④進化の比較書・グールド氏の敵と源流の大切さを読む [’23年以前の”新旧の価値観”]
- 作者: 垂水 雄二
- 出版社/メーカー: 八坂書房
- 発売日: 2012/05/01
- メディア: 単行本
1974年からグールドは、『ナチュラリスト』誌にエッセイの連載を開始する。
この連載は2001年1月まで、27年間300回にわたって続いた。
エッセイ欄のタイトルは、this view of life(渡辺政隆氏の訳にしたがえば、「かくのごとき生命観」)はダーウィンの『種の起原』全体を締めくくる最後の一節に出てくる文章で、G・G・シンプソンもまたこの言葉を書名に使っている。
主要な著作を年代順に見ながら、グールドの関心のありかを探ってみよう。
1977年に刊行されたこの大著は、グールドのもっともすぐれた業績の一つとみなされているもので、個体発生と系統発生の関係を本格的に論じている。
冒頭に掲げられた「謝辞」によれば、この本はエルンスト・マイアの勧めによって書き始められたもので、進化論に関する大著を書き上げるための予行練習という意図があったという。
その大著の方は死の直前に『進化思想の構造』として完成する。
最初の構想を25年後に結実させたのは、みごとな学者人生というほかない。
本書は大きく二部に分かれ、第一部は「反復説」と題されている。
反復説はいまでこそ学界ではほとんど見向きもされないが、19世紀には比較発生学や古生物学の指導原理であったし、いまでも大衆のあいだでは人気がある(たとえば、一部の人々のあいだで評価が高い三木茂夫などは典型的な反復説論者である)。
進化論の勝利の中で、反復説が人種差別や発達心理学、さらにはフロイト派の精神分析に根拠を与えていく過程を例証していくあたり、科学史家としてのグールドの面目躍如(やくじょ)たるものがある。
第二部は「異時性と幼形進化」と題され、こちらがいわば本論である。
異時性(ヘテロクロニー)という概念はヘッケルが同時性(シンクロニティ)の対語として1875年に提唱したもので、個体発生において、特定の器官の発生のタイミングや速度が促進されたり遅滞したりすることを指す。
発生のタイミングの変化は結果として成体における幼形化を生じ、それが種の分岐(系統発生)をもたらすというわけである。
グールドが『個体発生と系統発生』を書いたのは、ホメオティック遺伝子が発見される10年以上も前で、進化発生生物学(エボデボ)が生物学の中心テーマになるなど想像もできなかった時代のことだった。
進化における個体発生の重要性を指摘したグールドの先見の明は、分子生物学の、とくにヒトゲノム計画以降の発展によって裏づけられたわけである。
ここには、生物を歴史として捉えるグールドの真骨頂が現れている。
『ワンダフル・ライフ』(原著1990年)
グールドの名を世界にとどろかせたこの本は、カナダのブリティッシュ・コロンビア州にあるバージェス遺跡から見つかった化石群についての記録である(エッセイ集では、『ダーウィン以来』の第15章、『八匹の子豚』の第15章、第30章などで触れられている)。
グールドがこの本で提起している重要な概念として、異質性(disparity)がある。
異質性は種の多様性(diversity)に対して、体制すなわち体の設計プランのちがいをあらわすもので、分類学的には異質性は門のレベルに対応する。
グールドがカンブリア紀の動物の進化に関してもつ見取り図は次のようなものである。
すなわちカンブリア紀には爆発的な異質性の増大があり、多数の門が一挙に出現したが、その多くは絶滅してしまい、一部の幸運な門だけが生き残って多様化をとげた、というのである。
この見方の根拠になっているのは、バージェス頁岩に見つかる化石動物には、現在の分類学のいかなる門にも収容できない奇妙奇天烈な動物が見つかるという事実である。
しかし、『ワンダフル・ライフ』が出版されてから20年以上たった現在では、グールドが独自の門に分類すべきだとしたほとんどの動物が、その最初の分類を与えたコンウェイ・モリスその人によって、従来の動物門に分類することが明らかにされている。
