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トインビー博士の書から”戦後日本”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

人と思想 69 トインビー


人と思想 69 トインビー

  • 作者: 吉沢 五郎
  • 出版社/メーカー: 清水書院
  • 発売日: 1982/02/15
  • メディア: 単行本

”トインビー博士”といっても今は

あまり知られてなさそうな。

自分も阿部謹也先生の本を読むまでは


恐縮ながら存じ上げませでした。


IV トインビーと日本


近代化の意義と日本


『歴史の研究』と日本


から抜粋


第二回の訪日は、1956(昭和31)年、67歳の時でありヴェロニカ夫人を伴ってのことであった。

ヴェロニカ夫人は、トインビーの共同研究者であり、研究の不備を実際に現地で補うことにあった。

すなわち『歴史の研究』は、1934年に最初の3巻が刊行された。

それ以来20年間に及ぶ時間的空白がある。

そこで、あらためて新たな知識を補充するとともに、その間によせられた数多くの批判に応えようとしたものである。


平和への新たな使命 から抜粋


また2回目のトインビーの滞在中には、当初の予定をこえて、国内各地の大学等で、多くの講演会がもたれた。

なかでも、その最終講演である「世界史における日本」は、直接日本を主題にかがげたものであり、さらにトインビー史学の真髄をつたえるものとして、多大な感動をよぶものであった。


トインビー博士の副読本ともいう書で


生い立ちから亡くなるまでの要諦がつかめる。


英国生まれで、ご両親や親戚からの影響が


相当に濃いことが分かる。


トロイの木馬で有名なシュリーマンにも


傾倒されていたと。


神話にひとかたならぬ興味があった


発芽はここからか。


歴史研究の一環で世界旅行に出た時の


タイミングで来日されたようでございます。



歴史の教訓 (1957年)

歴史の教訓 (1957年)

  • 出版社/メーカー:岩波書店
  • 発売日: 1979/03/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


世界史における日本


"The Role of Japan in World History.”


から抜粋


およそ一国の歴史における最も興味深い諸特色というものは、際立った特色なのである。

日本の歴史において明らかに際立った一つの特色は、日本の島国性である。

日本は、とおく先史時代から、近代技術文明によって『距離が抹殺』された最近の時代に至るまで、引き続いて、海によって大陸から隔離・孤立させられてきたのである。


日本は1945年までは、勝利者たる外国軍隊に占領をされた経験が一度もなかった。

その以前に日本を侵略しようとした歴史上の意図につき、私としては二つの例を知っているに過ぎない。

それは2度とも蒙古人によるもので、2度とも失敗に終わったものである。

無論、第二次世界大戦の敗戦が、日本人にとって最初の敗戦の経験ではない。

だが、以前の日本人の敗戦というのは、豊臣秀吉の朝鮮征伐のような、日本が他の国を征服しようとしたために招いた敗戦か、でなければ、勝ったものも負けたものも互いに日本人だといったような内乱における敗戦かのどちらかであった。


英国国民が、1066年に、ノルマン人によるイギリスの占領という画時代的な経験をしたのと同じ経験を、日本国民は1945年以前にしたことはなかった。


島国性のために、日本国民は外国の影響に対して抵抗性があった

つまり、外国の影響を排除しようとし、または、それを日本に受け入れた場合にその受け入れたものを、なにかしら際立って日本的なものに作り変えてしまおうとしたのである。

と、同時に、日本人は、一たん外来の文明を取り入れようと決めたら、その文明を会得してそれを自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものにするという点では、島国性のより少ない他の諸外国民より偉大な才能を発揮した。


西暦紀元6、7世紀には、シナの文学や行政制度を取り入れるとともに、仏教と仏教美術とを取り入れた。

そうした複合的外国文化の受け入れに引き続いて、奈良朝時代、日本の国土において、人類がかつて創造した最高の芸術の一つを開花させたのであった。

19世紀には日本は西洋世界の科学と技術を取り入れた。

物質的な力をうるための近代的な鍵となるものを手に入れた、そういう段階につづいて、明治以後における日本の工業上、軍事上の力というものの驚くべき発達が成し遂げられ、日本は、20世紀前半における世界の列強の一つにのしあがった。

その反面においては、16世紀にイエズイットのキリシタン伝道使節が、宗教までを含めた完全な形の西方文明を日本に持ってきた時、日本はそれをしりぞけて、200年以上の長い間、用心深くいっさいの外部世界から隔離して閉じ籠ったのであった。


その日本が19世紀になって、その政策をあらためて、再び門戸を開放したときにも、精神生活の面は依然として外国の影響から絶縁させておこうと努めた。

つまり日本は、西洋のやり方を取り入れるのを、実用的な事柄に限ろうとしたわけである。


恐らく、日本が仏教とシナ文化とを歓迎したときが、外国文明を最も全心全力をかたむけて取り入れた時であったと言える、

しかし、藤原時代になって、それが日本という国土で何か際立った日本的なものに変化し始めるようなり、鎌倉時代には全く日本的なものに変えられてしまった。


外国の影響に対するそういったさまざまな日本人の反応の仕方は、多分世界史の研究をする者にとって最も興味深い日本史の一面であろう。

異なった文明の相互間の邂逅接触(エンカウンター)ということは、いつでも歴史上の重要な出来事だったのである。

そして、相互間の意思交流の手段が急速に進み、世界中の諸国民が過去のどの時代にもかつてなかったほどに、ずっと緊密に接触し合うようになっている現代では、そういう邂逅接触の重要度は増大しつつある。


つまり、「近代的な発明によって世界が一つになりつつある今となっては、日本は全面的に人間家族の完全な一員とならなければならないだろう」と。


新たに解放された諸国民は、国家主義的になる傾向がある。

しかし我々は、距離が克服されて原始兵器が発明された今の時代では、もはや国家主義にふけっているわけにはいかない。

日本人はそういった面を体験して生き抜いてきたのだし、痛ましい経験によって国家主義の限界を学び得たのである。

いま開かれようとしている世界史の新しい章(チャプター)で、日本は、他のアジア諸国の先べんをつけるべき機会を持っている。


この新しい時代においては、人類が自滅しないものとすれば、人類は少なくとも一家族として生きてゆくことを学ばなければならない

この事態を乗り越えるというわれわれ人類共通の大事業に、日本が果たすべき先覚者的な役割があるものと私は確信する。

(NHKより11月27日に放送)


日本の読者へ から抜粋


私自身の仕事においては、私はつねに、われわれの時代の諸問題を過去という背景の前において眺めるようにつとめ、また、それとは逆に、過去を現在と関連を持たせて眺めるようとつとめてきた。

時間は、人間に関することがらの精髄をなすものであり、人間に関することがらは、それらが時間を通して動いているものとして眺めるのでなければ、われわれはそれらの本当の姿を見ることはできないのである。

歴史を研究するにあたって、私の希望とするところは、われわれが、われわれの時代において作り出している歴史を理解する上に、私が些少なりとも、いくらかの貢献をなしうるのではないかということである。


われわれの行為の結果が善となるか悪となるかは、われわれによって決まるのである。

どの個人も、その責任の一部を分かち持つものである。

これは人間たるものの天命の一部をなすものなのである。

だれも、そのことから逃れることはできない。


世界が現在の危機から幸福な結果を得られるように積極的な役割を演ずるための刺戟となるはずである。


これが私自身の思考や感情の背景をなすものであり、私は、私の日本の読者の方がこのことを念頭に置かれることを望んでいる。


1957年3月 ベイルートにて

A・J・トインビー


近代化が済んだ日本に何が残っているのか


それは希望ではなかった、というと


村上龍先生のようになってしまうのだけど


トインビーの講演から若干無理矢理だが


今をつなげるとそうなってしまう。


アジア諸国やグローバルサウスへの日本の


非貢献度合いをトインビー博士が見たら


嘆くだろうなあ、だが、50年代から時代は


大きく変節しているしなとも思うのだけど


どうしても古い学者の言説だ、と看過し得ない


ものがあるなあと思った。


グローバリゼーションの現代をどのように


見ただろうなどとも思ったり。


余談だけれど、トインビー博士が言っている


奈良朝時代の最高の芸術って何を指しているか。


生成AIで調べてみたので念のため付記いたします。


「試験運用中」らしいので真偽の程はさだかでは


ございません。


奈良時代の彫刻は仏像が主で、様式はさまざまです。

天皇・貴族の仏教信仰を受けて、表情豊かで調和のと

れた美しい仏像が数多くつくられました。


▼絵画

法隆寺金堂壁画

高松塚古墳壁画

鳥毛立女屏風(樹下美人図)

▼彫刻

東大寺法華堂の日光菩薩像・月光菩薩像・執金剛神像

東大寺戒壇院の四天王像

新薬師寺の十二神将像

東大寺三月堂の不空羂索(ふくうけんじゃく)観音立像

梵天(ぼんてん)像

帝釈天(たいしゃくてん)像

金剛力士像

四天王像

二力士像

▼庭園

天平文化の時代、唐の影響を受けながらも、

大らかな自然風景式意匠を確立させました

寺院建築

薬師寺東塔

唐招提寺金堂

東大寺法華堂

同転害門

当麻寺東塔


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②ローレンツ博士の書から”世代交代”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

文明化した人間の八つの大罪 (1973年)


文明化した人間の八つの大罪 (1973年)

  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 1973/09/20
  • メディア: 単行本

楽観的なまえがき から抜粋


人口過剰や成長イデオロギーの危険は、分別と責任感のある人間が急速に増えたため正しく評価されている。

生活空間の荒廃に対しては、いたるところで、まだまだ充分ではないけれどやがて良くなるだろうと期待できる対策がこうじられている。


他の点についても、私は自分の発言を喜ばしい方向に訂正せねばなるまい。

行動主義者の教義について述べたところで、私はそれが

「明らかにアメリカ合衆国のさしせまった道徳的文化的破産について大幅に責任がある」

と書いた。

近頃では、アメリカ自体においても、この誤った学説にきわめてエネルギッシュに反対する一連の声が大きくなってきている。

その声はまだあらゆる手段によって攻撃されているが、傾聴されてはいる。

そして真理は、だまらせることによってのみ長期間隠蔽することができるのである。


現代の伝染病的な精神の病は、アメリカからやってきて、少しおくれてヨーロッパにあらわれるのがつねである。

行動主義はアメリカでは衰えているのに、ヨーロッパの心理学者や社会学者の間で新たに流行している。

だが、この伝染病もいつかは消えてゆくと予言できよう。


最後に私は、世代間の敵対関係についても少し補足しておきたい。

現代の若い人々は、政治的に煽動されていないのなら、あるいは年をとった人間のいうことを何がしか信用することが全くできないわけでないのなら、生物学の根本的な真理に喜んで耳をかす。

革命的な青年に、この本の第7章で述べたことの真実性を納得させることは充分可能である。


自分にはちゃんと解っていることが他の大部分の人には理解できまいなどと考えたら、それこそ思い上がりというものであろう。

この本に述べたことは、例えばどの高校生でも学ばねばならぬ微積分に比べて、すべてはるかにわかりやすい。

どんな危険でも、その原因がわかればだいたいおそろしくなくなるものである。

私は、この小さな本が、人類を脅かしている危険を減らすのに、少しでも役立てば良いと思っている。


1972年 ゼーウィーゼンにて

コンラート・ローレンツ


ローレンツ博士の謙虚な姿勢というか


態度表明でどんな言論でもそりゃ


アップデートってあるのだよと。


時間性が込められているのかなと。


目次も抜粋させていただきます。


第1章 生きているシステムの構造の特徴と機能の狂い

第2章 人口過剰

第3章 生活空間の荒廃

第4章 人間どうしの競争

第5章 感性の衰滅

第6章 遺伝的な退廃

第7章 伝統の破壊

第8章 教化のされやすさ

第9章 核兵器

第10章 まとめ

ローレンツは語る

訳者あとがき


日高敏隆先生のあとがきがこの書のよき


手引きにもなるのだけど、日高先生も


この3年後にまさか日本で対談することになる


とはこの時は思わなかっただろうなあ、と。


訳者あとがき から抜粋


3年ほど前、有名なローレンツの著書『攻撃』のフランス語版が出版されたのを機会に、パリのレクスプレス誌がローレンツとインタビューをした。


その内容は、『攻撃』の解説や行動学の紹介をはるかに超えて、『攻撃』の著者であるローレンツが今日の世界の情況について抱いている見解を端的に述べた興味ふかいものであったので、書店のすすめもあって、ぼくはその全文を雑誌『みすず』に紹介しておいた。


今年になって、ローレンツはさらにこの『八つの大罪』を書いた。

これはレクスプレスのインタビューの内容をふえんし、理論立てたものと言える。


1960年代の終わりごろから、ぼくがいろいろ考え、短いながらあちこちに書いていたような意見(『人間に就いての寓話』に収めてある)ともかなり似た問題意識があるので、ぼくにはとくに興味ふかかった。

もっともやはり年よりだなという感なきにしもあらずだが…。


1973年9月 日高敏隆


世代交代はどこでも付きもので。


日高先生のおられたエソロジーとか


分子生物学も御多分に洩れず、


そんな高次のレベルでなくとも


かような自分にもその影から逃れることは


できない、などというのは言いたいだけで。


レクスプレス誌のインタビューも


巻末に挿入されていて


この『八つの大罪』を補完しているのだけど


それよりも『攻撃』について触れているところが


自分的には気になる。『攻撃』自体未読なので


何も言えないけど。


ローレンツは語る から抜粋


レクスプレス▼

あなたのご意見によると、「攻撃性」の本能は、今日、現代社会の人間にあたっては「脱線」してしまっているのですね。

それは、もはや動物におけるように生や淘汰に役立つものではないのですね?


