①中村先生の生命科学の書から”哲学”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
- 作者: 中村 桂子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1996/06/01
- メディア: 文庫
から抜粋
1971年。
恩師である江上不二夫先生が「生命科学」という新分野を始められました。
生命科学と既存の生物科学とのちがいについては、先生自身の筆になる「序」に説明されていますが、大きくまとめると次の二つになります。
一つは、生命を総合的に考える学問をつくり、そこから人間を知ろうという姿勢、もう一つは、社会からの要求に応える学問にしようとする姿勢です。
そこには、これからは、知の世界でも、また日常生活でも、「生命」が重要な切り口になるという先生の見通しと、研究者としてそれに応えようとする意気込みとが込められていました。
まだ駆け出しの研究者であった私には、その時点で、これほどに深く、広い先生の考えを充分理解する力はありませんでした。
いまになって、四半世紀もまえに現在を見通していた先生の偉大さに感服しているのです。
そんな私に、学問の総合化、日常との接点の探究をどのように進めるか、それを具体的に考えなさいという指令が出されたのです。
さあ、大変。
とにかく大勢の方の知恵を拝借し、勉強し、考えました。
20世紀の生物科学は、すべての生物に普遍的な現象の解明に取り組みました。
すでに今世紀のはじめまでにわかっていた、生物の基本単位としての細胞、進化、遺伝という生物の普遍性を示唆する事柄をつきつめていくことが、生物学の大きなテーマでした。
その中で、DNAという物質がクローズアップされてきたことは、専門外の方でもご存知だと思います。
人間も他の生物と同じということが明らかになったのですから、生きものとしての人間(生物学ではヒトという)の理解が、まず必要です。
それが、人間を対象にした他の学問、たとえば人類学、心理学、医学などとどうつながっていく可能性があるのかを探るのが次の作業です。
そのような総合的な理解ができれば、そこから、価値観、社会制度、科学技術など、社会をささえるさまざまな要素はいかにあるべきかという視点がうまれてくると思います。
そこまでいってはじめて、生命科学という学問の存在価値が見えてくるだろうと期待しています。
1975年の時点での研究状況をふまえて、以上のようなまとめをしましたが、以後20年間に研究は大きく進みました。
20年後のいま、私は、「生命科学」から「生命誌」への道を歩いています。
自分では大きな転換をしたつもりでしたが、今回、この本を読み返してみて、すでにこの時、「科学」から「誌」への移行は潜在していたと感じました。
生命科学研究所を創設して研究を始められた江上先生の構想を受け、私なりにまとめた図(本文44ページ)の標題が「生命の歴史性と階層性」となっています。
それは単に現存の生物のメカニズムを解明するばかりではなく、宇宙の中に存在する生命体がいかにして生まれ、変化していったのかを問おうという姿勢をしめしたものです。
それは、私はどこから来てどこへ行くのかという問いにつながります。
このような考え方は、江上先生から明確なことばで伝えられはしませんでしたが、いま「生命誌」という形で行なっている、科学を日常化するという試みは、先生のお考えの中にあったものを一歩進めることなのだと気づかされました。
現実の社会では、環境、人口、食糧などの問題が解決しないどころか、ますます昏迷の度を深めて来ています。
「生命科学」のこころざしたものは、ますます必要の度を加えてきています。
人間について考え、生きものである人間が、生き生きと暮らせる社会づくりをするために、生物科学だけではなく、多くの学問から、日常生活の中から、たくさんの建設的な提案がなされ、具体的活動が展開されていって欲しい。
「生命科学」を提唱され、主導された素晴らしい先達、江上不二夫先生の気持ちを生かしてくださる、ひとりでも多くのお仲間が誕生することを願っています。
1996年5月1日
中村桂子
原本序 江上不二夫
から抜粋
この本はまだ幼稚な生命科学を一つの体系にまとめた一試作でありますが、それとともに特に人文社会科学の学生をはじめ一般知識人に生命科学の現在の姿をしめし、生命科学に興味をいだいてもらうことを意図したものであります。
私どもは生命科学が健全に発展し、長く人類の文化と福祉に寄与することを願っております。
この本が現段階で生命科学の理解に資するとともに、生命科学の今後の発展への一つの礎石(そせき)となることを期待しています。
はじめに
から抜粋
”生命科学”ーーーあまり耳慣れないことばだなと思う人が多いかもしれないが、ライフサイエンスといえば一度や二度は聞いたことがあるかもしれない。(註 1975年当時、生命科学はまったく新しいことばだったのである)。
生命、特に人間の生命がとうといというものであることは、3歳のこどもにもわかっている。
しかし、近ごろ世の中では、生命を大事にするとはいったいどういうことなのだろうと改めて考えさせられることが、次々と起こっている。
環境の汚染、嬰児(えいじ)殺し、寂しい年寄り…。
これを、ああ、いやな世の中だなと思うだけで過ごしたり、世も末だとあきらめたりするのでは、あまりにも情けない。
その原因を考え、生命とは何か、特に人間の生命とはなんだろうということをつきつめてみよう。
そして、生命を大事にする世の中をつくるには、どうしたらよいかを総合的、科学的に考えようとして生まれたのが生命科学である。
中村先生にしても、江上先生にしても、
”哲学者然”とした信念に突き動かされている
と感じた次第なのですが、他の書で、中村先生
意外なことを仰っていた。
中村桂子 ナズナもアリも人間も (のこす言葉 KOKORO BOOKLET)
- 作者: 桂子, 中村
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2018/11/12
- メディア: 単行本
生活の”哲学”
から抜粋
哲学は苦手です。
ただ、『あしながおじさん』の主人公ジューディが、自分のことを「私は女哲学者」と言っていて、それと同じ意味での哲学者なら、そうかもしれない。
「最も価値のあるのは、大きな大きな快楽じゃないのです。小さな快楽からたくさんの愉快を引き出すことにあるのよ。(中略)目的地(ゴール)へ着いても着かなくても、結果に何の違いもありません。
あたしはよしんば大作家になれなくっても、人生の路傍(ろぼう)にすわって、小さな幸せをたくさん積み上げることに決めました。あなたは、あたしのような思想をいだいている女哲学者をお聞きになったことがおありになって?」遠藤寿子訳
競争をして急いで走っていれば最後はへとへとになって、目的地に着いたって着かなくたっておんなじこと、私は道端に咲いている草を眺めながらゆっくり歩くことにします、こういう哲学者はいますか?とジューディはおじさんに聞いているんです。
つまり毎日を大切にしていきたいということ。
芭蕉の句「よく見ればなずな花咲く垣根かな」
が好きだとおっしゃる中村先生。
ここらあたりの発言や著書から感じるのは、
前言撤回、朝令暮改なんだけど
”哲学者然”たる風貌や思想ではないことは明らか
しかしそれが逆に真の”哲学”なのかもと思ったり。
なかなか深い領域にタッチしつつも、夜勤前、後に
読んだり考えたりして朦朧としてきたのでここらで
夕食のピーマンを炒め始めようと思っている
ところでございます。かしこ。