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ローレンツ博士考察から”日高敏隆マインド”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

大学は何をするところか


大学は何をするところか

  • 作者: 日高 敏隆
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 1993/04/01
  • メディア: 単行本


この本を取り上げ(出版社の指定かも)


しかしあまりこの書のことを語っておられず


相変わらずアウトローな養老先生でしたが


それが日高先生と通底している所なのかもと


勝手に思いつつも頭の片隅にあったのが


きっかけでこの書を読んでみた。


余談だけれどこの書、


なんと日高先生とローレンツ博士との対談が


入っているではないですか!


年末神保町まで『アニマ』買いに行っちゃったよ!


しかしこの書には二人の写真がなかったし


神保町にフィールドワーク行けたから


まあ、良いかと思ったのは全くの言いたいだけ、


以下は別の随筆でございます。


って前置き長すぎだよ!


II ローレンツとエソロジー


公認された比較行動学の先駆者たち


『自然』1973年12月号 


から抜粋 の前に


1973年10月11日熱海でのシンポジウム、


”感覚興奮と神経情報処理に関する総合研究”に


参加された日高先生は西ドイツの


行動研究生理学研究所の成果に注目していたが、


それはスタッフ間の協力的な連携の賜物ではなく


ヘゲモニー争いがあることを内情に詳しい他の


大学の先生から聞いて驚かれる。


シンポジウムの夜の出来事 から抜粋


そしてこのことからはじまって、行動研究のむずかしさ、ローレンツ論、シュナイダー論などに展開していった。


その後お開きになった後ホテルの部屋で、ローレンツ、ティンバーゲン、フリッシュがノーベル賞を受賞したと知らされる。


エソロジーとは何か から抜粋


こんないきさつを書くことは無意味に思われようが、ぼくはやはりこのことをどこかに書きとめておきたかった。


そもそも、これら3人の受賞理由であるエソロジー(比較行動学)の創立というときのエソロジーなる学問が、どんなものかについて意見はまるで一致していないのである。

日本での訳語には、比較行動学の他に、行動学、動物行動学、習性学、比較習性学、そしてエソロジーなど様々ある。

アメリカでの事情も、すくなくともしばらく前まで似たようなものであった。

ローレンツやティンバーゲンなどヨーロッパ人研究者がいうエソロジーとは何なのか、ということがさかんに議論された。

マーガレット・ミードは、”わたしがethologist”(民族学者)であるせいかもしれないが、ある論文で、ethologyという語を使ったら、全部ethnologyに直されてしまった”と語っている。


ローレンツの方法 から抜粋


とくにローレンツのとってきた方法は、およそ近代の実験科学の常識から外れている。

今までに彼の書いた論文はかなりの厚さになるが、その中には何らかの数値を示した表とかグラフのようなものは一つも含まれていない。

あらかじめデザインされた実験らしい実験もない。

すべてが”観察”だといってもいいすぎではないのである。


では、それらが単なる野外観察の克明な記録であるかというと、そうでもない。

彼は観察と記載ということの重要性をしばしば強調しているが、その理由は生物現象の極端な複雑さにあると述べている。

1匹のアメーバですら太陽系の何百倍も複雑なのだ、という認識である。

そこから多くのものを切り捨て単純な系として、それについて近代的なルーティンにのっとった実験を試みることは、切り捨てられたものが大きすぎて対象の理解には役に立たない、という考え方であろう。

これは、わかるところから解析して行こうという近代科学のやり方とは対立するものといえる(ティンバーゲンの方法はむしろ後者に近い)。


しかし、ローレンツは、そこで徹底した比較の方法を用いた。

こまかく観察されたことを比較することによって、複雑きわまりない事実をいわば重ねあわせて透視し、前にあげた動物行動の諸原則を洞察した。

そのプロセスには、きわめて緻密で鋭い哲学的考察が必要とされる。

彼の論文の多くがごてごてした哲学的論議ではじまっていることは不可欠なことであった。

さもなければ、それはほんとうにただの観察記録になってしまい、近代科学としてのエソロジーの確立に向かわなかっただろう。


とはいえ、ローレンツのこの方法が科学者一般の支持を受けていたわけではない。

今でも彼が書いているとおり、実験と測定にもとづかぬものは科学ではないといって、彼の仕事を評価しない科学者は多い。

日本でも、多くの生物学者はフリッシュを偉大な生理学者と認めていたし、ティンバーゲンも買うようになったけれども、ローレンツはあまり高く評価していなかったのではないだろうか。

