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④進化の比較書・グールド氏の敵と源流の大切さを読む [’23年以前の”新旧の価値観”]

進化論の何が問題か―ドーキンスとグールドの論争


進化論の何が問題か―ドーキンスとグールドの論争

  • 作者: 垂水 雄二
  • 出版社/メーカー: 八坂書房
  • 発売日: 2012/05/01
  • メディア: 単行本

8章 進化論エッセイストの登場 から抜粋

1974年からグールドは、『ナチュラリスト』誌にエッセイの連載を開始する。

この連載は2001年1月まで、27年間300回にわたって続いた。

エッセイ欄のタイトルは、this view of life(渡辺政隆氏の訳にしたがえば、「かくのごとき生命観」)はダーウィンの『種の起原』全体を締めくくる最後の一節に出てくる文章で、G・G・シンプソンもまたこの言葉を書名に使っている。


主要な著作を年代順に見ながら、グールドの関心のありかを探ってみよう。


個体発生と系統発生

1977年に刊行されたこの大著は、グールドのもっともすぐれた業績の一つとみなされているもので、個体発生と系統発生の関係を本格的に論じている。

冒頭に掲げられた「謝辞」によれば、この本はエルンスト・マイアの勧めによって書き始められたもので、進化論に関する大著を書き上げるための予行練習という意図があったという。

その大著の方は死の直前に『進化思想の構造』として完成する。

最初の構想を25年後に結実させたのは、みごとな学者人生というほかない。


本書は大きく二部に分かれ、第一部は「反復説」と題されている。


反復説はいまでこそ学界ではほとんど見向きもされないが、19世紀には比較発生学や古生物学の指導原理であったし、いまでも大衆のあいだでは人気がある(たとえば、一部の人々のあいだで評価が高い三木茂夫などは典型的な反復説論者である)。

進化論の勝利の中で、反復説が人種差別や発達心理学、さらにはフロイト派の精神分析に根拠を与えていく過程を例証していくあたり、科学史家としてのグールドの面目躍如(やくじょ)たるものがある。


第二部は「異時性と幼形進化」と題され、こちらがいわば本論である。

異時性(ヘテロクロニー)という概念はヘッケルが同時性(シンクロニティ)の対語として1875年に提唱したもので、個体発生において、特定の器官の発生のタイミングや速度が促進されたり遅滞したりすることを指す。

発生のタイミングの変化は結果として成体における幼形化を生じ、それが種の分岐(系統発生)をもたらすというわけである。


グールドが『個体発生と系統発生』を書いたのは、ホメオティック遺伝子が発見される10年以上も前で、進化発生生物学(エボデボ)が生物学の中心テーマになるなど想像もできなかった時代のことだった。

進化における個体発生の重要性を指摘したグールドの先見の明は、分子生物学の、とくにヒトゲノム計画以降の発展によって裏づけられたわけである。

ここには、生物を歴史として捉えるグールドの真骨頂が現れている。


ワンダフル・ライフ』(原著1990年)

グールドの名を世界にとどろかせたこの本は、カナダのブリティッシュ・コロンビア州にあるバージェス遺跡から見つかった化石群についての記録である(エッセイ集では、『ダーウィン以来』の第15章、『八匹の子豚』の第15章、第30章などで触れられている)。


グールドがこの本で提起している重要な概念として、異質性(disparity)がある。

異質性は種の多様性(diversity)に対して、体制すなわち体の設計プランのちがいをあらわすもので、分類学的には異質性は門のレベルに対応する。

グールドがカンブリア紀の動物の進化に関してもつ見取り図は次のようなものである。


すなわちカンブリア紀には爆発的な異質性の増大があり、多数の門が一挙に出現したが、その多くは絶滅してしまい、一部の幸運な門だけが生き残って多様化をとげた、というのである。

この見方の根拠になっているのは、バージェス頁岩に見つかる化石動物には、現在の分類学のいかなる門にも収容できない奇妙奇天烈な動物が見つかるという事実である。


しかし、『ワンダフル・ライフ』が出版されてから20年以上たった現在では、グールドが独自の門に分類すべきだとしたほとんどの動物が、その最初の分類を与えたコンウェイ・モリスその人によって、従来の動物門に分類することが明らかにされている。

したがって、最初に多数の門ができて、カンブリア紀に異質性が最大であったというグールドの主張は根拠を失ってしまった。


カンブリア紀に現生のほとんどの動物門が出現したのは事実だが、合理的な説明が不可能なわけではない。

例えば、地球の酸素濃度の上昇によってこの時期にはじめて体の大型化が可能になったために化石が見つかるが、それ以前の生物は小さすぎて化石として残らなかっただけだといった説得力のある仮説が提示されている。


種から属、科、目、綱と漸(ぜん)進的な枝分かれによる進化を前提とする従来の梯子状ないしは逆円錐形の系統樹に対するグールドの批判(断続平衡説、あるいは大進化と小進化のメカニズムは異なるといった主張)に聴くべきところは多いが、この本で展開された論理は明らかに行き過ぎであった。

