往復随筆②多田富雄・柳澤桂子先生が語る”文化”や”生”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2008/08/21
- メディア: 文庫
突然の脳梗塞で、声を失い右半身付随となった免疫学者・多田富雄と、原因不明の難病の末、安楽死を考えた遺伝学者・柳澤桂子。
二人の生命科学者が闘病の中、科学の枠を超えて語り合う珠玉の書簡集。
人類はDNAとも違う何ものかに導かれて文化を創り出している から抜粋
多田富雄
いい音楽を聴くと、脳からアルファ波が出るという事実は、どんな意味があるのでしょうか。
それが脳にとって心地よい刺激によるのであろうことは分かりますが、眠くなっても出る。
音楽を聴いて感動したり、精神が高められたりするのと、どう関係するのでしょうか。
アルファー波で芸術の感動が計れるならば、電気的に脳を刺激してもアルファー波を発生させることができるはずですが、それでコンサートに行った経験と等価になるはずはありません。
利根川進さんは、いずれは芸術の感動の仕組みまで脳の研究で分かるだろうと、胸を張って言っていましたが…。
文化が脳の発達の結果生まれたのは確かです。
でも文化の多様性や質までが、DNAで決められているように分子生物学が主張するのはどうでしょうか。
『利己的な遺伝子』を書いたドーキンスは、遺伝子のほかに「ミーム(模伝子)」というものを想定しましたね。
彼も遺伝子DNAから自由になった、文化の独自性に注目したのです。
ミームが伝えられることによって、文化現象の伝承性を説明しようとしたのです。
「ミーム」はもともと模倣する因子という意味です。
あらゆる芸術表現の基本は「ミメーシス」であるといっています。
こちらも模倣、写生という意味です。
遺伝子からは独立して伝えられる性質。
それが文化です。
模倣したり写生したりする技法が文化の一部だったら、積み重ねや、蓄積があると考えられます。
文化には模倣のほかに、大切な属性があります。
それは「創造する」という性質です。
DNAにも「複製」のほかに、多様性を創出していくという、いわば「創造性」がありますが、それで文化の発展を説明することができるでしょうか。
遺伝子の多様性はランダムですが文化は自由意志によって創り出される。
どうやら私たち人類は、DNAとも違うもうひとつの何ものかに導かれて、文化を創り出していると思われます。
それが何なのかは分からない。
ミームに相当する、人間になってから生まれた想像と模倣の能力です。
獲得形質の遺伝に似たやり方で文化を伝承しているのです。
この夏は柳澤さんにとってはことのほか耐え難い夏だったと思います。
シャイ・ドレーガー症候群が、地球温暖化を思わせる不快な気候によって、どんな症状をもたらすかはお察しするだけですが、弱気を起こさず乗り越えてください。
秋になればまたお仕事ができるのですから、急がずゆったりと、命の続く限り書くことをお続けください。
私も炎天下で、ギリシャ神話のシジフォスのように、汗を流してただ歩くだけの果てのない訓練をしています。
お返事は急ぎません。
早く体調の回復することを念じます。
もうすぐ秋ですから…。
2002年8月5日 湯島の寓居にて
「赤い」と「りんご」は、脳の中で「赤いりんご」になる から抜粋
柳澤桂子
脳は文化を生み出しました。
そして、文化はDNAからかぎりなく自由です。
けれども完全に自由ではないと私は思っています。
ドーキンスもミームについて述べているところで、
「『ミームはまったくもって遺伝子に依存しているが、遺伝子はミームとはまったく独立に存在しかつ変化しうる』というのはもちろんそのとおりである」
といって、このジョン・タイラー・ボナーの言葉を認めています。
文化はDNAから完全に自由にはなり得ないと私も思います。
それは人間が関与しているかぎり、ヒト・ゲノムの枠を超えることはできないと思うのですが、いかがでしょうか。
先生の御一族には詩人がたくさんいらっしゃるのですね。
詩といえば、イタリアのシルヴァーノ・アリエティという人が書いているのですが、聾唖者のつくった詩には詩のリズムがあるし、韻を踏んでいることさえあるということです。
私はこれを読んで、なぜかとても感動し、脳というものの奥深さを思いました。
ハーバード大学の進化学者レウォンティンが1995年に
