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進化論はいかに進化したか:更科功著(2019年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


進化論はいかに進化したか(新潮選書)

進化論はいかに進化したか(新潮選書)

  • 作者: 更科功
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/07/12
  • メディア: Kindle版

最近、なぜか「進化論」が気になる。

「資本主義」「コミュニズム」の研究はしばし休憩して


こちらを追求しております。


鉄は熱いうちに打て、とでもいうような。


まえがき から抜粋


私はネアンデルタール人の子孫である。

私の、というか日本人のDNAのだいたい2パーセントぐらい(ちなみに数万年前はもっと多かった)は、ネアンデルタール人から受け継いだものだからだ。


そんな私のご先祖様であるネアンデルタール人が、不当に貶められているのを見聞きするたびに、私は心を痛めてきた。

たとえば、英語で「ネアンデルタール人のような」といえば「醜い」とか「野蛮な」という意味だ。


このように進化の分野では、不当な扱いや誤解は珍しくない。

史上最も有名な進化学者であるダーウィンも、そして現在の進化学も、たくさんの誤解を受けている。

ダーウィンが『種の起源』を出版したのは1859年だから、日本でいえば江戸時代だ。

また、ネオダーウィニズムと呼ばれる説がある。

ネオダーウィニズムにはいくつかの意味があるが、たいていは遺伝学とダーウィンの進化論を合わせた説を指す。

このネオダーウィニズムが形を整えたのは1940年頃だから、昭和の初期だ。

こんな昔の学説が、そのままの形で今日まで生き残っているわけがない。

ところが、ダーウィンの進化論やネオダーウィニズムが、今日の進化学だという誤解は、最近出版された本などをみても、かなり広まっているようだ。

これは逆にいえば、ダーウィンがとても有名だということかもしれない。

しかし有名であることと、その主張が今でも通用することは、別の話である。


現在の進化学は、ダーウィンの進化論とは大きく異なっている。

これは進化学が大きく進歩したということでもあるが、もともとのダーウィンの進化論にも原因がある。

ダーウィンの言ったことには、ものすごく重要なことも含まれている一方で、たくさんの間違いもある

両者を区別しないで、ダーウィンの『種の起源』を読めば、何が何だかわからなくなってしまう。


ダーウィンの前にも、生物が進化すると考えた人はたくさんいた

有名な人に限っても、何十人もいる。

でも、そういう人たちの進化論は進化しなかった

つまり、後の人に受け継がれて発展することはなかった

さまざまな議論を巻き起こしながら、進化論が時代を超えて発展し始めたのは、やはりダーウィンからなのだ。


第一部 ダーウィンと進化学


第一章 ダーウィンは正しいか から抜粋


ダーウィンに対する誤解は、大きく分けて二つのタイプがある。

一つ目はダーウィンの考えを間違えて理解している場合で、二つ目は現在の進化生物学とダーウィンの進化論が異なることを知らない場合だ。

「現在の進化生物学は、突然変異とダーウィンの自然選択だけで進化を説明しようとしている」

といった意見が後を絶たないが、それは二つ目のタイプの誤解だろう。

もちろんダーウィンは神様ではない。

それにダーウィンは、ずいぶん昔の人である。

だから「種の起源』にはたくさんの間違ったことが書かれている。

現在の進化生物学は、ダーウィンの進化論を基本的には認めていない。

科学は日々進歩していくものだから、160年前の理論がそのまま生き残っている方が、むしろ不自然なことなのだ。

しかし、それにもかかわらず、ダーウィンの進化論は現在の進化生物学に非常に大きな影響を与えている。


ここで注意しなければならないことは、ダーウィンの進化論と『種の起源』の内容は、必ずしもイコールではないということだ。


ダーウィンの考えは年と共に変化していったが、『種の起源』はその途中で書かれたものである。


進化の証拠 から抜粋


『種の起源』の主張は、次の三つにまとめられる。

(1)多くの証拠を挙げて、生物が進化することを示したこと

(2)進化のメカニズムとして自然選択を提唱したこと

(3)進化のプロセスとして分岐進化を提唱したこと


第二章 ダーウィンは理解されたか


広まったのはダーウィンの進化論ではなくスペンサーの進化論


ダーウィンが「生物が進化する」と言ったとき、そこには「進歩する」とか「良くなる」といった方向性は含まれていないのだ。

「進化」とは、単に「(遺伝する形質が)変化」することに過ぎないのである。そしてこれは、現在の進化生物学の考えでもある。

現在のイギリスやアメリカでは、(生物の)進化を意味する言葉として「エボリューション(evolution)」が定着している。

しかし、ダーウィンが『種の起源』の初版を書いた頃は、そうではなかった。

ダーウィンは、進化を意味する言葉として「descent with modification」を用いている。

これは「変化しながら系統がつながっていくこと」で、「変化を伴う由来」と訳されることが多い。しかし、それでは少しわかりにくいので、ここでは「系統の変化」と訳しておこう。

