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柳澤桂子 いのちのことば(2006年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


柳澤桂子 いのちのことば

柳澤桂子 いのちのことば

  • 作者: 柳澤 桂子
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2006/12/15
  • メディア: 単行本


「心の章 


 宇宙の真実に目覚め、野の花のように生きる」


  から抜粋


宗教書、哲学書、文学書などを乱読するうちに、

何かから解き放たれていく自分を感じた。

人間であることの悲しみが薄らいだわけではない。

本を読むことによって、

むしろその悲しみは動かしがたいものになっていった。

しかし、そのほんとうの悲しみを知ってしまったのは、

私だけではないということに気づいたのである。


現実の世界(リアリティー)は一元的なものであり、

本来、自己も非自己もない。

にもかかわらず、

私たちは強い自我を発動して生きることを強いられる。

このように、ものごとを二元的に見るために、執着が起こり、

絶え間のない我欲と満たされる

煩悶(はんもん)に苦しめられるのである。


人間のからだは、遺伝子の強い支配のもとに置かれていますが、

人類が創り出した文化は、

遺伝子の支配をあまり受けません。

私たちは現在の文化をすべて受け入れるわけにはいきませんが、

よく見極めたうえで、

私たちの利益になるものは受け入れていく方がよいでしょう。


不幸と思おうが、幸福と思おうが、

私次第です。

こういうことに気づいてみると、

生きていることがずっと楽になりました。

それを教えてくれた車椅子に、

私は深く感謝しています。


私たちは、36億年かけてつくられた

生態系の中でしか生きられない生物である。

人類の存続を願うことは、

地球上の生態系の保全を願うことである。

DNA環境の保全を願うことである。


心から科学を愛するなら、

科学が一部の人々の私利私欲のために

利用されることを絶対に許せないであろう。

人間の精神の所産としての科学を、

文化としての科学を愛することこそ、

いま私たちに求められていることではなかろうか。


「老いの章


 安らかな死を迎えるために」


  から抜粋


私は年を取って

よかったと思っています。

けれども、ここまで来るためには、

たいへんな苦労を致しました。

再び若返りたいなどとは、

けっして思いません。


あくせくと自分のために働くのではなく、

ゆったりとくつろいで、

周囲のひとにさりげない気配りをできるひとを

私は美しいと感じる。音楽にたとえるなら、

ドヴォルザークの「森の静けさ」のようなひとに憧れる。


行動に移せるものは、できるだけ早く行動に移し、

行動によって解決できないものは、

次の機会が訪れるまで心の隅にしまっておくことにする。

行動はひとを能動的に積極的にしてくれるし、

それによって問題が解決できればそれだけで心が軽くなる。


すぐに実行に移せることと、

どうにもならないものがあります。

実行に移せるものから実行します。

実行できないものはしばらく忘れているようにします。


人間は偉大なりと誇ることもできるかもしれないが、

私は、生物の進化の速度と人間の技術の進歩の速さに

異常な差のあることに恐怖の念を抱く。

人間が生物である以上、

この差が大きすぎるということは、

かならず大きな問題を引き起こすだろう。


この世に存在するという意識が

以前ほど鋭くなく、

ぼんやりとしてきました。

こうして次第に

あの世とこの世との境界が

曖昧になり、

安らかにこの世を去ることが

できるのでしょう。


今日は良い天気な関東地方。


熱も下がってきたので


布団を干して来週からの


仕事復帰に準備していきたい。


 


仕事して、本が読めて


音楽が聴けて


愛する家族がいて、食事して


家があって、健康があって


これ以上のことって


ほぼ、ないよなあ。


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