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近代化と世間:阿部謹也著(2006年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

「世間」という語は


最近よく見聞きして気になっていた。


どうも言葉の内容のまま


というように一筋縄では


いかないようです。



近代化と世間 私が見たヨーロッパと日本 (朝日文庫)

近代化と世間 私が見たヨーロッパと日本 (朝日文庫)

  • 作者: 阿部謹也
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2014/11/07
  • メディア: 文庫


まえがき から抜粋


この50年の間に私は単にヨーロッパ史を受け身で研究してきたわけではない。

現在の私から見てもヨーロッパ史の展開に大きな誤りがあったことが明らかな時期もきわめてしばしば目にしてきた。

特に学問上の問題である。

ヨーロッパの学問は第三章で明らかにするようにキリスト教と「聖書」を背景として進められてきた。

そこでは人間がこの世の主人であり、動植物はその人間に仕えるべき存在として位置付けられてきた。

ここにキリスト教を背景とするヨーロッパ史の大きな難点の一つがある。


さらにフッサールが繰り返し指摘しているようにガリレオからデカルトへ、そして現代の自然科学に至る道は生活世界を無視してきたという大きな誤りを犯してきた。

そのために自然科学は常に国家と結びつき、軍事力の基礎を提供してきたのである。

それに対して人文社会諸科学はほとんど抑える術を持たなかった。


このようなヨーロッパの学問の結果、私たち人類は今未曾有の困難に直面している。

人類滅亡の危機に立たされているのである。

核爆弾だけでなく、環境問題や地球温暖化の危機なども含まれている。

人々は皆このような事実を知ってはいる。

しかし

「私たちに何が出来るのだろうか」

とあきらめて日々の暮らしにいそしんでいるのが実情である。

特にアメリカを中心とする大国が核爆弾を多数抱え込んだまま、他国の原子力保持に猛反対している。

アメリカがまず核を放棄するべきなのであるがそのようなことは現実的ではないとして多くの人があきらめた結果、第二次大戦のときの日本と同じ状況が世界的規模で繰り返されている。


私はそのような中でヨーロッパ史を学んできたが、ヨーロッパの歴史を否定的に捉えるのではなく、まだ若かった私が見て日本よりも進んでいると思えた点を集中的に研究してきた。


第一章 西欧社会の特性


個人の成立と自然からの脱却 から抜粋


まず個人の成立から説明してゆきたい。

通常西欧社会について語る人は古代から語り起こすことが多い。

古代ギリシャ・ローマにすでに個人(ペルソナ)が存在していたというのである。

しかしギリシャ人やローマ人にとってペルソナあるいはプロソボンとは芝居などの仮面のことであって、演劇の仮面から人格という意味へ移行してゆく際にはかなり複雑な過程があった。

ロシアの歴史家アーロン・グレーヴィッチは芝居の仮面から内面的統一性をもつ人格への移行はキリスト教のもとで進行したといっている。

6世紀初頭にボエティウスは人格を定義し、

「合理的な性格をもち、分割することのできない個体」

としている。

ところが古代末期の地中海世界においては個人の概念は全く違っていた。

地中海世界の人々は天空界信仰とでもいうべき信仰を持っていたといわれる。

地球は月の下で世界の底にあり、瓶の底に溜まった澱(おり)のようなものだという。

宇宙の表面を一筋の溝が貫いていて、人間は死ぬと霊魂は地上の澱からなる肉体を捨てて、この溝を越えて天空界に登ってゆく。

天の川の星々の中で人々をじらすかのように地上を見下ろしている明るく透明な光の中に、自分の特質と調和した場所を見出すのである。


小宇宙としての共同体 から抜粋


病気も大宇宙から村や人間に襲いかかってくるものと考えられていたから、例えば患部を自然石でこすり、石の周りを病人が回ったりして、病を大宇宙のものである自然石に戻すという方法がとられることがあった。

