米原万里さん vs 養老・池田両先生 [’23年以前の”新旧の価値観”]
私はこう見る「養老先生ってどんな人?」
から抜粋
■米原万里■元ロシア語同時通訳・作家養老さん、パーティーや二次会の片隅で、虫友だちの池田清彦さんなんかと、虫の見せっこして楽しそうに語らっているのは、少年時代の面影彷彿で微笑ましいと思うの。でも、虫友だち以外の人に対してあの言葉の端々を飲み込むような早口で話しながら、途中で自分で可笑しくてたまらなくなって独りで肩揺らして笑い転げられるの、やめて欲しいのよね。話すのが早口すぎるのと発声法が恐ろしく良くないのと、さらには、書くときもそうだけど、自分が分かり切っていることは大方省いてしまう癖があるでしょう。言ってることの50パーセントは相手に伝わっていないの、自覚しています?虫や死体と会話するのには全く支障なかったと思うんだけど、多く生きている人間たちは、何が可笑しいのかわからないで心中憮然としながら笑っているの、気付いてます?『バカの壁』が爆発的に売れたのは、いつもなら養老さん自身がどんどん省略して書かないような部分を、編集者が根気よく聞き出して書き留めたからだと思うの。ご自分でこの欠点を自覚して「勝手に省略癖」を返上していたら、とっくにミリオンセラーになっていたはずだわよ。だって、言っていること、何もかもホントに面白くて可笑しいんだもの。
養老先生の本なのに、こんなことを
言えて、かつ掲載されるなんて。
でもすごく言い得て妙、
忖度社会では米原さん以外言えない。
米原万里さんは2006年5月没。
養老先生と池田先生の米原さんの追悼文が
ございます。最初は池田先生。
本書によせて 池田清彦 から抜粋
米原万里の体に卵巣がんが見つかったのは、確か2003年の秋だったと思う。摘出手術後しばらくは元気だと言っていたのだが、2005年の2月頃に転移がわかり、以降すさまじい闘病生活となった。米原の親しい友人であった吉岡忍から、容態はかなり悪いと聞いていたが、人でなしの私は見舞いはおろか連絡さえ取らなかった。もっとも米原にあったところで、私に何かできるわけのものでもなかったが。私にできることは、米原万里という稀有の魂が、死を目前にして疾走する姿を見届けることだった。
酷い体の状態とはうらはらに、米原の執筆活動は衰えを見せず、権力の卑劣さを糾弾する舌鋒(ぜっぽう)は死の瞬間まで健在であった。深刻な自らの病状を記す時でさえ、筆致は常に乾いていて崩れることがなかった。米原の晩年のエッセイは、物書きとしての矜持が、病に対する絶望感をギリギリのところで凌駕している、一種スリリングな空間であったように思う。本書はそんな時期の講演をまとめたものだ。独りで文章に呻吟(しんぎん)している時と違って、一般聴衆を前にしての講演は、転移がんの苦痛を一瞬だけ忘れることのできた時間だったのであろう。本書には、米原の往年の好奇心とサービス精神があふれている。
治る見込みのない転移がんに冒されて、泣きたい時もあったろう。怒りたい時も、怨みたい時もあったろう。しかし、表現者としての米原は最期まで読者へのサービス精神を失わなかった。あっぱれと言う他はない。
次は養老先生、その前に、帯にあった
言葉を引かせていただきます。
帯から抜粋
”米原ワールド” 炸裂の遺作がついに文庫化!
解説 養老孟司(東京大学名誉教授)から抜粋
だれかの訃報を聞いて、死んで当たり前と言ったら悪いが、ボチボチだろうな、と思うことは多い。いまでは人は長寿だからである。「人のことは構わず、我さへよから場と思ひて、気のゆるゆるした人、かならず命長し」。沢庵和尚はそういった。私もそろそろその部類に入ってきた。古希を超えたからである。米原万里さんは私よりはるかに若かった。亡くならなれたときに、五十歳を超えていたんだから、昔風にいえば十分な人生かもしれない。でも今では、はなはだ不足である。だから米原さんほど亡くなられて残念だと思った人は少ない。ロシア語の同時通訳はもとより、文筆家としても、ちょうど働き盛りだった。
米原さんの文章から感じるのは、底知れないエネルギーである。
男性には豪放磊落(らいらく)という表現があるが、これは女性には使えまい。でもそんな感じの人柄だった。米原さんの代表作に、私は『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を挙げたい。これを読んでない人は、まず読んでいただきたいと思う。
米原さんの背景にあるのは、旧ソ連時代のプラハの国際学校に違いない。これもずいぶん偏った世界だが、現在いうところの国際主義、グローバリズムなんてのも、米国製の似たようなものであろう。このことわざ集を米原さんが書いた裏には、もう一つ、そうした外国に対する日本の世間の偏見があるに違いない。それを面と向かって糺(ただ)すようなヤボなことをするより、小説で説得する方がシャレている。
要は読者はこの本を読んで笑っていればいいのである。そのうちにいつの間にか、自分が本当の国際人、つまり人間の普遍を考える人になっていると気がつくはずである。
こういう人が世間から失われたのは、やっぱり惜しいなあ。またそう思う。国際化の時代なんだから、若い人たちが、米原万里さんのように育ってくれないかなあ。年寄りはしみじみそう思いながら、これを書いている。
お二人の個性が際立った
追悼文。なんか泣けてくる。
お二人とも悔しさが
滲み出ている。
米原さんは以前
テレビでコメンテーターとして
辛口だった記憶あります。
若くして亡くなってしまわれたのだね。
翻訳者さんだったようだけど
作家でもあったので書籍は残っています。
養老・池田両先生のこれ以上ないくらいの
お墨付きでございますからね。
養老先生曰く、若い人にってことだけど
自分は若い人ではもうないけれども
かなり興味あります。