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①進化の比較書・お師匠さんはドーキンス氏に何を教えたのか [’23年以前の”新旧の価値観”]

進化論の何が問題か―ドーキンスとグールドの論争


進化論の何が問題か―ドーキンスとグールドの論争

  • 作者: 垂水 雄二
  • 出版社/メーカー: 八坂書房
  • 発売日: 2012/05/01
  • メディア: 単行本

 


過日、外国の論者の比較論は拝読したものの

自国では?というのがきっかけでございます。


はじめに から抜粋


リチャード・ドーキンスとスティーヴン・ジェイ・グールドは、ともにサイエンス部門における世界的なベストセラー作家であり、すぐれた文章家として知られている。

日本にもドーキンス派、グールド派それぞれの熱烈なファンがたくさんいるが、両方とも好きだという人も少なくない。

進化論をめぐって小さからぬ意見の相違があり、『ドーキンスvsグールド』や『ダーウィン・ウォーズ』といった本で、二人の対立面が強調されてきた。

そのため、二人がともに天を戴かない仇敵どうしであると思い込んでいる人がいるかもしれないが、じつはそうではない。

激しい論争を繰りひろげはしたが、批判の標的は個人ではなかった


グールドが本当に批判したかったのは俗流ドーキンス主義者たちの安易な遺伝子決定論や適応万能論であり、ドーキンスが本当に批判したかったのはグールド賛美者を取り巻く目的論的傾向や安易な相対主義であった。

二人の考えを細かく突き詰めていけば、個人的な意見の相違は意外と小さい


実際、ドーキンスが『悪魔に仕える牧師』で披露しているように、二人は親密とはいえないまでも、交流があり、グールドが亡くなる直前に、創造論者に対する進化論擁護の共同声明の発表に関する合意が成立していたのである。


生物の魅力の一つは驚くべき多様性であるが、同時に、その多様性を貫く普遍的な原理が存在するというのがもう一つの魅力である。

どんなに姿形が異なろうとも、すべての生物は細胞から成り、すべての生物はDNAという遺伝情報をもっている

ダーウィンは生物の多様性の海にどっぷり首までつかりながら、自然淘汰による進化という、単純明快な原理に到達した。

ダーウィンのおかげで、この二つの魅力は一つにつなぎあわされることになった。

多様性と同質性は生物がもつヤヌスの顔なのだ。


現代の生物研究者が、どちらの魅力により重点を置くかは、人によって異なる。

グールドが生物の多様性により関心があるのに対して、ドーキンスは生物を貫く普遍的原理のほうにより強い関心を寄せるところに、両者の基本的な姿勢、ひいては生物観のちがいがある。


自然を理解するためのモデルづくりこそがドーキンスの科学的な喜びであり、例外や変異はあくまで原則を浮かび上がらせる応用問題としての意味しかない。

グールドにとっては、モデルからはみだした例外や変異を見つけるのが喜びであり、そこにこそ自然の本質があると考える。


本書は、二人が、それぞれの思想を形成していった過程を彼ら自身の経歴と発言から跡づけてみようとするものである。

生まれ持った資質が重要であることは言うまでもないが、英国の田園地帯と米国の大都会という育った環境のちがいも少なからぬ影響を及ぼしたと思われる。


しかし、それよりも大きいのは、二人を育んだ学問的な環境であったはずだ。


第3章ティンバーゲンとの出会い


ティンバーゲンとローレンツ から抜粋


ご存じのように、ティンバーゲンは、コンラート・ローレンツカール・フォン・フリッシュとともに、エソロジー(動物行動学)という分野の創建に与った貢献に関して1973年のノーベル医学生理学賞を受賞した。

エソロジーがどのように発展していったかについては、W・H・ソープの『動物行動学をきずいた人』で要領よく概説されているので、関心のある人はそちらを参照されたい。


簡単にいえば、それまで心理学において本能というブラックボックスにおさめられていた動物の行動を、一つの形質としてとらえ、各種の動物の行動の比較を通じて、その行動の意味と進化を章からにしようという学問である。

ローレンツの言葉を借りれば、これは「ダーウィン進化論の原理を行動に適用したもの」にほかならなかった。


1963年にローレンツがライデン大学を訪問した際にティンバーゲンに会う。

出会いの席でローレンツは、ティンバーゲンのイトヨの行動に関する研究を激賞した。

ローレンツはエソロジーの理論的な枠組みは構築したが、自分が理論屋であって実験屋でないことを自覚していたので、ティンバーゲンの実験の才に惚れ込み、共同研究を提案した。

カモメの卵転がし運動の解析は、二人の共同研究が産んだ成果の一つである。


しかし戦争が二人の仲を引き裂く。

オーストラリア人ローレンツはドイツ軍の軍医として招集され(そのため、戦後ナチスの協力者だったという非難を受けることになる)、最終的にはソ連軍の捕虜となるが、終戦後なんとか無事帰国する。

ティンバーゲンのほうは、ライデン大学がユダヤ人スタッフ三名の除籍を決定したことに抗議して逮捕され、1942年から44年まで、オランダの収容所で過ごす。

戦後、復職し、47年に教授に昇進する。

そこへ、当時オックスフォード大学動物学教室のアリスタ・ハーディ教授から、オックスフォード大学の動物行動学の講師として来ないかという誘いを受ける。

個人としては教授から講師への降格であり、給与も増えるわけではなかったが、ハーディ教授が奔走してさまざまな助成金を集めてくれることになっていたので、雑用に煩わされることなく、十分な研究費を使うことが期待できた。


ティンバーゲンがオックスフォード行きを選んだもう一つの理由は、旧友のデイヴィッド・ラックが鳥類学研究所にいるほか、ハーディ教授のもとに、チャールズ・エルトンジョン・ベイカー、アーサー・ケインといった新進の生態学者がいて、新しい研究の方向を展開するうえで示唆を与えてくれるだろうと考えたことである。


財なぞ二の次、実験の方が


楽しいっていうのは


なんとなくわかる気がする。


興味のないものは面白くなく


興味のあるものにしか興味がないってことで


そら当たり前だろう、みたいな。


そういう人種なんですな。


っていっても自分は頭良いってわけじゃないよ


明らかに、そこは異なりますのを


自覚してるし学歴が証明してくれちゃってますから。


動物の行動に関する四つの問い から抜粋


エソロジーについてのティンバーゲンの基本的な考え方は『本能の研究』に示されている。


(1)

行動のメカニズム、すなわちどのような刺激によって引き起こされ、学習によってどう修正され、いかなる生理的機構によって成立するか。

(2)

個体発生、すなわちその行動はいかなる段階を踏んで発達してくるか、発達に必要な条件はなにか。

(3)

その行動は他の動物ではどうなっていて、どのようにして進化してきたのか。

(4)