ローレンツ▼

まず第一に、あらゆる本能は脱線しうるものだ、ということを申し上げておきましょう。

性本能を比較研究してみると、きわめてしばしば、社会的、文化的、技術的、生態学的な原因によってその深刻な脱線が起こることがわかります。

けれど、人間の社会的行動のすべての「機能錯誤」の底にあるものは、つねに人口過剰なのです。

したがって、現代文明の最大の危険となるものは、集団的な攻撃性です。

攻撃性プラス水爆です。

何千、何百万という人間が集められると、攻撃性は深刻な脱線をはじめます。


レクスプレス▼

どういう理由からでしょうか?


ローレンツ▼

理由はたくさんあります。

集団的な攻撃性の最も深刻な脱線を引き起こしうる文化的要素の一つは、一つのイデオロギーを教え込むことです。

ある教義を確信することの力は、それに参加している人間の数の二乗に比例して増えてゆきます。

これは幾何学級数です。

そして、この人々を集めている要素が、抽象的なシンボルの体系に変わっていって、友人とか個人的な知人とかの地位を奪ってしまうところまでいくと、人間は本質的には宗教戦争のリスクをおかすことになります。


ある教義に固執している人間が十分な数に達した時点以降、非画一主義者は異教徒と見做される様になり、焼かれたり粛清されたりします。

私は、論議を極端に単純化するのが全ての狂信者の特徴の一つだと思います。

なぜかというと、大衆に教え込むためには、教義はあまり込み入ったものであってはならないからです。

一方で、人間とはこのようなものであると言い、他方ではまた違ったものであると言えば、これだけでもう複雑すぎます。

ラウドスピーカーはニュアンスを伝えることが全くできません

大衆を教義かする競争で科学者が不利なのはこのためです。

なぜなら、真理は単純ではないからです。


攻撃性の増大のまた別の原因は、実に簡単なことですが、大都市では人間が窮屈すぎるということにあります。


この書自体が細かいところは置いといて


主な部分が今も通用することは


昨日も投稿した次第。


それよりも感心してしまうのは、


1973年にローレンツ博士は、


ノーベル生理学・医学賞を受賞されているので


まさにこの書が刊行された時、


大国からは相当疎まれていたであろうことが


察せられるがノーベル賞自体が文明とは


無縁というか敵対しているような態度で


おられるから今ふうにいうなら


大国とか権力をディスっていても世間的にも


評価されたのか、と忖度社会に生きる日本人の


自分などは驚いたりもするというのは


これまた言いたいだけで。


さらに言いたいだけとしては、この書の表紙が


おそらくバベルの塔の絵が淡い黄色で


配置されているのだけど


どこにもそのエクスキューズがなくて


これも50年前だからなのか、なんて思いはせる


天気の良い午後の読書でございました。


 


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①ローレンツ博士の書から”条件づけ”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


文明化した人間の八つの大罪 (1973年)

文明化した人間の八つの大罪 (1973年)

  • 出版社/メーカー:思索社
  • 発売日: 1973/09/20
  • メディア: 単行本

さすがローレンツ博士、というか

翻訳の日高先生とでもいうか。


50年以上前の書とは到底思えなかった。


第10章 まとめ


私は、本来密接な関係があるが互いに区別できる八つの過程について述べてきた。

それは私たちの現代文明ばかりでなく、種としての人類をも破壊させる恐れがある過程である。


第一に、地上の人口過剰である。

多すぎる社会的な接触のために私たちは誰もが根本的に「非人間的な」方法で自らを守らざるをえない。

またそれに加えて、多くの個人がせまい空間にすしづめにされていることが、直接に攻撃性を解発するように作用している。


第二は、自然の生活空間の荒廃である。

私たちの住んでいる外部環境が破壊されているだけではない。

人間自身の内部でも、人間をとりまく創造物の美しさや偉大さをおそれる気持ちが破壊されている。


第三は、人間どうしの競争である。

競争の結果人間の破壊のための技術の発達はますますはやまり、人間には真に価値のあるあらゆるものが見えにくくなり、反省というまことに人間らしい行為に専念する時間を奪われている。


第四は、虚弱化による豊かな感性や情熱の萎縮である。

工学や薬学の進歩のために、ごくわずかな不快刺激にも耐えられなくなっている。

そのために障害を克服する時のきびしい苦労を通じてしか得られない喜びを感じる人間の能力は低下している。

悲しみと喜びの対照という自然の意志によるうねりは、いうにいわれぬ倦怠の知らぬ間のひろがりのうちにきえてしまう。


第五は、遺伝的な衰弱である。

社会が大きくなるにつれて社会的な行動規範はますます必要になるのに、近代文明の内部にはーー「生まれ持った正義感」と、受け継がれてきた多くの伝統を除けばーー社会的な行動規範の維持や発達に対して淘汰を加える要因はなにひとつ存在しない。

「造反している」現代の若者の大部分を社会の寄生者たらしめている多くの幼児化現象がおそらく遺伝的に決められているということも例外ではない。


六番目は、伝統の崩壊である。

伝統の崩壊は、若い世代がもはや古い文化的伝統とうまく和解できなくなり、ましてやそれと一体化することができなくなる臨界点に達することによってひきおこされている。

そこで若者たちは古い世代を「異教徒集団」のように扱い、それに国家的憎悪を持って立ち向かう。

このように一体化が乱れる原因は、何よりも親と子の間の接触が欠けているところにある。

病はすでに乳幼児の頃にはらまれているのである。


七番目は、人類の教化されやすさの増加である。

唯一の文化集団に集中している人間の数の増加は、世論に干渉する技術の完成と結びついて、人類史のいかなる時代にも見られなかった世界観の画一化を引き起こす。

さらにかたく信じられている教義の暗示的な作用が、その信奉者の数とともにおそらくは幾何級数的に増加している。

今日ですら、マスメディアの影響、例えばテレビの影響を意識的に避ける個人は、しばしば病的であるとみなされる。

非個体化効果は大衆を操作しようとするあらゆる人々に歓迎されている。

世論調査や宣伝技術、それに巧みに操縦された流行は、鉄のカーテンのこちら側では大企業、向こう側では官僚が同じように大衆を支配するのを助けている。


八番目に、核兵器を持った人類の軍拡が、人類に危機をひきおこしている。

この危機は前に述べた7つの現象がひきおこす危険にくらべて避けやすいものである。


えせ民主主義的な教義は七番目までの人間性喪失の過程を促進している。

この教義は人間の社会的な行動や道徳的な行為が系統発生で進化した神経系や感覚器の体制によってきまるのではなくて、もっぱら人間の個体発生の途中でそのときの文化的環境をつうじて得られた「条件づけ」によって左右されるというものである。


帯には「生き残るべき可能性を問う」


とあるが、そこまでは言ってないよなあ


ローレンツ博士は、と思ってしまった。


ご本人がこの”まとめ”の冒頭でも述べて


おられるが”過程”なのではなかろうか。


それはいったん置いておいて


「条件づけ」とは何のことだろうか。


第8章 教化されやすさ


から抜粋


正しい「条件づけ」を前提とすれば人間にありとあらゆるものを要求できる、人間をいかなるものにも変えられるという迷信は、文明人が自然に対して犯した罪、また人間の本性や人間性に対しても犯した多くの大罪の原因である。

世界を包括するイデオロギーとそれから産み出された政治とが、ともに虚構にもとづいていたならば、その結果が最悪になることは必然である。

えせ民主主義の教義は、ヨーロッパ全体を渦中に巻き込むおそれのあるアメリカ合衆国の道徳的崩壊に対しても明らかに多くの責任をおっている。


新しいものを手にいれるために使い切っていない品物を投げ棄てること、生産と消費が雪崩のように増加することが馬鹿げていてーー倫理的な意味でーー悪であることは明らかだし、疑いえない。

工業の競争によって手工業が壊滅され、農民をも含めて小企業家たちが存続できなくなったように、私たちは誰でも、青春時代に大企業家の望みのままに、彼らが良いと認めた食物を食べたり衣服を着たりするようにただ強いられている。


そして最悪なのは、私たちが条件づけられているために、大企業家たちのおこないにまったく気づかないでいることなのである。


アメリカが覇権を握っていた


大量消費の時代真っ只中


さすがに半世紀の時を感じさせるとはいえ


ものすごく本質をついているような。


勝手解釈なのかもしれないけれど


ここで指摘される”条件づけ”って


”見えない力”とか今でいう”忖度”とか


”権力”のことと同義に自分は読んでしまう。


それでなくても、仰ることは


今でも通用するローレンツ博士。


エソロジーから体得し得た鋭い眼差しと


言わざるを得ない深すぎて


一回読んだだけでは読み落としあろうかと


何度も読んでみたい書だと思った。


ちなみにこの本は古本屋さんで見つけ


即効手が伸び購入した書なのだけど


新装版にしてどこかの出版社さんから


出してくれないものだろうか、


これでも充分自分は読めるのだけれど、


もっと広く知ってもらいたいなあ、


ローレンツ博士の書はと、思って調べたら


すでに20年経過してたけどあったぜと思った


でも高いよとも思った風強い2月の


寒い夕方でございます。


 


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柳澤嘉一郎先生の書から”性分”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

ヒトという生きもの


ヒトという生きもの

  • 作者: 柳澤 嘉一郎
  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2004/01/15
  • メディア: 単行本

老いて死に往くということ


 


棺を覆いてこと定まる から抜粋


このところ、能力主義という言葉がしきりに使われるようになった。

それにつれて、万事は結果、過程は問いません、といった風潮になってきた。

好ましいとは思えないが、それがグローバル・スタンダードなのだという。


しかし、考えてみれば、科学の世界はむかしからグローバル・スタンダードだった。

評価はすべて、その業績でなされてきた。

クルマのセールスのように、比較的、客観的にその結果を評価できる世界だったからだろう。

けれども、結果がすべてという世界は、正直なかなか辛いものである。


もちろん、よい結果を得るには、それ相応の努力や才能が必要である。

けれども、人生、運、不運もある

結果だけで評価されては、私の人生なんだったんだろう、と嘆く人がおおぜいでてきても不思議ではない。

しかし、結果がすべて、という科学の世界でも、過程は大切だと、私はかねがねおもってきた。

結果にいたる過程は、研究者にとっては日々の生活そのものである。

過程は結果とは別に、その人の人となりをしめしている。

過程は重視すべきだと私がいうと、いやいや、科学は結果がすべてです、といつも反論されてきた


近代における生命科学の素晴らしい発展に、その契機をあたえたJ・ワトソンとF・クリックのDNA二重ラセンのモデルも、それが発表されるまでにはさまざまなトラブルがあった。

モデルの組み立てに必要な実験データには、彼らのものは何一つなく、すべてがE・シャーガフとR・フランクリンのものだったから、ノーベル賞を受賞してからも、彼らは長いこと、いろいろといわれ続けた。


