養老先生の共同監訳から”起源ORIGINS”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]
起源をたずねて (The Darwin College Lectures)
- 出版社/メーカー: 産業図書
- 発売日: 1993/10/01
- メディア: 単行本
この書へのきっかけも前回同様
訳者である養老先生なのですが
監訳ということで直接翻訳されているのはなかった。
あとがきも、共同監訳である村上陽一郎先生のものなのか
養老先生のものなのか無記名のためわからないのだけど
読んだ感じ養老先生ではないかと睨んでおります。
村上先生のは読んだことがないのでわからないけれど
今後読んでみたいテーマをいただくことができた。
監訳者あとがき から
起源とはつまり「そもそもの始まり」であり、聖書や神話が天地創造がはじまるのは、よく知られたことである。
恋物語なら、そもそものなれそめから始まる。
人はだれでも、なにについてであれ、そもそもの始まりを知りたいらしいのである。
ときどき思うのだが、日本では、諸物の起源を論じるより、しばしば「きまり」が優先するように思われる。
この国では、ものごとは、だいたいそうするものだ、と決まっているのである。
どうしてそうなのか、と尋ねても、はかばかしい答えが返ってこない。
起源とは、結局は前提をとことんまで詰めたところであると思えるのだが、そういう詰め方は歓迎されない社会らしい。
学問までがそれでは、困るような気がする。
その意味では、この書物は、この国に紹介されるべき書物なのである。
本書はケンブリッジ大学のダーウィン・コリッジで行われた、起源に関する連続講演をまとめたものである。
宇宙、太陽系、複雑さ、人間、社会行動や言語などの起源を、それぞれの分野で著名な専門家たちが語る、自然科学から人文社会科学
にわたる、広範な主題を扱うので、学生や一般の人から専門家まで、読んでみてよい本だろう。
ダーウィン・コレッジは、進化学者チャールス・ダーウィンを記念した名称であり、ダーウィンの『種の起源』がこの連続講演の主題「起源」の背景になっている。
むしろ「起源」ということばが、ただちにダーウィンを連想させるのであろう。
こういうところが、英国の学問の歴史の重みかもしれない。
本書の内容については、多言を要しないはずである。
それぞれの項は、たいへん興味深く。要領を得ていると感じられる。
こういう形で、起源について総説してくれている書物はあんがい少ない。
その意味では、参考書としても便利に使える。
それぞれの部分には執筆者の個性がよく出ており、これも、なんでも統一を好む日本風とは、やや異なった雰囲気をかもし出している。
監訳は、村上陽一郎と養老孟司とで行なった。
それぞれの部分の訳者も、それぞれの分野の専門家であり、すでに述べたように、原文がそれぞれ個性があるので、無理な統一はとっていない。
訳文はできるだけ一般の理解に向くようにつとめたが、もちろん、やさしいだけ、という内容ではない。
その意味で、なかなか読みごたえのある書物である。
とこれにて満足なのだっただけど
なんとなく本文も気になるのは目次から引かせていただきまして
[1] 宇宙の起源
マーティン・J・リース/和田純夫訳
[2] 太陽系の起源
デイビッド・W・ヒューズ/松井孝典訳
[3] 複雑性の起源
イリヤ・プリゴジン/北原和夫訳
[4] 人類の起源と進化
デイヴィッド・ピルビーム/佐倉統訳
[5] 社会行動の起源
ジョン・メイナード・スミス/岸由二訳
[6] 社会の起源
アーネスト・ゲルナー/村上陽一郎訳
[7] 言語の諸起源
ジョン・ライアンズ/正高信男訳
見たことのあるお名前が何名か。
こうしてお互いの仕事を見て交流を深めておられたのかと
マニアックな読み方をするのでした。
で、本文から二つほど引かせていただくと。
[2] 太陽系の起源
Origin of the solar system
デビッド・W・ヒューズ
松井孝典訳
地球およびその他の惑星の起源についての問題は、科学の基本的な問題の一つであるが、まだ解明されていない。
そこには主として二つの困難がある。
まず、我々は初期条件を知らない。
そのためその最終段階、つまり私たちが見ている太陽系は、さまざまな方法で作ることができる。
二番目の困難はさらに本質的である。
我々はたったひとつの惑星系、即ち我々が住んでいる太陽系しか詳細に研究できない。
したがってこの場合統計学は何の役にも立たない。
我々の太陽系とその進化は宇宙の中では一般的ではなく、統計的にみたら普通である状態から大きくずれているということもありうる。
他の考え から抜粋
月の起源はいつの時代もかなりの関心事だった。
20世紀初頭の月の起源説はやはり、回転する流体から引きちぎられた物質の凝縮という考え方で、これは潮汐説と共通している。
図2・25に典型的なシナリオを示す。
