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3冊の最終講義からサバイバルを考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

「最終講義」と呼ばれる書籍

3冊を読んでみた。

三者三様特色のある講義だった。

東大生と語り尽くした6時間 立花隆の最終講義 (文春新書)

東大生と語り尽くした6時間 立花隆の最終講義 (文春新書)

  • 作者: 立花 隆
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2021/10/20
  • メディア: Kindle版

第1章「序」

知の巨人、振り返る

から抜粋

実際に七十を迎えてみると、二十歳の人間と自分とは相当違うなところにきているな、という実感があります。

だけど、二十歳の君たちには想像もできないことだろうけど、七十歳になるということはそれはそれで面白いものです。

パッと振り返ってみると、そこに自分の七十年の人生がある。

それが一目で見渡せるんですよ。

四十、五十までは自分の人生を振り返ってみたいなんて、考えもしませんでした。

いつも、そのときどきの「今」を生きることに大忙しでした。

六十になったとき、はじめて、ああ、還暦か、もう六十年も生きてきたのかと、それだけ長く生きてきたことに大きな感慨を持ちましたが、自分の人生を振り返ってみようなどという意識は持ちませんでした。

自分の人生のいろんな年代の持っていた意味があらためて見えてきます。

20代半ばで社会に出るまでは、すべてが社会に出るまでの準備段階だったんだな、とか、社会に出ても最初の十年間は見習い期間みたいなものだったな、とか、大づかみな人生のスペクトル分析ができるわけです。

それとともに、二十代という年齢の持つ危うさが目に見えてきます。

自分自身が二十代に犯した失敗の数々も走馬灯のように目の前をよぎります。

そういう経験を踏まえた上で、今からはっきり予言できることは、君たちの相当部分が、これから数年以内に、人生最大の失敗をいくつかするだろうということです。

失敗には取り返しがつく失敗と、取り返しがつかない失敗があります。

君たちの失敗が後者でないことを祈るばかりです。

失敗とも関係があることなのですが、もうひとつ予言できることは、これから数年以内に、君たちは次から次に予期せぬ事態に巻き込まれて、充分な準備ができないうちに、大きな決断を下すことを何度も何度も迫られるということです。

二十代というのは、そういう年齢なのです。

準備万端ととのえた上で、人生の大きな曲がり角に差し掛かることができる人はほとんどいません。

準備不足は人生の常です。

ということは、必要以上に失敗を恐れることはないということでもあります。

失敗は成功のもととはよく言ったもので、適切な失敗の積み重ねがない人には、将来の成功は訪れてこないということもここで同時に言っておこうと思います。

つまるところ、大切なことは、まず問題に具体的に取り組み始めることです。

そして途中で必ず「何が適切な順序か」分からなくなるという事態に遭遇するでしょうから、そこで集中的に「考える順序の問題と先決問題の議論」に取り組むのがいいということです。

すべての問題には考えるのに適切なタイミングがあります。

早すぎても最適解に達せないし、遅すぎてもいけません。

ピッタリのタイミングで一気に、が一番ですが、現実にはたぶん早すぎたり遅すぎたりの繰り返しでしょう。

考えるタイミングの習熟にも学習が必要だということです。

こういった、正しいものの考え方に関するヒントのようなものは、七十歳になった今、僕が若い人たちに与えてやることができることのひとつかなと思うようになりました。

これから君たちが社会に出ていく際に、決めなければならない重要なことのひとつは、この社会のオモテウラ構造のどのあたりに自分が入っていくかということです。

オモテだけしか知らないナイーヴな純オモテ種族として生きていくか、オモテ社会とウラ社会の間を行き来する両生類として生きていくか、それともウラ社会に身を沈めて生きていきか(それとも全身どっぷり浸かるか半身だけにしておくか)です。

君たちの中で、ウラ社会に全身どっぷり浸かって生きていく道を選択する人はおそらくいないでしょうが、これから社会のどの部分に自分の身を置くかによって、かなりの人に社会のダークサイドと一定の関係を持たざるを得なくなる可能性が出てくるはずです。

何しろ、君たちは知らないでしょうが、日本のGDPの結構な部分が、社会のダークサイドとの交易関係の中で産み出されているのです。

いろんな試算がありますし、また「ブラック」「ダーク」の定義によっても違いますが、GDPの1割は楽に超えているはずです。

これは日本に限った話ではありません。

オモテ世界だけを見ていたのでは、世界の現実はほとんど分かりません

実際に社会のどこかに身を置いて経済活動、社会活動を始めれば、どこかでダークサイドと接触せざるを得ないというのが世界の現実なのです。


立花さんのこの講義は’96年に開始され2010年の最終回をまとめた書籍とのこと。最初から最後まで立花隆節が炸裂。

亡くなった’21年4月からまもなく2年。
長引くコロナ禍・ウクライナ戦争をどのようにご覧になるだろうか。
続いて鎌田先生でございます。
揺れる大地を賢く生きる 京大地球科学教授の最終講義 (角川新書)

揺れる大地を賢く生きる 京大地球科学教授の最終講義 (角川新書)

  • 作者: 鎌田 浩毅
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2022/10/07
  • メディア: 新書
京大地球科学教授の2021年3月10日の最終講義。
科学をわかりやすく伝える「科学の伝道師」

はじめに から抜粋

日本の大学では恒例行事として、長年勤めて定年を迎えた教員が行う最後の講義を「最終講義」として一般公開する習わしがあります。

本書は2021年3月10日に、私が京都大学で行った最終講義をもとにして刊行するものです。

最終講義というと通例は、定年退職する教授や准教授が自身の研究人生を歩みをたどり、成果を振り返りながら、来し方について縷々話すことが多いようです。

ところが私の場合はまったくそうなりませんでした。

というのは冒頭で、「昔を振り返っている場合じゃないんです。これから日本列島は大変なんですからね!」と切り出してしまったからです。

今日本列島は揺れています。

東日本大震災以降、日本は地殻の変動期に入ってしまいました。

たとえば、日本列島の活火山には噴火徴候があり、富士山も「噴火スタンバイ状態」にあたるのです。

そして南海トラフ巨大地震は2035年±5年のあいだに発生するだろう、との予測もでています。

これからは、いかに巨大な被害を抑えるか、つまり「減災」の意識がいっそう大切になります。

その意識を持つことが、命を守るための行動につながるからです。

命を失わないこと

から抜粋

世の中には知らなくてもいいことは膨大にあります

しかし、津波のように知っておかないと命に直結してしまうことが確かにあるのです。

イギリスの哲学者フランシス・ベーコン(1561~1626)は、「知識は力なり」という言葉を残しています。

ヨーロッパに経験主義の思想をもたらし、産業革命をはじめとして科学技術が世界を変える基礎を創った学者です。

私自身の学問自体の礎も、実はそこにあります。

「なぜ学問をやっているのか」という問いかけにこう答えます。

「学問は人を幸せをもたらします」、

それを「多くの人に伝えたいのです」、

そして私が得た学問の恩恵を「皆さんにそっくり返したいのです」と。

私たち学者は国からたくさんの研究資金をいただいて、大学という自由に研究できる環境にいます。

特に京都大学には優秀な学生がたくさん集まり、とても幸せな24年間でした。

ちかぢか南海トラフ巨大地震が起きれば、西日本では6000万人が被災すると考えられています。

我が国の総人口の半分に当たるものすごい人数です。

その中には「津波に乗ってサーフィンしてみたい」と考える人もいるかもしれません。

私はそういう人たちをこそ助けたいと思うのです。

津波で命を落としてはなりません。

何があっても命を失わずに、震災後の復興のためにも力を尽くしてもらわないと、日本全体が持たないからです。

だから私の願いをひとことで言えば、「みんな死ぬなよ」なのです。

実際の最終講義では

時間の都合でカットされた

温暖化の一部を引用です。

第5章

地球温暖化は自明ではない

2010年には、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が提出したデータの確実性をめぐって、何人かの研究者が疑義を呈しています

また、今後十数年間は寒冷化に向かうのだと、主張する地球科学者は少なからずいます。

私自身は、将来にわたって、今の勢いで地球温暖化が進むかどうかは必ずしも自明ではない、と考えています。

たとえば、大規模な火山活動が始まると、地球の平均気温を数℃下げる現象がたびたび起きてきました。

こうした現象からも、温暖化の進行が当然の成り行きではないことは理解していただけるのではないでしょうか。

人口の増大、都市化、経済活動は確かに地球環境に影響を与えてきましたが、実は地球科学の「長尺の目」で見ると、いずれ地球という大自然が吸収してくれる程度のものなのです。

人間による環境破壊には由々しきもの、目に余るものが多々ありますが、地球全体の営力から見ると小さいということも知っておいていただきたいと思います。

よって結果としては温暖化と寒冷化、双方の対策をすべきということに結論付けられるのです。

第8章

地球46億年の命をつなぐ

「長尺の目」で見る、ということ

から抜粋

ここで私たち地球科学者は、長期的にエネルギーの流れを考慮して、こう提案します。

「もう一度フローの時代に戻す必要がある」と。

フローとは、本当に必要なエネルギーだけを使い、余分なものはつくらない、という状態です。

食物にしても、食べられる量だけ生産し、都市のゴミで6割も捨てられるような無駄を出さないようにします。

同時に、世界のどこかで餓死者が生まれるような配分のアンバランスを解消して、過剰なストックから適度なフローへと転換する必要があります。

ちなみに、日本の古典文化にはフローの発想が通奏低音として流れています。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みにうかぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」

鴨長明(1155~1216)は『方丈記』にこう記しました。

水も歴史も生命も時間も、すべては流れていきます。

そのような流れに乗って、人生をゆっくり生きることはとても大事なことです。

無理に流れに抵抗せず、流れを楽しむことこそ、日本的な「フロー」の完成ではないかと思っています。


方丈記はなぜか多くの人の心をとらえる。
真理みたいなものがあるからかな。
鎌田先生、科学者の視点からの講義で
災害大国への警鐘を鳴らしておられる。
さらにその時、その後の対応・対策までも。
最後に、内田先生でございます。
最終講義-生き延びるための六講 (生きる技術!叢書)

最終講義-生き延びるための六講 (生きる技術!叢書)

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 技術評論社
  • 発売日: 2011/06/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
2011年1月22日、神戸女学院大学を
退官の際に行われ、
多くの人々に感銘を与えた
著者初の講演録。

「存在しないもの」からシグナルを聴き取る

から抜粋

西洋では「リベラルアーツ」と呼ぶものを東洋では「六芸(りくげい)」と呼びます。

孔子が君子の学ぶべきものにあげた6つの技芸です。

つまり、礼・楽・御・射・書・数です。

礼とは死者を祀ること、楽は音楽、御は馬を操ること、射は弓を射ること、書は字を書くこと、数は計算することです。

第一位に来るのは礼です。儀礼のことです。死者を祀る、あるいは鬼神を祀る。

「死者」というのは「もう存在しない」ものです。

しかし「存在するとは別の仕方」で生きている者たちに生々しく触れてくる。

「生物と無生物のあいだ」にわだかまっているもの、それが死者です。

手持ちの計測器では計量されないものは「存在しない」と断言する人たちは、その語のほんとうの意味での科学者ではありません。

「何かがあるような気がする」という直感を手がかりに、かすかな「ざわめき」を聞き取ろうとする人たちこそが自然科学の領域におけるフロントランナーたちなんです。

「存在しないもの」からのシグナルを聴き取ろうとすることは私たちの世界経験にとって少しも例外的なことではありません。

むしろ、わたしたちの世界を構築しているのは「存在しないもの」なんです。

音楽もそうです。

音楽とは、「もう聴こえない音」がまだ聴こえていて、「まだ聴こえない音」がもう聴かれているという経験のことです。

過去と未来に自分の感覚射程を拡げていくことなしには、音楽は存立しえない。

ある単独の時間における単独の楽音というものは存在しないからです。

メロディーもリズムも、もう聴こえなくなった過去の空気の振動がまだ現在も響き続け、まだ聴こえていないはずの未来の空気振動が先駆的に先取りされている、そういう「過去と未来」の両方に手を伸ばしていける人間だけが聴き取ることができるものです。

ですから、楽も礼と同じく、「存在しないもの」にかかわる技芸だということになります。

言葉もそうです。

僕たちはいつだって実はもう「存在しないもの」とかかわっているわけです。

「存在しないもの」とのかかわりなしに、我々は人間であることができないのです。


ぶっ飛んでいるなあー、と。

でも、納得、っていう

これぞ内田先生マインド炸裂。

内容と関係ないけど、この装丁は

文庫本よりも単行本の方が圧倒的に好きだなあ。


余談だけれど、もしも自分が

最終講義をするなら、

デザインとか福祉とかを

アナログとデジタルを

くぐり抜けてきた自分の

アウトサイド寄りの視座からの

ネタになりそうだけど

誰も聞かねえだろ、そんなの!って

声が大きく鼓膜をつん裂きそうだ。


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[改題] 柳澤先生2冊の本から科学と宗教を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

柳澤桂子さんの書籍はどれも

興味深いけれど、この本は本当に

面白いというと語弊あり

なんと表現していいかわからない。

あえていうなら、精神が

深すぎて、綺麗すぎて

「まぶしい」書籍でございます。

やがて幸福の糧になる

やがて幸福の糧になる

  • 作者: 柳澤 桂子
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2023/06/18
  • メディア: 単行本

「宗教」から抜粋

私は、科学と宗教は相容れないとは考えていません。
21世紀には、宗教も科学によって解明されると思っています。
人間にとって、宗教はたいせつなものであると私は思っています。
ただし、わたしが思い描いているのは、質の高い宗教です。
人間性の超越へと向かう宗教です。
祈りは瞑想として、すばらしいと思いますが、神に寄りかかる宗教、願い事をする祈りは次元の低い宗教です。
まさに、ボンヘッファーのいう通り、
神の前に、神とともに、神なしに生きる
のです。
 ※ディートリヒ・ボンヘッファー=ドイツの教会の牧師。キリスト教神学者。

最近、ドーキンスさんなどの

科学系の書籍を読んでいたので

改めてこの言葉に触れると

考えさせられる。


実はこの書籍は


ご紹介させていただいているのだけど

この言葉は忘れられないため

密かにメモしてて

最近読み返してみて、

これを引いておかないと手落ちだなと

思っただけという拙い動機でございます。


動機は拙いけど、

柳澤先生のこの言葉は

宇宙のように深淵です。


さらにもう一冊でございます。

二重らせんの私―生命科学者の生まれるまで

二重らせんの私―生命科学者の生まれるまで

  • 作者: 柳澤 桂子
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1998/05/01
  • メディア: 文庫

エピローグから抜粋

知の女神、アルマ・マターの足元にひれ伏して、自然の驚異の一端について教えを乞うという姿勢は失われた。
人間は自然を自分のしもべとしてかしずかせ、それをお金儲けに利用しようとしているのである。
知を一つの文化として、芸術として、人間の精神世界の営みを守っていこうという姿勢をたもつことは困難になってきた。

DNAは地球上に生命が誕生して以来書き継がれている、地球上最古にして最新の古文書である。
それには、「われわれはどこからきたのか」「われわれは何か」ということが書かれている。
そのような文書を人間が地球上ではじめて読み解くということは、たいへんうれしいことである。
しかも、実用面でも役にたつ。

しかし、その文書には、「われわれはどこへいくのか」ということは書かれていない
ゴーギャンが貧困と病苦の中で発したすべてには答えられないのである。
さらに、この文書には、「人間はいかにあるべきか」ということも、人間存在の意味も書かれてはないない。

目先の欲に振り回されて、人間たちが自己を失ったとき、私たちは取り返しのつかない失敗をおかすであろう。
今こそ、宇宙スケールで人間存在の意味を真摯に問い直さなければならない。

科学は人々に大きな恩恵をもたらしてくれるが、万能ではない。
むしろ科学が苦しみをもたらすこともあるということを身をもって体験した。
この体験は、私の科学に対する考え方を変化させたと感じている。

私は敗北した科学者として、科学に苦しめられたものとして、それでもなお科学を愛してやまない者として、科学と人間存在について多くの方々に真剣に考えていただきたいと強く願う者である。

柳澤先生が、幼少期から植物に興味を持ち

父親の影響で科学に強くひかれ

高校で研究、アメリカ留学でさらに追求

得難い体験をする静謐な空気が

閉じ込められている。


知の女神、アルマ・マターについて

コロンビア大学在学中に

図書館近くに鎮座していた銅像があり

ここを通るのを楽しみにされていた

逸話が出てきて、美しい感性だなあ

と思わずにいられなかった。



文章の高みに比べたら

どんな賞も見劣りしますけれどね

柳澤さんの文章ならば。


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知性を宮本百合子さんの文章で考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

宮本百合子さんは、何かで知ったような


記憶あり、教科書だったか?


