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池田先生の2冊からダーウィンとウォレスを考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


構造主義進化論入門 (講談社学術文庫)

構造主義進化論入門 (講談社学術文庫)

  • 作者: 池田清彦
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/10/24
  • メディア: Kindle版

裏表紙の紹介文から引用


リチャード・ドーキンス氏ってこういうポジションなのか?と感じた。


なぜ遺伝子操作で新生物を作れないのか?

なぜ同じ遺伝子が、ハエでは複眼を、哺乳類では単眼を出現させるのか?

ネオダーウィニズムでは説明不可能な進化現象の数々。

プラトン、ラマルク、ダーウィン、メンデル、ドーキンス…。

進化論の系譜を再検証し、生物を記号論的に環境を解釈するシステムと

定義することで、もう一つの進化論を構想する。


学術文庫版まえがき から抜粋


本書の原本が出版されたのは1997年12月であるから、それからはや13年の歳月が流れた。

当時から既にネオダーウィニズムには翳りが見えていたとはいえ、主流の人々は依然として沈みゆくパラダイムにしがみついていたので、本書に対する風当たりはずいぶん強かったのを覚えている。

今や、ネオダーウィニズムの崩壊は自明のこととなり、当時、進化はすべて突然変異と自然選択ち遺伝的浮動で説明できると言い張っていた人たちも、いつの間にか進化は突然変異、自然選択、遺伝的浮動だけでは説明できないと、ごく当然のように主張しはじめた。

集積された科学的事実を虚心に見れば、ネオダーウィニズムの教義を支えることはもはや不可能なことが誰の目にも明らかになってきたからである。

科学理論は宗教はではないので当然のことだ。

そのことに思い至れば、本書で展開した議論は10年先取りをしていたわけで、文庫化するにあたっては、明らかな事実誤認を除けば、加筆修正は最小限にとどめた。

私の立場は原理的には当時も今も変わっておらず、本書の議論は現在も立派に通用すると思う。


ただネオダーウィニズムを反証する事実はどんどん蓄積されている。

それらの知見を盛り込んだ、最新の進化論については、二冊の拙著、『38億年 生物進化の旅』及び、『進化論 その歴史から最前線まで』(仮題、近刊、新潮社)を参照して頂ければ幸甚である。