このような場合、その石には病が潜んでいるから近づいてはならず、他人が知らずにその石に触れると同じ病にかかると信じられていた。

雨だれの落ちるところに置かれている石がしばしばこのような治療に用いられたが、この場合には患部につけた石を元の場所に戻しておくか、水をかけて洗う。

雨だれの落ちる場所は家の内と外との境界であり、特殊な意味を持つ場所であったからであり、雨つまり水によって清められるのである。


第二章 日本の世間


日本の個人 から抜粋


ヨーロッパ史研究の中でさまざまな問いに出会う度に私は日本ではどうなのかを常に自問してきた。

具体的な例を挙げれば、ドイツで自動車の運転免許を取ったときのことである。

ドイツでは非優先の道路から優先道路に出る時には絶対に一時停止しなければならない。

優先道路を走っている場合には左右に気を配る必要はあるが、スピードを落とさずに走ることが出来る。

日本ではそのような場合事故が起こればどちらにも責任があるとされる。

したがって優先道路を走っているメリットはほとんどないことになる。

このようにドイツでは責任と義務の関係が明白である。


私はこの12年の間人工透析をしているが、ドイツでも何度もしたことがある。

透析に対する態度には日本とドイツとでは決定的に違いがある。

日本の病院では水が増えていると患者は何か悪いことをしたような気にさせられる。

医者も看護師もどうしてこんなに増えたのかと詰問調でたずねる。

私がドイツで初めて透析したのは10年ほど前のことだが、NHKのカメラマンなど全部で七人ほどの旅だったし、ドイツを知っているのは私だけだったから、着いた日にはレストランに案内して皆で食事をした。

当然ビールを飲む。私も付き合った。

そのため日本では絶対に増えなかったのに、かなり水が増えてしまった。

私は医師に

「ドイツでは空気が乾いているので」

とつい弁解らしきことを言った。すると医師は

「飲むのはあなたの権利ですからそんなお気遣いはなく」

と言った。

私は驚いてしまった。

日本ではどんな医師でもいわない言葉である。

彼は「水が増えればその分透析時間を増やせば良いのですから」

という。

ある患者はベッドでバナナを2本食べていた。

私が驚いていると医師は

「あれも彼女の権利ですから」

という。

その結果どのような合併症が起ころうと責任は彼女にあるというわけである。


当然透析前に十分に教育してあるからそれを承知で飲んだり、食べたりする。

人はその結果を自分で負うことになるというわけである。

医師の態度としては冷たいと思われるかもしれないが、ここにもドイツと日本の決定的な違いがある。

個人の意思が何よりも尊重されている点である。

しかしその大前提を知っておかなければならない。

ドイツでは透析は最大2年間くらいで終わるのである。

その間に臓器移植の可能性が出てくるから一生透析をする必要はないのである。


日本でもし移植が出来るようなってもドイツのように個人の自由は保障されないだろう。

日本では医師は皆患者を幼稚な存在とみなし、細かな点まで指図しなければならないと考えているのに対し、ドイツでは医師は患者を一人前の人格を持った存在として敬意をもって遇しているからである。

