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柴田篤弘先生の書から”科学と核戦争”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

私にとって科学批判とは何か―思索と革命をつなぐために (叢書 知性の華) (叢書知性の華)


私にとって科学批判とは何か―思索と革命をつなぐために (叢書 知性の華) (叢書知性の華)

  • 作者: 柴谷篤弘
  • 出版社/メーカー: サイエンスハウス
  • 発売日: 1998/03/01
  • メディア: 単行本

第12章

私にとって「反核」とは何か


1


限定核戦争という概念


から抜粋


私は自然科学を業とするものですけれども、核兵器に関する知識は、自分の「専門」とかけはなれているために、とくに詳しくはありません。

しかしこの年月、科学批判に関わる思想と意見を書いたり人前で話したりしてきましたので、数年前、核兵器の危険が眼に見えてきた時から、科学者としてはどういう対応があるのだろうか、という事を気にしてきました。


レーガン政権が合衆国に誕生して、核兵器への憂慮が深まっていた1980年末から、私は世界の科学者の反応が、私の予期していたものよりは鈍いのに敏感になっていました。

最初に見られたのは、合衆国医師たちの行動で、核戦争の時の医療が実際に成り立たないことの警告がなされていました。

それは1981年はじめの頃だったと思いますが、まもなくオーストラリアの医師たちからも似たような警告が出されたという記憶があります。

実際には1980年初めから、合衆国の医師グループがソ連邦や日本の医師グループと連絡をとって、国際的な動きを作ろうと動き出しており、日本の広島・長崎の医師グループの人たちに勧誘がきていたのです。

日本の動きはどちらかというと受け身で、1981年になってようやく協力の体制が整ったようです。

これはなんといっても、広島・長崎の重みが、日本の関与を必須のものにしたといえましょう。

けれども日本の関与は、合衆国、ソ連邦の医師たちに合流した他の国々の医師たちの動きを上回ることはなかったようで、日本の経済活動の幅、原子力兵器の被災・医療の実経験にかかわらず、参与の程度は、中心になって動かれた日本の医師グループの人々の努力にもかかわらず、それほど積極的とはいえなかったようです。


そういう中で、私はオーストラリア国立大学の科学者の友人、ブライアン・マーティン(アメリカ合衆国からの移住者)の、核戦争は起こりうるか、それに対する平和運動側の対応は?という考えを、81年6月に聞かされ、その年の終わりに近くなってようやくその意味を理解し始めました。

このあたりのことは、小著『バイオテクノロジー批判』(社会評論社、1982)のなかで書きましたのでここではこれ以上はふれません。


最初はヨーロッパにおける反核運動の高まりが、ヨーロッパとソ連邦との間の対立の中での限定核戦争の恐怖から出発していることを、急には理解できませんでした。

そしてそれが問題になったのは、小型の核戦争が開発されて、戦場における局地的使用が現実視されていることと、比較的短距離のミサイルについて、標的への命中率が上昇したために、職業軍人たちの間に、核戦争に関する新しい考え方が出てきたからである、という事を納得するのにも長い時間がかかりました。


つまり、全面戦争による、合衆国とソ連邦の共倒れの論理によって、核兵器が核戦争の抑止力としてはたらいてきた過去20年余りの均衡が、概念構成の枠組みのうえで破られるようになり、それに応じて、いままでになかった新しい考え方をする軍人や政治家や科学技術者が出てきている、ということに、気づくには、それなりの遅れがありました。


ブライアン・マーティンは、応用数学の専攻で、英語を母国語としますから、このような合衆国やヨーロッパをめぐる反=核兵器運動の実態には、私などよりよほど敏感に反応していたのでしょう。

彼によれば、全面核戦争以外の核戦争がありえない、という考えも、全面核戦争で人類が滅亡する、という考えも、共に情緒的であって、正確ではないのに、従来の平和運動家の考え方は、このような方向で考えることをするどく拒否するため、それへの効果的な対応を考える、という選択肢がまったく閉ざされており、そのために反核・平和運動に著しい制約ができて、それが核兵器反対運動の成功しない原因になっている、というのであります。


まず第一に、マーティンは、合衆国やソ連邦が、核戦争に際して全面核戦争を簡単には選ばないだろうから、その時は、限定核戦争の形で、ヨーロッパとは限らず世界のどんなところでも、戦術核兵器と呼ばれる比較的小さな核兵器が直接の戦闘目的のために、用いられる可能性を、真剣に考えておくべきだ、というのです。


”限定核戦争”を大国では今も検討しているのでは


なかろうかという恐ろしい現実。


この書が出て30年ほど経過、世界は大きく


変わったのだけど平和を唱えているだけでは


平和は来ないし維持できない、


ではどうすればいいのかというのは


誰にもわからないし、本当にそうなのかすらも


わからない。


でも、この書から教わったことしては


合衆国でもヨーロッパでも


市民からの本気の活動が政府を揺るがして


いる事実があり、”自由”への渇望が


日本とは異なるのだ、ということでございます。


柴谷先生が海外で暮らしていた時にはいった


レストランのテーブルにあったカードには


政治風刺の辛辣なメッセージがあり、


食事をしながら政治を語り合う風土であることを


お伝えされている。


柴田先生のいう、”科学”というのがなんなのか


少しだけ分かってきたような、気がするだけのような。


それにしてもこの書、発売当時3800円


(300ページでハードカバー)


っていくら柴田先生の教養深い書とはいえ、


高すぎないだろうかなどと、いらぬおせっかいを


しつつ夜勤に向けたバスの中での読書で


さすが池田清彦先生の師匠だけあって、


文体とかキーワードとかフレーズが似ているなあと、


この書の言いたいところと別のところに眼が


いってしまうアホの極みな自分でございました。


自分はアホだけど、世界はもう少し


それではない選択をして欲しいと切に思う。


 


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