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伝記のガイドブックを読み自己を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


人間っておもしろい―シリーズ「人間の記録」ガイド

人間っておもしろい―シリーズ「人間の記録」ガイド

  • 作者: 「人間の記録」編集室
  • 出版社/メーカー: 日本図書センター
  • 発売日: 2004/12/01
  • メディア: 単行本


読者の皆様へ から抜粋


『人間っておもしろい』は、日本図書センター発行シリーズ「人間の記録」170巻のガイドブックです。


本書は、シリーズ「人間の記録」第1巻の『田中正造』(1997年刊)から第170巻『柳田国雄』(2005年2月刊)までを、一巻あたり2ページをあてて、その人物概説をし、略歴と各巻表紙写真を掲載したものです。

巻末には「日本人の自伝案内」「出身都道府県別地図」「分野別収録人物一覧」「『人間の記録』一覧」を付してあります。


「人間の記録」は、この国に生きた無数の男女の、さまざまな人間模様を、ジャンルを問わず一人一巻の自伝で見ていこうという試みです。

それぞれの人生の面白さ、意外さ、奥深さには驚きがあります、共感があります、感動があります。

そして、人間ってなんておもしろいのだろうと感じ入るとともに、勇気も湧いて来ます。


本書ガイドをきっかけにして、「人間の記録」の広大な森をぜひあるいてみてください。


これは便利、伝記シリーズのガイドブック。


ただいま現在の現代は


Wikipediaで事足りるというのもあるが


Wikiは薄氷で体重をかけると割れる


とは齋藤孝先生の言ではあるものの


それは一旦おいておいて。


興味ある人をピックアップ。



岡潔―日本のこころ (人間の記録 (54))

岡潔―日本のこころ (人間の記録 (54))

  • 作者: 岡 潔
  • 出版社/メーカー: 日本図書センター
  • 発売日: 1997/12/25
  • メディア: 単行本


今日の「多変数解析函数」を独力でつくりあげた数学者


から抜粋


父が日露戦争に出征したため、和歌山県の祖父の家で育ち、1922年(大正11)に京都帝国大学に入学し、1年生の数学の試験中にインスピレーション型発見の雛形を発見して自信を得ると、2年目からは数学教室に変わり数学史を学びます。

卒業後は、同大学の講師となり、のちにノーベル賞を受賞する湯川秀樹らを教え、その後パリに留学してラテン文化の流れに触れ、多数変解析函数の分野に研究課題を定めました。

3年間の留学を終えて帰国し、広島文理科大学の助教授になると、「中心的な問題が山脈の形」で明瞭になって来ましたが、最初の足がかりがなかなか見つかりませんでした。


「全くわからないという状態が続いたこと、そのあとに眠ってばかりいるような一種の放心状態にあったこと、これが発見にとって大切なことだったに違いない。(略)

意識の下層にかくれたものが徐々に成熟して表層にあらわれるのを待たなければいけない」(自伝より)


こうして、数学上の新しい発見をすると、本格的に問題の解決に取り組み、論文を次々に発表しますが、日中戦争が始まると、日本の将来を憂いて内心の行き詰まりに苦闘し、第二次世界大戦後の1946(昭和21)の夏、念仏中に「第三の発見」といわれる情操型を発見し、十数年間座右にあった『正法眼藏』がすらすらわかるようになりました。


インスピレーション型の人物だったのか。


数学ってひらめきとは


相容れないもののような気もするのは


浅学非才な自分ならなのだろうねえ。



今西錦司―そこに山がある (人間の記録)

今西錦司―そこに山がある (人間の記録)

  • 作者: 今西 錦司
  • 出版社/メーカー: 日本図書センター
  • 発売日: 1998/08/25
  • メディア: 単行本

 


ダーウィン進化論に対し独創的な「共生」理論を提唱した人類学者


から抜粋


京都西陣の織元に長男として生まれ育ち、体が弱かったのですが、中学時代に登山で体力に自信をつけ、富士山や日本アルプスにも登り、第三高等学校時代は、西堀栄三郎や桑原武夫らと山岳部を編成して登山やスキーに没頭しました。


1925年(大正14)に京都帝国大学の農学部農林生物科に入学し、昆虫学を専攻して理学部講師になり、その後1933年(昭和8)ごろには、カゲロウの観察から「棲み分け」の理論を唱え、生物の社会構造について独自の理論を打ち立てます。


1944年に中国の張家口に設立された西北研究所の所長になり、帰国後は大学に復帰し、新設された社会人類学研究部門や自然人類学講座の教授になりますが、その間、ニホンザルやチンパンジーなどの観察を続けながら京都大学霊長類研究所の創設に尽力し、人類学にとどまらない幅広い分野で功績を残しました。


この時期には、海外の学術調査にもリーダーとして参加し、マナスル登山隊の先遣踏査隊長、カラコルム支隊長、アフリカ類人猿学術調査隊長として共同研究を主宰、大学を退官してからは”自由人”と宣言して、人間社会への提言をも行いました。


「むしろこの際、人間も生物であり、この地球上に住む生物の一員であることを、率直に認めて、生物の生き方、あるいは生物の生きるべき道をあまり踏みはずさないようにした方が良い。(略)

それは、人間における生物性への復帰、ということになるのかもしれない」(自伝より)



南方熊楠―履歴書ほか (人間の記録)

南方熊楠―履歴書ほか (人間の記録)

  • 作者: 南方 熊楠
  • 出版社/メーカー: 日本図書センター
  • 発売日: 1999/02/25
  • メディア: 単行本

博覧強記の篤(とく)学者で日本の民俗学・エコロジー運動の先駆者


から抜粋


幼少ころから博覧強記の特質を備え、10歳から15歳の5年間で、当時の百科事典であった『和漢三才図絵』や『本草綱目』『大和本草』などを筆写し、後年の博識と生物学の基礎がこのときつくられました。

和歌山県立中学校を卒業して1883年(明治16)に上京し、大学予備門に入学しますが、3年後に退学して渡米。

アメリカではビジネスカレッジやミシガン州立農家大学に在籍しました。

しかし、生来の自由奔放な性格が学究活動には合わず、すぐに退学しています。


「商業学校に入りしが一向商業を好まず、20年にミシガン州の州立農業に入りしが、耶蘇教を嫌いて邪蘇教義のまじりたる倫理学などの諸学科の教場へ出ず…」(自伝より)


こうしてその後、イタリア曲馬団と共に中南米を巡遊して動植物を採取した後、イギリスに渡ってロンドンの大英博物館に通い、十数カ国の文献を写本し、自然科学誌『ネイチャー』などに長短合わせて332本の論文を寄稿しました。


1900年に帰国したあとは、南紀勝浦を拠点に、熊野那智周辺の生物採取調査に数年間従事して細菌や微生物の調査研究に携わります。


その後、田辺町に移って定住して間もなく、内務省は神社合祀令を発令しましたが、それは鎮守の森の破壊につながり、神社を中心とする良俗美風と志気の衰亡を招くと反対運動に身を投じ、生物学と民俗学とを結ぶエコロジーの立場から自然と人間の共生を論じました。


こんなにワイルドな方だったのか。


にしても、アメリカでビジネスで耶蘇(キリスト)教って


らしくなく、でもそれは今だから言えることなのだろう。


それにしても大英博物館が熊楠先生に


与えた影響は計り知れないということか。


人生の不思議を思いますなあ。



宮本常一―民俗学の旅 (人間の記録)

宮本常一―民俗学の旅 (人間の記録)

  • 作者: 宮本 常一
  • 出版社/メーカー: 日本図書センター
  • 発売日: 2000/12/25
  • メディア: 単行本

 


豊富なフィールドワークで離島振興の父と呼ばれた民俗学者


から抜粋


1929年(昭和4)には師範学校の専攻科を卒業して大阪府内の小学校に赴任し、教員住宅で自炊生活を始めますが、翌年に風邪をこじらせて肺浸潤になり、医師のすすめで長期療養のため故郷に帰り、絶対安静の療養生活を1年半続けます。


その間、ひたすら『万葉集』と『長塚節(ながつかたかし)全集』を読み、「ほんとうの旅は万葉人の心を持つことによって得られるのではないか」(自伝より)と感動。

病気が癒えてくると、懐に手帳を入れて人の集まるところに出かけて聞いた話をまとめ、柳田国男が蒐集していることを知ると、島の説話を書き送り、その活躍を認められます。


健康が回復すると、ふたたび大阪に出て小学校の代用教員として働きながら、民俗学への興味を深め、1939年には上京し、事業家の渋沢敬三が主宰していたアチック・ミューゼアム(のちの日本常民文化研究所)に入所します。


大事なことは主流にならぬことだ。傍流で状況を見ていくことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしまう」(自伝より)

という渋沢の言葉に心を打たれ、以降、離島や僻地、農村や漁村をくまなく歩き、各地の民間伝承を収集しました。


戦後は離島の研究に本格的に取り組み、人間関係や環境を構造的に捉える「宮本常民学」を確立し、武蔵野美術大学の教授や日本常民文化研究所所長などを歴任しました。



柳田国男―炭焼日記 (人間の記録)

柳田国男―炭焼日記 (人間の記録)

  • 作者: 柳田 国男
  • 出版社/メーカー: 日本図書センター
  • 発売日: 2005/05/25
  • メディア: 単行本

”常民史学”を形成して新分野を切り開いた日本民俗学の創始者


から抜粋


医師・松岡操とたけ夫婦の六男として生まれ、12歳まで生家で育ちますが、11歳からの1年間は、蔵書家の三木家に預けられ、読書に明け暮れ、多くの知識を吸収しました。


1891年には開成中学に編入学し、第一高等学校を経て東京帝国大学法科大学政治学科に入学。

卒業後は農商務省農務局に勤務し、1901年に旧信州飯田藩士で大審院判事・柳田直平の養嗣子として入籍し柳田性になり、勤務のかたわら、早稲田大学で農政学の講義を行いながら農業問題に対する数多くの論文を発表しました。


その後、内閣書記官記録課長を経て貴族院書記官長になってエリートコースを歩み、1919年(大正8)に退官します。

翌年からは東京朝日新聞社の客員になり、1921年には国際連盟の常設委任当時委員会に就任し、一時帰国しますが、その後ジュネーブに滞在。

1924年には朝日新聞社編集局顧問として論説を担当し、1930年(昭和5)まで在社しました。


その間、1927年には世田谷区成城に新居を移し、慶應義塾大学講師、東京帝国大学農学部講師を歴任し、終戦を迎えた翌日、高熱にうかされながら、日記にこう記しました。


「内閣の総辞職は不賛成、阿南(あなみ)陸相の自殺は論外のこと也、士道頽廃というべきか」(自伝より)


こうして日本民族の動揺を見つめながら、1946年に枢密院顧問に就任。

1949年には日本民俗学会を結成して初代会長になりますが、その業績は、伝承などの膨大な聞き書きから”常民”という概念を導いて歴史の担い手として位置づけ、日本民族の精神史やルーツに大胆な仮説を立て、多くの後進を育てたことにありました。


そもそも自分が伝記が好きな理由は


大昔読んだつげ先生のあとがきに


近いような気がするので引かせていただきます。



つげ義春日記 (講談社文芸文庫)

つげ義春日記 (講談社文芸文庫)

  • 作者: つげ義春
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2020/05/15
  • メディア: Kindle版

私は文学が好きでよく読むほうだが、作品ばかりでなく日記や年譜も熱心に読む。

ときにはそれだけ読んで作品は読まないことすらある。

日記や年譜を読むことによって、作品をより深く理解するということはあるだろうけれど、私の場合はそうではなく、作家の私生活や境遇を知りたいために読んでいる。

どんな病気をしたのか、どんな家に住んでいるのか、家族構成は、経済状態は、といったことに強い関心を寄せる。

それで好んで読むのは「私小説」ということになる。

私小説はいわば生活報告だからだ。


何故作家の生活に興味を持つかというと、私は人生経験も浅く、未熟で、生き方が下手で、いつも動揺しながら暗闇を手さぐりで進むように、辛うじて生きている

常に不安で心細く頼りない。

そんなとき他人の生き方を見るのは参考になり、慰められ、勇気づけられるからである。


とりわけ私小説作家の多くは、不幸な境遇を背負い、経済的にも恵まれない例が多いので親近感を覚えるのだ。


しかし作家ばかりでなく、隣り近所の人の生活にも私は興味を示す。

いやむしろそのほうが身近で実感が持てる。

だから近所のことは妻に根掘り葉掘り聞き出そうとする。

そして作家だけでなく、隣り近所の人にも年譜や日記があればやはり読んでみたいと思っている。

いや案外そう思っている人もいるのではないか、そう思ってこのような日記を発表してみる気になった。

これはお隣りさんの日記のようなつもりでいる。

隣りは何をする人ぞ、覗き趣味的に見て、蔑んだり優越を感じたり、あるいは多少なりとも共感して戴ければ幸いだと思っている。


つげ義春さんほどではないにしても、


なんとなくこの気持ちはわかる。


ちと極論かもわからんですが


他人の半生を知ることは


自分自身を知ることと


ニアリーイコールのように感じる


余談だけど、この書は最近文庫化されたが


自分は単行本で持っておりまして


直筆サイン入りなのでした。


さて、夕飯のアシストをしながら


明日に備えよう、暑い休日でございました。


 


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ダーウィンの危険思想の難解さを読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化

ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化

  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2001/01/10
  • メディア: 単行本

出版は2001年。


長谷川眞理子先生の書籍で知ったことが


きっかけだったような、うろ覚えで恐縮。


「危険」の解釈が難しい。


ダーウィンそのものがある意味


危険なのだから。


第2章 プロローグから


ダーウィンは、古い伝統とは逆に、種が、永遠でも変化しないものでもなく、かえって進化するものであることを、決定的な形で証明した。

新種の起源は「変化をともなう由来」の結果であることが示された。

ダーウィンは、あまり断定的な形でではなかったが、こういう進化のプロセスが<どのようにして>生じたのかについて、一つの考えを提示した。

つまり「自然淘汰」とみずから呼ぶ、心を欠いた、機械的なーーーアルゴリズムによるーーーープロセスによって、という考え方を。

このような、進化の実りはすベてアルゴリズムによるプロセスの産物として説明できるのだとする考え方が、ダーウィンの危険な思想と言われるものである。


第3章 イントロから


ダーウィンを含めて多くの人々は、自然淘汰というダーウィンの考え方が革命的なパワーを秘めていることはおぼろげながらも理解できたが、それにしてもこの考え方は、いったい何を転倒して見せると約束したのだろう。

ダーウィンの考え方は、私が宇宙論的ピラミッドと呼ぶヨーロッパ的思考の伝統的構造を解体して、これを再構築するのに用いることができる。

ダーウィンの考え方は、宇宙のデザイン全体の漸進的蓄積による起源について、新しい説明を提供してくれる。

ダーウィン以来、懐疑主義が狙いを定めてきたのは、自然淘汰の様々なプロセスは、無精神性をベースとしているにもかかわらず、それ自体実にパワフルなため、世界のうちに明示されているデザイン・ワークはそっくり一人でやりとげてしまったのだという、ダーウィンの暗黙の主張である。


第3章 プロローグから


ダーウィンの危険な思想というのは、デザインは、専従している精神に訴えなくとも、ある種のアルゴリズムのプロセスを通して、ただの秩序から生じることができるのだとするものである。

懐疑論者は、少なくともこうしたプロセスのどこかでは、援助の手(もっと正確に言えば、援助の精神)ーーー一いささかのリフティングを行うスカイフックーーーが差しのべられたに違いないことを証明したいと願ってきた。

ところが懐疑論者は、スカイフックの役割を説明しようとして、かえってクレーンをしばしば発見してきたのだ。

クレーンというのは、アルゴリズムの初期のプロセスの産物のことであるが、これは、アルゴリズムのプロセスを超自然的でない仕方で局所的に速めたりより効果的にしたりすることで、ダーウィンの基本的アルゴリズムのパワーを増幅することができる。

好ましい還元主義者は、クレーンがなくともデザインはどこまでも説明可能だと見る。


”スカイフック”というのは、神のような


象徴的存在が上から手を差し伸べることの


意のようでございます。


こういうメタファ的造語のような使い方


多用されるのだよね、


ドーキンスさんもだけど


洒落てるようでスルーしそうで


良いような悪いような。


第4章 イントロから


進化の歴史的プロセスは、実際のところどのようにして生命の系統樹を造ったのだろう。

自然淘汰はありとあらゆるデザインの起源を説明してくれるが、その能力に関する論争を理解するためには、生命の系統樹の形についてのいくつかの間違い易い特徴と、生命の系統樹の歴史における若干の鍵となる要素を明らかにして、まずは生命の系統樹の視覚化の仕方を学ぶ必要がある。


最近よく読むドーキンスさんとはまた一味違う


筆致で論説自体が難しいからか


慣れるのに時間がかかりタイムアップ。


あらためて、今度は前著を読んでみたいと思ったり。


 


監訳者あとがき 2000年11月6日


山口泰司 から抜粋


本書は”Darwin’s Dangerous Idea——Evolution and the Meanings of Life’s” By Daniel C.Dennett,1996,Touchstone の全訳である。

著者ダニエル・C・デネットは、心の哲学を専門とするアメリカの代表的な哲学者の一人で、現在ボストン郊外のタフツ大学の教授と同「認知研究センター」の所長を務めている。


私は先年、デネットの代表的著作『解明される意識』Cousciousness Explained, 1991の翻訳を青土社から出版しているので、デネットその人についての詳しい説明とその思想の特色については、そちらの解説(訳者あとがき)を参照いただけたら幸いである。


ごらんのとおり、本書は前著の『解明される意識』をも大分上まわる大著で、進化論の枠組みのなかでのこととはいえ、ここでは扱われている範囲もぐんと広がり、学際的性格も一段と深まっているので、本書を読み進めるに当たってそれなりの指針があった方が便利かと考え、以下、本書の思想的枠組みと読みどころとでもいうべき点を「ダーウィンの危険な思想」といわれるものの危険性の意味に焦点を当てながら述べることによって、解説にかえたいと思う。


デネットが前著『解明される意識』で採った立場は、人間の意識を徹底した<機能主義>の立場から把えることによって、人間の存在を、伝統的二言論の説く「物質」という実体にも「精神」という実体にも等しく還元することのできない、より自由で流動的な混沌として把らえ、起源も目的も定かならぬ無限に輻輳(ふくそう)する因果関係の連鎖のなかで絶え間なく己を紡いではこれをほぐし、これをくずしてはまた積み上げるといった、無心な戯れのようなものとして確保しようとするものだった。


