学を卒業すると、みなさんのほとんどは非常に多くの時間を奪いそうな、ある種の職業に就くことになるであろう。

こうした環境の下では、文学を愛する多くの若者は愚かにも観念して、この方面での楽しみをやめてしまう。

そうした若い学究たちは、もはや詩や物語や芝居を書いたりする時間がないーーましてや、個人的な勉強をするための時間さえあまりない、と考えてしまうと思う。

しかし、これははなはだ大きな誤りである。


みなさんの誰もが、一日のうち20分や30分を文学のために割けないほど忙しいとは思われない

たとえみなさんが、一日のうち10分しか割けないとしても、一年の終わりには非常に多量の時間になると思う。

別の言い方をしてみようーーー毎日、五行づつ文学作品を書くことは出来ないだろうか。

もしみなさんにできるのであれば、忙しさの問題は、たちまちのうちに解消してしまうことであろう。

365に5を掛けてみよう。

12ヶ月も経てば、それはかなり膨大な仕事量になることであろう。

毎日2、30分づつ書くことを心に決めればどんなに良いことか。

もし、みなさんのうちで心から文学を愛する者がいるなら、この私のささやかな言葉を忘れないようにしていただきたい。

そして、みなさんがたとえ毎日15分しか時間がないにしても、自分自身のことを忙しさのあまりほんのわずかしか勉強できないなどと思わないようにしていただきたいのである。

それでは、みなさん、さようなら。

(Farewell Address(Interpretations of Literature,11,1915))

訳 池田雅之


最後の英文が出てこなければ、


八雲先生が外国人だったことを忘れて


読めてしまうほど、流暢な文章で。


文学が今より違う光を放っていた頃の


警鐘のように感じられ


かつ、読むことが創ることと


同義とされているのか、


ちとわかりかねるけれど


今にも通じる内容の日本語の文章だったので


引いてみました。


たとえわずかでも毎日コツコツ、っていうのは


辛いけれど確かに大きな実になるのかもしれない。


余談だけれど、黒澤明監督が本を読むにしても、


だらだら読むだけじゃなく


気になったところを書き出せ、


それが脚本につながるってのを書いていたのを


思い出した。


自分は脚本家ではないけれど、


養老先生の「人生学」ってのを


思えば、こういうのもアリなのかもしれない。


 


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周辺から阿部謹也先生のお人柄に触れる [’23年以前の”新旧の価値観”]

阿部謹也最初の授業・最後の授業―附・追悼の記録


阿部謹也最初の授業・最後の授業―附・追悼の記録

  • 出版社/メーカー: 日本エディタースクール出版部
  • 発売日: 2008/9/1
  • メディア: 単行本

授業内容に興味があって入手したものの


授業・講義よりも「附・追悼の記録」の


方がなかなか読ませられた書でございます。


 


追悼の記録


■深読み


先生の言葉(2006年12月号「群像」) から抜粋


安斎雅之(作家)


先日、先生が死んだ。

先生とは、私の大学時代の恩師、阿部謹也氏のことである。

享年71歳。

先生は日本を代表する歴史学者の一人として有名だが、私にとってはまさに人生の師匠と言うべき存在であった。

ハーメルンの笛吹き男』『「世間」とは何か』など、その著作は数多いが、私が先生から受け取った重要な言葉のほとんどは、活字からではなく、もっぱら先生とのたわいもない雑談においてであった。

学校や喫茶店など様々な場面で受け取った言葉は、今も私の心に奇妙な引っ掛かりを残している。

軽い冗談の一言も弟子からすると、そのひとつひとつが深い意味の塊のように思えた。


かの内田樹先生曰く、師とは、わけのわからない謎を投げかけることによって、常に弟子をリードする存在である。

弟子がその言葉を勝手に深読みし、大いに誤解することによってのみ、師はより偉大な師となっていくのだ。

まったく、先生の言葉ほど深読みして楽しいことはない。


ある飲み会の時、先生は、出た刺身を食べてしみじみとこう言った。

「魚を獲って暮らす人は幸せだ」

それを聞いた弟子の我々は、飲み会が終わってから延々とその言葉の解釈について議論した。

「漁師になりたいということかね」

「いや、歴史的にもっと漁師に注目しろと言っているのだ」

「いやいや、所詮、学者などというのは虚業だと言うことだ」

「違う、キリスト教的見地から人間の営みを考えろということだ!」

「えー、単純にこの刺身おいしいねっていうことじゃないの?」

「(一同)違う!」


■ドイツ、オーストラリア旅物語 第21回


生と死の世界11 (「波」2006年12月号)から抜粋


赤川次郎(作家)


