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①内田先生の構造主義についての読書考 [’23年以前の”新旧の価値観”]

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)


寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2012/09/20
  • メディア: Kindle版


まえがき から抜粋


構造主義という思想がどれほど難解とはいえ、それを構築した思想家たちだって

「人間はどういうふうにものを考え、感じ、行動するのか」

という問いに答えようとしていることに変わりはありません。

ただ、その問いへの踏み込み方が、常人より強く、深い、というだけのことです。

ですから、じっくり耳を傾ければ、「ああ、なるほどなるほど、そういうことって、たしかにあるよね」と得心(とくしん)がゆくはずなのです。

なにしろ、彼らがその卓越した知性を駆使して解明せんとしているのは、他ならぬ「私たち凡人」の日々の営みの本質的なあり方なのですから。


第1章 先人はこうして「地ならし」したーー構造主義前史


2 アメリカ人の眼、アフガン人の眼


から抜粋


同時多発テロ事件のあとアメリカによるアフガン空爆が始まりました。

そのとき、「アメリカの立場」から一方的にものを見ないで、

「爆撃され、家を焼かれ、傷つき、殺されているアフガンのふつうの人たち」

の気持ちになって、この戦争を考えたら、ずいぶん違った風景が見えてくるだろうという意見が多くのメディアで紹介されました。

同じことを新聞の社説でも投書でも知識人や政治家のインタビューでも多くの人が口にしました。

戦争や内乱や権力闘争について、コメントするときに、一方的にものを見てはいけない。

なぜなら、アフガンの戦争について、

「アメリカ人から見える景色」

と「アフガン人から見える景色」

はまったく別のものだからだ、ということは私たちにとって、いまや「常識」だからです。

しかし、この常識は実はたいへん「若い常識」なのです。


このような考え方をする人はもちろん19世紀にもいましたし、17世紀のヨーロッパにもいました。

遡れば、遠く古代ギリシャにもいました。

しかしそういうふうに考える人は驚くほど少数でした。

そのような考え方をする人、あるいはそのような考え方を受け容れられる国民の半数以上に達して、「常識」になったのは、ほんのこの20年のことです。


「ジョージ・ブッシュの反テロ戦略にも一理あるが、アフガンの市民たちの苦しみを思いやることも必要ではないか」というのは、街頭でいきなりTVにインタビューされた場合にとりあえず無難な「模範解答」です。

人々はまるで判で押したようように同じことを言います。

「とりあえず無難」とみんなが思っている意見のことを「常識」というのです。

そしてこのような意見が「常識」になったのは、ほんとうにごく最近のことなのです。


構造主義というのは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。

私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。

だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。

むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に

「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。

そして自分の属する社会集団が無意識に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。


私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自立性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。


内田先生がよく仰るのは「無知の知」ってことで


どれほどのことを自分は知っているのか。


この書籍は、むしろ逆で知っていないということを


検分している、しかもホットな状態で、という。


そして、構造主義について説明されるのだけど


わかりやすい、けれど、


わかった、とはいえない。


うー、簡単なのか難しいのか。


第3章「四銃士」活躍す その1ーーフーコーと系譜学的思考


1 歴史は「いま・ここ・私」に向かってはいない


から抜粋


クリスマス時季に学生たちをわが家に集めたとき、私が編集したクリスマス・ソングのカセットをBGMにかけました。

定番のビング・クロスビー『ホワイト・クリスマス』、山下達郎『クリスマス・イブ』、ジョン・レノン『ハッピー・クリスマス』、ワム!『ラスト・クリスマス』などです。

これらの楽曲は二十歳くらいの学生さんにとっては「文部省唱歌」のようなもので、子どもの頃からこの季節になるといつも聞かされていた馴染みの深い音楽です。

ところが、私が驚いたのは学生たちがこれらの曲を全部「昔の曲」ということでひとくくりにしていたことです。

ビング・クロスビーと山下達郎とどちらが年上かさえ彼らには区別ができないのです。

区別ができないというより、区別する必要を感じていないのです。

「えー、だって、どっちも昔からある曲でしょ?」


つまり、リアルタイムで「それ」が生成する現場に立ち会っていないものは、全部「昔のもの」、「前からずっとあったもの」だと私も思い込んでいたのです。


ビング・クロスビーと山下達郎のどちらのデビューが先か分からない学生を笑った私にしても、ヒト世代上の人から

小唄勝太郎淡谷のり子とどっちがデビューが先?」

と聞かれたら、

「えー、そんなの区別する必要があるんですか?どっちも昔の人でしょ?」

と平気でひとくくりにしてしまうでしょう。


あらゆる文物はそれぞれ固有の「誕生日」があり、誕生に至る固有の「前史」の文脈に位置付けてはじめて、何であるかが分かるということを、私たちはつい忘れがちです。

そして、自分の見ているものは「もともとあったもの」であり、自分が住んでいる社会は、昔からずっと「いまみたい」だったのだろうと勝手に思い込んでいるのです。


フーコーの仕事はこの思い込みを粉砕することをめざしていました。

そのことは彼の代表的な著作の邦訳名『監獄の誕生』、『狂気の歴史』、『知の考古学』といった題名からも窺い知ることができるでしょう。


ある制度が「生成した瞬間の現場」、つまり歴史的な価値判断がまじり込んできて、それを汚す前の「なまの状態」のことを、のちにロラン・バルトは「零度」(degre zero)と術後化しました。