忘れてしまったけれど表紙が素敵で


手に取ったのでした。



新編 若き知性に

新編 若き知性に

  • 作者: 宮本 百合子
  • 出版社/メーカー: 新日本出版社
  • 発売日: 2017/07/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 


 


出版は2017年だけど


宮本さんは作家で


明治生まれ、1951年に51歳で


亡くなられております。


当時女性が社会進出するのは


日本でも珍しかったと察します。


 


知性の問題(1937年)から抜粋


知性というとき、私たちは漫然とではあるが、それが学識とはちがうし日常のやりくりなどの利巧さというわれるものともちがった、もう少し人生の深いところと関係している或るものとして感じとっていると思う。


教養がその人の知性の輝きと切りはなせないように一応見えるが、現実には、教養は月で、知性の光を受けることなしにはその存在さえ示すことが出来ないものと思う。

 

教養ということは範囲のひろい内容をもっているけれども、そういう風な教養は外から与えられない環境のなかで、すぐれたいい素質として或る知性を具えているひとは、その知性にしたがって深く感じつつ生活してゆく間に、おのずから独特な人生に対する態度、教養を獲てゆくという事実は、人間生活の尽きぬ味わいの一つであると思う。


知性は、コンパクトではないから、決して固定した型のものにきまったいくつかの要素がねり合わされていて、誰でもハンド・バッグに入れていられるという種類のものではない。

そのゆたかさにも、規模にも、要素の配合にも実に無限の変化があって、こまかく見ればその発動の運動法則というようなものにも一人一人みな独特な調子をもっているものだろう。

とりどりな人間の味、ニュアンスと云われるものの源泉は、恐らくはこういう知性の微妙な動き、波動の重なるかげにあるように思われる。


誰しもこの世の中に生まれたとき、既にある境遇というものは持っている。

それにつながった運命の大づかみな色合いというものも、周囲としては略(ほぼ)想像することが出来る。

西洋に、あれは銀の匙(さじ)を口に入れて生まれてきた人というような表現のあるものもそこのところに触れているのであろうが、人間が男にしろ女にしろ、生えたところから自分では終生動き得ない植物ではなくて、自主の力をもった一箇の人間であるという事実は、その境遇とか運命とかいうものに対しても、事情の許す最大の可能までは自分から働きかけることも出来ることを示している。


「人間は考える葦(あし)である」

というのような云いかたは詩的な表現として好む人もあるだろうが、現実の人間はもっとつよく高貴な能動の力をひそめているものである。

根はしばられつつ、あの風、この風を身にうけて、あなたこなたに打ちそよぎ、微に鳴り、やがて枯れゆく一本の葦では決してない

人間は自分から動く。

動くからこそ互いに愛し合いもすれば、傷つけ合いさえもする。

そのように人間の動きは激しいのであるが、その激しい人間の間の動きは、よしあしにかかわらず、一定の境遇とか、そこから予想されそうな運命というものをも、どしどし変えてゆく


そとからの力として否応なくどんなにおとなしい一人の若い婦人の日常にもそういうものが様々の形をとって迫ってくる激しさは、今日私たちがありあまる程の実例の中に犇々(ひしひし)と感じているところではなかろうか。


なんとなく文体が岡本太郎さんに


似ているような、そんな時代の


ものすごい空気を感じる。


 


調べると共産主義に傾倒して


捕まったりされておられるようで。


 


ものすごい経験に裏打ちされた


シンプルな文章だと感じた。


 


「知性」ってよくよく考えると


なんなのかよくわからないけれど


「品性」とかと同じように


ものすごく大切なものなのでは


ないだろうかと思う今日この頃です。


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米原万里さん vs 養老・池田両先生 [’23年以前の”新旧の価値観”]

養老先生と遊ぶ 新潮ムック

養老先生と遊ぶ 新潮ムック

  • 作者: 養老孟司
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/03/30
  • メディア: ムック

私はこう見る「養老先生ってどんな人?」

から抜粋

■米原万里
■元ロシア語同時通訳・作家
養老さん、パーティーや二次会の片隅で、虫友だちの池田清彦さんなんかと、虫の見せっこして楽しそうに語らっているのは、少年時代の面影彷彿で微笑ましいと思うの。
でも、虫友だち以外の人に対してあの言葉の端々を飲み込むような早口で話しながら、途中で自分で可笑しくてたまらなくなって独りで肩揺らして笑い転げられるの、やめて欲しいのよね。
話すのが早口すぎるのと発声法が恐ろしく良くないのと、さらには、書くときもそうだけど、自分が分かり切っていることは大方省いてしまう癖があるでしょう。
言ってることの50パーセントは相手に伝わっていないの、自覚しています?
虫や死体と会話するのには全く支障なかったと思うんだけど、多く生きている人間たちは、何が可笑しいのかわからないで心中憮然としながら笑っているの、気付いてます?
『バカの壁』が爆発的に売れたのは、いつもなら養老さん自身がどんどん省略して書かないような部分を、編集者が根気よく聞き出して書き留めたからだと思うの。
ご自分でこの欠点を自覚して「勝手に省略癖」を返上していたら、とっくにミリオンセラーになっていたはずだわよ。
だって、言っていること、何もかもホントに面白くて可笑しいんだもの。

養老先生の本なのに、こんなことを

言えて、かつ掲載されるなんて。

でもすごく言い得て妙、

忖度社会では米原さん以外言えない。


米原万里さんは2006年5月没。


養老先生と池田先生の米原さんの追悼文が

ございます。最初は池田先生。

米原万里の「愛の法則」 (集英社新書)

米原万里の「愛の法則」 (集英社新書)

  • 作者: 米原万里
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2015/01/09
  • メディア: Kindle版


本書によせて 池田清彦 から抜粋

米原万里の体に卵巣がんが見つかったのは、確か2003年の秋だったと思う。
摘出手術後しばらくは元気だと言っていたのだが、2005年の2月頃に転移がわかり、以降すさまじい闘病生活となった。
米原の親しい友人であった吉岡忍から、容態はかなり悪いと聞いていたが、人でなしの私は見舞いはおろか連絡さえ取らなかった。
もっとも米原にあったところで、私に何かできるわけのものでもなかったが。
私にできることは、米原万里という稀有の魂が、死を目前にして疾走する姿を見届けることだった。

酷い体の状態とはうらはらに、米原の執筆活動は衰えを見せず、権力の卑劣さを糾弾する舌鋒(ぜっぽう)は死の瞬間まで健在であった。
深刻な自らの病状を記す時でさえ、筆致は常に乾いていて崩れることがなかった。
米原の晩年のエッセイは、物書きとしての矜持が、病に対する絶望感をギリギリのところで凌駕している、一種スリリングな空間であったように思う。
本書はそんな時期の講演をまとめたものだ。
独りで文章に呻吟(しんぎん)している時と違って、一般聴衆を前にしての講演は、転移がんの苦痛を一瞬だけ忘れることのできた時間だったのであろう。
本書には、米原の往年の好奇心とサービス精神があふれている。

治る見込みのない転移がんに冒されて、泣きたい時もあったろう。
怒りたい時も、怨みたい時もあったろう。
しかし、表現者としての米原は最期まで読者へのサービス精神を失わなかった。
あっぱれと言う他はない。

次は養老先生、その前に、帯にあった

言葉を引かせていただきます。


他諺の空似 - ことわざ人類学 (中公文庫)

他諺の空似 - ことわざ人類学 (中公文庫)

  • 作者: 米原 万里
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2016/05/19
  • メディア: 文庫


帯から抜粋

”米原ワールド” 炸裂の遺作がついに文庫化!

解説 養老孟司(東京大学名誉教授)から抜粋

だれかの訃報を聞いて、死んで当たり前と言ったら悪いが、ボチボチだろうな、と思うことは多い。
いまでは人は長寿だからである。
「人のことは構わず、我さへよから場と思ひて、気のゆるゆるした人、かならず命長し」。
沢庵和尚はそういった。
私もそろそろその部類に入ってきた。
古希を超えたからである。
米原万里さんは私よりはるかに若かった。
亡くならなれたときに、五十歳を超えていたんだから、昔風にいえば十分な人生かもしれない。
でも今では、はなはだ不足である。
だから米原さんほど亡くなられて残念だと思った人は少ない。
ロシア語の同時通訳はもとより、文筆家としても、ちょうど働き盛りだった。

米原さんの文章から感じるのは、底知れないエネルギーである。

男性には豪放磊落(らいらく)という表現があるが、これは女性には使えまい。
でもそんな感じの人柄だった。
米原さんの代表作に、私は『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を挙げたい。
これを読んでない人は、まず読んでいただきたいと思う。

米原さんの背景にあるのは、旧ソ連時代のプラハの国際学校に違いない。
これもずいぶん偏った世界だが、現在いうところの国際主義、グローバリズムなんてのも、米国製の似たようなものであろう。
このことわざ集を米原さんが書いた裏には、もう一つ、そうした外国に対する日本の世間の偏見があるに違いない。
それを面と向かって糺(ただ)すようなヤボなことをするより、小説で説得する方がシャレている。

要は読者はこの本を読んで笑っていればいいのである。
そのうちにいつの間にか、自分が本当の国際人、つまり人間の普遍を考える人になっていると気がつくはずである。

こういう人が世間から失われたのは、やっぱり惜しいなあ。
またそう思う。
国際化の時代なんだから、若い人たちが、米原万里さんのように育ってくれないかなあ。
年寄りはしみじみそう思いながら、これを書いている。

お二人の個性が際立った

追悼文。なんか泣けてくる。

お二人とも悔しさが

滲み出ている。


米原さんは以前

テレビでコメンテーターとして

辛口だった記憶あります。

若くして亡くなってしまわれたのだね。


翻訳者さんだったようだけど

作家でもあったので書籍は残っています。

養老・池田両先生のこれ以上ないくらいの

お墨付きでございますからね。

養老先生曰く、若い人にってことだけど

自分は若い人ではもうないけれども

かなり興味あります。

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楽しき挑戦・型破り生態学50年:伊藤嘉昭著(2003年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

楽しき挑戦―型破り生態学50年

楽しき挑戦―型破り生態学50年

  • 作者: 嘉昭, 伊藤
  • 出版社/メーカー: 海游舎
  • 発売日: 2003/03/01
  • メディア: 単行本
表4にある解説

早稲田大学教授 長谷川眞理子

から抜粋

日本生態学会の風雲児、伊藤嘉昭先生の破天荒な人生を綴った痛快な自伝。
何からなにまで型破り。
安全志向の今の人たちには想像もつかないような、綱渡り人生なのに、本人は少しもくよくよしていない。
メーデー事件に巻き込まれ、拘置所で過ごしたり、休職が長く続いてヒモ暮らしをしたりなのだが、お育ちの良さと性格からくるのか、洒落た雰囲気の明るさが常に消えないところが面白い。
それにしても、こんな先生を支えた奥様はすごい!
ぜひ、奥様からの回想記も知りたいところだ。
伊藤先生の力の源泉は、不正に対する怒りと軽べつ、権威に対する反抗である。
「東大に対する悪口を言い続けることが、今の私の存在意義だ」
とおっしゃるほどなのだから、堂に入っている。
陰湿な怒りではなく、溌剌(はつらつ)とした「明るい」怒りは、人を動かしていく大切な原動力なのだ。
もう一つ、本書からにじみ出てくるのは、伊藤先生の学問に対する熱意と真摯さである。
共産党運動がなんであれ、先生は根っからの科学者だ。
科学に対する、この正直で謙虚な態度が、先生を科学者として発展させてきたのに違いない。
若い人たちに是非読んでもらいたい、近ごろは化石のように珍しくなってしまった、一昔前の日本の男の人生である。

まえがき から抜粋

私には「名古屋大学名誉教授」という肩書きがあるが、私の経歴は他の方の似た肩書きの人たちと非常に違っている。
第一に、私は大学を卒業していない。
1950年20歳で東京農林専門学校を卒業し、すぐ農林省(当時の名称)の農業技術研究所(昆虫科)に就職したのである。

特権官僚の頂点の一つの外務官僚のひどさが数年前報じられた。
その中でも捕まったノン・キャリアよりもずっとたちが悪いのはキャリアたちだと思う。
上級公務員試験合格者から上級官僚を選抜する方式が定着して、最近は東大以外を出た「キャリア」もいるようになったが、現在も新聞の人事記事で見ると官庁の局長以上の90%くらい、当時は95%以上が東大で、それも法学部・経済学部出だった。
どんなに東大出がいばっているか、そしてどんなに悪いことができるかを、私は22年間の農林省時代につぶさに見てきた。
東大出でも農学部出身はそんなに偉くなれない。
しかし研究機関の長の大部分を占めていて、研究をゆがめてきたのはこの連中だった。
東大を出ながらその立場を事実上捨てた人たちにはすごく出来る人がいて、良い友人もいるが、東大の悪口をいうことは私の生きる目的とさえなっている。

第二は、農林省に入って2年後の1952年5月1日にあった戦後最初の反米集会への弾圧に巻き込まれて、逮捕・起訴され、17年も裁判をされたことである。

この日はメーデーで、農業技術研究所からも労働組合員百人近くが参加したが、このときでも参加者の一部が、終戦直後には使えたのにアメリカ占領軍が集会へ使用を禁止してから使えなくなった皇居前広場へと行進し、そこで発砲を含む警官の弾圧を受けて二人が死亡し、広場から逃げてきたデモ隊員が広場の周りの道路に駐車中のアメリカ軍の車に放火をするという事件が起きたのである。

我々農林省の組合(全農林)のデモの順番はメーデー行進の後ろの方だったので、広場にはもう入れず、日比谷公園で解散して、堀わきの道路に出た。
ところがその時がちょうどデモ隊が広場の中から逃げてきたところだったのだ。
突然のこの状況に中で私はデモ隊を追ってきた警官に殴られて重傷を負った。
そして血だらけで近くの診療所に行って治療をし、仲間とタクシーで帰る途中、警官に止められて逮捕されたのである。

