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日高先生の書から”きっかけ”の大切さを再発見する [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


ぼくにとっての学校―教育という幻想

ぼくにとっての学校―教育という幻想

  • 作者: 日高 敏隆
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1999/02/01
  • メディア: 単行本

教育については、あまり興味はないのだけど


日高先生がどのように日高先生になられたのか、


に興味あり、拝読させていただきました。


一章 ぼくにとっての学校 から抜粋


ぼくは、今でいう不登校児、というか登校拒否時だった。

小学校3年、4年のころ。

というのは、体が弱くて、1、2年のころは、夏になるとおなかをこわして入院したり、冬は肺炎になったり、手足にしもやけができて痛くてどうしようもない。

というぐあいで、しょっちゅう学校を休んでいた。


3年生になって少し学校へ行くようになった。

ところがそのころは戦争中で、ぼくの通っていた学校はスパルタ主義で有名なところなんです。


それで、校長がスパルタ教育で文部大臣から表彰されたりしている。

だから、体操とかすごい。

「おまえみたいに体の弱い子は、天皇陛下はいらないと言っているから、舌を噛み切って死んでしまえ」とか、毎日そんなことを言われる。

そうすると、子どもだからまいってしまう。


でも親も、そんなことはどうでもいいよ、とは言ってくれなかった。

「本当にその通りだ。しっかりしなきゃだめだぞ」というようなことを言う。

学校と親と、両方から責められて、完全な登校拒否児、人間不信になってしまった。


そうしたらあるとき、担任の米丸三熊(よねまるみくま)先生が、クラスを自習にして、うちへやって来ました。

4年生のときです。

ぼくはそのころ、昆虫学をやりたいと思っていた。

けれども親にすれば、昆虫学なんかやって飯が食えるかという話です。

だめだ、とんでもない、昆虫学をやるなんて、変人の変人だ。

たまたま父親の郷里にミノムシ博士と呼ばれた昆虫学者がいて、その人は一日中ミノムシばかり見ていたのだそうです。

そんな学者になられてたまるか。


それで、自分でやりたいこともできない。

学校へ行けば、先生に死んでしまえと言われる。

いじめられたり、校長先生に殴り倒されたり。

こんなことばかり。

だから、つらくてたまらない。

おまけに父は、「中学へ行ったら体操どころではない。軍事教練というのがあるんだぞ」と言う。

いっそ死んでしまったほうがいい。

ぼくは自殺しようかと思うようになった。

それをその先生がちゃんと察知していたのですね。


この学校は君には向かない から抜粋


部屋へ通された先生は、両親の前でいきなりぼくに、「君は自殺することをいいと思うか、悪いと思うか」と言ったのです。

ぼくは急を突かれてどぎまぎして、つい、「悪いと思います」と言ってしまった。

すると先生は、「おまえは自分が悪いと思っていることを、なんでしようとするんだ」


親はとてもびっくりしました。

それから先生は両親に手をついて、「お父さん、お母さん、とんでもないことを言いまして申し訳ありません。しかし教師というものは、親御さんの気がつかないことがわかることもあるんです。そういうわけで、敏隆君にぜひ昆虫学をやらせてあげてください」。

こういう話です。


父はあわててしまって、「はい、やらせます。やらせます。」

すかさず先生が、「ほら、お父さんのお許しが出たぞ。ちゃんと手をついて、ありがとうございますと言いなさい」と言うので、ぼくは畳に手をついて、「ありがとうございます」と言った。

先生も、「ありがとうございます」と言って、「申し訳ないけど、ご両親はお引き取り願います。二人で話をしたい」。

それで、「お許しを得たのだから昆虫学をやりなさい。だけど昆虫学をやるには、昆虫を見たり採集したりしているだけではだめだよ。ちゃんと本を読まなければいけない」。


「本を読むには国語がいる。だから、ちゃんと国語の勉強をしなければいけない」。

なるほど。

「国語だけではだめだ。理科がいる。それから、この虫はいったいいつ日本に来て、そのころ日本はどうだっただろうか。歴史がいる。世界のどこに住んでいるのか。地理がいる」。

