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村上龍氏と中村先生の対談から”無知の知”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

啓蒙的なアナウンスメント〈第2集〉世界の現状

啓蒙的なアナウンスメント〈第2集〉世界の現状

  • 作者: 村上 龍
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2003/03/30
  • メディア: 単行本
はじめに 
村上龍 から抜粋
わたしが主宰するメールマガジンJMMでメディア特集を企画して、この対談集に収められている女性ニュースキャスターとの対談・座談会を行なった。
だがそこで企画は途絶えてしまった。
内外の変化に適応する文脈の整備ということで、いつも問題になるのは教育とメディアだ。
教育とメディアは日本語に守られているために、たとえば金融や企業経営などに比べると適応が遅れているなどと指摘されることも多い。
JMMでは何度か教育の特集をした。
だが結局メディア特集を編むことはできなかった。
教育では、「症状」がわかりやすい形で発生しているのに対して、メディアに関してはほとんど症状がないという理由による。
日本のマスメディアは、症状を露わにするどころか、格差を伴った多様性を隠蔽する機能を持っていると思われる。
だがそれが日本に特有のものなのか、内外の変化に適応できずに没落する社会に共通の現象なのかはわからない。
わたしは繰り返し日本のマスメディアを批判してきた。
だがもちろんそれは「俗悪番組」の批判などではなかった。
いわゆる俗悪番組はどの国にもあるし、活力を失った国ほどそういったカタルシスを必要とするものだ。
わたしがマスメディアを批判するのは、すでにこの社会にある対立と格差を具体的に論議する前提をまったく探そうとしていないように見えるからだ。
当たり前のことだが、対立は日本社会だけではなく、世界中にフラクタルに存在する。
アメリカとイラクの対立、米英と独仏の対立、アメリカの政治・軍の内部にもあるだろうと予想される対立、イギリスの首相と議会、世論との対立、対立の数と種類はほとんど無限で、この世界は対立が基本となって成立していると言い換えることも可能ではないだろうか。
そういった世界に対し、「一丸」「一致団結」というキーワードで理解し、対応するのは難しい。
わたしはJMMにおいて、対立を基本とする論議の文脈を整備することを目標にしている。
この対談集の「啓蒙」にはそういったニュアンスがある。
生命科学・バイオビジネス
中村桂子(JT生命誌研究館館長)
May 2002
潤沢な予算をどう使うか から抜粋
村上▼
新聞紙上で対談したのは何年くらい前でしたかね。
対談の後からさらにDNAの研究は進んだようですね。
中村▼
最近はもうひとつ、細胞生物学と、それをもとにした再生医療へ向けての研究が急速に進んでいます。
ただ、進んでいるといっても研究には時間がかかるわけですが、今は生命科学を産業と結びつけようとする動きが大きいので、そちらからの期待が先行しているという感じもします。
村上▼
ミクロの再生医療というのは例えば、骨髄の細胞を培養したりすることも含まれるんですか。
中村▼
骨髄の場合、骨髄移植は実用化されていますが、型の合う人がなかなか見つからない悩みがあります。
そこで自分の細胞を取り出して、不足している遺伝子を入れて培養し、自分の体に戻すことを目指していますね。
骨髄細胞、血液細胞などは扱いやすいわけですが、最近の再生医療は体をつくる細胞すべてを対象にしはじめました。
そこで活用されるのは「ヒト胚性幹細胞」といわれるもので、通常はES細胞といって、体外受精に使うためにつくった受精卵の中から未使用なものを用いて、試験管の中で分裂させるという方法で手に入れます。
具体的には未使用の卵は冷結保存されており、体外受精に成功してもう不要というカップルの場合、破棄するわけです。
この卵をお願いして承諾を得られた場合、それを培養し、胚盤胞という時期の内部の細胞を用います。
これは、もし体内にあれば赤ちゃんの体をつくるはずの細胞ですから、体をつくる何の細胞にでもなる可能性を持っている。
村上▼
臓器などにもなるんですね。
中村▼
そう。何にでもなる。
試験管の中では人間にはなりませんが、ある条件のもとではさまざまな臓器になります。