したがって、最初に多数の門ができて、カンブリア紀に異質性が最大であったというグールドの主張は根拠を失ってしまった。
カンブリア紀に現生のほとんどの動物門が出現したのは事実だが、合理的な説明が不可能なわけではない。
例えば、地球の酸素濃度の上昇によってこの時期にはじめて体の大型化が可能になったために化石が見つかるが、それ以前の生物は小さすぎて化石として残らなかっただけだといった説得力のある仮説が提示されている。
種から属、科、目、綱と漸(ぜん)進的な枝分かれによる進化を前提とする従来の梯子状ないしは逆円錐形の系統樹に対するグールドの批判(断続平衡説、あるいは大進化と小進化のメカニズムは異なるといった主張)に聴くべきところは多いが、この本で展開された論理は明らかに行き過ぎであった。
結果として、多くの識者に進化に関して誤った印象を与えることになった。
たとえばスチュアート・カウフマンは『自己組織化と進化の理論』において、カンブリア紀の大爆発について、「たがいに非常に異なった身体の仕組みを持つ生物の門が多数生まれることにより、自然は急激に前進した。そして、子の基本的なデザインがより精緻化されることにより、綱、目、科、属が形成されていったのである」と述べている。
実際の種分化の過程をちょっとでも具体的に思い浮かべれば、それがいかに荒唐無稽な逆立ちした言い分であるかはただちにわかるはずである。
ドーキンスは『虹の解体』(この第8章全体が『ワンダフル・ライフ』批判に当てられている)のなかで、それはまるで、庭師が古いオークのきを見て、「この木にはもう何年も太い枝が生えてこない。最近じゃ小枝しか伸びてこない」とつぶやいているのと同じだと揶揄している。
いきなり太い枝(門)が生えるはずがなく、細い枝(種)が時間と共に太くなっていくだけのことだというわけである。
この本で、おそらくグールドがもっとも言いたかったのは歴史の偶発性であろう。
生命のテープを巻き戻せば、そのたびに異なった進化の様相が現れるはずだというのが、グールドの主張だが、この点についてドーキンスは『祖先の物語』末尾の「進化のやり直し」という項で検討を加えている。
その時にある材料で仮説立ててみたら
実は後から異なる発見があった、ってのは
ダーウィンそのものみたいにも感じますけれども。
重要なのは正しかったか、どうかよりも
自論をエキスパンド(飛躍的な爆発とでもいうのか)
できたか、なのかと。これが常人にはむずいのです。
しかし事実の方が優先されて
『ワンダフル・ライフ』の評価が下がって
歴史の闇に消えていくとしたら悲しい気がする。
論文中心の学者さんの世界の厳しさなのか。
グールドの宗教観 から抜粋
『千歳の岩』は、言ってみれば、宗教と科学の棲み分け宣言である。
科学と宗教の教導権は異なるのだから、お互いに立ち入らないようにしましょうという主張で、これをNOMA(非重複教導権)という言葉で表現する。
教導権が異なるという根拠をつきつめていけば、科学は何が真実であるのかを明らかにすることはできても、何が正しいかを明らかにすることはできないということに尽きる。
しかしこれを、自然科学と人文社会科学の棲み分けでなく、科学と宗教の棲み分けと言わなければならない理由は何なのか。
道徳的な判断基準を科学が与えることができないというのは事実だが、それを宗教が与えうるという保証はどこにもない。
ドーキンスが主張するごとく、人生の意味や、人生をいかに生きるべきかを考えるとき、科学者であれ宗教家であれ、すべての人間は対等ではないのか、なぜ、宗教ないし宗教家に特権的な地位を認めなければならないのか。
もちろん、哲学者、歴史家、宗教学者や人類学者がそれぞれの学問領域において自然科学者よりも専門知識を持ち、深い考察を重ねてきたことは否定できないので、彼らの言葉に耳を傾けることは必要だろう。
しかしそういう人を差し置いて、なぜ宗教でなければならないのか。
グールドは、その疑問に明確な答えを与えていない。
グールドは、『千歳の岩』で、科学と宗教の対立というのが、歴史的につくられた偽りであることを科学史的に例証し、多くの優れた科学者たちが内心で折り合いつけて科学と宗教を共存させてきた例を示しているだけである。
