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柴谷先生の41年前の書から”ダーウィニズム”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

私にとって科学とは何か (朝日選書)


私にとって科学とは何か (朝日選書)

  • 作者: 柴谷篤弘
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 1982/11/20
  • メディア: 単行本

まえがき から抜粋

書名からも明らかなように、この本は、自然科学を職業とする私にとって、自然科学とは何なのか、という問いに答えるものとして、書いたものである。

職業とする以上、それによって生活の糧をえているのであるから、それでいいではないか、といういうふうに言われるからもしれないが、自然科学が地球に住む人々の生活や、生物の世界を、眼に見えて変えてゆく時代にあって、人間にとって自然科学とは何なのかが、いたるところで問われる時代である。

従って、そんなかで、自然科学者にむかっての、科学とは何かという問いは二重の意味を持ち、とても生活の糧なぞという、まとはずれな答えとしてではすまなくなっている。

むしろ、なぜ自然科学者をやめないのか、とか、自然科学をどう変えようとしているのか、とか、そのために何をしているのか、という問いが、それに重なっているわけである。


実際に、あなたにとって専門の科学(私にとってなら生物学)とは何なのか、という問いは、1968年の大学闘争の中で問われ、それに対する満足のゆく返答は、大学の科学者のなかからは出てこなかった。

私はその時に出された問いかけを重く心に沈ませて、まもなく『反科学論』(みすず書房、1973)を書き、『あなたにとって科学とは何か』(みすず書房、1977)を書いた。

書いた時は、前者は科学者向け、後者は一般の市民向けという意図を持っていたが、その後私自身には、このような区別をすることが、科学の本の著者として、望ましいことかどうか、疑わしくなってきた。


また後者の本の書評の中に、科学者である著者にとって科学とは何かをも書くべきであるし、分子生物学の興隆に力を尽くした著者にとって、科学批判をする現在、分子生物学とは何であったのか、わからなくなる、という意味の指摘もあった。

科学批判の仲間からも、昼は研究所で科学の研究をして、夜は科学批判の本を書くというような生活が、何の意味を持つのか、という意味の問いかけを受けた。


これに対して私は『あなたにとって科学とは何か』出版後、いく人にもの自然科学者でない(人文社会系統の)学者またはそれを兼ねておられる方々と知り合いになることができ、その方々との交流を通じて、私自身は科学批判を外からでなく、科学の内部からやってゆくべきであり、その方々との交流を通じて、私自身は科学批判としての鋭さや有効さがそれだけ私自身の仕事から欠け落ちても、共同作業全体としては私が科学の内部から科学批判をする作業をする方が、意義がある仕事ができるだろうという理由をかかげて、科学者を早々に廃業するべきだという示唆には従わなかった。


そのようにして数年やってきた結果として、こんど正面から、これらの問いに答えるような内容の本を書くことができた。

いまの時点では、私自身にとっては、科学批判と科学、職業としての生物学(分子生物学や発生生物学)と、趣味としての生物学(生態学や分類学)とのあいだには、何の区別もなくなり、また科学的営為、市民としてまたは人間としての営為のあいだも、だんだんと区別がつかなくなってきた。

そのことはまた、本を書く私の態度にも影響して、科学者向きに、とか、一般市民向きに、とかいう枠をこしらえて、本を書こうという意図も、定かにはわかぬながら、言いたいことだけは、だんだんんとたまってくる、という状況に日々身をおくようになってしまった。

身がまえるような姿勢が、もっと自然に流れに身をまかすような姿勢に少しずつ移行してきたのかもしれない。


そういう状態で、私はこの本を書いた。

1980年の終わりから、分子生物学の批判を主題に、英文のエッセイを三篇ほど書き、それは1981年に公表できたが、1981年5月に日本へ一時帰国した時、『技術と人間』の高須次郎氏から、この雑誌に何か書けと言われて、右の三篇の英文エッセイを、ひとつにまとめたものを書いた。


そして逆に、こんどはそれを元にして、今西錦司を外国に紹介しながら、それを批判し、発展させるような趣旨の論文を、英文で書いてみた。

これは1982年9月7月ロンドン大学で開かれた、ダーウィン死去100年記念討論会の席での骨子となり、その後手を加えて、二篇の英文エッセイを求めに応じて専門雑誌に発表する段取りになった。

このように、英語で書くことと、日本語で書くことも、同時進行、ないまぜのようになって来てもいる。

日本人としての営為と、世界市民のひとりとしての営為にも区別がつけにくくなって来たようでもある。


1982年9月シドニー 柴谷篤弘


第二部 今西進化論再説


第三部 今西進化論の位置付け


何をもってダーウィニズムとするか


から抜粋


試論』における私の主張のひとつは、チャールズ・ダーウィンと今西錦司がともに、生物の進化を、生物の生活形の特殊化と、その結果としての多様化によって、一定空間における生物の全生産量の上昇としてとらえているということであった。

ダーウィンは、これを生存競争による自然淘汰によるものとして説明した。

これに対して今西はこれを棲み分けによって説明し、棲み分けの起こる原因については、生物における種の社会的本性、あるいは生物の主体性を想定しているようだ。


このように、多様性の増加にもとづく、種社会の密度の上昇を、生物進化の本性としてとらえるかぎりにおいて、ダーウィンと今西との間には本質的な差はないというべきである。

