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③進化の比較書・ドーキンス氏はなぜそこまでの”動機”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]


進化論の何が問題か―ドーキンスとグールドの論争

進化論の何が問題か―ドーキンスとグールドの論争

  • 作者: 垂水 雄二
  • 出版社/メーカー: 八坂書房
  • 発売日: 2012/05/01
  • メディア: 単行本

5章 利己的遺伝子説の誕生 

進化生物学者への”変身” 


1965年に遺伝子のエソロジーという発想を思いつく。

これは、非常に単純ではあるが驚くほど威力があった。

遺伝子はどのような相互作用をしているのか、遺伝子は単独のときと集団の中では振る舞い方が違いのかを問えばいいのである。

エソロジストがミツバチやセグロカモメやチンパンジーの行動について問うのと、ゲノムや遺伝子の挙動について問うのは本質的に同じことではないか。

1989年の増補版の「まえがき」でドーキンスが述べているところによれば、


利己的遺伝子説は、ダーウィンの説にほかならず、ただ、それを遺伝子の視点から「遺伝子瞰(かん)図的」に表現したものにすぎない。

したがって、正統ネオ・ダーウィン主義進化論の論理的な発展にすぎない。

遺伝子の視点から見たダーウィン主義は、R・A・フィッシャーをはじめとする1930年代初頭のネオ・ダーウィン主義の大先達たちの著作の中で暗黙のうちに語られている

それを明白な形で述べたのは、60年代のハミルトンとウィリアムズだった。

しかし彼らの表現はあまりにも簡明にすぎ、十分に言い尽くされていないと私は思った。

しかし、これを敷衍(ふえん)し、発展させたものをつくれば、生物に関するすべてのアことが、……しかるべきところに収まるのではないかと確信した。

当時、一般向けのダーウィン主義に浸透していた無意識の群淘汰主義を正すのに役立つよう、とり上げる例は社会行動に絞るべきだと考えた。


ネオ・ダーウィニズム主義とは から抜粋


ダーウィンの進化論は、変異を持つ個体間の生存競争を通じての自然淘汰で進化を説明する。

つまり環境により適応した変異を持つ個体がより多くの子孫を残すことによって進化が起こるというわけである。

この理論が成り立つためには、個体の変異が子孫に遺伝しなければならない

『種の起源』が刊行されたのは1859年、メンデルが遺伝の法則を発見するのが1866年、それがド・フリースなど3人の学者によって同時に再発見されるのが1900年だから、ダーウィンは遺伝のメカニズムがまったく不明な時代(自身は遺伝粒子ジェミュールによるパンゲン説という仮説を立てていたが、後に誤りであることが明らかになる)に、その進化論を構築したのである。


初期にはメンデル遺伝学がむしろ種の不変性を示すものであり、ダーウィンの自然淘汰説に対立するものとみなされることがあった。

しかしやがて、ド・フリースの突然変異と自然淘汰の組み合わせで進化が説明できるという共通認識がしだいに成立していく。

しかし、適応的な変異が集団にひろがるメカニズムが明らかになるためには、集団遺伝学の発展をまたなければならなかった。


集団遺伝学の本格的な展開は1930年代に始まる。

フランシス・ゴルトンカール・ピアソン、セルゲイ・S・チェトヴェリコーフなど数多くの先駆者がいるが、主要な貢献者として3人の名前をあげることができる。

すなわちロナルド・A・フィッシャー[1890-1962]、J・B・S・ホールデン[1892-1964]、およびシュアール・ライト[1889-1988]である。


フィッシャーは集団内における遺伝子分布を数理統計学的に扱う方法と理論を開発し、『自然淘汰の遺伝学説』において、集団遺伝学の基礎を確立した。

ホールデンは、有害な突然変異が集団の適応度に影響など、自然淘汰の具体的な側面の理論的研究で、集団遺伝学に貢献した。

『進化の要因』は自然淘汰による進化を数学的に説明したもので、総合説の代表的著作の一つといえる。

ライトは、ライト効果と呼ばれる遺伝的不動の発見者として名高い。


こうした集団遺伝学の発展をもとに、生態学その他の生物学分野を総合して、生物学の統合理論としての進化論をつくろうとする動きが1936年から起こり、1947年にプリンストンで行われた国際会議で、古生物学者を含めて、多方面の生物学者が合意に達した。

この進化論が総合説、あるいはネオ・ダーウィン主義と呼ばれるものである。


総合説の主張を要約すれば、進化は小さな遺伝的変異に自然淘汰がはたらくことによって生じる漸(ぜん)進的な過程として説明できるというもので、大進化も基本的には、小進化の積み重ねによって説明できると考える。