結果として、多くの識者に進化に関して誤った印象を与えることになった。


たとえばスチュアート・カウフマンは『自己組織化と進化の理論』において、カンブリア紀の大爆発について、「たがいに非常に異なった身体の仕組みを持つ生物の門が多数生まれることにより、自然は急激に前進した。そして、子の基本的なデザインがより精緻化されることにより、綱、目、科、属が形成されていったのである」と述べている。


実際の種分化の過程をちょっとでも具体的に思い浮かべれば、それがいかに荒唐無稽な逆立ちした言い分であるかはただちにわかるはずである。

ドーキンスは『虹の解体』(この第8章全体が『ワンダフル・ライフ』批判に当てられている)のなかで、それはまるで、庭師が古いオークのきを見て、「この木にはもう何年も太い枝が生えてこない。最近じゃ小枝しか伸びてこない」とつぶやいているのと同じだと揶揄している。

いきなり太い枝(門)が生えるはずがなく、細い枝(種)が時間と共に太くなっていくだけのことだというわけである。


この本で、おそらくグールドがもっとも言いたかったのは歴史の偶発性であろう。

生命のテープを巻き戻せば、そのたびに異なった進化の様相が現れるはずだというのが、グールドの主張だが、この点についてドーキンスは『祖先の物語』末尾の「進化のやり直し」という項で検討を加えている。


その時にある材料で仮説立ててみたら


実は後から異なる発見があった、ってのは


ダーウィンそのものみたいにも感じますけれども。


重要なのは正しかったか、どうかよりも


自論をエキスパンド(飛躍的な爆発とでもいうのか)


できたか、なのかと。これが常人にはむずいのです。


しかし事実の方が優先されて


『ワンダフル・ライフ』の評価が下がって


歴史の闇に消えていくとしたら悲しい気がする。


論文中心の学者さんの世界の厳しさなのか。


グールドの宗教観 から抜粋


千歳の岩』は、言ってみれば、宗教と科学の棲み分け宣言である。

科学と宗教の教導権は異なるのだから、お互いに立ち入らないようにしましょうという主張で、これをNOMA(非重複教導権)という言葉で表現する。

教導権が異なるという根拠をつきつめていけば、科学は何が真実であるのかを明らかにすることはできても、何が正しいかを明らかにすることはできないということに尽きる。

しかしこれを、自然科学と人文社会科学の棲み分けでなく、科学と宗教の棲み分けと言わなければならない理由は何なのか。

道徳的な判断基準を科学が与えることができないというのは事実だが、それを宗教が与えうるという保証はどこにもない。


ドーキンスが主張するごとく、人生の意味や、人生をいかに生きるべきかを考えるとき、科学者であれ宗教家であれ、すべての人間は対等ではないのか、なぜ、宗教ないし宗教家に特権的な地位を認めなければならないのか。

もちろん、哲学者、歴史家、宗教学者や人類学者がそれぞれの学問領域において自然科学者よりも専門知識を持ち、深い考察を重ねてきたことは否定できないので、彼らの言葉に耳を傾けることは必要だろう。

しかしそういう人を差し置いて、なぜ宗教でなければならないのか。

グールドは、その疑問に明確な答えを与えていない。


グールドは、『千歳の岩』で、科学と宗教の対立というのが、歴史的につくられた偽りであることを科学史的に例証し、多くの優れた科学者たちが内心で折り合いつけて科学と宗教を共存させてきた例を示しているだけである。


NOMAは常識的な考え方で、多くの人が無意識のうちに実践しているものだから、ことさら言い立てるほどのものではない。

グールドがあえてこの本を書かねばならなかった理由は、アメリカという特殊な国におけるグールドの困難な状況であった。


グールドは生涯を通じて、背腹(せいはら)両面からの二つの「敵」と闘いづつけた。


一つの敵は、前章で述べた、人種差別主義者や優生論者、その理論的根拠を与える遺伝子決定論者である。

その根源は自らの境遇に関わるものであり、闘いは自らの専門分野における、還元主義批判、ネオ・ダーウィン主義批判と結びつく。

これまで見てきたように、彼の主要な著作の大多数はそのために書かれていた。


もう一つの敵は、進化論を否定する創造論である。

創造論批判はある意味で自然科学者としての職業倫理といえる。

宗教的に、米国は先進諸国の中で世界に類を見ない特殊な国で、福音派プロテスタントが多数を占め、大統領選の結果を左右するほどの力を持っている。

彼らはカトリックに比べてはるかに原理主義的で、創造論や想像科学、インテリジェント・デザイン(ID)説運動の中心勢力である。


11章 狙いをはずした撃ち合い


支え合った二人 から抜粋


ドーキンスとグールドは、互いの著書が出るたびに書評にとりあげ、厳しく批判しあってきたため、事情をよく知らない人々は、二人が憎しみあっていて、顔を合わせてもそっぽを向くような関係にあるかのように思うかもしれない。