そこでは人間の意識の在り方が、<心の哲学>の立場から、従来の西洋哲学とは異なる人間観、「意識の多元的草稿論」仮説に基づく「自己および世界のヴァーチャル・リアリティ論』として展開された。


しかしながら『解明される意識』では、あくまでも意識の解明が第一のテーマであったため、その根底で働いている根本基盤の解明は不問に付されたままだった。

これに対して『ダーウィンの危険な思想』では、その根本基盤たる<母なる大地>の在り方が、ダーウィニズムの徹底した拡大的運用を通して解明されていく。


デネットがダーウィニズムのうちに見ているのは、言うまでもなく、<自然淘汰>を原理とした<進化>の事実であるが、その具体的な意味は、<種>が永遠の存在でも不変の存在でもなく、かえって<進化>するものであること、そしてこの進化のプロセスは、それ自体精神も目的も欠いた、純粋に機械的な<アルゴリズムのプロセス>によって遂行される、というものである。

デネットによれば、ダーウィニズムのこの思想は、直接的には、デネットが<宇宙論的ピラミッド>と呼ぶヨーロッパ的思考の伝統的構造を根本から解体してしまう力を秘めている点で<危険な思想>であり、より本質的には、進化のプロセスを、非生物界と生物界を等しく貫くアルゴリズムの統一的論理で把えうるともするばかりか、生物界一般の論理を、究極的にはデザイン開発の営みという一元的視点から捉えうるともすることによって、自然界における<人間の特権的地位>を危険にさらしてしまう力を秘めている点で、これまた<危険な思想>である。

デネットはこの危険性を、この世のありとあらゆる物質を腐食させてやまない架空の危険物質<万能酸>というイメージに託して、まるまる一章をさいて雄弁に語っている。(第3章)


デネットによれば、世の中には、西洋の伝統的人間観への深い思い入れのなかで、上に向かって自力で伸びていこうとする<母なる自然>のデザイン開発のただ一つの道具、<クレーン>の存在だけでは安心できずに、どこか進化の曲がり角で、言わば機械仕掛けの神のように、上から下に向かって援助の手を差し伸べてくれる<スカイフック>の存在を、人間の霊的存在としての威信をかけて、求めずにいられない人たちがいるのだと言う。

そしてそうした気持ちが、あからさまな反ダーウィニズムや不徹底で混乱したダーウィニズムの元になるのだというのが、デネットの見解である。


デネットはそうした不徹底なダーウィン理解の代表者として、古生物学からスティーヴン・ジェイ・グールド(第10章)、言語学者からノーム・チョムスキー(第13章)、そして数学・物理学からロジャー・ペンローズ(第15章)などを論敵に選んで、彼らのダーウィニズム理解に対する周到な批判を、ほぼ一章ずつさいて展開している。


ドーキンス氏も本文にかなり出てきますが


近い論説のようでこの本の帯は


ドーキンスさん本人で曰く


『ダーウィンの危険な思想』は

並外れて素晴らしい本だ。

デネットは、これまで知識人たちが

進化論の問題について

はなはだしく誤り導かれてきた

ことを明らかにし、

本書はその多大なダメージを

修復してくれるだろう。

ーーーリチャード・ドーキンス


この後<ミーム>も出てきます。


監訳者あとがき山口先生に戻りまして。


だがデネットが、そのドラスチックな科学哲学の展開を通して、徹底した無神論哲学を標榜しているわけでもなければ、人間のうちで働いているきわめて根深い宗教的感受性を揶揄しているわけではないのは、彼自身が、いくつかの形で、神の存在や進化への神のかかわりなどの論理的可能性について自ら示唆している点からも明らかである。

むしろ彼の主眼は、進化の営みは、超越的な力や奇跡の介入なしでも、アルゴリズムとクレーンの重層的組み立て一本で、立派に成し遂げられたのだという点を論証することによって、科学から伝統的人間観への思い入れに発する、人間それ自体で自己完結した特別の種だとする不遜で独善的な信念を排除して、進化の世界では人間を含めた一切の種は、生命の大いなる系統樹の一員として、他のすべての存在と深いつながりのうちにあり、<母なる自然>がそこに至るまでに開発したデザインをほぼそのままの形ですべて己れのうちに含んでいるのだという、ごく当たり前の認識を取り戻そうとする点にあるのだと言ってよい。


しかし一切の種が、このように不連続の連続によって水平的にも垂直的にも互いに深くつながり合っているのだと言うのが真実ならば、逆にまた一切の種は、連続の不連続によって、互いに大きく隔たりあっているのもまた確かである。


動物のなかの人間性、人間のなかの動物性に注目しながら、人間に固有の質の在り方、つまりは人間性の本質を科学と道徳の進化のうちに求めているのは、そのためである。


デネットがそうした人間性の本質を論ずるに当たって大きく依拠しているのは、ドーキンスの<ミーム>と言う観念である。

ミームは、遺伝子、ジーンが生体から生体を渡り歩いては自己を次々に複製することでもろもろの観念の伝播を我知らず限りなくはかり続けようとする文化的進化の単位であるが、利己的なミームによる人間の<心>の形成こそが、科学の限りない前進を可能にしてくれるばかりか、利己的な遺伝子の専横(せんおう)を抑えて人間に個有な特性の実現をも可能にしてくれるのだと、デネットは言う。


すんごい、むずい。頭がバーンアウト。


高次すぎて理解が追いつきませんけど


今度の夜勤中にでも復唱させていただきます。


わかりそうなところだけ抽出。


ダッチコーヒーの如く。


ちなみに若き齋藤孝先生も共同で


部分翻訳されている。


このように本書『ダーウィンの危険な思想』では、『解明される意識』においては認識論の立場から展開されていたある種の空観の哲学が、新たに存在論的立場から展開され直すことで、よりダイナミックな<宇宙論的生命観の哲学>へと生まれかわっているのであり、それはまた、一切を有機体的視点から同じ一つの論理で一元的に把握しようとする試みとしてのかぎりで、自然的現象と人間的事象を統一的かつ連続的に論ずることのできる広大な地平を拓いてもいるのである。


とはいえ、この宇宙論的生命観の哲学が、スカイフックからの介入は断固排して広義の機械論を貫こうとする一つの科学哲学なのだと言う点で、もろもろ伝統的宗教や形而上学とは一線を画すものであることは、はっきり言っておかなければならないだろう。


発表当時には不明だったことが多くて


誤解や間違いも含まれていて


いまだに論議の的となる”進化論”のようで


最近知って関連書を読ませていただいておりますが


いかんせん頭がついていけないので


1ミリずつの前進でございます。


それにしてもいつもながら


早朝読書は静かで本当によいです。


そのために睡眠は削ってませんけれども


歳とると早起きになるというのは本当だ。


物音ひとつせず、でもこれから


セミの大合唱が始まるのだろう


暑い1日を予感させるのですが


早く朝食とって、今日は家の掃除でございます。


 


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36年前のドーキンス本を当人以外の文で読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


延長された表現型―自然淘汰の単位としての遺伝子

延長された表現型―自然淘汰の単位としての遺伝子

  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 1987/07/01
  • メディア: 単行本


ちなみに言いたいだけだけど


英文原文のタイトルは


The extended phenotype


The Gene as the Unit of Selection


 


『利己的な遺伝子』がまだ


『生物=生存機械論』だった頃の流れで、


1987年に第二弾として出版されたこの書を拝見


『利己的な遺伝子』はタイトルを変えたことで


自分のようなものも興味を持ったりもしたのだけど


それを訝しく思われる岸先生のご意見


分かる気がして少し複雑な気もいたします。


岸先生が共同翻訳された経緯も以前読んだ


ネオ・ダーウィニズムを批判される


池田先生も実は興味深い


話をこの書に戻して、といっても


これまたほぼ見ただけなので”拝見”。


読んだのは、しかも本人以外の


テキストだったりという、なんともはや。


表紙カバー袖の紹介文から


■本書についてから抜粋


進化論といえば、まず問題になるのが、適応とか自然淘汰という概念である。

一体誰にとっての適応であり、誰にとっての自然淘汰か。

ここでドーキンスは、従来の常識に反し、革命的な主張をするーーーそれは、自己複製子としての資格を持った利己的遺伝子である。

その意味では、生物個体はヴィーグル(乗物)にすぎない、と。

前著『生物=生存機械論』で衝撃的なデビューをしたドーキンスは、2作目の今回の本でさらに自らの立場を拡大・深化させ、利己的遺伝子から見た生命像・進化像・世界像を展開する。

前著に劣らず刺激的かつ挑発的な内容で、この一見突飛な発想が実に説得力をもって語られる。

生物学や進化論の最前線のトピックも巧みに料理され、生物進化の見方にパラダイム変換を要求する。

またこの本は、社会生物学論争で批判の矢面に立たされた著者による反批判の書でもある。


基本は前作の延長ということなのだけど


この頃から、すでにグールドさんや


他の学者さんたちとの反証というか


やりとりが書かれていた。


学者さんたちってそういうのを生業にしているのか


自分なぞ未知の分野だと思いつつも


じつは仮説・実施・検証・分析のぐるぐる回し


という括りで捉えるとすると他人事では


ないのかもしれない。


にしても、難しくて長いのだよ。


実はこの書で一番エキサイトしたのは


と言えるほど読めちゃいないのだけど


訳者の日高先生のドーキンス氏との


邂逅のようなエピソードでした。


訳者あとがき 1987年6月 訳者を代表して


日高敏隆 から抜粋


とにかくこの本を訳すのは大変だった。

第一作「The Selfish Gene」(邦題『生物=生存機械論』)で展開された利己的遺伝子論をさらに延長・拡張して、遺伝子の表現型作用は個体という枠にとどまらず、ビーバーのダムにまで及ぶのだというのである。

遺伝子の利己性、ここにきわまれりだ。


この議論によって著者リチャード・ドーキンス(Richard DAWKINS)は、自然淘汰の対象となる単位(ユニット)は、もちろん種や群(グループ)でなく、そして個体でもなく、遺伝子そのものなのだ、と主張しようとしている。

そしてこの観点からすれば、個体などというものはじつはさして重要なものではないと述べて、生物、とくに動物の「個体性」というものに目を奪われていたわれわれを驚かす。


リチャード・ドーキンスはこれをネッカー・キューブにたとえている。


こちら向きに凸の立方体だなと思ってしばらく見ているうちに、イメージはさっと反転して、むこう向きに凸に見えるようになる。

そしてそのまま見つづけていると、イメージはまた反転する。


そのどちらがまちがっているというのではない。

どちらも正しいのである。

現実の絵は何一つ変化していないのに、見えるイメージが変わるのだ。

生物も生物界も変わるわけではないが、この本のような見方によって、これまでとはまったくちがう生物界のイメージが立ち現れる。

この本の面白さはそこにある。


キー・ワードとなる「extended phenotype」は「拡張された」ととっても「延長された」ととってもいい。

もともとextendedにはそのどちらの意味もある。


さんざん迷ったあげく、「延長された」とすることにした。


リチャード・ドーキンスはイギリスの新進気鋭のエソロジスト(動物行動学者)であるが、この本にもみられるとおり、彼の理論はエソロジーを超えて、生物学全般にわたっている。


彼のキャラクターは独特である。

昨年11月、京都で開かれた第二回国際生物学賞記念シンポジウムにリチャードを招き、この”extended phenotype”の話をしてもらったが、自分ではスライドを1枚しか持ってこず、洞窟学、生態学、生化学など多岐の分野にわたる他の講演者が見せたスライドをピックアップして借り集め、それを使って見事なレクチャーをやってのけた

それこそまさに、extended phenotypeを地でゆくようなものであった。


これと前後して、リチャードの第3作、「The Blind Watchmaker」が出版された。

これは、自然淘汰でこの多様な生物の進化が説明できるかという、生物学者を含めてだれもが心の底に抱いているダーウィニズムへの疑念を一掃しようとして、コンピュータ技術を駆使して書かれた本である。

これも目下翻訳中で、いずれ早川書房から出版の予定である。


ネッカーキューブの件は、立花隆さんとの対談でも


話されていたけど、こちらの方が時期的に近くて


ホットでリアルな文章だと感じた。


余談だけど、パパ友と3年ぶりにメールでやりとり


先日近くのマックでお茶をした。


そのパパ友はじつは昔学者を目指していて


今もその領域でそのマインドで生計を


立てておられるのだけど


学生時代、日高先生の講義を受けたことがあると聞き


まじでびっくり。


日高マインドの薫陶を受けていたなんて。


さらにその時代からローレンツさんの


ソロモンの指輪』を読んでたというので


二度びっくり。


日高先生の遺伝子はこういう形で薄くも


(パパ友は薄くないかもしれないが)


継承されていくのであったと


おこがましくも、思う夜勤明けのぼーっとした


頭で思うのでした。


 


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長谷川先生の翻訳本から自己の低価値を猛省 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

知のトップランナー149人の美しいセオリー


知のトップランナー149人の美しいセオリー

  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2014/11/21
  • メディア: 単行本

主題とは異なるのは

いつもの癖のようなものなのですが


翻訳者の方に興味があり


また、”世界の知”といわれるヒトの


エッセンスだけでも知っておくと


後で広がるのかもと思い手に取った次第。


前書き 鋭い質問(エッジ・クエスチョン)


ジョン・ブロックマン


エッジ編集者 から抜粋


1981年に、私は、リアリティ・クラブを作った。

創設の時から1996年まで、クラブは、中華料理店、芸術家のロフト、投資会社の重役室、宴会場、博物館、居間、などなどで会合を持ってきた。


リアリティ・クラブは、アルゴンキンの円卓や、12の使途たちやブルームスベリー・グループ〔20世紀初頭にイギリスで活動した知識人や芸術家のグループ〕とは異なるが、それらと同じくらい質の高い知的冒険を提供していた。

おそらく、これと最もよく似たものは、18世紀の終わりから19世紀の初めにかけて、新しい工業化時代を担う文化人たちであった。

ジェームス・ワット、エラスマスマ・ダーウィン、ジョサイア・ウエッジウッド、ジョーゼフ・プリーストリー、ベンジャミン・フランクリンなどが非公式に集まっていた、ルナ協会だろう。

それと同じように、リアリティ・クラブは、ポスト工業化時代のテーマを探ろうとする人々の集いの試みであった。


1997年に、リアリティ・クラブはオンラインになり、「エッジ」という名に衣替えした。

「エッジ」に提出されたアイデアは推測であり、進化生物学、遺伝学、コンピュータ科学、神経生理学、心理学、宇宙科学、物理学などの分野における最前線を代表している。

これらの貢献から現れてきたものは、新しい自然哲学、物理学システムを理解する新しい方法、私たちが基本的に受け入れている仮定の多くに疑問を呈する、新しい考え方である。


2012年の鋭い問い

あなたのお気に入りの、深遠で、エレガントで、美しい説明はなんですか?


ジョン・ブロックマンさんの文章は


なんか一瞬気のせいか


高所からのドヤリングのようなのだけど


それは自分が浅学非才ゆえの僻みの


なせる所業なのだろう。


すごい分野の人たちの集う経緯と


依頼したお気に入りの説明なのだ


程度でスルーしよう。


 


■生命がディジタル暗号である


マット・リドレー MATT RIDLEY


科学ライター、国際生命センターの設立理事長、


繁栄:明日を切り拓くための人類10万年史』の著者


から抜粋


2月28日の朝に、生命がどれほど不思議なものであったか、それが、その日の昼ご飯どきまでにどれほど変わってしまったか、今となってはなかなか思い浮かべるのが難しい。

「生命とは何か?」という質問に対する、それ以前の答えのすべてみてみると、われわれが種全体として、どれほどとどまってきたかがうかがえる。

生命は、特殊で複雑な3次元の物質(おもにタンパク質)から成る。

そして、それは自分を正確に複製する。

どうやって?どうすれば、3次元の物質を複製するなんていうことができるのだろう?

どうすれば、それを予測可能な道筋にそって成長させたり発生させたりすることができるのだろう?

これは、それまでにまったく誰も答えを思いつきもしなかった、一つの科学的疑問である。

エルヴィン・シュレディンガーは少しつついてみたが、量子力学に傾き、あらぬ方向に行ってしまった。

確かに彼は「周期的でない結晶」という言葉を使っているので、寛容な人ならば、それは線形の暗号を予期させるというかもしれないが、私は、それでは、彼を甘やかし過ぎると思う。


実際、DNAが決定的な役割を担っているということがわかると、問題はさらに難しくなった。

なぜなら、DNAは単調、単純だからだ。

1953年2月28日以前の、生命とは何かの説明はすべて曖昧模糊としたもので、深い洞察もあったとしても、プロトプラズムや精気などについて述べているものさえあった。

そこに二重らせんがきて、即座にわかったのだ。

フランシス・クリックが、数週間後に息子にあてた手紙で述べているように、「なんらかの暗号」であることが。

それは、ディジタルで、線形で、二次元で、組み合わせとしては無限で、あっというまに自己複製する。

これこそ、必要とされていた説明のすべてであった。

以下は、1953年3月17日のクリックの手紙の一部である。


親愛なるマイケル、

ジム・ワトソンと私は、おそらくもっとも重要な発見をした…DNAは暗号だと考えている。

つまり、塩基(文字)の順番が、ある遺伝子と他の遺伝子と異なるものにしているのだ(印刷されたあるページが、別のページとは異なるように)。

自然がどうやって遺伝子のコピーを作るのか、今やわかる。

なぜなら、もし二つの鎖が分かれて独立の二本の鎖になり、それぞれの鎖がもう一方の鎖をそこにくっつけることができれば、そして、Aは必ずTと、Gは必ずCとくっつくのだから、前は一つであったものが二つになるのではないか。

言い換えれば、私たちは、生命から生命が生まれる基本的な複製のメカニズムを発見したということだ…私たちが興奮しているのがわかるだろう。


朝には、これ以上ないほど理解困難なミステリーがあり、午後には、これ以上ないほど明らかな説明ができたのである。


DNAの塩基、シークエンス解明されたのが


1953年ですか。


それを子供に向けた手紙で


平素な表現を引用するのが心憎い。


めちゃくちゃ大量な資料を


あたっていそうなリドレー氏は


すでにご高明ですが、長谷川先生が


必読10冊にもあげられておられます。


冗長性の削除とパターン認識


リチャード・ドーキンス RICHARD DAWKINS


進化生物学者、オックスフォード大学、


科学の公共理解講座名誉教授、


ドーキンス博士が教える「世界の秘密」』の著者


から抜粋


深遠で、エレガントで、美しいだって?