「メーデー事件騒擾(そうじょう)罪」と呼ばれたこの裁判の被告は約250人だった(逮捕者は数千人いたと思うが、そのうち約250人が起訴された)。
我々は足立区の小菅にある東京拘置所(田中角栄元首相も入ったところ)に送られ、八ヶ月から一年拘留された。
保釈が許されたのはそのあとで、私の保釈は翌年一月中旬、九ヶ月近く拘留されたことになる。
裁判はすごく長く続き、一審判決が出たのは17年後のことだ。

起訴と同時に私は農林省を休職となり、給与は当時の月給の6割(約一万円)、ボーナスなし、昇給なしとなった。
この休職は16年続いた(判決の一年前に復職させてくれた)。
でも農業技術研究所の昆虫科が私が研究室に出入りして研究するのを許し、釈放の翌年結婚した妻が養ってくれたので研究を続けられたのである。
第一審判決では騒擾罪は成立し、大部分の被告は有罪となったが、私は「証拠不十分」で無罪となった。
しかし1972年にあった第二審判決では騒擾罪そのものが否定され、全員無罪となり、しかも日本の大きな事件ではあり得なかったことなのだが、検察庁が控訴を放棄したので、無罪は最高裁に行かずに確定し、これでメーデー事件は労働者・学生が起こした騒擾ではなく、警官の暴力的弾圧で起きたものであることが確定したのである。

メーデー事件裁判で私が一審無罪になって間もなく、当時大阪市立大学におられた植物生態学者の吉良竜男さんが私を動物生態の教師に推薦してくださり、教授会で可決された。
ところが大阪市長が(実質的には大阪市の官僚上層部だろうが)
「無罪といっても証拠不十分の無罪じゃないか。そんな人間を採る必要はない」
と言い出し、最後は
「他の教員より7号棒低い給与でよければ採用して良い」
と言い出すという事件が起こった。
私は採用を断り、裁判で若いうちにできなかった国費による外国「留学」をした。
「大学に行けるなんて良い機会だ。断るな」
という友人も多かった。
もし行っていたら、早く教授になり、生態学会でもっと重要な役をしていたろう。
しかし断って農林省にいたので、巨額の予算を使った不妊中放飼によるウリミバエ根絶事業の中心者になれ、日本「復帰」直後の沖縄で暮らすことができた。
このほうが私らしくてよかったかな、と思っている。
なお、先に官僚の悪口を書いたが、元「休職者」の私に農林省の歴史上最大の予算をくれてウリミバエの仕事をさせた人たちなどもいた。
こういう勇気あるノン・キャリアの人たちのことも8、9章に書く。
受験(お受験!)が少年・少女の最大の課題となってしまった今日、そして大学を出ても父は企業の単なるひとこまであり、残業、接待、単身赴任で子供と食事もできぬ生活が待っている今日、こういう変わった経歴の人間がどうやって「研究」で生活してこられたかを書いてみたい。

警察のでっち上げ逮捕あり、

仕事休職16年間、さらに

キャリアからのいやがらせ、出世・仕事妨害って

凄すぎる。


書籍名は『楽しき挑戦』じゃなくて

普通は『恨みはらさでおくべきかエリートども

だろう。

世を拗ねて暗い目でジメッとしても

誰も責めることできないすよ。


そんな狭い了見の人じゃないのだね。

「人を呪わば穴二つ」を無意識にでも

ご存知なお方なんだろね。


キャリアたちの悪さってなんだろう。

なんとなく想像つくような。

最近だと赤木ファイルみたいなのかね。

あれは財務省だったけど

許せないとしか言いようがない。


話もどって、伊藤さんの素敵な所って

ご自分の研究の成果というか

仕事とか着想の凄さとかで

諸々の悪条件の中でも

跳ね除ける様が淡々と書かれてて痛快。

これが本物の研究者、というような。


昆虫の研究とか沖縄の食糧を荒らす

ウリミバエ根絶への傾注、

枯葉剤への環境・健康被害、

イデオロギーと研究との相関っぷりなど

多くのページを割かれておられる。

自分は残念ながらそこら辺りには

実はあまり関心は薄いのだけど

伊藤さんスピリットというか反骨精神が

チラチラみえてて興味深い。

以下のエピソードからも巨人の片鱗が伺える。


2章 昆虫好きになるまでの道

終戦後 から抜粋

酒と煙草を試したのは13歳の時だ。
酒はとてもおいしくて「一生飲もう」と思ったが、煙草はまずくてやめにした。
実はこの時代には
「男は煙草を吸うのが当たりまえ」
という空気があり、中学生は嫌なのをこらえても煙草を「習った」ものだったが、私はその頃から無理に人と一緒に行動することが嫌い
「まずいものは習ってまで飲まない」
と決めたのだ。
その後今に至るまで酒は飲み続けているが、喫煙はしたことがない。

第五章の生態学者の今西錦司さんとの

邂逅も興味深い。

20歳だった伊藤先生が(今西さんは40代後半)

会いたいと手紙を書いたら

すぐに会っていただけて

「君の仕事には数学が必要だろう」って

研究を支えてくれる凄腕達まで紹介いただき

没頭されていた「アブラムシの増殖と移動」

から研究の幅と厚みを広げてゆくという話も

面白かった。

その後、世界各地を回りながら

他国人種との交流で仕事の質を

上げていかれるご様子も素晴らしい。


研究者とか学者っていいなって思うのは

成果だけで評価されつながっている様で

本来それが本当の仕事だと思うのだけどね。

学者には学者の苦労があるのは

養老先生が語ってらしたけど。

僭越ながらそれは現代なら

どこでもつきものかと存じます。

いずれにせよ、一つ言えることは

肩書きや地位とか場所に安住しての

仕事や権威とかって、忖度だらけで

魅力ないと自分なぞかねがね思う質でして。


共産主義・社会生物学・9・11

あとがきにかえて から抜粋

共産主義をあきらめたのは1980年代である。
「社会生物学」を勉強するなかで、人間の心理は教育、文化だけの所産ではなく、霊長類時代を通じて進化の中で得てきた性向も少なからず(といってもウィルソンが考えたほど多くはないと思うが)残留していると考えるようになり、レーニンが想像した、
『経済的利益のためでなく「喜び」のために人々が働く社会』
はあり得ないと思うようになったのである。
思想の転換には10年くらいかかったろう。
沖縄大学での講義用に作った
『生態学と社会 経済・社会系学生のための生態学入門』
のなかに、私はこう書いた。

「問題はわれわれがどれだけ動物的遺伝を保持しているのかをまだ知らぬことだが、もしそれが意外に大きいとしても、またそのなかに人間の平等・自由の観点から見て好ましくないものがあるとしても、だからと言って真実を知ることを妨げてはならないと思う。
…日本の親子二代続く政治家・経営者の多さはもとより、共産主義国にも、本来あり得ない、血統王制としか見えぬ政治が登場したりするのを見ると、私は人間も多分に動物的過去を持っていると思う。
しかし、だからといってこれを肯定するのではなく、それを認識することによって抑制するための法制・教育・文化的方法を整備することもできよう。
社会主義国の失敗のもともとの原因は、マルクスら革命理論化における人間の善意への過度の信頼にあったのかもしれない」

私のこの思想変化は、今の資本主義世界のあり方を承認することでも、日本の政治のあり方を是認することでもない。
私はジョージ・ブッシュはアメリカ史上最悪の大統領だと思う。

9・11テロにアメリカ国民の怒りが沸き立っている中で、彼はアフガニスタン侵攻に踏み切っただけでなく、彼がテロの指揮者とみなしたビン・ラディンと直接の関係が証明されてもいないイラクを攻撃する計画を立案させ(この本が出るまでに実行されないことを祈るのみである)、タリバーンの捕虜を戦時捕虜としても一般犯罪者としても扱わずキューバ基地内に幽閉し、爆撃でたくさんのアフガニスタン市民が死んでもごく最近あった結婚式場攻撃まではそれを認めることもせず、そしてかつてはアメリカ政府も表向き批判したであろうイスラエル軍によるパレスチナ自治区への乱暴な攻撃を認めているのだ。

で述べたように、
『今回の自爆テロは「文明の衝突」などではなく、「テロ国家の親玉」アメリカに対する別のテロ集団の挑戦』
なのである。
チョムスキー同様、私はテロには反対だ。
イスラエルに対するパレスチナ過激派テロも。
そこで死ぬ大部分の人は軍人ではなく一般市民、特に女・子供だから。
しかしイスラエルがしていることもまさにテロである。
国がしたらテロといわないのか?

本来なら、日本こそがアフガニスタンにもっと良い介入ができたのだった。
なぜなら日本は世界唯一の、一度も中東諸国を攻めたことのない大国だからだ(日本が日露戦争でロシアに勝った時、
「アジア人も白人に勝てるのだ」
と、トルコなどで喜びの声が湧き上がったという。私は農研にいた頃トルコからきた人にこれが事実であることを聞いた)。
しかし小泉首相は100%アメリカを支持し、国防以外の仕事はできないはずの自衛隊、そして重装備のイージス艦の海外派遣までした。
ドイツやフランスがタリバーン攻撃を支持しつつもアメリカのイラク攻撃計画を批判し、国連安保理でのフランス代表の演説には傍聴席をうずめた各国代表が総立ちで拍手をしたというのに、日本だけが何一つ批判をせず、露骨にアメリカを助けている。
なんと情けない政府であろうか。
私は『非戦』を編纂した坂本龍一さん、巻頭に「私はブッシュの敵である」を入れた
単独発言99年の反動からアフガン報復戦争まで』を出された辺見庸さんの勇気を讃えたい。
今世界の、そして日本の青年がすごく危険な状況下にあるのだ。

資本主義への一定のコントロールを含む政治・経済と、アメリカ一国による世界経済支配をやめさせる方向の探索なしには、未来はないと思うが、70歳をだいぶすぎた有名人でもない人間にできることなどほとんどない。
「生態学しかやってこないで経済も政治も勉強したこともないのに何をいうか、大体本の中身とろくに関係ないじゃないか」
といわれることを覚悟して、この文章をあとがきのかわりとしたい。

伊藤嘉昭さんは、2015年に85歳で

亡くなっておられる。


稀有な伊藤さんの精神性は

多くの学者に研究結果と共に

遺伝子の如く継承されているよう思う。


遺言のようにも響いてしまう渾身の

「あとがき」には戦争体験者にしか

語れない言葉でもあり、しびれます。


その後伊藤さんのいない世の中は、

グローバリゼーションの強化、

日本でのオリンピック開催、

アジア発世界的なコロナ感染、

ロシア・ウクライナ戦争、となり

伊藤さんがもし今いたらなんというだろうかと

興味深いのだけど。


余談だけど農林省については

戦前まで遡ること

三島由紀夫さんのお父さんも

勤めておられ大蔵省に常に

見下げられての処遇ゆえ

屈辱を味わっていて

日頃の鬱憤を晴らすべく

英才教育で三島由紀夫さんを育て

大蔵省に入省させたが

三島氏1年で辞めて作家になったのは

有名な周知の事実。


故石原慎太郎氏曰く

「大蔵省の役人なら代わりはいるが、

小説家三島由紀夫の代わりはいない」と

記していた記憶がある。


その流れでいくと

伊藤先生も「余人を以ては代えがたい」

仕事をされていたのだろうな。

それゆえなのか、もともとなのか

わかりかねるけれども

お人柄は前人未到で規格外な

魅力ある男性だったことは

想像に難くない。


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ドーキンス博士が教える「世界の秘密」 :リチャード・ドーキンス著・大田直子訳 [’23年以前の”新旧の価値観”]


ドーキンス博士が教える「世界の秘密」

ドーキンス博士が教える「世界の秘密」

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2012/12/19
  • メディア: 大型本

リチャード・ドーキンス氏が


子ども向けに書かれた


絵本のあしらいの科学本。


1 What’s Reality? What’s magic?


何が現実で、何がマジックなのか?


から抜粋


現実とは、この世にあるすべてのもの。

単純明快に思える?

でも実はちがう。

いろいろと問題がある。

恐竜はどうだろう?

かつて地球にいたが、今はもういない。

星はどうなのか?

あまりにも遠いので、その光がこちらに届いて私たちに見えたときには、もう消えてしまっているかもしれない。


しかしそれにしても、そもそも私たちは今現在ものが存在することをどうやって知るのだろう?

なるほど、私たちは五感ーー視覚・嗅覚・触覚・聴覚・味覚ーーのとても上手な働きのおかげで、いろいろなものが現実だと確信している。

岩もラクダも、刈ったばかりの草も挽きたてのコーヒーも、紙やすりもビロードも、滝も呼び鈴も、砂糖も塩も、みな現実だ。

しかし、私たちが何かを「現実」と呼ぶのは、五感のどれかで直接感じ取った場合だけなのだろうか?

遠すぎて裸眼では見えない、はるかかなたの銀河はどうだろう?

強力な顕微鏡なしには見ることができない、ごく小さな細菌はどうだろう?

見えないから存在しないと言うべきなのか?