しかし『種の起源』も第五版以降になると、「系統の変化」とともに「エボリューション」も使われるようになる。

これは、進化を広く世間に紹介した文筆家、ハーバード・スペンサー(1820-1903)の影響らしい。


時のトレンドにダーウィンも沿ったようで、


版を重ねると「エボリューション」という単語に置き換わっていったが、


「系統の変化」と「エボリューション」だと若干意味合いが違っていて、


それが誤解を増幅させてしまったと指摘する。


万物が進歩するとみなしたスペンサーは、当然生物も進歩していくと考えた。

だからスペンサーのエボリューションには進歩という意味は含まれない。

日本語の「進化」も英語の「エボリューション」も、進歩という意味があるように誤解されやすい言葉なのである。

ダーウィンの『種の起源』によって、進化論が広く受け入れられるようになったことは事実だろう。

しかし広く受け入れられたのは、ダーウィンの進化論ではなく、スペンサーの進歩的進化論だったのだ。

残念なことにその状況は、現在の日本でもあまり変わっていないようである。


ヒトを野獣におとしめた から抜粋


ダーウィンの進化論でもっとも批判が集中したのは、ヒトと他の動物を連続的につないだことだった。


ダーウィンとは独立に自然選択を発見したとされるアルフレッド・ラッセル・ウォレス(1823~1913)は礼儀正しい人物で、ダーウィンを尊敬していた。


細かく見れば、ダーウィンとウォレスの考えには違うところがたくさんある。

たとえばダーウィンは、進化のメカニズムはいくつかあり、その中の一つを自然選択と考えたが、ウォレスはほぼ自然選択だけが進化のメカニズムであると主張した。


またダーウィンは、生物の体の中には適応していない部分もあると考えていたが、ウォレスは生物の体の全ての部分は適応していると考えていた。

ダーウィンが

「生物は環境に完全には適応していない」

と考えた理由の一つは外来種の存在である。


ダーウィンは『種の起源』第5版と第6版の間に


人間の由来』(1872年)を出版していて、美的センス・モラルなど、


ヒトの高度な精神作用も進化で形成されることを主張。


ウォレスはヒトだけは異なる知的能力の獲得を主張していて、


『人間の由来』はウォレスの主張にカウンターするような


意味もあったと著者は指摘。


少し細かいことをいえば、ウォレスは、ヒトの高度な知的能力も、ヒト以外の知的能力も、発達段階としては連続しているという。

しかし、ヒト以外の知的能力は自然選択によって進化するが、ヒトの高度な知的能力は自然選択では進化せず、霊的なものが関与しているという。

ちょっとわかりにくいが、とにかくヒトだけは別格ということだろう。


第6章 漸進説とは何か


種は一気に変化する?