「生物の環境というのは、その生物が解決しなければならない問題として発見するものではなく、その問題をつくることにその生物自身が関わっている。環境のないところに生物はなく、生物のないところに環境はないのである」
と書いていて、この言葉がとても印象深かったのです。
考えてみれば当たり前のことなのですが、ダーウィンは、はっきりと環境と生物を分けて考えていました。
生物と環境、あるいは生物と生物の相互作用で環境がつくられるという考えではありませんでした。
今週の「ネイチャー」を見ていましたら、「生態−発生学」というのが出ていて、驚きました。
先生もご存知のように、発生学も進化学も、進化−発生学という視点から研究することによって、おたがいに進展しました。
今度は生態−発生学だというのです。
発生の情報というのは、生態系と遺伝子の相互作用の結果として生まれるのだというのです。
このような視点に立つことによって、種や亜種のレベルで進化を説明できるとのことです。
面白い例が出ています。
ハワイのイカでは、発光バクテリアである”ヴィブリオ・フィスケリ”がイカの胚の正常な器官の発生を誘導するのだそうです。
その結果、イカの体の下部が光るようになります。
イカの体の下部が光ると、天敵の生物が下から見たときに、イカの体が暗くて見えないので、襲われずに済むのだそうです。
細菌がイカの未成熟な個体に感染すると、その胚は四日間のあいだに細菌によって誘導された遺伝子の働きで細胞死と細胞浮腫を起こします。
これによって、イカの中に発光器官が作られます。
けれども、この細菌の感染を受けないイカの胚ではこのようなことは起こりません。
イカの胚は、細菌にとってよい住処なのですが、そのことを隠すために、イカの胚は他の細菌には感染しないようになっています。
ハワイ大学のマクフォル・ナガイは発光しない”ヴィブリオ・フィスケリ”の突然変異体を二種類作りました。
この突然変異した細菌は両方ともイカの中に発光器官を誘導することができませんでした。
発光器官をつくるというイカの正常な発生が細菌によって支配されているのです。
このような研究は、生物は先天的にどれくらい融通がきくものなのか、可塑性を支配する遺伝子は何なのかという問いに答えてくれます。
さらにこのような研究が進めば、かたや生態学と進化学の輪が、かたや遺伝学、細胞生物学、発生学の輪が閉じられるだろうと言われています。
哺乳類の発生にも可塑性というのがあり得るのでしょうか?
IgG (免疫グロブリン)の産生の場合は可塑性とは言わないのでしょうか?
私の狭心症は、はじめに思ったほど簡単にコントロールできるものでもなく、この手紙を書くのもずいぶん日数がかかってしまいました。
病院に行かなくてはならないのですが、何事も時間がかかります。
じっと待たなくてはなりません。
私は病むことは待つことだと思いましたが、待つというのは我慢をすることなのですね。
つまり病むことは我慢すること、その連続です。
死ぬまで我慢することーーーといってしまうとちょっと寂しいですが、その中にまた、喜びも楽しみも見つけることができます。
病むことに限らず、生きることが我慢することの連続だと私などは感じますが、先生のような華やかな生涯を送られた方はどのように感じるのでしょうか。
先日夕立があったので、今日は涼しく、この夏、初めてクーラー無しで過ごしております。
自然の風は何と心地よいのでしょう。
萩がたくさん花をつけています。
先生も奥様もどうぞご無理をなさいませんように、お過ごしくださいませ。
かしこ
2002年8月17日
深すぎて自分なんぞには
まったく何も見えないお二人の対話。
多田先生の文中にあるギリシャ神話の
シジフォスについての註から。
シジフォス=ギリシャ神話シシフス、シーシュポスとも。
コリント王であり、メロぺの夫。
人間の中で最も狡猾な者として知られる。
罰としてゼウスによってタルタロスへ落とされ、大きな石を山の上へ運ぶ労役を負うこととなる。
だそうですけど、いちいちメタファが
超重量級のインテリジェンスに支えられていて
実に様になっているよなあ。
お互いが拮抗している知性や知識を
持っていないとこうはいかないよなあ。
対話が成立しない。
ってそんなところに感心してどうするよ。
それはこの書籍の主たるテーマじゃないだろうと
思いつつも浅学な我が身を恥じることなく
夜勤明けにしびれた一冊なのでした。
最初に読んだのは2−3ヶ月前だけどね。