狂牛病のプリオンや、エイズの発見にからんでも、どちらがそれを先に発見したかで、研究者同士すさまじい争いがあった。

あるジャーナリストは、「科学とは、ただ名声を追うゲームなのか」と嘆いている。


最近のヒト・ゲノムの解読や、その結果を利用してこれから始まろうとする創薬の問題は、名声に加えて金銭がからんでいる。


もちろん、結果の名声を求めずに、ひたすら自分に誠実に、研究の過程を大切にして生きている科学者はおおぜいいる。

私はそういう人たちが好きだ。


細菌学者のO・エイブリーをあげたい。

それから、遺伝子学者のB・マックリントックも好きだ。

恩師だった発生遺伝学者L・C・ダン教授も心から敬愛している。


当時、アメリカでは、肺炎で死亡する人たちが年間五万人もいた。

肺炎は最も致死率の高い病気の一つだった。

にもかかわらず、その治療法がなかった。


エイブリーは赴任するとすぐに、この肺炎の治療法に取り組んだ。

まず、患者から肺炎菌を単離して、それをウサギやウマに注射し血清をとった。

ワクチン治療をこころみたのである。

これは肺炎の治療に、かなりの好成績をおさめた。

そしてこの功績により、彼は一躍、有名になって、さまざまな賞を受賞した。


ひたすら研究を楽しんでいるうちに、幸運にも素晴らしい結果にめぐまれたのだ。

けれども、彼にとって受賞は、正直いってあまり有り難くはなかったらしい。

むしろ、煩わしくて迷惑なことのようだった。

受賞の知らせをうけても、ほとんど受賞式に出席することはなかった


英国王立協会から、栄誉あるコプリー賞を授けられたときも、なんだ、かんだといって、結局、授賞式に出席しなかった。


とうとう、会長が賞を持ってロンドンからはるばるニューヨークまで赴くことになった。

長い船旅の末、会長一行はようやくニューヨークの研究所に辿り着いた。

けれども出迎えの姿もない。

実験室をたずねあててドアをあけると、エイブリーはうす茶色の実験衣を着て、いつものように1人で、ピペットを片手に実験をしていたという。


エイブリーが肺炎の血清療法を確立してからまもなく、化学療法も開発された。

1930年代後半、サルファ剤が開発され、40年代にはペニシリンが発見された。

こうして、肺炎は治療可能な病気となった。


致死率の高い肺炎が克服されると、エイブリーは研究のテーマを、肺炎双球菌の免疫タイプの転換の問題へと転向していく。


肺炎菌の免疫タイプは遺伝的に決められているが、熱で殺したタイプの違う菌と一緒に培養すると、殺した菌のタイプに容易に転換する。

この形質転換という現象がDNAによっておこることを発見するのである(1944年)。


これは、いってみれば、遺伝形質を決めている物質(遺伝子)がDNAであることをしめす大発見だった。

エイブリーは、この発見でノーベル賞を受賞してもおかしくなかった。

ところがなんと、この発見は、彼自身には、幸運よりむしろ不幸をもたらす結果となった。


なぜなら、親から遺伝する形質は、髪の毛の色から、顔つき性格まで多岐に渡っている。

このように複雑な遺伝形質を発現できる生体分子は、当然、化学構造が複雑な分子であるはずである。

それはタンパク質しかない、と考えられていたからだった。


ところが、DNAは、タンパク質に比べて、あまりにもその構造が単純だった。

とても遺伝子として働く分子とは思えない。

誰もがそう考えた。

そのために、エイブリーの発見は、多くの研究者たち、とりわけ生化学者や遺伝学者たちのつよい反論や批判を受けることになった。


けれども、彼は、自分の研究室の若いスタッフたちからは心から敬愛を得ていた。

そして、そのなかから後年、有名なR・デュボスをはじめ、次の世代の生命科学をリードした錚々たる科学者たちが輩出した。


こうして、世に認められぬまま、彼はやがて自分の体力と気力に限界を感じるようになる。

そして、研究所を辞してニューヨークを去る決意をする。

エイブリーは生涯独身だった。

家族は弟たった1人だけだった。


テネシーに去ってしばらくすると、学会に変化がおこる。

遺伝子がDNAであるという事実を示す結果が、つぎつぎと発表されはじめたのである。

エイブリーの実験結果が正しいことが認められはじめたのだ。

研究所を辞した5年後には、ワトソンとクリックが有名なDNAの二重ラセンのモデルを発表することになる(1953年)。


1955年、エイブリーは、すべての身近な人々に愛され惜しまれて、78歳の生涯を閉じた。


没後、ノーベル賞審査委員会は、エイブリーにノーベル賞を与えなかったことは、はなはだ遺憾だったと異例の声明を発表した。

しかし、ノーベル賞を受賞できなかったことを、彼自身、ほんとうに残念だったと思っただろうか

そうはおもえない

もし受賞しても、おそらく彼は、授賞式に出席しなかっただろう。


地味だけど多大なる貢献をしているが


華やかなところとは無縁、


そういった”性分”とでもいうか


そういう人に好感を持たれているのかなと。


僭越ながら貢献はともかくも


自分もそんな”性分”でございます。


嘉一郎先生の書は2冊目ですが


大きな発見としては、遺伝学者であるがゆえ


マウスの管理なども熟知されていたと。


桂子先生が病気で床に臥している際


部屋に研究所の機材を持ってきていたという


エピソードが他の著書にあったけれども


そこから察するにマウスがいたかまでは


存じ上げませんが、嘉一郎先生のフォローが


あったことは明らかで。


桂子先生が研究職を失した後


サイエンスライターで世に認められた時


どんなに嬉しかったことだろうと


思わずにいられない。


お互いを鼓舞し合える、最高のパートナー


だったことを伺わせ、本当に泣けてきます。


この他、睡眠不足に関する随筆もあり


スペースシャトルの事故もそうだったというのは


自分は初めて知って驚いた次第で


検索したら他にも歴史的事故があってさらに驚愕。


ヒトがなぜ戦争するのか、国連が依頼して


アインシュタインがフロイトと手紙を交わした件や


50年代にニューヨークへ留学した頃のエピソードの


インディアン・ギビングなども興味深かった。


余談だけれど、この書の表紙絵(装画・挿画)が


”赤勘兵衛”さんというのは桂子先生と同じだと


装丁の仕事にも目がいってしまうという


元デザイナーの自分の”性分”でございました。


 


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柴谷篤弘先生の書から”独創性”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

バイオテクノロジー批判 (1982年)


バイオテクノロジー批判 (1982年)

  • 作者: 柴谷 篤弘
  • 出版社/メーカー: 社会評論社
  • 発売日: 2024/02/22
  • メディア: -


目次から引用


第1章 いま、科学技術とは何か

第2章 生物技術をどうとらえるか

第3章 分子生物学は独善に陥っていないか

第4章 外から見た日本の生物技術

第5章 転換に向かう生物技術

第6章 生物技術が変える社会の姿

第7章 組み換えDNA実験指針緩和をめぐって

第8章 国家装置の安全性を疑う

第9章 分子生物学の新しい展開と遺伝子操作の安全性

第10章 ”人間機械論”を超えて

第11章 このごろの私の立場

第12章 オーストラリアの鉱山から

第13章 核兵器の廃絶と国家の廃絶

第14章 反核と反=科学論

第15章 日本における科学ジャーナリズムの不在


まえがき から抜粋


私は日本とオーストラリアとで、組み換えDNA実験規制の要路にある行政機構と、それに参与する科学者が、ことを処理し、問題に対応する姿勢に大きい違いがあることを印象づけられた。


科学技術部門における日本人論にとって有用な資料を提供すると予想される。

他方世界的に人工知能の分野で日本が頭角をあらわし、次の科学技術革命を用意するものではないかという予想(ないしは恐怖)が、多くの人々の関心を呼ぶようになった。


オーストラリア国営放送協会(ABC)の科学部でも、当然この問題に興味を示し、日本へ取材に行った担当記者は、日本じゅうどこへ行っても日本人の独創性の有無の問題について議論をきかされたと私に語った。

同じ問題意識は、アメリカ合衆国科学政策における日本への対応についての最近の論調にも、あきらかに見て取れる。


問題の要点は、日本の官庁や大会社に特に顕著な集団帰属性が、企業経営に強い国際的競争力を与えるものではあっても、それは科学技術における独創性に大きな犠牲を強いるものではないのか、そしてそれは、個人の権利についての明確な意識と、それにもとづく民主主義的な政治制度の定着と密接に関連するものではないのか、ということである。


遺伝子組み換え問題についての私の限られた実践の範囲では、日本の事態はまだ従来どおりのパターンに従っており、「独創性」をのばすのに好適な環境からは程遠い。

しかし人工知能の領域で起こっていることは、日本において、集団的な独創性への飛躍が、あるいは可能になるのではないかという疑問を突きつけているとも言われる。


私にしてみれば、しかし、これは自己矛盾であるように思われる。

なぜなら独創性は自立した精神を要求し、そのような精神はまた、独創性を要求する社会的基盤そのものにも、批判の眼を向けるからである。


しかし「独創性」などにかかずらわなくても、批判的な眼さえ養えば、巻頭に引用した現代科学者の発言が、ともすれば「理性」を一般市民に求めるに急であること、そして本書の内容からは、科学者の側に同じ「理性」を求めることが至難であることを、見通すことは容易であろう


したがって、内発的な独創性の必要に開眼した日本の資本主義は、今基本的な選択に直面していると私には思われる。

私がこの本で強調しようとしている市民ひとりひとりにおける思考の自立は、それなりにこの選択の一方の分岐と触れ合うものであるが、それは右に記したように、ガンサー・ステントの言う「進歩の逆説」を内在させて、人間存立の全体的な思考の枠組みの転換を示唆するものであろう。


1982年10月10日 シドニーにて 柴田篤弘


まえがき前のページ から引用


中村桂子(1977)

<Berg教授からの呼びかけにこたえて、科学者が主体となった議論が始まった。

当然のことながら、その中には、この手法の利用を積極的に支持する人、慎重派、反対派が入り乱れていた。

ただ興味深いことに、どの立場の人にも一つの共通の基礎があった。

それは、科学ーー具体的には科学者が世間に信用され、正常に機能するには、研究に関する意思決定の過程を公開し、異なる立場からの意見や批判に虚心坦懐に耳を傾けなければならないということである。

著者らは遺伝子操作を、科学技術の進歩と社会の関係を解析する最適の対象と考え興味を抱いてきたが、ここで提出された、「科学と社会が”openness and candour”の基礎の上に相互に有効に機能し合えるか」という課題は、なかでも最も興味をそそるものである。

研究者が率直であらねばならないということは、とりもなおさず、社会も同じ態度を要求されることである。

誇張した期待も、無知ゆえの行き過ぎた不安も避けなければならない。

アマはアマ、プロはプロとして、お互いを尊重し合う話し合いをし、充分理解し合った上で判断をくだす、そんな関係が成り立つ社会への道が、この問題の議論の中から開ければ素晴らしい…。>


内田久雄(1978)

<今後「遺伝子操作は危険である」との意見を表明する人は少なくともNIHガイドラインをよく勉強し、その上で問題提起をすることにしようではないか?

