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④グールドさんの最後の書籍から神と科学を考察  [’23年以前の”新旧の価値観”]


神と科学は共存できるか?

神と科学は共存できるか?

  • 出版社/メーカー: 日経BP
  • 発売日: 2007/10/18
  • メディア: 単行本

本文だけでは到底難しくて理解しにくいが


訳者の方たちの解説が


なかなかに興味深いのでございまして、


グールドさん(とドーキンス・ウィルソン先生達)。


極東の片隅に住む自分のような一般人には


良きガイド以上の存在であることは間違いなく


とても助かります。


 


グールドはどこに着地しようとしたのか?


ーー現代進化生物学の三巨頭(グールド、ドーキンス、ウィルソン)の宗教観を比較する


新妻昭夫 から抜粋


本書を手に取った読者の誰もが、グールドならではの博識と知的な刺激を堪能することができるだろう。

しかし、グールドのかねてからのファンであれば、これまでの彼の本とはやや異質なところに気づくことになるかも知れない。

原題は『Rock of Ages』。

単数形の「The Rock of Ages(ちとせの岩)」とは、堅固(けんご)な拠り所としてのキリスト教信仰のことである。

その複数形の「Rock of Ages」がタイトルとして選ばれたのは、グールドの本書での主要な議論が、科学と宗教の両方を堅固な拠り所として認めようという点にあるからである。

科学も宗教(とりわけキリスト教)も、それぞれが独立した「教導権(マジステリウム)」であり、しかもこの二つの「マジステリウム」に重複するところはないという。


したがって科学者と宗教者が敵対したり論争したりするのは無駄なことであり、両者はたがいの「教導権」を尊重しあうべきというのは本書の主張である。


近代合理主義者グールド から抜粋


難病と戦いながらエッセイを連載し、本来の研究も教育も変わることなく継続するーーーグールドの強靭な精神力を信じ難いとさえ感じた。

しかし、精神力という言い方は失礼にあたるだろう。

彼が死を恐れなかったのは、持ち前の楽観主義と、それ以上に、近代科学や医学への強い信頼によるものだった。

フラミンゴの微笑』の訳者あとがきで紹介したが、『ローリングストーン』誌(1987年1月15日号)のインタビューで、癌との闘いが信念、特に宗教的なそれに影響をおよぼしたかとの問いに、グールドは次のように答えた。


……私が癌をわずらったことに特別な理由があると思わないし、そこに特別な目的があるとも思わない。

私たちにできることはただ、それが起こったことを認め、そして快方に向かうべく最善を尽くすことだけだ。

幸運にも、私の場合にはそれがうまくいった。

ただそれだけのこと……かりに事態が反対方向に進んで私が死ぬことになったとしてもーーーそうなる可能性は十分にあったーーー私はこの態度を変えることはなかっただろうと確信している……


教員でもあったグールドさん。


病気をおして、治療を続け、車椅子でも教壇から


講義を続けていたとの事。


生きることの意味、無意味さなどを


徹底的に追求されたのか。


余談だけど、ウィルソン先生の後輩で


同期ではドーキンス先生がいたという


学校だったらしい。すごすぎる学舎だよなあ。


 


ドーキンスの無神論宣言と一神教批判


から抜粋


グールドの論敵にして盟友を自他共に認めるリチャード・ドーキンスは、彼の最新刊『神は妄想である(the God Delusion)』(2006年)のなかで、本書を「彼のあまり感心しない本の一冊」に数えている。

他の「感心しない本」は、たとえば『ワンダフル・ライフ』など、レトリックのあまり進化論に誤解を招くとしてドーキンスが批判的に書評した本のことだろう。


グールドはしばしば、みずからを「ユダヤ人の不可知論者」と位置づけてきた。

しかしドーキンスはグールドを「不可知論者」ではなく、むしろ「無神論者」に近いと位置付ける。

そして、にもかかわらずの中途半端な妥協を批判する。

この解説の冒頭に紹介した箇所をドーキンスも引用し、「究極的な意味と道徳的な価値の問題」を前にして、科学者が宗教家に遠慮する必要などどこにあるのかと強い異議を提起する。

そのような必要は断じてなく、だから自分は「神という妄想」がどのようなものかを論証し、「神の存在」ではなく「神の不在」を論じるのだということらしい。


怖い、怖すぎるだろう、ドーキンス先生。


さらに、この後ドーキンス先生が『虹の解体』でも


容赦のない論理展開をされていたのだけど


悪魔に仕える牧師』(原著2003年)から、


宗教に対する考えが変わってきたことを指摘、


事実公言されているようで。


同時多発テロの後、意識が変化、その書も気になる。


さらに気になるのは、以前一冊だけ拝読した


ウィルソン先生との関係。


このお三方は、なんだか面白そうだなあ、


なんて時間が足りませんよ。


他に読みたい本が山積みなのに。


 


グールドをドーキンス、ウィルソンと比較する


から抜粋


宗教あるいはスピリチュアルな体験についてのドーキンスとウィルソンの姿勢を見てきた眼で、あらためてグールドと本書のことを考えなおしてみたい。

順番に考えてみよう。

ドーキンスがそれまでの不可知論的な態度を完全に捨て去り、無神論を宣言したのは、あの「2001年9月11日」をきっかけとしてであった。

その2年前に刊行された本書でのグールドの主張に、この事件が関与している事はありえない。

しかし、「9.11」は、ニューヨークっ子であるグールドにとっては特別な事件だった(彼の自宅は「グランド・ゼロからわずか1マイル」)。


しかも彼の連載エッセイの最終回「ぼくは上陸した(I Have Landed)」の主人公である母方の祖父「パパ・ジョー」がベルギーのアントワープから12日間の航海で大西洋を渡り、ニューヨークに上陸したのは、奇しくも正確に100年前の「1901年9月11日」だった。