こういう話になっていく。


「さっき本を読むと言ったけれども、日本語の本だけ読んでいたんじゃだめだよ。英語の本も読まなくてはいけない。それには中学へ入らなきゃ。そのために、これからはちゃんと学校へ行って勉強しなさい。だけどこの学校は君には向かない。別の学校へ移って、そこでしっかり勉強して中学へ入りなさい」ということだった。

すごい先生でした


まじ、すごい先生だ。


一人の少年の命を救っただけでない。


日高先生をおつくりになられたと


言っても過言ではないのではなかろうか。


誰しもこんな導師のような存在の指導を


仰げるわけではない。


ここからの教訓。というか自分勝手な解釈。


今いる場所が合わないなら、


別の環境で活躍という


選択肢はあるのだということ。


そこに固執するばかりが人生ではない。


なかなか経験浅く、渦中にいると


気がつかないのだけどね。


よき相談相手がいると救われる場合も


おおいにあるのだが。


三章 外国語 から抜粋


高校の英語の先生は前嶋儀一郎先生といって、デンマーク語が専門の言語学者だった。

英語の先生ではない。

言語学の先生なので、「ハウ・トゥ・ラーン・イングリッシュ」というのを自分でタイプして、謄写(とうしゃ)版で刷って、それを教材につかっていた。それはおもしろかった。


要するに、英語のもとは紀元10世紀ぐらいの古代英語である。

古代英語のもとは古代高地ドイツ語である。

古代高地ドイツ語のもとはラテン語である。

そして、時代的にはその前にギリシア語がある。

だからそこまでさかのぼって見なければいけない

こういう話です。

ぼくはこれがすごくおもしろかった。

前嶋先生は英語だけでなく、比較言語学を教えてくれたのです。


たとえばラテン語に、radixという言葉があります。radixというのは「根」、英語でルートという意味です。

radixの語幹はradic-です。

これからradical(根源的な)とか、eradicate(根絶する)という英語ができている。

フランス語も似たようなものです。

そんな単語のもとが、みんなわかる。

だから、すごく楽だった。

英語の単語を見る目がまるで変わってくる。

Eradicateは根絶などと、いちいち憶えなくて済む。

スペリングを見れば、たぶんこれはこうだろうという予測がつく。


なにか勉強のしかたというものが、あるのではないか

ぼくは数学の勉強のしかたというものが全然わからなかったのではないかと思う。

数学や物理が得意な人は、どこかでやり方を知っているのでしょう。

幸にして外国語については、ぼくはやり方がどこかでわかったのでしょうね。


これは日高先生を象徴しているような気がする。


ってわかったふうにいうおまえは何者だって


声が聞こえて来そうだけども


一旦それは風に流して、


つまり源流を理解できるとあとはわかることもある、


とでもいう”思想”とでもいうのか。


違うかもしれないけど。


 


