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トインビー博士の書から”戦後日本”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

人と思想 69 トインビー


人と思想 69 トインビー

  • 作者: 吉沢 五郎
  • 出版社/メーカー: 清水書院
  • 発売日: 1982/02/15
  • メディア: 単行本

”トインビー博士”といっても今は

あまり知られてなさそうな。

自分も阿部謹也先生の本を読むまでは


恐縮ながら存じ上げませでした。


IV トインビーと日本


近代化の意義と日本


『歴史の研究』と日本


から抜粋


第二回の訪日は、1956(昭和31)年、67歳の時でありヴェロニカ夫人を伴ってのことであった。

ヴェロニカ夫人は、トインビーの共同研究者であり、研究の不備を実際に現地で補うことにあった。

すなわち『歴史の研究』は、1934年に最初の3巻が刊行された。

それ以来20年間に及ぶ時間的空白がある。

そこで、あらためて新たな知識を補充するとともに、その間によせられた数多くの批判に応えようとしたものである。


平和への新たな使命 から抜粋


また2回目のトインビーの滞在中には、当初の予定をこえて、国内各地の大学等で、多くの講演会がもたれた。

なかでも、その最終講演である「世界史における日本」は、直接日本を主題にかがげたものであり、さらにトインビー史学の真髄をつたえるものとして、多大な感動をよぶものであった。


トインビー博士の副読本ともいう書で


生い立ちから亡くなるまでの要諦がつかめる。


英国生まれで、ご両親や親戚からの影響が


相当に濃いことが分かる。


トロイの木馬で有名なシュリーマンにも


傾倒されていたと。


神話にひとかたならぬ興味があった


発芽はここからか。


歴史研究の一環で世界旅行に出た時の


タイミングで来日されたようでございます。



歴史の教訓 (1957年)

歴史の教訓 (1957年)

  • 出版社/メーカー:岩波書店
  • 発売日: 1979/03/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


世界史における日本


"The Role of Japan in World History.”


から抜粋


およそ一国の歴史における最も興味深い諸特色というものは、際立った特色なのである。

日本の歴史において明らかに際立った一つの特色は、日本の島国性である。

日本は、とおく先史時代から、近代技術文明によって『距離が抹殺』された最近の時代に至るまで、引き続いて、海によって大陸から隔離・孤立させられてきたのである。


日本は1945年までは、勝利者たる外国軍隊に占領をされた経験が一度もなかった。

その以前に日本を侵略しようとした歴史上の意図につき、私としては二つの例を知っているに過ぎない。

それは2度とも蒙古人によるもので、2度とも失敗に終わったものである。

無論、第二次世界大戦の敗戦が、日本人にとって最初の敗戦の経験ではない。

だが、以前の日本人の敗戦というのは、豊臣秀吉の朝鮮征伐のような、日本が他の国を征服しようとしたために招いた敗戦か、でなければ、勝ったものも負けたものも互いに日本人だといったような内乱における敗戦かのどちらかであった。


英国国民が、1066年に、ノルマン人によるイギリスの占領という画時代的な経験をしたのと同じ経験を、日本国民は1945年以前にしたことはなかった。


島国性のために、日本国民は外国の影響に対して抵抗性があった

つまり、外国の影響を排除しようとし、または、それを日本に受け入れた場合にその受け入れたものを、なにかしら際立って日本的なものに作り変えてしまおうとしたのである。

と、同時に、日本人は、一たん外来の文明を取り入れようと決めたら、その文明を会得してそれを自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものにするという点では、島国性のより少ない他の諸外国民より偉大な才能を発揮した。


西暦紀元6、7世紀には、シナの文学や行政制度を取り入れるとともに、仏教と仏教美術とを取り入れた。

そうした複合的外国文化の受け入れに引き続いて、奈良朝時代、日本の国土において、人類がかつて創造した最高の芸術の一つを開花させたのであった。

19世紀には日本は西洋世界の科学と技術を取り入れた。

物質的な力をうるための近代的な鍵となるものを手に入れた、そういう段階につづいて、明治以後における日本の工業上、軍事上の力というものの驚くべき発達が成し遂げられ、日本は、20世紀前半における世界の列強の一つにのしあがった。

その反面においては、16世紀にイエズイットのキリシタン伝道使節が、宗教までを含めた完全な形の西方文明を日本に持ってきた時、日本はそれをしりぞけて、200年以上の長い間、用心深くいっさいの外部世界から隔離して閉じ籠ったのであった。