透析に関する日本の医師と患者の知識の不足も否めない。


私の経験では、あるとき都立病院でヘルニアの手術をすることになった。

手術の前日に外科医が来て明日の手術は中止したいという。

透析患者は出血をすると危険だからというのである。

私はあきれて別の病院に行き、何の支障もなく手術を終えることができた。

医師の不勉強は否めない。

しかしこのような事情からも日本とドイツの個人のあり方には決定的な違いがあることが解る。


今まで述べてきたことから明らかなように、日本には個人が敬意を持って遇される場がない。

個人がいないとさえいえるのである。

それでは日本の社会はどうなっているのだろうか。

日本の社会は明治以後に欧米化したといわれている。

欧米化とは近代化という意味である。

近代化によって日本の社会は国の制度のあり方から、司法や行政、郵政や交通、教育や軍事にいたるまで急速に改革された。

服装も変わった。

近代化は全面的に行われたが、それが出来なかった分野があった。

人間関係である。


親子関係や主従関係などの人間関係には明治政府は手をつけることが出来なかった。

その結果近代的な官庁や会社の中に古い人間関係が生き残ることになった。

明治10年(1877)に英語のソサイエティが社会という言葉に翻訳され、明治17年にインディヴィデュアルが個人という言葉に訳された。

しかし訳語ができても社会の内容も個人の内容も現在にいたるまで全く実質をもたなかった。

西欧では個人という言葉が生まれてから9世紀もの闘争を経てようやく個人は実質的な権利を手に入れたのである。

日本で個人と社会の訳語が出来てもその内容は全く異なったものだった。

なぜなら日本では古代からこの世を

「世間」

とみなす考え方が支配してきたからである。

その意味は

「壊されていくもの」

というもので、この世は不完全なものであるということであった。

この「世間」という言葉は現世だけでなく、あの世も含む広い概念であった。

日本ではこの言葉はかなり俗化され、無常な世という意味で用いられることが多かった。


自画像の欠如 から抜粋


個人という概念がなかったことは明治以前には日本には自画像というジャンルがなかったことにも示されている。

明治以降、東京美術学校(現・東京藝術大学)が西洋画家の卒業生に自画像を描かせることを定めてから、自画像が描かれ始めたのである。

それ以前の日本人は「世間」という集団の中で生きており、そこに価値が置かれていたから、自己を描く必要がなかったのである。

明治以前の自画像のほとんどは雪舟、白隠、良寛などであり、その多くが禅宗の僧侶のものである。


「世間」の中の時間


「世間」の中では時間はほとんど止まったままなのである。

ただ日々が過ぎてゆくだけなのである。

たしかに時間の経過に違いはない。

しかし時間は何かの目的をもって流れているのではなく、動植物の生長と老衰と同じように経過してゆくに過ぎない

私たちの日々の暮らしを考えてみよう

毎日を健康に過ごし、家族に大過ないことを望んで暮らしている私たちはそれ以上のことを将来に期待しているだろうか

ほとんどの人たちはそれ以上のことを望んでいないのであり、それだけでも大変なことなのである

それが出来ないために毎年3万人以上の人たちが自ら死を選んでいるのである。

「世間」の中で暮らしている人は皆ほとんど同じであり、それ以上の目的を持つ人の場合はせいぜい地位か財産を求め、時には名誉や好色欲の満足を求めているに過ぎない。

政治家たちも同じであって、彼らがときに外交の舞台に出る場合でも、「世間」の中の付き合いの方法を応用しているに過ぎない。

したがって世界から取り残されてしまうのである。

宗教家といわれる人たちも同様である。

特に仏教教団は「世間」を維持する中心的な役割を果たしてきた。

明治以降の政府の近代化政策に対しても自らの存続のために多少の改革を行なって時の流れに従ってきたに過ぎない。


「世間」の中にはすでに述べたように欧米のような個人はいない

したがってキリスト教のような直線的な時間意識もほとんど見られない。

いわば「世間」には歴史がないのである。

欧米のキリスト教徒は計り知れない時間の果てに最後の審判を期待しているから、それまでの時間を計ろうとしてきたフィオーレのヨアヒムなどの試みがそれである。

こうして歴史哲学が始まる萌芽が生まれたのである。


「世間」には時間概念がなく、


歴史としてアーカイブされないって


すごい話だ。


もしそうだとして今もそれが


抜けきれたないとしたなら


グローバルな歩調合わせなど


出来なそうだよなあ、と。


こうして自国ファーストとか


ポピュリズムに


繋がっていくのだろうか。


そうならないように気をつけたい。


西洋を少しでも知っている


東洋の自分であればと考える。


体調不備の為今は考えるだけ。


 


第三章 歴史意識の東西


「世間」と時間 から抜粋


「世間」に関してもうひとつ注目しておく必要があります。

それは「世間」が本来否定されるべきものとして位置づけられてきたという事情です。

日本の仏教においては長い間、死後の生活に重心が置かれていました。

この世は穢土(えど)として生きる価値がない場所と見られてきたのです。

その結果日本には長い間自分たちが生きている社会を客観的に見る姿勢が生まれませんでした。

この世、「世間」は情緒的に捉えられてきたのです。

「世間」を「うつせみ」や「むなしいもの」「無常」と見るような見方は古代から中世を経て近代に至るまで共通しており、人々の基本的な社会観を規定しているものでした。

そのような「世間」の中で生きていた人々は「世間」の外に目を向けることはほとんどありませんでした。


解説 養老孟司(解剖学者・東京大学名誉教授)から抜粋


『近代化と世間』は阿部さんの最後のお仕事である。

私は阿部さんの死をじつに残念だと思った一人である。


阿部さんは最後に結論の一つとして、いわばだしぬけに

欧米の自然諸科学の現状を仏教の視点から見直すこと」と書く。

さすがによく見ておられたなあ、と思う。

でも多くの読者にはピンと来ないかもしれない。

具体的に何をいっているのか、説明が欠けているからである。

でもそれは大切なことである。

なぜなら、読者はそこから出発して、あらためて自分の頭で考えざるを得ないからである。

この短い文章は、阿部さんが将来を考えて行なった予言の一つといってもいいであろう。

それはやがて実現するはずだと、私は思っているのである。


欧米の価値観に合わせるのって


無理があるし、明治以降その綻びが


見えにくい形で現れてきているのかと。


もちろん日本だけではない話。


西欧と東欧の比較も深った。


日本に住んでいると違いすらわからない。


余談だけれど


養老先生ご指摘の阿部先生の結論に


ピンときてるのか、きてないのか


よくわからないのだけど


なんとなくわかるような。


「良いところを真似て、適応・運営」


「ダメならば、変更」


「良くても常に様子見、考えろ」


ってことかと。


普通のことだとも思うけれど。


だとして、最後のが面倒くさい。


一回フィックスしたら、人って


変えたくなくなるものですからね。


なので、一人でなくチームで


役割分担すればいいのではないかと


体調不良の寝床で感じ入る


今日この頃です。


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