心臓や肺や肝臓などの臓器は条件が難しいのですが、神経、目のレンズ、筋肉、血管などは試験管の中でも比較的つくりやすいのです。
将来はあらゆる臓器をつくって、今のような臓器移植ではなく、再生したものを使おうというのが再生医療の狙いです。
この分野はまだ始まったばかりで、技術の問題もこれから解決すべきことがたくさんありますし、社会的話題もたくさんあるので、細かいことはまたあらためてお話しします。
村上▼
そういった研究は、基本的にビジネス主導で進められているわけですよね。
中村▼
そうですね。そこはとても難しいところです。
この分野は、発生という生物学としてとても興味深い分野を背景にしており、生きものの体が出来上がる不思議を知る研究として多くの研究者が興味を持っているので、その研究がすすむことは皆望んでいます。
ただ、科学研究も自分のお金でやるわけじゃないですよね。
大学や公の研究所の研究を支えるのは、主として国のお金です。
ですから、国がどういう考え方でお金を出しているのかによって、研究の方向が決まるわけです。
今の日本の科学技術政策の目的ではっきりしているのは、世界の中で日本の科学技術の存在感を高めようということだと思います。
今は主としてアメリカがリードしていますから、アメリカを意識して負けないようにしようということになるわけです。
アメリカはビジネスのほうを向いて動いていますから、同じ方向を見て競争しないといけなくなります。
そうすると、科学とし面白いかどうかということではなくて、産業化に向くかどうかだけで研究予算が決まるわけです。
しかも、マスコミや企業は、表に見えるビジネスの側面だけで研究を見ている。
先日、名古屋大学の生命科学専攻部門の評価に行ってきたのですが、大学の研究はまだ研究として「面白い」という意識が基本にある。
当たり前のことですが、ちょっとホッとしました。
村上▼
中村さんは、大学の研究を評価するということもおやりになっているんですね。
中村▼
外部の研究者が評価する動きが高まっているので。
この間の名大など、学者として本当に面白いからやるという研究をしていながら、目的もはっきりしていて魅力的な生物学をやっていました。
結局はそういうところから、少し長い目で見れば技術としても面白く役に立つ成果が出てくるのではないかと思うのです。
大学の研究室よりも大きなお金で動いているプロジェクトはビジネスを向いて、そのための競争をしているのでそこが目立ちますが、10年後に、生きものを基本とした社会、科学技術をつくるための素材は、ビジネスに直結するところでないほうから出てくると思っているんです。
日本には健全というかそういうメンタリティを持って、いい仕事をしている人が十分いるとは感じています。
実は、一時期落ち込んだんです。
国の科学技術政策に沿って研究を進めるための委員会に参加していると、経済効果だけで成果を測る話ばかり出てくるので、嫌気がさして、目先だけでなく基盤をつくることも考えなければいけないのに、どうしようかと思ったんですが、いろいろな人の話を聞いていたら、基礎研究もきちんとあるので、そういうものを伸ばすことをやれば日本の力はあるはずだと。
でも、マスコミはあまりそちらには目を向けないでしょ。
そうなると、基礎づくりを支える力は弱くなるので危険です。
私は生きものの本質を知ろうとする研究を基本に新しい知を組み立てていこうとしている仲間たちと、それを育てることに少しでも努力しようと思うようになりました。
村上▼
そういう「面白い」というモチベーションの研究は、「ビジネス」主導の研究と分かれてしまっているんですか。
中村▼
「面白い」というと誤解を招くといけないので補足すると、生物学の流れの中で今これをやることに意味がある、次の流れをつくるという意味で学問的に面白いということなのですが、それとプロジェクトで進むものとはだんだんと区分けされてきてしまっているんです。
かつては研究費も、例えば数百万円というレベルで動いていたんです。
それが、ゲノム解析となりますと、解析機器やコンピュータなどの台数で研究スピードが決まる。
だから機械設備が必要になりますね。
それで研究の桁が違ってきました。
数十億円という費用が必要なプロジェクトなのです。
文部科学省の科学研究費での仕事も、数千万円とか数億円のプロジェクトが組める機会が昔に比べたらずいぶんと増えてきました。
これは生命科学に関心が持たれるようになったためで、いいことですね。
それだけ豊かな研究費で世界的レベルの研究ができるようになった。