NOMAは常識的な考え方で、多くの人が無意識のうちに実践しているものだから、ことさら言い立てるほどのものではない。
グールドがあえてこの本を書かねばならなかった理由は、アメリカという特殊な国におけるグールドの困難な状況であった。
グールドは生涯を通じて、背腹(せいはら)両面からの二つの「敵」と闘いづつけた。
一つの敵は、前章で述べた、人種差別主義者や優生論者、その理論的根拠を与える遺伝子決定論者である。
その根源は自らの境遇に関わるものであり、闘いは自らの専門分野における、還元主義批判、ネオ・ダーウィン主義批判と結びつく。
これまで見てきたように、彼の主要な著作の大多数はそのために書かれていた。
もう一つの敵は、進化論を否定する創造論である。
創造論批判はある意味で自然科学者としての職業倫理といえる。
宗教的に、米国は先進諸国の中で世界に類を見ない特殊な国で、福音派プロテスタントが多数を占め、大統領選の結果を左右するほどの力を持っている。
彼らはカトリックに比べてはるかに原理主義的で、創造論や想像科学、インテリジェント・デザイン(ID)説運動の中心勢力である。
11章 狙いをはずした撃ち合い
支え合った二人 から抜粋
ドーキンスとグールドは、互いの著書が出るたびに書評にとりあげ、厳しく批判しあってきたため、事情をよく知らない人々は、二人が憎しみあっていて、顔を合わせてもそっぽを向くような関係にあるかのように思うかもしれない。
しかし、そこに収録された書評を読めばわかる通り、批判はあくまでも学問なレベルなものであり、人格攻撃の類に決して走ることのない節度のあるものであった。
それどころか、私の印象では二人は互いの存在、相手からの反撃を半ば期待して書いていたように思われる。
「はじめに」で述べたように。生命現象には、幻惑されるほどの複雑かつ精妙な多様性がある一方で、それを貫く単純明快な普遍原則もある。
前者を強調しすぎれば、生命の神秘性や神の意向(デザイン)といった非科学の方向に進んでしまう。
後者を強調しすぎれば、機械論的、決定論的な生命観にいきついてしまう。
しかし、生命の本当の魅力は両者の微妙な均衡にあり、したがって、多くの論争の結論が凡庸な中間地帯に落ち着くのは避けがたい。
二人ともそのことはわかっているが、中庸ははじめから存在するわけではない。
極論と極論を戦わせることを通じてのみ、本当の意味での中庸が成立する。
ドーキンスが決定論的な主張をするとき、グールドから非決定論的、偶発性重視の反論が来ることを予測しており、それに対する反論を書くことによって、自らの論理をより精緻なものに仕上げていった。
グールドが反漸(ぜん)進的な主張をするとき、ドーキンスからネオ・ダーウィン主義的な批判がかえってくるのは織り込み済みで、それに対する反論を通じて、さらに精緻な論理を練り上げる。
言ってみれば、多少極端なことを言っても、相手が補正してくれることが期待できたのだ。
『社会生物学論争史』の著者である、セーゲルストローレは、二人の論争を「狙いをはずした撃ち合い」と評したが、まことに言い得て妙である。
相手の周囲を撃つ事によって、彼らの迎合する俗流解釈を退けあっていたのだ。
認めているからこその学問批判だったのかと。
そして訳者あとがきから、ひらめきやアイデアは
源流が大切なのだ、というのを感じました。
引かせていただき締めさせていただきます。
長いあとがきーーーダーウィン進化論受容をめぐっての考察
2012年4月 垂水雄二 から抜粋
本書は、ドーキンスとグールドの論争を軸に、進化論をめぐる現代生物学史の一断面を描こうとしたものである。
本職の科学史家ではない一介の翻訳家にすぎない私がこの本を書くについては、きわめて個人的な動機があった。
編集者から翻訳者への私の遍歴は、奇しくも、動物行動学から進化生態学への歴史的な移り変わりの時期と一致していたことになる。
個人的な動機とは、この間に何が起こっていたかを私なりに総括しておきたいという願望である。
その渦中にあった時には、めまぐるしい学問の展開に目を見張るだけで、なにが起こっているのか正確には理解できていなかった。