一般論として「遺伝子操作は危険である」と言えば、今日では、自分の無知、不勉強を曝け出すことになる。

最近の新聞、雑誌に見られる危険論が内容的にアシロマ会議から進んでいないのは残念なことである。

アシロマ会議以降の技術進歩、研究実績は目覚ましい…。>


今堀和友(1978)

<今や人類は、その連帯責任において、この技術をどうするのかと問われている時なのである。このような重大決定を行うに当たって無益な感情論を排するためにも非専門家も現状と事実とをしっかり把握することが先決であろう。>


他の人の引用は多く見られるけれど


”まえがき”の前に置くのは珍しく


それだけこの書の意図するところを


あらわしているのだろうと察せられる。


今でいうところの”ディス”マインドばかり


目に行きがちなのだけれど、”独創性”についての


柴谷先生のお考えが興味を抱かせる。


好き嫌いはあろうし、異なる意見もおありとは


思いますが、柴谷先生のお考えは自分的には


端的にいうと、


”自分で考えて、自分で調べて、自分で判断して


自分で選択しろ、自分の人生なんだから”


って聞こえるのは自分の耳と頭が悪いからか。


なんだかジミ・ヘンドリックスがMCで言ってた


「魂を国に管理されてたまるか」ってのとか


ボブ・ディランとか、ジョン・レノンみたいだな


って思うところが浅学非才と恥入るばかり。


それにしても、池田清彦先生と似ているなあ


感性とか言葉とか問いとか、と


思ったりしたが多分逆または、


もともと、なのだろうと、類は友を呼ぶのかと


詮無いことを考えつつ、おとといからうって変わり


寒くなってきた雨の関東地方、休日のため


妻と買い物に行って参ります。


 


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柳澤桂子先生の父上から”縁”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

柳澤桂子―生命科学者からのおくりもの KAWADE夢ムック (KAWADE夢ムック 文藝別冊)


柳澤桂子―生命科学者からのおくりもの KAWADE夢ムック (KAWADE夢ムック 文藝別冊)

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2001/01/01
  • メディア: ムック

父のこと から抜粋

父は毎朝、私たちと同じ頃起き、洗顔を済ませて、パンを焼く係であった。

その頃トースターもなく、おそらく毎朝パン食をする家も少なかったのではなかろうか。

母が七輪に火をおこすと、お湯などを沸かして、火が少し柔らかくなったところで、網をのせてパンを並べ、それを監視するのが父の役目であった。

ところが、じっと七輪の前に座って、パンが燃えて煙がたちのぼっても、父は気が付かないのである。

お勝手から母が

「お父様、パンが燃えているではありませんか」

と怒鳴るとはっと我に返る。


こんなにぼんやりした父であったが、部屋の増築で力を見せたように、決してぼんやりばかりしていたのではない。

人の心を見抜くことはすばやく、母の目はごまかせても、父の目はごまかせないということを私は知っていた。

無口であるから何も言わないが、ちゃんと分かっているという感触を私は何度も持った。

父の後ろへ近づいてもすべて見透かされるような恐ろしさを感じていた。

また、父の記憶力は群を抜いていた。

自分を基準に考えるから、他の人が何かを覚えていない時には、それが不思議でしょうがないらしかった。


父は人の上に立ったりすることは大嫌いなので、長のつく仕事は引き受けたことがなかったか、誰も頼んでくれなかったのであろう。

研究一筋という感じであった。

教授会などというものは大嫌いで、時間の無駄としか思っていなかった

会の途中で窓から逃げ出したという話がどこからともなく、私の耳に入ってきたが、ほんとうにあったことかどうかはわからない。


ある時おなじ遺伝学者である夫が、父といっしょに学会に行った。

向こうから、誰かが近寄ってきて、「先生ご無沙汰しております」というような挨拶をした。

父は「やあ、ほんとに久しぶりですね。お元気ですか」といかにも懐かしそうな挨拶を返した。

その人と長いこと話をした。

その人が去ってから、夫が「今のは誰ですか」と聞くと、父は「さあ、知らないね」と答えたという。


お父様のことだけを書かれた小説形式の文章。


若干読みにくいというか、制作途中ではなかろうか


音楽で言えばデモの段階のような気がしたのは


単に言いたいだけでした。


言うまでもないけれど柳澤先生の他の文章は


美しいゆえに、それを感じてしまった。


それは置いておいて、お父様が柳澤桂子先生に


与えた影響は計り知れない。


研究以外は興味がなかったことがよく分かる。


権威とも無縁、悪い意味の忖度とかへつらいとかが


目についてしまう性質の方だったのだろうと


察せられるし、服にも関心がなくて


周りの人が困っていたと。


そこまでじゃあないにせよ、誠に僭越ながら


自分も比較的その手の人種なのでございますが


知性の量が違いすぎて見えない高さに


おられる事は娘さんである柳澤桂子先生を


見れば見えないけれど、わかる。


ほかの誰も薦めなかったとしても今のうちに読んでおくべきだと思う本を紹介します。 (14歳の世渡り術)


ほかの誰も薦めなかったとしても今のうちに読んでおくべきだと思う本を紹介します。 (14歳の世渡り術)

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2012/05/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

私の一生をきめた本


『棘のないサボテン』高梨菊二郎著(1946年)


柳澤桂子


私はどうも変な子供だったようです。

私が生まれたのは昭和13(1938)年。

昭和20年にようやく戦争が終わりましたが、戦後の方が、食べるものがありませんでした。

小学校2年生、敗戦の年のクリスマス。

ご馳走はないけれど家族で小さいもみの木に飾りをつけて、クリスマスツリーにしました。

弟も私も翌朝が待ち遠しくて、早くに目を覚まして枕元を見ると、くつ下のなかに何かが入っていました。

表紙は白紙に赤と緑の枠で縁どられた、『棘のないサボテン』という本でした。

物がない時代だけれどぜひ読ませたいと、父親が苦労したのでしょう。


父は、キク科の植物の生殖細胞がどのような染色体構成のゲノムを持っているか、ということを研究していた植物学者で、風変わりでしたが、私とどこか気の合うユニークな人でした。


この本を読んで身体が震えるほど感動しました。

その本が私の一生を決めたのです。


それまでも生き物には関心がありました。

折れた葦がどうして痛がらないのかが不思議で、今に泣き出すんじゃないかと日が暮れるまで眺めていたこともありました。

蜘蛛のお腹の中身が知りたくて、石をぶつけてつぶし、それを確かめてスケッチしたり。

『アリとキリギリス』を読んで、アリの巣には暖炉があると信じ込んで、見たくて見たくて。

それさえ知れれば死んでもいいと思っていました。


高校では生物クラブもありましたが、単なる解剖なんかには興味がなかった。

もっとその背景にあるダイナミックな、生命の不思議な摂理に心を掴まれていました。


年を重ねて学問が進み、やがて生命科学を研究するようになりましたが、はじめは誰もがそうであるように、お花が綺麗とか、アリはどうやって生きているのだろう、という素朴な不思議からでした。


お父様の影響で生命科学者になられたのは


運命の一冊でもよくわかります。


それだけではなく、他の著書と合わせて


その後の桂子先生の身に起きたこと、


病からの長期療養で仕事を失い、


サイエンスライターになられた


という人生は、言葉にできそうにない


不思議な”縁”を感じずにはいられない。


”仕事”とか”人生”というのは


本人の意思ではどうにもできないことというのは


往々にしてあるというと生意気に


聞こえるかもしれないがそうとしか思えない。


昨日、山中伸弥先生のNHKの番組を見ていたら


山中先生が遺伝子の万能細胞について


迷われている時期にとある講演終了後


植物学者の別の先生から


「植物はすべて万能細胞ですよ」と


言われ、目から鱗、iPS細胞への弾みが加速。


そこから連想したのは、過日読んだ柳澤先生の


”交感神経と副交感神経”と


”動物と植物”のエピソード


あまりそこに関連はないのかもしれないけれど


お二人の先生の話は深く、もしも対談されてたら


きっと興味深いものだったろうなあ、と


思ってしまったりした日差しの強い


如月も下旬の休日、お風呂とトイレ掃除


終わりましたので昼食を作る時間でございます。


 


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30年前の伊藤嘉昭先生の書から”社会”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

生態学と社会―経済・社会系学生のための生態学入門


生態学と社会―経済・社会系学生のための生態学入門

  • 作者: 伊藤 嘉昭
  • 出版社/メーカー: 東海大学
  • 発売日: 1994/03/31
  • メディア: 単行本

まえがき から抜粋


日本は、毎日の主食にさえことかく敗戦直後の状況から、50年近くを経て、アメリカと世界の一位を争う経済大国となった。

その急激な成長の中でいわゆる「日本たたき」が始まっていることも、新聞紙上を見る通りである。

日本の経済成長には多くの後ろめたい側面もあるが、ただ一つ誇って良いことをあげれば、軍事予算の抑制こそが成長の要であったということだだろう。


しかし日本は急成長のなかで、その被害が日本語で通用することとなった、大きな公害を引き起こしてきた。

有機水銀汚染による中毒は世界で、Minamata Diseaseの名で通用し、PCB中毒は Kanemi Diseaseと呼ばれるのである。

日本におけるその悲惨な犠牲者は数万人に達する。


しかも、こんにちの急速な国際化は、さらに新しい問題を投げかけている。

この金持ち大国がこれまでのような環境汚染と自然破壊、野生生物保護無視の政治経済を続けるならば、世界からの強烈な攻撃が引き起こされるに違いない。


生態学の教科書はふつう個体群生態学から群集生態学へ、あるいは環境、個体群、群衆の順で記述される。

しかし本書では現在大問題の熱帯雨林の問題から入ってまず群衆構造について述べ、それから人口問題を含む個体群生態学の問題に進み、のちにまた群衆生態学に戻ることにした。

また、これまでの日本の初級生態学教科書、入門書にはまったくない、行動生態学ないし社会生物学についても記したが、それはこの学問が人間を考えるうえで大切であること、およびこの学問によって生態学のこれまでの分野にも大変動が生じているためである。

そして、この後で再び個体群などの問題に立ち返った。


社会生物学の人間への適用には強い批判もある

私は慎重であることが必須ではあるが、これも考えるべき課題だとの立場をとった。

しかしまったく慎重でない、というか悪用としかいえぬ対処、すなわち今ひどく売れている竹内久美子の著書における「社会生物学的」王政賛美、男の浮気賛美などへの批判も行った。

これらを通じて企業マン、行政官もあまり負担を感ぜずに生態学の最低の基礎を知りうることを目指した。


1994年1月7日

伊藤嘉昭


第18章 社会生物学の悪用・竹内久美子批判


18−3


ドーキンズの「限定付きの希望」


から抜粋


たしかに彼の本には、福祉政策の矛盾の指摘など、人間の自由・平等にとって暗い話がいろいろ出てくる。

しかし日本ではほとんどいない社会生物学論を書く倫理学者である川本隆史が『現代思想』の粕谷論文と同じ号に書いたように、ドーキンズは

「人間の脳は、遺伝子の指令に反逆できる力さえ持って」いるとし、

「純粋で、私欲のない利他主義は…世界の全史を通じてかつて存在したためしがないもの」だが、「私たちは、それを計画的に育成し、教育する方法を論じることさえできるのだ」、

なぜなら「この地上で唯一私たちだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できる」のだから、と書いたのである(『利己的な遺伝子』P320〜321)

また下の「余談6」中の『自我の起源』に引用されているように、

「われわれが利己的に生まれついている以上、われわれは寛大さと利他主義を教えることを試みてみようではないか」とも書いた(『利己的な遺伝子』P18)。

ウィルソンも血縁淘汰にもとづく「芯の硬い利他主義」は文明の敵といえるしとし(無条件肯定はしていないわけだ)、本質的に利己的ではあるが、文化的に変容可能な「芯の柔らかい」利他主義などを通じて人類の協力を論じている(『人間の本性について』P229)


さきの「私たちだけが…反逆できる」という言葉について、ドーキンズはこれを「限定つきの希望」とした

しかし決して竹内のような独裁制や男だけの浮気の賛美はしなかったのである(牧木悠介も「ドーキンズが利己主義を顕揚(けんよう)しようとしているわけでもないし、それを人間の宿命的なものとも考えていないことは、引用から明らかである」と書いている)。

彼が弱々しく述べた希望の実現が、まさに今後の私たちの課題なのである。


余談6


牧木祐介『自我の起源:愛とエゴイズムの動物社会学』について


から抜粋


この著者の社会生物学の理解はごく一部を除き正確である。

その一部をあげると、30ページに

「われわれが利己的に生まれついている以上、我々は寛大さと利他主義を教えることを試みてみようではないか」

というドーキンズの言葉をあげて、これは包括的適応度最大化によって進化が起こったとする限り、利己的遺伝子が、その乗る個体をあるときは一見利己的にあるときは一見利他的にふるまわせるのであって、個体の利己主義に根拠づけるものではないから、ドーキンズの理論的間違いだと書いているが、ここでドーキンズは血縁者以外を助ける行為、遺伝子の帰結ではなく人間的な意味での真の利他性、すなわち利他主義を問題にしているのであるから、間違いではない。

