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3冊から”ブルシット・ジョブ”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

無敵の読解力 (文春新書 1341)


無敵の読解力 (文春新書 1341)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2021/12/16
  • メディア: 新書

【第1章】人新生から見た仕事論

■読解力をつける一番の早道


から抜粋


佐藤▼

現代を生きるうえで最も重要なスキルは何かを考えてみると、私は「読解力」だと思うんです。

というのも、現代はこれまでにないほど情報過多の時代ですね。

インターネットはそれに拍車をかけていて、莫大な文字情報を読み、不要なものは捨て、必要なものにはすぐさま反応することが求められる。

そのいい例がリモートワークで、実はリモートによって、これまで顔を合わせて口頭でやり取りしていた情報を、メールやSNSで報告するために文字で書いて、またその文章を読まなくてはならない。


池上▼

ある意味、莫大な時間の浪費ですね。


佐藤▼

そうなんです。

そこで交わされているかなりの情報は、これこそ不要不急なものなのに、それを処理するのに、また時間が割かれる。

これを高速で処理するためには不可欠なのが「読解力」なんです。


では「読解力」を身につけるにはどうしたらいいのか。

たとえばインターネットでやみくもに情報検索を行うというのは、一見、効率的にみえて最も時間の無駄なんです。

なぜなら、ネットなどに広がっているデータはまさにほとんどが自分に必要のない情報だからです。

しかも、断片的で文脈もはっきりしない。

これに付き合っても消耗するばかりで、いつまでたっても「読む力」は身につきません。


本当に読む力をつけようと思ったら、やはり書籍なんです。

一冊の書籍が成り立つまでには、いくつものふるいにかけられている。

要らないものを省き、論旨を明確にしないとそもそも売り物にならない。

さらにいえば、古典にじっくり取り組むこと

これが「読解力」をつける一番の早道なんです。


■メリトクラシーが行きつくところ


から抜粋


佐藤▼

『ブルシットジョブ』に書いてあるのは、資本主義システムの上層部の人たちの問題だと先ほど言いましたが、街で言えば、ニューヨークの世界なんです。

あるいはシリコンバレーにも似たところがある。


池上▼

東京もある程度そうでしょうね。


佐藤▼

ニューヨークを見ていますと、いろんなエッセンシャルワーカーとして入ってくる若い人がいるんですが、一定期間を過ぎたらニューヨークの外へ出ていく人が多いでしょう。

残った人はホットドッグ屋でも作って、小さい店で自立して中産階級に上昇していく。

しかし、誰もが自分の境遇に不満を持ち続けているわけです。

だから、資本主義が個人にもたらすものというのは暗いですね。

その点、旧ソ連なんか、案外悪くなかったんじゃないかと思いますよ。


池上▼

そうなんですか。


佐藤▼

食べるものはあったし、ジュースが買えた時はホントに嬉しかったし。

そのジュースを買うときも、ネズミのウンコが入っていないかどうかチェックして、入っていないのが三本も買えたらもの凄く嬉しいですからね。

人間の欲望っていうのは、そのぐらい縮小しますから(笑)。


池上▼

今、ドイツにオスタルギー(Ostalgie)という言葉がありますよね。

ノスタルギー(Nostalgie)とオスト(Ost)を組み合わせた言葉で、オストはドイツ語で東ですから旧東ドイツを懐かしむという意味です。

それで、東ドイツ時代を再現したレストランがあるんです。


激しい資本主義化の中でくたびれ果てたときに、少なくとも東ドイツ時代はもっとのんびりできたよなというノスタルジーが湧くから、このような言葉が生まれるんでしょうね。


佐藤▼

東ドイツは西ドイツと違って何が良かったかといえば、まず、就職の心配がなかった。

五カ年計画に合わせて学生数も決めていたからです。

専門教育と乖離した職に就くこともなかった。


池上▼

大学を出れば、ちゃんと自分が専攻した専門職に就けるわけですね。


佐藤▼

だから無駄がないわけです。

それで専門職よりも労働者の方が上ということになっています。

政治には、高等教育を受けていない方が有利なんです。

これは旧ソ連も同じです。

フンボルト大学(ベルリン大学)、モスクワ大学は人文系エリートにとってはいい大学でした。