ダーウィンが考えた進化は、連続的にゆっくりと進むものだった。

これは進化の漸進説(ぜんしんせつ)と呼ばれる。

しかし、これまでの章では、ダーウィンの主張は、

(1)進化説、(2)自然選択説、(3)分岐進化説

の三つにまとめられると述べてきた。

漸進説は入っていないのだ。

これはなぜだろうか。

ダーウィンよりも少し前に、ジョルジュ・キュビエ(1769~1832)というフランス人の博物学者がいた。

ダーウィンより40歳ほど年上である。

キュビエは化石を調べることによって、時代ごとに生物が異なることに気づいていた。

しかし、生物が進化したとは考えなかった。

たとえば、地層を観察すると、陸地の上の川や湖などでできた地層(陸成層)のすぐ上に、海でできた地層(海成層)が載っていることがある。

陸成層と海成層の境界がはっきりしていることから、海水が一気に侵入してきて、急激に陸と海が入れ替わったのだとキュビエは考えた。

このような大災害があれば、生物は絶滅するだろう。

そして、その後、他の地域から新たな生物が移住してくる。

上下の地層で化石種が異なるのは、そのためだとキュビエは考えたのだ。

このような考えを激変説という。

激変説によれば、進化を持ち出してこなくても、生物が変化する原因は、絶滅と移住というわけだ。


キュビエの時代には、進化論者として、ラマルクがいたが、キュビエの影響力の方が大きかった。

当時、ナポレオン1世エジプト遠征によって、古代エジプトの墓から多数の動物のミイラが、フランスに持ち込まれた。

しかし、どのミイラ化した動物も、現在生きている動物と同じ形をしていた。

これは進化を否定する証拠と考えられた。

もちろん、古代エジプトの墓はせいぜい数千年前のものであり、進化による明らかな変化が起きるには短すぎる。

しかし当時は、正確に年代を測ることができなかったし、そういうことは分からなかった。

キュビエの主張は

「生物は、天変地異によって入れ替わることはある。しかし、生物自体は完成されたものであって、進化はしない」

というものだった。

キュビエの著作のいくつかは、すでにキュビエの生前に英訳されてイギリスで出版されており、ダーウィンも購入している。


それからしばらくして、ダーウィンが『種の起源』を出版すると、進化説は社会に広まり、ダーウィンは有名人になった。

すると、自然選択説に対する批判も増え始めた。

その中でダーウィンにもっとも大きな影響を与えたのが、セントジョージ・ジャクソン・マイヴァート(1827~1900)の『種の誕生』だった。

マイヴァートの批判はそれなりに筋の通ったものだったので、ダーウィンは見過ごすことができなかった。

そこでダーウィンは、マイヴァートの『種の誕生』の翌年に出版した『種の起源』の第6版に、わざわざ1章を追加した。

マイヴァートの批判に答えるためである。


なんとか説、ってのが多過ぎて、混乱する。


それにしても『種の起源』


ここまで改訂を繰り返したりしていると


ダーウィンだけの論説と言えるのだろうか。


「みんなで成長しました」みたいな


昨今の良い子たちのスローガンみたいだけど


本当にそういうことはあるのだろう。


誰それには負けたくない、ってことで頑張って、


気がついたら成長してた、みたいな。


ダーウィンの場合、負けたくないというよりも


死ぬまでに、これだけは言っておきたい


って気持ちの方が強かったのだろうと感じた。


 


『種の起源』それ自体が、多くの批評を跳ね除けるため


進化して、ダーウィンが生きている間はもちろん


亡くなってからの2022年現在も途中であるということなのか。


 


それからダーウィンに最も影響与えた学者の存在も


かなり興味あるのだけど英語版しかなくて


著者のコラムがあったので、備忘的にメモさせていただきます。


 


さらにそれから、興味深いのは、ダーウィンも


今の科学の視点からだと間違っていることが多いというのは


他書籍でも指摘されるけど、この書籍では


著者自らの実験で感じていることだった。


それとあとがきで、著者はゲーテを信奉していてそれは『人間ゲーテ』に出会い


ゲーテの闇の部分も知ってのことだったと書き及ばれている。


「あとがき」から抜粋


たびたび見たり聞いたりするのは、

「ダーウィンの進化説は現在でも通用している」

とダーウィンを持ち上げすぎたり、

「ダーウィンなどもう時代遅れだ」

と落とし過ぎたりする意見だ。

でも、それはどちらも正しくないし、ダーウィンに親しむ妨げになっていると思う。

さらに本書では、話題をダーウィンから進化生物学にまで、少し広げさせていただいた。

ダーウィンや進化について、親しむきっかけになれば幸いです。


昨日、アマゾンプライム+NHKオンデマンドで


『100分de名著』のダーウィンの回を拝見。


自分の説を証明するために、多くの実験を実施


ファクトを抽出しまとめ、多くの反論を跳ね除ける。


その一つに、海を隔てた遠く離れた大陸で、


同じ種が発生することを証明するために、


植物を何十種類も別環境で育ててみたり、


種を運ぶ鳥の体内に取り込み排泄しても


種自体の機能は無くならない(消化されない)よう


実証実験しているとあり驚いた次第。(細かいところはちと違うかも)


キリスト教の反発は強烈にあったものの


当時の大ベストセラーとなり


多くシンパシーを感じた人がいて


その中にキリスト教徒でも賛同派がいたという。


全くの余談だけど、何回か前の投稿記事で、


ダーウィンの人相がニール・ヤングのように


鋭いと書いたけど


あらためて『100分de名著』の写真を見ると、


優しい目つきのジェントルメンだった。


なぜかショーペンハウワー氏と一緒くたになって


怖い人相と記憶していて


これもまた当てにならんなあと思う次第でございました。


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