ある理論をエレガントにする要素の一部は、なるべく少ない仮定のもとで多くのことを説明する力にある。

この点で、ダーウィンの自然淘汰の理論が圧勝だ。

それが説明するおびただしい量の事柄(生命に関するすべて:その複雑性、多様性、巧妙にデザインされたように見えること)を、それが依拠する数少ない仮定(ランダムに変化する遺伝子が、地質学的時間の中でランダムでなく存続すること)で割った比は、ともかくも巨大だ。


人間がこれまで理解してきた諸分野において、これほど少ない数の仮定のもとにこれほど多くの事実が説明されたことは、ほかにない。

エレガントはその通りだが、深遠さはというと、19世紀になるまで誰からも隠されていた。

一方で、自然淘汰は、美しいというにはあまりにも破壊的で、無駄が多すぎて、残酷だと見る向きもある。

いずれにせよ、私以外の誰かがダーウィンを選んでくれるに違いないと見て良いだろう。

私は、そのかわり、ダーウィンのひ孫を取り上げ、最後にダーウィンに戻ることにする。


王立協会会委員のホーレス・バーロウは、チャールズ・ダーウィンの一番下の息子であるホーレス・ダーウィン卿の一番下の孫である。

90歳で今なお活発なバーロウは、ケンブリッジの著名な神経生物学者グループの一員だ。

私は、彼が1961年に出版した二つの論文で示した考えについて語りたい。

それは、冗長性と、そこから派生したいくつもの筋道によって、考えを深められてきたのである。


情報理論の発明者であるクロード・シャノンは、情報の逆数のようなものがあるとして、「冗長性」という言葉を作った。

英語の綴りでは「q」のあとには必ず「u」が来るので、「u」は省いても情報が減ることはない。

Uは冗長なのだ。

メッセージは、情報を失うこと無しに、より節約的に言い換えることができる。

しかし、誤りをただす能力は少し損なわれる。

バーロウは、感覚回路のすべての段階において、大量の冗長性を除去することに特化したメカニズムがあるだろうと示唆した。


感覚順応が時間の領域で成し遂げているのと同じことを、空間の領域でやっているのが、これもよく知られた現象である、側方抑制である。

この世界の一つの像が、ディジタル・カメラの目の網膜など、ピクセル化されたスクリーンの上に写ると、ほとんどのピクセルは、すぐ隣のピクセルと同じように見える。

例外は、縁のところ、境界部のピクセルだ。

もしも、網膜のすべての細胞が忠実に光の量を脳に伝達するならば、脳は、とてつもない量の冗長なメッセージでいっぱいになってしまうだろう。

脳に届くインパルスのほとんどが、像の縁の部分にあるピクセルの細胞からのものであれば、おおいに節約できる。

脳は、縁と縁の間は一様であると仮定していればよいのである。


バーロウが指摘したように、側方抑制は、まさにそれをしている。

たとえば、カエルの網膜では、すべての神経節の細胞が脳に信号を送り、網膜の表面の特定の位置における光の強度を報告している。

しかし、それと同時に細胞は、すぐ隣の細胞に抑制信号も送っている。

つまり、実際に脳に対して強い信号を送っている神経節の細胞は、縁の部分にあたる細胞だけだということだ。

色が一様な視野にある神経細胞(それがほとんどだが)は、縁の部分にあたる細胞とは違って、周囲のすべての細胞から抑制されているので、脳にはほとんど信号を送らない。

信号における空間的冗長性が除去されているのだ。


バーロウの分析は、感覚の神経生物学で今日知られていることのほとんどすべてに拡張することができる。

ヒューベルとウィーゼルが発見した、有名な、水平線と垂直線を検出するニューロン(垂直線は冗長で、その両端から再構築できる)や、ジェリー・レットヴィンらが発見した、カエルの網膜にある、動きでさえも、それが同じ速度で続くのならば冗長である。

そこで、レットヴィンらは、当然の結果として、カエルの「奇妙さ」検出ニューロンを発見した。

それは、動く物体が、速度を増やしたり、遅くしたり、方向を変えたりといった、予測外の動きをしたときにだけ発火するのである。

奇妙さ検出のニューロンは、かなり高度な冗長性をフィルタリングして排除するように特化している。


バーロウは、ある動物で感覚のフィルタリングの研究を行えば、理論的には、その動物の世界に存在する冗長性を読み取ることができるだろうと指摘した。

それは、その世界の統計的な性質の描写のようなものであるに違いない。

そこで思い出すのが、私がダーウィンに戻るといったことである。

私は『虹の解体』の中で、一つの種の遺伝子プールは、「遺伝的死者の書」のようなものだと述べた。

その種が地質学的時間を通じて、遺伝子を存続させてきた太古の世界を、暗号化した文章のようなものだということである。


自然淘汰は、その種が存続してきた何百万世代もの連続する世界において、冗長性(繰り返されるパターン)を検出し、平均化してきたコンピュータなのだ(有性生殖するすべてのメンバーで平均化する)。

バーロウが感覚系のニューロンでやったことを、自然淘汰されてきた遺伝子プールに当てはめ、同じような分析ができないものだろうか?

これは、深遠で、エレガントで、美しい。


コンピュータが自然淘汰の冗長性を検出とは


ドーキンスさんらしい論調でして


そのほか、ほぼ何のことを言っているか


今はよくわかり得ませんがいったんメモ。


それにしても、引き合いに出されているのが


ダーウィンのひ孫さんのことだからね。


ここにも普通とは異なる英国マインドとでもいうか


捻くれっぷりが炸裂しております。


訳者あとがき


長谷川眞理子 から抜粋


これは本当におもしろい読みものであった。

こんなに知的に興奮して楽しんだ読書もまれである。

私にはよくわからない分野の話も含まれているのだが、細かいところはどうでもよい

著者らが「深淵で、エレガントで、美しい」と感じる説明を次々と読んでいくこと、そのものが、またとない楽しみであった。


この世の諸現象に対する説明として、さまざまな分野の一流の学者たちがもっとも素晴らしいと思う説明について語るのだから、おもしろくないはずがない。

そして、「深淵で、エレガントで、美しい」説明とはなにか?

真実は楽しいのか、エレガントでなくでも正しい説明はあるのか、など、この問いの設定そのものに対して論理的いちゃもんをつけることはできると、私も思ったが、事実その通りにいちゃもんをつけて論じる著者も何人かいる。

知的なこねくりまわしに終わりはない


多くの人々がダーウィンによる淘汰の理論を挙げている。

私も進化生物学をかじる学者の一人として、ダーウィンの理論を一番に挙げたいと思う。

少ない数の原理でどれだけ多くの現象が説明できるのか、その比は実に大きい。

もちろん、それを言えば、万有引力の法則なども、地上の物の落下から星の動きまでを説明できるのだが、人間の心までは説明できない。

しかし、ダーウィンの理論は、生き物に関する現象ならおよそなんでも、その説明にかかわってくる。

さらに、生き物以外でも、複製に関するシステムならばおよそなんでも、少なくともその一部に当てはめることができるので素晴らしい。

私が、この「エッジ」の質問に回答を寄せるとしたら、やはりダーウィンになりそうだ。


良い説明とは、必然的に深くてエレガントで美しいのか、という問題にも、私は興味がある。

現象の本当の説明はそれほどエレガントではないのかもしれない。

しかし、私たちの認知能力には限度があるので、ある程度の単純さによって、かなり深くまで説明ができるとわかったとき、それを「美しい」と感じているだけなのかもしれない。

 

いずれにせよ、読者の皆様が、これらの著者たちの意見を読み、自らの考えをそこに足して、おおいに好奇心をかきたてられていただければ幸いである。


長谷川先生の選んだ必読書について


夜勤中に見つけてしまった。


上記にも引いたマッド・リドレーさんや


スティーヴ・ピンカーさんも


掲載されていたのでこの書で読んだが


いまいちここではピンと来なかった。


それから、この書を読んでで忘れがちだが


このお題というかテーマが一番感心したこと


だったりしたので


リフレインさせていただくのですが


2012年の鋭い問い

あなたのお気に入りの、深遠で、エレガントで、美しい説明はなんですか?


長谷川先生は自分なら「ダーウィン」だと仰る。


このお題を、”愛”についてって勝手解釈して


もしも自分だったら「音楽」とか「本」とか


「家族」とか「仕事」とかなのか。


だとしても、価値のあるものにできそうにもなく


たいした話にならなそうだなあ


などとまったくいらぬ嘆きを生み出しつつ


洗車してたら危険な暑さですぐに撤収した


7月終わりの関東地方でございました。


 


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長谷川眞理子先生の”ダーウィン愛”を拝見する [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

人間の由来(下) (講談社学術文庫)


人間の由来(下) (講談社学術文庫)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/10/12
  • メディア: 文庫

ダーウィン独自研究の一環で拝読というか

拝見というか…。


長谷川先生の訳であればなおさら。


まずは表4の紹介文から抜粋。


センセーションを巻き起こした『種の起源』から10年余、ダーウィンは初めて人間の由来と進化を本格的に扱った

昆虫から魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類を経て人間に至る進化を「性淘汰」で説明する本書は、助け守り合う「種」こそが「存続をめぐる争い」を生きのびると説く。

下巻は魚類から人間までを扱う諸章と結論を「訳者解説」とともに収録。


なのですが、とにかく、長い。


すみませんが、ざっと、読むどころか


見た、という程度で、これは


”拝見”というべきでしょうなあ。


結論を中心に読む不届者ですが


そんなヒト、多いのではないでしょうか。


第21章 全体のまとめと結論


から抜粋


本書で到達した主な結論は、人間が何らかのより下等な生物から由来したというものであるが、このことは、現在では、確かな判断を下す能力のある多くの博物学者によって支持されている。


この結論を支えている基礎は、これからも揺らぐことは決してないだろう


人間と下等動物の間で、胚発生の過程や数多くの形態構造が、重要なものも瑣末なものも含めて非常に類似していることや、人間の保持している痕跡器官、人間にときどき見られる先祖返りの形質などは、否定することのできない事実である。

これらについては昔から知られていたが、最近になるまで、人間の起源に関してそれらが何かを語ることはなかったのである。


しかし、現在のわれわれの生物界全体に関する知識をもってすれば、それらの持つ意味はもはや間違えようがない。

これらの諸事実を、同じ分類群に属するメンバーどうしの間の類似性や、過去と現在における地理的分布、地質学的変遷などの他の事実と関係づけて考察するとき、進化の偉大な原理は、明確に、確固としてそびえ立っている。

これらの事実のすべてが間違ったことを語っているとは、とうてい考えられない。


未開人のように自然現象をばらばらなものと見ることでは満足できない人なら、人間を独立した創造の産物だと考えることは、もはやできないだろう。


人間の胚が、例えばイヌの胚などと非常によく似ていることや、人間の頭蓋、四肢、全体の形態構造が、それぞれの部分がどのように使われているかということは独立に、他の哺乳類のそれと同じ設計によってつくられているということや、現在の人間は持っていないが四手類には共通にみられるようないくつかの特別な筋肉などが、ときどき人間にも出現することなどの、数多くの相似的事実は、人間が他の哺乳類との共通祖先の子孫であるという結論を、これ以上ないほど明白に指し示していると考えるわけにはいかないだろう。


神への信仰は、人間と下等動物とを分ける最も大きな違いとされるばかりでなく、しばしば差異のなかでも最も完璧なものと見なされている。

しかしながら、すでに見てきたように、この信念が人間に生得的、本能的なものであると主張するのは不可能である。


一方、すべてのものに存在する精霊のような媒体に対する信仰は普遍的に見られるようであり、それは人間の理性と力が相当に進歩したことと、想像力、好奇心、驚異などがさらに大きく発達したことから生まれてきたのだろう。


神に対する本能的な信仰心があるということが、神の存在そのものを証明していると、多くの人々が論じているのを私は知っている。

しかし、これは早まった議論である。

もしそうなら、われわれは、人間よりもわずかばかり強い力を持っているだけの、多くの残酷で悪意に満ちた精霊の存在をも信じなければならなくなるだろう。


そのような存在に対する信仰は、恩恵に満ちた神への信仰よりもずっと広く世界中に広まっている。

宇宙全体の創造者としての、普遍的で慈愛に満ちた神という概念は、長く続いた文化によって人間の精神が高められるまでは、人の心の中には存在しなかったのだろう。


論調がすごくドーキンス氏に似ている気がした。


逆なのだろうけど。


というか科学を追求すると宗教との対立になり


どうしても似てしまうのだろう。


人類の福祉をどのように向上させるかは、最も複雑な問題である。

自分の子どもたちが卑しい貧困状態に陥るのを避けられない人々は、結婚するべきではない。

なぜなら、貧困は大きな邪悪であるばかりか、向こう見ずな結婚に導くことで、それ自体を増加させる傾向があるからである。

一方、慎み深い人々が結婚を控え、向こう見ずな人々が結婚したなら、社会のよくないメンバーが、よりよいメンバーを凌駕することになるだろう。


すべての人々は、競争に対して開かれているべきで、最もすぐれた人々が、最も多くの数の子を残すことは、法律や習慣によって阻まれるべきではない

存続のための争いは重要であったし、今でも重要だが、人間の最も高度な性質に関する限りは、さらに重要な力が存続する。

自然淘汰は、道徳感情の発達の基礎をなしている、社会的本能をもたらした原因であると結論してかまわないだろうが、道徳的性質は、直接的にせよ間接的にせよ、自然淘汰によってよりもずっと強く、習慣、理性の力、教育、宗教、その他の影響を通して向上するのである。(※)


※=ここでダーウィンの指摘には、のちの優生学を導くもととなる考えがたくさん含まれている。

彼自身は優生学的な政策を提言していないし、人類の道徳水準の向上には、教育や習慣の方がずっと大きな役割を果たしていると述べてはいるものの19世紀の階級社会を背景にした当時の常識的思考からは、優生学的な考えが容易に導かれたのだろう。


自説をゴリ押ししているんじゃないよ、


検証の結果、事実なのよ、と読めるのは気のせいか。


さらに感じたこと、


あらぬ”優生学”とか


トンデモ本とリンクされてしまうのは


なんとなく感じていたけど、長谷川先生の説明で


腑に落ちたような。


当時の科学では未解明な部分を


グレーゾーンとすると


そこから派生して勝手解釈のもと


国家や個人に利用されてしまったのかなと。


訳者解説 から抜粋


本書は、そもそもヒトという動物の進化を論じるものである。

ところが、その大部分に性淘汰、つまり雄と雌の違いが論じられているのはなぜだろう?

そして、肝心のヒトの進化については、最初に簡潔に述べられるだけで、最後に長々と人種の違いが述べられるのはなぜだろう?

100年以上も前のダーウィンが、ヒトの進化を論じようとすると、ヒト全体とともに人種の成り立ちを説明せねばならなかったこと、そして、当時論じられていた宗教的な人種の成り立ちを説明せねばならなかったこと、そして、当時論じられていた宗教的な人種論とはまったく異なる人種論を展開せねばならないとダーウィンが強く感じていたこと、この二つを現代の私たちが理解せねば、本書の意図を理解することはできないだろう。


いまや、人種についてはたいした問題ではない

しかし、ダーウィンが本書で展開した議論は、その後ますます発展して、動物の行動生態学、生殖生物学、人類遺伝学、人類生態学、人間行動発生学として花開いているのである。

この発展の基礎を築いた大家として、ダーウィンの努力を賞賛したい

2016年8月 長谷川眞理子


ゲノムが明らかになっていなかったがゆえ


間違いも多いと言われるダーウィンの進化論は


上から目線で語られてしまいがちだけど


長谷川先生の愛ある翻訳と解説で


そうではないことを正され


ダーウィンの本意に近づくことに尽力されておられる。


それには時代背景を理解しないとって、これは


古い音楽とか映画とか文学とかにも通じるなあ、と


またまた自分のフィールドに持っていって


理解しようとする自己解釈の権化のような


自分を再発見した暑くなりそうな関東地方の


早朝で、ものすごく静かだけど、


子供の駆け足の音が聞こえたのは


夏休みだからか。暑いわけだよ。


 


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2冊から今西錦司先生のなんたるかを読んでみた [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


今西錦司 生物レベルでの思考 (STANDARD BOOKS)

今西錦司 生物レベルでの思考 (STANDARD BOOKS)

  • 作者: 錦司, 今西
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2019/02/15
  • メディア: 単行本

比較的最近出版されたシリーズで

なぜか書店でよく見かける。


もしやコロナでプロモーションが


遅れての今なのか、なんてのは


言いたいだけのどうでもいいことでした。


宗教について から抜粋


こんど、大本教関係の人類愛善会に招かれて、「アジアの平和を求めてーーー宗教・文化の視点から」というシンポジウムに出席し、その席上で多少なりとも私の宗教に関する見解を述べる機会を与えられたので、その時の発言をメモを残しておこうと思い、あえて筆をとったしだいである。


シンポジウムのテーマである平和を、人類の一員として、希求しないものはないであろう。

しかしそれは、人類だけが望んでいるのだろうか。

そこで私は、生物の世界は種(私が種という場合は、種社会を指している)と種の間の棲み分けをとおして、一応の構造なり秩序なりが出来上がっているから、そのには原則として無駄なあらそいは生じない。

したがって生物の世界は平和そのもののように見えると、私の得意とする自然観をまず述べておいて、ではどうして人類社会だけは、あらそいがたえないのであろうかと自問する。


それに対する答えとして、もう一度生物の世界との対比を試みる。

生物の世界の発展は、それを構成する種の分化による。

そして種の分化は棲み分けをとおして行われるのであるが、これをもう一つ低いレベルでとらえるならば、これは種を構成しているそれぞれの個体のアイデンティティ(帰属性)の問題に帰することができるであろう。

人類といえども、この生物の世界を支配する大方針にもとることなく、分化していって当然とおもわれるが、ただ人類の場合には、棲み分けの結果として、身体の文化に先きだって文化の分化が生じた。

あるいはこれを文化の分化が身体の分化を代行したといってもよい。


したがって人類は生物学上の分類にしたがうならば、その全体がホモ・サピエンスという一つの種に属し、それ以上の分化をしていないことになるけれども、文化に着眼するならば、言語・生活様式その他さまざまな文化が、この地上を棲み分け、それとともにこの文化のちがいに応じた各人のアインデンティティのちがいを、みるようになった。