私はあるカルチャースクールで阿部さんの講座があるのを知って、何回か通った。

そしてその数年後に、雑誌「世界」で受け持っていた連載対談の相手に「阿部さんをぜひ」とお願いして、お目にかかることができた。

もちろん阿部さんは「三毛猫ホームズ」の作者のことなぞ知るわけもない。

お会いして、

カルチャースクールでお話を伺いました

と言うと、阿部さんは、

だからああいうのはいやなんだよな、誰が聞きに来てるか分からないんだから

と、苦笑されていた

私に阿部さんの学説を紹介することなどできないが、対談の後、雑談をしていて、

うちの子はあまり僕の本を読みません

と言うと、阿部さんは、

うちなんか絶対に読みませんよ!

と、強い口調で言っていた。

小説と研究書では違うだろうが、温厚な印象ではあっても、お宅では結構気難しいのかな、と思ったことを憶えている。

学究肌という人ではなく、中世の研究が今の日本の世の中にどう活きるか、常に考えていたと思う。


学問の世界にあって、阿部謹也さんは、一種「異端」であったかもしれない。

もちろん、これは一素人の漠然とした印象でしかないけれども。

もともと、阿部さんがヨーロッパに関心を持ったきっかけは、子供のころ、家が貧しくてカトリックの修道院の施設で暮らしたという経験から来ている。

阿部さんはそこで、聖職者や修道女の、表向きの顔とは別の生々しい感情や個性に触れて、キリスト教についても懐疑的な目を養ったようである。

対談のときも、ヨーロッパの文化がキリスト教文明そのものと思っていた私は、阿部さんが、キリスト教が本来のヨーロッパの文化を変えてしまった、といった意味のことを言われるのを聞いて、ハッとした。


阿部さんは、「きれいごと」の歴史よりも、むしろどの時代にあっても存在した「差別された人々」に強く関心を寄せた

今は「ロマ」と呼ばれるジプシーや、死刑執行人、皮革(ひかく)業者などの、市民社会の外にいる人々にこそ、真の庶民の歴史がある、と考えておられたのだろう。

ともかく、私はそれまでドイツ文学の中で読んでいた「放浪学生」や「職人」たちの具体的な映像を、阿部さんの著作から得たのである。

ヘッセの諸作に見る、「さすらう」ことの意味。

それを日々の日常生活という形で教えてくれた阿部さんの著書を、またいつかゆっくりと読み返してみたいものだ。


■編集部の手帖


阿部謹也さんのもとから離れなかったもの(毎日新聞2006年10月8日)


松家仁之(新潮社)


『ハーメルンの笛吹き男』(1974年)や『中世の窓から』(1981年)など、ヨーロッパ中世に生きた人々の世界を描く著作は、歴史の表舞台には現れない仕立屋や石工、靴職人、桶職人、そして、子どもたちや寡婦など庶民の世界をあざやかに蘇らせた、無類の面白さと新鮮な驚きに溢れるものでした。

世界史に名を残す歴史的人物や事件の評価は、時代の流れとともに大きく変わる場合があります。

しかし、阿部謹也さんの著作が描き出した無名の人々の世界は、今後、新たな発見が加えられることがあるにしても、180度評価が覆ることはないだろう、と感じられるものでした。

そこには人間の普遍的な何かが、生身の人間の息吹をともなって描き出されていたのです。


歴史の全体像とは、大きな事件の羅列だけでは成り立ち得ないものだということを、阿部謹也さんの著作は私たちに伝えました。

そしてこの普遍性は、「歴史とは何か」を根本的にとらえ直すことにもつながる批判的視点を含んでいました。

阿部謹也さんの後年の大きな研究テーマとなった「世間」論の土台は、すでにここでしっかりと築かれていたのです。


■書評


阿部謹也著『歴史家の自画像』(日本エディタースクール出版部)


遠い時代の生活感覚探る から抜粋


竹内洋(関西大学教授)


(読売新聞2006年12月10日)


