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御三方の最終講義を堪能してみる [’23年以前の”新旧の価値観”]

増補普及版 日本の最終講義


増補普及版 日本の最終講義

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2022/02/16
  • メディア: 単行本


大学の、というか学問を


究めようようとする先生方が教えている場で


”最終講義”というのがあり、その重要性や


面白さを発見したのはこの1年くらい。


ここに何の意味があるのか


大学を出ていない自分にとってっていうのは


深く考えず、気になった最終講義から。


▼お一人目


 土居健郎


 1980年(昭和55年)東京大学


 人間理解の方法


 ーー「わかる」と「わからない」から抜粋


まず「わかる」とはどういうことかということをわかる必要があるでしょう

「わかる」というのは一体全体どういう心の働きなのか。

皆さん、わかると気持ちいいですね。

わからないと気持ちが悪い。

それから「土居の話は聞かなくてもわかる」と言えば、「もうわかっている」、こういうことですね。

しょっちゅう聞いているからわかっている。

あるいは、「土井の話はさっぱりわからない」ということもできる。

結局、「わかる」ということは「馴染みがある」または「馴染める」ということなんだろうと私は思います。


いま言葉の点から入っているわけですが、ちなみに「わかる」という日本語の言葉ですが、これはご存知のように「わける」「わかれる」「わけつ」などとともに、すべて同根の言葉ですね。

「わけがわからない」という場合の「わけ」もこの「分(ワ)く」の連用形が名詞化したものです。


そこで「わかる」というのは、「分ける」「区別する」「別れる」もそうですが、区別のニュアンスを持っているにもとになります。

「わからない」という場合は、曖昧模糊として区別がつかないわけです。

そういう曖昧模糊としてわからないところから「わかる」ものが出てくるわけですね。

「ああこれだ」「これなら知っている」、「わかる」というのはそういう意味内容を持つ言葉のように思えます。


この「わかる」は大和言葉だが、


「わかる」を「了解」とするなら


ドイツ語の「フェルシュテーエン(verstehen)」との


類似点を考察されてからの…


同じことが英語でも言えます。

「わかる」に相当する英語はアンダスタンド(understand)ですね。

これは読んで字のごとく「下に立つ」ということです。

やはり近いところにいるということです。

ですから「フェルシュテーエン」といい「アンダスタンド」といい「わかる」といい、言葉のニュアンス、言葉が伝える意味は非常に近い。

「馴染んでいる」、こういう意味であると結論して間違いではないだろうと思います。


英語にはもう一つ面白い用法があります。

ブリング・ホーム(bring home)といういい方があります。

日本語に直訳すると「家に持ってくる」という意味です。

しかしこれを「わからせる」意味で使います。

たとえば

Today,I am trying to bring home to you the basic methodology of clinical psychiarry.