その行動は、その動物が生き残る可能性をどれほど高めるか、すなわち、適応価はなにか。


この四つの良いは、現在でもなお、行動に関する研究の基本とみなされている。

前二者の答えは、とりあえずの原因という意味で、至近(近接)要因、後二者の答えは、究極的な原因という意味で、究極要因と呼ばれる。

至近要因の研究は実験が中心になるのに対して、究極要因の研究は理論的なものが中心になる。


ドーキンスは、学部学生のときに、ティンバーゲンの授業を受ける。

ある講義で紹介されたのは、ヨーロッパにいる2種のヒナバッタに関する論文であった。

この2種は昆虫学者でさえ識別できないほど互いに非常によく似ているにもかかわらず、野外で出会っても交雑することがない。

ちがっているのは求愛の鳴き声で、そのために交雑せずに、別種とされている。

しかし、生理的に交雑が不可能なわけではなく、ニセの鳴き声を聞かせることでだまして人為的に交雑させれば繁殖力のある雑種ができる。

この論文を教えられたときドーキンスは悟ったのだった。


こういう問題に直面したときに、どういう実験を設計するばいいかが感覚としてわかり、また進化におけるこの最初の段階の重要性もわかった。

この論文ではたまたまバッタだったが、地球上のあらゆる種が同じ段階を踏むのだ。

すべての種は一つの祖先種から分岐したのであり、この分岐の過程こそが種の起原なのだ。

(Ian Parker,”Richard Dawkins’Evolution”,The New Yorker,September,p9,1996)


ドーキンスは大学2年生のときにティンバーゲンの指導を直接受ける。

オックスフォード大学では、学生は各教官指導教官と1時間ほど面談したあと、教科書ではなく、最新の文献を読んで論文(エッセイ)を書くという指導がなされる。

ふつうの教官は論題に関係した論文のリストを学生に渡し、それを読んでまとめさせるのに対して、ティンバーゲン先生は、博士課程の院生の未発表の学位論文を手渡し、それに対する評価を書かせた。

ドーキンスはそれを読み、文献を調べ、将来になすべき研究を考察するという課題を与えられたのである。

言ってみれば、学位論文の審査員の役をさせられたわけである。

そしてまた翌週には、また別の未発表論文を与えられたという。

ドーキンスによれば、ティンバーゲンは

「私の書いたエッセイを気に入ってくれ、おべんちゃらのようなことも言って、博士課程で研究を続けるように勧めてくれた」。

これが運命の分かれ目だった。


ドーキンスは1962年に大学を卒業後、ティンバーゲンのもとで博士課程まで研究をつづけ、学位をとる。

学部時代にティンバーゲンから受けた授業でドーキンスが、もっとも強く印象を受けたのは、行動の機構(behavior machinery)とそれが生存のための装備(equipment for survival)であるという二つの言葉で、のちに『利己的な遺伝子』を書くときに、この二つを結びつけて「生存機械(survival machine)」という言葉をつくることになる。


師匠との出会いがあったればこそっていうのは


どんな偉人でもそうなのだろう。


それが常識人ではないってなると


なお影響力は大なのだろう。


それにしても、ただ今現在2023年の現代


日常で呼ばれる多様性とか、寛容とか、は


すでにこういった人たちは標準でお持ちで


さらに研磨して展開している気がするのは


気のせいなのだろうか、と物音ひとつなく


セミも鳥もないていない初夏の休日朝でございます。


余談だけど、ただ今現在の時刻、カラスが鳴きました!


 


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対談の養老先生から”ニホン”と”反骨精神”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]

奇想の源流―島田荘司対談集


奇想の源流―島田荘司対談集

  • 作者: 島田 荘司
  • 出版社/メーカー: 有朋書院
  • 発売日: 1996/05/01
  • メディア: 単行本

養老先生の対談がお目当てで拝読。


あとがきの養老先生のなにかが


わかるようなエピソードも興味深い。


 


脳が造った国・日本


第二章 日本人論


●脳の支配は江戸時代に始まる から抜粋


養老▼

一番申し上げておかなきゃいけないのは、本来個人と肉体とはイクォールだということです。

個人というのは身体の上に成り立っているんだと。

こんな当たり前のことが江戸以降現在まで、日本ではないままできた

さっき言ったように、死体を隠したり、人間の自然性をできるだけ排除してきたためです。

たとえば、戦国の大名はそれぞれ個性と結びついていますよね。

ところが、徳川の六代将軍、七代将軍はどうか。

ぜんぜん、個人としてのイメージがないでしょう。

もはや、個人ではない。

それは符号でいいんです。身体性は問題にされない。

もっと解りやすく言えば、茶の湯というのは利休がいなくたって、誰かが担いでいってくれるんです。


島田▼

その『だれか』という、肉体を持った個性を正面に出させないというやり方で、平和を維持し続けてきたと。


”個人”とされているのは”心”と


呼び替えても良いのかも。


よくわからないけれど。


この後、予測社会に横たわる弊害や


今でいう”デジタル”社会の


到来の問題などに話は及び


東洋西洋に考察の対話が展開。


●ニュートンと宮本武蔵は脳からみれば同じこと から抜粋


養老▼

西洋にはニュートン力学ならニュートン力学というのがある。

ニュートン力学って何かというと、ある重さの物を持ち上げて止めることができる。

これは重力で引っ張られているんです。

重力以上の力を加えますと、これは上に上がっていく。

力が足りなければ下がっていく。

それが力学の教えるところなんですが、ピタッと止められるというのはどういうことかというと、ぼくの脳が重力の法則をきちっと理解しているということですよ。

ニュートンがやったことは、自分の身体の中に、脳の中に入っているそういう運動のプログラムの基本的な方式を、ああいう形で外に出したということ。

じゃあ、日本人はそれをどういう形で外に出したかというと、宮本武蔵をご覧なさいと言うんです。

生涯で五十数度戦って一度も敗れたことがない。

一回やるごとに命懸けですよ。

と言うことは、相手のそういう、今のニュートンの法則を含んだすべての身体の動きというものを、自分の中に取り込んだうえで、かつ相手よりも先に動く。

武蔵とニュートンは重力の法則という普遍性を共有していたということです。

もし人間の頭をコンピュータと考えると、そのコンピュータのプログラムの目的のほうにどんどん伸ばしていったのが宮本武蔵

そのプログラムはどういうものかということを、動いているプログラムを横から観察して、こっちへ出したのがニュートンです。


●死について考えることの必要性


島田▼

でも、今のお話は西洋の人にはとても解りにくいでしょうね。

やはりそこにある種の物差しが必要だと思いますけど。


養老▼

それは、いわば普遍的なもの、客観的なものであるはずですね。

いったい、その物差しは何ですかという話ですよ。

神がある世界では、すべてが最終的には神の属性として説明されていきますけど、日本は神がありませんから、その物差しは人間規定の問題に関わってくるんです。

人間規定というのは、人間というのはどういうものかというところを見る。

ところが、これは非常に怖いというか、まずいということがあるんですね。

たとえば、ならば胎児は人間かということになる。

妊娠中絶が日本ぐらいバーッと普及した国はないわけです。

胎児は人間ではないということですね。

もっと極端に、われわれの社会ぐらい死体を差別する社会もない

死んでいる人は仏

つまりそこからもうすでに人間でなくなっているんです。

だけど、あなたも死体になるし、ぼくもなる。

そういうものがなぜ人間じゃないのか。

たとえば、ヴェトナムから二重体児がきた時、絶対に「日本でこういう子が産まれましたか」とか「今いますか」「どうなりましたか」という質問はでない。

あれが人間かというのがあるからですよ。

つまり、日本の場合、人間規定を変えちゃうと救済措置がないわけです。

人間とはこういうものだということで社会ができていますから、それに引っかかることは全部、人間というのはどういうものだという議論にならないように片付けるのがやり方です。

