SSブログ

②ローレンツ博士の書から”世代交代”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

文明化した人間の八つの大罪 (1973年)


文明化した人間の八つの大罪 (1973年)

  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 1973/09/20
  • メディア: 単行本

楽観的なまえがき から抜粋


人口過剰や成長イデオロギーの危険は、分別と責任感のある人間が急速に増えたため正しく評価されている。

生活空間の荒廃に対しては、いたるところで、まだまだ充分ではないけれどやがて良くなるだろうと期待できる対策がこうじられている。


他の点についても、私は自分の発言を喜ばしい方向に訂正せねばなるまい。

行動主義者の教義について述べたところで、私はそれが

「明らかにアメリカ合衆国のさしせまった道徳的文化的破産について大幅に責任がある」

と書いた。

近頃では、アメリカ自体においても、この誤った学説にきわめてエネルギッシュに反対する一連の声が大きくなってきている。

その声はまだあらゆる手段によって攻撃されているが、傾聴されてはいる。

そして真理は、だまらせることによってのみ長期間隠蔽することができるのである。


現代の伝染病的な精神の病は、アメリカからやってきて、少しおくれてヨーロッパにあらわれるのがつねである。

行動主義はアメリカでは衰えているのに、ヨーロッパの心理学者や社会学者の間で新たに流行している。

だが、この伝染病もいつかは消えてゆくと予言できよう。


最後に私は、世代間の敵対関係についても少し補足しておきたい。

現代の若い人々は、政治的に煽動されていないのなら、あるいは年をとった人間のいうことを何がしか信用することが全くできないわけでないのなら、生物学の根本的な真理に喜んで耳をかす。

革命的な青年に、この本の第7章で述べたことの真実性を納得させることは充分可能である。


自分にはちゃんと解っていることが他の大部分の人には理解できまいなどと考えたら、それこそ思い上がりというものであろう。

この本に述べたことは、例えばどの高校生でも学ばねばならぬ微積分に比べて、すべてはるかにわかりやすい。

どんな危険でも、その原因がわかればだいたいおそろしくなくなるものである。

私は、この小さな本が、人類を脅かしている危険を減らすのに、少しでも役立てば良いと思っている。


1972年 ゼーウィーゼンにて

コンラート・ローレンツ


ローレンツ博士の謙虚な姿勢というか


態度表明でどんな言論でもそりゃ


アップデートってあるのだよと。


時間性が込められているのかなと。


目次も抜粋させていただきます。


第1章 生きているシステムの構造の特徴と機能の狂い

第2章 人口過剰

第3章 生活空間の荒廃

第4章 人間どうしの競争

第5章 感性の衰滅

第6章 遺伝的な退廃

第7章 伝統の破壊

第8章 教化のされやすさ

第9章 核兵器

第10章 まとめ

ローレンツは語る

訳者あとがき


日高敏隆先生のあとがきがこの書のよき


手引きにもなるのだけど、日高先生も


この3年後にまさか日本で対談することになる


とはこの時は思わなかっただろうなあ、と。


訳者あとがき から抜粋


3年ほど前、有名なローレンツの著書『攻撃』のフランス語版が出版されたのを機会に、パリのレクスプレス誌がローレンツとインタビューをした。


その内容は、『攻撃』の解説や行動学の紹介をはるかに超えて、『攻撃』の著者であるローレンツが今日の世界の情況について抱いている見解を端的に述べた興味ふかいものであったので、書店のすすめもあって、ぼくはその全文を雑誌『みすず』に紹介しておいた。


今年になって、ローレンツはさらにこの『八つの大罪』を書いた。

これはレクスプレスのインタビューの内容をふえんし、理論立てたものと言える。


1960年代の終わりごろから、ぼくがいろいろ考え、短いながらあちこちに書いていたような意見(『人間に就いての寓話』に収めてある)ともかなり似た問題意識があるので、ぼくにはとくに興味ふかかった。

もっともやはり年よりだなという感なきにしもあらずだが…。


1973年9月 日高敏隆


世代交代はどこでも付きもので。


日高先生のおられたエソロジーとか


分子生物学も御多分に洩れず、


そんな高次のレベルでなくとも


かような自分にもその影から逃れることは


できない、などというのは言いたいだけで。


レクスプレス誌のインタビューも


巻末に挿入されていて


この『八つの大罪』を補完しているのだけど


それよりも『攻撃』について触れているところが


自分的には気になる。『攻撃』自体未読なので


何も言えないけど。


ローレンツは語る から抜粋


レクスプレス▼

あなたのご意見によると、「攻撃性」の本能は、今日、現代社会の人間にあたっては「脱線」してしまっているのですね。

それは、もはや動物におけるように生や淘汰に役立つものではないのですね?


ローレンツ▼

まず第一に、あらゆる本能は脱線しうるものだ、ということを申し上げておきましょう。

性本能を比較研究してみると、きわめてしばしば、社会的、文化的、技術的、生態学的な原因によってその深刻な脱線が起こることがわかります。

けれど、人間の社会的行動のすべての「機能錯誤」の底にあるものは、つねに人口過剰なのです。

したがって、現代文明の最大の危険となるものは、集団的な攻撃性です。

攻撃性プラス水爆です。

何千、何百万という人間が集められると、攻撃性は深刻な脱線をはじめます。


レクスプレス▼

どういう理由からでしょうか?


ローレンツ▼

理由はたくさんあります。

集団的な攻撃性の最も深刻な脱線を引き起こしうる文化的要素の一つは、一つのイデオロギーを教え込むことです。

ある教義を確信することの力は、それに参加している人間の数の二乗に比例して増えてゆきます。

これは幾何学級数です。

そして、この人々を集めている要素が、抽象的なシンボルの体系に変わっていって、友人とか個人的な知人とかの地位を奪ってしまうところまでいくと、人間は本質的には宗教戦争のリスクをおかすことになります。


ある教義に固執している人間が十分な数に達した時点以降、非画一主義者は異教徒と見做される様になり、焼かれたり粛清されたりします。

私は、論議を極端に単純化するのが全ての狂信者の特徴の一つだと思います。

なぜかというと、大衆に教え込むためには、教義はあまり込み入ったものであってはならないからです。

一方で、人間とはこのようなものであると言い、他方ではまた違ったものであると言えば、これだけでもう複雑すぎます。

ラウドスピーカーはニュアンスを伝えることが全くできません

大衆を教義かする競争で科学者が不利なのはこのためです。

なぜなら、真理は単純ではないからです。


攻撃性の増大のまた別の原因は、実に簡単なことですが、大都市では人間が窮屈すぎるということにあります。


この書自体が細かいところは置いといて


主な部分が今も通用することは


昨日も投稿した次第。


それよりも感心してしまうのは、


1973年にローレンツ博士は、


ノーベル生理学・医学賞を受賞されているので


まさにこの書が刊行された時、


大国からは相当疎まれていたであろうことが


察せられるがノーベル賞自体が文明とは


無縁というか敵対しているような態度で


おられるから今ふうにいうなら


大国とか権力をディスっていても世間的にも


評価されたのか、と忖度社会に生きる日本人の


自分などは驚いたりもするというのは


これまた言いたいだけで。


さらに言いたいだけとしては、この書の表紙が


おそらくバベルの塔の絵が淡い黄色で


配置されているのだけど


どこにもそのエクスキューズがなくて


これも50年前だからなのか、なんて思いはせる


天気の良い午後の読書でございました。


 


nice!(23) 
共通テーマ:

nice! 23