気になっていたシェイクスピアの周りから [’23年以前の”新旧の価値観”]
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2011/01/08
- メディア: 文庫
ボブ・ディランが2016年ノーベル賞受賞時
なかなか返事をしなくて動向が注視され
結局ギリギリになってコメントした中に
受賞委員をというか、世間に対してなのか
自分自身に対してなのかわからないが
そこはかとなくアイロニーっぽく
表現されていて印象に残っていた
シェイクスピアさん。
そういえばディランの2012年の
アルバムが「テンペスト」だった。
そういえば自分は、30年くらい前に
知人に誘われるまま、山崎努さんが主演した
「リチャード三世」の舞台を観たのだった。
当時はほとんど意味不明だった。
そして、最近ブログでシェイクスピアのことを
書かれておられる方のページを読み、興味が湧き
この書をライトに読んでみた。
表4の出版社さんのコメントから抜粋。
シェイクスピアの作品にまつわる数々の不思議や疑問について、臨床心理学第一人者と気鋭の翻訳家が謎解きすると、ぴったり息の合った二人ならではの結論が導き出される。
400年前に一人の人間が描いた37の演劇が、なぜ現代に生きる私たちをこんなにもひきつけるのか初心者にもマニアにも納得できます!
初心者は納得できないと思うのだけど
それは置いておいて。
『間違いの喜劇』
双子の運命やいかに から抜粋
『間違いの喜劇』は愉快な芝居だ。
シェイクスピアの喜劇のなかでも抱腹絶倒度の高さでは群を抜いている。
その源は、瓜ふたつの双子が主従二組も出てくること。
『十二夜』の例もあるとおり、そっくりさん一組でも周りは大騒ぎなのだから、二組も出てくればどんな大混乱が巻き起こるかは容易に想像がつくだろう。
だが、開幕早々のトーンはむしろ暗く悲劇的だ。
背景となるエフェソスとシラクサという二都市の対立、そのあおりで死刑を宣告されるシラクサの商人イジーオン。
彼が語る身の上話ーーー船の難破で愛する妻エミリアや双子の息子たちとの別れ別れになったいきさつーーーも沈痛である。
『間違いの喜劇』は認識の劇でもある。
混乱と抱腹絶倒のあとだけに、感動の深さと至福感はひとしおだ。
(松岡和子)
■松岡河合さんのご研究でも、一卵性双生児というのを採り上げておられるようですが、クライアントにも、双子のかたっていらっしゃるんでしょうか。
■河合
ええ、います。
■松岡
名前は似ていますか。
■河合
ええ、似ています。
それと、とても苦労をしていますね。
やはり、自分のアイデンティティをはっきりさせなければならない。
「違う」ということを、どこかで意識しなければならないわけですよね。
違うということを意識しなければならないと同時に、日本人の場合は、できるだけ一緒にしなければならないということが両方来ますから、非常に大変なんですね。
■松岡
まさにダブルバインドになっちゃうんですね。
■河合
死んでいく人を看取っていた有名なキューブラー=ロス(※)という人がいますが、キューブラー=ロスは三つ子です。
■松岡
そうなんですか。
■河合
だから彼女は、「自分は違う」ということを、小さい時からすごく主張しようとしたということを言っています。
たしか、思春期の時に、三つ子のなかの一人の子が風邪を引いてデートに行けなくなり、キューブラー=ロスが替わりに行くんです。
そして、完全にだましおおせるわけです。
で、余計憂鬱になる。
■松岡
そうですよね。
「私は何なの」という感じですものね。
■河合
それを痛切に思ったと。
それで、自分はこういうことをするんだととか、人と違うことをしなければならないという意志が強くなったと、言っていましたね。
※エリザベス・キューブラー=ロス(1926-2004)スイス生まれの女性の精神科医。不治の病で死んでいく人の心のケアを早くから実践。
『死ぬ瞬間』など多くの著作が邦訳され多く読まれている。
「臨死体験」についての発言も多い。
増補
『お気に召すまま』
人の一生は輪のように から抜粋
■松岡「この世界のすべてが一つの舞台、人はみな男も女も役者にすぎない」。