第二章 ダーウィニズムとは何か


1『種の起源』を読む


ウォーレスとダーウィン から抜粋


自然選択説を考えた人は、実はダーウィンだけではない。

アルフレッド・R・ウォーレスという人がいる。

ウォーレスは、中流階級の下くらいの出身だが、生物が好きで一時標本の採集で生計を立てていた。

1858年に、採集地のテルナテ島からダーウィンに、自然選択説について述べた手紙を書いたことで有名だ。

1997年に、ウォーレス研究家の新妻昭夫が『種の起源をもとめて』という本を出版した。

ウォーレスの後を追いかけ、マレー諸島には十回も足を運んだという。

彼の本を読むと、ウォーレスのことが細かく書かれていてひじょうに興味深い。

ウォーレスは基本的にダーウィンと似たような経験をしている。

アマゾンに行って毎日、虫を採集する。

4年間採集して、船に採集品を全部積んで帰るとき、その船が火事を起こして沈没してしまう。

船のそばをボートで漂流していたウォーレスは別の船に拾われた。

その別の船も、実は嵐が来て沈没しそうになるが、やっとの思いで祖国に帰る。

その後、ロンドンに一年いたが、今度はマレー諸島に8年の冒険を企てた。

そこでも虫や鳥やいろいろなものを数多く観察し、採集した。

マレー諸島は島だから、隣の島へ行くと、同じような種類のものでも、また微妙に相違しているのである。

それは、ダーウィンがガラパゴス島で、同じような種類でも、少しずつ違うものを見た経験とよく似ている。

そういう似た経験を積んでいるし、両者ともマルサスの『人口論』を読んでいた。


自然選択説のなかの「分岐」とは から抜粋


それまでは、種は固定的なものだとずっと考えられてきた。

生物は進化するにしても二つの種に分かれるとは考えなかった。

すなわち、分岐という概念はまったく存在しなかった。

分岐は、自然選択説が出たのではじめて出てきた概念だ。

生物が二つに分かれるという考えは、ラマルクの進化論にはまったくなかったものだ。

なぜ分岐という考えが出てくるかといえば、生物にはいろいろな変異があるからだ。

たとえば背が高いものもいれば、背の低いものもいる。

変異のなかには、環境に適したものもあれば、環境に適していないものもある。

環境に適したものは徐々に増えていき、環境に適していないものは減っていくから、環境が変化すれば、変異はある方向にずれてくる。

たとえば、今はたまたま中くらいの背のものが有利だったのが、背が高い方が有利という環境に変化すれば、その生物の集団は、背が高い方に徐々になびいていくだろう。

たとえば、たまたま同じ島が二つに分かれてしまった場合、当然二つの島の環境に変化が出てくる。

すると、変異は徐々にずれていき、お互いにそれぞれの気候などに適応して、別々の生き物になっていく可能性は排除できない。

そうすると、当然異所的な分岐が起きて、一つの種から二つの種に分かれてしまう。

そういう説を唱え出したのはウォーレスとダーウィンがはじめてで、ほかの人はだれも考えなかった。

これは本当におもしろいことだ。

それまでは種は不変だという考えがあまりにも強かったのだ。

それは実念論(イデア論)、つまりプラトニズムがひじょうに強く影響していたのである。


第三章 ネオダーウィニズムの発展


遺伝子中心の原理 から抜粋


もしオスをたくさん産む性質が遺伝的なものであれば、孫の世代になると、オスをたくさん産む性質は確実に個体群の中に広がる。

それがどんどん広がって、やがてオス・メスの比率が1対1になり、そこで安定するだろう。

反対に集団内のオスの比率が高ければ、今度はメスをたくさん産む突然変異が有利になり、ここでも1対1で安定するだろう。

今までは種をメルクマールにして、種が存続するにはどのような形質がもっとも望ましいかという議論をしていた。

しかし、ネオダーウィニズムの議論、すなわち、種や個体は滅ぶがDNAは不滅であり、遺伝子をたくさんふやすにはどうしたら良いかという遺伝子中心の原理で考えると、今までどうもあまり適応的でなく進化にとって不利と思われた形質や行動にも有利な点があることがわかってくる。

このためネオダーウィニズムは生態学者の間に一気に広がり、彼らを一時熱狂の渦に巻き込んだ。

ただし、日本では今西進化論が支配的だった。

今西進化論は種の実存性を強調する。

一方、ネオダーウィニズムによると、種はどんどん別の種に変化していく。

種は実在しない。

実態としてあるものはDNAのみである。

この議論を徹底化したのがドーキンスである。


ネオダーウィニズム、ドーキンス氏を心象よからぬご様子。


他の書籍でも池田先生、バッサリしてたな。


竹内美奈子さんの言説をもとに。


ドーキンスさんを、という感じではないけれど。


それだけ相違点があるのだろうね、自信のある自説と。


 



三人寄れば虫の知恵

三人寄れば虫の知恵

  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2023/06/25
  • メディア: 単行本


ちなみに文庫だと南伸坊さんの解説つき。(2001年)


南さんと同意見で虫がわからなくても


楽しめたし深いところあり。


 


第四部「虫屋」の正体


III ダーウィンとウォレス


虫好きだったウォレス から抜粋


■池田

ダーウィン(1809~1882)は、ファーブルとは違う感性ですね。

彼はもともと分類学者だから。

 

■奥本

ダーウィンは行動学ではなく分類学ですね。

種の起源』は、あの時代の博物論集を集大成したものですね。

しかし日本ではあの本はみんな楽しんでは読んでいないですよね。

 

■池田

おもしろいと思うところもあるけど、論理はかなりグチャグチャしてますよ。

 

■奥本

ああでもない、こうでもないばっかり言ってますからね。

 

■池田

ウォレス(1823~1913)の方が、よっぽどすっきりしてますもんね。

 

■養老

書いたものでいえば、僕もウォレスの方が好きだね。きわめて明快ですよね。

 

■奥本

ウォレスのはエッセンスですからね。

 

■池田

ダーウィンが考えていた種の多様性と、実体としての種というものには、どこか違う、矛盾しているところがあった。

 

■奥本

考えれば考えるほど、自信が持てなくなるんですよ。

 

■池田

自分でも不安なところがあったんじゃないですか。

その不安が『種の起源』の中に出てるんじゃないですか。

 

■奥本

進化論なんて、誰でもわかってる常識のようなものでしょう?

家畜を飼っている人は、優秀な親から子供をつくれば、また優秀なのができるというようなことはみんな知ってるわけだ。

遺伝学もそうですよ。

子供が親に似るとかいうことも、世界中誰でも知っていたことですから。

それをダーウィンやメンデルは理屈にしようと思ったわけです。

ダーウィンのように家柄が良くてまわりに地位の高い人がいっぱいいると、神による創造を否定する、こんな大胆な理論を正々堂々と提出しようと思ったら、これは迷って迷ってしょうがないわけですよ。

そういう点では、ダーウィンの想いは深いんじゃないかな。

ウォレスは単純明快ですよ。

 

■養老

「すべての種は近縁の種から発生する」と。

おっしゃるとおりで。(笑)