しかし、ドーキンスその他の科学啓蒙書を何冊も翻訳し、周辺の事柄について勉強し、知識が膨らんでいくうちに、その意義を私なりに整理することができるようになった。
そうなってみると、進化生態学の隆盛に伴って、今日ではローレンツらの仕事が、あまりにも過小評価され過ぎているのではないかという疑念が募ってきた。
別の言い方をすれば、進化生態学の発展に果たした動物行動学や個体群生態学などの役割が軽視されているというか、連続性が忘れさられすぎているのではないかという思いである。
「種にとっての利益(幸福)」という考えに固執したローレンツの理論は、遺伝子レベルでの淘汰を前提とする進化生態学の立場からすれば受け入れがたいかもしれない。
また、家畜としてのイヌの原種や、攻撃性について、今日からすれば謝ったことも述べている。
しかし、研究史においてローレンツらが果たした役割を無視して、「過去の人」として片づけるのは違うと思う。
本文にも示したように、ローレンツやティンバーゲンらは、行動もまた進化によって形成されたものであるというダーウィンの指摘を発展させ、行動を生物学の対象とした近代的な学問分野をつくりあげたのである。
単なる行動観察から、行動の意味、メカニズム、個体発生、進化などを解明するエソロジーという学問への昇華であった。
エソロジーは、生得的解発機構というメカニズムと、行動の「比較」という方法論を世に知らしめた。
そして、エソロジーの登場が世界中の研究者にさまざまな動物の行動研究へと駆り立てたのであり、その成果の上に、E・O・ウィルソンの『社会生物学』は打ち立てられたのである。
なによりもドーキンスその人がティンバーゲン学派の嫡統(ちゃくとう)なのである。
余談ながら、動物社会学を標榜する今西錦司の生物観が日本における進化生態学受容の足枷となったのは確かであるが、今西を祖とする学派が野外における行動研究に、餌付け(これについては近年、自然保護的観点から厳しい批判もあるが)や個体識別という手法を確立する事によって野生動物の生態研究に大きな前進をもたらしたことは、正当な評価を受けてしかるべきだろう。
実際に、霊長類学において、この学派は大きな成果を上げてきた。
また、ウィルソンの『社会生物学』で日本人としてもっとも数多くの論文が引用されている研究者であり、おそらくもっとも早く血縁淘汰説を日本に紹介した坂上昭一博士が、今西錦司の影響を強く受けていたことを考えると、学問的な影響関係は単純でないことがわかるだろう。
③進化の比較書・ドーキンス氏はなぜそこまでの”動機”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]
進化生物学者への”変身”
1965年に遺伝子のエソロジーという発想を思いつく。
これは、非常に単純ではあるが驚くほど威力があった。
遺伝子はどのような相互作用をしているのか、遺伝子は単独のときと集団の中では振る舞い方が違いのかを問えばいいのである。
エソロジストがミツバチやセグロカモメやチンパンジーの行動について問うのと、ゲノムや遺伝子の挙動について問うのは本質的に同じことではないか。
1989年の増補版の「まえがき」でドーキンスが述べているところによれば、
利己的遺伝子説は、ダーウィンの説にほかならず、ただ、それを遺伝子の視点から「遺伝子瞰(かん)図的」に表現したものにすぎない。
したがって、正統ネオ・ダーウィン主義進化論の論理的な発展にすぎない。
遺伝子の視点から見たダーウィン主義は、R・A・フィッシャーをはじめとする1930年代初頭のネオ・ダーウィン主義の大先達たちの著作の中で暗黙のうちに語られている。
それを明白な形で述べたのは、60年代のハミルトンとウィリアムズだった。
しかし彼らの表現はあまりにも簡明にすぎ、十分に言い尽くされていないと私は思った。
しかし、これを敷衍(ふえん)し、発展させたものをつくれば、生物に関するすべてのアことが、……しかるべきところに収まるのではないかと確信した。
当時、一般向けのダーウィン主義に浸透していた無意識の群淘汰主義を正すのに役立つよう、とり上げる例は社会行動に絞るべきだと考えた。
ネオ・ダーウィニズム主義とは から抜粋