ここに述べたことは重要であるから、言葉をかえてもう一度繰り返すと、生物は一つの種ごとに一つのアイデンティティを共有した個体のまとまりをもつ。

しかるに人類では、同じ文化を共有するところに、アイデンティティを同じうした個体のまとまりをみる。

この点を生物と人類との違いとみることもできるが、また生物と人類とにみられる類似した自然現象とみなることもできる。

いずれにしても、地球上にさまざまな文化と、それにともなう異なったアイデンティティを持った人類が分布しているとか、それにもかかわらず生物学的には、これらの人類すべて同一の種に属しているとかいうことを、人類自身が知るようになるのは、人類の歴史からみたらごく新しいことで、それからまだ3、4世紀しかたっていない。


いまは国家の時代であるとよくいわれる。

確かに二百いくつかある国家が、この地球上をきれいに棲み分けている。

そしてそのそれぞれの国家が、国民に対して国家をアイデンティティの対象にすることを、要求しているかのようである。

しかし、このいわゆる国民国家も決して古くからあったものではない。

比較的古いものもないとはいわないが、発展途上国の多くは、第二次大戦以後に誕生したものばかりである。

それにしてもよくここまで、というのは国民国家の棲み分けというところまで、来たものだ。


ここで生物の世界における棲み分けということについて、もうひと言つけ加えておきたい。

棲みわけというと、よく種と種との対立ばかりを取りあげる人があるけれども、それでは棲み分けの一面だけしか見ていないことになるのであって、棲み分けには、あるいは棲み分けた種と種のあいだには、たしかに対立がある。

対立をとおしてそれぞれがその主体性を守っているのであるけれども、それと同時に棲み分けた種と種とは、相補いあっていることを忘れてはならない。

対立だけではばらばらになってしまうところを、補いあうことによって、どちらもがより大きな構造の一部として、役立つことができるのである。

より大きな構造というのは、種を構成単位として成り立っている生物全体社会のことだ、と考えてもらってもよいし、あるいはこの全体社会のなかの部分社会として、系統的によく似た種が棲み分けをとおして連なった、私のいう同位社会を考えてもらってもよい。

またここで補いあい、コムプレメンタリーといったことを、相互連帯というように解してもらってもよい。


すると人類が、過去の長いあいだ、文化のちがいをとおして棲み分けていたときも、近年になって国家の違いをとおして棲み分けるようになってからのちも、生物社会学的にみれば、これを一種の同位社会と見なせないこともない。

そこでいよいよ問題は、ここまできたら今一歩進めて、この同位社会の構成要素である一つ一つの国家を、打って一丸とし、そこに一体化した世界国家としても出現をみるようになったときが、将来果たして来るであろうか、ということである。

それとも国家は棲み分けをとおしてその主体性ーーこの場合は国家主権といってもよいーーを維持しながらも、一方では今あるような国連(国際連合)をとおして、その連帯性を深めてゆくのであろうか。

もし一体化したならば、そのときはじめて人類も他の生物並みに、一種一社会ということになるのであるが、そのためにはこの社会を一体化するに足る共通地盤としての、何か新しい共通文化がなくてはならないのではないか。

言語も宗教もいまのようにちがったままで、一体化するといっても、それでは無理なのではなかろうか。


いまから10年ほど前の私は、この人類統一の共通地盤として、自然科学にかなりの期待を寄せていた。

なんとなれば、科学は普遍妥当性を標榜し、それゆえ国境を超えて世界中に浸透する可能性があるからである。

科学こそは万人共通財産になりうると、考えたからである。

しかし、10年後の現在の私は、科学にそのような大きな期待を寄せていない。

むしろ、科学に失望している、といってもよい。

失望の理由はだいたい二つある。


一つは、今日の科学が、あるいはその科学によって支えられた技術が、物質をコントロールするうえに示した驚異的な進歩と、それによってわれわれが受けているさまざまな恩恵のまえに、眼をつぶるものではないけれども、その結果として生まれた今日の科学文明は、物質文明と言われるように物質偏重の文明であり、物慾に溺れた文明である

そして、科学による人類の一体化が仮になんらかの形でできたとしても、科学そのものはこの餓鬼道におち入った人類を、救う手だてを持ち合わしていない、ということである。


もう一つは、いささか私的な理由になるけれども、私がつづけてきた進化論の研究と関係がある。


進化論というのはもともと生物が素材となっており、生物はまた物質を素材として成立しているものにはちがいないけれども、生物そのものはどこまでも生物であって、単なる物質ではない。

ということは、生物ともなれば、もはや物理学をモデルとした今日の自然科学では、始末し切れないところがのこるということである。

たとえば、進化ということは、自然科学の枠内ではどうしてもその全体をとらえることができない。

したがって進化論というのは、科学の手続きをふんだうえで導きだされた帰結ではない

生物学が自然科学の中に入れられているため、進化論も科学の産物と思いこんでいる人が少なくないけれども、進化論というのはしいて科学という字をつけたいならば、科学思想の一つであるといったらよいであろう。


ところで思想ということになると、これはある時代にある社会がおかれていた情況と、無関係に現れてくるものとは考えられない。

そのよい例がダーウィンの進化論である。


私もダーウィンの進化論を理解するのに苦労したが、けっきょくダーウィンは18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパ社会、すなわち資本主義の勃興しつつあった社会に生きていたからこそ、ああいう進化論になってしまったのだ、と考えないわけにはゆかない。

そしてその進化論を、ダーウィンを生みかつ育てた社会が歓迎したというのなら、話はわかる。

しかしそれを、遠く海をへだてて、歴史も伝統異なったわが国においてまで、ありがたがらねばならないもののようにしてありがたがったとすれば、ちょっとおかしいではないか。

まだ人類の社会は、そこまで一体化してはおらないはずである。


よく私をダーウィン進化論の反対者のようにいう人があるけれども、私は反対しているのではない。

彼の進化論が私の体質に合わないから、私の体質に合う進化論を作り出そうとして見たにすぎないのである。


科学は、人類を一体化する共通地盤としては、理想的なものではない。


なので、”宗教”というのが必要だが、


いまのものは違うだろうと今西先生。


ものすごい短縮するとそうなる。


ついでにもう一つ、宗教にかんする私の見解をつけ加えておきたい。

それはもともと宗教の対象とするところは個人であり、個人を精神的な苦しみから救うことを、目的としていたのでなかったか、ということである。

そしてこの点で、宗教は個人を肉体的な苦しみから救うことを目的とした医術と、相通ずるところがあった。

もともと個人を対象とし、個人をコントロールすることをたてまえとした宗教に、はたしてどこまで社会をコントロールする力があるのだろうか。

先にも入ったように、今は国家の棲み分けの時代である。

平和も人権も、国家の手中に握られている、といえないことはない。

核爆弾は個人の所有物でなくて国家の所有物である。

軍隊も警察も国家に所属している。


この強力な国家というものを、個人を対象とし、個人を味方にもった宗教に、果たしてコントロールするだけの力があるであろうか。

宗教にそれだけの力がなければ、ほかのものでもよい。

要するに国家がコントロールできないかぎり、人類の一体化も、平和も、人権もお預けである。

ひとびとはもはや宗教のために血を流さないかもしれないが、国家のためだったら今でも血を流さねばならないのではないか。

それは人々のアイデンティティの濃さの問題である。

世界人類にたいするアイデンティティよりも、国家にたいするアイデンティティのほうが、はるかに濃いという現状認識から、遊離してはいけない。


いったい国家とはなんであるのか

社会科学の一分科に国家学というのがあるらしいけれども、分析を唯一の研究方法と信じている科学にとっては、国家のように図体が大きく、多面性をもちながらしかも全体として機能しているものを、正確にとらえる途が閉ざされているのである。

そしてここにも10年前の私は、まだ科学を過信して、その限界をはっきり見きわめていなかったといえよう。

国家ばかりでなくて、国家をその中に包み込んでいる自然になると、いっそうそのスケールが大きくなり、いっそうその全体把握が困難になる。

自然などというものは、たれにも解っているようで、じつはたれにも解っていないのかもしれない

少なくとも今日の科学の枠外に、超然として存在しているものなのであろう。


それにもかかわらず、解ったような顔をして、やれ自然保護だ、やれ環境破壊だ、やれ生態系の危機だ、と叫びまわっている人のなんと多いことか

これらは公害問題に端を発して、それにつづく連鎖反応として拡がったものと思うけれども、注意しておきたいのは、先に述べた進化論と同じように、どれ一つとして、科学の手続きをふんだうえで導きだされた帰結ではない、ということである。


だいいち水俣病やイタイイタイ病にしたって、その原因が解明されたようであり、まだ解明されていないようでもある。

ではこういうことを叫ぶのはどうしてであろうか。

私は進化論にたいしては、これは科学思想といっても良いといったけれども、今日の環境保全運動などは、危機感を刺戟されることによって起こった、一種の群集心理現象と見なしてもよいとおもっている。


宗教戦争のような


根深い争いがある現状


隔世の感あるところもあるが


今読んでもなかなか”刺戟的”ですな。


刺”激”じゃないよ、刺”戟”です。


どちらでもいいけれど。


私がダーウィンの進化論にあきたらない理由の一つは、適者が生き残り、栄え、不適者は滅びるといった彼の考えにある。

これを裏がえして生きのこったらよいのだ、勝てば官軍だ、というように解している人が、いかに多いことか。

そういった価値観のはいる、あるいははいる恐れのある進化論を、一切排除して、あるがままの自然に立脚した結果、私の「変わるべくして変わる」という進化論が、生まれてきたのである。

生物の世界のみならず、人間の世界もまた長い眼でこれを見れば、あらゆる価値観や議論を超え、変わるべくして変わっているのではないだろうか。


しかし、あらゆるものが変わるべくして変わるというのは、どこまでも現象に即したものの見方である。

いいかえたならばわれわれの世界には、絶対不変なもの、永劫不滅なものはない、という見方になってしまう。

世界観として、それでもよいのかもしれない。

しかしまた、世界観としてそれでは物足りない、あるいは十全でない、というひともいるかもしれない。

私もいまは進化論を超えて、そういった見方に近づきつつある。

つまり、平和と戦争、善悪などといった一切の相対的対立の彼方に、死生さえも乗り越えた彼方に、やはり絶対不変、永劫不変な、絶対なるものを想定しないかぎり、そのひとの抱く世界観は片端の世界観であると思う。


この絶対なるものは、ただ絶対であるというだけで、われわれの日常生活には、まったくなんの関係も持たない、ひたすらに宏大無辺なものであるかのようである。

絶対なるものはどこまでも絶対なるものとして、これを下手に相対化したり、あるいはしいてわれわれとの関係をつくりあげたりしないところに、その値打ちがあるのでなかろうか

(1981年79歳)


このほかも大層興味深い随筆だらけ。


今西先生をあまり知らない自分でも


平素でとっつきやすい。


しかも文末に年代と年齢が出ててありがたい。


最後にはガイドブックもまとめてある。


初心者にはうってつけの良書であることに


疑う余地はございません。


他の執筆者さんにも必然的に


興味がいくよ、これは。


ちと残念なのは二点、


ハードカバーなのと高いお値段。


今西先生に話を戻すと


人物を知るには肉声も参考になる。


NHKにもアーカイブされていた。


最後に別の書から、今西先生を窺い知れる


逸話というかなんというか。



地球観光旅行―博物学の世紀 (角川選書)

地球観光旅行―博物学の世紀 (角川選書)

  • 作者: 荒俣 宏
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1993/11/10
  • メディア: 単行本

あとがきから抜粋

博物学探究は<険(おか)す>ことにあり


日本最後の博物学精神の実践者であった今西錦司さんが、1992年亡くなった。

そんな今西さんの思い出話を、京大の後輩で登山と冒険の達人、またKJ法の開発者としても知られる川喜田二郎さんにうかがったことがある。

そのとき、たいへんに興味深かったのは、次のようなお話であったーーー。


今西さんをドンとした京大のフィールドワーカーたちは、じつによく探険を敢行する。

近代日本の学術探険は、まさに今西=京大グループに支えられた一時期があったのだが、今西さんも川喜田さんも<探検>という最近優勢の表記法を好まなかった。

タンケンは、探して険(おか)す、つまり冒険を実行してはじめておもしろいフィールドワークができる。

これはひとつの生死をかけた冒険なのだ。

その点、探して検(しら)べる、という表記は、実験室の学者然として、きらいだ、というのが理由である。


この伝で、今西さんも川喜田さんも、地球の科学調査を提唱した<地球観測年>という用語にも、反対した。

観測などという事務的なひびきのある用語をもちだす学者の気が知れない。

これはどうあっても<地球探険年>でなければならない、と。


そこで本書も、タンケンということばに敢えて探険の字を充ててある。

ほかでもない、本書に登場する博物学者のいとなみの多くが、今西=川喜田のいう<探険>にふさわしいと思えたからである。


ってことで、なんとなくどういう書なのか


読まなくても想像ついてしまう方は


かなり進化論をご存知の方でございます。


自分はそこまでではないのだけど


ここ半年で読んできた書籍にあった名が


チラチラ見える程度なので


もう少し追求してからの方が


より深く理解できそうなので


しばし温めておこう、って


それでいいんかい!と思うのは


本が山となって連なっております本日


熱中症の危険をついぞかわしながら


近くのブックオフ&古書店にて


まさに冒険しての古書7冊、


図書館から3冊の入手でございます。


って思う理由になってねーよ。


 


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続・日高先生の書から”代理本能論”と”文化”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


ぼくにとっての学校―教育という幻想

ぼくにとっての学校―教育という幻想

  • 作者: 日高 敏隆
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2023/07/17
  • メディア: 単行本

昨日は日高先生を日高先生たらしめている

きっかけを考察・研究したのですが


”文化”についてを日高先生の考察・研究を


読んでみた。


11章 文化とはなにか


「遺伝」対「文化」から抜粋


エソロジーのほうからみると、遺伝的なもの、昔は大ざっぱに本能といったけれど、要するにその動物がもっている遺伝的なものは、かつてぼくが『プログラムとしての老い』で述べたとおり、プログラムというかたちをとってそれそれの個体に備わっている。

個体は生きていきながら、周囲の環境や状況から、あるいは食べ物を食べるというような行動の中でいろいろなことを取り込みながら、遺伝的なプログラムを具現化していっている。


それによって生まれた赤ん坊が大きくなっていき、少年少女になり、青年になって、性的な生殖行為をして子供を作っていく。

その子供がまたこのプログラムにしたがって、また大きくなっていく。

これをずっとくりかえしているいる。

それで人間という種が今まで存続してきたということになるわけです。

当然そこには学習というものも入ってくる。


昔は学習というものは、遺伝的なものとは別個のものであって、それとは対立するものであると考えられていた。

だからいつも「遺伝か学習か」ということが言われていた。

そして、辞書にあるように、遺伝的なものでないものが文化であると考えられてきた。

つまり、遺伝と文化も対立するものだった。


ところがその後、学習というものも遺伝的プログラムの中にちゃんと組み込まれていて、プログラムとしてみると、大人になったら自然にできるようになっているという場合もあるし、鳥のさえずりのように学習しなければならない、つまりこれを学習せよという指示が遺伝的プログラムの中に入っている場合もある、ということになってきた。


遺伝と学習というものは、相対立するものではなくて、遺伝的プログラムが学習によって具現化されていくものだと、そういう認識になってきた。

かつでの「遺伝か学習か」という問いは、問題の提出のしかたが間違っていたということになるわけです。

これとまったく同じことが、文化についても言えるのではないか

それがぼくの考えてきたことです。


具体化のための学習 から抜粋


人間はいろいろなことをする。たとえばものを食べなければ生きていけない。

遺伝的プログラムとしては赤ん坊は大きくなっていくというようにプログラムされているが、ものを食べなければそうはならない。

そして現実に、赤ん坊は空腹を感じてものを食べる。

プログラムはそのようにできているのです。


けれど、ものを食べなさい、そして育っていけということは遺伝的にプログラムされているが、なにを食べるか、どう食べるかということは学習しなければだめなのです。

そういう具体的なことはまわりの文化の中から学習しなさいというようにプログラムされているらしい。


そうすると、ものを食べるというのは基本的な遺伝的プログラムだが、それをどのように具体化していくかは、その個人が属している文化の中で決まってくるということになる。


そうすると文化というものは、遺伝的プログラムを具体化するためにあるというふうに言えるわけです。


文化のちがい から抜粋


これはぼくが昔言っていた代理本能論、文化は代理本能であるという説に、ある程度通じるところがある。

たいていの動物では具体的な細部に至るまで遺伝的に組み込まれているから、それを学ぶことはないし、その必要もない。

しかし人間ではその遺伝的組み込みが非常に少ない。

動物の場合だと、怒ったときはどういう表情をするとかどんな行動をするかとかいうことが決まっている。

イヌはうれしかったら尾をふる。

ネコだったらゴロゴロ喉を鳴らすということが決まっている。

ところが人間の場合はそれがはっきり決まっているかどうかよくわかならい。

ある人間の、ある文化の中にいる集団の人々が怒ったときには、てんでに、ある人はこういうことをやり、ある人はこういうことをやると、何がなんだかわからなくなる。

文化によって一つの型を決めて、その枠を押し付けることによって、その集団の中の人々が互いにわかりあえるようにしているのではないか


だとすると、人間における文化というのは、動物たちのいわゆる本能の代理をしているのである。

つまり人間は文化によって他の動物よりも偉くなった

一段高い存在になったということではなくて、人間は文化によって、やっとほかの動物と同じことをしているのだと、ぼくは言った。

それがぼくの、文化は代理本能であるという考え方です。


ただ、ぼくがこれを考えたときは、学習が遺伝的プログラムの一環であるということはまだわかっていなかった。

だから、今になってみると、これはどうも的はずれだったように思える


要するに、人間は食べて大人に育っていくとか、あるいは異性を好きになるとか、人生のいろいろなことの大筋は遺伝的プログラムされているけれども、個人個人がそれを具体的にどういうにするかということは、まわりの人々がやっていることから学んでいく


それによってそういう遺伝的プログラムが具体化されていくので、どの民族どの文化の人々もみな、結局は子供から大人になり、するべきことをして、自分の子孫をつくり、その結果、人間という種族が維持されてきたのだということになる。

そうすると文化というのは遺伝的なものと対立するものではやはりないのではないか

遺伝的プログラムを具体化するにはいろいろなやり方があり、そのやり方の違いだということになるのではないか。


すると、文化というものは一見違いがあるけれども、人間という種の遺伝的プログラムはみな同じはずだから、具体化のしかたが文化によって違うというだけの話である。

底には基本的なものがあるので、その違いばかりを強調してきたように思われるが、結局それは遺伝的プログラムの具体化にどう役立っていて、それによって同じ遺伝的プログラムがどういうふうに具体化されているかの違いだけなのであって、基本的には同じことをやっているのではないか。