だから、脳死臨調は何のためにあるのかというと、脳が死んだ人は死んだ人かという哲学的議論をやるためにあるんじゃないんです。

そういう議論にならないようにするにはどうするかがテーマなんです。


島田▼

人間とは何なのかという解釈を披露したとたん、彼が責任を背負うからですね。

誰も責任を負いたくない

だから、そういう危険を避ける方向へ持っていく。


●普遍性という考え方


養老▼

普遍性というのは、人間ならこうだよということが言えるか言えないかということです。

自分のやっていることに関して。

それも、正しいとか正しくないとかじゃなくて、人間であればこうだというほとんど絶対的な基準ですね。

だから逆に、右脳、左脳ということがどのくらい絶対的なものかという話になってくるわけで。

人によっては、使い方によってこうなるとかああなるとか、そういうことがある程度わかってくれば、いろんなトラブルは減るだろう。

一番よく解るのは、日米の野球の違いですよ。

日本の場合は決まった時間に集まって、決まった長さの練習をする

でも、身体の事情なんて全部違うんだから、なんでそんなもので統一するんだというのがアメリカ人の考え方でしょう。

そこのものすごい食い違いって、おかしいんですよ。


島田▼

コーチが選手をみんな同じ打撃フォーム、投球フォームにしてしまって、逆らうやつは試合に出さない。

それと全く同じことを、日本企業でもやっているわけです。

人材を限りなく歯車に近づけて、全体としての予測可能性を高める


養老▼

それを我慢してやっていたら、ある程度の成績をおさめて、ある程度の収入を得られてね。

でも、ある程度ということでは、やっぱり不機嫌になるんじゃないか。

日本という社会の物差しが人間規定にとどまっている限り、世界にも稀なくらい相当に正気でそのことを考えなきゃいけないんじゃないか。

それにしては、日本人はずいぶんと怠けているんじゃないかなと思う。


●日本語が日本人を不機嫌にしている?


島田▼

ぼくは言葉の問題も大いにあると思いますね。

たとえばタクシーに乗った時、行き先を告げても返事をしないで走り出すタクシーがいるのは日本だけです。

この不機嫌さは何なんだろうか。

これは、言語構造の問題に直接関わるんじゃないかと。

つまり『解りました』とほどよい恭順の意で返答する言語が日本語には存在しないんだと思うんです。

とりあえずは。


養老▼

まったくその通りですよ。

運転手と客というのは、日本語の敬語システムのなかに非常に押し込みにくいんですね。


島田▼

そうなんです。

「うん」と言うと、ちょっとぞんざいすぎる。

「はい」と言うと恭順の意が強すぎる。

英語だと「シュアー」とか、適当な言葉があるわけですね。

どこの国の言葉にもある。

だけど、日本語にはないんです。

つまり、日本人の今の辛さ、鬱気質というのは、日本語それ自体から、かなり導かれているんです。


養老▼

確かに敬語が邪魔していますね。


島田▼

だから、なんとか言語構造を変えるとか、それこそ新しい物差しを作るということをやらないと、日本人が今直面している辛さと言うのは、永久に解消しないと思いますよ。


養老▼

そこでも結局人間は何か、というところに戻っていきますね。

一番いいのは、遺伝子操作とかで人間のハードをいじって、ぼくらの考えていることぐらいは全部考えることができて、しかもそれ以上になにか考えてくれる人間を創ればいいんです。

それを昔から人間は神様と呼んでいる。

そういう人間を創れば、われわれはもう御用済みですよ。

すべて預けておけばいいんだから。

そうなれば、日本人でも機嫌が良くなるかもしれない。


昨今話題のAIとの共生、すでにこの頃から


着目されているといえるような。


90年代に考えられていたコンピュータと


現在のAIではかなり変節していると思うけれど


ここで指摘されてることは最近の養老先生と


同じで普遍な気がした。


とはいえ細かいところは違いますよ、


なんせ30年くらい前なんだから。


ところで、作家であるところの島田さんは


ご自身の著作の一冊について


質が高い位置でキープできたのは


養老先生のご支援の賜物とおっしゃる。


以下、抜粋。


あとがき 養老孟司氏について


養老さんの存在がなければ、間違いなく半分以下のクウォリティになっていた。

それが何かといえば、『世紀末日本紀行』である。

この本において、またその前段階の写真週刊誌連載の時点でも、主張にインパクトを持たせるために、どうしても奇形児の写真が欲しかった。

奇形児の標本は、どの大学病院にも必ずあるはずである。

しかし八方手をつくしても、返ってくる回答は「当方にはそのような標本はありません」の一点張りで、ほとほと途方に暮れていた。

誰もが人権問題の発生や、「身体障害者父母の会」からのクレームを恐れるのである。

むろんそれが常識というもので、実際その頃、ほんの豆粒ほどの奇形児の白黒写真を載せ、回収になった女性週刊誌があった。

そこでこの対談で知り合った養老さんを東大に訪ね、撮影の許可をお願いした。


二度ばかり大学前の喫茶店で彼と話し、この時の話が当対談よりもむしろ面白かった記憶があるのだが、確か三度目、なかば諦めかけて訪ねたら、あっさり許可してくださった。

事なかれ対応の大洪水にあって、養老さんのこの度胸にはまことに頭が下がった

彼の勇敢な人生観は、この対談の中にも多少覗いている


当時の養老先生はまだ、ぼくのような人間が知る人ぞ知る存在だった。

東大の医学部解剖学教室の教授だったのだが、やや専門違いの脳に興味を持たれて、『唯脳論』『涼しい脳味噌』などのエッセー集を書き。これがベストセラーになっていた。

もちろん当方もご多分にもれず、こういう本を愛読していた。

その後、養老さんはさかんにテレビに出られるようになり、先の吉村(作治)さんに迫るほどの有名学者になった。

しかし養老さんは、先の吉村さんに較べると、同じ学者なのにどうしてこうも違う人がいるのだろうかと感心するくらい性格の違う人だった。

どちらかというといつも不機嫌な顔をして、まわりをはらはらさせるのだが、その心根には圧倒的な優しさと、熱い挑戦心を隠している人だった。


対談自体は隔世の感もありながらも


基本路線は変わっておられない養老先生で


爽快でございました。


写真の許諾のエピソードは


この頃は教授職を辞そうとされてる頃だからか


などマニアックな考察をしてしまった。


余談だけれどこの夏の暑さを


予感させるただいま現在、セミが鳴いており


これから買い物に出かけるのに


熱中症に注意しようと思った休日でした。


 


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サイエンス本から”進化論”や”種”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]


進化が語る 現在・過去・未来

進化が語る 現在・過去・未来

  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2012/06/20
  • メディア: 大型本

11年前なのですでに古くなっているのだろうけれども

気になったところをピックアップ


させていただきました。


CHAPTER1 進化的に生物を見るまなざし


世界を束ねる進化の系統樹


対談・茂木健一郎 X 三中信宏


から抜粋


茂木▼

ダーウィンが150年前に著した『種の起源』は、私たち人類にもっとも大きな影響をもたらした書籍のひとつといっていいでしょう。

その影響のひとつは今日ゲストの三中信宏さんのご専門になりますが、系統進化の考え方をもたらしたこと。

たとえば、ヒトはチンパンジーと共通の祖先から進化したとか、アザラシとイヌとはじつは近い仲間だとか、生物進化の歴史を表現した系統樹を見ることによって、現在の私たちは、その生物の本質を理解することができます。