ダーウィンの進化論は、変異を持つ個体間の生存競争を通じての自然淘汰で進化を説明する。
つまり環境により適応した変異を持つ個体がより多くの子孫を残すことによって進化が起こるというわけである。
この理論が成り立つためには、個体の変異が子孫に遺伝しなければならない。
『種の起源』が刊行されたのは1859年、メンデルが遺伝の法則を発見するのが1866年、それがド・フリースなど3人の学者によって同時に再発見されるのが1900年だから、ダーウィンは遺伝のメカニズムがまったく不明な時代(自身は遺伝粒子ジェミュールによるパンゲン説という仮説を立てていたが、後に誤りであることが明らかになる)に、その進化論を構築したのである。
初期にはメンデル遺伝学がむしろ種の不変性を示すものであり、ダーウィンの自然淘汰説に対立するものとみなされることがあった。
しかしやがて、ド・フリースの突然変異と自然淘汰の組み合わせで進化が説明できるという共通認識がしだいに成立していく。
しかし、適応的な変異が集団にひろがるメカニズムが明らかになるためには、集団遺伝学の発展をまたなければならなかった。
集団遺伝学の本格的な展開は1930年代に始まる。
フランシス・ゴルトン、カール・ピアソン、セルゲイ・S・チェトヴェリコーフなど数多くの先駆者がいるが、主要な貢献者として3人の名前をあげることができる。
すなわちロナルド・A・フィッシャー[1890-1962]、J・B・S・ホールデン[1892-1964]、およびシュアール・ライト[1889-1988]である。
フィッシャーは集団内における遺伝子分布を数理統計学的に扱う方法と理論を開発し、『自然淘汰の遺伝学説』において、集団遺伝学の基礎を確立した。
ホールデンは、有害な突然変異が集団の適応度に影響など、自然淘汰の具体的な側面の理論的研究で、集団遺伝学に貢献した。
『進化の要因』は自然淘汰による進化を数学的に説明したもので、総合説の代表的著作の一つといえる。
ライトは、ライト効果と呼ばれる遺伝的不動の発見者として名高い。
こうした集団遺伝学の発展をもとに、生態学その他の生物学分野を総合して、生物学の統合理論としての進化論をつくろうとする動きが1936年から起こり、1947年にプリンストンで行われた国際会議で、古生物学者を含めて、多方面の生物学者が合意に達した。
この進化論が総合説、あるいはネオ・ダーウィン主義と呼ばれるものである。
総合説の主張を要約すれば、進化は小さな遺伝的変異に自然淘汰がはたらくことによって生じる漸(ぜん)進的な過程として説明できるというもので、大進化も基本的には、小進化の積み重ねによって説明できると考える。
総合説の確立に関係した主要な人物として、前期三人のほかに、前章に登場したドブジャンスキーとシンプソン、そして『系統分類学と種の起原』において異所的種文化の需要性を指摘したエルンスト・マイア、『植物の変異と進化』を著したレドヤード・ステビンス、そして、この考え方を『進化ーー現代的総合』として世間にひろく知らしめたジュリアン・ハクスリーがあげられる。
総合説は集団遺伝学をもとにしているので、自然淘汰の単位が個体ではなく遺伝子にあることが暗黙の前提になっている。
ドーキンスが、「R・A・フィッシャーらの著作で暗黙のうちに語られていること」と書いているのは、この意味である。
しかし、総合説を認める大部分の生物学者はこのことに無自覚で、とくに生態学、エソロジー、文類学など丸ごとの生物を扱う分野では、依然として、個体を単位とした自然淘汰が前提になっていた。
ところが個体を単位とすれば、利他行動の進化を説明することができない。
利他的な個体が利己的な個体との生存競争に勝てる道理がないからである。
そこで、利他的な行動の進化については、たとえばコンラート・ローレンツのように、「種の利益(幸福)」という概念をもちださざるをえなくなる。
これは種ないしは個体群が淘汰の単位になるということであり、ネオ・ダーウィン主義進化論の前提と矛盾する(ただし、種淘汰や個体群レベルでの淘汰である群淘汰については、いまなお議論がつづいており、現在では、ごく限定された条件下で群淘汰が成立しうることが、数学的に証明されている。しかし群淘汰と称されているもののほとんどは、遺伝子レベルの淘汰で説明が可能である)。
