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2冊から養老先生の読書っぷりを垣間見る [’23年以前の”新旧の価値観”]

養老先生の昔の書、


つまり『バカの壁』以前は


自分だけかもしれないけれど


情報量が詰まっているような、


さらに僭越ながらも


ブレイク前の発信者の何かを感じさせる


気もするので最近よく拝読させて


いただいている次第です。


脳の中の過程―解剖の眼

脳の中の過程―解剖の眼

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 哲学書房
  • 発売日: 1986/10/01
  • メディア: ハードカバー

読書余論 から抜粋

考えてみれば、私は図書館は苦手である。

論文、総説の類を書くときに、止むを得ずに利用する。

行くのが億劫である。行けば、帰るのが面倒臭い。

本は年中読む。

通勤の電車が東京まで1時間かかるので、本が無いと電車に乗れない。

30年通っているから、いまさら景色を見てもはじまらない。

読むものがないと死にそうになる。

家でも読む。

便所も風呂場もない。

熱い風呂は苦手である。

本を読んでいると、湯あたりする。

半分、風呂の蓋をして、本と乾いたタオルを載せる。

手が濡れていると、本が濡れる。

蓋も拭いておかないと不可ない。

歩行中に読むのは、小さい時から慣れている。

本の上縁から、目の前の路面だけは見える。

遠くのものは目に入らないから、人が大勢歩いているところでは、やらぬほうがいい。

ただし、当方が本を読みながら歩いていても、相手はたいてい読んでいない。

だから向こうでよけてくれる。

ただし、あてにならない。

相手が急いでいると、よくぶつかることがある。


暗い所は禁物である。

街灯の下を選んで歩かないと、活字が見えない。

街灯はふつう定間隔を置いて並んでいるが、街灯と街頭の間は、明るさが一様でない。

本を読みながら歩いたら、すぐにわかる。

すこし街灯から離れると、暗くて字が読めなくなる。

最近、老眼が進んだから、暗いと眼鏡を外す必要がある。

眼鏡を外して、暗い所を歩いたのでは、たいへん危ない。


こまるのは、大きい本である。重い。疲れる。

それに、重い本は、うっかりすると風呂に落ちる。

場所を取るので、電車では隣の迷惑にもなる。

こういうものは、コピーをとって部分的に読む。

自分の所有本ならバラす。

分解して、文字通り読破する。

図書館の本は、こういう取り扱いに向かない。

公共のものを、読破しては不可ない。

本を人に借りるのも、好まない。

借りたら、貰ったことにする。

扱いが悪いから、読むと原型が崩れる。

崩れると、借りた本は別なものになる。

他人から借りて、別なものを返してはいけない。

だから、返さない。


和綴の本はなかなかよろしい。

東京大学の初代解剖学教授、田口和美の解剖の教科書は、まだ和綴である。

サイズも小さい。

そのかわり冊数が多い。

15冊分ある。

要るところだけ持って歩けばいい。

和綴の本を持つと、文化の柔らかみを感じる。軽いのもいい。

西洋の本は、それに反してむやみに堅い。

なぜハードカバーが高価なのか、あれがわからない。

多分、立派な机に本を置いて読むのであろう。

こちらは満員電車や風呂場である。

ペーパーバックなら読んであげてもいい。

こういうことが、貿易摩擦の遠因になるかもしれない。


面白いです!リズムが楽しい。


筆致が瑞々しいような若さかと。


当時は49歳!東大医学部教授時代。


漢字の使い方も今と異なる。


ここでは漢数字は半角数字に変えちゃったけど。


ご自分で書いてるね、これは。


手書きでなくパソコン、いや


ワープロかもだけど。


時代を感じます。


書物を読みながら、引用のために、必要な頁に紙をはさむ。

挟みすぎると、必要なところが、またどこかわからなくなる。

最近できた手持ちコピー器、コピージャックが、その点便利である。

図書館は、あれを備えて、閲覧者に貸し出すといい。

本に線を引く奴がいなくなると思う。


文献表のコピーもいい。

文献のデータは、写し間違えると、事面倒である。

文献表を全部写す必要はふつう無い。