構造主義とは、ひとことでいえば、さまざまな人間的諸制度(言語・文学・神話、親族、無意識など)における「零度の探究」であると言うこともできるでしょう。


自分もよく考えるのだけど、昨今「昭和だよ、それ」みたいに


いうけれど、昭和っていったって60年以上あるんだよ


昭和初期と昭和後期じゃ全然違うんだよ、とか。


なので、ビング・クロスビーと山下達郎の生年が


分からない人もいるだろうし、小唄勝太郎って誰なの?


淡谷のり子は知ってますよってのもわかります。


その後、にわかに、難解になってきましたぞ。


ロラン・バルト氏の論考に待ったをかけたのが


フーコーであるとしてその偉大な功績を讃えておられる。


私たちは、歴史の流れを「いま・ここ・私」に向けて一直線に「進化」してきた過程としてとらえたがる傾向があります。

歴史は過去から現在目指してまっすぐに流れており、世界の中心は「ここ」であり、世界を生き、経験し、解釈し、その意味を決定する最終的な審級は他ならぬ「私」である、というふうに私たちは考えています。

「いま・ここ・私」を歴史の進化の最高到達点、必然的な帰着点とみなす考えをフーコーは「人間主義」(humanisme)と呼びます。

(これは「自我中心主義」の一種です。)


フーコーはこの人間主義的な進歩史観に意を唱えます。


「歴史の直線的推移」というのは幻想です。

というのは、現実は一部だけをとらえ、それ以外の可能性から組織的に目を逸らさない限り、歴史を貫く「線」というようなものは見えてこないからです。

選びとられたただ一つの「線」だけを残して、そこから外れる出来事や、それにまつろわない歴史的事実を視野から排除し、切り捨てる眼にだけ「歴史を貫く一筋の線」が見えるのです。


第4章「四銃士」活躍す その2ーーバルトと「零度の記号」


3 純粋なことばという不可能な夢 から抜粋


構造主義のさまざまな理説のうちで、日本人の精神に最も深く根付き、よく「こなれた」のは他ならぬバルトの知見である、と私は思っています。

そこには理由があります。

それはロラン・バルトが、日本文化を記号運用の「理想」と見なすという、とんでもない「偏見」の持ち主だったからです。

バルトにはある種の「こだわり」がありました。

それは「空」や「間」への偏愛です。

これらの概念はたしかに非ヨーロッパ的なものです。

というのは、「空」は充填(じゅうてん)されねばならぬ不在であり、「間」は架橋されねばならぬ欠如であるとヨーロッパ的精神は考えるからです。


しかし、宇宙をびっしり「意味」で充満させること、あらゆる事象に「根拠」や「理由」や「歴史」をあてがうこと、それはそれほどたいせつなことなのだろうか、むしろそれはヨーロッパ的精神の「症候」なのではないのか、バルトはそう疑ったのです。

空は「空として」機能しており、無意味には「意味を持たない」という責務があり、何かと何かのあいだには「超えられない距離」が保持されるべきだ…そういうふうな考え方は不可能なのだろうか、バルトはそう問いかけます。そして、その答えを日本文化の中に見つけた、と信じたのです。


バルトの文名を高めたのは『エクリチュールの零度』(1953)という書物ですが、その中でバルトが探求したのは、

「語法の封印を押された秩序へのいかなる隷従からも解放された白いエクリチュール」、

何も主張せず、何も否定しない、ただそこに屹立する純粋なことばという不可能な夢でした。


日本文化とフランスって親和性高い気がするのだけど


70年前から論考されてたってのは驚く、バルトさん。


それとも知らぬは己ばかりなりなのか。


しかし、まじ、むずい。


でもなんか引っかかるのですよなあ。


構造主義。


深く追求すればするほど見えなくなっていくような。


まったくの余談、一昨日、小津安二郎展を観てきた。


平日だったからほぼ人がいなかったのだけど


最初のコーナー、全国小津安二郎ネットワーク


副会長の築山秀夫さんの


コメントがしびれたのでした。


内田先生にも構造主義にも関係ないのだけど


観てない方は是非に。


・世界のOZU

「俺の映画がね、まあ、外国人にも、いつかきっと判るよ」

と小津安二郎は、カメラマンの厚田雄春(ゆうはる)に語っていたが、そのいつかはおそらく現在なのである。


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