ここはかなり重要な気がした。


余談だけれど、突然ですが”音楽”にも


そういう要素が強いよなあと。


ロックの源流は


ブルース、ジャズ、クラッシックとか。


六章 ぼくと動物行動学 から抜粋


ぼくが動物行動学というものにはじめて出会ったのは、大学の学部生のころ。

ティンバーゲンの”Social Behaviour in Animals”という本を読んだときです。

それは動物たちのいろいろな行動がどういうきっかけで起こるのかということを、実験的に解析していく本だった。

たとえばトゲウオの場合、攻撃のきっかけとなるのは、トゲウオのオスの赤い腹である。

その中でいちばん大事な刺激は、赤い色である。

そういうことを、たくさんの実験をくりかえして証明していくわけです。


ところが、それまでぼくが東大で言われていたのは、行動というものは実験的に解析することはできないのだということだった。

一度観察したら、それっきりの話である。

そして、科学というものは再現性がなければいけない。

これが非常に大切なことだった。

実験をすることももちろん必要で、解析ができるということ。

そして実験をしたときに、条件と実験方法を一定にしておけば、だれがその実験をしても同じ結果になるということ。

そうでなければ、それはもはや科学ではないというふうに言われた。


それまでの行動の研究は、たとえばローレンツにしても、ぼくがおもしろいなと思ったものにはあまり再現性がない。

ぼくは子どもの頃からずっと、チョウはなぜそこを飛ぶのかということを考えていました。

たしかに観察すれば、そこを飛んでいる。

でも実験的にそこを飛ばせることはできない。

たまたま今日見たらこうだった。

次の日に見てもやはりそうだった。

しかしこれは再現性ではない。

すると、行動というものはいったいどう研究を進めていったら良いのか。

ぼくは行動を解析していくことは可能だと思っていたけれども、きっとこうじゃないかと思っても、どうしたら実験的にチョウを飛ばすことができるのかというのは、考えもつかなかった。


模型をつかって解析する から抜粋


ところがティンバーゲンは、強引に模型をつくって、その模型を見せて、どうするかということをやっている。

例えばトゲウオの攻撃行動を解析するにあたっては、まず石膏でトゲウオの型をとって金属製のトゲウオの模型をつくり、それに色を塗って、それぞれの模型に対する生きたトゲウオの反応をみた。

そして模型をどんどん単純化していって、形は木でつくった大まかなものでもよく、腹側、つまり下側が赤い色をしていればいい、というところまで持っていく。


最終的に、攻撃という行動をひきおこす鍵となる刺激(鍵刺激)は赤い色である。

自然の中でこの赤い色をもっているのは、トゲウオの中のイトヨという種の、しかも成熟したオスである。

だから、そのオスの赤い腹がひきおこす信号(リリーサー)になって、イトヨのオスは同種の、つまり自分の競争相手になるイトヨの成熟したオスにだけ攻撃を加える。

そういうことでトゲウオの社会はうまくいっているのだ。

こういうことを明らかにしている。

ぼくは非常に感動しました。


そして、大切なのはトゲウオの体全体ではなくて、その中の本当に限られた信号、つまりリリーサーである。

そのリリーサーも突き止めていくと、そこに含まれている赤い色の刺激にすぎない。

けれどもそれがトゲウオの社会をじつにうまく保っている。

そういうことがわかった。

この本を読んでぼくは、それまで好きだった行動の研究というものをどういうふうにしていったらいいのかということが、よくわかったような気がしたのです。


ティンバーゲンさんの凄さを


お伝えになっているようですが


それはすみません、自分にはよくわからず、


そういう実験でいいの?とか


思ってしまうのだけど


ノーベル賞をとった方でドーキンスさんの


先生なのだから、そんなことを言っては


失礼だろう。(言ってるよじゅぶんに)


あとがき(1998年12月)から抜粋


ぼくはNHKラジオで5回にわたって話をした。

子どものころのこと、研究のこと、大学のことなど。

相手役をつとめてくださったNHKの横山義恭(よしやす)さんが見事に話を引き出してくれたので、なかなか含蓄のあるおもしろいものになった。


ぼくは今まで数多くの編集者のお世話になってきた。

本を書くのはぼくであっても、編集者なしに本はできない。

それはいうまでもないことであるが、よくいわれる「編集者は産婆役だ」という表現に、ぼくは必ずしも賛成ではない。

編集者はむしろ火つけ役であるからだ。

そして多くの著者たちが忙しい現在、編集者の役目はもっともっと大きいのだと思う。

ぼくがいわゆる「自伝的な」本をつくることになるとは思ってもみなかったというのが正直なところだ。


その自伝的な部分が自分は刺さりました。


東大に入ってから


お父様がご病気のため学生なのに


アルバイトで家計を支えられてって


壮絶なご苦労されてたってのも、


それから、動物行動学会を開かれるのも


興味深いものがありました。


勉強家であり動物や昆虫という


興味のある学問に邁進するお姿は見事です。


何より痺れるのは、教員でありながら、


ちょっとアウトローな雰囲気が


自分の小学校の恩師と被るところあり。


そう考えるとやはり自分の内にある要素と


リンクすると興味の目が開かれるということを


再発見した、真夏のAM洗車してたら汗ふきでて


倒れそうになるここ関東地方、


日本全国のみなさん暑さには


気をつけましょうね、って


脈絡なさすぎだよ、最後。


 


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