ドーキンスが、「一般向けのダーウィン主義に浸透していた無意識の群淘汰主義」と言っているのはこのことを指している。
ハミルトンの功績 から抜粋
利他的行動のような、個体にとって不利益な行動の進化を説明する理論が出てくるのは、1960年代になってからで、本当の意味で遺伝子からの視点をドーキンスに開眼させたのは、ウィリアムス・ハミルトン[1936-2000]が1964年に「社会行動と遺伝的進化」という論文(この論文の発表に関してはジョン・メイナード・スミス[1920-2004]とのあいだで、微妙ないきちがいがあり、科学史的に興味深いが、本書の主旨からは逸脱するので、ここでは述べないことにする)で明らからにした血縁淘汰説の根拠となる包括適応度という概念である。
論文そのものは専門家でも簡単には歯がたたないほど難解な数式が出てくるが、ハミルトン本人は、昆虫少年の心を持ったまま大人になったナチュラリストであった。
世間の常識に無頓着なため、数々の奇行が伝えられ、金銭的にも恵まれることがなかった(自伝には、母親が金儲けを軽蔑し、息子の昆虫研究を激励して、金持ちになる道を閉ざした。なぜなら、金持ちがアマチュア研究者になることがあっても、幼くして虫好きになった人間が金持ちになることはないからだと書かれている。金に無頓着な気質は母親から受け継いだのだろう)。
その波乱に満ちた愛すべき人生の一端は、ドーキンスの追悼文「W・D・ハミルトンへの頌徳(しょうとく)の辞」(『悪魔に仕える牧師』300ページ)や長谷川眞里子編『虫を愛し、虫に愛された人』(ここに短い自伝が収録されている)から知ることができる。
この後者の本に、追悼集会で読み上げられたコスタリカ大学の進化生物学者の手紙が紹介されている。
それによれば、ハミルトンは子供のときに母親に自然淘汰の原理を教えられ、『種の起原』を読み、大学に入って授業で教わった自然淘汰は群淘汰の誤りに満ちていて、おかしいと憤慨したが、誰も相手にしてくれなかった。
それで、自分はハクスリーのようにダーウィンのブルドッグになって、誤りをただそうと決意したのだという。
その志は結果として、『利己的な遺伝子』でハミルトンの考えを流布したドーキンスによって実現されることになる。
ドーキンスの真の功績 から抜粋
ドーキンスは、こうした状況の中で、「利己的な遺伝子」というキーワードを思いつく。
それは誰もが気づいていそうでありながら、誰も口にしなかった概念であった。
ケンブリッジ大学キングスカレッジの学寮長であるパトリック・ベイトソン教授は、ドーキンスの進化について考えるためのイメージは、数世代の学生に役立ち、大衆が進化について考えるのを助けたことは間違いないと断言している。
彼によれば、ドーキンスは、比喩を使いこなすたぐいまれな能力を持っていて、若い学生たちはドーキンスの文章を読んだとたん、すべてが明快になるのだという。
しかし、ベイトソンによれば、ドーキンスを単なる啓蒙家と呼ぶのは、陳腐というよりもむしろはっきりした誤りである。
彼の思考には、もっと深いものがあるのだと、評価している。
60年代の文学者をランナーに例えて
同じトラックに並んで走っているように見えるが
「三島由紀夫だけ一周多く走っている」
というようなことを言ったというエピソードを
吉本隆明先生が言っていたというのを思いだした。
誤解が生んだベストセラー から抜粋
「利己的な遺伝子」という表現はきわめて誤解を招きやすいものである。
ドーキンスが言っているように、これは遺伝子の視点から見た進化を述べた本であり、生存競争に関わるのは個体ではなく遺伝子である、すなわち利己的なのは個体ではなく遺伝子だ、遺伝子が利己的だからこそ個体として利他的な行動が進化するという意味なのである。
しかし多くの読者は、この本を利己的な行動を擁護するものだと誤解した。
逆に言えば、そういう誤解があったればこそ、世界的なベストセラーになったともいえる。
30周年記念版の「まえがき」で、「協調的な遺伝子」とすれば、よかったかもしれないと書いている。