総合説の確立に関係した主要な人物として、前期三人のほかに、前章に登場したドブジャンスキーとシンプソン、そして『系統分類学と種の起原』において異所的種文化の需要性を指摘したエルンスト・マイア、『植物の変異と進化』を著したレドヤード・ステビンス、そして、この考え方を『進化ーー現代的総合』として世間にひろく知らしめたジュリアン・ハクスリーがあげられる。

総合説は集団遺伝学をもとにしているので、自然淘汰の単位が個体ではなく遺伝子にあることが暗黙の前提になっている。


ドーキンスが、「R・A・フィッシャーらの著作で暗黙のうちに語られていること」と書いているのは、この意味である。


しかし、総合説を認める大部分の生物学者はこのことに無自覚で、とくに生態学、エソロジー、文類学など丸ごとの生物を扱う分野では、依然として、個体を単位とした自然淘汰が前提になっていた。

ところが個体を単位とすれば、利他行動の進化を説明することができない。

利他的な個体が利己的な個体との生存競争に勝てる道理がないからである。

そこで、利他的な行動の進化については、たとえばコンラート・ローレンツのように、「種の利益(幸福)」という概念をもちださざるをえなくなる


これは種ないしは個体群が淘汰の単位になるということであり、ネオ・ダーウィン主義進化論の前提と矛盾する(ただし、種淘汰や個体群レベルでの淘汰である群淘汰については、いまなお議論がつづいており、現在では、ごく限定された条件下で群淘汰が成立しうることが、数学的に証明されている。しかし群淘汰と称されているもののほとんどは、遺伝子レベルの淘汰で説明が可能である)。


ドーキンスが、「一般向けのダーウィン主義に浸透していた無意識の群淘汰主義」と言っているのはこのことを指している。


ハミルトンの功績 から抜粋


利他的行動のような、個体にとって不利益な行動の進化を説明する理論が出てくるのは、1960年代になってからで、本当の意味で遺伝子からの視点をドーキンスに開眼させたのは、ウィリアムス・ハミルトン[1936-2000]が1964年に「社会行動と遺伝的進化」という論文(この論文の発表に関してはジョン・メイナード・スミス[1920-2004]とのあいだで、微妙ないきちがいがあり、科学史的に興味深いが、本書の主旨からは逸脱するので、ここでは述べないことにする)で明らからにした血縁淘汰説の根拠となる包括適応度という概念である。


論文そのものは専門家でも簡単には歯がたたないほど難解な数式が出てくるが、ハミルトン本人は、昆虫少年の心を持ったまま大人になったナチュラリストであった。

世間の常識に無頓着なため、数々の奇行が伝えられ、金銭的にも恵まれることがなかった(自伝には、母親が金儲けを軽蔑し、息子の昆虫研究を激励して、金持ちになる道を閉ざした。なぜなら、金持ちがアマチュア研究者になることがあっても、幼くして虫好きになった人間が金持ちになることはないからだと書かれている。金に無頓着な気質は母親から受け継いだのだろう)。


その波乱に満ちた愛すべき人生の一端は、ドーキンスの追悼文「W・D・ハミルトンへの頌徳(しょうとく)の辞」(『悪魔に仕える牧師』300ページ)や長谷川眞里子編『虫を愛し、虫に愛された人』(ここに短い自伝が収録されている)から知ることができる。

この後者の本に、追悼集会で読み上げられたコスタリカ大学の進化生物学者の手紙が紹介されている。

それによれば、ハミルトンは子供のときに母親に自然淘汰の原理を教えられ、『種の起原』を読み、大学に入って授業で教わった自然淘汰は群淘汰の誤りに満ちていて、おかしいと憤慨したが、誰も相手にしてくれなかった。

それで、自分はハクスリーのようにダーウィンのブルドッグになって、誤りをただそうと決意したのだという。

その志は結果として、『利己的な遺伝子』でハミルトンの考えを流布したドーキンスによって実現されることになる。


ドーキンスの真の功績 から抜粋


ドーキンスは、こうした状況の中で、「利己的な遺伝子」というキーワードを思いつく。

それは誰もが気づいていそうでありながら、誰も口にしなかった概念であった。


ケンブリッジ大学キングスカレッジの学寮長であるパトリック・ベイトソン教授は、ドーキンスの進化について考えるためのイメージは、数世代の学生に役立ち、大衆が進化について考えるのを助けたことは間違いないと断言している。