三中▼

私の研究のひとつの目標は、ひとことで説明すると、生物の完璧な系統樹を作ることです。

そのために生物の形態や遺伝子の塩基配列など、さまざまなデータをコンピューターで解析し生物の祖先がどんな進化の経路をたどってきたかを復元することもしています。


古くからある系譜の思考 から抜粋


茂木▼

三中さんの著書に、『系統樹思考の世界』という興味深い本があります。

生物ばかりか、言語、文字、民族など、さざまなものに「系譜」があり、それを体系的に理解することの重要性を紹介しています。


三中▼

今日は、系統図をいくつか持ってきました。

この系統図は長さが2メートル以上もありますが、生物進化とは関係なくて、世界の宗教の系統を記したものです。

ダーウィンが亡くなった翌年の1883年に、スコットランド出身の宗教学者フォーロング(J.G.R.Forlong)がまとめた本『生命の川』の付録ですが、世界の宗教の根源を「樹木崇拝」「蛇(男根)崇拝」「火焔崇拝」などに分類しています。


茂木▼

ということは『種の起源』に触発されてつくられたのですか。


三中▼

というわけではありません。

「系譜」で物事を理解しようという試みは古くからあります。

作者はもともとインド滞在経験のある技術者で、キリスト教の系譜だけでなく、仏教や東南アジアの宗教などもきめ細かに記しています。


「種」はあるのか から抜粋


三中▼

文化人類学の中でも認識人類学者のように、民族集団がそれぞれどのように生物を分類しているか調べている人もいるし、認知心理学でもカテゴリー分けについては研究されています。


茂木▼

認知には普通、同じイヌでもたとえばチワワとセントバーバードだったら、チンパンジーとマーモセットと同じように別のものに見えますよね。


三中▼

でもそこでイヌのイヌ性とか、サルのサル性、というべき何らかのエッセンス(本質)が心理的には確かにある。

ただそこまでいくと哲学というか、形而上学の世界になるので、生物学者は踏み込みたがらない。

自分たちで学問の壁を作っているところがあります。

「種」は、多くの生物学者にとって非常に重要な概念であって、必死に近づこうとするのですが、近づけない

データをもっと蓄積していけば、いずれは完全な「種」の概念が得られるはずだという人もいますが、私は無理だと思います


茂木▼

種の概念そのものが認知的だったわけですか。


三中▼

現在でも分類学者の多くは、「属とか科とか目とか、そういう高次の分類群は人間が作ったものにすぎないが、種だけは違う、種はある」といわれます。

今でも、分類関係の学会では「これは種だ」「いや亜種だ」ということを延々と論争しています。


茂木▼

亜種というのは、生物学的な定義はできるんですか。


三中▼

いえ、何しろ「種」自体が定義できませんからね。

私がよく言うのは、「種というのは幻想です。亜種に至っては妄想です」と(笑)。


茂木▼

種というものの存在が認知的だといわれると、経験的には納得します。

私は子どもの頃からチョウが好きで、日本のチョウについては認知的なカテゴリー化ができていると思っていたのですが、昨年、コスタリカに行って驚きました

まったく区別できない

とくにドクチョウとトンボマダラなんて、模様も飛び方もすごく似ている。

種の概念というのは、自分の中でいったんできてしまうと確固たるものだと思っていますが、新しい土地に行ったりすると簡単に揺らぎますね。


三中▼

ある土地で生きている限り、種の概念はわりとかっちりしたものだと思いますが、世界中あちこちの地域からいろんなコレクションが集まってくると、もうがたがたになってくる。

極端なことをいうと、種はなくていい。必要なのは個体であり、カテゴリーの名称はどうでもいい、などというと、大多数の同業者から非難の嵐ですが(笑)。


茂木▼

お話をうかがうと、分類学の根底には認知学的な基礎がある

つまり、メタ認知の問題というか、枠組み問題ですね。

そういう問題について考え、整合性をつけようという問題意識が日本では希薄なのかもしれません。


茂木先生、前回投稿した


コスタリカの旅での知見も記されていた。


同タイミングで読んだのは


まったくの偶然だったのだけど。


”種”というのは何なのだろう、謎は深まるばかり。


話変わってこの対談相手の三中先生は


この書の"編者"をご担当されておられ


”まえがき”も書かれているのだけども


その直後に記されていた”ブックリスト”が


掲載されていたので、興味深かったので


以下にメモさせていただきます。


 


 ▼進化生物学のいまを知るための文献リスト



種の起源〈上〉 (光文社古典新訳文庫)

種の起源〈上〉 (光文社古典新訳文庫)

  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2009/09/20
  • メディア: 文庫

種の起源(下) (光文社古典新訳文庫)

種の起源(下) (光文社古典新訳文庫)

  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: Kindle版

新たに訳されたことによりこの古典はとても読みやすくなった。

ダーウィン―世界を変えたナチュラリストの生涯


ダーウィン―世界を変えたナチュラリストの生涯

  • 出版社/メーカー: 工作舎
  • 発売日: 1999/09/01
  • メディア: 単行本

エイドリアン・デズモンド/ジェイムズ・ムーア 著

渡辺政隆訳 1999年

詳細に描き出されたダーウィン伝。19世紀当時イングランドの社会の中で形作られる進化学の祖。



「進化」大全

「進化」大全

  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2004/11/22
  • メディア: 単行本

カール・ジンマー

『「進化」大全ーーーダーウィン思想:史上最大の科学革命』

渡辺正隆訳 2004年

ダーウィンの進化思想が現代にどのように継承されたかをヴィジュアルに伝える。


進化――生命のたどる道


進化――生命のたどる道

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2012/05/30
  • メディア: 単行本
カール・ジンマー『進化ーーー生命のたどる道』
長谷川眞里子日本語監修 2012年
最新版の総説書。多数のカラー図版と写真で進化学を語り尽くす。

 


