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ブライデンさんの認知症の書から”強い動機”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


私の記憶が確かなうちに

私の記憶が確かなうちに

  • 出版社/メーカー: クリエイツかもがわ
  • 発売日: 2017/04/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

Eテレで先日、著者が来日して、


日本の認知症のコミュニティの


当事者・スタッフと会合をしている番組を


観たことで、興味が湧き図書館で手配。


番組の影響もあるのだろう


借りるのに時間がかかった。


読んでみての感想は、予想以上に


かなり興味深い、そして深い内容だった。


読む前、そして読み始めは、ブライデンさんは


良い育ち・環境で、エリートなのか、という少し


僻みみたいのがなくもなかったものの、読んでみて


実はそういうことではなくて認知症との向き合い方


以前に人生との闘いや家族の支えがあったことが


この書では感じることができる。


読めばほぼわかることだが、一つだけ、認知症と診断


されたのは彼女が離婚を決めてシングルで子育てを


するところから始まったのだった。


日本の読者へのメッセージ


から抜粋


子ども時代は、異なる文化圏を行き来しながら、バイリンガルとして楽しく過ごしました。

また、母がゲーム感覚で記憶力や知力を磨くような遊びを取り入れて、”未来への保険”をかけ、認知症による機能低下のリスクに備えておいてくれたことも書きました。

私たちも次の世代のために、母と同じようなことができるだろうかと自問しています。


本書では、失敗に終わった1回目の結婚生活についても敢えて記しました。

こうしたことがあったからこそ、今のサバイバーとしての自分がいるからだと思うからです。

認知症という病気を全力で乗り越え、周りの人たちの役に立ちたいと、さまざまな活動に力を注げるのも、それまでの経験があったからだと思います。


生きていく中で、悩みや苦しみは誰もが直面することですが、それらを乗り越え、豊かに生きるヒントになれば幸いです。

2017年3月23日

クリスティーン・ブライデン


3 未来への保険ーー知は力なり


から抜粋


若い人たちは、多分こういう話は聞き飽きていると思いますが、本当のことなのです。

1950年代から1960年代頃には、自分たちの遊ぶものは自分たちで作っていました。


母と私のレクリエーションにはいろいろなゲームをして遊ぶことでした。

どこにでもある2組のトランプを使って(記憶力を競い合う)「神経衰弱」をして遊んだり、市や町、国、海、川の名前をたくさん出し合う、言葉遊びをしたりしました。


その他にも”スクリブル”という落書き遊びもありました。

それは、母が、一枚の紙に思いつくままに落書きをし、私が想像力を逞しくして、それを一枚の絵にするという難題でした。

そこで、私は苦労してなぐり書きされたものを象にしたり、キリンにしたりしようとしました。

次に彼女が、それに筆を加えることによって、素晴らしい絵に変わっていくのを息を呑んで見つめ、すごい!と感銘を受けていたことを憶えています。

これらの遊びのおかげで、私の脳が想像力と創造力を持つようになるために大いに役立ったと私は信じています。


毎週金曜日には、私たちはレイナーズ・レイン図書館に通いました。

そのため、私は、金曜日が大好きで、なんと大切に思ったことでしょう!


母は大人のための書籍を私に薦めてくれました。

そして、私は、パール・バック、ネヴィル・シュート、ヘンリー・ライダー・ハガードの書いた本の数々をむさぼり読みました。

冒険物語が大好きでした。


私が最もよく記憶していることは、図書館に向かって歩いているときの気持ちですーーそれはワクワクする一種の興奮であり、新しい物語への渇望だったのでしょう。


11 それでも希望はある


から抜粋


脳は神経のネットワークを再生し再学習することができるという神経可塑性の理論は、2007年に、『脳は奇跡を起こす』The Brain that Changes Itself(講談社インターナショナル、2008年)という、一般向けの科学書を出版したカナダの精神科医ノーマン・ドイジによって、一般大衆に知られるようになりました。


ドイジは、非常に興味深い症例研究を行って、事故や脳卒中から脳障害を負った人たちが、脳の別の部分を働かせて、彼らが失ってしまったと思われたスキルを再学習して、機能を回復することができるということを明らかにしていまいました。

私はこの本を読んだとき、人間の脳は私たち一般人が思っているような、一度失われたら、2度と元に戻ることはない機械の部品のようなものではなく、成人期に達してからでも、確かに、可塑性や順応性を持っていることを初めて理解しました。


ただし、ドイジは認知症については言及していませんでした。

私は、彼の理論が私のような認知症の人たちにも当てはまるのかどうかを知りたいと切に思いました。


14 すばらしい一日 から抜粋


あの2004年の会議以来、私は数回日本を訪れ、認知症政策やその実行における変革を日本政府に要求していた、認知症をもつ人たちのグループと共に活動し、応援してきました。

2005年までには、日本政府は認知症にやさしい社会を創るという目標を宣言して、その要求に対応しました。

そして日本は現在、地域に生活する認知症を持つ人たちの支援を目的とするボランティア研修事業(認知症サポーター研修)を修了した人たちが何百万人もいます。

認知症をもつ人たちを示す用語である”痴呆老人”の代わりに、”認知障害をもつ人たち(認知症)”という用語を使うようになりました。


日本がこのようなことすべてを達成する上で、私が微力ながら起爆剤としての役割が果たしてきたことを、この上なく光栄に感じています。


巻末には【付録】というのがあり、


よりよく生きるためのアドバイス

脳の健康を最大限に保つための5つの簡単な心がけ


も掲載されている。


エピローグ から抜粋


言葉は非常に重要なものです。

認知症をもつ人たちに好ましくないレッテル付けをして、それによって、どんな形にせよ、彼らをおとしめることがないようにすることが、きわめて重要です。

私たちは人間であり、単なる患者ではありません。

私たちは、私たちのもっている病気によって定義されるべきではありません。

もし、私がガンになっても、まさかあなたは私のことを、私の人間性やアイデンティティを抜きに、ただのガンになった人とは呼ばないでしょう?


2000年から日本では認知症関連の正式な制度や


対策が具体的に始まったのは周知の事実。


1970年代から警鐘が鳴り初めてなんと30年!


というのは怒りに震えながらも一旦おいといて、


それ以降さまざまな取り組みもあり、自分も関連した


方達の書をいくつか読んだりしながらも、


また実際に勉強もしながら、また読んだり


自分がいくつか思うことは、”痴呆”を”認知症”にした


ネーミングの妙により、どれだけの人が救われ、また


救えると感じたことだろうという事でございまして。


救うという表現が適正かどうかは置いておいて。


さらにブライデンさんも同じ事を感じてると思うが、


重要なのは”今”と”これから”をどのようにするか、


なのだろうと。


2022年末現在ブライデンさんの症状は緩やかに


進行しているがユーモアも交え話しておられた。


などとシリアスな年初一発目の書は、夜勤に向かう


バスの中の読書、有意義な時間でありつつも


元旦の能登半島の地震で被害に遭われた方を


思いながら高齢の方やご家族に思いを


寄せながらでございました。


余談だけど、高齢者施設で停電も断水も


スタッフとして経験した事のある


我が身としては、マジで大変なのを


知っているので日本の政府及び


関係者さん、一刻も早く対応いただきたく。


少しでも早い復興を祈ります。


 


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