そんなことはない。


モデルーー想像を検証する


から抜粋


何が現実かを五感で直接確かめられないとき、それを解明するために科学者が用いる、あまり知られていない方法がある。

起こっている可能性のあることを「モデル」にして、それを検証するのだ。

まず、何があり得るかを想像するーー見当をつけると言ってもいい。

それがモデルと呼ばれるものだ。

そのあと、もしモデルが正しければ、何が(たいてい測定器の助けを借りて)見えるかどうかをチェックする。

モデルは木製かプラスチック製の模型でもいいし、紙に書かれた

計算式、またはコンピュータによるシミュレーションの場合もある。


例をあげてみよう。

現在、遺伝子ーー遺伝の単位ーーはDNAというものでできていることが知られている。

DNAとその働き方について、さまざまなことが知られている。

しかし、DNAがどんなふうに見えるのか、強力な顕微鏡を持ってしても細かいところは見えない。

DNAについて知られていることのほとんどが、モデルを考え出してそれを試すことによって、間接的にわかったことだ。

実をいうと、DNAのことが話題になるずっと前からすでに、科学者はモデルの予測を検証することによって、遺伝子についてさまざまなことを知っていた。

19世紀、グレゴール・メンデルというオーストラリアの修道士が、修道院の庭でたくさんのエンドウ豆を栽培して、実験を行った。

咲く花の色や、マメがしわしわかつるつるかを、何世代にもわたって調べたのだ。

メンデルは遺伝子を見ることも触ることもなかった。

彼が見たのはマメと花だけであり、目を使ってさまざまなタイプを数えることができた。

メンデルは、現在私たちが遺伝子と呼ぶもの(メンデルはそう呼んでいないが)を取り入れたモデルを考え出し、自分のモデルが正しければ、ある交配実験でつるつるのマメがしわしわのマメの3倍になるはずだと計算した。

そして数えてみるとその通りであることがわかった。


なぜ、メンデルは修道士でありながら


研究してたのか、余計な詮索したくなる。


それは置いておいてすごくわかりやすい。


かつ以下で、重要ポイントも示唆される。


ここで大事なのは、メンデルの「遺伝子」は彼の想像力がつくりあげたものだったことだ。

目ではもちろん、顕微鏡を使っても、それを見ることは出来なかった。

しかし彼はつるつるのマメとしわしわのマメを見ることができて、それを数えることによって、自分の遺伝子モデルが現実世界をみごとに表しているという間接証拠を発見したのだ。

のちに科学者たちは、マメの代わりにショウジョウバエなどの他の生き物を研究し、メンデルの手法の改良版を用いて、遺伝子は染色体と呼ばれる細い糸状のもの(染色体はヒトに46本、ショウジョウバエに8本ある)に沿って一定の順序で並べられていることを明らかにした。

モデルを検証することによって、遺伝子が染色体に沿って配列されている順序を正確に解き明かすこともできた。

ここまですべて、遺伝子がDNAで出来ていることが知られるずっと前の話だ。


今やそのことは知られている。

そしてDNAが具体的にどう働くかも、ジェイムズ・ワトソンフランシス・クリック、さらにそのあと現れた大勢の科学者のおかげでわかっている。

ワトソンとクリックは、自分の目でDNAを見ることはできなかった。

またしても、モデルを想像して検証することにより、発見をなしとげたのだ。

彼らの場合、DNAがどんなふうに見えるかそっくり示す模型を金属ボール紙でつくり、その模型が正しかった場合、測定値がどうなるはずかを計算した。

二重らせんモデルと呼ばれるそのモデルによる予測は、ロザリンド・フランクリンモーリス・ウィルキンスが精製DNAの結晶にX線を照射する特殊な装置を使って測定した値と、ぴったり一致した。

ワトソンとクリックはすぐに、自分たちのDNA構造のモデルはメンデルが修道院の庭で目にしたような結果をきっちり出すことに気づいた。


科学と超自然現象ーーー説明と説明にならないもの


から抜粋


以上が現実というものであり、何かが現実かどうかを知る方法だ。

この本の各章で、現実の側面を一つづつ取り上げていくーーーたとえば、太陽、地震、虹、さまざまな動物、といった具合にだ。

ここで、この本のタイトル(訳注 本書の原題はThe magic of reality『現実のマジック』)に入っているもう一つのキーワード、マジックに目を向けたい。

マジックとはあいまいな言葉だ。

三通りの意味でよく使われるので、まずそれを区別しておく必要がある。

私は第一の意味を「超自然のマジック」、

第二を「ステージ・マジック」、

第三を「詩的なマジック」(私の一番好きな意味であり、本のタイトルにはこの意味で使っている)と呼ぶ。


超自然のマジックは、神話やおとぎ話に出てくるような魔法だ。

アラジンのランプや、魔女の呪文や、グリム兄弟や、ハンス・クリスチャン・アンデルセンや、J・K・ローリングの魔法。


一方、ステージマジックは本当に起こるし、とても楽しい。

観衆が考えていることとはちがっても、少なくとも何かが実際に起こる。

 

死者と交信できると主張して、悲しみにくれている人につけ込むペテン師もいる。

それはもう娯楽やショーではなく、だまされやすい人や苦悩する人を食いものにしているのだ。

公平のためにいうと、そういう人の全員がペテン師ではないかもしれない。

自分は死者と話していると、心から信じている人もいるかもしれない。


マジックの三番目の意味は、私がこの本のタイトルに使っている意味、つまり詩的なマジックだ。

この意味のマジックは、とても感動的で刺激的だということ、ぞくぞくするようなもの、自分が十分に生きていると感じさせてくれるものを指す。

私がこの本で示したいのは、現実ーー科学的手法によって理解される現実世界の事実ーーは第三の意味で、生きるとはすばらしいという意味で、マジックだということだ。


さてここで超自然現象という考えに戻って、それが周囲の世界や宇宙に見えるものの真の説明にはなり得ない理由を明らかにしたい。

実際、何かを超自然現象として説明することは、まったく説明になっていないうえに、下手をすると、それが説明される可能性をも消し去ることになる。

なぜこんなことを言うのかって?

なぜなら、「超自然」のものはすべて、その名の示す通り、自然の法則による説明がおよばないはずだからだ。

科学の力も、きちんと確立されて十分に試された科学的手法の力も、およばないはずである。

この400年ほど私たちの知識が大幅な進歩をとげてきたのは、そのような科学的手法のおかげなのだ。

何かが「超自然的に起こった」と言うのは、単に「私たちはそれを理解していない」と言っているのではなく、「私たちには絶対に理解出来ないのだから、努力は一切無用だ」と言っていることになる。


科学のアプローチは正反対だ。科学はすべてをーーー今のところーーー説明できないからこそ進歩する。説明できない無力さが刺激になって、疑問点を追求し続け、ありえるモデルをつくって検証することで、少しづつ真実に近づいていく。現実に対する理解に反することが起こった場合、科学者たちはそれを現在のモデルに突きつけられた挑戦ととらえ、そのモデルを捨てるか、少なくとも変える必要があると考える。

そのように調整し、続けて検証することによって、私たちは真実にだんだん近づいていく。


訳者あとがき


太田直子 2012年11月


から抜粋


あれほど科学の最先端を行っているアメリカでさえ、天地も人間も神が創造したと信じる人がかなりの割合いて、学校で進化論を教えるかどうかが論争にまでなるそうです。

そんな社会で子どもたちが無条件に信仰を刷り込まれることに、ドーキンスは危機感を覚えています。


ともあれ、この本からは科学の楽しさが十分に伝わってきます。


イラストもかなり凝ってて


全ページカラーで大判本、


これは楽しいかもしれない。


それにしてもドーキンスさん、


子ども向けなので簡素な言葉だけど


相変わらずな両断っぷり。


未知の領域が明らかになって


しまうじゃないですか!


ってドーキンス氏にとっては


そういうのはないんだよ


科学で説明つくの!って感じ


なのだろうね。


でもねえ…それはねえ…


ほどほどがいいんじゃないですかねえ。


とアジア人の感覚からするとなんだけど。


訳者さんのあとがきを読むと欧米での


宗教の刷り込み具合が


深刻な何かになっているのがわかるので


私とドーキンスさんの


このギャップ感は埋めようがないですけど。


でもなんか気になるし、


興味が尽きないのだよなあ。


遺伝子レベルで繋がっているのか。


いや、そんなわけねえだろ。


今日は夜勤だから準備しないと。


余談だけど、今Spotifyからランダムで


流れてきた曲が


これだったよ。素晴らしい。


これぞ超自然現象だなあ


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利己的遺伝子の小革命:1970-90年代 日本生態学事情:岸由二著(2019年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


利己的遺伝子の小革命:1970-90年代 日本生態学事情

利己的遺伝子の小革命:1970-90年代 日本生態学事情

  • 作者: 岸 由二
  • 出版社/メーカー: 八坂書房
  • 発売日: 2019/11/09
  • メディア: 単行本

岸先生(進化生態学者・市民活動家)の


若き日の論文・随筆を纏めた書籍。


日本の生態学の始祖とも呼ばれる


今西錦司さんへの愛が横溢する


随筆も素敵だったのだけど


どのような書籍を読まれてきたかが


興味深くチェックしてしまいました。


 


IV ブックガイド


ナチュラル・ヒストリーと現代進化論


から抜粋


欧米の大方のアカデミックなナチュラルヒストリーは、すでに長きにわたってダーウィニズム(『種の起源』は岩波文庫他で読める)を理論的背景としており、ユダヤ・キリスト教文化の中で、「科学的」な由来物語を語る羽目になったダーウィニズムの文化的な緊張感を、さまざまな形で反映させている。

欧米において、たかがケモノや鳥や化石を語るナチュラルヒストリーの分野が、出版や放送を介して高い社会的ステータスを享受しているように見えるのも、突き詰めればそんな緊張感のゆえではないかと思える。


翻って日本のナチュラルヒストリーを見渡すと、一見したところさしたる文化的緊張感は感じられない。

伝統的には物好きと貴族の趣味という受け止められ方さえ強いのである。

しかし、1970年代以降、日本の読書界でも文科系の識者が動物行動学などの成果を援用して頻繁に人間を語るのが流行った時代があった。

その流行のなかでは、ナチュラリストの仕事が日本でもそこそこに大げさな議論の対象になってきたのである。


攻撃』(みすず書房)、『ソロモンの指輪』(早川書房)、『行動は進化するか』(講談社)、最近では『人間性の解体』(思索者)等の著者であり、1937年にノーベル賞を受賞したコンラート・ローレンツ博士、そして日本のサル学を創始して1979年に文化勲章を受賞し、今は自然学(『自然学の提唱』講談社学術文庫)を掲げる今西錦司博士は、この流行の中にあってとりわけ大きな権威であった。

ローレンツ博士の論調は、個体の位置を厳密には検討せず、個体に対する種の優位を漠然と主張してしまうやや古風なダーウィニズムに依拠していた。

いっぽう今西博士は、『私の進化論』(思索社)、『ダーウィン論』(中公新書)、『主体性の進化論』(中公新書)などの一連の著書で種社会概念を鍵とする全体論的な進化論(いわゆる今西進化論)を宣言しており、反ダーウィニズムの故をもって一部の文化人の間でとりわけ大きな期待を寄せられていた。

遺伝子概念や個体の存在に律儀に重視する現代進化論の実績とは少々、あるいは徹底的に隔絶したこれらの議論は、ある時にはマルクス主義の教養の中にあると思われる知識人にさえ高く評価され(例えば『偶然と必然』鈴木茂(有斐閣)が興味深い)、一方では土岐の首相の「知的水準」演説が今西進化論をグロテスクに援用して国家論をぶちあげる、などということもあったのである。

ローレンツや今西博士のナチュラルヒストリーは、この時代、明らかに単なる自然愛好の領域をはるかに超えた仕事を日本で果たしかけていた。


しかし、そのような矢先、ローレンツや今西進化論の大きな権威は、少なくともアカデミズムの領域内で大幅に衰滅してしまったのである。

1970年代の半ば、欧米のナチュラルヒストリーの分野に社会生物学(ソシオバイオロジー)あるいは行動生態学と呼ばれるアプローチが台頭し、80年代に入って日本のナチュラリストたちの間に一気に浸透してしまった。

これが最大の原因だ。


生物=生存機械論』(R・ドーキンス、紀伊国屋書店)、『行動生態学を学ぶ人のために』(J・クレブス・N.デイビス、蒼樹書房)、『動物の社会』(伊藤嘉昭、東海大学出版会)などというテキスト類を一瞥すれば明らかなように、社会生物学や行動生態学と呼ばれる分野は、現代進化論の自然選択論を使って生物の適応性を解明しようとする徹底的にダーウィン主義的なナチュラルヒストリーである。

そのアプローチは、種や抽象適応的な挙動を基準にした従来のナチュラリストの生物論の一部を、個体の適応的な挙動を基準にした細かい分析に一気に変換してしまった。

厳密にいえばこのアプローチは、原理的な個体主義というわけではなく、エッセンシャリズムへの転落を嫌う集団論の一つの表現方法に過ぎないのだが、個体や遺伝子の視点を実体化する傾向が強烈である(『延長された表現型』R・ドーキンス、紀伊国屋書店)。

しかしあえてそんな理論で割り切ってしまうと、動物たちが示す利他行動や敵対行動、協調行動、」親子関係、さまざまな集団構造などが、そこそこに説得的に解釈できてしまうように見えるから、不思議で面白いのである。


転換後のダーウィニズム的なナチュラルヒストリーは、もちろん対応する人間論を引き連れてきた。

翻訳だけでも類書は多いが、たとえば『人間の本性について』(E・O・ウィルソン、思索社)、『ダーウィニズムと人間の諸問題』(アレグザンダー、思索社)、『社会生物学論争』(ブロイアー、どうぶつ社)などを参照すれば、とりあえず概要をつかむことができる。

思弁的な人間論議をこえない試論の束のようなジャンルだが、欧米ではこれら一連の人間論が激しい論議の種となり、1970年代半ばから10年あまりも論争(社会生物学論争)が続いたのだった。

80年以降の日本のナチュラリストのこの領域での動向は、当然のことながらそこそこに冷静で、安易な通俗化を推進して人間論を極端に卑俗化する傾向はいままでのところ僅かである。 

最近の例外は竹内久美子著『浮気人類進化論』(晶文社)だが、これはあまり無茶くちゃで、さしあたりはかえって罪はない。

続編はないと信じたいが…。


日本のナチュラリストのこの度の大転換は、長い目で見れば日本の社会・文化の中で現代ダーウィニズムの自然像がどのような位置や機能を発揮してゆくか、という問題に実は繋がっている。

今西進化論の粗雑な哲学が、実は国家論にさえ絡んで人気を博したらしい社会の中で、私たちはこれから、はるかに複雑で誤用されれば被害も大きい現代進化論を、賢く扱っていかなければならないのである。

進化論を愉しむ本』、『生物の進化最近の話題』(J・チャーファス、培風館)、『近代進化論の成り立ち』(松永俊男、創元社)、『進化思想の歴史』(P・ボツラー、朝日選書)、『ダーウィン以来』、『パンダの親指』(S・グールド、早川書房)など、風景を知るのに有用な本の手助けはこの際みんなお借りしておきたいし、池田清彦の『構造生物学とはなにか』(海鳴社)のような別の生物学の試みにも、たとえ期待はしなくても、一応の目配りはしておいてよいのかもしれない。


おしまいに、岩波新書の最近の新刊『生物進化を考える』(木村資生)に特に触れておかなくてはならない。

本書は、分子進化の中立説を提唱する世界的な集団遺伝学者によって日本語でかかれた現代進化論の画期的な入門書であり、丁寧に読めば現代ダーウィニズムの広さと複雑さが実によくわかる。

しかし、この名著には、同時にダーウィニズムの鬼門である優生論議が唐突な形で登場して心配性の私たちを戸惑わせる。

今西進化論が際どい日本論の神学モドキになるのが困りものであったと同じように、現代ダーウィニズムが際どい優生論の神学にされるのも困る。

鈴木善次著『日本の優生学』(三共出版)などを脇に置き、歴史的な風景の中に木村理論を置いておかなければならない。


なんだか深いけれど、よくわからない。


ここに挙げられている書籍を読んだ上で


またこちらを読むと印象違って


さらに深く進化論を感じることができるかも。


でもまだ読んでない本は山のように


積んであるんですけど…。


 


自然


ブックガイド10


から抜粋


生物の多様性の解明を主題とするのは進化論や生態学の分野である。

しかし、その分野の日本の状況にいくらか通じている読者なら、中心的な話題がどこか生きものの世界からずれていることに気づくはずだ。

たとえば利己的遺伝子論のブームがある。

そこでは専門家でも扱い難いはずの理論枠が、どうやら恋愛論や人事分析のマニュアルのように、あるいは読者の心理分析の原理のようなものとして読まれ始めた。

日本の独創的なナチュラリスト、今西錦司さんが亡くなって、今西進化論もまた話題になる。

しかしその進化論も、生きものの世界の多様性との問題ではなく、ダーウィニズムとの対決や、極めて抽象的な自然観の領域の問題として話題になる。

もう数十年もそうだった。

理論は生きた現実の世界に道を開くのではなく、逆に生きた多様性の領域から架空の遺伝子へ、あるいは全体論的自然観へ、そして読者の心理分析へ、いとも簡単に退行する。

持続的開発あるいは持続的社会を旗印にかかげる地球環境問題にも似たような単純化を感じる。


一般論から地球に広がる中間領域の多様な姿がどうしてこれほど見えにくいのか。

現実の多様性への関心が退けば、地球的に考え地域で行動するという標語も、やがては高層ビルの一角の、テレビ画面を前にした果てしないおしゃべりに退行してゆくかもしれないと思う。