それがぼくの発想なのです。


こういう文化の見方というのはいわゆる文化系の人々からは言われたことがないような気がする。

動物行動学は遺伝の問題を扱うのだから、文化の問題は扱わない、したがって文化のエソロジーということはあり得ないといわれたが、そうではない。

文化もエソロジー的にとらえてみることはできるはずである。


文化の違いはもちろんあるが、それによって具体化されている人間という動物の種の基本的な遺伝的プログラムは同じである。

そうすると、文化がいくら違って、やっていることが違うように見えても、究極的にやっていることは、人間である以上みな同じであるはずだ。

それはいったいなんなのか。そういう問題になっていくのではないか。


そういう立場に立って、人間のやっていることを考えていってこそ、人間が昔から同じことを繰り返してきて、歴史は繰りかえすというようなことを言われるし、歴史から学ぶというようなことも言われること、文化は違うけれどもどこでも戦争が同じように起こっていることなどが、少しは理解できるのではないかというふうに思っているわけです。


”代理本能論”というのは的はずれだった


という告白。


提唱者ならよくあるのだろうけれど


潔く撤回し研究を進めるってのは


人格者のなせる技なのだろう。


日高さんの書を読んでて思うことは


学問を高めたいのであって、自分の論理を


ゴリ押ししたいわけではない


っていうことで、学者さんに限らず


リアル人生にもそうでありたいと思った次第、


”グローバル”、”ダイバーシティ”を


好む好まざるに関わらず


受け入れていかざるを得ないこれからの


日常生活において、この日高先生の研究は


大変価値がある。


自分はそう思った。


それにしても今日の暑さも尋常じゃないよ、


災害レベルだってニュースでも言ってました


関東地方でございます。


 


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日高先生の書から”きっかけ”の大切さを再発見する [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


ぼくにとっての学校―教育という幻想

ぼくにとっての学校―教育という幻想

  • 作者: 日高 敏隆
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1999/02/01
  • メディア: 単行本

教育については、あまり興味はないのだけど


日高先生がどのように日高先生になられたのか、


に興味あり、拝読させていただきました。


一章 ぼくにとっての学校 から抜粋


ぼくは、今でいう不登校児、というか登校拒否時だった。

小学校3年、4年のころ。

というのは、体が弱くて、1、2年のころは、夏になるとおなかをこわして入院したり、冬は肺炎になったり、手足にしもやけができて痛くてどうしようもない。

というぐあいで、しょっちゅう学校を休んでいた。


3年生になって少し学校へ行くようになった。

ところがそのころは戦争中で、ぼくの通っていた学校はスパルタ主義で有名なところなんです。


それで、校長がスパルタ教育で文部大臣から表彰されたりしている。

だから、体操とかすごい。

「おまえみたいに体の弱い子は、天皇陛下はいらないと言っているから、舌を噛み切って死んでしまえ」とか、毎日そんなことを言われる。

そうすると、子どもだからまいってしまう。


でも親も、そんなことはどうでもいいよ、とは言ってくれなかった。

「本当にその通りだ。しっかりしなきゃだめだぞ」というようなことを言う。

学校と親と、両方から責められて、完全な登校拒否児、人間不信になってしまった。


そうしたらあるとき、担任の米丸三熊(よねまるみくま)先生が、クラスを自習にして、うちへやって来ました。

4年生のときです。

ぼくはそのころ、昆虫学をやりたいと思っていた。

けれども親にすれば、昆虫学なんかやって飯が食えるかという話です。

だめだ、とんでもない、昆虫学をやるなんて、変人の変人だ。

たまたま父親の郷里にミノムシ博士と呼ばれた昆虫学者がいて、その人は一日中ミノムシばかり見ていたのだそうです。

そんな学者になられてたまるか。


それで、自分でやりたいこともできない。

学校へ行けば、先生に死んでしまえと言われる。

いじめられたり、校長先生に殴り倒されたり。

こんなことばかり。

だから、つらくてたまらない。

おまけに父は、「中学へ行ったら体操どころではない。軍事教練というのがあるんだぞ」と言う。

いっそ死んでしまったほうがいい。

ぼくは自殺しようかと思うようになった。

それをその先生がちゃんと察知していたのですね。


この学校は君には向かない から抜粋


部屋へ通された先生は、両親の前でいきなりぼくに、「君は自殺することをいいと思うか、悪いと思うか」と言ったのです。

ぼくは急を突かれてどぎまぎして、つい、「悪いと思います」と言ってしまった。

すると先生は、「おまえは自分が悪いと思っていることを、なんでしようとするんだ」


親はとてもびっくりしました。

それから先生は両親に手をついて、「お父さん、お母さん、とんでもないことを言いまして申し訳ありません。しかし教師というものは、親御さんの気がつかないことがわかることもあるんです。そういうわけで、敏隆君にぜひ昆虫学をやらせてあげてください」。

こういう話です。


父はあわててしまって、「はい、やらせます。やらせます。」

すかさず先生が、「ほら、お父さんのお許しが出たぞ。ちゃんと手をついて、ありがとうございますと言いなさい」と言うので、ぼくは畳に手をついて、「ありがとうございます」と言った。

先生も、「ありがとうございます」と言って、「申し訳ないけど、ご両親はお引き取り願います。二人で話をしたい」。

それで、「お許しを得たのだから昆虫学をやりなさい。だけど昆虫学をやるには、昆虫を見たり採集したりしているだけではだめだよ。ちゃんと本を読まなければいけない」。


「本を読むには国語がいる。だから、ちゃんと国語の勉強をしなければいけない」。

なるほど。

「国語だけではだめだ。理科がいる。それから、この虫はいったいいつ日本に来て、そのころ日本はどうだっただろうか。歴史がいる。世界のどこに住んでいるのか。地理がいる」。

こういう話になっていく。


「さっき本を読むと言ったけれども、日本語の本だけ読んでいたんじゃだめだよ。英語の本も読まなくてはいけない。それには中学へ入らなきゃ。そのために、これからはちゃんと学校へ行って勉強しなさい。だけどこの学校は君には向かない。別の学校へ移って、そこでしっかり勉強して中学へ入りなさい」ということだった。

すごい先生でした


まじ、すごい先生だ。


一人の少年の命を救っただけでない。


日高先生をおつくりになられたと


言っても過言ではないのではなかろうか。


誰しもこんな導師のような存在の指導を


仰げるわけではない。


ここからの教訓。というか自分勝手な解釈。


今いる場所が合わないなら、


別の環境で活躍という


選択肢はあるのだということ。


そこに固執するばかりが人生ではない。


なかなか経験浅く、渦中にいると


気がつかないのだけどね。


よき相談相手がいると救われる場合も


おおいにあるのだが。


三章 外国語 から抜粋


高校の英語の先生は前嶋儀一郎先生といって、デンマーク語が専門の言語学者だった。

英語の先生ではない。

言語学の先生なので、「ハウ・トゥ・ラーン・イングリッシュ」というのを自分でタイプして、謄写(とうしゃ)版で刷って、それを教材につかっていた。それはおもしろかった。


要するに、英語のもとは紀元10世紀ぐらいの古代英語である。

古代英語のもとは古代高地ドイツ語である。

古代高地ドイツ語のもとはラテン語である。

そして、時代的にはその前にギリシア語がある。

だからそこまでさかのぼって見なければいけない

こういう話です。

ぼくはこれがすごくおもしろかった。

前嶋先生は英語だけでなく、比較言語学を教えてくれたのです。


たとえばラテン語に、radixという言葉があります。radixというのは「根」、英語でルートという意味です。

radixの語幹はradic-です。

これからradical(根源的な)とか、eradicate(根絶する)という英語ができている。

フランス語も似たようなものです。

そんな単語のもとが、みんなわかる。

だから、すごく楽だった。

英語の単語を見る目がまるで変わってくる。

Eradicateは根絶などと、いちいち憶えなくて済む。

スペリングを見れば、たぶんこれはこうだろうという予測がつく。


なにか勉強のしかたというものが、あるのではないか

ぼくは数学の勉強のしかたというものが全然わからなかったのではないかと思う。

数学や物理が得意な人は、どこかでやり方を知っているのでしょう。

幸にして外国語については、ぼくはやり方がどこかでわかったのでしょうね。


これは日高先生を象徴しているような気がする。


ってわかったふうにいうおまえは何者だって


声が聞こえて来そうだけども


一旦それは風に流して、


つまり源流を理解できるとあとはわかることもある、


とでもいう”思想”とでもいうのか。


違うかもしれないけど。


 


ここはかなり重要な気がした。


余談だけれど、突然ですが”音楽”にも


そういう要素が強いよなあと。


ロックの源流は


ブルース、ジャズ、クラッシックとか。


六章 ぼくと動物行動学 から抜粋


ぼくが動物行動学というものにはじめて出会ったのは、大学の学部生のころ。

ティンバーゲンの”Social Behaviour in Animals”という本を読んだときです。

それは動物たちのいろいろな行動がどういうきっかけで起こるのかということを、実験的に解析していく本だった。

たとえばトゲウオの場合、攻撃のきっかけとなるのは、トゲウオのオスの赤い腹である。

その中でいちばん大事な刺激は、赤い色である。

そういうことを、たくさんの実験をくりかえして証明していくわけです。


ところが、それまでぼくが東大で言われていたのは、行動というものは実験的に解析することはできないのだということだった。

一度観察したら、それっきりの話である。

そして、科学というものは再現性がなければいけない。

これが非常に大切なことだった。

実験をすることももちろん必要で、解析ができるということ。

そして実験をしたときに、条件と実験方法を一定にしておけば、だれがその実験をしても同じ結果になるということ。

そうでなければ、それはもはや科学ではないというふうに言われた。


それまでの行動の研究は、たとえばローレンツにしても、ぼくがおもしろいなと思ったものにはあまり再現性がない。

ぼくは子どもの頃からずっと、チョウはなぜそこを飛ぶのかということを考えていました。

たしかに観察すれば、そこを飛んでいる。

でも実験的にそこを飛ばせることはできない。

たまたま今日見たらこうだった。

次の日に見てもやはりそうだった。

しかしこれは再現性ではない。

すると、行動というものはいったいどう研究を進めていったら良いのか。

ぼくは行動を解析していくことは可能だと思っていたけれども、きっとこうじゃないかと思っても、どうしたら実験的にチョウを飛ばすことができるのかというのは、考えもつかなかった。


模型をつかって解析する から抜粋


ところがティンバーゲンは、強引に模型をつくって、その模型を見せて、どうするかということをやっている。

例えばトゲウオの攻撃行動を解析するにあたっては、まず石膏でトゲウオの型をとって金属製のトゲウオの模型をつくり、それに色を塗って、それぞれの模型に対する生きたトゲウオの反応をみた。

そして模型をどんどん単純化していって、形は木でつくった大まかなものでもよく、腹側、つまり下側が赤い色をしていればいい、というところまで持っていく。


最終的に、攻撃という行動をひきおこす鍵となる刺激(鍵刺激)は赤い色である。

自然の中でこの赤い色をもっているのは、トゲウオの中のイトヨという種の、しかも成熟したオスである。

だから、そのオスの赤い腹がひきおこす信号(リリーサー)になって、イトヨのオスは同種の、つまり自分の競争相手になるイトヨの成熟したオスにだけ攻撃を加える。

そういうことでトゲウオの社会はうまくいっているのだ。

こういうことを明らかにしている。

ぼくは非常に感動しました。


そして、大切なのはトゲウオの体全体ではなくて、その中の本当に限られた信号、つまりリリーサーである。

そのリリーサーも突き止めていくと、そこに含まれている赤い色の刺激にすぎない。

けれどもそれがトゲウオの社会をじつにうまく保っている。

そういうことがわかった。

この本を読んでぼくは、それまで好きだった行動の研究というものをどういうふうにしていったらいいのかということが、よくわかったような気がしたのです。


ティンバーゲンさんの凄さを


お伝えになっているようですが


それはすみません、自分にはよくわからず、


そういう実験でいいの?とか


思ってしまうのだけど


ノーベル賞をとった方でドーキンスさんの


先生なのだから、そんなことを言っては


失礼だろう。(言ってるよじゅぶんに)


あとがき(1998年12月)から抜粋


ぼくはNHKラジオで5回にわたって話をした。

子どものころのこと、研究のこと、大学のことなど。

相手役をつとめてくださったNHKの横山義恭(よしやす)さんが見事に話を引き出してくれたので、なかなか含蓄のあるおもしろいものになった。


ぼくは今まで数多くの編集者のお世話になってきた。

本を書くのはぼくであっても、編集者なしに本はできない。

それはいうまでもないことであるが、よくいわれる「編集者は産婆役だ」という表現に、ぼくは必ずしも賛成ではない。

編集者はむしろ火つけ役であるからだ。

そして多くの著者たちが忙しい現在、編集者の役目はもっともっと大きいのだと思う。

ぼくがいわゆる「自伝的な」本をつくることになるとは思ってもみなかったというのが正直なところだ。


その自伝的な部分が自分は刺さりました。


東大に入ってから


お父様がご病気のため学生なのに


アルバイトで家計を支えられてって


壮絶なご苦労されてたってのも、


それから、動物行動学会を開かれるのも


興味深いものがありました。


勉強家であり動物や昆虫という


興味のある学問に邁進するお姿は見事です。


何より痺れるのは、教員でありながら、


ちょっとアウトローな雰囲気が


自分の小学校の恩師と被るところあり。


そう考えるとやはり自分の内にある要素と


リンクすると興味の目が開かれるということを


再発見した、真夏のAM洗車してたら汗ふきでて


倒れそうになるここ関東地方、


日本全国のみなさん暑さには


気をつけましょうね、って


脈絡なさすぎだよ、最後。


 


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長谷川先生のダーウィン”聖地巡礼”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


ダーウィンの足跡を訪ねて (集英社新書)

ダーウィンの足跡を訪ねて (集英社新書)

  • 作者: 長谷川 眞理子
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2006/08/12
  • メディア: 新書

表紙裏、袖部分の紹介文から抜粋。

進化論の理論を確立し、今日に至る進化生物学の基礎を築いたチャールス・ダーウィン。

彼は、後世の学問に、真の意味で巨大な影響を及ぼした数少ない科学者である。

ダーウィンの考え方や投げかけた問題は、いまだに解けないさまざまな謎を含み、現在でも重要なものとなっている。

彼はどのような思惟(しい)の果てに、画期的な理論を創出したのだろうか。

著者は長い期間をかけて、ダーウィンの生まれ育った場所、行った場所など、それぞれの土地に実際訪れ、歩いてみた。

シュルーズベリ、エジンバラ、ケンブリッジ、ガラパゴス……。

ダーウィンゆかりの地をめぐる、出会いと知的発見の旅を通して、その思索と生涯、変わらぬ魅力が浮かび上がる。

1ダーウィンのおもしろさ から抜粋

「ダーウィンの進化論」というと、古色蒼然、たいへん古めかしい響きである。

「アインシュタインの相対性理論」というと、どうだろう?

こちらはべつに古めかくは聞こえない。

それどころか、現代物理学の最先端だ。

でも、チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)が、その進化理論の一部である性淘汰の理論を発表したのは1871年、アインシュタインの相対性理論が最初に発表されたのは1905年。

実は、それほどの差はないのである。

しかし、この感覚の違いはなんなのだろう?

やはり、ダーウィンは19世紀の人で、アインシュタインは20世紀の人だ。

二つの世界大戦と原爆、水爆の世界を知っているのと知らないのとでは、大きな違いである。

ダーウィンの進化論は過去のもので、今はゲノム研究だという感じだろうか?

いやいや、とんでもない。

ダーウィン先生はとても「現代的」なのである。

もちろん、ダーウィンの時代には、DNAどころか、遺伝の仕組みがまったくわかっていなかった。

ところが、進化の説明には、遺伝の話が不可欠である。

そこがわからないというのは決定的、致命的弱みであった。

そこで、ダーウィンは、遺伝の仕組みとしてあり得そうな話を考えるために、苦労して頭を絞っている。

さんざん頭を絞ってみたのだが、彼の考えた「パンジェネシス」という遺伝の仕組みは間違っていた。

しかし、まさにその同じ時期、チェコのブルノの修道院にいたグレゴール・メンデル(Gregolr Mendel)が、遺伝の本当の仕組みを示唆するデータを発表していたのである。

ダーウィンは残念ながらそれを知らなかった。

気づいていたら、飛び上がって喜んだだろうに!

