”ミーム”とドーキンス氏の翻訳のご苦労を察する [’23年以前の”新旧の価値観”]
ささやかな知のロウソク―ドーキンス自伝2―:科学に捧げた半生
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2017/02/23
- メディア: 単行本
着想を得た頃、また名称、読み方の指南などを
されておられる。
阿部謹也・日高敏隆先生との対談で
日高先生がすでに仰られていたが
英語がわかるとこういう推測もできるって
素敵だなあと思った。
編まれた本の糸を解きほぐす
ミーム から抜粋
1976年に『利己的な遺伝子』で普遍的ダーウィン主義という概念を紹介したとき、潜在的に強力な自己複製子ーーDNAの仮説上の代案ーーとして、私は他のどんな例を取り上げることができただろう?
コンピュータ・ウィルスであればその役を務められただろうが、それはどこかのさもしい小心者によって発明されただけのものであり、たとえ思い当たったとしても、そんなアイデアを喧伝などしたくないと思ったに違いない。
私は見知らぬ惑星上で奇妙な自己複製子が存在する可能性について触れ、こう続けた。
『利己的な遺伝子』(日高・岸・羽田・垂水訳)から
別種の自己複製子と、その必然的産物である別種の進化を見つけるためには、はるか遠方の世界へ出かける必要があるのだろうか。
私の考えるところでは、新種の自己複製子が最近まさにこの惑星上に登場しているのである。
私たちはそれと現に鼻をつき合わせているのだ。
それはまだ未発達な状態にあり、依然としてその原始スープの中に無器用に漂っている。
しかしすでにそれはかなりの速度で進化的変化を達成しており、遺伝子という古参の自己複製子ははるか後方に遅れてあえいでいるありさまである。
文化的な進化が、遺伝的な進化の何桁も大きな速度で進むのは事実である。
しかし、もし私がこのとき、
”ミームの自然淘汰に文化的な進化のすべての手柄を認めるべきだ”
というようなつもりだったとしたら、それは早まりすぎでフライングのそしりはまぬがれなかったことだろう。
それはそうとして、私はそこまで大胆な物言いをするつもりはなかった。
たとえば、言語の進化は明らかに、淘汰まがいのものというよりは浮動(ミーム浮動)に負うところが多い。
私はつづけて、それを表す言葉そのものの造語に向かった。
『利己的な遺伝子』(日高・岸・羽田・垂水訳)から
新登場のスープは、人間の文化というスープである。
新登場の自己複製子にも名前が必要だ。
文化伝達の単位、あるいは模倣の単位という概念を伝える名詞である。
模倣に相当するギリシャ語の語根を取れば<mimeme>ということになるが、私のほしいのは、<ジーン(遺伝子)>ということばと発音の似ている単音節の単語だ。
そこで、このギリシャ語の語根を<ミーム(meme)>と縮めてしまうことにする。
私の友人の古典学者諸氏には御寛容を乞う次第だ。
もし慰めがあるとすれば、ミームという単語は<記憶(memory)>、あるいはこれに相当するフランス語の<meme>という単語にかけることができるということだろう。
なお、この単語は、「クリーム」と同じ韻を踏ませて発音していただきたい。
遺伝子がお互いの適合性によって淘汰されるのとまったく同じように、ミームも原理的にはそうであってもいい。
ミーム学についての大量の文献では、「ミーム複合体(コンプレックス)」の略語として「ミームプレックス」という言葉が採用されてきた。
『利己的な遺伝子』のなかで、私は協調的な遺伝子複合合体という概念(このときは「進化的に安定な遺伝子セット」というフレーズを使った)をふたたび持ち出し、試みに以下のように、ミーム学との類似点を比較した。
『利己的な遺伝子』(日高・岸・羽田・垂水訳、一部改変)から
たとえば肉食動物の遺伝子プールでは、互いに適合した(suitable※)、歯、爪、消化管、そして感覚器官が進化し、一方草動物の遺伝子プールでは、これとは異なった諸特性が安定したセットを形成している。
ミーム・プールでもこれらに似たことが起こるだろうか。
たとえば、神のミームが他の特定のミームと結びついて、この結びつきが当のミームたちそれぞれの生存を促進するようなことがあるだろうか。
もしかすると、独特の建築、儀式、律法、音楽、芸術、そして文字として書かれた伝統をともなった教会組織などは、互助的なミームの相互適応的安定セットの一例かもしれない。
suitable※=これはたぶん、「安定な(stable)」の誤植で、今日の滑稽な「オートコレクト」ソフトに匹敵するような人間によってもたらされたもののはずだ。
もしそうなら、これはたまたま二つの単語のどちらでも意味が通る、幸運な誤植の例である。ひょっとしたら、有利なミーム突然変異のまれな実例かもしれない。
ドーキンス節炸裂!
注釈までドーキンス節の継承!
『利己的な遺伝子』は
やっぱり購入せんとならんのかなあ。
市の行政の電子書籍ではレンタルしたのだけど、
とても1−2週間では読めないすよ。
他にも読む本も沢山あるし、某資格の勉強も
そろそろ始めないとならないんだから!
と怒りの矛先をドーキンスに向けてみた。
それにしても表現がなんとも豊かで教養というか
経験値が横溢して見えるのは翻訳の力なのか?