しかも一般にダーウィンの進化論でも、今西の進化論でも、第三者がこれを取り上げて論じたり紹介したりする時には、この密度上昇ということは、あまり言及されない。

また生物の進化を論ずる時にも、この点が強調されるとは限らない。


この点に関して、最近、有名なダーウィンとアルフレッド・ウォレスの生存競争にとって種が多様化することに関する理論の同時発表(1858年)の際に、ダーウィンが「微妙な処置」として、彼自身の理論がウォレスの発想に負う部分を、記録からたくみに抹殺してしまったという主張がなされるまでになっている。


しかしこのような事実はない、とするのがむしろほんとうのようだ。

というのは、ウォレスは生存競争によって、ひとつの種のなかのいろいろな変異がよりわけられ、その結果、時間が経つにつれて種の性質がより一層環境によく適合した方向に変化することだけを考えたのに対して、ダーウィンの方は、一つの空間を占める生物種の内部に特殊化が進んで、それぞれにより特殊な生活形を持った二つ以上の種が、生存競争によって元の一種から分化してくること、つまり生活形の多様化が起こることを、自然淘汰による生物進化の内実として捉えたのであるから、そしてその限りにおいてダーウィンの方が、生物進化を一層深く捉えているから、ダーウィンがウォレスを盗作したというとがめは、まったく当たらないということになる。


それはとにかく、こういうわけで、生物進化をこのようにとらえる局面においては、ダーウィンと今西とは、実によく一致していて、むしろダーウィンとウォレスの違いの方が大きいとも考えることができる。

したがって、今西がダーウィンとの対立だけを強調するのは公平ではない、という、『試論』における私の主張のひとつは、今や一層よく支持されることになる。


これをさらに強めて言えば、今西こそが、ダーウィンの後継者である、とさえ言えるのではないか、という気が、私にはするのである。


今西進化論がよく分かってないのだけど、


ダーウィンをネガティブに捉えているような


言説もあったりした記憶あり


柴谷先生の説は感覚としてですが


なんとなくわかるような気がする。


もしも同時代に、ダーウィンと今西先生が


生きていたら意気投合していたのかも。


この後、ダーウィニズムの追求のような


言説に入っていかれるのだけど、


柴谷先生や池田清彦先生にしたら


それは大いなる錯誤体系だということで


池田先生がよく仰っていることと


繋がっていく、ということを40年以上前から


説かれておられた。


しかし、問題は、なにを持って、ダーウィンの学説とするか、である。

今日一般にダーウィンの学説として取り扱われる主張は、ダーウィンが、その主著『種の起源』で述べた総体では決してない。

なかでも彼の遺伝現象に関する理解は、メンデル遺伝学がひらかれる以前のことであるから、たいへんに弱く、また当然突然変異に関する概念を、ダーウィンはまったく持っていなかった。


つまり今日一般にダーウィンの学説と呼ばれるものは、今日から見てダーウィンの述べたところのものの中で妥当と見なされるものに限って、それをダーウィンの独創とみなして、その功を彼に帰す仕組みこみうるものなのである。

したがって、ダーウィンの学説のうちで、今日ダーウィニズムの名で生き残る部分は、生物進化の存在性と、その機構としての生存競争、自然淘汰、およびさきに論じたように、その結果としての生物の多様性と生息密度の概念を、遺伝学、とくに集団遺伝学や分子生物学の成果と関連させ、環境に適応した度合いの高い進化における積極的な意義を認めたがらない今西にとっては、自身とネオ・ダーウィニズムとは、まさに水と油の関係に立つもの、というようにとらえられるにちがいない。


日本における「社会反ダーウィニズム」への動き


から抜粋


私は、日本の今の「右傾化」しつつあるといわれる思想潮流が、今西の反ダーウィニズムと結びついて、一種の「社会反ダーウィニズム」を形成してゆくことをおそれる。

それは、政治・経済的にいって、19世紀中葉におけるイギリスで、社会ダーウィニズム思想の力を得たのといちじるしい平行現象を示すといえるとおもう。


さらにメモとして


「第4章さまざまな反ダーウィン論」に


当時の論客たちの名がございました。


ランスロット・ホワイト

ブライアン・グドウィンら

ピエール・グラッセ

ジウゼッペ・セルモンティ

マレク・グロゴチョフスキ

エドワド・スティール

ライアル・ウォトスン

スティーヴン・グールド

ウィリアム・ソープ


上記の人たちの書は当然というか


なんか難しそうな気もするのですが、


柴谷先生の紹介と分析を拝読するけど


これがまた難しくてわからない。


表現の問題なのかもしれず、こちらの


浅学っぷりを露呈してしまうのだけど。


が、ひとまずメモでまた機会に。


機会がない可能性高い気もするが。


それにしても、なぜか興味のある人たちの


多くが”ダーウィン”を語られておられ


それだけ価値があり、熱くさせる何かが


あるってことなのかと。


時代背景とかダーウィン自身を知ると


なんか分かる気もするのでございまして


単に一つの学説ということではなく


時代に抗う態度、とでもいうか


社会と闘う精神、というか


余計わけわからなくなり、さらに


そもそも進化論とかダーウィニズムとか


社会ダーウィニズムとか


ネオダーウィニズムとか


何かもよく分かっておりませんが


妻がまだ本調子でなく、子供用にラーメンを


作ったので、食べてからトイレ掃除して


図書館に行こうと思っている休日です。


 


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