私たちの視野を、遺伝子や、自然観や、地球の映像ばかりに単純化してはいけない。

さまざまな風景画あり、生きものたちの賑わいのある具体的な光景に、しっかり繋ぎ止めておかなければいけない。

遺伝子も、自然観も、地球の映像も視野に入れつつ、しかし焦点はいつも地上の多様性に戻れるような、そんな視野を育てる回路をさまざまな領域で工夫しなければならない。

そんな思いで、図書を紹介する。


①『利己的な遺伝子』リチャード・ドーキンス著

 

初版が『生物=生存機械論』(1980)として邦訳されたとき、本書は日本のナチュラリストたちの自然淘汰を大いに励ますものだった。

「自然淘汰の産物である個体は、遺伝子コピー率を高めるのに都合の良い性質や振る舞いをするようプログラムされているはず」というドーキンスの発想法は、さまざまな生物の、さまざまな生き方の解明に、大きな啓発となった。

しかし、それから11年目、『利己的な遺伝子』の題で翻訳された第二版の周辺は異様な軽さだ。

生きものの世界ではなく、人事を面白おかしく思弁する道具として、公然と誤用・悪用する便乗家たちに囲まれてしまったからだ。

中原英臣・佐川峻・竹内久美子などという著名者の並ぶ書籍の類は、世界の多様性の探求に関心はなく、どれもこれも利己的遺伝子を、意志のある霊(神?)のように扱って読者を撹乱する。


ドーキンスはおもしろい。

しかし彼のいう「利己的遺伝子」は相対増殖率の高い遺伝子の非数学的譬喩(ひゆ)に過ぎない。

霊感不要な読者は、利己的遺伝子から恋愛論ではなく、たとえば週刊朝日百科『動物たちの地球』でこの世に繋がることだろう。


②『嵐のなかのハリネズミ』スティーブン・J.グールド著

 

グールドは驚くべき博識で進化生物学の良識を防衛するハーバードの古生物学者だ。


特に重要なのは第一部「進化理論」。

ドーキンスの利己的遺伝子説に代表される社会生物学の適応論に徹底的な批判を加え、人間特有の行動に関する憶測に富んだ遺伝論議を売りものにする社会生物学はたわごととし断定しきる論議は、利己的遺伝子流恋愛などと併読して、大いに啓発的な主張である。


③『自然学の提唱』今西錦司著 1986年

 

山岳を愛し、サル学を育て、すみわけ論の枠組みを作った今西錦司さんは、晩年、進化論に没頭した。


自然の多様さの卓抜な観察者だった今西さんが、多様性を把握する名人としてではなく、種社会の疑似宗教的な観念の主唱者として記憶されるのは皮肉である。

本書の今西錦司さんの論調の向こうに、日本的ショウビニズムが見えるか、生きものの賑わう自然が見えるか。

読者自身が試される。


④『生物進化を考える』木村資生著 1988年

 

「進化論には昔から泥沼的な面があり、若い読者がそれにはまらぬよう、ガイドとしての役割も本書が果たしてくれるよう念願している」。

そんな前書付きの本書は、今日本語で読める最も安価で最も正統的なダーウィニズムのテキストだ。

なお、進化論の泥沼と、それらを巡る批評の現場は『最新・大進化論』(1992年、学研Mook)、『進化論を愉しむ本』(1991年、JICC)などがおもしろい。

多様性の由来を解明する科学という観点から楽しく明快な現代進化論のテキストを作る仕事は、なお果たされてはいない。


⑤『講座進化2・進化思想と社会』柴谷篤弘・長野敬・養老孟司編 1991年

 

自然の多様性の解明という進化生物学本来の職能がまったく見えなくなる泥沼は、実は進化論の日常なのかもしれないのだ。

そんな日常を、多くの読者が見破るようになれば、進化生物学や生態学は、もちろん多様性への回路を開く。

本書にはそんな泥沼から抜け出すための科学社会学的なヒントがある。


⑥『地球白書1992~93』レスター・ブラウン編著 1992年

 

地球環境の危機に関する基礎的な情報を、毎年、極めてユニークな切り口から集約し、政策提言としても有効な発言を続けてきた報告で、今や地球環境に関する唯一の正解共通テキストになった。

持続可能な社会へ向けて、農業を大切にし、軍縮も訴え、石油多消費や原発増設を厳しく批判する姿勢に好感が持てる。


⑦『徹底討論 地球環境―環境ジャーナリストの「現場」から:

石弘之、原剛、岡島成行著 1992年

 

環境問題の動向にジャーナリズムが与える役割は極めて大きなものがある。

つきあい記者のおざなり報道でなく、インセンティブの鮮明な記者による報道は、本当に重要なものだ。

 

環境問題の現場の多彩な次元が見えて来る、稀な本だ。


⑧『環境倫理学のすすめ』加藤尚武著 1991年

 

1970年代のアメリカを中心に環境倫理学と呼ばれる分野が盛況を見せ、膨大な仕事が蓄積された。

本書はその成果を要約し、そこから地球環境問題の基本構造を展望しようという本格的な仕事である。


⑨『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン著

 

1962年に原著の出版された『沈黙の春』は化学薬剤の散布によって撹乱される生物界の様相を深い共感で描き、環境政策にまで大きな影響を及ぼした不朽の名著だ。

この小冊子はそのカーソンの遺稿である。

観念ではなく、畏怖と安らぎで、メインの森や海の生きものたちや潮風と繋がっていた、素敵なナチュラリストの、静かなメッセージだ。


⑩『全・東京湾』中村征夫著 1987年

 

私たちのイメージは、実に容易に現実の自然と乖離する。

単純な言葉がそんな遮蔽効果を示して愕然とするのは、たとえば東京湾、ウォーターフロントの場合である。

私たちが心配し、保全しなければならない東京湾は、まさにそんな東京湾であることを、中村征夫がみごとに発見した。

ウォータフロントという観念の向こうに消えていた東京湾は、実は利己的遺伝子論や今西進化論の向こうに見えなくなった生きものたちの賑わいであり、地球全体主義の命名の向こうで単なる青い玉になってしまうかもしれない地球であり、その他、たくさんの隠蔽されてしまう自然であると、私は思う。


あとがき 2019年9月20日


「付記」から抜粋


1990年以降、私が、生態学、魚類学などの学術活動から全撤退した経緯については、市民活動への転換というわたくし個人の希望という事情だけでなく、進化生物学・社会生物学にかかわるわたくしの活動を強く批判し、妨害し続けた政治系列の研究者たちからの圧力もあった。

一昨年、ひょんなことから、その経緯の一端を率直に記録し、伊藤嘉昭さんを追悼する著書の一章として公刊する機会があった。

関心のある皆様には、参照いただけると幸いである。


生態学者・伊藤嘉昭伝』辻和希編(2017年)所収

「嘉昭さん応答せよ」岸由二


なかなかないですよ、この書籍は。


読んでみたいのですが。


 


岸さんは面白いと


一言で言うにはアレですが


養老先生言うようにもっと沢山


岸さんの言葉を読みたいと思った。


でもなかなか前に出るタイプではないのだろう。


それと、大衆・一般受けしない、


また、そういうのを自ら拒まれる


タイプの人なのだろう。


養老先生も実はそういう気がするけど


たまたまミリオンセラーを出された結果


平成で最も売れた作家みたいに言われるけど。


アウトサイダーな感じはものすごく感じる。


不器用な人で、世間の動向を


単純に受け入れられず


「なんかおかしいなこれ」と


思ってしまう人たちに


なぜかシンパシーを感じるのは、


自分もそういう要素が少なからず


あるからなのだろうなきっと。


なおかつ、天邪鬼な気質とでも言うのか。


それでも僭越ながら一様に


共通している点もあるような気がして


言葉にしづらいけど敢えてするなら


なんとか良い方に、世界、地球、宇宙が


向かうよう多様性ある、寛容である社会を


目指すとでもいうか…。


難しくなってきたのでここらで撤収。


胃カメラ、ヘアカット、整体、書店に行き


自己を整えた冬の休日に思う1日だった。


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魂に息づく科学:ドーキンスの反ポピュリズム宣言:リチャード・ドーキンス著、大田直子訳(2018年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


魂に息づく科学:ドーキンスの反ポピュリズム宣言

魂に息づく科学:ドーキンスの反ポピュリズム宣言

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2018/10/18
  • メディア: 単行本

ダーウィンとウォレスについては


いろいろ取り沙汰される事多いが


2001年時点では両遺族は友好な関係を


ドーキンスさんの橋渡しで結ばれたようで


ドーキンスさん、良い仕事しましたね。


 


第二部 無慈悲の誉(ほま)れ


「ダーウィンよりダーウィン主義的」


 ーーダーウィンとウォレスの論文(※)


から抜粋


ダーウィンとウォレスが別々に思いついたアイデアは、人類が思いついた最も偉大とは言わないまでも、とりわけ偉大なものだったと、私は言いました。

最後に、この考えを普遍的に展開したいと思います。

私は自分の最初の本の第1章を、このような文で始めました。


ある惑星で知的な生物が成熟したと言えるのは、その生物が自己の存在理由を初めて見出した時である。

もし宇宙の知的に優れた生物が地球を訪れたとしたら、彼らが私たち人間の文明度を測ろうとしてまず問うのは、私たちが「進化というものをすでに発見しているかどうか」ということであろう。

地球の生物は、三十億年もの間、自分たちがなぜ存在するのかを知ることもなく生き続けてきたが、ついにそのなかの一人が真実を理解し始めるに至った。

その人の名は、チャールズ・ダーウィンであった。

(『利己的な遺伝子』より、日高・岸・羽田・垂水訳)


「そのなかの二人」として、ウォレスの名前をダーウィンと対にしたほうが、ドラマチックではないが公正だったでしょう。

しかしいずれにしても、ここでは先に述べた、普遍的な見方をさらに展開させてください。


ダーウィンとウォレスの自然淘汰による進化の理論は、地球上の生命だけでなく生命一般の説明だ、と私は考えています。

宇宙のどこかで生命が発見されれば、細部がいかに異なっていても、私たち自身の生命形態と共通する重要な原理がひとつある、と私は予測します。

それはおそらく、ダーウィンとウォレスの自然淘汰のメカニズムにおおむね等しいメカニズムの指図のもとで、進化したものでしょう。


この点をどれだけ強く主張するべきか、まだあまりよくわかっていません。

私が完璧に自信を持っている弱いバージョンの主張は、自然淘汰以外には有力な説がこれまで提案されていない、というものです。

強い言い方をすれば、ほかに有力な説が提案されるわけがない、となります。

今日のところは、弱い言い方にしておこうと思います。

それでも意味するところは衝撃的です。


自然淘汰は、生命についてわかっていることすべてを説明するだけではありません。

力強く、エレガントに、無駄なく説明するのです。

いかにも度量のある理論、解決しようとしている問題の大きさにほんとうに見合う、度量のある理論です。


ダーウィンとウォレスは、この考えにうすうす気づいた最初の人物ではなかったかもしれません。

しかし問題が重要であり、二人が同時に別々に思いついた答えも同じくらい重要であることを、最初に理解した人物でした。

これは彼らの科学者としての度量の大きさです。

優先権の問題を解決した時の互いの寛容さは、彼らの人間としての度量の大きさです。


※=1858年、チャールズ・ダーウィンは、当時のマレー連合州から、ほとんど無名の博物学者で収集家のアルフレッド・ラッセル・ウォレスが書いた原稿を受け取って驚いた。

ウォレスの論文は自然淘汰による進化の理論、ダーウィンが初めて思いついたのは20年前にもなる理論を、非常に詳しく説明していた。

理由はいまも議論の的だが、ダーウィンは1844年に自分の説を完璧に仕上げていたにもかかわらず、それを発表していなかった。

ウォレスの手紙でダーウィンは一気に不安に突き落とされる。

彼は当初、自分は優先権をウォレスに譲るべきだと考えた。

しかし、友人でイギリス科学界の重鎮だった地質学者のチャールズ・ライエルと植物学者のジョセフ・フッカーが彼を説得して、一つの妥協案を提案した。

その結果、ウォレスの1858年の論文とダーウィンが先に書いていた二篇の論文が、ロンドンのリンネ教会で読み上げられ、それによってともに功績を認められることになった。

2001年、リンネ教会はまさしくその場所に、その歴史的出来事を記念する飾り額を掲げることにした。

私はその除幕式を行うように招待されたわけだが、これはその時に私がおこなったスピーチを少し短縮したものである。

ダーウィンとウォレス両方の家族とお会いし、初めて互いを互いに紹介できたのは喜ばしいことだった。


ダーウィンさん、発表が遅れた理由は


グラジュアリズムであったというのは


養老先生が指摘されていた。


上記エッセイはほっこり系だけど


他のはあいかわらず、やばいです。


ドーキンス先生節、炸裂。


執筆時期や内容から


トランプ政権・ブレグジットのエッセイが


タイムリーネタで売りのようだけど


自分としてはそれよりも


以下のエッセイが気になってしまった。


ここまでぶっちゃけた


言説を展開されて良いのか、と


いらぬお節介でございます。


 


第四部 マインドコントロール、災い、混乱


イエスを支持する無神論者


から抜粋


『目には目を、歯には歯を』

と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

しかし、わたしはあなたがたに言う。

悪人に手向かうな。

もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。

あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。

もし、だれかがあなたをしいて1マイル行かせようとするなら、その人と共に2マイル行きなさい。

求めるものには与え、借りようとするものを断るな。

『隣り人を愛し、敵を憎め』

と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

しかし、わたしはあなたがたに言う。

敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

(マタイによる福音書5章38~44節)


人情の優しさをミルクと表現するのはたんなるたとえであって、考えが甘いように聞こえるかもしれないが、私の友人のなかには、その人をそんなに親切に、そんなに無私無欲に、そんなに一見非ダーウィン主義的にしているものを、瓶に詰めたいような気がする人が男女ともに数人いる。

進化論者は人間の親切について説明づけることができる。

どうして遺伝子レベルの利己主義から動物個体どうしの利他行動と協力が生じうるのかを説明しようとする、「利己的な遺伝子」理論十八番(おはこ)の血縁淘汰と互恵行動の確立されたモデルを一般化すればいい。

私が話しているような人間の超親切は行きすぎである。

それは神経の誤射であり、親切についてのダーウィン主義的見解からの逸脱でさえある。

しかしそれは逸脱であっても、促して広める必要のある種類の逸脱なのである。


なぜ人間の超親切がダーウィン主義からの逸脱であるかというと、自然集団では自然淘汰によって排除されるからだ。

私のレシピのこの三番目の材料について詳しく述べるスペースはないのだが、経済学者が自己利益を最大にするよう計算されたものとして人間の行動を説明するときに用いるような、合理的選択理論からの明かな逸脱でもある。


もっと単刀直入に言おう。

合理的選択の観点からすると、あるいはダーウィン主義の観点からすると、人間の超親切はまったくのばかである。

しかし激励されるべき種類のばかであるーーそれがこの記事の目的なのだ。

どうすれば激励できるのだろう?