その記念すべき日に母親とニューヨーク湾のエリス島(当時、入国管理局があった)を訪れる予定だった彼は、当日の朝のミラノからのアリタリア航空便で帰国の途にあったが、カナダ南部のハリファックス空港で足止めとなり、ニューヨークの自宅に帰りついたのは1週間後だった。

いわば「生き証人」となった知識人として、しかも個人的とはいえ「9.11」に特別な因縁を持つ存在として、グールドはその月のうちに新聞と雑誌に4本の文章を発表し、校了寸前だったエッセイ集の最終巻『僕は上陸した(I Have Landed)」(2002年)の巻末に、急遽、それらの文章を収録することになった。

この4本が強調しているのはどれも、多数の人々の長年をかけての善行の蓄積が、ごく少数の人間のただ一度の蛮行によって崩壊するという歴史の皮肉「大いなる非対称(the Great Asymmetry)」であり、悲劇の大きさに目を奪われて善意の人々が圧倒的な多数をしめているという大切な事実を忘れるなというメッセージである。

宗教そのものについては、イスラム教もキリスト教についても、また否定的にせよ肯定的にせよ、一言も触れられてはいない。


それではグールドに「非重複-教導権(マジステリウム)」を主張させることになった、なんらかのきっかけはあったのだろうか?

この特殊なかたちの不可知論を最初に主張したのは連載エッセイのひとつ「重ならない教導権」。

このエッセイによれば、きっかけはローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が進化論を認めることを明言した、1996年10月22日の声明であり、「教導権」という言葉もこの声明の公式英語訳の見出しに使われていた。


グールドが

「特定の宗教を信じてはいないし、いかなる意味でも信心深い人間ではない」

としつつ、

「宗教に対しては大きな敬意を抱いているし、宗教の問題には、ほかの問題ほぼすべて以上に常に魅了されてきた」

と述べていることだろう。

魅了の理由は

「西洋史の中で宗教組織が育んできた、すさまじいばかりの歴史的パラドックス」

にあるという。つまり

「口にするのも恐ろしいほどの残虐さを育むかと思うと、人の命が危険にさらされたときに、胸を詰まらせるような善行に走らせるその落差が魅力的なのだ」。

ここでいわれている宗教のなかに、米国で反進化論を唱えているプロテスタント原理主義は含まれているのだろうか。


カトリックの司祭たちとは楽しく会話できたが、米国南部の原理主義者たちとは裁判で争うしかなかった。

1981年に始まったアーカンソー州での進化論裁判では、グールドは証言台に立った科学者たちの一人として主要な役割をになった。

この法廷闘争は1987年の連邦最高裁判所での「創造論法」を無効とする判決で進化論側の勝訴に終わった。

しかし、原理主義者たちは考えを変えたわけではない。

頑なとしか表現しようのない運動が、今も新たな装いで続けられている。

聖書の字句通りの解釈にしがみつくプロテスタント原理主義に比べたなら、聖書を隠喩として読むことを伝統としてきたカトリックとは話がしやすかっただろうし、ましてヴァチカンで出会った司祭たちは教養人だっただろう。

本書ではグールドは自分が育った地区には「ユダヤ教徒とカトリック信者しか」住んでおらず、米国の主流派はプロテスタントだとは信じられなかったと述べている。

グールドは幼少期からカトリックにある種の親近感をおぼえていたと思われる。


しかしカトリック総本山の教皇庁は、以前から進化論をある程度まで認めつつも、1996年の声明でも動物界における人間の特別な地位だけは譲っていない。

この点こそドーキンスが宗教を警戒し批判する点の一つのようだ。

彼も1996年のローマ教皇の声明に触発されてエッセイ(『悪魔に仕える牧師』(1999年)第3章第3節収録)を発表しいる。

声明そのものの解釈や評価はグールドとほぼ同じと言っていいが、ただし、宗教と科学が別個の教導権を持つものの解釈や評価はグールドとほぼ同じといっていいが、ただしとりわけカトリックの「種差別主義」を根拠にグールドの主張は間違いだと主張してきた。

もし科学の教導権と宗教の教導権が重複せず、たがいに尊重しあうべきならば、進化という科学の教導権内の問題にローマ教皇がお墨付きをあたえるという越権行為を、なぜグールドは見過ごすことができるのか!?

それでもドーキンスは、先に見たように、グールドの姿勢を無神論に近いとみなしてきた。

あるいは自分と同じ陣営に引き込もうとしていたのかもしれない。


1996年ローマ法王の声明は、ほぼ覚えてないけれど


キリスト教会でも進化論に譲歩するような動きがあり


さらに2001年の「9・11」があったことは


グールド、ドーキンスさんらを読む上で見過ごせない。


 


声明や蛮行がお二人になんらか


影響はあったであろうけれど


バックグラウンドで解釈や立場が


異なってくるのは想像がつく。


そんなことは承知の上で


グールドさんとドーキンスさんが


論争したのにはそれなりな理由が


あったのかもしれない。


 


それとは別で自分自身


「不可知論」って初めて知った言葉で、


今まで概念すら知らなかった。


 


知らないことだらけでこの書籍は


いろいろと考えることが多かった。


 


余談だけど、今日のブログをまとめてる場所が


ミスタードーナッツなんですけど、BGMで


DONUT SONG(ドーナツ・ソング)


かかってて、作者の山下達郎さんのコメントの


代読によると曲を作ったのが1996年ってことで、


その年に進化論裁判があったという


偶然だけどリンクしているな


ってのは本物の余談でした。


 


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