そういう欠点はあるものの、ダーウィンの考察はたいへん深く、集めた集積は驚異的で、結局のところ、現代進化生物学を築く礎となった。

そして、彼が考え、著作の中にもちりばめたさまざまな疑問には、今でもまだ解けていない、おもしろい問題がふんだんに含まれているのである。

私がチャールズ・ダーウィンに本当に興味を持ったのは、1987年、ブリティッシュ・カウンシルの奨学金をもらってイギリスのケンブリッジ大学に行ったときである。

私は日本の大学で、人間の進化という、まさにダーウィンが一生をかけて考えたテーマが基礎であるところの人類学を専攻したのだが、日本の教育の中でダーウィンの影はきわめて薄かった。

ところが、ケンブリッジの動物学教室に行くと、ダーウィンの著作を読んでそこから何かヒントを得るという作業は、院生たちの間でごく普通に行われていた。

おまけに、そのとき私が所属することになったのがダーウィンの名を冠したダーウィン・カレッジであり、その建物は、ダーウィンの次男の家であったものと、その隣の屋敷とをつないだ建物だったのである。

ちなみに、ケンブリッジ大学は、ダーウィンが学んだ大学である。

ダーウィンの所属したカレッジは、クライスツ・カレッジであり、ケンブリッジの町の中心近くにあるそのカレッジは、今でも当時そのままの面影をとどめている。

2 メアホール から抜粋

人間誰しも、自分が持って生まれた才能を資本に、人生を切り開いていかねばならない。

しかし、その才能がどのように導き出され、養われていくかには、育つ環境が大きな影響を与える。

チャールズ・ダーウィンは、経済的にたいへん恵まれた人だった。

このことは、ダーウィンが経験を重ね、思索をねり、著作を出版していくうえでたいへん有利な背景を提供した。

前章で紹介した、父親のロバート・ダーウィン先生は、1848年に亡くなったとき、22万3759ポンド残したというから、当時としては飛び抜けた金持ちである。

彼の家も相当な豪邸であったが、母の実家であるウェッジウッド家はさらに桁外れの金持ちであった。

陶器で有名な、あのウエッジウッドである。

ウエッジウッド家とダーウィン家とは、チャールズのおじいさんからの代からのつきあいで、結婚を介して代々つながっている。

今度は、このウエッジウッド家を訪ねてみよう。

二代目のジョサイア・ウエッジウッドは2世は、牛の骨をまぜて作る堅いボーン・チャイナの製造技術を改良し、美しい色彩を施して、ウエッジウッド焼きを作り上げた。

これは、ヨーロッパのブルジョアたちの間でべらぼうなヒット商品となり、ロシアのエカナリーナ女帝からも注文がきた。

この人は、家業を継いでさらに財産を増やし、シュルーズベリから50キロぐらい離れた、メアという小さな村にある、メア・ホール(Maer Hall)と呼ばれる大邸宅を購入した。

ジョサイアの姉がスザンナであり、このスザンナとロバート・ダーウィンが結婚して、やがてチャールズが生まれる。

ジョサイア2世はつまり、チャールズ・ダーウィンの母方の叔父さんなのだ。

ウエッジウッドは自由思想の持ち主であり、奴隷制には反対していた。

これは、ダーウィン家も同じであり、チャールズも熱烈な奴隷反対論者であった。

このことは、ビーグル号の艦長ロバート・フィッツロイ(Robert FizRoy)との関係をこじらせる一つの原因となる。

フィッツロイは当時の上流階級の典型であり、奴隷制に断固賛成だったのだ。

4 エジンバラ から抜粋

チャールズ・ダーウィンは、金持ちで上品な上の息子として、恵まれた楽しい子供時代を送った。

8歳で母親のスザンナを亡くしたことは、生涯癒えない傷を彼の心に残したし、父親の口やかましさと憂鬱症は、毎日の生活にかげりをもたらすものではあった。

しかし、メアの屋敷でウエッジウッド家の子どもたちとドンチャン騒ぎをしたり、兄のエラズマスと化学実験に熱中したり、そして、猟銃で鳥やウサギを撃ちまくる狩猟の楽しみを満喫したりと、当時の社会の中では、楽しみを十分に享受できる境遇で育った。

しかし、15、6歳の頃のチャールズは、どうもその楽しみが度を過ぎるようになったらしい

シュルーズベリ・スクールの成績はかんばしくなく、なんらの見るべき才能を表すこともなく、遊んでばかりいた

そこで堪忍袋の緒を切らした父親は、2年早くチャールズにシュルーズベリ・スクールをやめさせ、エジンバラ大学医学部に入学させることに決めた。

このあと、運命を変えることになる一大事

有名なビーグル号乗船員に選ばれた顛末で

船長フィッツロイ氏がダーウィンを雇う

逸話についても面白かった。

まだ発見されてない有用な資源を

掘り起こして一儲けできると思って

岩を見てこれだ、という目利きの学者を

いろいろ探してたどり着いた人材が

ダーウィンだったとか、さらに

直接ダーウィンとは関係ないが

フェゴ島という裸の未開人(男性)を買取り、

自腹で知識教養を身につけさせ英国風に仕立て上げ

(自作の彼らのスケッチが異様に上手い)

最終的にまた島に返す、という理由不明な

これまた船長の思惑エピソードや、

ガラパゴスでの無防備な生物の楽園っぷりや

病気だった愛娘を当時流行していた水治療という

怪しげな療法を受けに行った場所に

今住んでいる民間人のおばさまとの触れ合いとか

なかなか読み応えのある書籍でございますが

一番自分として響いたのは下のエピソードで

ございます。

13 ダウンハウス Part1 から抜粋

ダーウィン関係の場所や建物でもっとも有名なのは、ケント州のダウン・ハウス(Down House)に違いない。

ここは、ダーウィンがその生涯のほとんどを過ごし、著作のほとんどを書き上げ、最後に逝った場所でもある。

ダウン・ハウスには本がたくさんある

ダーウィンの書斎はもちろんのこと、居間にも、その他の部屋にも、書庫にもたくさんある。

生物学関係の専門書、そのほかの学術書はもちろんのこと、ダーウィン家には、小説や詩もよく読んでいた。

ジェイン・オースティンやチャールズ・ディケンズ、ウィルキー・コリンズなどの小説は、「新刊」として家族みんなで楽しんだようである。

ダーウィンのみならず、私は、いろいろな人の家の書庫を覗くのが大好きだ。

博物館となっている歴史的な家に行っても、現代の友人の家に行っても、そこの書庫は必ず覗いてどんな本がおいてあるか見て回る。

ダウン・ハウスでも、閉館間近になりながら、居間の一つで、鍵のかかったガラス扉の向こうにある本の背表紙を覗いていた。

確か、園芸関係の本がたくさんあったと記憶している。

私にとって、あまりおもしろいと思われる本ではなかった。

そのとき、館員の男性が一人、手に何冊かの古書を抱えて部屋に入ってきた。

そして、持っていた鍵で、まさに私が覗いていた書庫のガラス扉を開け、その本を中に戻そうとした。

私があまりに物欲しそうにみつめていたからなのだろう。

30歳くらい、金髪でひげ面のその男性は、持っていた本の一冊を私のほうに差し出し、

「嗅いでみる?」と言ったのだ。

私は上の空で「イエス」と言って、差し出された本のページの間を嗅いでみた。

古い本に特有の「黄色い」匂いがした。

かさかさと乾いて、ちょっと酸っぱいような、脆(もろ)い匂いである。

5秒ぐらいだったろうか?

「いい匂いだよね」と言って、彼は本を書庫に戻し、鍵をかけて出て行ってしまった。

ダーウィンの蔵書を差し出して、匂い嗅いでみる?なんて言うのは、本が好きな人間でなければ絶対にしないことだ。

そして、私も本が好きな人間であることが、彼にもわかったのだろう。

それは、ちょっとないくらい意外で幸せな5秒間であった。

私はあまりに呆然としていたので、それが何の本だったのか、タイトルも見もしなかったし、まったく覚えていない。

ただ、あの「黄色い」匂いだけは鮮烈に覚えている。

私の最初のダウン・ハウス訪問のハイライトは、ダーウィン自身が何度も手にとったに違いない、あの本の「黄色い」匂いだった。

なかなか、すごいエピソードですなあ。

本好きには良くわかる。

ダーウィンも相当好きだったと言うのは有名。

進化に何も関係ないのだけども。

旅でのハイライトって一生残りそう。

自分も妻と昔に行ったリバプールでの

レストランで受けたウェイトレスさんの

フレンドリーで温かい応対が忘れられない。

そして「あとがき」も素敵でした。

あとがき から抜粋

進化の考えほど、広い範囲にわたって議論を巻き起こした考えはない。

発表以来、今日に至るまで、議論は尽きないのである。

一つは、科学上の議論だ。

ダーウィンは、生物が時間と共に変化し得ることを示し、そのメカニズムとして、自然淘汰と性淘汰の二つの理論を提出した。

彼がこの理論を考案したとき、進化という現象のかなめにある遺伝については、ほとんど何もわかっていなかった。

そこで彼は、ここはブラックボックスにおいておき、その外堀からの証拠をこれでもかと集めた。

あとは、周到な演繹的論理展開によって、議論を組み立てたのである。

彼の演繹論理は、およそ完璧である。

問題は、その前提となる諸事実だ。

ダーウィン以来、遺伝の仕組みについての理解は飛躍的に進んだ。

今や、ヒトゲノムもすべて解読されたほどである。

つまり、ダーウィンがブラックボックスのなかにおいておいた中身が、次々と明らかになったのだ。

そこで、それに伴って理論の改訂が行われていった。

今では淘汰ばかりではなく、木村資生が提唱した中立進化も重要な働きをしていることがわかった。

もはや「ダーウィンの進化論」の時代は終わった

進化生物学は、生物学の中の大きな柱となる分野として、発展し続けている

もう一つの議論は、宗教との対立である。

進化理論は、「生物は神が創造の日にすべてを作り、その日以来変化していない」という創造論に対立する。

そして、「命」「人間」「人間の精神」といったものに特別な地位を与えることなく、ヒト以外の動物からヒトへの連続性、そして、無生物から生物への連続性を明らかにする。

このことに対する抵抗は非常に強く、ことさら宗教的ではない人々からも、疑問や反論が寄せられる。

現在では、彼の考えた路線を延長して、確かに、人間の脳と心を進化で分析されるようになった。

しかし、それに対する抵抗は依然としてとても強い。

まずは1996年にローマ法王は進化を事実として認めたものの、人間の精神の領域だけは、進化の産物ではなくて直接神様から付与されたものだ、と但し書きをつけた。

人間の心と行動を進化的に分析しようとしたハーバード大学の生態学者、E・O・ウィルソンによる著作『社会生物学』は、それを不快とする人々からの総攻撃を受け、以後、社会生物学論争と呼ばれるものが10年以上にわたって続いた。

進化の考えには、何か、人間にとって気持ちの良くないところがあるのだろう。

それは、究極的な「唯物論」のせいなのだと私は思う

生命にも人間の精神にも、何も特別なものはない、それらはすべて、物質の世界と連続しているという考えが、どうしても心地よくないのだ。

しかし、心地よかろうとよくなかろうと、進化学は進んでいく

それは、認知哲学者のダニエル・デネットが『ダーウィンの危険な思想』で述べたように、生物に関するすべての現象の分析に入り込んでいく、何でも溶かす酸のようなものなのだ。

そこには聖域は一つもない。

こんな考えを最初に考えつき、それを発表したチャールズ・ダーウィンとは、どんな人間なのだったのだろう?

彼は、たいへんに愛情濃(こま)やかな人だった。

集英社新書ヴィジュアル版は、過日読んだ

茂木先生といい、愛に溢れてて

読んでいて気持ちの良い書籍でございました。

長谷川先生の本は2冊目ですが

100分de名著の「ダーウィン」の回

興味深かったし、指南役もとても良かった。

こういうバックグラウンドがあったので

選ばれたのだと後から知った次第です。

余談だけど、この後図書館に行って

長谷川先生の違う本を借りてくる

予定でございます。(買えよ!)

 


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④進化の比較書・グールド氏の敵と源流の大切さを読む [’23年以前の”新旧の価値観”]

進化論の何が問題か―ドーキンスとグールドの論争


進化論の何が問題か―ドーキンスとグールドの論争

  • 作者: 垂水 雄二
  • 出版社/メーカー: 八坂書房
  • 発売日: 2012/05/01
  • メディア: 単行本

8章 進化論エッセイストの登場 から抜粋

1974年からグールドは、『ナチュラリスト』誌にエッセイの連載を開始する。

この連載は2001年1月まで、27年間300回にわたって続いた。

エッセイ欄のタイトルは、this view of life(渡辺政隆氏の訳にしたがえば、「かくのごとき生命観」)はダーウィンの『種の起原』全体を締めくくる最後の一節に出てくる文章で、G・G・シンプソンもまたこの言葉を書名に使っている。


主要な著作を年代順に見ながら、グールドの関心のありかを探ってみよう。


個体発生と系統発生

1977年に刊行されたこの大著は、グールドのもっともすぐれた業績の一つとみなされているもので、個体発生と系統発生の関係を本格的に論じている。

冒頭に掲げられた「謝辞」によれば、この本はエルンスト・マイアの勧めによって書き始められたもので、進化論に関する大著を書き上げるための予行練習という意図があったという。

その大著の方は死の直前に『進化思想の構造』として完成する。

最初の構想を25年後に結実させたのは、みごとな学者人生というほかない。


本書は大きく二部に分かれ、第一部は「反復説」と題されている。


反復説はいまでこそ学界ではほとんど見向きもされないが、19世紀には比較発生学や古生物学の指導原理であったし、いまでも大衆のあいだでは人気がある(たとえば、一部の人々のあいだで評価が高い三木茂夫などは典型的な反復説論者である)。

進化論の勝利の中で、反復説が人種差別や発達心理学、さらにはフロイト派の精神分析に根拠を与えていく過程を例証していくあたり、科学史家としてのグールドの面目躍如(やくじょ)たるものがある。


第二部は「異時性と幼形進化」と題され、こちらがいわば本論である。

異時性(ヘテロクロニー)という概念はヘッケルが同時性(シンクロニティ)の対語として1875年に提唱したもので、個体発生において、特定の器官の発生のタイミングや速度が促進されたり遅滞したりすることを指す。

発生のタイミングの変化は結果として成体における幼形化を生じ、それが種の分岐(系統発生)をもたらすというわけである。


グールドが『個体発生と系統発生』を書いたのは、ホメオティック遺伝子が発見される10年以上も前で、進化発生生物学(エボデボ)が生物学の中心テーマになるなど想像もできなかった時代のことだった。

進化における個体発生の重要性を指摘したグールドの先見の明は、分子生物学の、とくにヒトゲノム計画以降の発展によって裏づけられたわけである。

ここには、生物を歴史として捉えるグールドの真骨頂が現れている。


ワンダフル・ライフ』(原著1990年)

グールドの名を世界にとどろかせたこの本は、カナダのブリティッシュ・コロンビア州にあるバージェス遺跡から見つかった化石群についての記録である(エッセイ集では、『ダーウィン以来』の第15章、『八匹の子豚』の第15章、第30章などで触れられている)。


グールドがこの本で提起している重要な概念として、異質性(disparity)がある。

異質性は種の多様性(diversity)に対して、体制すなわち体の設計プランのちがいをあらわすもので、分類学的には異質性は門のレベルに対応する。

グールドがカンブリア紀の動物の進化に関してもつ見取り図は次のようなものである。


すなわちカンブリア紀には爆発的な異質性の増大があり、多数の門が一挙に出現したが、その多くは絶滅してしまい、一部の幸運な門だけが生き残って多様化をとげた、というのである。

この見方の根拠になっているのは、バージェス頁岩に見つかる化石動物には、現在の分類学のいかなる門にも収容できない奇妙奇天烈な動物が見つかるという事実である。


しかし、『ワンダフル・ライフ』が出版されてから20年以上たった現在では、グールドが独自の門に分類すべきだとしたほとんどの動物が、その最初の分類を与えたコンウェイ・モリスその人によって、従来の動物門に分類することが明らかにされている。

したがって、最初に多数の門ができて、カンブリア紀に異質性が最大であったというグールドの主張は根拠を失ってしまった。


カンブリア紀に現生のほとんどの動物門が出現したのは事実だが、合理的な説明が不可能なわけではない。

例えば、地球の酸素濃度の上昇によってこの時期にはじめて体の大型化が可能になったために化石が見つかるが、それ以前の生物は小さすぎて化石として残らなかっただけだといった説得力のある仮説が提示されている。


種から属、科、目、綱と漸(ぜん)進的な枝分かれによる進化を前提とする従来の梯子状ないしは逆円錐形の系統樹に対するグールドの批判(断続平衡説、あるいは大進化と小進化のメカニズムは異なるといった主張)に聴くべきところは多いが、この本で展開された論理は明らかに行き過ぎであった。

結果として、多くの識者に進化に関して誤った印象を与えることになった。


たとえばスチュアート・カウフマンは『自己組織化と進化の理論』において、カンブリア紀の大爆発について、「たがいに非常に異なった身体の仕組みを持つ生物の門が多数生まれることにより、自然は急激に前進した。そして、子の基本的なデザインがより精緻化されることにより、綱、目、科、属が形成されていったのである」と述べている。


実際の種分化の過程をちょっとでも具体的に思い浮かべれば、それがいかに荒唐無稽な逆立ちした言い分であるかはただちにわかるはずである。

ドーキンスは『虹の解体』(この第8章全体が『ワンダフル・ライフ』批判に当てられている)のなかで、それはまるで、庭師が古いオークのきを見て、「この木にはもう何年も太い枝が生えてこない。最近じゃ小枝しか伸びてこない」とつぶやいているのと同じだと揶揄している。

いきなり太い枝(門)が生えるはずがなく、細い枝(種)が時間と共に太くなっていくだけのことだというわけである。


この本で、おそらくグールドがもっとも言いたかったのは歴史の偶発性であろう。

生命のテープを巻き戻せば、そのたびに異なった進化の様相が現れるはずだというのが、グールドの主張だが、この点についてドーキンスは『祖先の物語』末尾の「進化のやり直し」という項で検討を加えている。


その時にある材料で仮説立ててみたら


実は後から異なる発見があった、ってのは


ダーウィンそのものみたいにも感じますけれども。


重要なのは正しかったか、どうかよりも


自論をエキスパンド(飛躍的な爆発とでもいうのか)


できたか、なのかと。これが常人にはむずいのです。


しかし事実の方が優先されて


『ワンダフル・ライフ』の評価が下がって


歴史の闇に消えていくとしたら悲しい気がする。


論文中心の学者さんの世界の厳しさなのか。


グールドの宗教観 から抜粋


千歳の岩』は、言ってみれば、宗教と科学の棲み分け宣言である。

科学と宗教の教導権は異なるのだから、お互いに立ち入らないようにしましょうという主張で、これをNOMA(非重複教導権)という言葉で表現する。

教導権が異なるという根拠をつきつめていけば、科学は何が真実であるのかを明らかにすることはできても、何が正しいかを明らかにすることはできないということに尽きる。

しかしこれを、自然科学と人文社会科学の棲み分けでなく、科学と宗教の棲み分けと言わなければならない理由は何なのか。

道徳的な判断基準を科学が与えることができないというのは事実だが、それを宗教が与えうるという保証はどこにもない。


ドーキンスが主張するごとく、人生の意味や、人生をいかに生きるべきかを考えるとき、科学者であれ宗教家であれ、すべての人間は対等ではないのか、なぜ、宗教ないし宗教家に特権的な地位を認めなければならないのか。

もちろん、哲学者、歴史家、宗教学者や人類学者がそれぞれの学問領域において自然科学者よりも専門知識を持ち、深い考察を重ねてきたことは否定できないので、彼らの言葉に耳を傾けることは必要だろう。

しかしそういう人を差し置いて、なぜ宗教でなければならないのか。

グールドは、その疑問に明確な答えを与えていない。


グールドは、『千歳の岩』で、科学と宗教の対立というのが、歴史的につくられた偽りであることを科学史的に例証し、多くの優れた科学者たちが内心で折り合いつけて科学と宗教を共存させてきた例を示しているだけである。