(これは、まさに哲学者カール・ポパーがこの本について唯一語った言葉でもあった)が、そうすれば誤解は少なかったかもしれないが、きっとこれほど売れることはなかっただろう。
誤解はこの本に賛成する人間にも反対する人間にも見られた。
浮気するのも遺伝子のせいだとドーキンスが言っているようなことを言い散らし、それを真に受けた自由市場主義経済の擁護者たちは、この説で自分たちのやり方が科学的に支持されたと錯覚した。
批判者のほうもドーキンスの本をろくに読まず、同じような誤解のもとに批判を繰り広げた。
たとえば英国の哲学者のメアリー・ミッジリーはドーキンスが人間は生まれつき利己的なのだと思い込ませようとしているといって批判した。
しかし、明らかにそれはドーキンスの本意ではなかった。
『利己的な遺伝子』の第1章の冒頭部分ではっきりこう述べられている。
まず、私は、この本が何でないかを主張しておきたい。
私は進化に基づいた道徳を主張しようというのではない。
私は単に、ものごとがどう進化してきたかを言っているだけだ。
私は、われわれ人間が道徳的にいかに振る舞うべきかを述べようというのではない。
私がこのことを強調するのは、どうあるべきかという主張と、どうであるという所信の表明とを区別できない人々、しかも非常に多くのそうした人々の誤解を受ける危険があるからである。
それだけでなく、最後の(初版のことで、増補版ではこのあとに2章追加されている)第11章では、人間には文化があるので、動物の議論をそのまま持ってくることはできないことを認め、文化的な進化を論じるための概念としてミームを提唱している。
そして、この章の最後をこう締めくくっている。
われわれは遺伝子機械として組み立てられ、ミーム機械として教化されてきた。
しかしわれわれには、これらの創造者に刃向かう力がある。
この地上で、唯一われわれだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである。
このあと、超ベストセラーを次々飛ばすのだけど
そこはざっくり割愛させていただきまして。
10章 科学と神のなわばり
ドーキンスの宣戦布告 から抜粋
2006年に出版された『神は妄想である』は、もちろんグールドの『千歳の岩』を読んだうえで書かれたものであり、NOMAという考え方の批判もあるが、グールド批判はこの本の主題でも動機でもなかった。
ドーキンスがこの本を書いた動機は明らかで、9.11の悲劇を目の当たりにした怒りにほかならない。
前章でも述べたように、ヨーロッパの宗教戦争は長い歴史をもち、英国でも、その余波がアイルランド紛争という形でいまなおくすぶっている。
紛争とはいいながら、これはカトリックとプロテスタントの宗教戦争にほかならない。
9.11のテロ事件は、一般市民に与えた衝撃という点では、類例のないものであるが、この現在においても、1年間に宗教的対立のゆえに殺されていく人間の数は、ニューヨークのテロ犠牲者の何十倍、何百倍にも達する。
それよりも恐ろしいのは、戦乱で肉親を失い、戦火の中を逃げ回りながら、何の希望もなく、生きていかなければならない無数の子供たちを作り出していることである。
この負の循環を前にして、ドーキンスは、今こそ立ち上がるべきときだと宣言する。
科学啓蒙家として、ドーキンスは、星占いやホメオパシーをはじめとする擬似科学の信者を批判し、科学的な思考の重要性を折りに触れて強調していた。
そうした批判は、彼の啓蒙的著作の随所に見られる。
宗教もそうした批判の対象の一つであり、たとえば『悪魔に仕える牧師』に収録されている「ドリーと聖職者の頭」というエッセイでは、生命倫理がらみの問題で、宗教家の発言に特権的な地位が与えられていることに対する憤りが語られている。
だが、進化論の普及にとって聖書を厳密に解釈する原理主義的なキリスト教徒は障害であるが、英国では、大きな問題ではなかった。
ドーキンスの動機は、ブッシュ大統領(当時)の政策に象徴されるようなキリスト教原理主義者、あるいはそれに対抗するイスラム教原理主義、自分の信じる神だけが絶対的に正しいと信じる精神こそが、諸悪の根元であり、その呪縛から人類を解き放たないかぎり、今日の悲惨な報復の連鎖に終止符を打つことができないという危機感であった。