しかし、そこに収録された書評を読めばわかる通り、批判はあくまでも学問なレベルなものであり、人格攻撃の類に決して走ることのない節度のあるものであった。


それどころか、私の印象では二人は互いの存在、相手からの反撃を半ば期待して書いていたように思われる。

「はじめに」で述べたように。生命現象には、幻惑されるほどの複雑かつ精妙な多様性がある一方で、それを貫く単純明快な普遍原則もある。

前者を強調しすぎれば、生命の神秘性や神の意向(デザイン)といった非科学の方向に進んでしまう。

後者を強調しすぎれば、機械論的、決定論的な生命観にいきついてしまう。

しかし、生命の本当の魅力は両者の微妙な均衡にあり、したがって、多くの論争の結論が凡庸な中間地帯に落ち着くのは避けがたい。

二人ともそのことはわかっているが、中庸ははじめから存在するわけではない。

極論と極論を戦わせることを通じてのみ、本当の意味での中庸が成立する。


ドーキンスが決定論的な主張をするとき、グールドから非決定論的、偶発性重視の反論が来ることを予測しており、それに対する反論を書くことによって、自らの論理をより精緻なものに仕上げていった。

グールドが反漸(ぜん)進的な主張をするとき、ドーキンスからネオ・ダーウィン主義的な批判がかえってくるのは織り込み済みで、それに対する反論を通じて、さらに精緻な論理を練り上げる。

言ってみれば、多少極端なことを言っても、相手が補正してくれることが期待できたのだ。


社会生物学論争史』の著者である、セーゲルストローレは、二人の論争を「狙いをはずした撃ち合い」と評したが、まことに言い得て妙である。

相手の周囲を撃つ事によって、彼らの迎合する俗流解釈を退けあっていたのだ。


認めているからこその学問批判だったのかと。


そして訳者あとがきから、ひらめきやアイデアは


源流が大切なのだ、というのを感じました。


引かせていただき締めさせていただきます。


長いあとがきーーーダーウィン進化論受容をめぐっての考察


2012年4月 垂水雄二 から抜粋


本書は、ドーキンスとグールドの論争を軸に、進化論をめぐる現代生物学史の一断面を描こうとしたものである。

本職の科学史家ではない一介の翻訳家にすぎない私がこの本を書くについては、きわめて個人的な動機があった。


編集者から翻訳者への私の遍歴は、奇しくも、動物行動学から進化生態学への歴史的な移り変わりの時期と一致していたことになる。

個人的な動機とは、この間に何が起こっていたかを私なりに総括しておきたいという願望である。


その渦中にあった時には、めまぐるしい学問の展開に目を見張るだけで、なにが起こっているのか正確には理解できていなかった。

しかし、ドーキンスその他の科学啓蒙書を何冊も翻訳し、周辺の事柄について勉強し、知識が膨らんでいくうちに、その意義を私なりに整理することができるようになった。


そうなってみると、進化生態学の隆盛に伴って、今日ではローレンツらの仕事が、あまりにも過小評価され過ぎているのではないかという疑念が募ってきた。

別の言い方をすれば、進化生態学の発展に果たした動物行動学や個体群生態学などの役割が軽視されているというか、連続性が忘れさられすぎているのではないかという思いである。


「種にとっての利益(幸福)」という考えに固執したローレンツの理論は、遺伝子レベルでの淘汰を前提とする進化生態学の立場からすれば受け入れがたいかもしれない。

また、家畜としてのイヌの原種や、攻撃性について、今日からすれば謝ったことも述べている。

しかし、研究史においてローレンツらが果たした役割を無視して、「過去の人」として片づけるのは違うと思う。


本文にも示したように、ローレンツやティンバーゲンらは、行動もまた進化によって形成されたものであるというダーウィンの指摘を発展させ、行動を生物学の対象とした近代的な学問分野をつくりあげたのである。

単なる行動観察から、行動の意味、メカニズム、個体発生、進化などを解明するエソロジーという学問への昇華であった。


エソロジーは、生得的解発機構というメカニズムと、行動の「比較」という方法論を世に知らしめた。

そして、エソロジーの登場が世界中の研究者にさまざまな動物の行動研究へと駆り立てたのであり、その成果の上に、E・O・ウィルソンの『社会生物学』は打ち立てられたのである。

なによりもドーキンスその人がティンバーゲン学派の嫡統(ちゃくとう)なのである。


余談ながら、動物社会学を標榜する今西錦司の生物観が日本における進化生態学受容の足枷となったのは確かであるが、今西を祖とする学派が野外における行動研究に、餌付け(これについては近年、自然保護的観点から厳しい批判もあるが)や個体識別という手法を確立する事によって野生動物の生態研究に大きな前進をもたらしたことは、正当な評価を受けてしかるべきだろう。

実際に、霊長類学において、この学派は大きな成果を上げてきた。


また、ウィルソンの『社会生物学』で日本人としてもっとも数多くの論文が引用されている研究者であり、おそらくもっとも早く血縁淘汰説を日本に紹介した坂上昭一博士が、今西錦司の影響を強く受けていたことを考えると、学問的な影響関係は単純でないことがわかるだろう。


 


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