ところで、同じように愚かな考えが伝染病のように広まっていく例を、私たちは知らないだろうか?

知っている、神にかけて!

宗教だ。

宗教的信念は合理的でない。

宗教的信念はばかだ。

ただのばかでなく、超ばかだ。

宗教は本来分別のある人々を、禁欲主義の修道院に送り込み、ニューヨークの超高層ビルに突っ込ませる。


宗教は人々に自分自身の背中をむち打たせ、自分自身や自分の娘に火をつけさせ、自分の祖母を魔女だと糾弾させる。

それほど極端でないケースでも、毎週毎週、麻痺するほど退屈な儀式の間ずっと立ったりひざまづいたりさせる。

もし人々がそうした自傷的な愚かさに感染しうるなら、親切に感染させることなど造作もないはずだ。


宗教的信念は確実に伝染病のように広まり、さらにはっきりと代々伝わっていって長期的な伝統をつくりあげ、そこだけ合理性を欠く文化的飛び地(エンクレーブ)を促す。

なぜ人間は宗教と呼ばれる奇妙な行動をとるのか、たとえ私たちには理解できなくとも、それは紛れもない事実である。

宗教の存在は、人間が不合理な信念を熱心に受け入れて、それを伝統のなかで垂直に、なおかつ伝道によって水平にも、広めることの証拠である。

この感染しやすさ、不合理なものの感染に対するこの明らかな弱さを、純粋に善用することはできるのか?


人間には崇拝するロールモデルから学び、それをまねる強い傾向があるのはまちがいない。

条件がそろえば、疫学的な影響は目覚ましものになりうる。


キリスト教自体、そのようなテクニックに相当するものによって広まった。

最初の仕掛け人は聖パウロで、のちに牧師や伝道師に引き継がれ、組織的に改宗者の数を増やそうと試みられ、それが指数関数的成長になることもあった。

ならば、超親切な人の数を指数関数的に増やすことはできるのか?


私は最近エジンバラで、その美しい都市の元主教リチャード・ハロウェイと公開討論を行った。

ハロウェイ主教は、ほとんどのキリスト教徒がいまだに自分たちの宗教に重ね合わせている超自然主義から、明かに脱却していた(彼は自分自身をポスト・キリスト教徒、あるいは「回復期にあるキリスト教徒」と表現している)。

宗教的神話の姿勢に対する畏敬の念は失っていなくて、その念だけで教会に通い続けている。

そしてエジンバラでの討論の途中、彼が述べた意見が私の核心部にグサリと入ってきた。

彼は数学と宇宙論の世界から詩的神話を借りて、人間性を進化の「特異点(シンギュラリティ)」と表現したのだ。


表現は異なるものの、彼が意味したのはまさに私がこのエッセイで話していたことだった。(※)

超親切な人間の出現は、40億年にわたる進化史上かつてないものである。

ホモ・サピエンスという特異点のあと、進化は二度と同じにはなりそうもないように思える。


※=彼はシンギュラリティを、超人間主義の未来学者レイ・カーツワイルが用いた意味で使ったのではなく、物理学者の用法のまた違った隠喩的発展形を示していたのである。


後記

このエッセイはイエスが実在の人物だったという前提で書かれている。

彼は実在しなかったとする少数派の学派が歴史家のなかにいる。

彼らを支持する事実はたくさんある。

福音書はイエスが死んだとされてから数十年後に書かれたもので、書いたのは彼と会ったことがない無名の弟子たちで、強い宗教的計略を動機としていた。

さらに、歴史的事実についての彼らの理解は私たちのものとは大きく異なり、旧約聖書の預言を実現するために平気でつくり話をしている。


翻訳者の力量も大いにあると思うけど


科学・欧米文化、宗教を深く知らんでも


あまり気にならずすっと読めた。


シンギュラリティ」について、


ピーター・バラカンさんと


養老先生のSpotifyトーク


チラッと言ってたけど、


これからはコンピューターを


神と崇めるような時代が来るかもと。


いや、宗教の代わり、だったか。


 


それにしてもイエスは架空の人物って…


そこまで明確には書かれてないけども。


ドーキンスさんではないが


池田清彦先生も吉本隆明先生が


そのようにいておられていたと。


 


もし架空の人物だったら、


いろいろ世界的にやばいように


思うのだけど…


自分はキリスト教じゃないが。


典型的な日本人でございまして。


ならば余計なお世話か。


 


でもって、解説がすこぶる面白かった!


 


解説


鎌田浩毅(京都大学大学院人間・環境学研究科 教授)


から抜粋


最後に、本書のようにテーマが多岐にわたる大部の科学書を読む際のコツを述べておこう。

理解できないことは分からないままにしておいて、とりあえず通じるところだけで読み進めるのである。

まず理解できた部分だけで全体の話の筋を追う。

そして、全容が見えてきたら、分からなかった箇所を少しだけ振り返る。

それでもまだ分からなかったら、決して無理はしない。

というのは、今の自分には必要ない内容かもしれないからだ。

無理をせず分かるところだけ飛ばし読みするのが、そのポイントである。

また分厚い科学書を読みこなすためには「解説やあとがきから読め」という裏ワザがある。

本文に取りかかる前に、巻末の解説を先に読んで「教えて」もらうのだ。

解説にはエッセンスが要領よく説明されており、加えて著者の生い立ちやバックグラウンドも書いてある。

ここを読むだけでも本文理解のキーとなる概念が見えてくるだろう。

実は、科学書が読みにくいと思う人の最大の障壁は「心のバリア(敷居)」なのだ。

そして「読み始めたら最後まで読まなければならない」という固定観念がある。

しかし、一冊の本をくまなく理解するのはそもそも無理で、「著者と意見が合わない」と思ったら読むのをやめても一向に構わない。

すなわち「本は読破しても偉くない」。

くわしくは拙著『理科系の読書術』(中央公論)を参考にしていただきたい。


本書をきっかけに「科学的思考法」に触れ、人類の知的遺産全体に読者の視座が広がることを期待したい。


素晴らしいです。


読書術については


養老先生・立花隆さんも限りなく近い事を


仰っておられた。


僭越で恐縮ですが同感なんです。


鎌田先生の本も読んでみたい。


さて、今日は天気良いので掃除と


布団を干しております。


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③環境を知るとはどういうことか・流域思考のすすめ:養老孟司・岸由二著(2009年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


環境を知るとはどういうことか 流域思考のすすめ (PHPサイエンス・ワールド新書)

環境を知るとはどういうことか 流域思考のすすめ (PHPサイエンス・ワールド新書)

  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2011/05/20
  • メディア: Kindle版

前々回から引き続き、同書から。


岸先生の哲学の要諦をば。


第3章 流域から考える


人間は宇宙人の感覚で地球に住んでいる


から抜粋


■岸

養老さんのように、幼少時代に川で遊んだ経験のある人と、そうした経験のない人とは、やはり感覚が違ってくるようですね。

私は自然や身の回りの環境に対する感じ方が自分とほかの人たちとは違うという違和感が、子どもの頃からずっとあった。

先ほども述べましたが、私は家の中より外の世界のほうにずっと親しみを感じてきました。

家は寝場所、自分は採集狩猟民だという実感があるので、自然と聞くと体に染みついていた近くの川や雑木林などを思い出すのがほとんどなのに、世間が自然について語るときは、遠いアフリカの草原やサンゴ礁の島の話ばかり出てくる。

そこが感性的に理解できなかったのです。

同じ都市の真ん中に住んでいても、自分はみんなと違う地図を持っていると感じながら、かなり孤独に暮らしてきたわけです。

しかし、年をとってくると、自分と同じように感じる人がいるということが流石にわかってきます。

今はそんな人たちともお付き合いするようになって、たとえば、切迫する地球環境危機の問題を考えるにしても、足もとの自然から考えていく環境活動をしっかり工夫できるようになった。


そもそも地球にどうしてこういう危機がやってきたのかというと、原因は産業文明ということになります。

産業文明がなぜ環境危機を引き起こしたか。

産業文明を執行する意思決定や企画には、地球の容量とか生態系のキャパシティに配慮する感性が基本的に欠けている。

産業革命以降、まだ300年も経っていませんが、この間、とてつもない勢いで拡大、拡大とやってきて、人口と資源と空間の問題が量的に逼迫してきました。

たとえば20世紀半ば、人口加速時には30年で倍増、一人当たりの豊さも増加しましたから、文明全体として地球に加えるインパクトは30年よりも短い期間で倍増するスピードだったと思われます。

21世紀初頭の現在でも、人口増加には強いブレーキはかかっているものの、人間社会が地球に加える物質的なインパクトはなお、4~50年くらいで倍増するくらいのペースなのではないか。

こんなプロセスが100年、200年続くはずがない。

そこに今、さらに温暖化の危機と生物多様性の危機が重なっている。

つまり、今の人間は、自分が暮らす地球という有限な場所の容量と、主観的な期待・企画や行動のバランスが取れなくなっているわけですね。


われわれが住んでいるのは、必然の網に縛られた地球の表面であって、意思決定や行動にあたっては、そこにどういう制約や可能性があるかということに配慮しないといけないということです。


たとえば、採集狩猟民には自分で歩ける範囲で採れるものを採ってくるしか方法がありません。

農業者なら、自分の力が及ぶ範囲の畑や田圃で仕事をするしかありません。

自分の中に自分の住むリアルな場所の地図がないというのは、産業文明の都市文化の中で生きる人に特有のものではないかと思います。

私たちは、足もとに暮らしの領域の定まらないE.T.(extracterrestrial)、つまり宇宙人みたいなもので、産業文明は、地べたとの関係でいうと実は宇宙人の感覚で運営されている。

これをどうするかというのが今の問題で、ことによると解決に100年や200年はかかるのかもしれません。

日々の暮らしということでいえば、朝起きて会社に行ってパソコンをたたき、昼になれば食べる物はコンビニで買い、必要な大ものはパソコンで注文して通販で手に入れるという暮らしで十分間に合うわけですからね。

しかし、地球上に住んでいる以上は、たとえば洪水はそんなこととは関係なしに、巨大都市のど真ん中でさえ、流域単位でやってきます。

さらに地震もあるし、生態系を破壊する危機もある。

都市に住む市民は、今あらためて「自分の住む場所は地球の上だ」と自覚するような地図をつくり、住む場所の感覚を取り戻す必要があるのだろうと思います。

流域という枠組み重視してゆけば、それはできるというのが私の考えですね。


今朝NHK朝のニュースで


硫黄島がわかるVRマップがニュースに。


島民の子孫が先導して開発されたと。


「流域思考」もデジタルを使えば、


良いのではないだろうか。


そういえば、同じく朝のニュースで


養老先生、俳優の渡辺謙さんと対談


メタバースのこと、やってたよなあ。


第6章 自然とは「解」である


生物学的な倫理を取り戻せ


から抜粋


■岸

人間は脳を基準にして生きていて、脳の中には主観的な世界の定型が後天的にできてしまいます。

成人して家族を支えるような年になれば、もはや世界の形成ではなく、その世界の中で「どう有能に生きていこうか」、誰でもそれが課題になる。

つまり、人間はたしかに世界の定型を形成し、修正しながら生きるわけですが、今はその定型の作り方に、大げさにいえば文明的な大変化が起きています。

環境にかかわる倫理などという領域も、実はそういう次元と深くかかわっているいるような気がするんですね。


そもそも人間は、最近流行の観念的な環境倫理のようなものを持っているのではないかと思います。

倫理を英語でいうと、ethics。ethosにつながる言葉ですね。

Ethosはethology(エソロジー:比較行動学)のethos、英語でいうとhabit’習性でしょう。

誰とどこで住まうか、それが定まれば、習慣が定まり、それがethos’ ethicsになる。

古代の哲学者はそんなふうにも考えていたはずですね。

住まうべき世界を抽象的な環境という枠で把握するのが一般化するから、環境の中の、ランドスケープや多様な生きものたちに内在的な価値をみとめるべしなどということになるのですが、その習慣そのものが倫理につながってしまう。

人間は誰とどこで住むかという問いに、地球を無視して答えはじめてからもう長くなってしまいました。

もう一度大地を暮らす習性の大切さを認識し直して、地球に住むのにふさわしい倫理を育てなければなりませんね。


あとがき 岸由二


から抜粋


地球環境危機は、その展開が、足もとのリアルな地球の限界によって、いよいよだめ出しされている状況と考えるほかないと、私は思うのである。

苦境からの脱出は、たぶん新しい文明を模索する脱出行となるだろう。

それは都市からの脱出ではない。宇宙への脱出ではさらにない。

むしろ都市の暮らしの只中において、採集狩猟民の「知り方」、時には農民の「知り方」を駆使して、足もとから、地球の制約と可能性を感性的・行動的に再発見し、もちろん都市そのものの力も放棄することなく、地球と共にあるエコロジカルな都市文明を模索する道なのだろうと私は考えている。

採集狩猟時代の人類は足もとの地表にすみ場所をさだめる地表人であった。

産業文明の都市市民は足もとにますます暗く、<家族と家>というまるでスペースシップのような人工空間暮らしと、さらには実現するはずもない宇宙逃亡さえをも妄想する宇宙人となりつつある。

その宇宙人たちが、採集狩猟の地表人のように足元から地球=環境を知る暮らしを再評価し、地表人の幸せの中で子どもたちを育てはじめ、やがて宇宙人+地表人=地球人となってゆく。

100年かかるのか、200年かかるるのかわからないが、<流域思考>を手立てとして、人類はそんな道を選んでゆくことができるのだろうと私は信じているのである。


昨今の仕事は、なんでもかんでも


マニュアル化、


経験の浅い人に向けて


読めばわかるように、


これ、情報化社会の常識なんですが


…そんなわけはないだろう。


個人の知見・体験が伴わないと


全く意味をなさないのだよ、


その上で自分の頭で考えなさいよ、


すぐ聞くんじゃないよ、


ソリューションを。


と聞こえるのは自分だけだろうか。


ちと曲解、独断的な解釈かも


しれんですけれど。


今後<流域思考>がそのままの言葉で


残るのか、変節するのかはわからないが


スピリットは継承されると良いと思った。


防災とか環境保全のことだけではなく


深い洞察を可能とする何かとしても。


コロナ・戦争のこの時代以降においても。


それにしても養老先生と対談される方達って


かなり興味深いしその対話を柔軟に


自分のものにして


ネクストステップされている


軽妙洒脱な養老先生って本当にすごいと


言わざるを得ない。


しかしそんな偉人のような養老先生でも


「家では馬鹿にされている」って


他の本に書かれているのもあって


家だとパパってそうなる傾向


多いよなあ、と妙に


納得してしまうのでした。


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②環境を知るとはどういうことか・流域思考のすすめ:養老孟司・岸由二著(2009年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


環境を知るとはどういうことか 流域思考のすすめ (PHPサイエンス・ワールド新書)

環境を知るとはどういうことか 流域思考のすすめ (PHPサイエンス・ワールド新書)

  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2011/05/20
  • メディア: Kindle版