と言ったとすれば、それは

「きょう皆さんに臨床精神医学の基本的方法論をわからせようと試みています」ということです。

だから「わからせる」ということはブリング・ホーム、「家に持ってくる」「近づける」、「馴染ませる」という意味ですね。


日本人はよく集団的志向だといわれますが、もちろん集団が悪いわけではない。

大体集団がないと人間は生きていけないし、われわれが診る患者さんは大体集団生活に失敗している人たちです。

それならば集団さえうまくいけばいいかというと、そうではない

集団生活の危険は集団思考に陥ることです。

集団の中だけが正しくて、外はみんな悪くなってしまう

これはわれわれが常に心しなければならないことです。


この点について、もう時間がないから言いませんけれども、日本の集団は同心円的な集団になるか、寄り合い世帯になるか、どっちかですね。

いろいろ集団があっても、同心円的に重なるか、あるいは寄り合っているだけで、集団同士がクロスしない

東京大学のようなところはうっかりすると寄り合い世帯になる。

集団がひしめき合うだけのことです。

集団がクロスするような機構ができないと社会全体のバランスがとれないのです。

たしかに精神衛生のために集団は絶対必要だけれども、しかし、集団の最大の悪は戦争ですからね。

戦争までいかない集団憎悪は私たちの周囲にいくらでもあります。

ですからどこかで集団を超越できるのでなければならない。

少なくとも患者を診るためにもそのことが必要でしょう。

孤独を経験し、それに堪えることをしない人間は精神科の医者として、あるいは精神衛生をやる者として不適格ではないか、私はこう思うくらいです。


最後にもう一つ言います。

これは、われわれの仕事というのは必ずプロフェッショナルだということです。

医者は人を裸にできる。

医者は人に針を刺したり、人の肌にメスを振るうこともできる。

医者は人に対して、ふつうは聞いちゃいけないことも聞くことができる

医者でない精神衛生の専門家になった場合も同じです。

なぜかーーー、それはプロフェッショナルだからです。

プロフェッションとして相手の利益のためにやることが社会によって承認されているからです。

だから皆さん、そのうちに医者になるでしょうけれども、必ず自分のやることがプロフェッションであるということを肝に銘じてほしい。


最後に、私の好きなシェイクスピアの台詞を紹介して終わりにします。

『お気に召すまま』に出てくるものです。

All the world’s a stage. And all the men and women merely players; They have their exits and their entrances, 

その意味は、

全世界は舞台だ。すべての男と女は俳優に過ぎない。彼らは出てくる時と、下がるときがある

ということです。

私は今日の最終講義で東京大学という舞台から下がります。

長いことありがとうございました。


深くて、洒脱で、素晴らしい。


自分はそう感じた。


わかるというのは奥が深い行為というか感情というか。


続いて阿部先生です。


▼お二人目


 阿部謹也


 2006年(平成18)5月


 東京藝術大学


 自画像の社会史 から抜粋


1 西欧の自画像の歴史

今回は自画像の社会史についてお話をします。

私は美術史家ではありませんから、個々の絵画について美術史の脈絡の中でお話をすることは出来ませんし、そのような関心もないのですが、芸術の一つの分野としてお話ししたいと思います。

芸術とは人間の営みのひとつであって、経済や、法律、科学技術などと同じく人の営みに他ならないのですが、人間の営みは農業においても科学技術においても結果を生み出します

芸術の場合も結果として作品が残るわけですが、私の関心はどのような人間同士の営みの中で作品が生まれるのかという点です。


人間の営みは人間同士の間だけでなく、人間と動物や植物などとの間でも行われます

その場合人間の営みそのものは文化として位置づけられるのですが、作品は人間の営みの中からしたたり落ちてきたものに過ぎないのです。

人間の生活の中からしたたり落ちてきたものとして作品に依りながら、人間のもとの生活つまり文化のあり方を再現しようとするのが、私のいう芸術の社会史なのです。

人間が自分の顔に関心を持ち始めたのはいつからか。

それを絵画という領域の中で実現したのはなぜかといった問題が今日の主題になります。

自画像が生まれる背後にどのような自己理解があったのかを問題にしたいのであります。


この後、東西の自画像を分析・考察・


研究されご自分の論を展開。


西洋はキリスト教の影響が絶大だった模様で。


そのキリスト像の変化と個人との関わりが


自画像にも関連していると。


翻って日本では。


明治以前はほとんど日本になかったのかなぜか、など。


これまで見てきた画家は洋の東西を問わず、みな死を意識して生きてきた人々です。

ここで忘れてはならないのは長野にある「無言館」に残っている若き画家達の作品です。

彼らも明日がない暮らしの中で必死で絵を描き続けてきました。

まぢかに迫った死を前にし、必死で自己を表現しようとしていました。


人間の一生を考えてみればどんなに長くても百年以下です。

長いとは言えません

その中で作品を残すのですから、誰でも生きるということを考えざるを得ないのです。

自画像はすべてその画家が生きた社会の中で描かれています。

自分に与えられた社会の中で、自分がおかれた位置の中で、必死に生きる中から自画像が生まれてきたことをいくつかの例でお話ししました。


宗教と死が自画像を生み出す背景で日本はそれが遅れて発展しているという。


そもそも日本に「個人」というものを見つめる習慣がなかったというのは


別の書籍でも指摘されていた。続いて八雲先生です。


▼三人目


 小泉八雲


 1903年(明治36)