一方、50億円、100億円という、直接政治や経済と結びつくプロジェクトは、本当にそこに投入することが最適かというチェックが専門的になされないので、やはり歪みも出る。
クローン人間をつくる合理性 から抜粋
村上▼
アメリカの科学ジャーナリズムは、冷静に現実を見つめ、解説・啓蒙書として優れているものが多いですね。
例えば中村さんが訳された『ゲノムが語る23の物語』(M・リドレー著)は、今生命科学の最先端で行われていること、そこですでに得られている知識を一般的に説明して、ゲノムと遺伝子の現状をわかりやすく書いています。
中村▼
あれはいかにもしゃれた感じのジャーナリストらしい本で、日本にはああいう本を書くジャーナリストが育っていないのが残念ですね。
日本では今、遺伝子ですべて決まるような話になっている。
「何でも遺伝子症候群」と呼んでいるんですが、専門外の方たちが遺伝子、遺伝子とお使いになり、性質から何から遺伝子で語る風潮がありますね。
遺伝子で説明できるはずのないことまで遺伝子で理由づけしようとする。
村上▼
アメリカがまず「犯罪者の遺伝子」というようなことを言い出したんですよね。
中村▼
アメリカは遺伝子で語るのが好きな国ですから。
昔から、双子の研究や犯罪者の研究などに関する遺伝の研究がたくさん行われています。
村上▼
優生学みたいなことを昔からやっていましたよね。
中村▼
そう、好きなんですよ。
二重らせんを発見したことでも有名になったジェームズ・ワトソンも所長を務めたことのあるコールド・スプリング・ハーバー研究所という、分子生物学では中心的な立場にある研究所があります。
そこはもともと、アメリカの富豪が優生学のためにお金を出してつくった研究所なんです。
それが今はDNA研究の中心になっているというのは象徴的です。
でも最近、双子の研究はかなり進んできましたが、遺伝要因なのか環境要因なのかという結論が、どんどんフィフティ・フィフティに近づいているんです。
まあ当たり前と思うんですけど(笑)。
やらなくてもそうだろうなと思うところに落ち着いています。
村上▼
もうひとつ日本のメディアが危険だと思うのは、バイオビジネスでアメリカにリードされているので、日本が追いつくことが国是であるという前提で科学面の記事をつくっているような気がするんです。
そして、それに対するカウンターはモラルしかないという点についてもアメリカを模倣してます。
中村▼
生命倫理、モラルでは対応できないと思うんです。
私は、生きものがどういうものかということを徹底的にわかれば、やったら危ないことと、やっても大丈夫なことがわかるだろうと思っています。
本当はそこからやるしかないと思うんです。
生きものを基本に置くことです。
村上▼
僕もまったくそう思います。
クローンにしても、神に反しているとかいうことではなくて、何が起こるかわからない。
リスクが確定できないということですね。
中村▼
そういうことです。
クローンについてはいろいろな考え方があり、『クローン、是か非か』という本にほとんどすべての場合が出ているのですが、どんな場合を考えても、生物学的に見たときに無意味なんです。
先日猫のクローンが生まれましたよね。
あれをごらんになれば分かるように、三毛猫のクローンなのですが、親と子の模様のパターンが全然違うんです。
クローンだけど違う。
三毛になるということは決まっているけれども、毛の生え方を決めるのは決して遺伝子だけじゃないことの証明ですね。
それは毛の色だからわかりやすいのですが、毛の色だけの問題ではありません。
あの猫を見れば、クローンは見かけさえ全然違うとわかります。
ペットのクローンが欲しいと思っても毛のパターンが違ったら何の意味もないでしょう。
村上▼
映画でよくありますけどね。ペットの代わりで。
中村▼
人間はもっと違うでしょう。
外見を見ただけで違うことがわかりますし、性格などすベて含めたらもっと違ってくると思います。
村上▼
でも、メディアではそういったニュアンスでは語られない。
例えば、人間のクローンをつくってどのような利益があるのかと考えて、「マイケル・ジョーダンが五人いるチームができる」と言ったりする。
中村▼
マイケル・ジョーダンがいきなり誕生するわけではなくて、赤ちゃんができるわけですから。
成長していく途中でひとりひとり違うことが起きるでしょう。
だから、どの例を考えても、クローンはまったく無意味だという答えが出るんですね。
神様の教えにもとるとかそういうことまで戻らなくても、生きものとして無意味なことはやめようということになるわけです。