なおこの本では、人間にはときにまったく包括適応度を増大させないことに一生を費やす個体(子供もつくらずに芸術に献身する人、独身を貫く女性キャリア、そして同性愛者)がいるのはなぜか、また仲間の個体の識別は哺乳類進化のいつの時点で、多分それを基礎としてであろうが、自我意識の形成はいつの時点で、起こったか、など興味ある話題が考察されている。

(ただしはっきりした結論はない。またなぜかこれに近い問題を考察しているアレキサンダーの『ダーウィニズムと人間の諸問題』(思索社)が引用されていない。

なおこのアレキサンダーの本は、人間の問題と言っても、ドーキンズのように社会福祉などを論ずるのでなくて、文化人類学者の言説と対応させて人間の親族システム、インセストの起源、民族国家がなぜ生じたか、倫理の生物学的基礎などを論じたものである)。


30年の時を感じさせる。


でもなぜか今響く。


この書が出ていた頃ドーキンス博士を曲解しての


言説が出回り巷を流布していたことを苦々しく


思っている先生たちが多くいたってのは


他の先生たちの書からも読み取れる。


ドーキンスを知る上でいくつかの示唆も


与えていただき伊藤先生のお考えにも


興味があるものの、ここでもやっぱりダーウィン、


しかも伊藤先生は着眼点や分析が天才だと


褒めておられたことも気になった。


(ちなみにグールドも少しだけ出てくる)


この書は経済学とか生態学を知る


入門書のようなのですが、いつものことながら


見当違いなところに目が行ってしまいつつ


ルイセンコがなんなのかもよくわからないが


伊藤先生のなんとなくキャラクターに惹かれて


って言ってももちろん会ったわけでもなく


読んだり周りの人の書からの雰囲気だけで


掴んだ感覚なのだけど勢いで読ませていただき


生物学と社会を考察というのも


なかなか面白そうだなあと齢50もとっくに


過ぎて思った次第なのでございました。


 


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3冊から”ブルシット・ジョブ”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

無敵の読解力 (文春新書 1341)


無敵の読解力 (文春新書 1341)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2021/12/16
  • メディア: 新書

【第1章】人新生から見た仕事論

■読解力をつける一番の早道


から抜粋


佐藤▼

現代を生きるうえで最も重要なスキルは何かを考えてみると、私は「読解力」だと思うんです。

というのも、現代はこれまでにないほど情報過多の時代ですね。

インターネットはそれに拍車をかけていて、莫大な文字情報を読み、不要なものは捨て、必要なものにはすぐさま反応することが求められる。

そのいい例がリモートワークで、実はリモートによって、これまで顔を合わせて口頭でやり取りしていた情報を、メールやSNSで報告するために文字で書いて、またその文章を読まなくてはならない。


池上▼

ある意味、莫大な時間の浪費ですね。


佐藤▼

そうなんです。

そこで交わされているかなりの情報は、これこそ不要不急なものなのに、それを処理するのに、また時間が割かれる。

これを高速で処理するためには不可欠なのが「読解力」なんです。


では「読解力」を身につけるにはどうしたらいいのか。

たとえばインターネットでやみくもに情報検索を行うというのは、一見、効率的にみえて最も時間の無駄なんです。

なぜなら、ネットなどに広がっているデータはまさにほとんどが自分に必要のない情報だからです。

しかも、断片的で文脈もはっきりしない。

これに付き合っても消耗するばかりで、いつまでたっても「読む力」は身につきません。


本当に読む力をつけようと思ったら、やはり書籍なんです。

一冊の書籍が成り立つまでには、いくつものふるいにかけられている。

要らないものを省き、論旨を明確にしないとそもそも売り物にならない。

さらにいえば、古典にじっくり取り組むこと

これが「読解力」をつける一番の早道なんです。


■メリトクラシーが行きつくところ


から抜粋


佐藤▼

『ブルシットジョブ』に書いてあるのは、資本主義システムの上層部の人たちの問題だと先ほど言いましたが、街で言えば、ニューヨークの世界なんです。

あるいはシリコンバレーにも似たところがある。


池上▼

東京もある程度そうでしょうね。


佐藤▼

ニューヨークを見ていますと、いろんなエッセンシャルワーカーとして入ってくる若い人がいるんですが、一定期間を過ぎたらニューヨークの外へ出ていく人が多いでしょう。

残った人はホットドッグ屋でも作って、小さい店で自立して中産階級に上昇していく。

しかし、誰もが自分の境遇に不満を持ち続けているわけです。

だから、資本主義が個人にもたらすものというのは暗いですね。

その点、旧ソ連なんか、案外悪くなかったんじゃないかと思いますよ。


池上▼

そうなんですか。


佐藤▼

食べるものはあったし、ジュースが買えた時はホントに嬉しかったし。

そのジュースを買うときも、ネズミのウンコが入っていないかどうかチェックして、入っていないのが三本も買えたらもの凄く嬉しいですからね。

人間の欲望っていうのは、そのぐらい縮小しますから(笑)。


池上▼

今、ドイツにオスタルギー(Ostalgie)という言葉がありますよね。

ノスタルギー(Nostalgie)とオスト(Ost)を組み合わせた言葉で、オストはドイツ語で東ですから旧東ドイツを懐かしむという意味です。

それで、東ドイツ時代を再現したレストランがあるんです。


激しい資本主義化の中でくたびれ果てたときに、少なくとも東ドイツ時代はもっとのんびりできたよなというノスタルジーが湧くから、このような言葉が生まれるんでしょうね。


佐藤▼

東ドイツは西ドイツと違って何が良かったかといえば、まず、就職の心配がなかった。

五カ年計画に合わせて学生数も決めていたからです。

専門教育と乖離した職に就くこともなかった。


池上▼

大学を出れば、ちゃんと自分が専攻した専門職に就けるわけですね。


佐藤▼

だから無駄がないわけです。

それで専門職よりも労働者の方が上ということになっています。

政治には、高等教育を受けていない方が有利なんです。

これは旧ソ連も同じです。

フンボルト大学(ベルリン大学)、モスクワ大学は人文系エリートにとってはいい大学でした。

医大は単科大学で、経済は専門の大学がある。

政治エリートは、工場からの叩き上げで作っていく。


その結果、何が起きたか。

エリートの分散です。

ところが東西ドイツが統一してしまうと、資本主義国と一緒で、学力の高い者を総取りすることになって、メリトクラシー(meritocracy)になってしまう。


池上▼

メリトクラシー、つまり、西側社会に普通にあるような、成績主義というか学歴社会になるわけですね。


佐藤▼

だから、この『ブルシットジョブ』を読んで思ったのは、やはりメリトクラシーが行きつく一つの悲しさですね。


■ブルシット・ジョブの世界観はついて回る


から抜粋


池上▼

メリトクラシーの話が出たところで、最近、ハーバード大学教授のマイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)という本が出ましたよね。


佐藤▼

はい。たしか、原題は『The Tyranny of Merit』でした。

つまり、『能力の独裁』ですね。


池上▼

アメリカのハーバードやスタンフォード、あるいはさまざまなアイビーリーグの連中って、自分の実力でトップに入ったと思っているけど、そうじゃないんだ。

子どもの頃から恵まれたところで勉強できたから入れたんだということを考えなくちゃいけない。

それを実力で入ったんだと思うようになると、何が起こるか。

メリトクラシーで、入れなかった人のことをバカにする。

そういうアイビーリーグのエリートたちが政府の幹部になり、あるいは大統領候補になり、大学に行っていない白人労働者のことを見下すことになる。

それに対する反発があったときに、ドナルド・トランプが「俺は学歴の低いヤツのことが好きだ」と言って、大統領になるということが2016年に起きたんだと。

そういうことを書いた本です。


佐藤▼

結局、そのメリトクラシーを崩すには、兵役とか軍隊とか、価値基準のまったく違うところに強制的に突っ込むしかないわけですね。


池上▼

しかし、メリトクラシーによって独裁する側の階級に入ったとしても、実は、ブルシット・ジョブによる疎外感を味わっているのが今の世の中ということですね。

何しろ、『ブルシット・ジョブ』によると、イギリスで「あなたの仕事は世の中に何の意味のある貢献をしていますか?」という世論調査をしたところ、「おどろくべきことに三分の一以上ーー37%ーーが、していないと回答したのである」とありますからね。

さらにオランダでは、労働者の40%が、「自分の仕事が存在する確固たる理由はない」と答えたそうですから。

まあ、考えてみれば、どんな階層でどんな会社に属してみても、ある意味、ブルシット・ジョブの世界観はついて回る感じがしますね。


佐藤▼

人間はみんな原罪を持っているから、そういう不幸なものなんだと思えば、問題は瞬時に解決するんじゃないですか。


池上▼

出た。原罪で、すべて解決。それはそれとして(笑)

どの階層にあるとしても、ブルシット・ジョブの世界から抜け出す一つの方策としては、斎藤さんの『人新生の「資本論」』の終章に出てくるような国際的に農民組織を広げていったり、自治体を作ってその境界線も無くしていったりということなんでしょうか。

つまり、アソシエーション()をつくるという話なんですかね。

=一定の目的を果たすために、個々人の共通の関心にしたがって人為的・計画的に形成される集団。


佐藤▼

そういうことです。

平たい言葉で言うと、友だちを何人持てるかということです。


池上▼

と言うことは、協同組合主義的な運動になっていくという話ですよね。


佐藤▼

少なくとも斎藤さんが考えていることはそうなりますね。

ただ、協同組合は資本主義社会で、株式会社には勝てないですからね。

問題はそこなんです。

いずれにしても、社会主義的な思想や運動は今後の日本や世界中で強まっていくと思いますよ。



ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論

ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2020/07/30
  • メディア: 単行本

序章

ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)現象について


ブルシット・ジョブ現象について


から抜粋


1930年、ジョン・メイナード・ケインズは、20世紀末までに、イギリスやアメリカのような国々では、テクノロジーの進歩によって週15時間労働が達成されるだろう、と予測された。


ところが、にもかかわらず、その達成は起こらなかった。

かわりに、テクノロジーはむしろ、わたしたちすべてをよりいっそう働かせるための方法を考案するために活用されてきたのだ。


それは、わたしたちの集団的な魂(コレクティヴ・ソウル)を毀損している傷である。

けれども、そのことについて語っている人間は、事実上、1人もいない。


ケインズによって約束されたユートピアは、どうして実現しなかったのか?

現在の一般的な説明は、消費主義の大幅な増大をケインズが計算に入れていなかった、というものである。


1920年代から、無数のあたらしい仕事と産業が際限なく生み出され続けるのを私たちは目の当たりにしてきた。


だとすれば、これらのあたらしい仕事とは、いったいなんなのか?

