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柳澤桂子先生の28年前の書から”感性”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

安らぎの生命科学


安らぎの生命科学

  • 作者: 柳澤 桂子
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1996/05/01
  • メディア: 文庫

I 貝は海の瞼です

養老先生の脳 から抜粋


養老孟司先生は解剖学者である。

学者ではあるが、死体を看板に掲げて名文をものしておられるので、知る人も多い。

その養老先生の書かれたエッセイの中に「目の作家・耳の作家」というものがある。

作家には、「目」の作家と「耳」の作家があるという。

そして、解剖学者らしく「『目』と言い、『耳』と言っても、どちらも誰でも持っているものである。だから、作品において、どちらかと言えば、どちらかが優位を占めるという程度の意味で『目の作家』とか『耳の作家』と表現しているのであって、ここではそれ以上の他意はない」と断っておられる。


先生によると、三島由紀夫は典型的な「目の作家」であり、宮沢賢治が「耳の作家」であるということになる。

これを読んで正直のところ、私は、びっくり仰天した。

というのは、私はいつも三島由紀夫の文章を目で読みながらも、音楽として「聴いて」いたからである。


とはいえ、私は自分にあまり自信が持てないので、あたりを見回した。

ありました。

私の尊敬する田辺聖子先生も、三島の文章を「音楽的に美しい文章(恐らく、空前絶後の天才的な文章家であろう)」といっておられる。

宮沢賢治の文章にははっきりとしたリズムがある。

三島由紀夫の文章には調べといもいうべきリズムと旋律があるように私には思えるのである。


なので、三島と宮澤ともに「耳の作家」だと


指摘されているのでしょうが


宮澤賢治はともかく、三島由紀夫は自分も


養老先生と同じく目の作家だと思う。


旋律が聞こえてくるのは、一流の旋律のメソッドを


なぞらえることを三島先生が知っていた


からではなかろうか。ツボみたいなものを抽出して


会得した風にみせれるのではなかろうか。


三島先生が亡くなった後、三島先生の父親が


「息子は詐欺師」的なことを仰っていて


その流れではなかろうかと。


父上は堅実な農林省のお役人だったかと。


ちなみに逆に母親は三島先生への理解あり


父親には「あなたには芸術が分かっていない」


と叱咤、反目されていたというのは有名で。


女性と男性では受け取り方が違う


ということの現れかと。


三島は小説の舞台になる土地を訪れ、細かくメモをしたり写生をしたという。

たしかに三島の描写は視覚的に細かいが、色彩に乏しいと思う。

ほんとうに彼が鋭い視覚的な感受性を持っていたのであろうか。

私にはむしろ、表現の技術として、視覚に訴えることの重要性を彼が認識していて、そのように努力していたのではないかと感じられる。


三島自身の筆になる『文章読本』の中の次の文章は、彼が描写に心を砕くと同時に、文章の音楽性とリズムを大切にしていたことをはっきり示している。


「私はまた行動描写を簡潔にする目的で、その前に長い準備的な心理描写や風景描写をすることがあります。

それぞれの目的に従って、文章の苦心はさまざまな形をとるのであります。

文章の中に一貫したリズムが流れることも、私にとってどうしても捨てられない要求であります。

そのリズムは決して7・5調ではありませんが、言葉の微妙な置き換えによって、リズムの流れを阻害していた小石のようなものが除かれます。

わざと小石をたくさん流れに放り込んで、文章をぎくしゃくさせて印象を強める手法もありますが、私はそれよりも小石をいろいろ置き換えて、流れのリズムを面白くすることに注意を払います。

西田幾太郎氏の文章の持っていたような、漢字とドイツ語との折衷された文章の音楽的響きは、如何にも私にはなつかしいものであります。

それは古い音楽のように、いつも私の心にふかれます。

リラダンの文学はワーグナーの音楽をほうふつさせるそうでありますが、私は文章の視覚的な美も大切だが、一種の重厚なリズム感に感動しやすい性質をもっています。

しかし、ワーグナー的文体などは、いくら私が試みても模して及ばぬものであることは明白であります。」


ここで、私が問題にしたいのは、三島由紀夫が「目の作家」であったか「耳の作家」であったかということではない

その判断は、読む人の感受性によって違ってくるのではないかということである。


三島由紀夫がいくら音楽的な文章を書いたといっても、読む人がそこから音楽性を読み取れなければ、それは意味をなさない。

もし、私が三島の文章に音楽を聴いたとしたら、それはたまたま私が三島の発する信号と波長の合う脳を持っていたということに過ぎない。

その文章がどのような文章であるかという判断は、読む人がどう感じるかということにかかっている。


この点については、養老先生はご著書『唯脳論』の中で、次のようなことを述べておられる。


「ヒトのさまざまな思想が、最終的に統一可能か。私は、いっこうに心配していない。

所詮脳は脳であって、一つのものである。

他人の脳まで統一しようと思うなら話は別だが、それは統一ではなく、自分の脳の他人への押し付けである。

自分の脳をいくら他人に押し付けようとしても、相手がバカならどうにもならない。」


ひょえーええ、手厳しいです若い頃の養老先生。


この流れで『バカの壁』に突入していくわけですな。


それにしても、柳澤先生、「目」か「耳」かは


どうでもいいとされる、このちゃぶ台返しは


なぜだろう。


その理由は、柳澤先生のリアクションに


ヒントがあるように読める。


私はどうにもならないバカの部類に属するのかもしれない

しかし、人間の脳の神経回路がどのように形成されるかということは、私たちが想像していた以上に、遺伝子によって決められていることがあきらかにされつつある。

胎動期から出生直後に遺伝子によって形成された神経回路が、環境からの刺激によって修正されていく。

遺伝的要因と環境因子によって、それぞれ人に個性的な脳が作られていくのである。


養老先生、柳澤先生それぞれの強みの領域で


分析・考察されていて興味深いです。


ちなみに、いうだけ野暮だが


柳澤先生はバカではない。


それは性別や受けた経験からくる感性の問題で。


氏か育ちか、にも大きく絡んでくる問題で


って、稀代の生命科学者に市井の大馬鹿者の


自分が諭してどうするよ、これはもはや


神をも恐れぬ大逆臣だろう!って


震える手をどうすることもできずに


天気がいいから散歩でもしようかと


思い始めてきた休日なのでございました。


30年近く前の書であるがゆえ”遺伝子”の


解明もかなり進んでいる現状への


柳澤先生のご意見は如何にと思ったりもするが


ご年齢やご病状もあろうと思いますので、


自分で調べていきたいと思います。


って誰に言ってるのよ。


余談だけど出版当時の1996年というと


柳澤先生58歳、養老先生57歳の書で


さらに余談、中村桂子先生は一番年上なのですな。


柳澤先生は自分の母親と同じ歳でございました。


参考文献

カミとヒトの解剖学』養老孟司(1992年)

言うたらなんやけど』田辺聖子(1980年)

文章読本』三島由紀夫(1973年)

唯脳論』養老孟司(1989年)


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