医大は単科大学で、経済は専門の大学がある。

政治エリートは、工場からの叩き上げで作っていく。


その結果、何が起きたか。

エリートの分散です。

ところが東西ドイツが統一してしまうと、資本主義国と一緒で、学力の高い者を総取りすることになって、メリトクラシー(meritocracy)になってしまう。


池上▼

メリトクラシー、つまり、西側社会に普通にあるような、成績主義というか学歴社会になるわけですね。


佐藤▼

だから、この『ブルシットジョブ』を読んで思ったのは、やはりメリトクラシーが行きつく一つの悲しさですね。


■ブルシット・ジョブの世界観はついて回る


から抜粋


池上▼

メリトクラシーの話が出たところで、最近、ハーバード大学教授のマイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)という本が出ましたよね。


佐藤▼

はい。たしか、原題は『The Tyranny of Merit』でした。

つまり、『能力の独裁』ですね。


池上▼

アメリカのハーバードやスタンフォード、あるいはさまざまなアイビーリーグの連中って、自分の実力でトップに入ったと思っているけど、そうじゃないんだ。

子どもの頃から恵まれたところで勉強できたから入れたんだということを考えなくちゃいけない。

それを実力で入ったんだと思うようになると、何が起こるか。

メリトクラシーで、入れなかった人のことをバカにする。

そういうアイビーリーグのエリートたちが政府の幹部になり、あるいは大統領候補になり、大学に行っていない白人労働者のことを見下すことになる。

それに対する反発があったときに、ドナルド・トランプが「俺は学歴の低いヤツのことが好きだ」と言って、大統領になるということが2016年に起きたんだと。

そういうことを書いた本です。


佐藤▼

結局、そのメリトクラシーを崩すには、兵役とか軍隊とか、価値基準のまったく違うところに強制的に突っ込むしかないわけですね。


池上▼

しかし、メリトクラシーによって独裁する側の階級に入ったとしても、実は、ブルシット・ジョブによる疎外感を味わっているのが今の世の中ということですね。

何しろ、『ブルシット・ジョブ』によると、イギリスで「あなたの仕事は世の中に何の意味のある貢献をしていますか?」という世論調査をしたところ、「おどろくべきことに三分の一以上ーー37%ーーが、していないと回答したのである」とありますからね。

さらにオランダでは、労働者の40%が、「自分の仕事が存在する確固たる理由はない」と答えたそうですから。

まあ、考えてみれば、どんな階層でどんな会社に属してみても、ある意味、ブルシット・ジョブの世界観はついて回る感じがしますね。


佐藤▼

人間はみんな原罪を持っているから、そういう不幸なものなんだと思えば、問題は瞬時に解決するんじゃないですか。


池上▼

出た。原罪で、すべて解決。それはそれとして(笑)

どの階層にあるとしても、ブルシット・ジョブの世界から抜け出す一つの方策としては、斎藤さんの『人新生の「資本論」』の終章に出てくるような国際的に農民組織を広げていったり、自治体を作ってその境界線も無くしていったりということなんでしょうか。

つまり、アソシエーション()をつくるという話なんですかね。

=一定の目的を果たすために、個々人の共通の関心にしたがって人為的・計画的に形成される集団。


佐藤▼

そういうことです。

平たい言葉で言うと、友だちを何人持てるかということです。


池上▼

と言うことは、協同組合主義的な運動になっていくという話ですよね。


佐藤▼

少なくとも斎藤さんが考えていることはそうなりますね。

ただ、協同組合は資本主義社会で、株式会社には勝てないですからね。

問題はそこなんです。

いずれにしても、社会主義的な思想や運動は今後の日本や世界中で強まっていくと思いますよ。



ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論

ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2020/07/30
  • メディア: 単行本

序章

ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)現象について


ブルシット・ジョブ現象について


から抜粋


1930年、ジョン・メイナード・ケインズは、20世紀末までに、イギリスやアメリカのような国々では、テクノロジーの進歩によって週15時間労働が達成されるだろう、と予測された。