歴史小説や時代小説は、あくまで現代人を描いているのである。

そこには「われわれが知らない人間は出てこない」。

だから時代小説や歴史小説は「現代小説」なのだ。

歴史小説や時代小説は、たしかに人間を描いてはいるが、必ずしも中世や江戸時代の人間そのものを描いているわけではない。

だとすれば、歴史家は、考え方が現代人とは違う遠い時代の人間を再現することをこそしなければならない。

現在とはまったくといっていいほど異なる

風景や音や匂いのなかでの人々の生活感覚をすくいだすことによって、いまの社会人や人間を相対化できるからである。

著者の社会史研究はまさにそういうものだった。


■最初の読者から


遺書のような 阿部晨子


(「一冊の本」朝日新聞者社2007年1月号)から抜粋


近代化と世間』の校正をしていた夫は、赤ペンで、数行書き加えました。

2006年9月4日の午後のことです。

その日の夜、阿部謹也は、急逝しました。

そのため、この本の三校のゲラは私が見ることになり、

この本の中には僕のこれまでの仕事が、全て入っている。総決算みたいなもの」

と夫が話していたのを思い出したのでした。


ゲラを見ていて、さらに思い出すことがあります。

トインビーが75歳の時に書いた文章を読んでいた夫は、

「トインビーは西欧文明が嫌いだと言っている。その理由は、西欧文明がヒットラーやムッソリーニ、原爆を生み出し、2度の世界大戦を起こしたからだという。そして、トインビー自身は、西欧の人間として、ヒットラーにも原爆にも責任を感じている」

と言いました。

「トインビーは昔日本へ来たことがあったわね。イギリス人なのに、ヒットラーや原爆に責任を感じているとは偉い。自分の国がしたことに責任を感じていない人も大勢いるのに」

というように私は答えました。

夫は、人類の未来、地球の現状を憂うる気持ちを強めていました。

人類の危機が、ここまで来た原因はキリスト教にある。人間がこの世の主人であり、動植物はその人間に仕えるためにあるというキリスト教のもとで自然科学が進み、西欧文明が栄え、自然破壊、地球の温暖化などの危機が迫ってきている

それなのに危機を感じても、人々は自分は何もできないと諦めて、日々の暮らしにいそしんでいる」。

西欧文明を批判する夫は、「山川草木国土悉皆(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」という仏教の方へ気持ちを寄せていたようです。

しかし最後まで、「自分は無宗教だ」と言っていましたので、葬儀は無宗教にしました。


夫は親鸞の呪術の否定、世間の否定という生き方を高く評価していました。

「親鸞は来世を語らなかった。往相(おうそう)とは、死後のことではなく、この世で、一定の理解に到達すること。還相も勿論、いかに生きるかという中にある」

というように理解していたようです。

最後まで如何に生きるかを考えていたのでした。


奥様しか書くことのできない文章で


先生をとてもよく


表されているのだろうなあと。


自分はよく知っても読んでも


いないのだけど。


最後の書は、数ヶ月前読んでみたけれど


そこまで深いものだったとは全く気づけず。


解説の養老先生は流石に指摘されておられたけど。


最後はこれまたならでは


ご子息の文章でございます。


大変ユニークでした。


記憶の断片を訪ねて 阿部道生


から抜粋


記憶に残る父との対話は、そのほとんどが幼少期に集中している。

中学以降の自分は漠然とした気持ちとして、

父と正面きった喧嘩をしてはいけない

と感じており、結局のところ対話らしい対話も晩年まであまり話さなかったような気がする。

自分も父も、はっきり言ってしまえば世で言うところの「喧嘩好き」の部類に入るはずなので、この感覚は不思議なものではあった。


ご子息は、先生は


いろいろ口うるさく助言してくるものの


礎は小樽で過ごした少年時代にあり


「基本的根幹の部分が父との関わりと


共に形成されていったことに気づ」かされ


意義深く、今は感謝されていると


いうようなことが記される。


 


阿部先生の家族ってのもなかなか


大変だろうなあ、と。


これだけ世界を渡り歩かされ、


知の巨人である一家の大黒柱


財政面では労はなかったかもしれないが


メンタル面でのプレッシャーはいかほどか。


 


とはいえ、なんとなく感じるのだけど


先生の言っていることから、


そこはかとなく感じるのが


”自分であれ”、っていうのが根底にありそうなので


支障ないかもしれないが、って他人が


とやかくいうことじゃないす、すみません。


 


最初のくだりで喧嘩好きってあるけれど


阿部先生のイメージは温厚で喧嘩好きには


見えないのだけど違う面もあったのかもしれない。


誰でも家族に見せる顔というのは


パブリックとは異なるだろうが。


 


一言だけ追加、ご子息によると先生は


捻くれていた、とのこと。


シンパシーを感じるわけだよ、やっぱりなあ、と


思った土曜日、昼ごはん作らないと。


 


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