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松井孝典先生の書から”豊かな人生”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

138億年の人生論


138億年の人生論

  • 作者: 松井孝典
  • 出版社/メーカー: 飛鳥新社
  • 発売日: 2018/10/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

2「わかる」とはどういうことか

から抜粋


世の中にはたくさんの人生哲学書が出回っています。

タイトルに「人生論」の文字を掲げている本書もまた、新たにそこへ連なる1冊ということになりそうですが、私がこれまでに刊行されてきた多くの類書に対して不満に思うのは、そこにまったくと言っていいほど20、21世紀の視点が欠落しているところです。


自分の人生をどうするか考えるというと、多くの人がまず自分の身の回りを見渡すことから始めるでしょう。

もちろん、それも必要なことですが、私たちが「在(あ)る」と言った場合、すべてが身の丈のサイズの現象で決まっているのではないということは、常に頭に入れておくべきです。


例えばアインシュタインの特殊相対性理論を思い出してみるといいでしょう。

この理論が明らかにした、もっとも衝撃的な原理は、「この世界の時間と空間は運動や重力で伸び縮みする」ということでした。

この理論が完成しなければ、スマートフォンに内蔵されているGPS(全地球測位システム)機能が正しく作動することはなかったはずです。

GPSは人工衛星を使った測位システムであり、地上とは異なり重力下で運動しているそれらのシステムを用いる際には、一般相対性理論の効果も考慮に入れる必要があるからです。


それほど重要な特殊相対性理論にもかかわらず、しかし我々がその原理を肉眼で確認することは不可能です。

法則とか原理とか呼ばれるこうした概念が姿を現すとすれば、それは言葉や数式において以外にないのです。

肉眼ではなく科学の目によってのみ明らかになる世界を、私は「見えない世界」と読んでいます。

アインシュタインが明らかにしたこの「見えない世界」は、宇宙スケールのマクロな世界ともいえますが、それとほぼ時を同じくして、ミクロな「見えない世界」の領域にも人類は着実に足を踏み入れています。


人生論にかぎらず、この「わかる」かどうかは現代人にとって大きな問題です。

科学的に「わかる」といった場合、それは、科学のルールに基づいて外界を脳のなかに投影し、その結果構築されたモデル、すなわち「内部モデル」に基づいて解釈することを意味します。


とはいえ、科学と科学技術が圧倒的に発達してしまった昨今、「わかる」ことが問題となる世界は、より細分化され、専門化されすぎてしまいました。

よほどそのことに精通した専門家でないかぎり、本当の意味で「わかる」ことはもはや不可能なのかもしれません。

そんな状況のなかで概念を共有しようとするなら、むしろ「納得する・しない」ということを問題にする方がよいでしょう。


科学以外でなら、これは宗教に近い考え方と言えます。

宗教において科学のルールに相当するのは神です。

その神に基づいて外界を投影して作られた内部モデルの正否は通常問われません。

その宗教を信仰する者は、ただそれを信じ、それに従って解釈、判断をします。

すなわちそれが、「納得する」ということです。


25 結局のところ「人生」とは何か


から抜粋


138億年にわたる宇宙の歴史を俯瞰できるというと、「では、松井さんから見たら、人生は一瞬の花火のようなものですか?」と聞かれることがあります。

しかし、それは誤解です。

大きく俯瞰した視点を持っているからと言って、138億年の宇宙史に比べたら100年の人生などちっぽけなものだと言いたいわけではありません。


100年の人生も、そのときその瞬間に刻まれた情報の蓄積で考えると、すごい厚みを持つ可能性があります。

100年どころか、私自身は幸若舞(こうわかまい)の「敦盛(あつもり)」で有名なフレーズ、「人生50年」の心意気で生きてきたつもりです。

その頃に胃がんになり、人生これまでかと覚悟を決めたのですが、幸いにも生き延びました。


現在の我々は、138億年にわたる、宇宙の歴史を解読した知識を、頭のなかに内部モデルとして蓄積できる可能性をもっているのです。

それがどれだけすごいことか実感している私からすると、いまの若い学生たちを見て、本当にもったいないと思います。

生活が便利になって、暇ができても、その時間をゲームやSNSに費やしているだけでは、現代という時代に生きる特権を享受していないからです。

ホモ・サピエンスは初めて、この宇宙がどうしてこのような宇宙になったのか、なぜ我々が存在するのかについて、解き明かしつつあるのですから。


人生とは、頭のなかに内部モデルをつくりあげることです。

50年の人生であれ、100年であれ、内部モデルが豊かであれば、実質的にその何倍もの時空を生きることになるというのが、私の実感なのです。


松井先生は、この本に限らず、1冊1冊を


最後の著書と覚悟して書かれていたように感じる。


1日1日を大事にしているとも書かれていたけれど。


そしてご自分の論を普遍性のある言葉に変換して


伝えてくれているがゆえに、そこが分かりにくいと


いわれるのかもしれないなあと思ったけど


自分には違和感なかった。分かっているかは


また別の話だけど。


「分かる」ってことほど微妙なものはないのは


松井先生のご指摘のとおりかと。


松井先生は昨年3月に亡くなられている。


付録ーーこの宇宙の遠大さと魅力に触れるための10冊


から


①『138億年 宇宙の旅

②『すごい物理学講義

③『宇宙のランドスケープ

④『隠れていた宇宙

⑤『数学的な宇宙

⑥『宇宙を織りなすもの

⑦『無限の始まり

⑧『この宇宙の片隅に

⑨『物理学は世界をどこまで解明できるか

⑩『ワープする宇宙


比較的、最近の書を選ばれておられ


昔の書では”内部モデル”的に意味がないのかも


しれないとか思ったりもするのですが


それは言いたいだけでございまして


松井先生のオールタイムベストみたいな


おすすめ読書があれば興味あるのだけど


それは不要なんだよ、世の中に松井孝典は


2人いらないんですよ、地球から与えられた


自分というレンタル期間を有機的に


消化しなさいよ、という松井先生の


メッセージのような気もしないでもない


火曜日の夕方、子供のインフルエンザがだいぶ


良くなってきたとはいえ


食事がままならないようなので、しばらく家で


待機しておる今日この頃です。


こういう時パパは食糧デリバリーくらいしか


できなくて家庭の”内部モデル”も刷新を


求められている模様の寒い関東地方です。


 


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