松井孝典教授の書から”所有のアンチテーゼ”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
- 作者: 松井 孝典
- 出版社/メーカー: ウェッジ
- 発売日: 2007/11/01
- メディア: 単行本
キューバで考えたこと から抜粋
この原稿は2001年、学術調査のためキューバを訪れ、書いたものである。
何故キューバかといえば、6500万年前の地球に何が起こったのか、を調べるためである。
6500万年前といわれても、一般の読者には全くイメージできないはるかな昔だろう。
地質学的には、中世代白亜紀が終わり、新生代第三紀が始まった、その境界の年代である。
それを境に恐竜など、中世代に栄えた生物種の7割近くが絶滅し、哺乳動物の時代が始まった。
その区切りの地層を、その前後の年代のドイツ語の頭文字をとって、K/T境界層と呼ぶ。
その層を調べることで、その前後の絶滅した原因を調べることができる。
キューバには、このK/T境界層が全島に渡って分布し、その中には、世界でも例のない珍しいものも含まれている。
キューバがK/T境界層の宝島であることを発見したのは、我々の研究チームが世界初である。
21世紀は、これまでのようにすべてが右肩上がりの時代ではない。
「人間圏」(後述)誕生以来続いたその拡大期が終焉し、初めて本格的に地球システムとの均衡状態が始まる。
それが、地球システムからの負のフィードバックとして強制的に引き起こされるのか、あるいは我々がそれを計画的に行えるのか、そのどちらかで人間圏に引き起こされる現象は全く異なるが、いずれにせよ、それは停滞の時代といってよい。
人口、エネルギー消費量、水の使用量、穀物の生産量、工業製品の製造量など、あらゆることが右肩上がりのカーブを維持できなくなる。
今までと同様に拡大路線を突っ走ろうとしても、地球システムから人間圏に流入する物・エネルギーの流れにブレーキがかかる。
すなわち、地球システムからの負のフィードバック作用が効き始め、人間圏の拡大に対し、強制的なブレーキがかかるからである。
それは米国に経済封鎖され、一方で頼るべき共産圏が崩壊する状況におかれた数年前までのキューバに似ている。
近年は、カストロ首相を信奉しているベネズエラのチャベス大統領が石油の支援も行うなど、エネルギーの供給も増え、かつての事態はドラスティックに変化しつつある。
確かに旅行者や国民の一部はその豊かさの恩恵をこうむるかもしれない。
しかし、それは逆にキューバが、21世紀の人間圏の崩壊に、連座することでもある。
1999年、カストロ議長と会見した際、彼はアメリカの大量生産・大量消費文明を批判し、飢えた子供に配るミルクを豆乳にすべきという持論をーー筆者風にいえば、地球システム論的な視点からーー熱く語った。
キューバがグローバル至上主義経済の波に押し流された先の未来を、彼から聞いてみたい。
人間圏を見る目 から抜粋
私がいだくようなこのような認識を、世界の一般大衆は共有しないだろう。
あるいは、世間で重宝されている、いわゆる経済学者の認識でもない。
この違いはどこにあるのか?