アメリカにおける1910年と2000年の雇用を比較する報告から、はっきりと事態を把握することができる。


前世紀を通じて、工業や農業部門においては、家内使用人(奉公人・ドメスティック・サーバント)として雇われる働き手の数は劇的なまでに減少した。

同時に「専門職、管理職、事務職、販売営業職、サービス業」は3倍となり、「雇用総数の4分の1から4分の3にまで増加した」。

いいかえれば、予測の通り生産に携わる仕事は、そのほとんどがすっかり自動化されたのだった。


しかし、労働時間が削減されることによって、世界中の人々が、それぞれに抱く計画(プロジェクト)や楽しみ、あるいは展望や理想を自由に追求することが可能となることはなかった。

それどころか、わたしたちが目の当たりにしてきたのは、「サービス」部門というよりは管理部門の膨張である。


そのことは、金融サービスや、テレマーケティング(電話勧誘業、電話を使って顧客に直接販売する)といったあたらしい産業まるごとの創出や、企業法務や学校管理・健康管理、人材管理、広報といった諸部門の前例なき拡張によって示されている。

さらに、先の数字は、こうしたあたらしい産業に対して管理業務や技術支援やセキュリティ・サポートを提供することがその仕事に費やしているがゆえに存在しているにすぎない数々の付随的な産業(飼犬のシャンプー業者、24時間営業のピザ屋の宅配人)も反映されていない。


これらは、わたしが「ブルシット・ジョブ」と呼ぶことを提案する仕事である。


まるで何者かが、わたしたちすべてを働かせ続けるためだけに、無意味な仕事を世の中にでっち上げているかのようなのだ。

そして、謎(ミステリー)があるとしたらまさにここなのである。

資本主義においては、こんなことは起きようがないと想定されているのだから。


たしかに、ソ連のような古くさい非効率的な社会主義国家においては、雇用が権利とも聖なる義務とも見なされたため、その体制は必要なだけの数々の仕事をでっち上げなければならなかった(これが、ソ連のデパートでは一切れの肉を売るために3人の店員が必要とされた理由である)。

しかし、むろんまさにこれこそ、市場の競争が解決するはずの問題なのである。


経済理論によれば、本当は雇う必要のない労働者に大枚をはたくなど、少なくとも、利潤追求を行う企業が最もしそうにないことである。

だが、どういうわけか、そのような事態が起こっているのだ。


その答えは、あきらかに経済上のものではない。

道徳上かつ政治上のものである。

自由な時間を獲得した充足的で生産的な人びとを、支配階級は死活的脅威であると認識するようになった(1960年代にこの状態に近づきはじめた時、なにが起こりはじめたか考えてみよ)。

労働はそれ自体が道徳上の価値であるという感性、目覚めている時間の大半をある種の厳格な労働規律へと従わせようとしない人間はなんの価値もないという感性は、そんなかれらにとって途方もなく都合の良いものだったのだ。



人生に「意味」なんかいらない

人生に「意味」なんかいらない

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: フォレスト出版
  • 発売日: 2023/11/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

第2章 資本主義思考と意味の呪縛

ベーシック・インカムが価値観の大転換を呼ぶ


から抜粋


AIが人間の労働を代わりにやっていくようになると、当然ながら、失業者が増える。

働くことができないということは、いいかえれば「賃金をもらう人がどんどん減っていく」ことを意味する。

賃金をもらう人が減れば、そのお金を使う人も減るから、結果的に企業が製品やサービスの対価として受け取るお金、つまり企業の「売上」が減る。

企業が、どんなに素晴らしいサービスを提供していても、働いて賃金を得ている人がいなくなってしまえば、誰がそのサービスにお金を払うのか?

つまり、働く人がいなくなれば、結果的に「資本主義が潰れてしまう」ことになる。


では、今後必ずわたしたちを待ち受けているAI化・ロボット化の波と、それによる資本主義の崩壊を、いかに回避すればいいか。

その方法こそが、皆さんも一度は聞いたことがあるであろう「ベーシック・インカム」だ。

ベーシック・インカムとは、「基本所得制」「最低限所得保障」などと呼ばれる制度で、政府が全ての国民に対して、生活に必要な最低限のお金を口座に支給するというもの。


ベーシック・インカムが導入される時代が訪れれば、必然的に私たちの労働観・人生観には劇的な変化が起きる。


「すべての人はお金を使って経済を回すために生きている」ことになる。

労働力として役に立つか、立たないかなどは関係がなくなり、むしろお金を使って生きているだけで、「役に立っている」わけだから、そんなことで悩む必要はまったくなくなる。


つまり、私が何を言いたいかというと、現代の人間が、いろいろとストレスを受けたり、生きにくさを感じたり、自殺したくなったり、自分の存在意義に疑問を感じたりしている、その根幹であるブルシット・ジョブを強いるような現行の資本主義というものは、実は皆さんが考えている以上に、脆い存在だということだ。


パラダイムが一変した途端、私は何に役立っているのだろうといった深刻な悩みも簡単に霧散する。

そのときになって現代を振り返ると、なぜそんなことで死ぬほど苦しんでいたのだろうかと不思議に思うことだろう。


とはいっても、ベーシック・インカムが導入される時代なんて、ずっと先なのではないだろうかと思う人もいるだろう。


これを読んでいる若い人が生きている時代、遅くとも今の私くらいの年齢になった頃には、ほぼ確実にベーシック・インカムの時代が到来しているはずだ。


働かないで生きることが普通の時代が来れば、あとは自分で好きなことをしていればいい。

それは、なかなか素敵な未来だ。


もちろん、その時代が到来するためには、国民と為政者がMMT(現代貨幣理論)とベーシック・インカムの原理を理解する必要があるが、AIの進歩は確実に人々の道徳観や倫理観を変えるだろう。

倫理や道徳は技術を変えることができないが、技術は倫理や道徳を変えることができるのである。


資本主義・民主主義が当たり前の


日本で育ち、暮らしていたけれど


恩恵も受けていたので妄信だった


とはいえないとは思うものの


コロナ・パンデミックにより


価値観の変更を余儀なくされ、


多くの人が生活設計を見直すことになった


現代においてまだ旧態依然とした価値観に


捉われざるを得ない人も沢山いる


だろうけれどもそれが願わくば


トップとかリーダーでないことを祈る。


これから何十年も生きなければならない


人たちのためにも。


もちろん自分たちのためにも。


最近よく見聞きするというか


そういう状態だからキャッチしてしまうのか


マルクスの評価の変遷が気になるのは


自明のことなのかもしれないなあ、と


風が強く隣の家のご主人のシャツが


我が家に風で舞い込んでいて


返してきた休日でございました。


 


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伊藤嘉昭先生の2冊から”人間の業”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

沖縄やんばるの森―世界的な自然をなぜ守れないのか


沖縄やんばるの森―世界的な自然をなぜ守れないのか

  • 作者: 伊藤 嘉昭
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1995/12/12
  • メディア: 単行本

柴谷篤弘先生の書に、伊藤先生のお名前を


見つけて、手にした書が


久方ぶりの伊藤先生マインド炸裂だった。


問題の展望ーーまえがきにかえて


種の絶滅は世界の問題


から抜粋


この本で書こうとするのは、日本復帰後20年間に沖縄に起こった、ものすごい自然破壊、特に山原(やんばる)といわれる沖縄本島北部の森林破壊の実状報告と、それに対し何ができるかの考察である。

この破壊とたたかう運動は、困難のなかで草の根的に勧められているが、ここでは一生態学者の視点から、この破壊をどう見るかを書こうとした。

特別珍しい動物がいようといまいと、自然破壊は人間にとって大きな問題である。


数十、数百ヘクタールという程度でも、森林の伐採が、森という天然の貯水池を無くしてしまい、旱魃時には水不足、そして豪雨時には大洪水をひきおこした例は、日本各地にも、そして海外にも実に多いし、この大洪水は海を汚し、漁業の存立を危なくしてします。

そして人々は、憩いと健康回復の場所をなくすのである。


しかし、世界中でそこにしかいない特異な生物種のすむ場所の自然破壊は、そのような地域、島、あるいは一国の問題にとどまらず、世界にとっての大問題であり、破壊に関係した政府、自治体が各国から避難を受けることになる。

森は何十年かかけて復活しても、滅びた種は地球上にもうもどらないのだ。


私と沖縄ーーミミバエ根絶事業からこんにちまで


から抜粋


本の中では、ずいぶん沖縄の県政や沖縄の人の議論も批判した。

沖縄の人には、他県の人間による沖縄の批判を嫌がる人も多い。

また沖縄に住む他県出身者も批判を遠慮する。

しかし私は、1972年から1978年までウリミバエ、ミカンコミバエ根絶事業の初代主任昆虫学者として県職員になって沖縄に滞在していた頃から、「沖縄をほめる本土人を信用するな」と言い続けてきた。


お客として滞在している人や企業や役所の仕事で来ている人は、沖縄の人の前では沖縄をほめ、その後自分たちだけになったときは悪口を言うのである。

だがこの島に住み、真剣に島の将来を考えるなら、批判せずにはいられないことがあまりにも多い。


世界的な昆虫行動学者。系統学者の坂上昭一氏は、ハチの研究と教育で滞在したブラジルを心から愛し、自著『私のブラジルとそのハチたち』(思索社、1975年)の巻頭にブラジル語でブラジルの友への献辞まで書いたが、氏は言う。

「ブラジルの友にはいつもブラジルの悪口ばかりいっている。だがちょっとブラジルに来た日本人がブラジルの悪口をいうと、怒って反論してしまう」。

こういう人が真の友なのだと思う。


しかしウリミバエ、ミカンコミバエの根絶事業は成功し、本書で問題とするやんばるにも、かつてはつくっても本土に売ることが許されなかったマンゴーやタンカンの栽培がずいぶん増えてきた。


もちろん、20年を費やした事業には、私だけでなく、たくさんの昆虫学者が関わったのだが、基礎研究の徹底的重視と、業績を英文論文で発表し世界的な討議の中から道を見出そうという基本方針は、私が立てて以来一貫して取られてきた。

現在、沖縄県農業試験場と県ミバエ対策事業所をあわせた応用昆虫学者の学問的能力は、日本の都道府県立農業研究期間中のトップである。


ところでこの基礎工作を、私はまったく非官庁的なやりかたで進めてきた(あの仕事は官庁的なやり方では決して成功しなかったと信ずる)。

尻ぬぐいに困った上司もずいぶん多かったろう。

しかしこの仕事による滞在の期間に、私はどこからもだいたいほめられ、そして実際に、沖縄に役に立つことをやったと思う。


それに対し、今回は、私は相当多くの人から悪くいわれるだろう。

野生生物を守れなんていうのは都会人のたわごとだ、なにより予算の獲得だ、金になる事業だ、という空気は、沖縄の場合、役人ばかりでなく、「革新」といわれる人・団体の中にさえ、まだ強い。


でも本書に書いたことは、将来の沖縄にとって(そしてやんばるにとって)必ず役に立つ問題提起の第一歩だと考えている(間に合うことを切に望む)。

いまほめる人は少ないかも知れないが、この意見を残しておきたい。

本書は、いってみれば私の沖縄への遺書のようなものなのである。


あとがき から抜粋


もう繰り返すまでもあるまい。

やんばるの自然とそこにすむ固有種たち、世界の宝は、まさに危機にある。

何種かはもう遅いかも知れない。

県庁の方針の即時大転回が必要である。

いますぐすべきことを繰り返し列挙しておく。


1、絶滅危惧種・危急種の分布と個体数調査

2、天然林の皆伐の中止

3、林道の延長工事の中止

4、大国林道の通行制限。騒音、ゴミ投棄の禁止。

5、天然林改良事業による下生え完全刈り取りの中止。

6、少なくとも数百ヘクタール規模の鳥獣特別保護区の新設。

7、マングース、野猫、野犬の即時駆除。

8、タイワンスジオの即時根絶

9、学会推薦の学者・研究者たちを含むやんばるの自然を守る特別委員会の設置。


実際にいままでの県のやりかたは、全く自然破壊そのものであり、国も「県の責任」と称して(ほとんどが国税なのに)それを放置してきたのである。


じつは県庁内にこれを心配している人たちがいないのではない。

文中何回も引用したように、県立博物館学芸員、県立高校教師、県立衛生環境研究所職員の中に、勇気を持って(と私は信ずる)森林皆伐や赤土流出の害を調査し、発表してきた人たちはずいぶんいる。

県庁がそれらの人の意見を聞こうとしないのである(その主な原因は農林水産部林務課の力に比べて、レッドデータブック記載種を扱う環境保険部自然保護課と天然記念物を扱う教育庁文化課の力があまりにも弱い、すなわち知事部局に軽視されている、ということである)。


だが私は、たとえ自分の将来がかかっていようとも、あえていうべきことをいう県職員の増加を期待したい。

1970年代、塩素系農薬の残留を発表したため、私の友人の農林省試験場職員が何人も始末書をとられ、高知県、愛知県などの職員が危険をかけて発表・発言した。

彼らは自分の将来の不利を承知で動いたのである。


しかし、ついに塩素系農薬使用禁止が勝ち取られたのち、これらの人が農林省などの実際の指導スタッフになったのであった(私はメーデー事件の裁判に引っかかって休職中だったので、始末書などの危険はなかった。しかし休職がとけたとき、日本昆虫学史上最大の予算をつけてミバエ根絶事業を私にさせた幹部もいたのである)。