彼が”お話みたいな論文ばかり書く”からという理由によって。


カロリンスカ研究所の発表した受賞理由は、つぎのようにいっているーーー

”受賞者はエソロジーとよばれる新しい学問のもっとも優れた創設者である。三氏の最初の発見は、昆虫、魚、鳥類についてなされたが、その基本原則は、人間を含めた哺乳類にも適用できることが証明された。”

つまり彼らは生理学者、医学者として受賞したのではなく、そのどれでもない新しい学問の創始者として受賞したのである。

これはおもしろいことである。


ノーベル賞というのは、賞の一つに過ぎないのに、どういうわけか不当に高い権威を認められている。

そして受賞者の決定には高度の政治的な配慮もなされていることは想像にかたくない。


しかし、カロリンスカ研究所が今の時点でこのような受賞者を決定したことには、おそらくもっと深い意味がありそうである。

それはやはり、現代文明の危機というものの認識なのではあるまいか

エソロジーは、動物の行動が遺伝的に決定されたものであることを、その基本的な立場としている。

その立場はすでに1930年代には確立していたにもかかわらず、広く認められるところとはならなかった。

それは条件反射学や、学問の問題、行動主義心理学などの支配のもとで、むしろ固定的で古くさい立場とされていたようである。

もちろん、”このすばらしい人間”の行動が動物のと同じ原則の上に成り立っているなどと考える、人間性の侮辱であるという感情も大きく作用した。

今日なお、エソロジーに対して、そのような反感を持っている人は多い。


けれど、現代文明におけるかずかずの危機的状況をまじめに考えてみるとき、エソロジーの立場とその発言が重要な意味を持ってくることは否定できない。

”エソロジーの創始者”という受賞理由のインプリケーションは、ここにあったのではないだろうか。


”科学でないもの”、を”科学”にする から抜粋


ここに至るまでのエソロジーの歴史は長かった。


日本ではその研究の意味するところに少し無関心すぎるのではないだろうか。

そのことが、科学の発展をかえってゆがめ、おくれさせるようにも思われるのである。


たとえば、ローレンツが多くのエネルギーを傾けた”攻撃性”の問題が、日本の動物学の中で、動物学の問題として真面目に取り上げられたことがあっただろうか?

それはせいぜい心理学の問題にとどまっており、そして心理学と動物学はまったく別の学問であった。

攻撃性の問題はむしろ”文化系”の人々が関心をもち、そのことがますますこの問題を正規の科学の扱うべき対象ではないようにしていった形跡もあるようにみえる。


つまり日本では明治以来、”これは科学だ”、”これは科学でない”という区別がまずおこなわれ、真面目な科学者は前者のみに専念しなくてはならないような傾向にある。

”科学でない”ものは、外国の偉い先生方が”科学”にしてくれたとき、初めて科学的研究の対象として公認される。


エソロジーは今やノーベル賞という権威によって、正当に科学と認められた。

ぼくはこのことがどのような形で進展してゆくか、多少の不安を伴った関心をもって眺めている。

3人の受賞を知った時、複雑な気持ちになったというのはそれである。


日本における従来の矮小化の線にそって、エソロジーのうちこれまでの”近代”科学のルーティンにすっぽり乗った部分のみが発展してゆけば、それはたちまちにして人間行動の支配につながってゆくであろう


生きものとしての人間、ヒト、という概念が


50年以上前と今では異なっているのだろう。


”ヒト原理主義”がマジョリティだった世の中で


ローレンツ博士たちは認められなかっただろう事と


そんな折、ノーベル賞となったことが事件として


受け取られた日高先生の、近代、日本への


警鐘がなぜか今の自分には響く。


阿部謹也先生との対談が自分にとって


さらに響き興味深いのがなぜなのか


わかる気がした随筆でした。


この後、科学は日高先生の憂慮していた方に


進んでいないだろうか。エソロジーは


感覚的になんとなくだけど


良い方向に行ってる気もするのだけど


科学自体は昨今の読書からだけど疑問な気もする。


この本に話戻して、本当は、この他のものを


引こうと思ってたのだけど


これを落としちゃあ、日高マインドを


見過ごすことになるぜという天の声に


従い引かせていただいた


めちゃくちゃ寒い関東地方の朝でした。


暖房しているのに部屋の温度10度です。


 


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