その点コピージャックなら問題がない。

もっとも、もう少し待つともっと安くてよい機械ができるかもしれない。

コピーができた時は、便利なものができたと思ったが、どんどん慣れた。

いまでは、コピーするのが面倒臭い。

便利さへの馴化(じゅんか)は、きわめて早い。

それを思うと、図書館で閲覧者の便宜をはかったところで、イタチごっこという気がしないでもない。


生理学に、ウェーバー・フェヒナーの法則というのがあった。

あったような気がする。

刺激の量と反応の間には、対数関係がある。

便利という刺激を加えても、ありがたいと思う反応はどんどん鈍くなる。

百倍便利にして、やっと二倍ありがたいと思う。

それも、数年すれば、当然の扱いということになる。

動物が、もともと忘恩の徒(ぼうおんのと)だということは、生理学の法則から証明できる。


読んだものは、どこに行くのか。

長年不思議で仕様がない。

脳にインプットしているはずだと思うのに、アプトプットがほとんど無い。

なんだかごまかされたような気がする。

もっとも、若い時に同じ実験をしていないから、対照がない。

そう思って、自分を慰める。


覚えるのも不思議だが、忘れるのがもっと不思議である。

記憶という機能が説明できる説があれば、それは、忘れる方も十分説明可能でないといけない。

仕事の上でなにか思いついても、近頃は自分のアイディアかどうか、自信が持てない。

人に聞いたか、読んだかしたのだが、そのこと自体を忘れているのではなかろうか。

いったん疑い出すと、そうに違いないような気もする。

自分の意見を疑わずに持っている人を見ると、うらやましい。

私の意見は、自分の意見か、他人の意見か。

そこがどうもはっきりしない。

一応自分のものだと仮定するが、きちんと調べると、どこかで読んだものだとわかるかもしれない。

あまり本を読むと、馬鹿になるという話は、何度か読んだ。

しかし、読むというのは一種の中毒だから、どうにもならない。

もう完全に馬鹿になったと思う。

馬鹿になってしまえば、こっちのものである。

あとの始末は、利口な人に、考えてもらうことにしようと思う。


口述筆記で編集者の手の入っていると思われる


昨今のものとは明らかに違うリズムを感じる。


(これ、悪口ではないですよ念のため。


編集者さんの努力あればこそって思うし


実際書いておられるのもあるしで)


 


この書には養老先生マニアには有名かもだが


「馬鹿の壁」という言葉も出てくる。


(『形を読む』が先なのか)


初出から36年経過か。


 


さらに、養老先生のお弟子さんの書、


先生は時間さえあれば本を読んでいたという


貴重な愛弟子さんの証言。



養老孟司入門 ――脳・からだ・ヒトを解剖する (ちくま新書)

養老孟司入門 ――脳・からだ・ヒトを解剖する (ちくま新書)

  • 作者: 布施 英利
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2021/03/08
  • メディア: 新書

序章から抜粋

ある日、大学のトイレで用を出していた。

医学部本館にあるトイレの窓からは、銀杏並木が見える。

自分が景色を眺めてジャーッとやっていると、誰かが横に立つ。

見ると養老先生が。

挨拶しようとしたが、やめた。

片手に本を持って、用を足している

その集中した姿に、話しかけてはまずい、と思った。

殺気すら感じた

養老先生は、自分(つまり布施)がいることに気がつかなかったかのように、用が済むと、本を読みながらトイレを出て行った。


これには先生の別の随筆にもあったのだけど


人に話しかけてほしくないから読むのが


要因のひとつで


現代人はそれがスマホなのだろう


という考察がどこかに書かれてたなあと。


 


自分も真似したいです、いやその理由は


知識のアーカイブや


ノンバーバルなメッセージっていう


憧憬の人をなぞるということでなくて


未読本の消化のためにってことで、


なんて利己的なだけっていう事を


思った休日、早く食事して家の掃除をしないと。


 


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