それは人間圏を、地に這いつくばった視点で見るか、それを俯瞰的に見るかという違いでもある。
これまで、「人間とは何か」という問いに対する答えには二つの視点があった。
ひとつは、人間も生物の一種という認識から人間を論じる「生物学的人間」という視点。
もうひとつは、我思う故に我ありという認識に代表される、「哲学的人間論」という視点でる。
ダーウィンの「種の起源」以来、今でも、人間はどこまで生物なのかという問題は生物学的にはもっとも魅力的で、しかし解決に程遠い問題である。
あるいは、哲学的人間論は、我とは何ぞやを問うことはできるが、我々とは何ぞやを問うことは難しい。
現在の我々の存在を論じるとき、この二つの人間論だけでは不十分である。
俯瞰的視点から我々の存在を論じる視点を「地球学的人間論」と呼ぼう。
それは、地球システムと人間圏の関係性を論じ、また地球システムの構成要素のひとつとして、絶えず変化する境界条件の下での、人間圏の安定性を論じる立場である。
地球学的人間論によれば、文明とは、地球システムの中で人間圏を作って生きる生き方と定義される。
なお人間圏とは、人類が狩猟採集から、農耕牧畜を選択した約一万年前に形成された物質圏である。
それは地球システムの構成要素のひとつでもある。
具体的には、夜の地球を宇宙から見たときに見える光の海をイメージすればよい。
農耕牧畜とは、地球システムの物質・エネルギー循環を直接利用する生き方であり、それゆえ新しい構成要素を作って生きる生き方なのである。
生物圏の中の物質・エネルギー循環に比較して、その循環の流量は桁違いに大きく、従ってより多くの人類の生存が可能になる。
人間というスケールでこのことを論じれば、この時欲望が解放されたといってよい。
以来人類は、大地を、そして地球を「所有」すると、錯覚するようになった。
より多くの人が集団で住むようになり、食糧生産に直接関わらなくて生きられる人が多くなり、さまざまな分業体制が生まれ、人間圏の内部システムの構築に必要な共同体が形成され、その共同体の求心力としてさまざまな共同幻想が作られた。
人間圏の相転移 から抜粋
共同幻想とは、冒頭で述べた「右肩上がり」の考えばかりではない。
貨幣は未来永劫モノと交換可能とか、人の命は地球より重いとか、愛は地球を救うとか、神の存在とか、あるいは民主主義とか市場主義経済とか、それこそ人間を規定すると信じられている概念のすべてといっても良い。21世紀の人間圏にとって、その崩壊の引き金となる、最も可能性の高いシナリオは、これらの共同幻想が、多くの人に幻想と認識された時である。
当たり前のようなことでも、よくよく考えると人間圏の危機に繋がるのではないかと危惧される問題はいくらでもある。
例えば、インターネット社会は個人を主体にし、情報は全て個人に拡散する。
情報が拡散するということは、社会が均質化していくことである。
すべての人が情報を共有し、均質化した社会は、共同幻想的な意味では、理想化された社会かもしれない。
しかし、それは宇宙からの視点で考えれば、人間圏のビッグバン状態である。
それは、秩序も構造も、情報もない混沌の状態である。
宇宙も地球も生命もそして人間圏も、宇宙の歴史から学ぶとすると、その歴史的発展過程は、分化する方向である。
分化とは、均質な状態から異質なものが生まれてくることである。
それらが互いに相互作用し、システムが作られる。
システム論的には人間圏を構成するさまざまな共同体は構成要素ということになる。
構成要素の数が多く、それらが、複雑に多様に関連しあうシステムはタフである。
今我々が論じねばならないのは、これからの人間圏の内部システムとして、どのような共同体を基にそれを構築するかといった、新たなる国家論であり、人間圏の内部構造論である。
21世紀を前にして人間圏は今「相転移」(凝固・蒸発など物質の状態が変化すること)とでも称すべき様相を呈している。
ビッグバンに至るのか、新しい安定な相に至るのか、旧来のシステムを壊す前によくよく考えねばならない。
それは人間圏を作って生きることを選択した1万年前と同様の重みを持つ。
かつて筆者は「レンタルの思想」を提案した。
人間圏の誕生は、我々の欲望の解放、具体的には所有と深く関係するがゆえに、アンチテーゼとしてレンタルという表現を用いた。
本稿はレンタルの思想をより深化させるための問題提起である。
”所有”ではなく、アンチテーゼとしての
”レンタル”って発想も興味深い。
それから拡大解釈かもしれませんが
よく見聞きさせていただく
”ヒトは生きもので自然のひとつ”を
さらに進めた
”ヒトは宇宙の一部”というふうにも自分には
聞こえて、最近考えていることとリンク
しまくりな松井先生の対談本の導入部分
でございました。
宇宙や星とか有機物の始まりとかを究めると
それらの終焉もおおよそ想像がついてしまう
ということなのだろうなと。
それとは別の興味としてでございますが
物を所有しないミニマリズムの発展系なのか
そういった思想というか発想が
昨今巷でもございますが、それを先取りしての
この言説なのか、それとは異なるのか
はたまた異なってみえても深いところでは
繋がっているのか、とか興味は尽きない
どんより曇り空な関東地方でございます。