ところが、にもかかわらず、その達成は起こらなかった。

かわりに、テクノロジーはむしろ、わたしたちすべてをよりいっそう働かせるための方法を考案するために活用されてきたのだ。


それは、わたしたちの集団的な魂(コレクティヴ・ソウル)を毀損している傷である。

けれども、そのことについて語っている人間は、事実上、1人もいない。


ケインズによって約束されたユートピアは、どうして実現しなかったのか?

現在の一般的な説明は、消費主義の大幅な増大をケインズが計算に入れていなかった、というものである。


1920年代から、無数のあたらしい仕事と産業が際限なく生み出され続けるのを私たちは目の当たりにしてきた。


だとすれば、これらのあたらしい仕事とは、いったいなんなのか?

アメリカにおける1910年と2000年の雇用を比較する報告から、はっきりと事態を把握することができる。


前世紀を通じて、工業や農業部門においては、家内使用人(奉公人・ドメスティック・サーバント)として雇われる働き手の数は劇的なまでに減少した。

同時に「専門職、管理職、事務職、販売営業職、サービス業」は3倍となり、「雇用総数の4分の1から4分の3にまで増加した」。

いいかえれば、予測の通り生産に携わる仕事は、そのほとんどがすっかり自動化されたのだった。


しかし、労働時間が削減されることによって、世界中の人々が、それぞれに抱く計画(プロジェクト)や楽しみ、あるいは展望や理想を自由に追求することが可能となることはなかった。

それどころか、わたしたちが目の当たりにしてきたのは、「サービス」部門というよりは管理部門の膨張である。


そのことは、金融サービスや、テレマーケティング(電話勧誘業、電話を使って顧客に直接販売する)といったあたらしい産業まるごとの創出や、企業法務や学校管理・健康管理、人材管理、広報といった諸部門の前例なき拡張によって示されている。

さらに、先の数字は、こうしたあたらしい産業に対して管理業務や技術支援やセキュリティ・サポートを提供することがその仕事に費やしているがゆえに存在しているにすぎない数々の付随的な産業(飼犬のシャンプー業者、24時間営業のピザ屋の宅配人)も反映されていない。


これらは、わたしが「ブルシット・ジョブ」と呼ぶことを提案する仕事である。


まるで何者かが、わたしたちすべてを働かせ続けるためだけに、無意味な仕事を世の中にでっち上げているかのようなのだ。

そして、謎(ミステリー)があるとしたらまさにここなのである。

資本主義においては、こんなことは起きようがないと想定されているのだから。


たしかに、ソ連のような古くさい非効率的な社会主義国家においては、雇用が権利とも聖なる義務とも見なされたため、その体制は必要なだけの数々の仕事をでっち上げなければならなかった(これが、ソ連のデパートでは一切れの肉を売るために3人の店員が必要とされた理由である)。

しかし、むろんまさにこれこそ、市場の競争が解決するはずの問題なのである。


経済理論によれば、本当は雇う必要のない労働者に大枚をはたくなど、少なくとも、利潤追求を行う企業が最もしそうにないことである。

だが、どういうわけか、そのような事態が起こっているのだ。


その答えは、あきらかに経済上のものではない。

道徳上かつ政治上のものである。

自由な時間を獲得した充足的で生産的な人びとを、支配階級は死活的脅威であると認識するようになった(1960年代にこの状態に近づきはじめた時、なにが起こりはじめたか考えてみよ)。

労働はそれ自体が道徳上の価値であるという感性、目覚めている時間の大半をある種の厳格な労働規律へと従わせようとしない人間はなんの価値もないという感性は、そんなかれらにとって途方もなく都合の良いものだったのだ。