NOMAは常識的な考え方で、多くの人が無意識のうちに実践しているものだから、ことさら言い立てるほどのものではない。

グールドがあえてこの本を書かねばならなかった理由は、アメリカという特殊な国におけるグールドの困難な状況であった。


グールドは生涯を通じて、背腹(せいはら)両面からの二つの「敵」と闘いづつけた。


一つの敵は、前章で述べた、人種差別主義者や優生論者、その理論的根拠を与える遺伝子決定論者である。

その根源は自らの境遇に関わるものであり、闘いは自らの専門分野における、還元主義批判、ネオ・ダーウィン主義批判と結びつく。

これまで見てきたように、彼の主要な著作の大多数はそのために書かれていた。


もう一つの敵は、進化論を否定する創造論である。

創造論批判はある意味で自然科学者としての職業倫理といえる。

宗教的に、米国は先進諸国の中で世界に類を見ない特殊な国で、福音派プロテスタントが多数を占め、大統領選の結果を左右するほどの力を持っている。

彼らはカトリックに比べてはるかに原理主義的で、創造論や想像科学、インテリジェント・デザイン(ID)説運動の中心勢力である。


11章 狙いをはずした撃ち合い


支え合った二人 から抜粋


ドーキンスとグールドは、互いの著書が出るたびに書評にとりあげ、厳しく批判しあってきたため、事情をよく知らない人々は、二人が憎しみあっていて、顔を合わせてもそっぽを向くような関係にあるかのように思うかもしれない。

しかし、そこに収録された書評を読めばわかる通り、批判はあくまでも学問なレベルなものであり、人格攻撃の類に決して走ることのない節度のあるものであった。


それどころか、私の印象では二人は互いの存在、相手からの反撃を半ば期待して書いていたように思われる。

「はじめに」で述べたように。生命現象には、幻惑されるほどの複雑かつ精妙な多様性がある一方で、それを貫く単純明快な普遍原則もある。

前者を強調しすぎれば、生命の神秘性や神の意向(デザイン)といった非科学の方向に進んでしまう。

後者を強調しすぎれば、機械論的、決定論的な生命観にいきついてしまう。

しかし、生命の本当の魅力は両者の微妙な均衡にあり、したがって、多くの論争の結論が凡庸な中間地帯に落ち着くのは避けがたい。

二人ともそのことはわかっているが、中庸ははじめから存在するわけではない。

極論と極論を戦わせることを通じてのみ、本当の意味での中庸が成立する。


ドーキンスが決定論的な主張をするとき、グールドから非決定論的、偶発性重視の反論が来ることを予測しており、それに対する反論を書くことによって、自らの論理をより精緻なものに仕上げていった。

グールドが反漸(ぜん)進的な主張をするとき、ドーキンスからネオ・ダーウィン主義的な批判がかえってくるのは織り込み済みで、それに対する反論を通じて、さらに精緻な論理を練り上げる。

言ってみれば、多少極端なことを言っても、相手が補正してくれることが期待できたのだ。


社会生物学論争史』の著者である、セーゲルストローレは、二人の論争を「狙いをはずした撃ち合い」と評したが、まことに言い得て妙である。

相手の周囲を撃つ事によって、彼らの迎合する俗流解釈を退けあっていたのだ。


認めているからこその学問批判だったのかと。


そして訳者あとがきから、ひらめきやアイデアは


源流が大切なのだ、というのを感じました。


引かせていただき締めさせていただきます。


長いあとがきーーーダーウィン進化論受容をめぐっての考察


2012年4月 垂水雄二 から抜粋


本書は、ドーキンスとグールドの論争を軸に、進化論をめぐる現代生物学史の一断面を描こうとしたものである。

本職の科学史家ではない一介の翻訳家にすぎない私がこの本を書くについては、きわめて個人的な動機があった。


編集者から翻訳者への私の遍歴は、奇しくも、動物行動学から進化生態学への歴史的な移り変わりの時期と一致していたことになる。

個人的な動機とは、この間に何が起こっていたかを私なりに総括しておきたいという願望である。


その渦中にあった時には、めまぐるしい学問の展開に目を見張るだけで、なにが起こっているのか正確には理解できていなかった。

しかし、ドーキンスその他の科学啓蒙書を何冊も翻訳し、周辺の事柄について勉強し、知識が膨らんでいくうちに、その意義を私なりに整理することができるようになった。


そうなってみると、進化生態学の隆盛に伴って、今日ではローレンツらの仕事が、あまりにも過小評価され過ぎているのではないかという疑念が募ってきた。

別の言い方をすれば、進化生態学の発展に果たした動物行動学や個体群生態学などの役割が軽視されているというか、連続性が忘れさられすぎているのではないかという思いである。


「種にとっての利益(幸福)」という考えに固執したローレンツの理論は、遺伝子レベルでの淘汰を前提とする進化生態学の立場からすれば受け入れがたいかもしれない。

また、家畜としてのイヌの原種や、攻撃性について、今日からすれば謝ったことも述べている。

しかし、研究史においてローレンツらが果たした役割を無視して、「過去の人」として片づけるのは違うと思う。


本文にも示したように、ローレンツやティンバーゲンらは、行動もまた進化によって形成されたものであるというダーウィンの指摘を発展させ、行動を生物学の対象とした近代的な学問分野をつくりあげたのである。

単なる行動観察から、行動の意味、メカニズム、個体発生、進化などを解明するエソロジーという学問への昇華であった。


エソロジーは、生得的解発機構というメカニズムと、行動の「比較」という方法論を世に知らしめた。

そして、エソロジーの登場が世界中の研究者にさまざまな動物の行動研究へと駆り立てたのであり、その成果の上に、E・O・ウィルソンの『社会生物学』は打ち立てられたのである。

なによりもドーキンスその人がティンバーゲン学派の嫡統(ちゃくとう)なのである。


余談ながら、動物社会学を標榜する今西錦司の生物観が日本における進化生態学受容の足枷となったのは確かであるが、今西を祖とする学派が野外における行動研究に、餌付け(これについては近年、自然保護的観点から厳しい批判もあるが)や個体識別という手法を確立する事によって野生動物の生態研究に大きな前進をもたらしたことは、正当な評価を受けてしかるべきだろう。

実際に、霊長類学において、この学派は大きな成果を上げてきた。


また、ウィルソンの『社会生物学』で日本人としてもっとも数多くの論文が引用されている研究者であり、おそらくもっとも早く血縁淘汰説を日本に紹介した坂上昭一博士が、今西錦司の影響を強く受けていたことを考えると、学問的な影響関係は単純でないことがわかるだろう。


 


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進化論の何が問題か―ドーキンスとグールドの論争

進化論の何が問題か―ドーキンスとグールドの論争

  • 作者: 垂水 雄二
  • 出版社/メーカー: 八坂書房
  • 発売日: 2012/05/01
  • メディア: 単行本

5章 利己的遺伝子説の誕生 

進化生物学者への”変身” 


1965年に遺伝子のエソロジーという発想を思いつく。

これは、非常に単純ではあるが驚くほど威力があった。

遺伝子はどのような相互作用をしているのか、遺伝子は単独のときと集団の中では振る舞い方が違いのかを問えばいいのである。

エソロジストがミツバチやセグロカモメやチンパンジーの行動について問うのと、ゲノムや遺伝子の挙動について問うのは本質的に同じことではないか。

1989年の増補版の「まえがき」でドーキンスが述べているところによれば、


利己的遺伝子説は、ダーウィンの説にほかならず、ただ、それを遺伝子の視点から「遺伝子瞰(かん)図的」に表現したものにすぎない。

したがって、正統ネオ・ダーウィン主義進化論の論理的な発展にすぎない。

遺伝子の視点から見たダーウィン主義は、R・A・フィッシャーをはじめとする1930年代初頭のネオ・ダーウィン主義の大先達たちの著作の中で暗黙のうちに語られている

それを明白な形で述べたのは、60年代のハミルトンとウィリアムズだった。

しかし彼らの表現はあまりにも簡明にすぎ、十分に言い尽くされていないと私は思った。

しかし、これを敷衍(ふえん)し、発展させたものをつくれば、生物に関するすべてのアことが、……しかるべきところに収まるのではないかと確信した。

当時、一般向けのダーウィン主義に浸透していた無意識の群淘汰主義を正すのに役立つよう、とり上げる例は社会行動に絞るべきだと考えた。


ネオ・ダーウィニズム主義とは から抜粋


ダーウィンの進化論は、変異を持つ個体間の生存競争を通じての自然淘汰で進化を説明する。

つまり環境により適応した変異を持つ個体がより多くの子孫を残すことによって進化が起こるというわけである。

この理論が成り立つためには、個体の変異が子孫に遺伝しなければならない

『種の起源』が刊行されたのは1859年、メンデルが遺伝の法則を発見するのが1866年、それがド・フリースなど3人の学者によって同時に再発見されるのが1900年だから、ダーウィンは遺伝のメカニズムがまったく不明な時代(自身は遺伝粒子ジェミュールによるパンゲン説という仮説を立てていたが、後に誤りであることが明らかになる)に、その進化論を構築したのである。


初期にはメンデル遺伝学がむしろ種の不変性を示すものであり、ダーウィンの自然淘汰説に対立するものとみなされることがあった。

しかしやがて、ド・フリースの突然変異と自然淘汰の組み合わせで進化が説明できるという共通認識がしだいに成立していく。

しかし、適応的な変異が集団にひろがるメカニズムが明らかになるためには、集団遺伝学の発展をまたなければならなかった。


集団遺伝学の本格的な展開は1930年代に始まる。

フランシス・ゴルトンカール・ピアソン、セルゲイ・S・チェトヴェリコーフなど数多くの先駆者がいるが、主要な貢献者として3人の名前をあげることができる。

すなわちロナルド・A・フィッシャー[1890-1962]、J・B・S・ホールデン[1892-1964]、およびシュアール・ライト[1889-1988]である。


フィッシャーは集団内における遺伝子分布を数理統計学的に扱う方法と理論を開発し、『自然淘汰の遺伝学説』において、集団遺伝学の基礎を確立した。

ホールデンは、有害な突然変異が集団の適応度に影響など、自然淘汰の具体的な側面の理論的研究で、集団遺伝学に貢献した。

『進化の要因』は自然淘汰による進化を数学的に説明したもので、総合説の代表的著作の一つといえる。

ライトは、ライト効果と呼ばれる遺伝的不動の発見者として名高い。


こうした集団遺伝学の発展をもとに、生態学その他の生物学分野を総合して、生物学の統合理論としての進化論をつくろうとする動きが1936年から起こり、1947年にプリンストンで行われた国際会議で、古生物学者を含めて、多方面の生物学者が合意に達した。

この進化論が総合説、あるいはネオ・ダーウィン主義と呼ばれるものである。


総合説の主張を要約すれば、進化は小さな遺伝的変異に自然淘汰がはたらくことによって生じる漸(ぜん)進的な過程として説明できるというもので、大進化も基本的には、小進化の積み重ねによって説明できると考える。

総合説の確立に関係した主要な人物として、前期三人のほかに、前章に登場したドブジャンスキーとシンプソン、そして『系統分類学と種の起原』において異所的種文化の需要性を指摘したエルンスト・マイア、『植物の変異と進化』を著したレドヤード・ステビンス、そして、この考え方を『進化ーー現代的総合』として世間にひろく知らしめたジュリアン・ハクスリーがあげられる。

総合説は集団遺伝学をもとにしているので、自然淘汰の単位が個体ではなく遺伝子にあることが暗黙の前提になっている。


ドーキンスが、「R・A・フィッシャーらの著作で暗黙のうちに語られていること」と書いているのは、この意味である。


しかし、総合説を認める大部分の生物学者はこのことに無自覚で、とくに生態学、エソロジー、文類学など丸ごとの生物を扱う分野では、依然として、個体を単位とした自然淘汰が前提になっていた。

ところが個体を単位とすれば、利他行動の進化を説明することができない。

利他的な個体が利己的な個体との生存競争に勝てる道理がないからである。

そこで、利他的な行動の進化については、たとえばコンラート・ローレンツのように、「種の利益(幸福)」という概念をもちださざるをえなくなる


これは種ないしは個体群が淘汰の単位になるということであり、ネオ・ダーウィン主義進化論の前提と矛盾する(ただし、種淘汰や個体群レベルでの淘汰である群淘汰については、いまなお議論がつづいており、現在では、ごく限定された条件下で群淘汰が成立しうることが、数学的に証明されている。しかし群淘汰と称されているもののほとんどは、遺伝子レベルの淘汰で説明が可能である)。


ドーキンスが、「一般向けのダーウィン主義に浸透していた無意識の群淘汰主義」と言っているのはこのことを指している。


ハミルトンの功績 から抜粋


利他的行動のような、個体にとって不利益な行動の進化を説明する理論が出てくるのは、1960年代になってからで、本当の意味で遺伝子からの視点をドーキンスに開眼させたのは、ウィリアムス・ハミルトン[1936-2000]が1964年に「社会行動と遺伝的進化」という論文(この論文の発表に関してはジョン・メイナード・スミス[1920-2004]とのあいだで、微妙ないきちがいがあり、科学史的に興味深いが、本書の主旨からは逸脱するので、ここでは述べないことにする)で明らからにした血縁淘汰説の根拠となる包括適応度という概念である。


論文そのものは専門家でも簡単には歯がたたないほど難解な数式が出てくるが、ハミルトン本人は、昆虫少年の心を持ったまま大人になったナチュラリストであった。

世間の常識に無頓着なため、数々の奇行が伝えられ、金銭的にも恵まれることがなかった(自伝には、母親が金儲けを軽蔑し、息子の昆虫研究を激励して、金持ちになる道を閉ざした。なぜなら、金持ちがアマチュア研究者になることがあっても、幼くして虫好きになった人間が金持ちになることはないからだと書かれている。金に無頓着な気質は母親から受け継いだのだろう)。


その波乱に満ちた愛すべき人生の一端は、ドーキンスの追悼文「W・D・ハミルトンへの頌徳(しょうとく)の辞」(『悪魔に仕える牧師』300ページ)や長谷川眞里子編『虫を愛し、虫に愛された人』(ここに短い自伝が収録されている)から知ることができる。

この後者の本に、追悼集会で読み上げられたコスタリカ大学の進化生物学者の手紙が紹介されている。

それによれば、ハミルトンは子供のときに母親に自然淘汰の原理を教えられ、『種の起原』を読み、大学に入って授業で教わった自然淘汰は群淘汰の誤りに満ちていて、おかしいと憤慨したが、誰も相手にしてくれなかった。

それで、自分はハクスリーのようにダーウィンのブルドッグになって、誤りをただそうと決意したのだという。

その志は結果として、『利己的な遺伝子』でハミルトンの考えを流布したドーキンスによって実現されることになる。


ドーキンスの真の功績 から抜粋


ドーキンスは、こうした状況の中で、「利己的な遺伝子」というキーワードを思いつく。

それは誰もが気づいていそうでありながら、誰も口にしなかった概念であった。


ケンブリッジ大学キングスカレッジの学寮長であるパトリック・ベイトソン教授は、ドーキンスの進化について考えるためのイメージは、数世代の学生に役立ち、大衆が進化について考えるのを助けたことは間違いないと断言している。

彼によれば、ドーキンスは、比喩を使いこなすたぐいまれな能力を持っていて、若い学生たちはドーキンスの文章を読んだとたん、すべてが明快になるのだという。

しかし、ベイトソンによれば、ドーキンスを単なる啓蒙家と呼ぶのは、陳腐というよりもむしろはっきりした誤りである。

彼の思考には、もっと深いものがあるのだと、評価している。


60年代の文学者をランナーに例えて


同じトラックに並んで走っているように見えるが


「三島由紀夫だけ一周多く走っている」


というようなことを言ったというエピソードを


吉本隆明先生が言っていたというのを思いだした。


誤解が生んだベストセラー から抜粋


「利己的な遺伝子」という表現はきわめて誤解を招きやすいものである。

ドーキンスが言っているように、これは遺伝子の視点から見た進化を述べた本であり、生存競争に関わるのは個体ではなく遺伝子である、すなわち利己的なのは個体ではなく遺伝子だ、遺伝子が利己的だからこそ個体として利他的な行動が進化するという意味なのである。


しかし多くの読者は、この本を利己的な行動を擁護するものだと誤解した。

逆に言えば、そういう誤解があったればこそ、世界的なベストセラーになったともいえる。

30周年記念版の「まえがき」で、「協調的な遺伝子」とすれば、よかったかもしれないと書いている。

(これは、まさに哲学者カール・ポパーがこの本について唯一語った言葉でもあった)が、そうすれば誤解は少なかったかもしれないが、きっとこれほど売れることはなかっただろう。


誤解はこの本に賛成する人間にも反対する人間にも見られた。


浮気するのも遺伝子のせいだとドーキンスが言っているようなことを言い散らし、それを真に受けた自由市場主義経済の擁護者たちは、この説で自分たちのやり方が科学的に支持されたと錯覚した。

批判者のほうもドーキンスの本をろくに読まず、同じような誤解のもとに批判を繰り広げた。

たとえば英国の哲学者のメアリー・ミッジリーはドーキンスが人間は生まれつき利己的なのだと思い込ませようとしているといって批判した。

しかし、明らかにそれはドーキンスの本意ではなかった。

『利己的な遺伝子』の第1章の冒頭部分ではっきりこう述べられている。


まず、私は、この本が何でないかを主張しておきたい。

私は進化に基づいた道徳を主張しようというのではない。

私は単に、ものごとがどう進化してきたかを言っているだけだ。

私は、われわれ人間が道徳的にいかに振る舞うべきかを述べようというのではない。

私がこのことを強調するのは、どうあるべきかという主張と、どうであるという所信の表明とを区別できない人々、しかも非常に多くのそうした人々の誤解を受ける危険があるからである。


それだけでなく、最後の(初版のことで、増補版ではこのあとに2章追加されている)第11章では、人間には文化があるので、動物の議論をそのまま持ってくることはできないことを認め、文化的な進化を論じるための概念としてミームを提唱している。

そして、この章の最後をこう締めくくっている。


われわれは遺伝子機械として組み立てられ、ミーム機械として教化されてきた。

しかしわれわれには、これらの創造者に刃向かう力がある。

この地上で、唯一われわれだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである。


このあと、超ベストセラーを次々飛ばすのだけど


そこはざっくり割愛させていただきまして。


10章 科学と神のなわばり 


ドーキンスの宣戦布告 から抜粋


2006年に出版された『神は妄想である』は、もちろんグールドの『千歳の岩』を読んだうえで書かれたものであり、NOMAという考え方の批判もあるが、グールド批判はこの本の主題でも動機でもなかった。

ドーキンスがこの本を書いた動機は明らかで、9.11の悲劇を目の当たりにした怒りにほかならない。

前章でも述べたように、ヨーロッパの宗教戦争は長い歴史をもち、英国でも、その余波がアイルランド紛争という形でいまなおくすぶっている。

紛争とはいいながら、これはカトリックとプロテスタントの宗教戦争にほかならない。


9.11のテロ事件は、一般市民に与えた衝撃という点では、類例のないものであるが、この現在においても、1年間に宗教的対立のゆえに殺されていく人間の数は、ニューヨークのテロ犠牲者の何十倍、何百倍にも達する。