彼によれば、ドーキンスは、比喩を使いこなすたぐいまれな能力を持っていて、若い学生たちはドーキンスの文章を読んだとたん、すべてが明快になるのだという。

しかし、ベイトソンによれば、ドーキンスを単なる啓蒙家と呼ぶのは、陳腐というよりもむしろはっきりした誤りである。

彼の思考には、もっと深いものがあるのだと、評価している。


60年代の文学者をランナーに例えて


同じトラックに並んで走っているように見えるが


「三島由紀夫だけ一周多く走っている」


というようなことを言ったというエピソードを


吉本隆明先生が言っていたというのを思いだした。


誤解が生んだベストセラー から抜粋


「利己的な遺伝子」という表現はきわめて誤解を招きやすいものである。

ドーキンスが言っているように、これは遺伝子の視点から見た進化を述べた本であり、生存競争に関わるのは個体ではなく遺伝子である、すなわち利己的なのは個体ではなく遺伝子だ、遺伝子が利己的だからこそ個体として利他的な行動が進化するという意味なのである。


しかし多くの読者は、この本を利己的な行動を擁護するものだと誤解した。

逆に言えば、そういう誤解があったればこそ、世界的なベストセラーになったともいえる。

30周年記念版の「まえがき」で、「協調的な遺伝子」とすれば、よかったかもしれないと書いている。

(これは、まさに哲学者カール・ポパーがこの本について唯一語った言葉でもあった)が、そうすれば誤解は少なかったかもしれないが、きっとこれほど売れることはなかっただろう。


誤解はこの本に賛成する人間にも反対する人間にも見られた。


浮気するのも遺伝子のせいだとドーキンスが言っているようなことを言い散らし、それを真に受けた自由市場主義経済の擁護者たちは、この説で自分たちのやり方が科学的に支持されたと錯覚した。

批判者のほうもドーキンスの本をろくに読まず、同じような誤解のもとに批判を繰り広げた。

たとえば英国の哲学者のメアリー・ミッジリーはドーキンスが人間は生まれつき利己的なのだと思い込ませようとしているといって批判した。

しかし、明らかにそれはドーキンスの本意ではなかった。

『利己的な遺伝子』の第1章の冒頭部分ではっきりこう述べられている。


まず、私は、この本が何でないかを主張しておきたい。

私は進化に基づいた道徳を主張しようというのではない。

私は単に、ものごとがどう進化してきたかを言っているだけだ。

私は、われわれ人間が道徳的にいかに振る舞うべきかを述べようというのではない。

私がこのことを強調するのは、どうあるべきかという主張と、どうであるという所信の表明とを区別できない人々、しかも非常に多くのそうした人々の誤解を受ける危険があるからである。


それだけでなく、最後の(初版のことで、増補版ではこのあとに2章追加されている)第11章では、人間には文化があるので、動物の議論をそのまま持ってくることはできないことを認め、文化的な進化を論じるための概念としてミームを提唱している。

そして、この章の最後をこう締めくくっている。


われわれは遺伝子機械として組み立てられ、ミーム機械として教化されてきた。

しかしわれわれには、これらの創造者に刃向かう力がある。

この地上で、唯一われわれだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである。


このあと、超ベストセラーを次々飛ばすのだけど


そこはざっくり割愛させていただきまして。


10章 科学と神のなわばり 


ドーキンスの宣戦布告 から抜粋


2006年に出版された『神は妄想である』は、もちろんグールドの『千歳の岩』を読んだうえで書かれたものであり、NOMAという考え方の批判もあるが、グールド批判はこの本の主題でも動機でもなかった。

ドーキンスがこの本を書いた動機は明らかで、9.11の悲劇を目の当たりにした怒りにほかならない。

前章でも述べたように、ヨーロッパの宗教戦争は長い歴史をもち、英国でも、その余波がアイルランド紛争という形でいまなおくすぶっている。

紛争とはいいながら、これはカトリックとプロテスタントの宗教戦争にほかならない。


9.11のテロ事件は、一般市民に与えた衝撃という点では、類例のないものであるが、この現在においても、1年間に宗教的対立のゆえに殺されていく人間の数は、ニューヨークのテロ犠牲者の何十倍、何百倍にも達する。

それよりも恐ろしいのは、戦乱で肉親を失い、戦火の中を逃げ回りながら、何の希望もなく、生きていかなければならない無数の子供たちを作り出していることである。

この負の循環を前にして、ドーキンスは、今こそ立ち上がるべきときだと宣言する。


科学啓蒙家として、ドーキンスは、星占いやホメオパシーをはじめとする擬似科学の信者を批判し、科学的な思考の重要性を折りに触れて強調していた。

そうした批判は、彼の啓蒙的著作の随所に見られる。

宗教もそうした批判の対象の一つであり、たとえば『悪魔に仕える牧師』に収録されている「ドリーと聖職者の頭」というエッセイでは、生命倫理がらみの問題で、宗教家の発言に特権的な地位が与えられていることに対する憤りが語られている。