祖先の物語 ~ドーキンスの生命史~ 上


祖先の物語 ~ドーキンスの生命史~ 上

  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2006/08/31
  • メディア: 単行本


祖先の物語 ~ドーキンスの生命史~ 下

祖先の物語 ~ドーキンスの生命史~ 下

  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2006/08/31
  • メディア: 単行本


リチャード・ドーキンス

『祖先の物語(上・下)』

垂水雄二訳 2006年

生命の樹をヒトから祖先へとさかのぼる旅路を多くの写真と図表とともに案内する進化ガイドブック。


みんなの進化論


みんなの進化論

  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2023/07/04
  • メディア: 単行本


ディビッド・スローン・ウィルソン

『みんなの進化論』

中尾ゆかり訳 2009年

一般人にとって現代進化学とは何かを多くの具体例とともに語りかける。



進化のなぜを解明する

進化のなぜを解明する

  • 出版社/メーカー: 日経BP
  • 発売日: 2010/02/04
  • メディア: 単行本

ジェリー・A・コイン

『進化のなぜを解明する』

塩原通緒訳 2010年

進化学がこれまで取り組んできた数多くのトピックスを解説する。


社会生物学論争史〈1〉―誰もが真理を擁護していた

社会生物学論争史〈1〉―誰もが真理を擁護していた

  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2005/02/23
  • メディア: 単行本


社会生物学論争史〈2〉―誰もが真理を擁護していた

社会生物学論争史〈2〉―誰もが真理を擁護していた

  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2005/02/23
  • メディア: 単行本

ウリカ・セーゲルストローレ

『社会生物学論争史ーーー誰もが真理を擁護していた(1、2)』

垂水雄二訳 2005年

社会生物学は現代進化学史を彩るある論争の火種となった。



文化系統学への招待―文化の進化パターンを探る

文化系統学への招待―文化の進化パターンを探る

  • 出版社/メーカー: 勁草書房
  • 発売日: 2012/05/01
  • メディア: 単行本

中尾央/三中信宏編著『文化系統学への招待ーーー文化の進化パターンを探る』

2012年

進化思考が生物学だけでなく人文・社会科学にも浸透している一つの例として。 


進化学事典

進化学事典

  • 出版社/メーカー: 共立出版
  • 発売日: 2012/04/25
  • メディア: 単行本

日本進化学会編『進化学辞典』

2012年

現代進化学のすべてを俯瞰するために編まれた「読む事典」。


 


さらに掲載されていた外国の


学者さんの論文に呼応する形で


歴史表があって編集者作のものなのか、


誰の作なのか不明だが興味深くて、メモ。


▼進化論の歴史

進化という概念は古く、古代にまでさかのぼる

歴史は絶え間ない変化の記録だが、ここではその中でもカギとなる出来事を挙げる。


▼紀元前610〜546年

ギリシャの哲学者アナクシマンドロス(Anaximandros)が、すべての生命体は海に生息する魚から進化し、陸地に上がった後は変異プロセスを重ねてきたとする説を提唱。


▼1735年

リンネ(Carl Linnaeus)が『自然の体系』の初版を出版、分類学の基礎を築く。

後に、植物は共通の祖先から枝分かれしたと提唱。


▼1809年

ダーウィンが英国シュールズベリーの裕福な家庭に生まれる。


▼1830年

ライエルが『地質学原理』を出版。

同書に影響を受けたダーウィンは、グランドキャニオンで見られるように、自然界のプロセスは徐々に進むと考えるようになった。


▼1831年

ダーウィンが5年間にわたる「ビーグル号・世界一周の旅」へ出発。


▼1838年

ダーウィンが自然選択説を理論にまとめるが、この理論は20年以上も出版されなかった。


▼1859年

種の起源』が出版と同時に売り切れる。


▼1865年

修道士メンデルが遺伝に関する研究をまとめた本を出版。

だが、彼の仕事の重要性は35年間認められなかった。


▼1871年

ダーウィンは著書『人間の由来』で人間のルーツが霊長類にあるとし、一部で激しい批判が巻き起こる。

彼の顔を用いた風刺画も出現。


▼1882年

ダーウィン死去。


▼1925年

テネシー州のスコープス裁判(通称モンキー裁判)で、進化論を教えていた教師が、神の創造を否定する理論を教えることを禁止する法に基づいて有罪になる。


▼1936〜1947年

ダーウィンの進化論とメンデルの遺伝の法則が統合される。


▼1953年

ワトソン(James.D.Watson)クリック(Francis Click)がDNAの構造を発見。

進化分子生物学の研究が可能になった。


▼2000年代中頃

遺伝子解析により比較的最近(数千年前まで)の人間の進化の証拠が示される。


▼2009年

ダーウィンの誕生日2月12日は彼を記念してダーウィン・デーとなっており、少なくとも10カ国で数多くの記念イベントが開催される。

最新情報は、https://darwinday.org/で得られる。


なぜか興味深い、ダーウィンとその周辺。


それはなぜかと”問い”を立ててみると


自分が読んでいる学者さんたちの


多くの方達が浅からぬ興味を持っている


ってことが端を発しているのが大きいが


実際に自分もいくつか読んでみて


面白いと思えなければ読まないわけで。


とあまり生産的でないことを考える時間は


ただいま現在を生きる人間にとって


哀しいかな有益ではない為、


いったん置いといて直近の課題を考え


読んでいない本が山積しているのに


あらたにブックオフで8冊も買ってしまって


いつ読むのだろうなあーと思いつつ


そろそろ夕飯の手伝いを考え始めている


休日のとある1日でございました。


 


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茂木健一郎先生の書から”憧憬”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]


<ヴィジュアル版> 熱帯の夢 (集英社新書)

<ヴィジュアル版> 熱帯の夢 (集英社新書)

