O・サックス博士の随筆から受けた”既視感” [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
から抜粋
すぐさまダーウィンの想像力は目覚めた。
一対一という比率は、雄雌別株の種に期待される比率だ。
花柱が長い花は、たとえ両性花でも、雌花になる過程にあり、花柱が短い花は雌花になる過程になるのではないだろうか?
自分はまさに中間段階の形態、つまり進化の途中を見ているのだろうか?
楽しい考えだったが、説得力はなかった。
なぜなら、花柱の短い花、つまり雌花とされる花は、花柱の長い「雌」の花と同じだけの種子をつけていたからだ。
この場合、(友人のT・H・ハクスリーが言ったように)
「醜い事実によって美しい仮説が殺された」のである。
みんな大好きダーウィン、進化論。
サックス博士はそことはちと視点が異なり
植物への関心も忘れちゃならねえぜ
ダーウィンといえば、って言うのが
なかなか渋いなあと。
記憶は謝りやすい
から抜粋
1970年、ジョージ・ハリスンが大ヒット曲「マイ・スウィート・ロード」をリリースしたが、これが8年前にレコーディングされたロナルド・マック作の(シフォンズの「いかした彼」)にとてもよく似ていることが分かった。
問題が訴訟に発展したとき、法廷はハリスンを剽窃で有罪としたが、その判決には心理学的考察と共感が十分に示されている。
判事は次のように結論を下した。
「ハリスンは故意に「いかした彼」の曲を使ったのか?私は彼が故意にそうしたとは思わない。
しかしながら…これは法の下(もと)では著作権の侵害であり、たとえ無意識のうちに行ったとしても、同じ事である。」
ヘレン・ケラーも、たった12歳の時に剽窃で非難されている。
彼女はごく幼い時から耳と目が不自由で、6歳でアン・サリヴァンに出会う前は実際に言葉を知らなかったが、ひとたび指綴りと点字を学ぶと、たくさんの作品を書くようになった。
なかでも「霜の王様」という物語は、彼女が書いて友人に誕生日プレゼントとして贈ったものだ。
その物語が雑誌に載ることになったとき、読者はすぐにそれがマーガレット・キャンビーの児童向け短編物語「雪の妖精」によく似ていることに気づいた。
ケラーへの称賛は非難に転じる。
本人はキャンビー夫人の物語を読んだ記憶がなかったにも関わらず、剽窃と故意のうそで責められた(彼女はのちに、その物語を手のひらへの指綴りで「読んで」もらっていたことに気づいた)。
幼いケラーは冷酷で無礼な尋問を受け、そのことが生涯、彼女の心の傷跡を残した。
しかし彼女には擁護者もいて、そのひとりが剽窃された側のマーガレット・キャンビーだった。
マーガレット・キャンビーのこの逸話は
単に若年者への配慮だけとは思えない。
”創作”や”着想”のなんたるかをご存知だから
行った擁護であるのではないかと感じる。
ヒトの長い歴史をよくご存知だったからの
行動ではなかろうか。
自分は強くそう感じるのでございます。
暗点ーー科学における忘却と無視
から抜粋
私が論じている例から、何か教訓を引き出すことはできるのか?
私はできると信じる。
ここでまず時期尚早という観念を思い起こし、ハーシェル、ウィアー・ミッチェル、トゥレット、ヴェレによる19世紀の報告はなされるのが早すぎたために、同時代の構想に溶け込むことができなかったのだ、と考える人もいるかもしれない。
ガンサー・ステントは、1972年に科学的発見における「時期尚早」について考え、こう書いている。
「発見の内容が一連の単純な論理ステップによって、正統な知識や一般に認められている知識に結びつかないのであれば、その発見は時期尚早である」。
彼はこのことを、グレゴール・メンデルの古典的な例との関連で論じている。
メンデルの植物遺伝学に関する研究は、あまりに時代の先を行っていたのだ。
さらに、それほど知られていないのが非常に興味深い、オズワルド・エイヴリーが1944年にDNAを発見した例にも触れている。
この発見が見過ごされたのは、その重要性をきちんと評価できる人がまだいなかったからである。
ステントが分子生物学者ではなく遺伝学者だったら、彼は先駆的遺伝学者バーバラ・マクリントックの話を思い出していたかもしれない。
1940年代に、同時代の人々にはほとんど理解できない理論ーーいわゆる動く遺伝子ーーを展開した人物だ。
30年後、生物学がそのような概念を快く受け入れる空気になったとき、マクリントックの洞察は遅まきながら、遺伝学への根本的貢献として認められた。
マクリントックといえば養老先生が
中村桂子先生を評した時に引き合いに
出された人物だった。
確かトウモロコシの染色体を
研究してのノーベル賞ホルダーだが
そんなことは全く興味を示さなかったという
強者だったような。
それにしても、”動く遺伝子”ってなんだろうか。
解説 養老孟司
表現は難しく感じられるかもしれないし、またこれを日常的に体験する人は少ないであろう。
現代は情報化社会であり、情報はいったん固定化されると、まったく動かない。
だから我々自身が自分の記憶をそれに似たものと錯覚するのは当然かもしれない。
しかし何かを思い出すことは、新たに作り出すことでもある。
それを言葉の上ではなく、実感できるためには、おそらくその実体験が必要なのである。
フロイドは具体的な神経学者から精神医学者に変わった時、そうしたダイナミックな変化に気づいた可能性がある。
だからサックスはその時期のフロイドを論じるのである。
これを日常的な言葉で言えば、ヒトは変わる。
ただし、社会的存在としてのヒトは、むしろ変わってはならない。
昨日の私は、今日の私ではない。
そう主張して、昨日の借金を踏み倒すことはできない。
社会は「同じ私」を要求し、したがって進歩し、成熟していく私はしばしばストレスを受ける。
それが現代社会であろう。
自分自身を動的な過程として捉えること、それができることが真に「生きる」ことなのだが、昨日も今日も会社や官庁、組織に勤務していれば、なかなかそうは思えないのは当然のこととも言える。
サックスは私より4歳年上、ほぼ同年配と言っていい。
第二次世界大戦を子ども時代に経験した年代である。
彼が引用する書物、著作者には、私が親しんだものも多い。
いわば同じ世界の空気を吸って育った感じがする。
その世代は次第に消えて行く。
だからサックスの訃報を聞いた時には、寂しい思いがした。
本人に会ったことはない。
でも数多い著作を読めば、会う必要もない。
またまた完膚なきまでに叩きのめされた
清々しい書評というか人物評をされる
養老先生の解説は泣けるし、痺れる。
昔よりも優しい筆致な気がする。
組織社会の哀しさを指摘されるのは
ご年齢がそうさせているような。
それにしても養老先生のオリヴァー博士に
対する考察は本当にすごい。
病気や脳の知識と実務経験、それに拮抗する
知性を具備されているからこその
共感を示されていると自分などは僅少ながら
理解します。してるのか?してないよね?
自分は初読のオリヴァー・サックス博士は
かなり興味深く、既視感があったのは
昨今の読書文脈から考えるとまじ、
ありがたいことなのかもしれないと
思いつつもGW中日、今日だけ休日という
いつも以上に貴重な一日なので
図書館行って近場古書店でフィールドワーク
あとは家族と過ごしたいと
目論んでいるのでございます。
そろそろ朝ごはんたべようかと。