柳澤先生のエピソードから”カッコよさ”を感ず [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
柳澤桂子―生命科学者からのおくりもの KAWADE夢ムック (KAWADE夢ムック 文藝別冊)
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2001/01/01
- メディア: ムック
先日投稿させていただいた
中村桂子先生の文中にあった
三菱化成時代、共に働いておられた頃のエピソード。
【エッセイ】
頼りになる仲間、柳澤さん
中村桂子 から抜粋
二人共、子育て真最中。
それぞれにその特徴を生かした仕事ができたと思っている。
柳沢さんは、どうしても哺乳類の発生を始めたいと頑張った。
これまた、今ならどうということはないが、当時は、ネズミを誕生させ、それを管理するのも大変な状態だった。
しかし、見かけによらず芯の強い彼女は、主張を通し、実験や飼育の技術習得のためのアメリカ滞在まで実行した。
が気になり、他のところからも発見したので抽出。
1999年時点で高校生の頃からの45年来の友人の証言。
【評論】
友・柳澤桂子 吉田基子
大学生から社会人へ から抜粋
自分自身の出産をきっかけに研究対象を大腸菌から哺乳類に変える決意をして、高額な設備費を含めた計画について上司を説得する。
実験に必要な遺伝的な系統がはっきりしているマウスを入手するために幼な子二人連れて3ヶ月米国の教授の元で学ぶ。
汚染環境に弱く、扱いが難しいマウスに悪い病気がはやりだすや、これを守るために飼育室の天井裏までもぐってダクトの付着物を徹底的に分析して策を講じ、貴重な飼料を根絶やしすることなく研究成果につなげた。
さらに彼女の施策が退職したずっと後になって評価されることになる。
大人になってからも毎週のように
連絡取り合っていた友人だからこその
愛溢れる評論というか随筆だった。
これを読むと海外赴任について、大学を出て
コロンビアの大学院へ行った経験が
背中を押させたのですな。
英語ができるだけでは、海外で暮らすことは
普通は躊躇するだろうけれども。
大腸菌から哺乳類への経緯が気になるのだけど
この本でのご本人の談や、いかに。
【インタビュー】
いのちのこと、自然のこと
●ある生命亜学者の軌跡、そしてこれから
聞き手=佐田智子(朝日新聞編集委員)
T遺伝子の突然変異 から抜粋
柳澤▼
私が最後に研究していたのは、ハツカネズミのT遺伝子というものだったんです。
私は子どもを産んでから、バクテリアなんて生命と思えないのでどうしても哺乳類をやりたいと思ってハツカネズミをはじめたんです。
私はT遺伝子についてやりたいと思いました。
それ以外のことは考えられないで、研究所でもかなり無理をして、研究室の中で私一人だけハツカネズミをやっていたんです。
ほかの人はショウジョウバエなんかをやっているんですが、それは私が
「ショウジョウバエはこれからいいと思うからやりましょう」
とおせっかいを言って決めたんです。
それで、自分はハツカネズミをやったわけですから、まわりの人たちはわがままだと思ったでしょう。
でも私はだれが何と言ってもラージTについてやらなければいけないと思っていました。
興味の移行理由はともかく、なぜにそこまで?
