36年前のドーキンス本を当人以外の文で読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
ちなみに言いたいだけだけど
英文原文のタイトルは
The extended phenotype
The Gene as the Unit of Selection
『利己的な遺伝子』がまだ
『生物=生存機械論』だった頃の流れで、
1987年に第二弾として出版されたこの書を拝見。
『利己的な遺伝子』はタイトルを変えたことで
自分のようなものも興味を持ったりもしたのだけど
それを訝しく思われる岸先生のご意見も
分かる気がして少し複雑な気もいたします。
岸先生が共同翻訳された経緯も以前読んだ。
ネオ・ダーウィニズムを批判される
話をこの書に戻して、といっても
これまたほぼ見ただけなので”拝見”。
読んだのは、しかも本人以外の
テキストだったりという、なんともはや。
表紙カバー袖の紹介文から
■本書についてから抜粋
進化論といえば、まず問題になるのが、適応とか自然淘汰という概念である。
一体誰にとっての適応であり、誰にとっての自然淘汰か。
ここでドーキンスは、従来の常識に反し、革命的な主張をするーーーそれは、自己複製子としての資格を持った利己的遺伝子である。
その意味では、生物個体はヴィーグル(乗物)にすぎない、と。
前著『生物=生存機械論』で衝撃的なデビューをしたドーキンスは、2作目の今回の本でさらに自らの立場を拡大・深化させ、利己的遺伝子から見た生命像・進化像・世界像を展開する。
前著に劣らず刺激的かつ挑発的な内容で、この一見突飛な発想が実に説得力をもって語られる。
生物学や進化論の最前線のトピックも巧みに料理され、生物進化の見方にパラダイム変換を要求する。
またこの本は、社会生物学論争で批判の矢面に立たされた著者による反批判の書でもある。
基本は前作の延長ということなのだけど
この頃から、すでにグールドさんや
他の学者さんたちとの反証というか
やりとりが書かれていた。
学者さんたちってそういうのを生業にしているのか
自分なぞ未知の分野だと思いつつも
じつは仮説・実施・検証・分析のぐるぐる回し
という括りで捉えるとすると他人事では
ないのかもしれない。
にしても、難しくて長いのだよ。
実はこの書で一番エキサイトしたのは
と言えるほど読めちゃいないのだけど
訳者の日高先生のドーキンス氏との
邂逅のようなエピソードでした。
訳者あとがき 1987年6月 訳者を代表して
日高敏隆 から抜粋
とにかくこの本を訳すのは大変だった。
第一作「The Selfish Gene」(邦題『生物=生存機械論』)で展開された利己的遺伝子論をさらに延長・拡張して、遺伝子の表現型作用は個体という枠にとどまらず、ビーバーのダムにまで及ぶのだというのである。
遺伝子の利己性、ここにきわまれりだ。
この議論によって著者リチャード・ドーキンス(Richard DAWKINS)は、自然淘汰の対象となる単位(ユニット)は、もちろん種や群(グループ)でなく、そして個体でもなく、遺伝子そのものなのだ、と主張しようとしている。
そしてこの観点からすれば、個体などというものはじつはさして重要なものではないと述べて、生物、とくに動物の「個体性」というものに目を奪われていたわれわれを驚かす。
リチャード・ドーキンスはこれをネッカー・キューブにたとえている。
こちら向きに凸の立方体だなと思ってしばらく見ているうちに、イメージはさっと反転して、むこう向きに凸に見えるようになる。
そしてそのまま見つづけていると、イメージはまた反転する。
そのどちらがまちがっているというのではない。
どちらも正しいのである。
現実の絵は何一つ変化していないのに、見えるイメージが変わるのだ。
生物も生物界も変わるわけではないが、この本のような見方によって、これまでとはまったくちがう生物界のイメージが立ち現れる。
この本の面白さはそこにある。
キー・ワードとなる「extended phenotype」は「拡張された」ととっても「延長された」ととってもいい。
もともとextendedにはそのどちらの意味もある。
さんざん迷ったあげく、「延長された」とすることにした。
リチャード・ドーキンスはイギリスの新進気鋭のエソロジスト(動物行動学者)であるが、この本にもみられるとおり、彼の理論はエソロジーを超えて、生物学全般にわたっている。
彼のキャラクターは独特である。
昨年11月、京都で開かれた第二回国際生物学賞記念シンポジウムにリチャードを招き、この”extended phenotype”の話をしてもらったが、自分ではスライドを1枚しか持ってこず、洞窟学、生態学、生化学など多岐の分野にわたる他の講演者が見せたスライドをピックアップして借り集め、それを使って見事なレクチャーをやってのけた。
それこそまさに、extended phenotypeを地でゆくようなものであった。
これと前後して、リチャードの第3作、「The Blind Watchmaker」が出版された。
これは、自然淘汰でこの多様な生物の進化が説明できるかという、生物学者を含めてだれもが心の底に抱いているダーウィニズムへの疑念を一掃しようとして、コンピュータ技術を駆使して書かれた本である。
これも目下翻訳中で、いずれ早川書房から出版の予定である。
ネッカーキューブの件は、立花隆さんとの対談でも
話されていたけど、こちらの方が時期的に近くて
ホットでリアルな文章だと感じた。
余談だけど、パパ友と3年ぶりにメールでやりとり
先日近くのマックでお茶をした。
そのパパ友はじつは昔学者を目指していて
今もその領域でそのマインドで生計を
立てておられるのだけど
学生時代、日高先生の講義を受けたことがあると聞き
まじでびっくり。
日高マインドの薫陶を受けていたなんて。
さらにその時代からローレンツさんの
『ソロモンの指輪』を読んでたというので
二度びっくり。
日高先生の遺伝子はこういう形で薄くも
(パパ友は薄くないかもしれないが)
継承されていくのであったと
おこがましくも、思う夜勤明けのぼーっとした
頭で思うのでした。