  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2009/08/18
  • メディア: 新書

旅立ち から抜粋

旅をすることの意義は、どれくらい真摯に突き動かされるかという点にある。

問題は、旅をしていることの長さにあるのではない

どれほど没入し、そして動かされるか

故郷を離れてしまうことができるか。

自分の中に、その土地の元素のようなものを取り入れることができるか

どんな「精霊たち」に出会うことができるか


英国には、「トラベル・ライティング」という名の文芸ジャンルがある。

留学中、書店に行って眺めてみると、随分幅広の棚がその種の本で占められていた。

世界各地に出かけた著者がいる。

この情熱はいったい何に由来するのか。

しばし呆然としたものだった。


自然科学者としての私には、旅のあり方として、一つの「理想郷」がある。

進化論の提唱者チャールズ・ダーウィン。

22歳から27歳まで5年にわたったビーグル号での旅を終え、『ビーグル号航海記(The Voyage of the Beagle)』を出版した。

この旅行記には、冷静な観察者としての記述と、二度とくりかえさない青春の主体としての感慨が入り交じって、何とも言えない味わいがある。


子どもの頃からずっと、「熱帯に行きたい」と思っていた。

脳裏に、赤道直下の強いイメージがつきまとって、離れなかったのである。

「熱帯の夢」は、私の人生の大切なモティーフの一つだった。

私が熱帯雨林に対して抱いた夢の中核にあったのが、子どもの頃の昆虫採集だったことに間違いはない。

とりわけ、蝶を採集したり、その生態を調べたりといった営みに熱中した。


日高敏隆さん から抜粋


コスタリカは遠かった。

成田から飛び立ち、アトランタでトランジットする。


インドネシアのバリ島で密林を歩いたことも、ボルネオの原生林でテングザルを見たこともある。

それなりに、南の森の生態系には馴染んできた。

それでも、今回のコスタリカ行きは特別だという思いがあった。

青年期に読んだ「ナショナル・ジオグラフィック」などを通して、コスタリカの森こそが、熱帯雨林の一つの典型であるという思いがあった。


それに、京都大学名誉教授の日高敏隆先生とご一緒する。


日高先生の「環世界」の考え方にも、大いに影響を受けた。

ドイツの生物学者、ヤーコブ・フォン・ユクスキュルによって提唱され、日高先生によって発展させられた生命思想。

それぞれの生物には固有の環境世界があり、その中で時間や、空間を構築し、認識している。

人間の世界が絶対的なのではない

それぞれの生きものの世界が、それぞれユニークな、そして固有の価値観を持っている。

「環世界」は、客観的、物質的環境とは異なる

それぞれの生物が、生きる上で周囲の環境をどのように切り取り、認識し、自分の身体との相互作用を通してかかわっていくか。

ある意味では身体の延長であり、また別の視点からは容易にはうかがい知れぬ「他者性」が始まるところである。


コスタリカのジャングルの中で、一体、何と出会うことになるのだろう。


この書はここがまでが一番響く。


茂木先生の旅の定義が


人生の定義そのもののよう。


いち昆虫少年に戻ったかのような旅行記が続く。


「旅行」じゃないな「旅」ですな。


読んでて楽しい。


虫のことはほとんどわからないけれど。


モンテベルデ から抜粋


私たちはいよいよ、最終目的地に向かう。

標高が千数百メートルのところに広がる雲霧林の自然環境を観察するために、研究施設のあるモンテベルデへと旅立つのである。

途中でガソリンスタンドに立ち寄る。


大きな地図がある。

ちょうどアレナル山からモンテベルデまでのエリアがカバーされている。

日高敏隆先生が、興味深そうに地図を見上げている。

顕学(けんがく)の目は、何を見ているのだろうか。

私もまた、その人に寄り添うような気持ちで地図を見る。


あたりには、すでに蝶が舞っている。

宝の山が、すぐそこにあるような気がする。

自分の内側の葛藤を悟られまいとしてしていると、櫻井さんが、親切にネットを貸してくださった。

櫻井さんが「はい、茂木さん」とネットを渡すところを、日高敏隆先生が見ている。

「オトシブミの専門家で、ネットを持ち歩く人はあまりいませんなあ」

日高先生がのんびりした声で言われる。

もう日暮れまでそれほど時間はない。

それでも、今日のうちに少しでも森の空気に触れてみたいと思う。


しばらく周囲を見回しているうちに、ある感触を思い出した。

周囲の全てが、感覚として自分のうちに取り込まれているという状態。

世界が外にあるのではなく、自分の内側にある。

心の中の宇宙で何か注目すべき出来事が起これば、そこに一気に注意が向く。

西田幾太郎の言う「純粋経験」。

普段は別々のものである「自我」と大世界が、ぐにゃりと溶けた飴のように一体化する。

没我である

それでいて、最高度に覚醒した状態である。

私のクオリアが、環世界のクオリアになるのである。


森の中で蝶がどこからか飛んでくるのを待つ。


茂木先生、蝶を標本するときに


年齢を経て殺すことをためらうことになり


捕虫網を持参しなかったという


”葛藤”のエピソードもなんとも滋味深い。


同行しているのが日高先生だというのに。


蝶を追う から抜粋


朝食をとりながら思った。

グローバリズムの中で、人々と行き交い、世界に広く発信すること。

できるだけ大きなプラットフォームの中で表現することを目指すこと。

その一方で、仕事の価値の基準は、あくまでも自分のうちなるクオリアに寄り添うこと。


「希な、単独行動をする個体」。

「私」の内部にもまた、さまざまな生物たちが密接なネットワークをつくり出す一つの熱帯雨林がある。

その木々たちが天上からの光を求めて樹冠を伸ばしていくその精神運動のうちに、私の内部発展は図られなければならない。

地球規模のマーケットの中で流行しているからといって、他律的な価値観を安易に取り入れることは、ブルドーザーで固有の生態系を根絶やしにすることに等しい。


音を注意深く聞いていると、森の中から聞こえてくる。

虫か、鳥か。

いずれにせよ生き物の鳴き声であることは間違いない。

あんな声で鳴くものまでもが進化してくるとは。

密林の中では、さまざまなことが起こる。

過酷な生存競争の場。

その中で、自分のユニークさを主張しなければ、一瞬たりとも存在していられないのだろう。


私も君も彼も彼女も、結局は「希な、単独行動をする個体」。

世界のすべての人の、それぞれの生き方について思いを馳せている。

胸が一杯になった。


あとがき から抜粋


夢というものは不思議で儚い性質を持っている。


日常の散文性の中で、目の前のことに忙殺されているうちに、シェイクスピアが『テンペスト』の中で言うところの、「夢がつくられているところの素材」はすっかり自分から遠くのものとなってしまうのである。

いかに夢に強度を保つか

そこには人生において最も大切なことがある。


私はかつて、間違いなく「熱帯の夢」に取り憑かれていた。


「熱帯の夢」をさ迷い歩いていた頃の自分の姿を、時折振り返ってみる。

あの時の純粋な熱を保つことができるのか。

ふるえる一個の生命体であり続けることができるか。

時折、私たちの文明自体の中に熱帯を見ることがある。

さまざまな情報が飛び交い、多様性の集積が臨界点に達する。

人間の精神が光を放つ方法は、結局、熱帯という技法の中にしかないのかもしれない。

もしそうだとすれば、「熱帯の夢」には普遍的な意義があるはずだ。


本書は、2008年夏のコスタリカへの旅の際の経験を元に書き下ろされた。


日高敏隆先生には、コスタリカ滞在中、多くのことを教えていただいた。

日高先生の御著書を夢中になって読んでいたかつての昆虫少年が、このようにして一緒に熱帯へと旅することができたとは夢のようなことである。

日高先生と一緒にジャングルを歩くことで、私の「熱帯の夢」はつややかさを増したように思う。

2009年7月 取材で訪れた上海にて。

茂木健一郎


自然科学を探究すると


文明批判のように


どうしてもなるのだなと思った。


でも文明の恩恵も受けているという意味合いなのか


文明の中にも熱帯があるとおっしゃる茂木先生。


だとして、なんかわかるような気もしたり。


それはそうと、この書を少年の作文みたいと


思う人もいるかもしれない。


脳科学的な内容を期待すると肩透かしとか。


でも自分はこう思った。


そらそうだよ、いまここで、


少年マインド炸裂せんでいつするのだろうか、


憧れの人と憧れの場所に行けたということが


伝わればそれでいい、


かつグラフィックも美しいから更にいい、と。


それはそれであるべき評価の一つ


なんではなかろうか。


って誰もそう言ってないかもだけど。


余談だけれど、かなり捻くれ度合いが


まったく僭越でございますが自分と


近似型を成しておると感じることを禁じ得ない。


茂木先生然り、日高先生然り。


まじ残念ながら自分との偏差値は


雲泥の差だけれどもね。


 


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2大巨人の新装版で”世界”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]


新・学問のすすめ 人と人間の学びかた

新・学問のすすめ 人と人間の学びかた

  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2014/01/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

今風ならこの書籍名は

シン・学問のすすめ」なのだろうなと


いきなりどうでもいいことでした。


装幀がしびれるクールさ、ご担当は


菊池信義さんでした。これは重要。


第2章「自分とはなにか」から始まる学問ーーー歴史学


阿部謹也


「自分」を知ることは「全世界史」を知ること から抜粋


歴史学というのは、一般的には過去を知ることだと言われています。

しかし私はそうは思いません。

歴史学というのは、現在を知るための学問です。

つまり、私たちは自分が生きている世界がどういうふうな成り立ちで今日に至ったかということを知らなければならない。

現在を知ろうとするための営みの中で、非常に大きな部分を占めているのが歴史学なのではないでしょうか。

現在を知るということが、歴史学のいちばん大きな目標なのです。

 