は、なんとなくしかわからなかったのですが
他の研究員の方たちの研究対象である
ショウジョウバエの容認っぷりが気になったのだが
それだけ突出しての優秀さだったとしか思えない。
全て推測なのだけど、中村桂子先生仰るように
妊娠されて意識が変わったことは確かなようで。
それ以前にも、学生時代のエピソードが
頑強な意思や今でいう天然っぷりを伺わせる。
時系列は遡り、かつバクテリアを研究対象として
ネガティブに思われる前の興味深い
ものでございます。お父様の知見も見逃せないです。
科学にあこがれて から抜粋
楽しいときはどんどん過ぎて、三年生の秋になった。
四年生からはじまる卒業論文のテーマをきめなければならない。
指導教官を選べば、テーマは先生からあたえられることになっていた。
私は、それまでの授業で習った生物学よりもう少し奥に何かがあるという気持ちをいつも拭いきれないでいた。
自分で研究するのなら、どうしても、その何かにいどんでみたかった。
けれども、それが何であるのか、どうすれば見つかるのかということさえも見当がつなかった。
そんなある日、新宿の紀伊国屋書店に立ち寄った。
当時の紀伊国屋書店は、2階に学術書のあるこぢんまりした造りであった。
その棚に、私は茶色い一冊の本を見つけた。
ブラウン著『細菌学』という翻訳書であった。
当時、欧米では、生物学の最先端の研究は大腸菌やウイルスのような微生物を材料にしておこなわれていることを父から聞いていた。
しかし、大学の授業では、そのような最先端の学問に触れられることはほとんどなかった。
この『細菌学』という本にそれが書かれているのかもしれないと思うと、私はどうしてもその本を読んでみたくなった。
私は、大腸菌の抵抗性のレベルが、突然変異によって整数比で上昇するという事実に心を奪われてしまった。
どうしても自分の目でそれを確かめてみたくなった。
とはいっても、ペニシリンや銅などの、すでにわかっていることを繰り返す気にはならない。
どのように実験すればよいのであろうか。
ちょうどその頃、生理学の実習で過酸化水素の定療法を習った。
どうしてもこの実験をしてみたくなり、私は助手の佐々木さんに相談にいった。
佐々木さんは、
「そんなことは無理だよ」
と即座に否定してしまった。
だいたい、卒論のテーマは教授からあたえられるものであり、学生が自分からもってくるとはけしからんといった雰囲気であった。
私はいったん引き下がったが、どうしてもあきらめきれなかった。
いけないといわれれば、調べてみたいと思う気持ちはいっそう激しく燃え上がった。
ふたたび佐々木さんの部屋を訪れて、どうしてもやってみたいといった。
佐々木さんはあきれ顔で、私の申し出が実行不可能であると思われる理由を次々に挙げた。
まず、教授の研究テーマがカビであるため、私が大腸菌を扱うとしても、カビの研究をする人々とおなじ部屋で実験をしなければならない。
カビは胞子になって部屋中を飛び回っているので、その中で大腸菌の実験をしても、カビに汚染されて実験にならないだろうという。
ある意味で、大腸菌はカビよりも弱いのである。
第二に器具が足りない。
カビの実験をするなら必要な器具は学校から支給されるが、それ以外の実験をするほどよぶんな器具はないという。
第三に大腸菌をあつかったことのある人がいないので、指導ができない。
そして、最後に、勝手なことをして実験データが出なかったら卒業できないといわれた。
そこまでいわれてもやってみたいことはやってみたい。
卒業できなくても良いという私の懇願に負けたかたちで、ついに佐々木さんは教授と相談してみるといってくれた。
やっと許可を得ることができたのである。
すごいよなあ、岡本太郎ばりの
燃え上がり具合だと思わざるを得ない。
そしてこの後もすごいのだけど
柳澤先生、用意周到、綿密に計画・実行を
約1年かけての、思う通りのデータを得て
論文作成、時間が残ったので英語にも翻訳して
大学院の教授に出版を勧められた
というけれど常人にはまったく真似出来ない。
なぜにそこまで?
研究とか実験ってよくわかりませんが
卒業できなくてもいいからやってみたいというのも
すごいが、それを許容する教授や助手さんもすごい。
これも、そうせざるを得ないくらい優秀で
かつ美しかったのだろう、精神から滲み出る何かが。
余談で、柳澤先生らしいというのか、意外と思うかで
意見分かれるけれど、象徴しそうなエピソードを
以下に。先のムック本から。
【評論】
知識と差異と進化
あるいは、二重らせんの私たち
佐倉統 から抜粋
●分析1ーーー科学者として科学的であること
から抜粋
彼女が三菱化成生命科学研究所で主任研究員をしていたころ、海外から著名な研究者を招待する話があり、誰を呼ぶかというときになって、
「ノーベル賞受賞者なんか呼んでもおもしろくない。アイザック・アシモフを呼んだ方がおもしろい」
と言っていたという。
狭い範囲に閉じこもる科学者にはない、懐の深さを感じさせる発言だ。
これもすごい!!
普通は権威とか評価とかの価値の方が
上回ると思いきや”おもしろそう”という
感性の方が優先してしまうのだから
およそ科学者っぽくない。
上(司)への説明はどうするのだろう。
そういう発想はないのだろうな。
しかしそれが本当は科学なのだ、と言っているような
そこが”カッコいい”としか言えない。
さて全然文脈的に関連しないのだけど
本日休日のため、妻と二人でブックオフに行き
ランチを食べて帰ってくるしあわせな1日で
今年の仕事納めは明日の早番になりますので
気を引き締めて、2023年に感謝したいと
思ったのでございます。