と思い、訳者様の労に興味が移ってしまったです。
訳者あとがき 垂水雄二(2017年)から抜粋
このドーキンス自伝の第二巻は、精神の形成史を語った第1巻とはちがって、さまざまな活動を通じて出会った人々との交友録が中心になっている。
登場する絢爛豪華な顔ぶれとの交流を読みながら、同世代の人間として、その住む世界のあまりの違いように圧倒される。
世界のトップクラスの有名人がつぎつぎとドーキンスの人生と交錯するさまは、あまりにも眩しく、クラクラしてしまう。
途方もない自慢話を聞かされているようで、ウンザリする人がいるかもしれないが、少なくともドーキンスの愛読者にとっては、面白く読めるはずだ。
随所に、著名人にまつわる、ちょっとどころではない、いい話が出てきて、腹を抱えたり、苦笑いしたり、あるいは涙腺を刺激されることになるのは請け合える。
とくに、終わりの方の章(「編み上げた本の糸をほぐす」)で、自らの著作と活動を通じて、「利己的な遺伝子」、「延長された表現型」、「ミーム」などのキー概念がどのようにして生まれ、発展していったか、種明かしをしているのは読み応えがある。
ドーキンス風の表現をすれば、彼の脳内のミーム進化史と呼べるもので、彼の思考の過程を知るすぐれた手がかりを与えてくれる。
この本には、編集者とのかかわりについて書かれた章(「出版社を得るものは恵みを得る」)があるので、それにならって、翻訳者としての私とドーキンスのかかわりについて簡単に述べておきたい。
研究者としての自分の能力に見切りをつけて、私は出版界に身を投じたのだが、最初に携わった仕事は小さな出版社での編集であった。
そこでは、主として生物学関係の翻訳出版を手がけたが、なかでも動物行動学関係の書籍が多かった。
ちょうど、コンラート・ローレンツ、ニコ・ティンバーゲン、カール・フォン・フリッシュの三人がノーベル賞を受賞したこともあって、動物行動学が脚光を浴びていた時代だった。
言うまでもないことだが、ドーキンスはこの動物行動学の後継者で、ティンバーゲンの弟子として、研究生活を始めている。
いやいや、知りませんでしたよ。
不勉強で申し訳ございません。
この書籍を読めば書いてあるのだろうけど。
読んでても忘れてしまうほどの分厚さでして。
前作にあったけれど動物行動学はやってたけれど
ナチュラリストじゃなかったってことなのかなあ。
なんとなく不思議な気がするが
読み落としだろか。
私は、ローレンツやティンバーゲンの著作の翻訳出版をいくつか手がけたのだが、そうした本の翻訳者として、当時東京農工大学の教授(のちに京大教授、滋賀県立大学学長などを歴任)だった日高敏隆さん(あえて先生とは呼ばない)にお世話になった。
ご存知のように日高さんは、ローレンツやデズモンド・モリスに始まり、ドーキンスに至るまで、つねに世界の動物学の最先端情報を日本に紹介してきた、すぐれた啓蒙家であった。
私は日高さんの直接の弟子ではなく、あくまで編集者とし著者の関係だったが、どういうわけか、気が合い、なにかと目をかけていただいた。
私が最初の出版社を辞めたときには、次の出版社を紹介するという労をとってくださった。
その頃、編集者仲間から、翻訳を引き受けてくれないかという話がちょくちょくあり、編集稼業のかたわら、一年に一冊ほど翻訳の仕事を引き受けていた。
しかしそれはあくまで、副業としてだった。
ところが、1990年代に、本書にも触れられているように、ドーキンスの『利己的な遺伝子』の増補版が出て、新たな二章が追加された。
この本の最初の版の売れ行きが良かったので、版元としては、大急ぎで増補版を出したいという意向があり、日高さんがその追加の二章の翻訳者として私を推薦してくれたのだ。
質はともかくスピードには自信があったので、引き受け、無事に出版に至った。
この本は、原著出版30周年記念にさらなる増補改定を加えて刊行され、現在も、この分野のベストセラーの地位を保っている。
この本の翻訳者の一人に付け加えていただいたおかげで、翻訳者としての知名度が一気に上がり、ありがたいことに、その後のドーキンスの著作の翻訳の多くが私のところにまわってくるようになった。
ドーキンスの文章は、非常に端正なものだと思うが、表現に工夫を凝らしているので、翻訳者には手強いところがある。
月並みな表現を潔しとしないため、ふつうの辞典には載っていないような単語や成句を使うことがよくある。
それよりも厄介なのは、古典文学、詩歌、聖書からの引用が頻繁になされ、ときには、なんの注記もなしに地の文に紛れ込んでいる時がある。
翻訳者は教養を問われることになり、その典拠を探すのに追われるのだ。
インターネットが普及する以前には、最後に公共図書館に籠って、そういう典拠探しに時間をかけたものだが、活字だけでの検索には限界がある。
幸い、現在では、信じられないような検索能力をもつGoogleがあり、詩の一節でも容易に探し出すことができる。
手間さえかければ、出典を見つけるのはむずかしくないというのは、翻訳者にとってはまことにありがたい。
また、出典がわかっても詩の翻訳はむずかしく、理科系の人間としてはたいへんな難事業である。
本書でも、最後を締めくくるドーキンス自身の2行連句は、見事な脚韻を踏んでいるのだが、訳者の力量では、それをふさわしい日本語に置き換えるのは不可能だった。
読者の寛恕(かんじょ)をたまわりたい。
なかなか大変な仕事ですが、
本当に読みやすくしていただき
ありがとうございます。
読んでて気持ちが良いですよ。
詩の部分も素敵と思いますけれど。
って誰に言っているのか不明なのだが
良い仕事をする人の周りには
良い人が、という連鎖のようで
この”訳者あとがき”も引かせていただきました。
そろそろ食事しないと、んで夜勤行ってまいります。
読書にいくら時間があっても足りねーなー。