 

■池田

ウォレスは本当に虫が好きだったんでしょうね。

 

■奥本

そして、たいへん心の広い、差別意識のない人ですね。

仏教徒みたいなところがある。


ダーウィンの進化論の背景 から抜粋


■池田

ふつうの研究者は、進化なんかどうでもいいと思ってるんですよ。

それで、ダーウィンなんか関係ないっていってやっているけれども、自分のやっていることに何か理屈をつけようとなったとき、そのままでは理屈のつけようがないから、仕方なく最後になるとダーウィンを持ち出してきて、自分のやっていることとくっつける。

だけど本当は進化論となにも関係ないことをやっているんです。

 

■養老

さっき言ったように、「ただいま現在」の条件を全部揃えたら、次はわかるという考えでやっているからね。

 

■池田

生物は、最後は歴史みたいなものをどこかに入れなきゃならないけれど、いきなり入れるとそれは科学じゃないといわれるから、ダーウィンを借りてきて、くっつけるわけです。

 

■養老

とってつけたような感じですよね。

そういう意味でも、僕はダーウィンというのは、いろいろ悪口もいうんだけど、天才だなと思うね。

どこが19世紀の科学の弱点であるかを、彼は知ってたんじゃないかと思う。

無意識にでしょうけど。

 

■池田

それは無意識ですよ。

僕らはずっと後から考えるから、そういう理屈をさらにつける。


ダーウィンの真意 から抜粋


■奥本

ダーウィンもウォレスも、もとはといえば甲虫少年。

 

■養老

そこで僕が不思議なのは、そのダーウィンが種という概念をどこで壊してしまったのか、ということです。

彼が種という観念を信じていなかったことは間違いないと思う。

それなのに、『種の起源』という題をつけたからますます話が複雑になる。

中を読むと「種」という言葉だけじゃない。

「亜種」とか「変種」とか、とにかくどんどん使うわけ。

そうすると、中間なんかいくらでも出てきていいという理論になる。

甲虫をやってたのになぜそうなったのか。

 

■池田

それが不思議なんだよね。

僕はそれがダーウィンの中でジレンマになって、それで体が悪くなったんじゃないかと思う(笑)。

虫を集めていて、彼は完全に分類学者なんですよ。

分類学者というのは、いわゆる種というパターンをある程度実感として感じなければ、やってられない存在です。

にもかかわらず、『種の起源』のような、種の実在性を破壊するようなことを書いているわけだから、どこかでかなり悩んだに違いない。

 

■養老

だから僕は、『種の起源』という題は、そう単純な題じゃないと思うんだよね。

モノーの「生物の特徴は合目的性である」というのとよく似ていて、本の表題にいきなり「種」とつけたというのは、ひじょうに考えた題だったんじゃないかと思う。

要するに、種の実在を信じてる人を全部黙らせる効果がありますよね。

一応「種」と書いて、種を認めているんだからという感じを出す。

でもなかを読むといっさい本人が認めてないということが、よくわかる。

あの矛盾はいったいなんだろう。

 

■奥本

種を段階的なものとしては認めてるでしょう。

 

■養老

彼はグラジュアリズムだというのは有名な話です。

 

■池田

ダーウィンは完全に連続ですよ。

それを、ネオダーウィニズムはメンデルの理論を入れたんで、切れるようになったんです。

だから、逆に、メンデルの理論が流行ったときには

「ダーウィニズムは死んだ」といわれたわけですよ。

ネオダーウィニズムによってメンデルとダーウィンがくっついちゃったわけですよ。

 

■養老

一種の手品だよね。

 

■池田

つまりインチキです。


相変わらず、すごい物言いというか、斬りっぷりの池田先生。


なんでネオダーウィニズムをここまで面罵するのか


直接、嫌がらせを受けたことあるのかと訝しんでしまう。


研究者っていう天上人たちってそうなんすかね。


ウォレスは種という実体を信じて、


ダーウィンは信じていなかった。


なのに『種の起源』って挑戦的なタイトルだ、という言説。


問いの立て方が養老先生っぽく、


知性の幅を窺い知るなあ、なんて。


 


で、なんでしたっけ?


あっそうだった、ダーウィンとウォレスさんだった。


この二人って興味深いと言わざるを得ない。


19世紀に進化論を提唱したってのもすごいけど


生物を観察、採集するために


何年もかけて船で座礁しながらも外国に


長期間滞在って、どういうことなんだよ、って。


どういうところに泊まって、何を食べてたんだろう、


洗濯は?とかウルトラミクロな


問いをたててしまうのだよねえ。


そういう視点で進化論に興味を持つ輩が一人くらいいても


いいのではないかと思った次第です。


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