 東京帝国大学


 日本文学の未来のために から抜粋


学期も終わりに近づいたので、日本文学に関連して、これまでわれわれが一緒にしてきた研究がどのような価値を持つものなのかについて、話してみるのもよかろうと思う。

というのも、しばしば述べてきたように、ーー「文学」という言葉を芸術的な意味で用いるのであればーーみなさんが外国文学を研究する唯一の意義というものは自国の言語で文学をするために、自己の能力に影響を及ぼすようなものでなければならない。


学術論文を除けば、フランス人が英語の書物を書いたり、ドイツ人がフランス語の書物を書いたりしないのと同様に、文学をやる日本の学究も、自分の言語以外で文学作品を創作しようとして時間を浪費してはならない

しかも、日本語はあらゆる点でヨーロッパ言語とはまったく異なる構造をしているので、新しい表現形式という点に関して、フランス語やドイツ語の学習によって、多くのものを学び取ることはほとんど不可能である。


それゆえ、みなさんにとってこれら外国語の習得の重要な恩典は、その思想や想像力や感情を学ぶことでなければならないといってもよい。

西洋の思想、想像力および感情から、将来の日本文学を豊かにし、活気づけるのに役立つと思われる、実に多くのことが学べるであろう。

あらゆる西洋の言語が、新しい生命と活力を得てい流のはーーーしかも絶えず得ているのはーーーそのような外国語の学習によるものなのだ。

英文学は、西洋のみならず、世界の文明国のほとんどありとあらゆる文学に何がしかのものを負っている。

同様のことが、フランス文学やドイツ文学にもいえようーーーこれらと比べれば、より少ない程度ではあるが、現代イタリア文学についても、おそらく当てはまるであろう。


大学を卒業すると、みなさんのほとんどは非常に多くの時間を奪いそうな、ある種の職業に就くことになるであろう。

こうした環境の下では、文学を愛する多くの若者は愚かにも観念して、この方面での楽しみをやめてしまう。

そうした若い学究たちは、もはや詩や物語や芝居を書いたりする時間がないーーましてや、個人的な勉強をするための時間さえあまりない、と考えてしまうと思う。

しかし、これははなはだ大きな誤りである。


みなさんの誰もが、一日のうち20分や30分を文学のために割けないほど忙しいとは思われない

たとえみなさんが、一日のうち10分しか割けないとしても、一年の終わりには非常に多量の時間になると思う。

別の言い方をしてみようーーー毎日、五行づつ文学作品を書くことは出来ないだろうか。

もしみなさんにできるのであれば、忙しさの問題は、たちまちのうちに解消してしまうことであろう。

365に5を掛けてみよう。

12ヶ月も経てば、それはかなり膨大な仕事量になることであろう。

毎日2、30分づつ書くことを心に決めればどんなに良いことか。

もし、みなさんのうちで心から文学を愛する者がいるなら、この私のささやかな言葉を忘れないようにしていただきたい。

そして、みなさんがたとえ毎日15分しか時間がないにしても、自分自身のことを忙しさのあまりほんのわずかしか勉強できないなどと思わないようにしていただきたいのである。

それでは、みなさん、さようなら。

(Farewell Address(Interpretations of Literature,11,1915))

訳 池田雅之


最後の英文が出てこなければ、


八雲先生が外国人だったことを忘れて


読めてしまうほど、流暢な文章で。


文学が今より違う光を放っていた頃の


警鐘のように感じられ


かつ、読むことが創ることと


同義とされているのか、


ちとわかりかねるけれど


今にも通じる内容の日本語の文章だったので


引いてみました。


たとえわずかでも毎日コツコツ、っていうのは


辛いけれど確かに大きな実になるのかもしれない。


余談だけれど、黒澤明監督が本を読むにしても、


だらだら読むだけじゃなく


気になったところを書き出せ、


それが脚本につながるってのを書いていたのを


思い出した。


自分は脚本家ではないけれど、


養老先生の「人生学」ってのを


思えば、こういうのもアリなのかもしれない。


 


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