そのためには、その時代を知るとか、社会を知るとか、世界を知るとか、いろいろな視点が考えられます。

しかし結局のところ「自分とはなにか」ということを中心にして、現在を知ることになるのです。

自分を知るということは、まわりを知るということにもなりますし、それは人間そのものを知ることでもあります。

非常に細かいところから、非常に広いところまで広がっていく、それが歴史学だと思ってもいいのです。


たとえば夜、自分とは何かを考えるとき、どこから始めるでしょうか

今日のことだけでいいのか。

昨日までのことをいっさい抜きにして、今の自分だけで割り切れるだろうか。

いまのことだけで自分が語れるだろうか。


私はかつて一橋大学で学生たちに、生まれてからいままでの自分のこと、自分の親との関係、兄弟との関係などを書かせていました。

それをやると、自分が見えてくるのです。

自分とは何かということが客観化できる。

つまり、過去を見なければいまの自分は見えてこないのです。

昨日、一昨日、そしてもっと昔、子どもの頃の親との関係、友人との関係、世界との関係、おもちゃとの関係ーーーこれらが一緒に入ってこないと、自分は見えてこない。

自分とは何かと考えようとすれば、自分の過去は最低限必要になってくるし、その自分の過去はじつは日本全体であって、世界全体でさえある。

そういう意味では、どんな人の人生も、全部世界史の中にあると言ってもいいのです。

そんな視野でものを考えようというのが歴史学なのです。


自分とは何かを考えるときに、たとえば、身近なところで、自分の祖先を考えるとします。

三代、四代前までは分かるかもしれない。

さらにもっとさかのぼっていくと、ピテカントロプスまでいってしまう。

自分ということを離れて、人間ということになればもっと広がります。

日本人の祖先や人類の祖先について考えることもできるのです。


ディープに深掘りするとオタクと言われ


敬遠されることもありますからね。


やり方にも問題があるのかもしれず


スマートさを忘れてはならないのでしょう。


阿部先生は見るからにスマートです。


第4章


「数式にならない」からおもしろいーーー生物学


日高敏隆


「学問」は役に立つか?から抜粋


「おまえ、いったいなにやっているの?」

虫に対してそんな疑問をもったこと。

それがぼくの学問の始まりといってもいいでしょう。

むしろ虫というのは、なにを考えているのかまったくわからない。

犬や猫だったら、まだ、こちらがなにをすれば、喜んでいるんだか、怒っているんだかはなんとなく分かるんです。

それに比べて虫というのは、確かに何か一生懸命にやってはいるけれども、いったい何をやっているんだかさっぱり理解できない。

それがぼくにとってのいちばんの疑問だったんです。


たとえば、チョウが飛んでいます。

どこをどう飛ぶのか、なぜここを飛んでいるのか、それがぼくには不思議だった。

ですから、そのことを10年くらいかけて研究し、どうにか分かるようになりました。

「ああ、なるほどな」と納得できた。

これは人から言わせれば「一文の得にもならないことを…」となるわけですが、ぼくにしてみれば満足だった。

学ぶことの楽しさというのは、やはりそこにあると思うんですね。

つまり「学問」とは、存在するあるものについて、それがいったいなんなんだという疑問をもち、とにかく知りたいと思う、まさにそのことなのではないでしょうか。


ですから、「それがなんの役に立つんだ」と言われても「人間の好奇心に応えるためだ」としか言えないんです。

ふつう「役に立つ」というと、いわゆる応用的な意味で、それがなにかに活用できるということですね。

けれども、人間には好奇心があり、それに応えられれば知的に満足できる。

それだって十分人間に役に立っていると言えるのではないでしょうか。


また、好奇心を呼び起こすものには、知的な、いわばポジティヴなものもありますが、「不安」という感情もあるんです。

「なんだか怖い」「あれはいったいなんなんだ」という不安。

それは正体がわかれば、「ああ、そうだったのか」と安心できるのです。

たとえば、雷です。


「生物」と「無生物」の違い から抜粋


生物がというものにしても、結局のところ「生物とはなんなんだ」ということが根本です。


いま、生物学を「生命科学」と言い換えるのが流行のようになっていますが、「生命」というのは、抽象的な概念です。

一方の「生物」というのはつまり生き物ですから、そのあたりに生えている草だとか、葉っぱにとまっている虫だとか、それらが全部「生物」です。

それらの生物は確かに「生命」をもっているかもしれませんが、それでは「生命」とはどういうものだと問われれば、どんなものだが説明できないでしょう。

だから生命科学などという言葉はあまり安易に使わない方がいい


また最近は「遺伝子工学」というものが話題になることが多く、これも生物学の一分野だと考える人も多いようです。

しかし、これはやはり「工学」です。

つまり、いじることなんです。

先程も少し触れましたが、「学問」というのは本来は「いじりたい」ということではなくて「知りたい」ということだと思います。

一方、「工学」というのはとにかくいじりたい

現実に存在しないものでもつくってみようと思う。

それは人間の大切な知的活動の一つですが、いまここで言っている「学問」ではないんです。


「工学」も「いじりたい」というわけでは


ないのかもしれない。


「いじらないと、ビジネスにならない」て事で


結果的に「支配」することになってしまい


ただいま現在に至る、のような。


すみません、日高先生の揚げ足をとるような


不遜な真似をしているようですが


そうではなく、基本的には満腔の同意なのです。


解説


スマートフォンを味方につける


亀山郁夫(ロシア文学)


1から抜粋


私たち人類は、今、四半世紀前ですら想像できなかった新たな次元に入り込もうとしている。

社会と人間を囲むICT環境の驚くほど急激な変容プロセスに、もはや既視感すら経験する暇もえられないほどである。

この新たな次元を、何と名づけるべきなのか。

むろん、グローバル時代というだけでは、あまりに月並みすぎる。

むしろここに展開しているのは、ポストグローバル時代というべき事態だと思うが、この言葉でもまだ軽すぎる気がする。

私たちが現に目の前にしている光景はそれほどにも異様なのだ。

むろん、その光景には、私自身もまた点として存在している。


その変化のスピードはもとより、人間精神に与えつつあるダメージは、破局的としか言いようがない。

この危機の次元を、私たちは無事サバイバルできるのだろうか。

私たちがこれまで「文化」という名で呼んできた多くの常識が、ほとんど通用しなくなる時代が訪れてくるのではないか。


最近、しきりに思い出される映画がある。

来るべき全体主義の世界を描いたフランソワ・トリュフォーのSF映画「華氏451」ーーー。

そこに描かれる未来社会では、徹底したイデオロギー管理体制のもと、世界の古典とされるもろもろの読書が禁じられ、書物狩りが横行している。


この映画の中で梵書に処される書物は無数にあるが、ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』のページが焼き焦がされるシーンが印象に残った。