だが、進化論の普及にとって聖書を厳密に解釈する原理主義的なキリスト教徒は障害であるが、英国では、大きな問題ではなかった。


ドーキンスの動機は、ブッシュ大統領(当時)の政策に象徴されるようなキリスト教原理主義者、あるいはそれに対抗するイスラム教原理主義、自分の信じる神だけが絶対的に正しいと信じる精神こそが、諸悪の根元であり、その呪縛から人類を解き放たないかぎり、今日の悲惨な報復の連鎖に終止符を打つことができないという危機感であった。

とはいえ、諸悪の根源を宗教に帰するというのはいささか乱暴かつ短絡的であることは確かである。

多くの穏健な宗教者は宗教を科学に押し付けたりはしないし、異教徒を殲(せん)滅せよなどというわけではない。

ドーキンスはそういう人々を攻撃するわけではない。

彼が問題にするのは、「神」の言葉を疑いなく信じる宗教の精神であり、信仰であるから尊重されなければならないという世間の態度である。

「神」の言葉を疑わないという精神が原理主義を生むのであり、信者が無条件に信じていることはなんであれ容認するとすれば、自爆テロも容認せざるをえなくなってしまう。

いずれにせよ、「神」の言葉を疑わないという精神は、すべてを疑うという科学の精神と両立しえないものであると、ドーキンスは考える


どうすれば、宗教のこの呪縛から解き放つことができるか。

生物学者ドーキンスにできることは知的啓蒙しかない。

神の名において悪魔や異教徒を殺すことを厭わない人々に向かって、そんな神など存在しない、世界を自分の目で見て、自分の理性で判断しなさいと説く。

それがこの本の目的であった。


ドーキンスは、有神論的な神、宗教的な意味での神の存在を否定する。

哲学的・科学的・聖書解釈的・社会学的・倫理学的、そのほかあらゆる側面からの神の存在のありえなさを論証していき、ついでに科学と宗教の守備範囲はちがうというグールドのNOMA説も退ける。

科学が踏み込めない領域など存在しないという。

だが、ドーキンスのこうした批判の仕方は、グールドとはちがった意味でジレンマをもたらす。

すなわち、進化論を認める穏健な信仰者を敵に回してしまい、結果として科学の啓蒙にとってマイナスの効果をもたらしかねないという点である。


私は闘いの本質が超自然の主義と自然主義、宗教と科学をめぐるものであり、進化論教育をめぐる戦いは、戦争の中のただの小競り合い、局地戦に過ぎないと考えています。

私に口を閉じろという科学者たちの要求は、この局地戦の方が本質的な闘いで、それに敗けるわけにはいかないということだろうと思う。

グールドがNOMA という概念を発表したそもそもの政治的な理由ではないかと思いますが、それを私に受け入れよというのはナンセンスです。

…彼らは分別ある宗教人、つまり進化論を信じている神学者や司祭、牧師たちを自分の側につけたいと思っているのです。

そしてそうした分別ある宗教人を味方につけるには、科学と宗教の間に矛盾はないと言わなければならないのです。

私たち科学者はみな、信心深いかどうかに関わらず進化論を信じています。

主流派正統的宗教人を味方につける必要があるため、彼らに神への根本的な信仰に関しては譲歩しなければいけないということなのです。

しかし私にとっては科学と宗教の闘いが本質的なのです。


ここに、ドーキンスが『神は妄想である』を書いた動機の一つが示されている。

すなわち、論理に対する信頼である。

科学主義信仰だと言う人がいるかもしれないが、妥協せずに論理の筋を通すというのが、ドーキンスの一貫した流儀である。

たとえ、敵をつくろうが、論理的に正しいことをいわねばならないという青臭いまでの倫理観である。

科学が正しいのか宗教がただしいのか決着をつけようという意気込みといってもいい。


先のインタビューで、「信心深い人がこの本を開いて、読み終わるまでには無神論になる」という願望が述べられているが、本当にそう思っているのかと尋ねられて、それは野望だが、そうなると思うほどナイーブではないが、少しでも可能性があれば、そうなって欲しいと答えている。


生粋の英国人で宗教戦争を肌で感じ


奥様も北アイルランドの方で紛争の象徴と言われる


ベルファースト近くに縁のある子爵令嬢とのことらしい。


ここらは日本人には土地的にも感覚的にも


なかなか理解しにくいところだけども。


『神は妄想である』はこういった背景を知らずに


読んだので、なぜここまで徹底的に糾弾するのか


分からなかった謎が少し解けた気もした。


それにしても


九州地方が線状降水帯の影響で心配な本日


暑過ぎて溶けそうな熱中症の心配の


関東地方でございます。


 


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