琉球大学にも、以前は池原貞雄氏はじめ多くの、自然保護のため県に直言するのをいとわぬ人たちがいた。

現在もいないわけではないが、県の提灯持ちのような人の発言に比して、発言は以前よりずっと少ないように思える。

何ら処分される恐れがない身分であることを考えると、残念である。


全国の応援態勢も、石垣白保空港の場合などに比べて大変弱い。

それを打破し、やんばるの貴重な自然を守る運動が日本人の責任と自覚され、本土に広まるなら、本書の目的の大半が達せられたことになる。


この書の2年後の書は写真中心で


破壊がいかに進んでしまったかが


分かるものになっている。


ゴルフ場、国道開発。


バブルも終わった頃なのにという疑問が残る。


沖縄やんばる・亜熱帯の森―この世界の宝をこわすな


沖縄やんばる・亜熱帯の森―この世界の宝をこわすな

  • 出版社/メーカー: 高文研
  • 発売日: 1997/11/01
  • メディア: 単行本


伊藤先生危惧されていた


世界遺産への登録、


2年前の2021年7月ユネスコ


世界自然遺産に登録された模様。


ということは、伊藤先生の鳴らした鐘が


響いたということなのだろうか。


環境問題(都市開発)は原発産業と


似ている構造で雇用を促進する反面、


その代償があまりにも大きくて贖えない。


ヒトはどうしても短期中心に考えるから


中長期で物事を考えられないことが多い。


個人の力ではどうにもならないと思いつつ


高い意識を個人で持つことが


まずは大事であると思うしそうありたい。


矛盾するようだけど。


これって人間の”性”、”業”みたいな


ものなのだろうか…。


だとしてもそれで片付けてしまうには


あまりにも忍びないものがあるのだけれども。


沖縄には15年くらい前に


行ったことはあるが、逆に


豊かな自然は感じたものの


この本に書かれていたことはスルーだったし


もともと、縁もゆかりもほぼない


自分がキャッチできる領域ではないのかも


知れないが、何だか沖縄だけの問題とは思えず


渋い気持ちで拝読・拝見させていただき


やはり自然は大切だよなあと痛感、


卑近な話になってしまうけれど


庭の土壌改良をしたいと思い198円で


買ってきた土をまいた休日なのでございました。


 


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柳澤桂子先生の書から”リアル”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

認められぬ病―現代医療への根源的問い (中公文庫)


認められぬ病―現代医療への根源的問い (中公文庫)

  • 作者: 柳澤 桂子
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1998/02/18
  • メディア: 文庫

寝る前に、コツコツ読める本があるのは


自分にとってかなり至福の状態であり


この書もその一つではあるのだけれど


辛い、の一言であります。


何度か途中で本を伏せて天を仰がざるを得ない


現実、リアルな書だった。


10 抗コリン剤の副作用!


から抜粋


入院してから丸3ヶ月が過ぎた。

検査の結果についても説明のないまま日がたっていくことに焦りを感じはじめていた。

その頃から私は立って歩くとふらつくようになった。

日を追ってその感じは強くなっていく。


主治医の坂本にそのことを告げたが、気にしないようにとのことであった。


幾部屋か先にあるトイレまで歩くことが困難になってきた。

看護婦にも話してみたが、先生から介護の許可が出ていないので、なんとかして自分で歩くようにという。


辛かった。這って行きたかった。

となりのベッドの人のスリッパを借りて、手に履いてトイレまで這って行こうかと真剣に考えたが、パジャマを着て廊下を這っている自分の姿を思うと勇気がなかった。

廊下の壁にしがみついて歩いた。


また1ヶ月が過ぎた。

症状はひどくなる一方であった。

1分間に72前後であった脈拍は40前後に減っている。

朝起きて立ち上がった途端にめまい、腹痛、おう吐が起こるようになった。


卵巣を摘出するまで月に一度起こっていた腹痛発作と、まったくおなじである。

それが、毎日、あるいは1日おきという頻度で起こった。


新聞が目の前にあっても、それを手にとって読もうという気持ちはまったく起こらない。

大好きな読書もしなくなり、音楽も聴かなくなった。

「まるで植物みたい」

自分でつぶやいて、はっとした。

「そうだ。植物だ」

どうしてそのとき、ひらめいたのか自分でも不思議であった。

しかし、一瞬にして私には読めたのである。


動物には交感神経と副交感神経があり、そのふたつが拮抗的に働いている。

怒ると交感神経が活発になり、心臓は早く打ち、怒髪天を衝く状態になる。

副交感神経はそれと反対の作用をもっている。


副交感神経が優位になると、心は穏やかになり、逆に消化器系が活発に動きはじめる。

このような特性から、交感神経を動物神経、副交感神経を植物神経と呼ぶこともある。


私は自分の状態を、副交感神経が異常に優位にたった状態と判断した。

抗コリン剤は副交感神経の働きを抑える薬である。

それを多量に長期にわたって服用したために、副交感神経が逆にコントロールを逸脱して、異常に活発に働きはじめたのだと考えた。

生体が薬物に対してそのように反応することは、長年生物を扱ってきた私には容易に想像がついた。

「抗コリン剤の副作用!」

からだを戰りつが走った。すぐに薬を止めようと思った。

痛みくらい我慢すれば良いのだ。


念のために私は主治医の坂本にもう一度、これまでに服用した抗コリン剤の量を告げ、その副作用について聞いてみた。

坂本の答えははっきりしていた。

「こういう薬はどこの病院でも長期に投与するもので、副作用の心配は絶対にありません」

私は退院を決意した。


あとがき


から抜粋


私の医療体験の中で最も辛かったことを、ここでもう一度繰り返すと、病気の原因が精神的なものであるといわれたことではなく、精神的な原因で病気になるような人には手を貸す必要がないという態度で接せられたことである。


長年に及ぶこのような扱いの繰り返しの中で、私は自分自身が何か罪を犯した人間として責められているような気持ちにさせられていった。

このように強く感じさせるものが医療の中にあった。


この後、精神的疾患の患者を品位の低いもの


とみなすことを糺すエピソードが出てくる。


”身体”と”精神”で根本的な機構に差はない


ということがこれからはっきりしてくるだろうと


ご指摘され、40年前から比べれば柳沢先生の


言説におよそ近くなっていると感じるのは


心療内科という文字が多く目につくようになった


ただいま現在の街の病院のサインが証明している。


それにしても、この書は”告発”ではなく、


”警鐘”であるというスタンスというか態度で、


手術され卵巣摘出されても治らず


合わない薬を投与され続けていても


担当医師名がフィクションの形になっていたり


(糾弾が目的ではないからという理由による)


闘病中に父上が肺炎で亡くなった時、


若い医療スタッフの適切な処置と思えない


対応と説明なきまま、無言の帰宅をされた


父上を囲んだ家族会議の際、


その医師や看護婦の未来を閉ざしたくない


とされる父上譲りの未来志向なポジティブさにも


桂子先生らしさが現れていると感じた。


そういうところで争うつもりはなく


医療という巨大システムそのものへの


”警鐘”であるという点。


それは一旦おいておいて、何度も入院されての


出会いと別れの小さなエピソードも忘れ難い。


エピソード自体は小さくても確実にあった


ヒトの人生であり、リアルであったという証か。


また、研究員だった頃の話もあり、学者さんって


こういうことを思うのだなあ、というのも印象的。


アメリカまでいき手塩にかけ育てたマウスたちが


四苦八苦ありつつやっと予定通り育ち、


いよいよ研究結果の朝4時に眠れずに


そのまま研究所に向かわれる。


1 今は手術の時期ではない


から抜粋


正常マウス由来の細胞は球状の大きなかたまりをつくっていた。

一方、異常なマウスの細胞のかたまりは小さく形も不規則である。

正常な細胞と異常な細胞では細胞間の接着性にちがいがある。

それはおそらく細胞の表面にあって細胞の接着に関与している分子にちがいがあるのであろう。

これでこのマウスのもつ異常を分子レベルで追求していく手がかりが得られたことになる。


外はすっかり明るくなっていた。

私のからだは感動に震え、静かに目をつぶった。

神様、おそらく人類として最初にこの事実を知った人間がここにいます

信仰を持たない私にも、神は感じられた。


研究とは神との対話である。

謙虚に自然に対して耳を傾けるとき、何かが語られることがある。

与えられるのである。

自分が発見したなどと考えることはできない。


研究の様もわかる貴重なエピソード類もあり


現代医療を問うという違う意味でも


興味深い、読ませる書だった。というのは


妻と子供が交代で寝込んでいたため


家族が欠けるといかに家の中が暗いかを


リアルに感じたここ半月だったからだろう。


 


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柴谷先生の41年前の書から”ダーウィニズム”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

私にとって科学とは何か (朝日選書)


私にとって科学とは何か (朝日選書)

  • 作者: 柴谷篤弘
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 1982/11/20
  • メディア: 単行本

まえがき から抜粋

書名からも明らかなように、この本は、自然科学を職業とする私にとって、自然科学とは何なのか、という問いに答えるものとして、書いたものである。

職業とする以上、それによって生活の糧をえているのであるから、それでいいではないか、といういうふうに言われるからもしれないが、自然科学が地球に住む人々の生活や、生物の世界を、眼に見えて変えてゆく時代にあって、人間にとって自然科学とは何なのかが、いたるところで問われる時代である。

従って、そんなかで、自然科学者にむかっての、科学とは何かという問いは二重の意味を持ち、とても生活の糧なぞという、まとはずれな答えとしてではすまなくなっている。

むしろ、なぜ自然科学者をやめないのか、とか、自然科学をどう変えようとしているのか、とか、そのために何をしているのか、という問いが、それに重なっているわけである。


実際に、あなたにとって専門の科学(私にとってなら生物学)とは何なのか、という問いは、1968年の大学闘争の中で問われ、それに対する満足のゆく返答は、大学の科学者のなかからは出てこなかった。

私はその時に出された問いかけを重く心に沈ませて、まもなく『反科学論』(みすず書房、1973)を書き、『あなたにとって科学とは何か』(みすず書房、1977)を書いた。

書いた時は、前者は科学者向け、後者は一般の市民向けという意図を持っていたが、その後私自身には、このような区別をすることが、科学の本の著者として、望ましいことかどうか、疑わしくなってきた。


また後者の本の書評の中に、科学者である著者にとって科学とは何かをも書くべきであるし、分子生物学の興隆に力を尽くした著者にとって、科学批判をする現在、分子生物学とは何であったのか、わからなくなる、という意味の指摘もあった。

科学批判の仲間からも、昼は研究所で科学の研究をして、夜は科学批判の本を書くというような生活が、何の意味を持つのか、という意味の問いかけを受けた。


これに対して私は『あなたにとって科学とは何か』出版後、いく人にもの自然科学者でない(人文社会系統の)学者またはそれを兼ねておられる方々と知り合いになることができ、その方々との交流を通じて、私自身は科学批判を外からでなく、科学の内部からやってゆくべきであり、その方々との交流を通じて、私自身は科学批判としての鋭さや有効さがそれだけ私自身の仕事から欠け落ちても、共同作業全体としては私が科学の内部から科学批判をする作業をする方が、意義がある仕事ができるだろうという理由をかかげて、科学者を早々に廃業するべきだという示唆には従わなかった。


そのようにして数年やってきた結果として、こんど正面から、これらの問いに答えるような内容の本を書くことができた。

いまの時点では、私自身にとっては、科学批判と科学、職業としての生物学(分子生物学や発生生物学)と、趣味としての生物学(生態学や分類学)とのあいだには、何の区別もなくなり、また科学的営為、市民としてまたは人間としての営為のあいだも、だんだんと区別がつかなくなってきた。

そのことはまた、本を書く私の態度にも影響して、科学者向きに、とか、一般市民向きに、とかいう枠をこしらえて、本を書こうという意図も、定かにはわかぬながら、言いたいことだけは、だんだんんとたまってくる、という状況に日々身をおくようになってしまった。

身がまえるような姿勢が、もっと自然に流れに身をまかすような姿勢に少しずつ移行してきたのかもしれない。


そういう状態で、私はこの本を書いた。

1980年の終わりから、分子生物学の批判を主題に、英文のエッセイを三篇ほど書き、それは1981年に公表できたが、1981年5月に日本へ一時帰国した時、『技術と人間』の高須次郎氏から、この雑誌に何か書けと言われて、右の三篇の英文エッセイを、ひとつにまとめたものを書いた。


そして逆に、こんどはそれを元にして、今西錦司を外国に紹介しながら、それを批判し、発展させるような趣旨の論文を、英文で書いてみた。

これは1982年9月7月ロンドン大学で開かれた、ダーウィン死去100年記念討論会の席での骨子となり、その後手を加えて、二篇の英文エッセイを求めに応じて専門雑誌に発表する段取りになった。