とはいえ、諸悪の根源を宗教に帰するというのはいささか乱暴かつ短絡的であることは確かである。
多くの穏健な宗教者は宗教を科学に押し付けたりはしないし、異教徒を殲(せん)滅せよなどというわけではない。
ドーキンスはそういう人々を攻撃するわけではない。
彼が問題にするのは、「神」の言葉を疑いなく信じる宗教の精神であり、信仰であるから尊重されなければならないという世間の態度である。
「神」の言葉を疑わないという精神が原理主義を生むのであり、信者が無条件に信じていることはなんであれ容認するとすれば、自爆テロも容認せざるをえなくなってしまう。
いずれにせよ、「神」の言葉を疑わないという精神は、すべてを疑うという科学の精神と両立しえないものであると、ドーキンスは考える。
どうすれば、宗教のこの呪縛から解き放つことができるか。
生物学者ドーキンスにできることは知的啓蒙しかない。
神の名において悪魔や異教徒を殺すことを厭わない人々に向かって、そんな神など存在しない、世界を自分の目で見て、自分の理性で判断しなさいと説く。
それがこの本の目的であった。
ドーキンスは、有神論的な神、宗教的な意味での神の存在を否定する。
哲学的・科学的・聖書解釈的・社会学的・倫理学的、そのほかあらゆる側面からの神の存在のありえなさを論証していき、ついでに科学と宗教の守備範囲はちがうというグールドのNOMA説も退ける。
科学が踏み込めない領域など存在しないという。
だが、ドーキンスのこうした批判の仕方は、グールドとはちがった意味でジレンマをもたらす。
すなわち、進化論を認める穏健な信仰者を敵に回してしまい、結果として科学の啓蒙にとってマイナスの効果をもたらしかねないという点である。
私は闘いの本質が超自然の主義と自然主義、宗教と科学をめぐるものであり、進化論教育をめぐる戦いは、戦争の中のただの小競り合い、局地戦に過ぎないと考えています。
私に口を閉じろという科学者たちの要求は、この局地戦の方が本質的な闘いで、それに敗けるわけにはいかないということだろうと思う。
グールドがNOMA という概念を発表したそもそもの政治的な理由ではないかと思いますが、それを私に受け入れよというのはナンセンスです。
…彼らは分別ある宗教人、つまり進化論を信じている神学者や司祭、牧師たちを自分の側につけたいと思っているのです。
そしてそうした分別ある宗教人を味方につけるには、科学と宗教の間に矛盾はないと言わなければならないのです。
私たち科学者はみな、信心深いかどうかに関わらず進化論を信じています。
主流派正統的宗教人を味方につける必要があるため、彼らに神への根本的な信仰に関しては譲歩しなければいけないということなのです。
しかし私にとっては科学と宗教の闘いが本質的なのです。
ここに、ドーキンスが『神は妄想である』を書いた動機の一つが示されている。
すなわち、論理に対する信頼である。
科学主義信仰だと言う人がいるかもしれないが、妥協せずに論理の筋を通すというのが、ドーキンスの一貫した流儀である。
たとえ、敵をつくろうが、論理的に正しいことをいわねばならないという青臭いまでの倫理観である。
科学が正しいのか宗教がただしいのか決着をつけようという意気込みといってもいい。
先のインタビューで、「信心深い人がこの本を開いて、読み終わるまでには無神論になる」という願望が述べられているが、本当にそう思っているのかと尋ねられて、それは野望だが、そうなると思うほどナイーブではないが、少しでも可能性があれば、そうなって欲しいと答えている。
生粋の英国人で宗教戦争を肌で感じ
奥様も北アイルランドの方で紛争の象徴と言われる
ベルファースト近くに縁のある子爵令嬢とのことらしい。
ここらは日本人には土地的にも感覚的にも
なかなか理解しにくいところだけども。
『神は妄想である』はこういった背景を知らずに
読んだので、なぜここまで徹底的に糾弾するのか
分からなかった謎が少し解けた気もした。
それにしても
九州地方が線状降水帯の影響で心配な本日
暑過ぎて溶けそうな熱中症の心配の
関東地方でございます。