それよりも恐ろしいのは、戦乱で肉親を失い、戦火の中を逃げ回りながら、何の希望もなく、生きていかなければならない無数の子供たちを作り出していることである。

この負の循環を前にして、ドーキンスは、今こそ立ち上がるべきときだと宣言する。


科学啓蒙家として、ドーキンスは、星占いやホメオパシーをはじめとする擬似科学の信者を批判し、科学的な思考の重要性を折りに触れて強調していた。

そうした批判は、彼の啓蒙的著作の随所に見られる。

宗教もそうした批判の対象の一つであり、たとえば『悪魔に仕える牧師』に収録されている「ドリーと聖職者の頭」というエッセイでは、生命倫理がらみの問題で、宗教家の発言に特権的な地位が与えられていることに対する憤りが語られている。

だが、進化論の普及にとって聖書を厳密に解釈する原理主義的なキリスト教徒は障害であるが、英国では、大きな問題ではなかった。


ドーキンスの動機は、ブッシュ大統領(当時)の政策に象徴されるようなキリスト教原理主義者、あるいはそれに対抗するイスラム教原理主義、自分の信じる神だけが絶対的に正しいと信じる精神こそが、諸悪の根元であり、その呪縛から人類を解き放たないかぎり、今日の悲惨な報復の連鎖に終止符を打つことができないという危機感であった。

とはいえ、諸悪の根源を宗教に帰するというのはいささか乱暴かつ短絡的であることは確かである。

多くの穏健な宗教者は宗教を科学に押し付けたりはしないし、異教徒を殲(せん)滅せよなどというわけではない。

ドーキンスはそういう人々を攻撃するわけではない。

彼が問題にするのは、「神」の言葉を疑いなく信じる宗教の精神であり、信仰であるから尊重されなければならないという世間の態度である。

「神」の言葉を疑わないという精神が原理主義を生むのであり、信者が無条件に信じていることはなんであれ容認するとすれば、自爆テロも容認せざるをえなくなってしまう。

いずれにせよ、「神」の言葉を疑わないという精神は、すべてを疑うという科学の精神と両立しえないものであると、ドーキンスは考える


どうすれば、宗教のこの呪縛から解き放つことができるか。

生物学者ドーキンスにできることは知的啓蒙しかない。

神の名において悪魔や異教徒を殺すことを厭わない人々に向かって、そんな神など存在しない、世界を自分の目で見て、自分の理性で判断しなさいと説く。

それがこの本の目的であった。


ドーキンスは、有神論的な神、宗教的な意味での神の存在を否定する。

哲学的・科学的・聖書解釈的・社会学的・倫理学的、そのほかあらゆる側面からの神の存在のありえなさを論証していき、ついでに科学と宗教の守備範囲はちがうというグールドのNOMA説も退ける。

科学が踏み込めない領域など存在しないという。

だが、ドーキンスのこうした批判の仕方は、グールドとはちがった意味でジレンマをもたらす。

すなわち、進化論を認める穏健な信仰者を敵に回してしまい、結果として科学の啓蒙にとってマイナスの効果をもたらしかねないという点である。


私は闘いの本質が超自然の主義と自然主義、宗教と科学をめぐるものであり、進化論教育をめぐる戦いは、戦争の中のただの小競り合い、局地戦に過ぎないと考えています。

私に口を閉じろという科学者たちの要求は、この局地戦の方が本質的な闘いで、それに敗けるわけにはいかないということだろうと思う。

グールドがNOMA という概念を発表したそもそもの政治的な理由ではないかと思いますが、それを私に受け入れよというのはナンセンスです。

…彼らは分別ある宗教人、つまり進化論を信じている神学者や司祭、牧師たちを自分の側につけたいと思っているのです。

そしてそうした分別ある宗教人を味方につけるには、科学と宗教の間に矛盾はないと言わなければならないのです。

私たち科学者はみな、信心深いかどうかに関わらず進化論を信じています。

主流派正統的宗教人を味方につける必要があるため、彼らに神への根本的な信仰に関しては譲歩しなければいけないということなのです。

しかし私にとっては科学と宗教の闘いが本質的なのです。


ここに、ドーキンスが『神は妄想である』を書いた動機の一つが示されている。

すなわち、論理に対する信頼である。

科学主義信仰だと言う人がいるかもしれないが、妥協せずに論理の筋を通すというのが、ドーキンスの一貫した流儀である。

たとえ、敵をつくろうが、論理的に正しいことをいわねばならないという青臭いまでの倫理観である。

科学が正しいのか宗教がただしいのか決着をつけようという意気込みといってもいい。


先のインタビューで、「信心深い人がこの本を開いて、読み終わるまでには無神論になる」という願望が述べられているが、本当にそう思っているのかと尋ねられて、それは野望だが、そうなると思うほどナイーブではないが、少しでも可能性があれば、そうなって欲しいと答えている。


生粋の英国人で宗教戦争を肌で感じ


奥様も北アイルランドの方で紛争の象徴と言われる


ベルファースト近くに縁のある子爵令嬢とのことらしい。


ここらは日本人には土地的にも感覚的にも


なかなか理解しにくいところだけども。


『神は妄想である』はこういった背景を知らずに


読んだので、なぜここまで徹底的に糾弾するのか


分からなかった謎が少し解けた気もした。


それにしても


九州地方が線状降水帯の影響で心配な本日


暑過ぎて溶けそうな熱中症の心配の


関東地方でございます。


 


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②進化の比較書・お師匠さんはグールド氏に何を教えたのか [’23年以前の”新旧の価値観”]


進化論の何が問題か―ドーキンスとグールドの論争

進化論の何が問題か―ドーキンスとグールドの論争

  • 作者: 垂水 雄二
  • 出版社/メーカー: 八坂書房
  • 発売日: 2012/05/01
  • メディア: 単行本

2章 ティラノサウルスに魅せられた古生物学者

スティーヴン・ジェイ・グールドは、1941年9月10日、父レナード、母エレノア(旧姓ローゼンバーグ)のグールド夫妻の長男として、ニューヨーク市クイーンズ区に生まれた。

父親は裁判所の速記者、母親はタイピスト(のちに画家になる)だった。

過去の動物に魅せられた少年 から抜粋


アマチュア・ナチュラリストだった父親に連れられていったアメリカ自然史博物館で恐竜の骨格標本を見て、古生物学者になることを決めたとされる話はいろいろなところで語られている。

たとえば、次のようなものである。


5歳くらいの頃、私は父にアメリカ自然史博物館へティラノサウルスの見物に連れていってもらったことがある。

その化石動物を見上げていたとき、一人の男が大きなくしゃみをした。

私は息が止まりそうになり、あやうく、<シェマー・イスラエル>を唱えそうになった。

ところがその巨大な動物は壮大な骨組みで身じろぎもせず立ちつづけていた。

そこを離れるとき、私は大きくなったら古生物学者になると、公言してしまったのである。

(スティーヴン・J・グールド、『パンダの親指・下』26章)


この博物館の脊椎動物部門のキュレーター(管理責任者)だったエドウィン・ハリス・コルバート[1905-2001]は彼の少年時代のヒーローで、8歳の時に、恐竜に関する詩を書いてコルバートに送っている。

しかし、グールドが古生物学者を志すにあたってはもう一つの契機があり、そのことについては、遺作となった『進化思想の構造』にくわしく書かれている。


11歳のときにG.G.シンプソンの『進化の意味』を、ものすごく、興奮しながら、しかしほとんど内容を理解できないまま読んで、進化に惚れ込んだことだった。

この本は、知識欲はあるがあまり豊かでない人々向けのブッククラブの会員になっていた両親が、「今月は欲しい本がありません」というハガキを返送し忘れた時に、注文した覚えがないのに送られてきたものだった。

(しかし、表紙カバーに恐竜の小さな線画が描かれていたので、私は返却しないで欲しいと懇願した)。

というわけで、最初から、私の学問的な関心は、古生物学と進化を結びつけていたのである。

(Stephen Jay Gould,The Structure of Evolutinary Theory, Harvard University Press, ch.1,p38,2002)


ニューヨークにはブロンクス科学高校という理系の有名高校があるのになぜ行かなかったのだろう。


『ニューヨークタイムズ』に掲載された対談で、なぜブロンクス高校に行かなかったのかと聞かれたのに対して、グールドは、学校までが遠くて、片道バスと地下鉄で2時間もかかり、

「これから先3年間、一日4時間も通学に使うのは馬鹿らしいと思った」からだと述べている。


4章 古生物学の聖地を目指して から抜粋


ジャマイカ高校を優秀な成績で卒業したグールドは、オハイオ州イエロースプリングにあるアンティオーク・カレッジ(単科大学)に入学する。

この大学は1852年創設という名門校だが、1940年代から反人種差別などを中心とする左派活動家の拠点として知られており、マッカーシズム旋風のなかでの非米活動委員会の圧力にもかかわらず、共産主義思想をもっているという理由で学生や教員を追放することを学校当局は拒否した。

また全米で黒人の入学を認めた最初の白人大学でもあり、数多くの進歩派学者や活動家を輩出してきた(2008年に財政難のために閉校となったが、再建を目指す募金活動の成果として、2011年に定員400人の小規模なりリベラル・アーツの大学として再建された)。


グールドがこの大学を選んだのには、そうした思想的背景があったのかもしれない。

実際に、グールド自身が、学生時代、人種差別に反対する公民権運動で、かなり積極的な活動家であったと語っている。


この大学は専門知識の獲得だけでなく全人格の向上を目標にしていることでも有名だったが、多数の言語に通じたグールドの深い文化的教養は、むしろ個人的な資質によるものだったろう。


彼は言語には進化と通じるものがあり、多様な言語を学ぶことは、多様な文化的伝統や思考方法を知るうえで極めて重要だと考えていた

多くの言語を独習したが、ラテン語に関しては例外で、26歳になるまでの数ヶ月間、徴兵逃れの条件として大学に在籍するために、ラテン科目だけをとくに履修したという。


古生物学者への第一歩 から抜粋


1963年に生物学を修めて卒業すると、いよいよ、古生物学者を目指して、コロンビア大学大学院の進化生物学と古生物学の研究室に入る。


進化論とのかかわりでいえば、コロンビア大学は二つの分野で中心的な役割を果たしてきた。

一つは、モーガン一派の遺伝学である。

1904年にコロンビア大学の教授となったトマス・H・モーガン[1866-1945]は、ここにショウジョウバエ遺伝学の拠点を築き、分子生物学につながる現代遺伝学の発展をもたらすことになる。

その功績によってモーガンは1933年にノーベル医学生理学賞を受けた。


コロンビア大学が進化論に関わるもう一つの重要な分野が古生物学である。

5歳のグールドを魅了したティラノサウルス・レックスの名付け親、ヘンリー・F・オズボーン[1857-1935]は、1891年からコロンビア大学の生物学、および動物学(1896年から)の教授を務め、同時にアメリカ自然史博物館のキュレーターを兼務し、1908年から33年まで艦長職にあった。

グールドの少年時代のヒーローで、恐竜の世界的権威の一人であったエドウィン・ハリス・コルバートも、ここで修士及び博士の学位をとっている。


シンプソンの存在 から抜粋


グールドが本気で古生物学を志すのがシンプソンの『進化の意味』であったことはすでに述べた。

その経歴も含めて、シンプソンはドーキンスにとってのティンバーゲンに相当する存在と言える。

ドーキンスの出会いが幸運に導かれたものであったのに対して、グールドは、自ら求めてシンプソンのいた古生物学の聖地へ向かったのである。


シンプソンは1923年にイェール大学を卒業し、26年に博士号を得て、1年間ロンドンに留学したのち、オズボーンに招かれたのである。

米国南部および南米パタゴニア地方での精力的な化石発掘調査を行い、新世界における絶滅哺乳類の進化と分布に多くの新知見をもたらした。

もっとも重要な業績は、ウマの進化に関する従来の定説を覆したことである。


セオドア・アイマー[1843-1898]、エドワード・D・コープ[1840-1894]、オズボーンなどの米国の古生物学者のほとんどは、化石に変化の方向性が見られることから、ダーウィンの自然淘汰説に反対して、生物の内在的な進化傾向を認める定向進化説を支持していた。

この立場から、オスニエル・C・マーシュ[1832-1899]らは、ウマの進化についても単系統説をとっていた。

すなわち、キツネ大で足の指が四本のヒラコテリウム(始新世)から、メソヒップス(漸新世)、メリキップス(中新世)、プリオヒップス(鮮新世)、そしてエクウス(現新世)へと、直線的な系列でしだいに大型化しながら足指の数を減らし一本指になったと考えていたのである。


これに対してシンプソンは、1940年代に、詳細で定量的な調査の結果、これらの化石種が年代と地域を通じて環境の変化に適応しながら複雑な枝分かれしていった系統樹の異なった枝を示すもので、直接的な子孫関係にないことを明かした(このシンプソンの業績についてはエッセイ集(『がんばれカミナリ竜・上』、11章)で詳しく論じられている)。


後年グールドは、梯子型ではなく灌木型の系統樹を主張するが、その視点のそもそもの発端は、シンプソンのウマの研究にあたった。

科学史的には、反自然淘汰説の牙城であった古生物の世界で、シンプソンが適応進化を認めたことは、進化の総合説に大きな弾みを与えることになった。


また、シンプソンは『進化の速度と様式』において、進化が急速に進む系統と非常にゆっくりと進む系統があることを指摘し、もっとも急速に進む場合を「非連続的進化(英語はquantum evolutionで、量子的進化と訳されることもあるが、内容からして適切ではない)」と呼んだ。

シンプソンによれば、非連続的進化とは「不安定な状態におかれたある生物個体群が、祖先種がおかれているのとは明白に異なる条件に安定(均衡)した状態へと、比較的急速に移行すること」である。


重要な進化的変化が隔離された小さな集団で比較的急速に起こるメカニズムとしては、シューアル・ライトの提案になる遺伝的浮動を想定していた。

シンプソンはこれによって、大きな進化的変異が、種の周辺部で、短期間に比較的急激な速度で起こるという、多くの古生物学的な発見を説明できると考えていた。

その意味で、シンプソンは、のちの断続平衡説の先駆けとみなすことができる。


むずい。


なにも補足できないくらいにむずい。


師匠がのちのグールドさんの提唱したことを


研究してたってくらいにしかわかりませんことを


正直に告白いたします。


福岡伸一先生の”動的平衡”とも関連しているのか?


もよく分かっておりません。


弱冠25歳で教授に就任 から抜粋


66年には、弱冠25歳にして、アンティオーク・カレッジで地質学教授の職を得る。

バーミューダ諸島で見つかる化石陸貝類(ケリオン属など)の変異と進化に関する研究によって、67年にコロンビア大学から博士号を得て、ハーヴァード大学に移り、これ71年に準教授、73年に地質学教授および比較動物学博物館無脊椎動物部門キュレータとなって、華々しい著作活動の時代に入る。


6章 断続平衡説の挑戦


二人の論敵 から抜粋


ハーヴァード大学には、後にグールドの論敵となる二人の重要人物がいた。

一人はいうまでもなく、論争の発端となった大著『社会生物学ー新しい総合』の著者エドワード・O・ウィルソン[1929-2021]である。

ウィルソンはグールドより一回り年上の昆虫学者で、1964年からハーヴァード大学の動物学教授であった。


もう一人はロバート・トリヴァース[1943-]である。


本書とのかかわりでいえば、トリヴァースは『利己的な遺伝子』の序文も書いた揺るぎないドーキンス派の論客であり、またブラックパンサー党員で、イスラエル政府への辛辣な批判者でもある。


マイアの役割 から抜粋


グールドが本拠としたハーヴァード大学比較動物学博物館は、アメリカにおける古典的な動物学のメッカともいうべき場所である。


ここで注目すべき人物はなんといっても、エルンスト・マイア[1904-2005]である。

マイアはドイツ生まれで、ベルリン大学卒業後、1931年に渡米し、後に帰化する。

1923年から53年までアメリカ自然史博物館のキュレーターを務め、その間に鳥の分類に関する100編以上の論文を発表。

1935年から75年まで、ハーヴァード大学の動物学教室のアリグザンダー・アガシ教授職に就いて、教鞭をとり、多くの弟子を育てる。

1961年から70年まで比較動物学館長の地位にあった。


マイアは、進化の総合説の成立に関わり、異所的種文化の重要性を指摘したことは第4章でも述べた。

これは、地理的な隔離が種の分岐によって不可欠だという指摘である。

そこから、種とは内部で自由な交雑があり、他の集団からは生殖的に隔離された集団であるという「生態学的種」の定義を導いたことでも知られる。


マイアは進化の総合説に賛成しながら、フィッシャーやホールデンに代表されるような集団遺伝学的アプローチを嫌悪し、豆袋(beanbag)遺伝学と読んで軽蔑さえした

生物個体を遺伝子という要素に還元して扱うのは、まちがいであって、個々の遺伝子は遺伝子型という複合体としてしか進化的な意味をもたない、遺伝子の適応度よりも、遺伝子型の適応度のほうが重要だというのが、マイアの主張であった。


このいわば全体論的な視点を重視する還元論批判は、弟子であるグールドとルウォンティンに色濃く引き継がれ、これが社会生物学論争において爆発する。


しかし、その論敵であるウィルソンもまたマイアの弟子であり、ウィルソンの自伝によれば、大学2年生のときにマイアの『系統分類学と種の起原』を読んだのが、生物学者となるきっかけだったという。

ウィルソンですら、ドーキンスに比べれば、はるかに全体論的な視点を持っていて、群淘汰に対して寛容な立場をとっている。

いずれにせよ、ハーヴァード大学におけるマイアの思想的影響抜きに、グールドを語ることはできないだろう。


論敵と同じお師匠さんを持つというのが


自分には信じられないような。


同じ人間ではないから、異なっていくのは


当然と言えば当然のような。


その師匠、マイアさんってのに


興味がいくのだけど検索してみたら


なんと!過日読んだじゃないですか!


画像を見たら思い出した、視覚って強烈。


養老先生の翻訳でございました。


2005年までご存命で100歳ですか!


ダーウィンの正統な継承者という認識だったけど


集団遺伝学アプローチを豆袋遺伝学って


メンデルのことをアイロニカルにしてるのか?


メンデルの論説は認めてなかったってことなのか?


ここら辺り、興味を持つと芋づる式につながっていく


まさに系統樹のような読書遍歴となるのが面白い。


そして本日は午後から雲行きが怪しい


関東地方でございます。


 


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