このように、英語で書くことと、日本語で書くことも、同時進行、ないまぜのようになって来てもいる。

日本人としての営為と、世界市民のひとりとしての営為にも区別がつけにくくなって来たようでもある。


1982年9月シドニー 柴谷篤弘


第二部 今西進化論再説


第三部 今西進化論の位置付け


何をもってダーウィニズムとするか


から抜粋


試論』における私の主張のひとつは、チャールズ・ダーウィンと今西錦司がともに、生物の進化を、生物の生活形の特殊化と、その結果としての多様化によって、一定空間における生物の全生産量の上昇としてとらえているということであった。

ダーウィンは、これを生存競争による自然淘汰によるものとして説明した。

これに対して今西はこれを棲み分けによって説明し、棲み分けの起こる原因については、生物における種の社会的本性、あるいは生物の主体性を想定しているようだ。


このように、多様性の増加にもとづく、種社会の密度の上昇を、生物進化の本性としてとらえるかぎりにおいて、ダーウィンと今西との間には本質的な差はないというべきである。

しかも一般にダーウィンの進化論でも、今西の進化論でも、第三者がこれを取り上げて論じたり紹介したりする時には、この密度上昇ということは、あまり言及されない。

また生物の進化を論ずる時にも、この点が強調されるとは限らない。


この点に関して、最近、有名なダーウィンとアルフレッド・ウォレスの生存競争にとって種が多様化することに関する理論の同時発表(1858年)の際に、ダーウィンが「微妙な処置」として、彼自身の理論がウォレスの発想に負う部分を、記録からたくみに抹殺してしまったという主張がなされるまでになっている。


しかしこのような事実はない、とするのがむしろほんとうのようだ。

というのは、ウォレスは生存競争によって、ひとつの種のなかのいろいろな変異がよりわけられ、その結果、時間が経つにつれて種の性質がより一層環境によく適合した方向に変化することだけを考えたのに対して、ダーウィンの方は、一つの空間を占める生物種の内部に特殊化が進んで、それぞれにより特殊な生活形を持った二つ以上の種が、生存競争によって元の一種から分化してくること、つまり生活形の多様化が起こることを、自然淘汰による生物進化の内実として捉えたのであるから、そしてその限りにおいてダーウィンの方が、生物進化を一層深く捉えているから、ダーウィンがウォレスを盗作したというとがめは、まったく当たらないということになる。


それはとにかく、こういうわけで、生物進化をこのようにとらえる局面においては、ダーウィンと今西とは、実によく一致していて、むしろダーウィンとウォレスの違いの方が大きいとも考えることができる。

したがって、今西がダーウィンとの対立だけを強調するのは公平ではない、という、『試論』における私の主張のひとつは、今や一層よく支持されることになる。


これをさらに強めて言えば、今西こそが、ダーウィンの後継者である、とさえ言えるのではないか、という気が、私にはするのである。


今西進化論がよく分かってないのだけど、


ダーウィンをネガティブに捉えているような


言説もあったりした記憶あり


柴谷先生の説は感覚としてですが


なんとなくわかるような気がする。


もしも同時代に、ダーウィンと今西先生が


生きていたら意気投合していたのかも。


この後、ダーウィニズムの追求のような


言説に入っていかれるのだけど、


柴谷先生や池田清彦先生にしたら


それは大いなる錯誤体系だということで


池田先生がよく仰っていることと


繋がっていく、ということを40年以上前から


説かれておられた。


しかし、問題は、なにを持って、ダーウィンの学説とするか、である。

今日一般にダーウィンの学説として取り扱われる主張は、ダーウィンが、その主著『種の起源』で述べた総体では決してない。

なかでも彼の遺伝現象に関する理解は、メンデル遺伝学がひらかれる以前のことであるから、たいへんに弱く、また当然突然変異に関する概念を、ダーウィンはまったく持っていなかった。


つまり今日一般にダーウィンの学説と呼ばれるものは、今日から見てダーウィンの述べたところのものの中で妥当と見なされるものに限って、それをダーウィンの独創とみなして、その功を彼に帰す仕組みこみうるものなのである。

したがって、ダーウィンの学説のうちで、今日ダーウィニズムの名で生き残る部分は、生物進化の存在性と、その機構としての生存競争、自然淘汰、およびさきに論じたように、その結果としての生物の多様性と生息密度の概念を、遺伝学、とくに集団遺伝学や分子生物学の成果と関連させ、環境に適応した度合いの高い進化における積極的な意義を認めたがらない今西にとっては、自身とネオ・ダーウィニズムとは、まさに水と油の関係に立つもの、というようにとらえられるにちがいない。


日本における「社会反ダーウィニズム」への動き


から抜粋


私は、日本の今の「右傾化」しつつあるといわれる思想潮流が、今西の反ダーウィニズムと結びついて、一種の「社会反ダーウィニズム」を形成してゆくことをおそれる。

それは、政治・経済的にいって、19世紀中葉におけるイギリスで、社会ダーウィニズム思想の力を得たのといちじるしい平行現象を示すといえるとおもう。


さらにメモとして


「第4章さまざまな反ダーウィン論」に


当時の論客たちの名がございました。


ランスロット・ホワイト

ブライアン・グドウィンら

ピエール・グラッセ

ジウゼッペ・セルモンティ

マレク・グロゴチョフスキ

エドワド・スティール

ライアル・ウォトスン

スティーヴン・グールド

ウィリアム・ソープ


上記の人たちの書は当然というか


なんか難しそうな気もするのですが、


柴谷先生の紹介と分析を拝読するけど


これがまた難しくてわからない。


表現の問題なのかもしれず、こちらの


浅学っぷりを露呈してしまうのだけど。


が、ひとまずメモでまた機会に。


機会がない可能性高い気もするが。


それにしても、なぜか興味のある人たちの


多くが”ダーウィン”を語られておられ


それだけ価値があり、熱くさせる何かが


あるってことなのかと。


時代背景とかダーウィン自身を知ると


なんか分かる気もするのでございまして


単に一つの学説ということではなく


時代に抗う態度、とでもいうか


社会と闘う精神、というか


余計わけわからなくなり、さらに


そもそも進化論とかダーウィニズムとか


社会ダーウィニズムとか


ネオダーウィニズムとか


何かもよく分かっておりませんが


妻がまだ本調子でなく、子供用にラーメンを


作ったので、食べてからトイレ掃除して


図書館に行こうと思っている休日です。


 


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柴田篤弘先生の書から”科学と核戦争”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

私にとって科学批判とは何か―思索と革命をつなぐために (叢書 知性の華) (叢書知性の華)


私にとって科学批判とは何か―思索と革命をつなぐために (叢書 知性の華) (叢書知性の華)

  • 作者: 柴谷篤弘
  • 出版社/メーカー: サイエンスハウス
  • 発売日: 1998/03/01
  • メディア: 単行本

第12章

私にとって「反核」とは何か


1


限定核戦争という概念


から抜粋


私は自然科学を業とするものですけれども、核兵器に関する知識は、自分の「専門」とかけはなれているために、とくに詳しくはありません。

しかしこの年月、科学批判に関わる思想と意見を書いたり人前で話したりしてきましたので、数年前、核兵器の危険が眼に見えてきた時から、科学者としてはどういう対応があるのだろうか、という事を気にしてきました。


レーガン政権が合衆国に誕生して、核兵器への憂慮が深まっていた1980年末から、私は世界の科学者の反応が、私の予期していたものよりは鈍いのに敏感になっていました。

最初に見られたのは、合衆国医師たちの行動で、核戦争の時の医療が実際に成り立たないことの警告がなされていました。

それは1981年はじめの頃だったと思いますが、まもなくオーストラリアの医師たちからも似たような警告が出されたという記憶があります。

実際には1980年初めから、合衆国の医師グループがソ連邦や日本の医師グループと連絡をとって、国際的な動きを作ろうと動き出しており、日本の広島・長崎の医師グループの人たちに勧誘がきていたのです。

日本の動きはどちらかというと受け身で、1981年になってようやく協力の体制が整ったようです。

これはなんといっても、広島・長崎の重みが、日本の関与を必須のものにしたといえましょう。

けれども日本の関与は、合衆国、ソ連邦の医師たちに合流した他の国々の医師たちの動きを上回ることはなかったようで、日本の経済活動の幅、原子力兵器の被災・医療の実経験にかかわらず、参与の程度は、中心になって動かれた日本の医師グループの人々の努力にもかかわらず、それほど積極的とはいえなかったようです。


そういう中で、私はオーストラリア国立大学の科学者の友人、ブライアン・マーティン(アメリカ合衆国からの移住者)の、核戦争は起こりうるか、それに対する平和運動側の対応は?という考えを、81年6月に聞かされ、その年の終わりに近くなってようやくその意味を理解し始めました。

このあたりのことは、小著『バイオテクノロジー批判』(社会評論社、1982)のなかで書きましたのでここではこれ以上はふれません。


最初はヨーロッパにおける反核運動の高まりが、ヨーロッパとソ連邦との間の対立の中での限定核戦争の恐怖から出発していることを、急には理解できませんでした。

そしてそれが問題になったのは、小型の核戦争が開発されて、戦場における局地的使用が現実視されていることと、比較的短距離のミサイルについて、標的への命中率が上昇したために、職業軍人たちの間に、核戦争に関する新しい考え方が出てきたからである、という事を納得するのにも長い時間がかかりました。


つまり、全面戦争による、合衆国とソ連邦の共倒れの論理によって、核兵器が核戦争の抑止力としてはたらいてきた過去20年余りの均衡が、概念構成の枠組みのうえで破られるようになり、それに応じて、いままでになかった新しい考え方をする軍人や政治家や科学技術者が出てきている、ということに、気づくには、それなりの遅れがありました。


ブライアン・マーティンは、応用数学の専攻で、英語を母国語としますから、このような合衆国やヨーロッパをめぐる反=核兵器運動の実態には、私などよりよほど敏感に反応していたのでしょう。

彼によれば、全面核戦争以外の核戦争がありえない、という考えも、全面核戦争で人類が滅亡する、という考えも、共に情緒的であって、正確ではないのに、従来の平和運動家の考え方は、このような方向で考えることをするどく拒否するため、それへの効果的な対応を考える、という選択肢がまったく閉ざされており、そのために反核・平和運動に著しい制約ができて、それが核兵器反対運動の成功しない原因になっている、というのであります。


まず第一に、マーティンは、合衆国やソ連邦が、核戦争に際して全面核戦争を簡単には選ばないだろうから、その時は、限定核戦争の形で、ヨーロッパとは限らず世界のどんなところでも、戦術核兵器と呼ばれる比較的小さな核兵器が直接の戦闘目的のために、用いられる可能性を、真剣に考えておくべきだ、というのです。


”限定核戦争”を大国では今も検討しているのでは


なかろうかという恐ろしい現実。


この書が出て30年ほど経過、世界は大きく


変わったのだけど平和を唱えているだけでは


平和は来ないし維持できない、


ではどうすればいいのかというのは


誰にもわからないし、本当にそうなのかすらも


わからない。


でも、この書から教わったことしては


合衆国でもヨーロッパでも


市民からの本気の活動が政府を揺るがして


いる事実があり、”自由”への渇望が


日本とは異なるのだ、ということでございます。


柴谷先生が海外で暮らしていた時にはいった


レストランのテーブルにあったカードには


政治風刺の辛辣なメッセージがあり、


食事をしながら政治を語り合う風土であることを


お伝えされている。


柴田先生のいう、”科学”というのがなんなのか


少しだけ分かってきたような、気がするだけのような。


それにしてもこの書、発売当時3800円


(300ページでハードカバー)


っていくら柴田先生の教養深い書とはいえ、


高すぎないだろうかなどと、いらぬおせっかいを


しつつ夜勤に向けたバスの中での読書で


さすが池田清彦先生の師匠だけあって、


文体とかキーワードとかフレーズが似ているなあと、


この書の言いたいところと別のところに眼が


いってしまうアホの極みな自分でございました。


自分はアホだけど、世界はもう少し


それではない選択をして欲しいと切に思う。


 


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