前回から引き続き、同書から。


「流域思考」の説明と


その後、岸先生の哲学に触れて


「流域思考」の生まれた背景を考察。


第3章 流域から考える


大地の構成単位は「流域」である 


から抜粋


■岸

小網代は、子どもでも1時間で、「ああ、地べたってこうなっているんだ」と<流域>の自然を実感できます。

そこで彼らに、たとえば、「あと八万年くらいたって、もう一回氷河期が来れば、鶴見川なんかはガタガタに削られて、小網代のような谷になってしまう」という話をしてあげると、わかってくれます。

小網代を見ているからわかるのです。

「ここを330倍すると鶴見川流域。2万4000倍すると利根川流域だよ」

などと教えてあげるのもいい。

日本には一級水系が109もありますが、どの水系に対応する流域でも基本構造は同じです。

生きものの体の単位が細胞で、細胞がわからなかったら生物がわからないのと同様、大地のことを知るが目には、その構成単位である<流域>のことを知らなければならない。


実は、大地の表面をどの単位で理解すればいいのかについて、国際的な基準は確立していません。

行政単位はもちろん人工的に、しばしば激しい争いなども起こしながら決めてゆくわけですが、地球生態系のデコボコ構造に即した大地の決め方に、基本方式はないのですね。

一所懸命に決めようとしている研究者が一部にいますが、あまりに複雑で一般化していません。

私がその区切りを考えるとすると、よほど特殊な土地でなければ、ほとんどの地べたは雨の水でくぼみますから、日本列島も世界の大陸も、大小の流域がジグソーパズルのピースになっているような状態だと言えるのではないかと思います。

私がグーグルアースが、ワンクリックで地球全体の全表面を流域に分けるプログラムをつくってくれないかとつねづね考えています。

プログラムは難しくないはずですし、そうしたら全世界規模で大地の認識が激変すると思いますね。


平面の地図だけではわからない、


ハザードマップも、ないよりはあった方が


いいのはもちろんだけど。


それをWebでフリーでリリースされれば、


大勢の役に立つことうけあいかと。


わかる人がいて、旗ふらないとってのは


いわずもがなだけど。


日本初のネオ・ダーウィニズム形成学者として から抜粋


人間と自然との関係を軽視するのは、マルクス主義も同じです。

そのことに触れる前に、私と生態学との関わりを述べておきたいと思います。


私が進化生物学に進みきっかけはハゼでした。

ハゼには大きな卵を産む種と、小さな卵を産む種がいます。

どうしてそんな分化がおこったのか。

これが、昔から日本の魚類生態学の懸案になっていて、伊藤嘉昭さんや今西錦司さんが、家族の進化と関係づけて

「保護が加わっていると大きい卵をちょっと産む。保護が加わらないと小さい卵を数多く産む」

といっていたのですが、それはおかしいんじゃないかとずっと思っていました。

で、自分の中にモデル的にまったく違う理論が出てきた。

保護が加わると、場合によっては卵は小さくなるという逆の理論です。

これは考えてみれば当たり前の話で、自立するとカビなどがつきやすくなるけれど、保護されていればつかないから、小さくでも生存できる。

そう考えると、たとえば、ランの種が小さいのは菌と共生して保護されているからで、ヒマワリの種が大きいのは、保護されていないからだということになる。


こんな風に考えることができたのは、私が日本の生態学者の中でかなりませたネオ・ダーウィニストだったからです。

大学の一年生だった1966年に、ジョン・メイナード・スミスの『The Theory of Evolution』(進化の理論)という、当時ペリカンで世に出ていた本を読んで、こんなにすっきりした理論があるんだと感動しました。

でも当時の日本の生態学はまだまだ古いソ連の生物学の影響が極めて強く、ルイセンコ主義(スターリンの庇護を受けて、メンデル遺伝学やそれにもとづく進化の総合説を否定し、獲得形質の遺伝にもとづく独自の生物学説を唱えたが、1954年、フルシチョフによるスターリン批判を契機に実権をうしなった。日本の政治的な生物論議の世界では1970年代に至るまでかなりの影響があった)が政治好きな生物系の学生の頭の中ではなお全盛だったと思います。

メンデルや集団遺伝学が面白いというと、当時私が在学していた横浜市大の生物科では、岸はアメリカかぶれの機械論者などと言われました。

「岸の頭の中をみんなで弁証法にしてやらないといけない」

などと、憐れまれていた。

彼らは、もうフルシチョフのスターリン批判が終わっていたのに、これからルイセンコ主義の生物学が本格的に台頭するなどと信じていましたね。


日本の戦後の生態学の世界は、不思議なマルクス主義が本当に広く根付いていた分野なのです。

1960年代にネオ・ダーウィニズムで生態学をやろうなどという考えを起こしたのは、全国で私くらいのものだったと思います。

主たる原因は、当時の私がひたすら政治的な世間知らずだったということかとは思うのですが。

70年代に入ってなお孤立して一人でやって、卵の大きさもネオ・ダーウィニズムの理屈で説明すると息巻いていました。

市民運動をやりながらでしたが、そういうことは頭だけでも考えられますから、それで、グラフモデルにちょっと微分を使っただけで、モデルがポコンとできました。

そのまますぐに論文にしたら世界初に並ぶ面白いアイデアだったのですが、面白がってよぶんなこともいろいろ考え、ゴテゴテとしたとても複雑なシステムをつくってしまった。

で、あるとき、お前のやっているのと同じ説がアメリカの雑誌に出ているぞと言われたわけです(笑)。

遠い昔の懐かしい思い出ですね。


そのような下地がありましたから、たとえば『人間の本性について』(原書は1978年、岸由二訳、思索社、1980年)のE・O・ウィルソンや『利己的な遺伝子』(原書は1976年、日高敏隆、岸由二ほか訳、紀伊国屋書店、1991年)のリチャード・ドーキンスなどが出てきた時に、彼らが何をやっているかということが内在的にわかりました。

正しいかどうかはともかく、自分がやっていることと同じアプローチで仕事をしている研究者が新しい潮流を作り出しているという感じがあって、当然彼らを支持しました。

その段階で彼らをほめていたのはたぶん私と、さらに若手の一部だけだったと思います。


あるとき、岩波書店の編集者の粒良(つぶら)さんが、

「面白い本が出たから、岸くん、読んで感想を教えてくれる」

と言って一冊の本を差し出したのですが、それがドーキンスの『The Selfis Gene』(『利己的な遺伝子』)でした。

ざっと読んで、面白いから訳そうと提案したのですが、八杉龍一先生が

「これは機械論の本だから、弁証法を旨とする岩波書店が出してはいけない」

とおっしゃって、没になりました。

まだそんな時代だったんですね。


それで結局、紀伊国屋書店から刊行されることになり、翻訳を頼まれた日高敏隆さんが

「こういう乱暴なネオ・ダーウィニズムがわかるのは岸だろう」

と指名してくれ、翻訳作業に加わることになったんですね。


私がなぜマルクス主義にならなかったかというと、象徴的にいえばマルクスとエンゲルスが扱った「フォイエルバッハ・テーゼ」に違和感があったからです。

フォイエルバッハ・テーゼの一つに

「人間の本質は社会的諸関係の総体だ」

というのがありますが、極論すれば、学生時代の私のまわりのませたマルキストは、それだけで仕事をしているように感じられました。

誰かが「これは人間の本質だ」といったら、

「本質なんてない。それは社会関係で決まるんだ」

と言い放って、そこで社会的説明に限定したストーリーテリングとなる。

でも、本当は人間同士の社会的諸関係だけではなく、人間と自然との関係だってあるはずです。

はなからそれを危険視して、しかも進化的な思考なども排除して思考停止したってしょうがないじゃないか。

そう思って、ソシオバイオロジーの人間論にも共鳴しているところがあって、ウィルソンを翻訳したのもその影響でした。

ソシオバイオロジーというと、ナチスが信奉した優生論と同列と本気で誤解している人がいるのですが、二つは全く違うものです。


そうした思想が全体主義のとんでもない世界をつくっていたのですが、ウィルソンはそんな生物学的本性は計算上絶対ありえない、ただし親戚とか近所の人に強く共感し、自己犠牲的にふるまう傾向は、遺伝的な性質としてあり得ると記述しているだけなのですね。

民族的に自己犠牲的に同一化する習性も階級本能も、ヒトの生物進化の産物としては絶対にありえないという全体主義否定が、社会生物学的な人間論の文明的な貢献といったっていい。

ウィルソンも、ハミルトンも、ドーキンスもそう考えていた。

実に明解なものです。


私は人間と自然との関係にも、遺伝的な背景が働くと考えています。

たとえば、言語を習得する言語本能のようなものがあって、それが活性化したときに、あるパラメーター(媒介変数)が入ると日本語になり、別のパラメーターが入ると英語になる。

チョムスキーの議論は、乱暴にいうとおそらくそんな議論だと思います。


同じように、人間が人工的な世界を気持ちいいと感じるか、あるいは地べたのデコボコが気になってしょうがないという感覚を持ってしまうかという差は、ヒトという動物のすみ場所学習のプログラムに文化的に異なるパラメーターが入ってきたことによって生じる解釈とするとわかりやすいと思うのです。


人間の中には、言葉などでは自由に相対化できないような、自然との深い関わりが隠されているのかもしれません。

ただ、その種の議論はもっと洗練させてやらないと、ウィルソンのバイオフィリア論のように「人間は生き物が大好きな本能を持っている」

などと主張するだけになってしまう。

私はあのコメントはかなり乱暴な議論で、厳密には誤りだと思っています。

もっともっと複雑な議論ですね。

でも、お友だちが好きだという本能ならあるかもしれない。

その「お友だち」がクワガタムシになると、私や先生のような大人になるんじゃないですか(笑)。


岸先生の底辺に流れているものが


少しだけわかった気になった。


反骨精神の持ち主でもあるのか。


時は60年代、マルクス主義、とかって


新人類と呼ばれた自分からすると


勝手な想像でしかないけど。


併せて生物学者の進化を


考えると面白かったり。


この本の主題ではないのだけれども。


それにしても余談だけれど


学者さんってそういう発想というか


着想でものごとをとらえ、


生活しているのだなあ


と、まるで無縁な世界で


遠い目をしてしまいがちなんだけど


お前も同類だよ、


生物ってキーワードを


「音楽(レコード・CD・サブスク)」


「本」「アート」に換えてみなよ


って言われると、そうなのかもしれない、


みたいな。


養老先生の言葉、一文字もなくてすみません。


完全に聞き手役なんだもの。


興味深すぎる書籍であるため


もう一回続かせていただきます。


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①環境を知るとはどういうことか・流域思考のすすめ:養老孟司・岸由二著(2009年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


環境を知るとはどういうことか 流域思考のすすめ (PHPサイエンス・ワールド新書)

環境を知るとはどういうことか 流域思考のすすめ (PHPサイエンス・ワールド新書)

  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2011/05/20
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表4の書籍紹介から抜粋。


大地を構成する流域から考えよう。

岸と養老孟司は共に小網代を訪れた後、「流域思考」を提唱する。

自分が暮らす流域のすがたを把握することから、地球環境に対するリアルな認識が生まれるのだ。

後半では元・国土交通省河川局長の竹村公太郎も鼎談に参加する。


まえがき 養老孟司 から抜粋


岸さんは生物学者として価値のある研究を行う一方で、神奈川・三浦半島の小網代(こあじろ)を保全する活動や、都市河川である鶴見川の流域の防災・環境保全活動に奔走されてきた。

小網代とは、三浦半島のリアスの湾を囲む一帯を指す。

源流から海まで、一つの流域が自然のままで残っている、全国でも稀有な所である。


岸さんは理論家であり、実践家でもある。

環境の保全がどういうものであるべきか、それがよくわかっているし、そうかといって、実践することの困難も体験され、しかもそれを克服されている。

そのすべてが小網代の保全という形で結実した。

これが小さな仕事か、大きな仕事か、論は分かれるかもしれない。

でも私は立派な仕事として評価する。

論文を書くだけが学者の仕事ではない


前著『本質を見抜く力ーー環境・食料・エネルギー』の共著者である竹村広太郎さんにも参加していただけたので、前著以来、本質的にどういうことを考えているのか、その全体の筋道を、あるていどご理解いただけるのではないかと思っている。


第二章 小網代はこうして守られた


なぜ小網代の保全運動に参加したか から抜粋


■岸

「流域」とは、雨水が川に集まる大地の全体を指す言葉です。

小網代では、降った雨が森を下って川になり、上流・中流・下流で大きな湿原をつくり、干潟になって海に流れることで形成される「流域」の姿が、ワンセットで全部見られるのです。

規模でいうと八〇ヘクタール弱くらいで、そんなに大きくはないのですが、源流から海まで、自然のままの「流域」のランドスケープがそのまま残っている姿は、関東では小網代でしか見ることができません。

神奈川県が調べたところでは、全国規模でもそんなに多くはないらしい。

どうしても、道路が横切ったり、住宅地ができてしまうわけですね。

2005年、おかげさまで小網代の谷は全域が近郊緑地保全区域に指定されたのですが、そのときの指定理由の最大のポイントは、当地が「完結した自然状態の流域生態系」であるというものでした。


そのような生態系のモデルのような場所を、ゴルフ場やリゾートマンションにしてしまうという計画が、1983年に持ち上がりました。

三浦市は裕福な自治体ではありませんから、ゴルフ場で得た収入で埋め立てをやって、リゾートホテルやマンションや道路をつくり、農地造成を行なって住宅を建てるという「5点セット」の計画を打ち出したわけです。

ちょうどリゾート法で日本が沸き立っていた頃の話です。

今はもう忘れられていますが、全国各地で策定された、どう考えても人がいくはずのないリゾート開発計画が乱立していた頃の計画の一つだったのです。

その頃、慶應義塾大学の同僚で「脱原発」を訴えていた藤田裕幸さんが、小網代の近所に住みついて、「小網代の森を守れ」という運動を始めました。

私は横浜の六大事業計画の反対運動でくたびれ果て、自分の市民活動人生はもう終わりと思っていたので、最初は気がすすまなかったのですが、あまり熱心に誘ってくれるので、84年の秋に小網代へ行きました。

そのときに、眼前に広がる風景を見て思い出したのですが、小網代は私が高校生時代、自転車で横浜の鶴見から城ヶ島へ行くときに、引橋(ひきばし)の休憩ポイントから見ていた谷だった。

これは応援するしかない。


ここなら絶滅危惧種がどうとか天然記念物がどうとか、学者だけが面白がるようなテーマを通してではなく、「流域は日本列島の地形と文化の基本、そのモデルのような小網代の谷はまるごと守るべき」といった、普通の人が関わっていける議論ができるのではないか。

そう閃いて、行ったその日に運動に参加することに決めました。


翌年の1990年には、国際生態学会議という世界の生態学者を集めた大会議が横浜で開催されました。

私は「SAVE KOAJIRO」というポスター発表を行いましたが、そのときに、ランドスケープエコロジーの世界の大物たちと、小網代までバスで小旅行に出かけたんです。

私も案内役をつとめたのですが、大物たちが小網代の景色を見て

「何だ、これは!」と非常に驚いた。

彼らが言うには、

「日本人はよくわかっていないかもしれないけど、相模湾岸の遠景まで含めて、こんな地形、こんな素晴らしいランドスケープは、同緯度の北半球にはない。なぜここを壊すのだ?」