人生に「意味」なんかいらない

人生に「意味」なんかいらない

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: フォレスト出版
  • 発売日: 2023/11/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

第2章 資本主義思考と意味の呪縛

ベーシック・インカムが価値観の大転換を呼ぶ


から抜粋


AIが人間の労働を代わりにやっていくようになると、当然ながら、失業者が増える。

働くことができないということは、いいかえれば「賃金をもらう人がどんどん減っていく」ことを意味する。

賃金をもらう人が減れば、そのお金を使う人も減るから、結果的に企業が製品やサービスの対価として受け取るお金、つまり企業の「売上」が減る。

企業が、どんなに素晴らしいサービスを提供していても、働いて賃金を得ている人がいなくなってしまえば、誰がそのサービスにお金を払うのか?

つまり、働く人がいなくなれば、結果的に「資本主義が潰れてしまう」ことになる。


では、今後必ずわたしたちを待ち受けているAI化・ロボット化の波と、それによる資本主義の崩壊を、いかに回避すればいいか。

その方法こそが、皆さんも一度は聞いたことがあるであろう「ベーシック・インカム」だ。

ベーシック・インカムとは、「基本所得制」「最低限所得保障」などと呼ばれる制度で、政府が全ての国民に対して、生活に必要な最低限のお金を口座に支給するというもの。


ベーシック・インカムが導入される時代が訪れれば、必然的に私たちの労働観・人生観には劇的な変化が起きる。


「すべての人はお金を使って経済を回すために生きている」ことになる。

労働力として役に立つか、立たないかなどは関係がなくなり、むしろお金を使って生きているだけで、「役に立っている」わけだから、そんなことで悩む必要はまったくなくなる。


つまり、私が何を言いたいかというと、現代の人間が、いろいろとストレスを受けたり、生きにくさを感じたり、自殺したくなったり、自分の存在意義に疑問を感じたりしている、その根幹であるブルシット・ジョブを強いるような現行の資本主義というものは、実は皆さんが考えている以上に、脆い存在だということだ。


パラダイムが一変した途端、私は何に役立っているのだろうといった深刻な悩みも簡単に霧散する。

そのときになって現代を振り返ると、なぜそんなことで死ぬほど苦しんでいたのだろうかと不思議に思うことだろう。


とはいっても、ベーシック・インカムが導入される時代なんて、ずっと先なのではないだろうかと思う人もいるだろう。


これを読んでいる若い人が生きている時代、遅くとも今の私くらいの年齢になった頃には、ほぼ確実にベーシック・インカムの時代が到来しているはずだ。


働かないで生きることが普通の時代が来れば、あとは自分で好きなことをしていればいい。

それは、なかなか素敵な未来だ。


もちろん、その時代が到来するためには、国民と為政者がMMT(現代貨幣理論)とベーシック・インカムの原理を理解する必要があるが、AIの進歩は確実に人々の道徳観や倫理観を変えるだろう。

倫理や道徳は技術を変えることができないが、技術は倫理や道徳を変えることができるのである。


資本主義・民主主義が当たり前の


日本で育ち、暮らしていたけれど


恩恵も受けていたので妄信だった


とはいえないとは思うものの


コロナ・パンデミックにより


価値観の変更を余儀なくされ、


多くの人が生活設計を見直すことになった


現代においてまだ旧態依然とした価値観に


捉われざるを得ない人も沢山いる


だろうけれどもそれが願わくば


トップとかリーダーでないことを祈る。


これから何十年も生きなければならない


人たちのためにも。


もちろん自分たちのためにも。


最近よく見聞きするというか


そういう状態だからキャッチしてしまうのか


マルクスの評価の変遷が気になるのは


自明のことなのかもしれないなあ、と


風が強く隣の家のご主人のシャツが


我が家に風で舞い込んでいて


返してきた休日でございました。


 


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