その日本が19世紀になって、その政策をあらためて、再び門戸を開放したときにも、精神生活の面は依然として外国の影響から絶縁させておこうと努めた。

つまり日本は、西洋のやり方を取り入れるのを、実用的な事柄に限ろうとしたわけである。


恐らく、日本が仏教とシナ文化とを歓迎したときが、外国文明を最も全心全力をかたむけて取り入れた時であったと言える、

しかし、藤原時代になって、それが日本という国土で何か際立った日本的なものに変化し始めるようなり、鎌倉時代には全く日本的なものに変えられてしまった。


外国の影響に対するそういったさまざまな日本人の反応の仕方は、多分世界史の研究をする者にとって最も興味深い日本史の一面であろう。

異なった文明の相互間の邂逅接触(エンカウンター)ということは、いつでも歴史上の重要な出来事だったのである。

そして、相互間の意思交流の手段が急速に進み、世界中の諸国民が過去のどの時代にもかつてなかったほどに、ずっと緊密に接触し合うようになっている現代では、そういう邂逅接触の重要度は増大しつつある。


つまり、「近代的な発明によって世界が一つになりつつある今となっては、日本は全面的に人間家族の完全な一員とならなければならないだろう」と。


新たに解放された諸国民は、国家主義的になる傾向がある。

しかし我々は、距離が克服されて原始兵器が発明された今の時代では、もはや国家主義にふけっているわけにはいかない。

日本人はそういった面を体験して生き抜いてきたのだし、痛ましい経験によって国家主義の限界を学び得たのである。

いま開かれようとしている世界史の新しい章(チャプター)で、日本は、他のアジア諸国の先べんをつけるべき機会を持っている。


この新しい時代においては、人類が自滅しないものとすれば、人類は少なくとも一家族として生きてゆくことを学ばなければならない

この事態を乗り越えるというわれわれ人類共通の大事業に、日本が果たすべき先覚者的な役割があるものと私は確信する。

(NHKより11月27日に放送)


日本の読者へ から抜粋


私自身の仕事においては、私はつねに、われわれの時代の諸問題を過去という背景の前において眺めるようにつとめ、また、それとは逆に、過去を現在と関連を持たせて眺めるようとつとめてきた。

時間は、人間に関することがらの精髄をなすものであり、人間に関することがらは、それらが時間を通して動いているものとして眺めるのでなければ、われわれはそれらの本当の姿を見ることはできないのである。

歴史を研究するにあたって、私の希望とするところは、われわれが、われわれの時代において作り出している歴史を理解する上に、私が些少なりとも、いくらかの貢献をなしうるのではないかということである。


われわれの行為の結果が善となるか悪となるかは、われわれによって決まるのである。

どの個人も、その責任の一部を分かち持つものである。

これは人間たるものの天命の一部をなすものなのである。

だれも、そのことから逃れることはできない。


世界が現在の危機から幸福な結果を得られるように積極的な役割を演ずるための刺戟となるはずである。


これが私自身の思考や感情の背景をなすものであり、私は、私の日本の読者の方がこのことを念頭に置かれることを望んでいる。


1957年3月 ベイルートにて

A・J・トインビー


近代化が済んだ日本に何が残っているのか


それは希望ではなかった、というと


村上龍先生のようになってしまうのだけど


トインビーの講演から若干無理矢理だが


今をつなげるとそうなってしまう。


アジア諸国やグローバルサウスへの日本の


非貢献度合いをトインビー博士が見たら


嘆くだろうなあ、だが、50年代から時代は


大きく変節しているしなとも思うのだけど


どうしても古い学者の言説だ、と看過し得ない


ものがあるなあと思った。


グローバリゼーションの現代をどのように


見ただろうなどとも思ったり。


余談だけれど、トインビー博士が言っている


奈良朝時代の最高の芸術って何を指しているか。


生成AIで調べてみたので念のため付記いたします。


「試験運用中」らしいので真偽の程はさだかでは


ございません。


奈良時代の彫刻は仏像が主で、様式はさまざまです。

天皇・貴族の仏教信仰を受けて、表情豊かで調和のと

れた美しい仏像が数多くつくられました。


▼絵画

法隆寺金堂壁画

高松塚古墳壁画

鳥毛立女屏風(樹下美人図)

▼彫刻

東大寺法華堂の日光菩薩像・月光菩薩像・執金剛神像

東大寺戒壇院の四天王像

新薬師寺の十二神将像

東大寺三月堂の不空羂索(ふくうけんじゃく)観音立像

梵天(ぼんてん)像

帝釈天(たいしゃくてん)像

金剛力士像

四天王像

二力士像

▼庭園

天平文化の時代、唐の影響を受けながらも、

大らかな自然風景式意匠を確立させました

寺院建築

薬師寺東塔

唐招提寺金堂

東大寺法華堂

同転害門

当麻寺東塔


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