村上▼
モラルで批判するのが簡単だ、ということなんでしょう。
中村▼
今のところ法律での規制ということになりますが、法律をつくってすべて防げるなら殺人事件もないはずでしょう。
法律をつくっても、やりにくくはなるでしょうけれど、防ぐことはできないと思うのです。
体外受精を認めるかどうかも、倫理を基本として議論していました。
ところが、ルイーズ・ブラウンという赤ちゃんが体外受精第一号として生まれたあとは、この子を否定できない。
技術を否定するとその子の存在を否定することになるし、かわいい赤ちゃんが生まれたということでとたんに議論がなくなって、あとはどんどん広がったのです。
倫理でとめている限りはそうなります。
だから、クローンだっていくら法律をつくってもひとり誰かがやるとすると、あとはとめられません。
生まれた赤ちゃんに、「生まれてきてはいけなかった」とは言えないですよね。
そうすると、クローン技術を肯定せざるを得なくなる。
村上▼
モラルで批判をすると、クローン人間が実現した時に、その子を死刑にするのかということになりますよね。
中村▼
世界の中でたったひとり生まれたという事実だけで、全部が壊れるわけでしょ。
村上▼
合理的かどうかで判断した方がいいと思いますね。
中村▼
こんなことをしても意味がないんだということですね。
村上▼
すでに生まれたクローンはどうすることもできないけれど、二番目、三番目とつくっても合理的ではなく利益もないという批判のほうが有効ですね。
それはアメリカのアフガニスタンへの攻撃への批判も結構似ていて、モラルの面から反対しても、じゃあ9・11はどうなんだと反論されると非常に弱いです。
そうではなくて、報復攻撃は非常にリスクが高くて、テロをなくすことはできないだろうというように、合理性で議論していかないと弱いんじゃないかと思うんですよね。
中村▼
攻撃で起きることのマイナスの大きさを考えると、そのことの無意味さを感じますね。
村上▼
モラルを持ち出さないほうがいいと思うんです。
中村▼
住民への影響のことを考えると、マイナスのほうが大きいですよね。
村上▼
モラルというのは耳に心地いいんです。
中村▼
宗教は宗教としての基準を持つのであって、例えばカソリックは、そもそも体外受精を否定するわけで、それはひとつの立場ですね。
でも、いわゆる倫理はそうではない。
今のような状況の中では倫理は弱いと思いますね。
だから新しい価値観をつくるしかないんじゃないでしょうか。
村上▼
アナウンスメントしなくちゃいけないと思うことは、生命に関していうと、いまだにわかっていないことが多いんだということじゃないかと思うんです。
中村▼
おっしゃる通りです。
遺伝子にしても再生医療にしても、生きものはまだまだわからないことだらけであって、機械のように思うように操作できるものではない。
生命操作というけれど、実は私たちにはまだ操作なんてできていないんだということだと思います。
子供の教育でやらなければいけないことは、「わからないことがいっぱいあるんだ」ということを知らせることですね。
今の学校は、すべてわかる子どもをいい子としているでしょ。
わかならいと言っている子供のほうが、いろいろなことを考えていたりするんですよ。
村上▼
そのほうがいろいろ知っていたりしますよね。
中村▼
わからないことがあるということをわかっているのは、一番大事なことですよ。
村上▼
情報や知識がないと、何がわからないかが、わからないんですよね。
かなり興味深いお二人の対談。
科学とビジネスの関係、クローンについての考え方
ものすごく分かる気もするのは気のせいだろうか。
2003年から時過ぎて20年経過した現在
お二人の変遷も興味深いものがあります。
日々もがいていての現在があるのだろうと察せられる。
かくいう自分もなんだけれど。
しかしどうして偉人のような人たちは
”無知の知”に辿り着くのだろうか。
本質だからとしか言えないのだけども。
知れば知るほど、遠ざかるみたいな。
読めば読むほど、わからなくなる
昨今の自分の読書に似ていて
そんなに壮大で高邁なものなんか?と
思ってみるのも無駄な時間、少しでも時間あれば
積まれた本を読めや、とどこかから聞こえてくる
朝5時おきで仕事だった本日は
寒さが厳しくなって冬到来を感じさせる
1日でございました。


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