そのあたりから、県でもこれは壊せないなと思い出したらしい。


■養老

ただ、自然を守りましょうとか、調査しましょうと言うだけでは、自然は守れないということですね。

 

■岸

そうです。たとえば、自然保護を声高に叫ぶ人がやって来て、テント村をつくって「貴重種がいる」などと大騒ぎすれば、地主さんが態度を硬化させて簡単に「ジ・エンド」です。

あるいは遊びにきた子どもがマムシにかまれて亡くなってもそれでおしまいでしょう。

日本という国では本当にそうなんです。

だから、そういうことが絶対に起きないように、週末は仲間たちが朝から晩まで小網代にいて、何かあったらすぐ対応するようにしています。


夏のアカテガニのお産のシーズンには、多くの人が小網代に集まります。

1990年にはこれがテレビで紹介されて有名になってしまい、集まった方々が小網代でバーベキューをしたり花火で遊んでゴミを捨てたりする事件が起きて、地元で「岸先生」たちお断りの署名運動が起こりかけたことがあります。

地元の人々の苦情はもっともなので、私たち市民団体がお金を貯め、専門の警備会社を雇って警備してもらうこともあった。

以降現在にいたるまで、大勢の人が来る夏の大潮の土日には、訪問者と地元のトラブル、訪問者の事故防止、訪問者による自然撹乱などを回避するためのパトロールを市民団体・NPOとして実施しています。

そのパトロールを「カニパト」と呼んでいるのですが、もう二十年ぐらい続いています。


自然保護と一口で言っても、


確かに周辺に住んでいる人たちのことも


考慮しないとならないし、


地主さん、自治体との交渉、時には


世論の風向きとかもウォッチして


合わせていかないと


ならないということを話し合われている。


単なる思いだけでは越えられない何か。


 


 


第5章 流域思考が世界を救う


環境は権力者にしか守れない から抜粋


■竹村

最後に環境や流域を守っていくには行政の決断が決め手になるんですね。

だから行政は大事ですが、行政自らが何かをすることはないということを忘れてはいけない。

市民がつつかないと行政は動きません。

行政側にいた私が断言するのだから間違いありません(笑)。


つまり、行政に地域を横断して何かと何かを連携させることを期待しても駄目なんです。

ではどうすればいいのかというと、最後はやはり政治主導なんでしょう。

その政治家を動かすのは誰かというと、結局、市民なのです。

市民のエンジンがないと政治家も官僚も動かない。


岸さんがすごいのは、そのような行政の限界を見事なまでに知っていて、縦割り組織の限界を乗り越えるやり方を上手に見つけたところだと思います。

政治家としての市長や知事と話したわけで、決定権のあるリーダーをしっかり動かしている。

当時は、環境問題というテーマでは、彼らをホロリとさせない限り絶対成果を上げることはできなかったはずです。

私はずっと前から「環境は権力者にしか守れない」といってきました。

一般庶民の活動だけでは、ただ細分化するしかないのです。


問題は、緑や環境を守るために、いかにして力を持った人を味方につけるかということでしょう。

今の世の中で力を持った人というと、行政か大企業になるのでしょうが、岸さんは流域の権限を持った人や資金を持っている首長や大手の企業が支援しようというところに持ち込んだ。

みごとなものです。

これをやらなきゃ駄目です。

単なる市民運動で反対ばかり唱えても、何も解決しない。


岸先生の『生き延びるための流域思考』も


昨年、読ませていただいたので


 


その実践をどういう経緯で行い


それを支えた哲学は何だったかというのが


興味深かった。


成果のため、それをあざといだろうという人も


中にはいるのだろうけれども。


 


前著からの流域思考がもっと定着すれば


良いのになあ、と思った。


平面な地図だけでは読み取れないもの。


 


この書籍から十数年経ち、さらに運動は


加速しているのではなかろうか。


自治体のWebなどから研究してみたいと思った。


 


小網代の公式サイト、今はFacebookになった模様。


ほか


鶴見川流域センター


鶴見川流域ネットワーキング(TRネット)


 


すべてはより良い未来のために。


なんて、大昔の教育漫画のテーマみたいな


締めになってしまったけど。


でも本当にそうだとしか言えません。


正面からぶつかっていくだけでは


相手は動かないということですな。


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ぼくの住まい論:内田樹著(2011年) [’23年以前の”新旧の価値観”]



ぼくの住まい論

ぼくの住まい論

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/07/27
  • メディア: 単行本

表4の紹介文から抜粋

神戸の一隅に著者の自宅兼道場「凱風館(がいふうかん)」が竣工した。

思想家・武道家の家づくりの哲学とはーー書斎、合気道稽古、能舞台、寺小屋学塾、安眠……住まうことは生きること、教育の奇跡を信じ、次世代への贈り物としてウチダタツルが考え抜いた「住まいの思想」。


1 土地を買う


母港としての学校 から抜粋


教師を長くやってきてわかったことの一つは「学びの場」は、そこで学んだ人たちにとって、生涯変わることのない「母港」でなければいけないということです。

いつも同じ場所にあって、船の出入りを見守っている。

学校というのはそうでなければいけない。


卒業生は転職とか結婚とか人生の節目のときに、よく大学を訪ねてきます。


いつでも帰ってこられる場所があると思っていられるのは、ずいぶん心強いことだと思うんです。

別に帰ってこなくてもいい。

「帰れるところがある」と思っている人と、そんな場所がない人では、人生の選択肢の数が違う。

当たり前ですけど、「退路のある」人の方が発想がずっと自由になれる。

ずっと冒険的になれる。


親子関係も同じじゃないかと思います。

10年ほど前に高校を卒業した娘が東京へ行くときに、ぼくが娘に言ったのは二つだけです。

「金なら貸すぞ」と「困ったらいつでも帰っておいで」。

親が子どもに向かって言ってあげられる言葉はこれに尽きるんじゃないでしょうか。

泊まるところがなかったら、いつだって君のためのご飯とベッドは用意してあるよ。

この言葉だけは親はどんなことがあっても意地でも言い続けなければいけないと思うんです。

「そんなに甘やかすと自立の妨げになる」と苦言を言う人もいますけれど、ぼくはそれは違うと思う。


「人間は弱い」というのがぼくの人間観の根本なんです。

だから、最優先の仕事はどうやってもその弱い人間を慰め、癒し、支援する場を安定的に確保するか、です。

「家」は何よりもまず「集団内でいちばん弱いメンバー」のためのものであるべきだとぼくは思います。

幼児や妊婦や病人や老人が、「そこでならほっと安心できる場所」であるように家は設計されなければいけない。


家は、メンバーのポテンシャルを高めたり、競争に勝つために鍛えたりするための場じゃない。

外に出て、傷つき、力尽き、壊れてしまったメンバーがその傷を癒してまた外へ出て行く元気を回復するための備えの場であるべきだとぼくは思っています。

「おかえり」という言葉がいつでも用意されている場であるべきだと思っています。


家族の誰かが


「おかえり」というのが


「家」で用意されている場であるべきと。


その「安心」が担保されない辛さを


感じたことのある人は


同時にその大切さも知っている


という公式は本当によくわかる。


「家」は未来永劫、安心の象徴で


あって欲しいものです。


未来永劫変わらないものなぞ、


ないんだけれど。


 


毎年GWに恒例行事として


家族同士の付き合いのある


奈良にある一家では


経済合理主義が優先され、


壊滅状態の今の日本の林業の中でも


自分たちの哲学で営まれているという


内田さんと響き合ったのだろう。


 


3 材木を得る(京都・美山篇)


5分の1以下になった材木価格


小林家の方たちとのかかわりを通じて、山を守ることがいかに大変で、その営みによって日本人全体がどれほどの恩恵を受けているか、そして、そのことのありがたさにどれほど忘恩のふるまいで報いているのかをぼくは学びました。

だから、割高かもしれないけれど、ぼくは美山の杉と美濃の檜を使って家を建てる。

そのような、「不合理な消費行動」をとる消費者が多ければ多いほど、市場における消費者のふるまいは予測しがたいものになる。

たしかに、企業側からすれば迷惑なことでしょう。

彼らからすれば、すべての消費者が斉一的(せいいつてき)に同一商品に群がることによって、「最小のコストで最大の利益」を見込めるわけですから。

でも、企業が収益を最大化する市場を作り上げることは、社会が安全になることを意味するわけでもないし、国民生活が安定することを意味するわけでもない。


むしろ、現にそうなっていない。


おのれの行動がもたらす長期的な社会的影響をまったく考えに入れずに、短期的に最も交換比率の良い買い物をするのは未熟な消費者です。

若い世代の人たちは、どうやらそのことをもう直感的にわかっているように見えます。

そのせいで若い世代はもう物欲を示さなくなった。

彼らのあまりにも「無欲」なふるまいに企業や広告代理店は困惑しています。

けれども、それは「マーケティング」とか「ターゲット」とかいう言葉でコントロールしてきた「古い」タイプの消費モデルが失効しつつあることの指標だろうとぼくは思っています。


5 職人と出会う


アンチ効率主義としての職人 から抜粋


先日、大阪大学総長を退任された鷲田清一(わしだきよかず)先生の講演を聴きに行きました。

その中で、先生は

「文明が進めば進むほど、自然の暴威によって破壊されるものが大きくなる」

という寺田寅彦の言葉を引き合いに出して、現代都市の脆弱さについて言及されていました。


そのときの鷲田先生のお話には、ぼくも深い共感を覚えました。

今の社会の基本原理は「選択と集中」「分業と効率」ですが、それは実はずいぶん危険なことではないかと思います。

「とりあえず、身の回りにある『ありもの』を使い回して、生き延びる知恵」、レヴィ=ストロースの言う「ブリコラージュ」の知恵と技術が今の文明社会では、ほとんど顧みられることがありません。


TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)がそのような発想の典型だと思います。

世界中の国が分業する。

それぞれに専門特化する。

金融の国、工業生産の国、労働者を送り出す国、食糧生産の国というふうに分かれる。

たしかに、うまく流通が回れば、それがいちばん便利なのかも知れません。

でも、戦争やテロや自然災害で一度ロジスティックスが止まれば、あるいは財政の失敗で外貨を失えば、あるいは国内に疫病が蔓延すれば、たちまち国民生活の基本資源が停止してしまう。

いくら手元に外貨があっても、食糧さえ手に入らない。


グローバル化というのは、そのリスクを負うことです。

仮にコストが高くついても、効率が悪くても、生産性が低くても、国民生活の必要なミニマムは国内で生産ができる。

それだけの資源があり、技術があることは、国民国家が生き延びるためにはどうしても必要な「保険」だろうとぼくは思っています。

「よそから買う方が安い」ものでも、それが手に入らない場合を考えたら、「うちで手作りできる」体制を整えておいた方がいい。


8ぼくの住まい論


貨幣は退蔵を好まない から抜粋


凱風館は基本的には皆さまからの「浄財」を積み上げて作られました。

これは公共性の高い場を立ち上げたいというぼくの願いに共感してくださった方たちから寄せられたものです。

ぼくが私的な快楽や自分の趣味の空間を作ろうとしたら、「好きにしたら」と言われるだけで、誰も財布を開いてくれなかったでしょう。

これはパブリックな機能を果たすものだからこそ出来上がった。

だから、凱風館はぼくの私物ではなくて、光嶋くんの本のタイトルのとおり「みんなの家」なのです。


自己利益ではなくて、公共の利益をはかる。これもまた逆説的ですけれど、そのような構えでいた方が、結果的に自己利益も確保できる。

そのほうが貨幣の本質にかなっているから。

貨幣というのは交換を加速するために発明された商品です。

ただし、持っていても何の役にも立たない。

洟(はな)もかめないし、メモ用紙にもならないし、トイレットペーパーの代わりにも使えない。

貨幣の唯一の商品性格は「他の商品と交換しないと、意味がない」ということだけです。

だから、「貨幣を退蔵する」というのは、貨幣の本性に反しているのです。

貨幣の本性を活かすために、手元に来たら間髪を容れずにただちに次のプレイヤーにパスをしなければなりません。


貨幣は好運動的なものです。

激しく流れ動いているところに集まりたがり、滞留しているところを嫌う。


人間の欲望には生理的な限界があります。

ひとりの人間が所有して、消費できるお金には上限がある。

どんなに美食をしようとしても、1日に3回しか食事はできない。

どれほど美服を着ようとしても、身体はひとつしかない。

どれほど、豪邸に住もうとしても、一夜に1軒でしか寝ることができない。

身体的な欲求をベースに消費していれば、いずれ「身体という限界」に行き着きます。

それを超えることはできない。

それを超えた消費をしようとしたら、もうあとは「貨幣で貨幣を買う」しかできない。

不動産を買ったり、株や債券を買ったり、ダイヤモンドや金を買ったりしている人たちがいますけれど、彼らは「金で金を買っている」にすぎません。


文庫版のためのあとがき


2014年11月 凱風館にて から抜粋


ぼくの抱いていて道場の原イメージは、寺田ヒロオの『もうれつ先生』の「もうれつ道場」なのですが、実はもう一つあります。

それは『姿三四郎』の矢野正五郎が最初に道場を借りて彼の「紘道館(こうどうかん)」を開設した隆昌寺でした。


物語の紘道館は誰かの私的所有物ではない。

誰かが専一的に管理しているわけではない。

道を求める人たちが修業できるようにつねに開放されている。

道場というのはそのようなものでなければならない、そういう刷り込みを僕は年少の頃になされたようです。

「自分の道場がほしい」というのは、僕がいてもいなくても、門人たちがそこに集まることができ、思う存分稽古ができる場を作りたいということだったと思います。

凱風館でその夢が実現しました。

道場は僕の統御を離れて、自立的に動き始めています。

すでに凱風館には固有の力学が生まれ、固有の法則が走っています。


さすが内田先生、ただの「住居論」とか


「道場竣工までの道のり」


のようなものになっておらず


思想で埋め尽くされている。


思想家だから当然か。


それにしても、設計をされた方の解説も面白かった。


 


解説


「みんなの家」に吹いた凱風が開いたもの


光嶋祐介 から抜粋


さて、凱風館が竣工すると、真新しい畳を敷き詰めた道場に続々と門人たちがやって来て、生き生きと稽古を始めました。

それを見ているうちに私は、自分も合気道がしてみたくて、いてもたってもいられなくなりました。


しかし、私が内田先生に弟子入りを志願したのは、合気道に対する好奇心からだけではありません。

自分が誠心誠意を込めて設計し、現場管理をしながらつくり上げた初めての建築である凱風館が、どのようにして生命を得ていくかをこの眼で見たかったからでもあるのです。


初めての仕事の設計士に選ぶ


内田先生もすごいけど


光嶋さんという設計士もすごい。


そういう磁場が発生しているのだろうな


人にも建物にも。


 


音楽に例えるとわかりやすいけど


良い音楽家って


良いクリエイティブチームで


創っていることって多いと思う。


ちとわかりにくいか。


 


「創造」っていうと、


違和感あるかもしれないけど


「良い仕事」っていう括りにすると


それは「良いチーム」が支えている、


という公式に自分なんかは


全身全霊で同意してしまう。


余談だけど内田先生風にいうと


満腔(まんこう)の同意となります。


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