ジーンズは回転している流体の分裂は普通質量比が大体10:1になることを発見したが、不幸にも地球と月の質量比は約81:1である。
地球と火星の質量比は9:1で金星と木星のそれは15:1である。
このことは偶然ではないかもしれない。
図2・25のキャプションから
原始惑星は収縮するにつれて速く回転する。流体的な物体は形を変え、くびれて二つの大きな破片に分裂する。
その質量比は10:1になる傾向がある。
より小さな破片は壊れたところに残されたかもしれない。
地球と火星はこうして作られたのかもしれない。(質量比9:1)。
月は(地球質量の1/81)小さな破片の一つだったかもしれない。
(splendour of the Heavens,eds. T.E.R. Phillips and W.H.Steavenson Hutchinson,1923,p.3. )
図2・25とおなじものと思われる画像
図2・25の中にあるテキスト
First sphere 最初は球体
Then an egg それから卵型
Afterwards pearshape その後に洋梨型
The stalk-end breaks 茎の先が壊れる
And from the moon そして月ができる
Shape today 現在の形
[5] 社会行動の起源
ジョン・メイナード・スミス
岸由二訳
序 から抜粋
本章の初めの部分は、動物界における社会行動の起源の問題を扱う。
理論的な難点は自明であろう。
ダーウィン流の自然淘汰は個体の生存と繁殖を促すような特性にとって有利に作用するはずである。
では、個体が他個体を助ける協力的な行動はいかに説明したら良いだろうか。
自らの繁殖を犠牲にして個体が他個体を助けるような場合は、とりわけ説明が困難となろう。
しかもそんな行動は、特に社会性昆虫に顕著なように、実際に存在するのである。
ここでは過去20年の間に、主として他の研究者たちの仕事によって明らかにされてきた様相を要約しておくことにしたい。
そのあとで私は、人間と動物における社会行動のメカニズムの相違を論じたい。
その際私は、社会契約ゲームという、特殊なゲームを論ずる形で議論を進めるつもりである。
いくつかの本質的な相違がそこに凝縮されていると考えるからだ。
すなわち、言語と特殊な自意識の存在である。
ただし、社会契約ゲームは確かに動物と人間の相違を解明にするものではあるが、人間社会のモデルとしては特に十分なものというわけではない。
選択可能な行動をめぐって人々に相違がある事実を、そのモデルは捨象している、というのが主な理由である。
そこで私は、そのような相違の意義を議論して、本稿を締め括ることにしたい。
人間社会を理解するための革新的な問題点は、個人が集団を構成する際の様式にあるという考え方が、私の論議の結論となろう。
オリジナルはなにか、
どこがオリジナルの発生なのかを
追求しようとすると気が遠くなるくらい
遡るのだろう。
俺が作った、というものほど、
誰かの模倣だったりするわけで。
本文の一部、主たるテーマではないけど
気になった箇所を追加で引かせていただきます。
[7] 言語の諸起源 から
『種の起源』の出版は1859年に出版された。
『人間の由来』と『人と動物における感情の表出』は12年そこら遅れて、1871年と1872年にそれぞれ出版された。
言語の起源(あるいは諸起源)に関するダーウィン自身の見解については後ほど言及したいと思っている。
いずれわかるように、彼は実際には起源(origin)という単数形の単語を使い、その意味では、単起源説に当然賛意を表したのであるが、また別の意味で言語が多重の(もしくは少なくとも二重の)起源を持つという見解を明白に擁護していた。
日本人の感覚からすると苦手な、単・複数の概念。
そこに重い意味があるという
書名「The origin of species」。オリジンにない「s」。
強調と主張、反抗みたいなものが現れているのか。
それにしても、ものには何らか起源があるのだろうが
それを知りたいのが人であるというのが
この書のまえがきの言説。
でもそれはそんなに大事なのだろうか、
とちゃぶ台返しのようなことを
思ってしまう自分がいます。
それにわからないこともあって然るべきのものの
一つなんじゃないか、
調べるのはいいけど、論争している時間は
もったいなくないかなみたいな。
やりたくてやっているわけじゃないのかもしれない。
戦争のようなもので。
かの大瀧詠一さんが仰っていたのだけど
この曲はこれの影響なんて簡単に言えるものはない
オリジナルを発見なんて、それにも何かの影響があるのだ
発見なんて、そういう態度が不遜だよ
歴史は長いんだもの
みたいなことを仰っていたのが
わすれられないなと思った。
といっても、この書籍をディスっているわけでは
ございませんのでどうか悪しからず。
曇りの休日の朝、ゆっくり休み書店にでも行きたい
蒸し暑い関東地方からお届けしました。