これはこの作品の有名な台詞ですが、それに続くのが、人生を七幕の芝居にたとえる台詞です。
「第一幕は赤ん坊、第二幕は小学生、第三幕は恋する男…」と続き、最後の第七幕には、年老いて赤ん坊のような状態に戻ってしまうと言っている。
人生のライフステージを七段階に分けているんですが、これをどうご覧になりますか。
■河合
私たちがよく知っているのは、孔子の「十有五にして学を志し、三十にして立つ、四十にして惑わず…」ですね。
いろんな分け方がありますが、七という数字は、「七不思議」というようにいろいろなところで使われることが多い数字なんです。
独自の学校教育で知られるシュタイナーも、0歳、7歳、14歳、21歳と、7の倍数で人生を考えています。
■松岡
七段階というと直線的に見られがちですが、登場人物のジェイクイズによれば、七番目はまた一番目に戻ってきますね。
第二の赤ん坊だと言って。
■河合
ライフステージが円環になっているという考えは、東洋だけではなく、もともとヨーロッパにもあったんです。
しかし時代が下るにつれ、だんだんキリスト教文化が入ってきて、一直線に天国に向かっていくようになる。
ヒンズー教では四住期と言って、人生を四つに分けます。
学生期、家庭期、林住期、遊行機です。
40歳から60歳までは、林の中で自分を見つめる「林住期」と呼ばれているんですよ。
■松岡この芝居の登場人物たちのように、林の中に住むのですね。
でも本当のことを言うと、このジェイクイズの台詞は、女の側からするとどう読んでいいのか困ってしまいますが…。
■河合
いや、実はね、洋の東西を問わずほとんどのライフステージは女性のことを考えていないんじゃないですか。
■松岡
ええっ、そうなんですか?
■河合
たとえば、フロイトは「すばらしい女性と結婚して、金持ちになって、地位があることが人生の幸福である」って言ってるんです。
もっと老年のライフステージについて言い出したのがユング。
一番有名なのは人生を八段階に分けたエリクソンの発達段階論ですが、やはり男のことしか考えていないんです。
■松岡
それは、フロイトやエリクソンが男性だからですか?
■河合
女性には、ちゃんと、生理的なライフステージがあるでしょう。
思春期でも、女の方は自分に確かに来たということがわかりますし、結婚や、出産、更年期も体で全部わかる。
だから、女性はライフステージをやかましくいう必要がないんです。
ところが、男はライフステージを意識して、それに合わせて「頑張って大人になる」のです。
だから、男はみんな大変なんですよ。
■松岡
そう考えると、何だか気の毒ですね。
河合先生の底なしの知識は凄まじいです。
学者さんの名前がわらわら表出される。
そもそも自分は
シェイクスピアをあんまり知らないので
かなり理解は半減しているけれど
もっと知ったとしたら
この書の感じ方は変わるだろう。
かなり良きガイドとして機能するような。
最後に河合さんのお人柄が伝わってくる
エピソードで締めでございます。
増補版あとがきから抜粋
この対談にまつわる忘れられない情景がある。
シェイクスピア・シリーズは河合さんのご都合がつくかぎり見ていただいたが、その第一弾の『ロミオとジュリエット』は、大阪公演をご覧になった。
とても感動したとおっしゃったので、終演後、ロビーでの打ち上げでスピーチをお願いした。
河合さんは『快読シェイクスピア』の「あとがき」に当たる「エピローグ」でもこの舞台に触れ
「十四歳の内界における嵐がどんなに凄まじいものか、この嵐とけなげに戦ったり、打ちひしがれたりした少年、少女の姿ーーー私が面接室でお会いした人たちーーーの姿が何度も何度も眼前を去来した」
と書いておいでだけれど、スピーチの途中で涙ぐみ、言葉を詰まらせてしまわれた。
そんな河合さんの姿と柔らかな心に接して、蜷川さんを含むスタッフ・キャストの面々のほうがすっかり感激してしまったものだ。
とにかく河合さんとのシェイクスピア談義は「楽しい」の一言に尽きた。
尽きないのは話題(これはシェイクスピア劇の豊かさのおかげでもある)、そして笑い(連射されるお得意の駄洒落のおかげ)である。
「オモロイこと」の好きな河合さんは、何よりもシェイクスピアを面白がっていらっしゃった。
それに感染して私もウキウキした気持ちになる。