ラストでは、漢詩の目を逃れた人々が郊外の村に秘密結社を組織し、一人ひとりが記憶に蓄積した古今東西の古典を伝授しあう…


レイ・ブラッドベリー原作による映画は、21世紀の現代に、みごとといってよいほど逆説的な意味を帯びるにいたった。


現代において生じた活字離れは、むろん、監視や抑圧に原因があるわけではない。

理由はまさに逆であり、言葉は少し悪いが、張本人は、何といってもICT革命である。


しかし、ただ一つだけ確実に言えることがある。

人間は、どのような革命にも馴化(じゅんか)し、生き延びてきたという事実である。

人間はどんなことにでも慣れることのできる存在だ

ドストエフスキーは書いたが、まさに然り。

この言葉を前提とすれば、ICT革命が生み出しつつある「新しい次元」にも、これまでに劣らず豊かな文化が実りをつける可能性があるという楽観論に立てる。


そしてその慣れの階梯(かいてい)をしっかりと踏みしめながら、次なるステージへと向かうのである。

を逆に言えば、どのような次元も、そこに馴化する努力を怠るなら、サバイバルは不可能になるにちがいない。


サバイバルとは、馴化による変身の技術をいう。

サバイバルの覚悟さえあれば、ICTのハード面は、もはやどうでもよくなる。

要するに、現実の世界に生起するもろもろの事象に対する想像力を失わないこと、世界を考え、世界を判断し、世界から利益を得、なおかつ世界を楽しむしっかりとした技術をもった人間を育てることができれば、それで十分である。

これを少し圧縮して表現すれば、ICT革命のシンボル的存在であるスマートフォンをどう味方に取り込むか、ということに尽きる。


3から抜粋


ここに、阿部謹也と日高敏隆という、私たち旧世代にとってはあまりになじみ深く、またある意味象徴的といってもよい二人の知識人が、大学と学問の意味をめぐって熱い議論を繰り広げている。

対談は、2000年前後に実現したと思われる。

まさにミレニアム・バグの年である。

当時、阿部氏、65歳、日高氏、70歳。

二人とも同じ学長職という立場にあった。

本書を読み進めるうち、私はふと、思いがけないあることに気がつかされた。

研究者としてあれほど多くの優れた仕事を残した二人の思考の底にひそむ一種の罪障意識、端的に、自分の学問の有用性にたいする根本的な疑いである!

しかしその疑いこどが、二人の学問を、世界に向けて大きく飛躍させるきっかけとなったことは、まぎれもない事実である。

学問とは、本来的に閉鎖的な性質を帯びているが、これをどう世界に向かって開き、ポジティブな方向に導いていくか、が大切なのである。


本書のなかで特に印象に残った言葉を引いておく。


「趣味の学問」から脱して「国民を意識した学問」へ

「分かる」こととは「自分が変わる」こと

学問の根本は「人間の研究」にある

「自分」を知ることは、「全世界史」を知ること

遺伝子では人間はわからない

数式にならない学問こそ大切

遺伝子たちのプログラムを信用せよ


ただし今日(2014年)の視点から見て、多少とも違和感をぬぐえない部分もないわけではない。

21世紀が明けてから今年て14年が経つが、その間、世界は、9.11をはじめとするさまざまな重大事件を経験した。

日本では2011年3月11日がそれにあたる。

当然のことだが、この対談では、これらの事実は踏まえられていない。


しかもここに、IPS細胞の発見やらスマートフォンの世界的な拡大といった新たな事象を加えれば、この間、私たちが経験したものの大きさが改めて認識されるだろう。

そればかりではなく、この一年で、国の大学政策にも大きな変化が生まれた。

現在、安倍政権が打ち出している「成長戦略」では、「大学力こそ日本の競争力の源で、成長戦略の柱」と謳われ、いわゆる「グローバル人材」育成に莫大な資本が投入されようとしている。

成長戦略における高等教育の「三本の矢」を列挙しておく。


1英語教育の抜本的改革

2イノヴェーションを生む理数教育の刷新

3国家戦略としてのICT教育


また、法人化以降の国立大学学長のリーダーシップをさらに強固なものとするため、法制度の面からも、より強力なバックアップ体制がとられようとしている。


しかし、それらの外的な事情をのぞけば(そして、さらに長い目で見るなら)、本対談で論じられているトピックは、いずれも今日的な問題意識に十分に応えうる内容となっている。

それぞれの専門分野からとびきり面白いテーマが紹介され、私生活での出来事が折に触れて参照されるところに親しみを覚える。

読者は恐らく、胸をわくわくさせながら読み進めることができるのではないだろうか。

しかし全体として、両者の大学に対するまなざしは厳しく、私自身、身につまされる部分が少なからずあった。


阿部氏の発言のなかでとくに印象的だったのは、人文社会学者に向けられた次の言葉である。

「人文社会科学は、やはり自分の趣味のための、自分の生活のための学問、あたかも公的な役割であるかのような幻想のもとに行われていたにすぎない」

むろん、この言葉には、阿部氏の自戒が込められている。

ドイツ中世史の専門家である阿部氏、そして「チョウはなぜ飛ぶか」で一躍名をはせた動物行動学者、日高氏のいずれも、ある意味で、現実の社会からはるかに遠ざかった世界の事象を研究の対象としてきた。

しかし両者がだれよりも卓越していたのは、先に述べたとおり、自分の研究なり学問なりを世界に開き、徹底してポジティブな方向に導こうとしてきた点にある。

これは口で言うのは易しくてとも、なかなか実行できることではない。


私自身、大学の現場で、阿部氏の右の引用に重なる研究者を数多く見てきた。

自分たちの学問には自律的な価値があると信じ、他方、自分の研究者生活が国民の税金によってまかなわれているという事実を失念している大学人たちである。

正直いうなら、かくいう私もその一人だった。


反復するようだが、問題は、いかにしてその「趣味」を「公共性」の学問へと構築し直すかにかかっている。

「公共性」を意識することは、当然、税金を管理する国(文科省)の意向や要請に応えることを意味する。

むろん、人文社会科学が、功利主義一辺倒の要請に従うだけで成立するなど、あり得ないことである。

むしろ国の意向や要請なりに目をつぶり、完全に孤立した世界の中でこそ独創的な研究は生まれるかもしれない。

だから、これらの問題の解決が一筋縄ではいかないことは自明である。


しかし、そうはいえ、「タックスペイヤー」である国民は厳然として存在している。

少なくとも、自分の学問なり研究なりが、国民の負託を受けている、負託を受けている以上、しっかりとその見返りを用意するという覚悟だけは忘れてはならない。


文科省に従うことが良いのだろうか?


文科省が間違っていたら?


なので自分で考えることが大切なのだ


ということを示唆されているような。


それにしても、イノヴェーション創出と


当時の政権の求めていたものは


真逆だろうと言わざるを得ない。


認識がおかしいとしか言いようがない。


いまさらでございますが。


そもそも成長戦略自体がおかしい。


少子化は必須で成長しないことが自明なのに


それでもやっていけるプランがないってのが


問題なのだというのは平川克美さんが


警鐘を鳴らされているし、自分も会社員時代の


10年くらい前からこのブログにも


右肩上がりってどうなん?みたいなのは


疑問に思ったが砂の中の一粒でしかなかった。


亀山先生の解説に話は戻りまして


新旧の世代、価値観の交代はやむをえず、


良いところを補完できる関係性を築き


社会に還元していけるような社会に、それには


スマートフォンを活用せよというということで、


自分はスマホ、ももちろんだけど、


ICTやAIも含めたデジタル全般と考え


それらを包括し良き方向に先導できる


旗振り役が必要と感じる。


それは「人」なのか「もの」なのかわからず、


もしかしたら自分も含めた「世界」なのか。


難しくなってきたし、お腹すいたので


遅番の今日に備えて食事しようと。


 


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