SSブログ

①ローレンツ博士の書から”条件づけ”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


文明化した人間の八つの大罪 (1973年)

文明化した人間の八つの大罪 (1973年)

  • 出版社/メーカー:思索社
  • 発売日: 1973/09/20
  • メディア: 単行本

さすがローレンツ博士、というか

翻訳の日高先生とでもいうか。


50年以上前の書とは到底思えなかった。


第10章 まとめ


私は、本来密接な関係があるが互いに区別できる八つの過程について述べてきた。

それは私たちの現代文明ばかりでなく、種としての人類をも破壊させる恐れがある過程である。


第一に、地上の人口過剰である。

多すぎる社会的な接触のために私たちは誰もが根本的に「非人間的な」方法で自らを守らざるをえない。

またそれに加えて、多くの個人がせまい空間にすしづめにされていることが、直接に攻撃性を解発するように作用している。


第二は、自然の生活空間の荒廃である。

私たちの住んでいる外部環境が破壊されているだけではない。

人間自身の内部でも、人間をとりまく創造物の美しさや偉大さをおそれる気持ちが破壊されている。


第三は、人間どうしの競争である。

競争の結果人間の破壊のための技術の発達はますますはやまり、人間には真に価値のあるあらゆるものが見えにくくなり、反省というまことに人間らしい行為に専念する時間を奪われている。


第四は、虚弱化による豊かな感性や情熱の萎縮である。

工学や薬学の進歩のために、ごくわずかな不快刺激にも耐えられなくなっている。

そのために障害を克服する時のきびしい苦労を通じてしか得られない喜びを感じる人間の能力は低下している。

悲しみと喜びの対照という自然の意志によるうねりは、いうにいわれぬ倦怠の知らぬ間のひろがりのうちにきえてしまう。


第五は、遺伝的な衰弱である。

社会が大きくなるにつれて社会的な行動規範はますます必要になるのに、近代文明の内部にはーー「生まれ持った正義感」と、受け継がれてきた多くの伝統を除けばーー社会的な行動規範の維持や発達に対して淘汰を加える要因はなにひとつ存在しない。

「造反している」現代の若者の大部分を社会の寄生者たらしめている多くの幼児化現象がおそらく遺伝的に決められているということも例外ではない。


六番目は、伝統の崩壊である。

伝統の崩壊は、若い世代がもはや古い文化的伝統とうまく和解できなくなり、ましてやそれと一体化することができなくなる臨界点に達することによってひきおこされている。

そこで若者たちは古い世代を「異教徒集団」のように扱い、それに国家的憎悪を持って立ち向かう。

このように一体化が乱れる原因は、何よりも親と子の間の接触が欠けているところにある。

病はすでに乳幼児の頃にはらまれているのである。


七番目は。人類の教化されやすさの増加である。

唯一の文化集団に集中している人間の数の増加は、世論に干渉する技術の完成と結びついて、人類史のいかなる時代にも見られなかった世界観の画一化を引き起こす。

さらにかたく信じられている教義の暗示的な作用が、その信奉者の数とともにおそらくは幾何級数的に増加している。

今日ですら、マスメディアの影響、例えばテレビの影響を意識的に避ける個人は、しばしば病的であるとみなされる。

非個体化効果は大衆を操作しようとするあらゆる人々に歓迎されている。

世論調査や宣伝技術、それに巧みに操縦された流行は、鉄のカーテンのこちら側では大企業、向こう側では官僚が同じように大衆を支配するのを助けている。


八番目に、核兵器を持った人類の軍拡が、人類に危機をひきおこしている。

この危機は前に述べた7つの現象がひきおこす危険にくらべて避けやすいものである。


えせ民主主義的な教義は七番目までの人間性喪失の過程を促進している。

この教義は人間の社会的な行動や道徳的な行為が系統発生で進化した神経系や感覚器の体制によってきまるのではなくて、もっぱら人間の個体発生の途中でそのときの文化的環境をつうじて得られた「条件づけ」によって左右されるというものである。


帯には「生き残るべき可能性を問う」


とあるが、そこまでは言ってないよなあ


ローレンツ博士は、と思ってしまった。


ご本人がこの”まとめ”の冒頭でも述べて


おられるが”過程”なのではなかろうか。


それはいったん置いておいて


「条件づけ」とは何のことだろうか。


第8章 教化されやすさ


から抜粋


正しい「条件づけ」を前提とすれば人間にありとあらゆるものを要求できる、人間をいかなるものにも変えられるという迷信は、文明人が自然に対して犯した罪、また人間の本性や人間性に対しても犯した多くの大罪の原因である。

世界を包括するイデオロギーとそれから産み出された政治とが、ともに虚構にもとづいていたならば、その結果が最悪になることは必然である。

えせ民主主義の教義は、ヨーロッパ全体を渦中に巻き込むおそれのあるアメリカ合衆国の道徳的崩壊に対しても明らかに多くの責任をおっている。


新しいものを手にいれるために使い切っていない品物を投げ棄てること、生産と消費が雪崩のように増加することが馬鹿げていてーー倫理的な意味でーー悪であることは明らかだし、疑いえない。

工業の競争によって手工業が壊滅され、農民をも含めて小企業家たちが存続できなくなったように、私たちは誰でも、青春時代に大企業家の望みのままに、彼らが良いと認めた食物を食べたり衣服を着たりするようにただ強いられている。


そして最悪なのは、私たちが条件づけられているために、大企業家たちのおこないにまったく気づかないでいることなのである。


アメリカが覇権を握っていた


大量消費の時代真っ只中でさすがに


50年の時を感じさせるとはいえ


ものすごく本質をついているような。


勝手解釈なのかもしれないけれど


ここで指摘される”条件づけ”って


”見えない力”とか今でいう”忖度”とか


”権力”のことと同義に自分は読んでしまう。


それでなくても、仰ることは


今でも通用することを仰るローレンツ博士。


エソロジーから体得し得た鋭い眼差しと


言わざるを得ない深すぎて


一回読んだだけでは読み落としあろうかと


何度も読んでみたい書だと思った。


ちなみにこの本は古本屋さんで見つけ


即効手が伸び購入した書なのだけど


新装版にしてどこかの出版社さんから


出してくれないものだろうか、


これでも充分自分は読めるのだけれど、


もっと広く知ってもらいたいなあ、


ローレンツ博士の書はと、思って調べたら


すでに20年経過してたけどあったぜと思った


でも高いよとも思った風強い2月の


寒い夕方でございます。


 


nice!(25) 
共通テーマ:

nice! 25